城、としか言いようのないその場所……ホグワーツ魔法魔術学校に辿り着くころには、彩芽は汗ばんでいた。
途中で知り合いらしい人物に声をかけられたスネイプが、その後さらに歩く速度を上げたせいだ。
向こうは競歩かもしれないが、コンパスが全く違う彩芽にはその速度は速過ぎる。
おかげで彩芽は、ここまでずっと走り続けるはめになった。
「あら、セブルス……」
大きな入り口に着くなり、青竹色のローブを着た背の高い女性がスネイプを見つけた。
そして何かを言う前に彩芽の姿に気付き、ハッとしてスネイプを見つめた。
「セブルスあなた……まさかとは思いますが、この子は……」
「彼女はミス・ミナヅキだ。我輩は校長を探している」
女性が言い終わる前に、スネイプはピシャリとそう言った。
「ミナヅキ?」
女性は再び彩芽を見た。
そして次の瞬間、あっと声を上げて口を押さえると、スネイプと彩芽を交互に見た。
彩芽はその様子を不思議に思うが、隣に立つスネイプの機嫌が悪くなっていくのを感じ、彩芽はその女性に頭を下げた。
「初めまして。彩芽、と呼んでください」
苗字は先ほど紹介されたので省略して自己紹介すると、女性はスッと背筋を伸ばして自分も自己紹介した。
「私はミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツで変身術を教えています」
マクゴナガルは祖母と同じ、厳格そうな雰囲気を持っていた。
しかし四角い眼鏡の向こうの目は、優しげに彩芽を見つめたが。
「ところでアヤメ、あなたのお父様とお母様は……」
「早かったの、アヤメ」
マクゴナガルが言いかけたが、ダンブルドアが現れたので言葉は中断された。
「セブルス、ご苦労じゃった。しばらく部屋で休むがよい」
スネイプは眉を寄せて何か言いたそうにしたが、そのまま軽く頭を下げて去っていった。
「ミネルバ、話は夕食の席でするのが良いじゃろう。わしは少し、この子に用があるのじゃ」
マクゴナガルは彩芽を見た後、ダンブルドアに頷いた。
「ええ、そういたしますわ」
ダンブルドアが彩芽を連れてやってきたのは、石像の前だった。
石像……ガーゴイルの前で、ダンブルドアは立ち止まって口を開いた。
「こんぺいとう!」
いきなり出たお菓子の名前に、彩芽はダンブルドアを見上げた。
と、石の像だったガーゴイルが、突然命を吹き込まれたかのように動き、ピョンとその場を離れる。
そして今までガーゴイルが立っていた場所の壁が左右に開き、中へどうぞと言わんばかりに階段が現れた。
さっきの「こんぺいとう」は合言葉の様だ。
「わしは甘いものが好きでの、クズハが時々わしに日本のお菓子を送ってくれたんじゃ」
にこにこ話しながら、ダンブルドアは階段に足を踏み入れた。
彩芽もそれに倣う。
階段はらせん状になっており、しかも自動で上に動く仕掛けだった。
「中でもこんぺいとうは、わしのお気に入りの1つでな」
喋るダンブルドアの声に混ざって、背後で入って来た壁が閉まる音がした。
上へ上へとくるくる回り続け、グリフィンのノッカーがついた扉の前で、彩芽はようやく自動階段から下りる事ができた。
ダンブルドアが扉を開けると、中は酷くごちゃついていた。
壁には不規則な並びで肖像画がかけられ、部屋は丸く、機能的でないデザイン重視の家具が置かれ、魔法の道具と思われるものがあちらこちらに並べられ、置かれていた。
首に巻き付いた氷炎から、嫌そうな鼻息が聞こえる。
彩芽は氷炎の気持ちに共感しつつも、そんな素振りはおくびにも出さず部屋の中へと踏み込んだ。
「さて、どこに座るかね?わしはこの椅子がおすすめじゃ」
ダンブルドアは言いながら、彩芽にクッションが沢山のった低めのソファを指した。
彩芽はそれに従い、ダンブルドアが背もたれの高い椅子に座るのを眺めた。
「君はずいぶんと落ち着いておるのう。わしが何故君をここに連れてきたのか……気にはならないのかね?」
ダンブルドアは杖をひと振りし、彩芽と自分の前に紅茶のカップを出現させた。
ティーポットが勝手に宙を舞い、2人のカップに湯気の立つ紅茶を注ぐのを見ながら、彩芽は質問に答えた。
「父の……ヴォルデモートの事でしょうか」
眉1つ動かさず、その名を口にする少女に、ダンブルドアは微笑みを向けた。
「アヤメは、クズハからヴォルデモートの事をどこまで聞いておるかね?」
ポチャン、と彩芽のカップに角砂糖が1つ飛び込んだ。
「かつて魔法界を恐怖と混乱に陥れた、極悪非道な闇の魔法使いだと」
言いながら、彩芽はダンブルドアのカップに飛び込んでいく砂糖の数に微かに眉を寄せた。
「大勢の人を殺したとも伺いました。少なくとも、私の母と、母の友人であったリリーとその夫を殺害した。そしてリリーの愛で息子のハリー・ポッターは生き残り、ヴォルデモートは姿を消した、と」
「まさしく、その通りじゃ」
ダンブルドアは頷いた。
「ハリー・ポッターの殺害に失敗し、奴は姿を消した。今、魔法界は平和そのものに見える」
くるくるとティースプーンがカップを混ぜる。
彩芽はスプーンがひょいと出たのを見て、カップを手に取った。
「それでも、まだヴォルデモートの影は濃い。この名を耳にするだけで、いまだに人々は震えるのじゃ。世間では、この名はタブーとされており、『例のあの人』と呼ばれておる。わしはその呼び方は止めるようにと各所に呼びかけておるがの」
甘い紅茶を口にしながら、彩芽はつまり、と考えた。
「私は、私の父親が誰かという事を、隠す必要はないと思っています。もちろん、言いふらす気もありませんが」
先手を打って自分の考えを伝えると、ダンブルドアは首を振った。
「もし、君がヴォルデモートの娘だと知れれば、いわれのない中傷を受けるばかりか、命まで狙われかねん」
彩芽はその言葉にごく薄くだが口元で笑う。
「いまさらですね」
生まれながらの霊力の高さゆえに、命なら常に狙われてきた。
日本の魑魅魍魎や妖怪の類には、霊力の高い人間の肉を好むものが多い。
恐らく、イギリスではその危険は減るだろうと思っていたが、ここでも危険が続くというだけの話だ。
首の氷炎が微かに緊張する。
そっと胴を撫でて落ち着かせると、彩芽はダンブルドアを見た。
「確かに、真っ向からぶつかって君に勝てる者は多くはない。じゃが、魔法をこれから学ぶ君にとって、未知の方法で攻撃されたらどうじゃ?」
それに、と言って、ダンブルドアは豊かに生えた眉尻を下げる。
「攻撃してくる者が皆、悪人とは限らないのが1番やっかいなんじゃよ。君自身がどうであれ、あのヴォルデモートの子供は危険な存在だと誰かが言えば、たちまち恐怖は伝染するじゃろう。そうなれば、普段は虫も殺さないような者が、君を殺そうとするかもしれん」
ダンブルドアの言葉を聞きながら、彩芽は甘い紅茶を傾けた。
自ら混乱を招くのは良策でないということは良く分かる。
自分の身が危険に晒される事に抵抗はないが、他人をむやみに恐怖させるのは良くないというダンブルドアの意見に彩芽は頷いた。
「…………分かりました」
その姿に、ダンブルドアも頷き返した。
夏休み期間は生徒はもちろん、教師も校内に留まっていない。
たまたま新学期の準備で寄っていたマクゴナガルと、ダンブルドアの言いつけで留まっているスネイプ以外の教師は、あと数人いるとの事だった。
しかし夕食は各自部屋で食べるようで、食堂にいるのはダンブルドアとスネイプ、マクゴナガルの3人だけだった。
彩芽はマクゴナガルに、唯一の肉親であった祖母が亡くなり、他に身よりもなく、祖母の友人であるダンブルドアを頼り、現在は後見人であるスネイプの世話になっていると伝えた。
ダンブルドアの助言により、父親が誰かは分からない、という事で通す事にした。
マクゴナガルは一応それを信じたようだったが、時折何か言いたげにスネイプを見るので、スネイプの眉間にはくっきりと皺が刻まれたままだった。
「ところで校長、新学期が始まるまでずっと、こやつをここに置いておくつもりですか?」
彩芽とマクゴナガルとの会話が一段落すると、スネイプはそうダンブルドアに尋ねた。
「おかしな事を聞くのう、セブルス。アヤメの保護者は君じゃ、君がどうするかを決めてあげるべきではないかね?」
その答えに、スネイプはぎゅっと眉間の皺をさらに深くする。
「……お言葉ですが、彼女をここへ連れてくるよう命じたのは校長、貴方ですが」
「そうとも、わしはアヤメに話があったのじゃ」
ダンブルドアは頷いた。
「そしてそれはもう終わった。後は、保護者である君が決めてあげるのがよかろう」
にこにことそう言われ、スネイプは彩芽を見た。
首に巻きついたふわふわの毛並みを撫でながら、じっとテーブルの上を眺める少女。
スネイプの視線に気付き、彩芽は見上げた。
嫌だとも、嬉しいとも言わない、ただ黒いだけのその瞳に、スネイプは鼻の皺も寄せる。
「どちらにせよ、今日はもう遅いからの。アヤメはセブルスの部屋に泊まるとよい」
「校長!」
まさか、とダンブルドアに抗議の目を向けるスネイプ。
その様子に、心配そうに事の成り行きを見ていたマクゴナガルも加勢する。
「よければ、私の部屋に泊まっても構いませんよ?」
「セブルスの部屋でじゃ、ミネルバ。2人はお互いをもっと知るべきじゃろう……家族なのだから」
ダンブルドアの目が彩芽とスネイプに向けられる。
細められたその薄いブルーの瞳は、優しげに見えて、反論は許さないという強い意思が込められていた。
マクゴナガルが心配そうに見つめる中、スネイプは渋々頷くしかなかった。
「校長は一体、何を考えているのだ!」
食事の後部屋に帰るなり、スネイプは声を荒げた。
よっぽど腹に溜まっていたらしく、ドアを閉める仕草、椅子に腰掛ける様子、全てが荒々しい。
「我輩とこいつが家族などと……ッ!!」
手で顔を覆って、スネイプは息を吐き出した。
ダンブルドアの考えが全く読めない。
自分が彩芽の保護者……後見人である事は事実だ。
だが、彩芽は日本に暮らし、自分はイギリスにいる。
会う事もなく、ただ名前だけのものだと思っていたのだ。
(貴方に、家族をあげる)
フフン、と鼻で笑って、勝気にそう告げた女。
馬鹿げていると返した自分に、無理やり子供を抱かせてきた。
あの時手にした小さくて温かな赤ん坊が、今ここにいる。
……家族として。
「どこへ行く気だ」
スネイプが顔を上げると、彩芽はトランクを手にドアを開けたところだった。
「どこか、セブルスの邪魔にならない場所に」
返した言葉に熱はなく、見返す瞳にも何の感情も見えない。
ただただ深く黒い瞳に、一瞬昔の自分を思い出す。
――彼女に会うまで、どこにも自分の居場所などなかった。
「…………ここにいろ」
気付くと、スネイプはそう口にしていた。
彩芽が自分をじっと見ている事に気付き、さらに付け加える。
「校長に言われた通りにするんだ」
別に、情に流されたわけではない。
あくまで校長がそうするよう命じたから泊めるだけの事。
そもそも、彩芽は自分に感情を見せていないのだから、それに流されるはずもない。
内心でそう言い繕ってから、スネイプは杖を振って部屋の隅に小さめのベッドを用意した。
そしてそれ以上は自分には関係ないと言わんばかりに、さっさといつも座っているソファへ腰掛けると手近にあった本を引き寄せて開く。
まるでそうすれば、彩芽の存在を意識の外に放り出せるとでも言う様に。
彩芽はそんなスネイプの行動を眺めながら、内心首を傾げた。
彼の思考は読みづらい。
自分に対して好意的でないのは明らかなのに、かといって辛くも当たらない。
単に大人の対応なのかと思えば、子供のように不満を口にする。
察して相手の望むように行動しようとすれば、何故かそれを阻む。
彩芽は自分用らしきベッドにトランクを上げると、靴を脱いで自分も上がった。
ベッドの上に座り、深緑のカーテンを引いてしまえば、空間は遮断される。
ひとまずはそれで、スネイプもホッとするだろうと彩芽は考えた。
「ほーんと、陰気臭いやつだな、あいつ」
気を緩めて良いと判断したのか、ずっと首に巻きついたまま微動だにしなかった氷炎が口を開く。
ベッドに下りて肩を鳴らすような仕草で首を振り、堰を切ったように不満を口に出し始める。
「大体何なんだよここ、気味悪りぃったらないぜ。バテレンの奴らって何もかも魔法に頼ってんのな。妙な気配ばっかで気が狂いそうだっての」
「黙りなさい」
小さく囁いて咎めると、氷炎は鼻を鳴らした。
「へいへい、ご主人様」
ふて腐れて身を丸める氷炎。
静かになった中でその背を撫でていると、聞こえてくるのは物音だけ。
本を捲る紙の音、微かな衣擦れ、呼吸。
この布を隔てた向こうに人がいる。
夜に1人でトイレに行けるようになってから祖母と寝室を別にしていた彩芽にとって、誰かと同じ部屋で寝るというのは久しぶりを通り越してほとんど初めての事に近かった。
S.S。
毎年届くクリスマスプレゼント。
当然、彩芽は祖母に尋ねた。
誰から、何のプレゼントなのか。
「気にする必要はないよ彩芽……」
呆れた様な祖母の声。
「こういう中途半端が一番困る。会って名のるならともかく、イニシャルのみの、何の説明もないカード。お礼も疑問も、送るなという事かい。撫子はなんだってあんなひねくれた男に……」
後半は愚痴。
祖母はともかく、と愚痴を切り上げ首を振った。
「使い方も分からない魔法のおもちゃなんか、危なくて使えやしない。暴発はしないだろうけど、処分した方が良いだろうね」
言われて彩芽はそれを捨てた。
葛葉がそう言うのであれば、そうするしかない。
勝手に色の変わるペンだとか、触ると綺麗な音のするリボンとか、害のなさそうなものだけは、今も机に仕舞ってあるけれど。
ただ、彩芽はそれを使ったことはなかった。
昨日、スネイプが言った事は正しい。
彩芽とスネイプは概ね初対面だ。
その2人がこうして同じ部屋にいるのは、ダンブルドアがそうしろと言ったから。
そもそも、入学までまだ日はあり、彩芽はイギリスに来る必要はなかった。
話がある、とダンブルドアは言ったが、そんなものは日本でも出来た事。
――ダンブルドアは、一体何を考えているのだろうか。
穏やかそうな見た目に反し、その内はかなりの策士なのだろう。
実を言えば、彩芽には一瞬で日本に帰る方法があった。
それを言い出さなかったのは、ダンブルドアが彩芽をイギリスに留まらせようとしているからだ。
どんな思惑があるのか。
彩芽はそれを考えながら、静かに横になって目を閉じた。
◇スネイプ教授と彩芽のママンはお友達であって、本当のお父さんとかではない。でも髪の色などもあって並ぶと親子みたいに見え……ません。圧倒的顔面偏差値の違い。ただ、ママンとスネイプが実は出来てるんじゃないか説は当時のホグワーツでは有名でした設定◇