一旦グリンゴッツ銀行まで行き、脇道を探すとすぐにそれは見つかった。
グリンゴッツから少しだけ離れた細い路地。
進めば進むほど、どんどん薄暗さが増していく。
同時に、暗がりからの視線が彩芽に絡みついていった。
狭い石の壁がまるで迷路のように入り組む道を、彩芽と氷炎は奥へ奥へと進んで行った。
それにつれて、視線の数も増えていく。
「なあ、彩芽、この先の横丁って絶対ろくな場所じゃないと思うぞ」
首に巻きついた氷炎が身を固くする。
緊張が伝わり、彩芽は軽くその体を撫でた。
「ろくな場所じゃないっていうのは、そうでしょうね。けど、だからこそ見ておく価値があると思う」
これから相手にする父親は、こちら側の人物だ。
害のない、綺麗で平和な道具ではなく、悪意や害をなす道具を使用する人間。
「今年で決着がつくならともかく……長引くならあの人の支持者も出てくるだろうし。そうなればこのあたりに売っているものが使われても不思議じゃない」
「長引かなきゃいいよな」
「もちろん、機会があれば逃さない」
彩芽ははっきりと頷く。
去年の失敗は重い。
長期戦になってしまう可能性が高くなってしまった。
けれど全く無駄ではなかったとも思う。
少なくとも、自分を見誤る事はもうないだろう。
ノクターン横丁と書かれた煤けた看板を掲げる店を横目に奥へ奥へと進んで行くと、噂のボージン・アンド・バークスを見つけた。
暗い通りに並んでいる店の中でも、この店が1番大きい。
どんな人相の悪い人物が待ち構えているかとドアを開けて入る彩芽だったが、ベルの音が響く以外、埃っぽく薄暗い店内には誰もいない。
……いや、気配はするが姿はない。
彩芽は少し迷ったが、気付かないふりをする。
並べられた商品はダイアゴン横丁のキラキラ明るい雰囲気のものとは違い、怪しげな雰囲気を纏っていた。
ぎょろ目の義眼、血の付いたトランプ、そして……クッションに乗った萎びた手。
宿で聞いた『輝きの手』とはこれの事らしい。
ろうそくを差し込んで持つと、自分にだけ暗闇の中でも明かりが灯っている様に周りが見えると言っていた。
「つーか、それって暗視スコープみたいなもんだろ?」
氷炎が身も蓋もない言い方をして、彩芽は肩をすくめた。
「科学で再現できない『不可能』を魔法の魅力だとするなら……この萎びた手は冴えないわね」
もっとも、魔法界では暗視スコープは使用できないので、代用品としては有用なのだろうが。
いかついお面や、呪われているとの説明書きが付いたネックレス。
物々しい拷問具、汚れた髑髏、それから……。
1度履いたら死ぬまで踊り狂う靴というのを見つけて、彩芽は目を止める。
残念な事に、色は茶色だった。
「珍しい客もあったもんだ」
店内を見て回る彩芽に、ようやく店の奥から猫背の男が現れて声をかけてきた。
子供がたった1人でいるせいか、訝し気に彩芽を見る。
「どこの子だね?」
じろじろと観察しながら、恐らく店主のボージンと思われる男は、彩芽のすぐ側までやって来た。
答えない彩芽にさらに疑わしげな目を向けて、ボージンは店の外へ目を向ける。
「ふん、大方ダイアゴン横丁から迷い込んできたんだろ、え?ここはお前の様なやつが来るところじゃない」
威圧するように、ボージンは身を屈めて小さな彩芽に覆いかぶさるように顔を近づける。
「この店を出たら、外で連中が待ち構えてる。爪を剥ぎ、皮膚を剥ぎ、目ン球をくり抜く……売れるもんは全部奪おうって連中さ。もっとも、お前なら丸ごとセットの方が売れるかもしれねぇなぁ」
ひひっと笑い、ボージンは彩芽の長い髪に触れようとする。
だが、その手は氷炎の尻尾に思い切り叩き落とされた。
「痛ッ、こいつ……!」
ボージンが怒って拳を振り上げる。
だが、振り下ろされるより早く、店の扉が開き2人の人間が入って来た。
「……ボージン君、これは一体?」
一瞬足を止め、背の高い、プラチナブロンドをオールバックにした男が眉をひそめて尋ねる。
その男の側に立ってこちらを見ているのは、彩芽も知っている人物だ。
「ミナヅキ……」
驚いた様子で呟くドラコ・マルフォイ。
オールバック、顔の形、瞳の色もそっくりなところからして、親子なのだろう。
「これは……マルフォイ様」
怒りの表情から、一転へらりとした愛想笑いに変え、ボージンはそろりと拳を下ろした。
「ダイアゴン横丁から迷い込んだ小娘を、ちょっとばかしからかっていただけでして……」
誤魔化す様に笑うボージンから彩芽に視線を移し、ドラコの父親は息子を振り返る。
「知り合いか?ドラコ」
尋ねられたドラコは、その声にハッとして父親を見上げた。
「……別に、同じ学年というだけで知り合いってほどじゃない」
「さっき、ミナヅキと聞こえたが?」
「そいつの名前さ」
素っ気なく答えた息子から、再び視線を彩芽に移す。
黒髪、黒目の『ミナヅキ』ときて。
ドラコの父親の脳裏に蘇るものがあった。
「ナデシコ・ミナヅキの娘か」
彩芽は静かに相手を見て頷く。
「水無月彩芽。母は撫子。それで、貴方は?」
「ルシウス・マルフォイ。ドラコの父だ」
尊大な態度は、どこか大叔父を思い出させる。
好きになれそうにないと、彩芽はルシウスを見て思った。
そう思うのは、彼から感じるこの忌まわしい気のせいだろうか?
いや……だが、この気は彼のものというよりは……。
「ボージン君、彼女は私の知り合いの子供だ。大目に見てやってくれないか」
「ええ、ええ。マルフォイ様の頼みでしたら」
ボージンが答える。
何をどう大目に見るのか。
不愉快な気分で、彩芽は息を吐いて声を上げた。
「わざわざ頼んでいただく必要はありません、ミスター・マルフォイ。私は自分の意思でこの店に来たので」
「……ほう?」
ルシウスは彩芽を見てくつくつと笑う。
「なるほど。まさしく、ミナヅキの娘だ」
その笑う姿に、彩芽は戸惑った。
おかしそうに笑うその姿は、大叔父とは全く重ならない。
そこでようやく、彩芽はルシウスが大叔父ではないという当たり前の事実に気付いた。
「用事を済ませるまでそこでドラコと待っていたまえ。大通りまで送って差し上げよう。ドラコ、決して触るのではないぞ」
言い終えて、ルシウスはボージンとカウンターへと歩いて行った。
従う義理はなかったが、思い込みで決めつけてしまった事にほんの少し自己嫌悪に陥った彩芽は、そのまま待つことにした。
「おい、どうしてお前がこんなところにいるんだ。今日はハリー・ポッターと一緒じゃないのか?」
店の端っこで、ドラコが声を抑えて尋ねた。
彩芽はチラリと奥のキャビネット棚を見て、ドラコを見た。
「さっきも言ったわ。私はここに来たくて来た。あと、ハリーはもう、私とは会いたくないでしょうね」
ドラコは首を捻ったが、彩芽はそれ以上口を開かなかった。
ルシウスはボージンとまだ話をしていた。
聞こえる内容から、何か危ない物を売りに来たようだ。
アーサー・ウィーズリーの名前が出て、彩芽は間違いなくロンの家族の名前だろうと考えた。
ドラコは彩芽が話をする気がないと察したのと、目の前に並ぶ商品の数々に気を取られたのか、陳列する商品を眺めるのに必死になっている。
「あれを買ってくれる?」
ドラコが足を止め、商談中の2人の会話を遮ってある商品を指さした。
『輝きの手』だ。
「趣味悪っ」
氷炎が呟き、彩芽は無表情のまま完璧に笑いをこらえた。
「泥棒、強盗には最高」と説明したボージンに、シリウスは冷ややかな視線を送り、ドラコにも厳しい目を向けた。
「もっとも、このまま成績が上がらないようであれば、行きつく先はそんなところだろうな」
「僕の責任じゃない」
ドラコがそれに言い返す。
「先生がみんな贔屓するんだ。あのハーマイオニー・グレンジャーが……」
「私はむしろ、魔法の家系でも何でもない小娘に全科目で負けているお前が恥じ入ってしかるべきだと思うが」
「……っ」
ドラコは顔を真っ赤にして押し黙る。
逆に彩芽は口を開いた。
「ハーマイオニーの成績は、努力の結果。貴方もくだらない愚痴を言う暇があれば、勉強すればどうかしら」
「黙れ」
ドラコはふいと顔を背け、商品を見ながら彩芽と距離をとる。
そしてどんどん、奥のキャビネット棚に近づいて行った。
オパールのネックレスから、キャビネットに向いた瞬間、彩芽がドラコに声をかけた。
「ところで、占いは当たった?」
キャビネットから背後の彩芽に向き直り、ドラコはぴくぴくと口元を動かした。
「あの占いはインチキだろう?一体、どうやって僕を罠にはめたんだ」
1年前、列車の中で交わした会話を思い出し、ドラコは詰め寄る。
「お前のせいで、僕は入学初日からずぶ濡れになったんだぞ」
「そう、じゃあ占いは当たったのね」
彩芽はそれにしらっと答え、そしてドラコの額に目を向けた。
瞬間「将来、禿げる」と言った彩芽の声が耳に蘇り、ドラコは腹立たしさに顔を赤くした。
「ドラコ、行くぞ!」
ルシウスの声に、ドラコがパッと顔を上げる。
慌てて父親の後を追うドラコから目を離し、彩芽はキャビネット棚を見た。
向こうもこちらを見ているのが感じられる。
その目は、どんな感情を宿しているのだろうか。
考えて、彩芽は目を伏せた。
「どうかしたのかね?」
入り口で呼ぶルシウスの声に、彩芽は首を振った。
「いえ、なんでも」
そのまま店の外へ足を向け、マルフォイ親子と共にボージンアンドバークスを後にする。
その足は、酷く重いように感じた。
店を出た瞬間、再び絡みつく視線。
だが、その視線は悪意から好奇に変わっている様に彩芽は思えた。
「……さて、私と息子は新学期の準備に来たんだが、君もそうなのかね?」
歩きはじめたルシウスが、彩芽に話しかける。
ドラコは何故父親が彩芽をそこまで気にするのかと不思議に思うが、口を挟むことは出来なかった。
「いいえ、ただの散歩です。新学期の準備はまだですが、新学期まで漏れ鍋に滞在する予定ですので」
「ふむ……では、今日一緒に準備をするのはどうかな?教科書も数が多ければ重いだろう。今年は、特にね……。荷物持ちくらいは出来ると思うが、いかがかな?」
「遠慮します」
即答。
体を震わせ笑いを堪える氷炎。
ドラコは彩芽を睨むように見たが、当のルシウスは楽し気に目を細めた。
「なるほど……」
何がなるほどなのかと見上げる彩芽に、ルシウスは顎に手を添えて何やら思案する。
「では、ただのショッピングならばどうかね?ノクターン横丁に良い店をいくつか知っている。会員でなければ入れない特別な店に連れて行ってあげよう」
「父上!」
ドラコはたまらず声を上げた。
父親が言っている店はドラコも知っている。
だが、今まで連れて行ってもらった事は一度だってない。
「もちろん、息子の新学期の準備がある。それに付き合ってもらった後で……という事になるが……」
ドラコの言葉を無視し、ルシウスが続ける。
彩芽は、しばしの間の後、頷いた。
「――その条件ならば」
ドラコは不満げに顔を歪め、ルシウスは満足げに頷いた。
「ああ、空気が美味い。魔法界は歪んだ空間ばっかで気持ち悪いけど、ああいう淀んだ上に歪んだ空間よりはマシだよ」
ノクターン横丁からダイアゴン横丁に戻ってきた瞬間、耳元で氷炎がため息混じりに吐き出した。
彩芽も、まとわりつく視線がようやく消えた事に内心喜んでいた。
いくら害はないとはいえ、やはりいい気分はしないものだ。
「さて……どこから手を付けるべきか……」
「父上っ、競技用の箒を買ってくれるんでしょう?」
ルシウスの呟きに、ドラコがここぞとばかりに声を上げる。
競技用の箒……というのは、クィディッチのものだろう。
選手でもないドラコに必要なのかはさておき、彩芽はそれを買いに行くのに付き合うのは気乗りしなかった。
ルシウスは彩芽のその無反応に、君はクィディッチは好きかね、と尋ねた。
「ホグワーツ生なら皆、クィディッチ用品を買いに行くとなれば心を躍らすものだが……」
「私には、いまだにあの競技の良さが分からないので」
冷めた彩芽の口調に「お前、正気か」と言わんばかりのドラコの顔。
「ルールは知っているな」
「……ええ」
急なルシウスの質問に、彩芽は頷く。
ドラコも、一体何かと見上げた。
「なら早い。アヤメ、クィディッチで1番素晴らしい……重要なポジションはどこだと考えるかね?」
「もちろん、シーカーだ!」
彩芽ではなく、ドラコが当たり前だという様に答える。
ルシウスは息子に目を向けた後、彩芽を見た。
答えを待っているのだと分かり、彩芽は考えて答える。
「……チェイサー」
彩芽の答えに、ドラコはバカか、と言いたげに鼻を鳴らした。
が、ルシウスは逆にその答えがお気に召したようだった。
「何故かね?」
「もし、試合開始と同時にシーカーがスニッチを取れれば、もちろん勝つ。そう言う意味では、シーカーは重要でしょう。けれど……」
スニッチで得られる得点は150点。
大量得点ではあるが、例えばその時、160点差で負けていたら、スニッチを捕まえたところで10点差で負ける。
「スニッチが見つからない試合の場合……それまでの得点差によってはシーカーは意味をなさなくなる」
「ならば、得点差が生まれない様、キーパーがゴールを守るというのはどうかね?」
相手チームが無得点なら、こちらの得点があろうがなかろうが、スニッチを掴んだら勝ちだ。
ルシウスの言葉に彩芽は頷く。
確かに、それでも勝てる。
「だが、結局はチームのシーカーがスニッチを掴まなきゃ試合は決まらない。やっぱり重要なのはシーカーさ」
ドラコがふんぞり返る。
ルシウスも頷き、息子を肯定した。
「どうあがいても、ルール的にシーカーが花形であるのは間違いない。が……アヤメ、君は何故チェイサーと?」
「確かにシーカーは重要でしょう。ですが、試合開始直後から、スニッチがどこにあるのか把握できている試合など聞いた事がない。つまり、試合開始時、シーカーは動きません。そしてキーパー……これもゴールを守るという立場上、敵がボールを投げてくるまで動きません。ビーターも、ブラッジャーが味方を襲うまで動きませんし、基本的に得点には絡みません。試合が始まってすぐに動くのはチェイサーだけです」
彩芽は巧妙に罠を張り、獲物がかかるのをじっくりと待つタイプだ。
……だが、これがゲームになると人が変わった様に一転して攻めの体勢になる。
そう、実戦においては安全性や有効性を考慮するからそうなるだけで、本来は待つだの守るだの、そういうまだるっこしい戦法は好みではなかった。
「ゆえに、試合開始直後から猛攻撃して得点を重ね、スニッチなど関係なく試合の形勢を確固としてしまえばいい。相手のシーカーが例え負けていてもスニッチを掴む判断をするほどに」
単純な勝ち負けだけならそれは自爆だが……クィディッチはリーグ戦である。
その試合の勝ち負け以上に、得点差というものも重要になって来るのだ。
リーグの状況いかんでは、試合に負けるよりも点差を開かせない方が重要な時もある。
「そして、チェイサーが優秀ならば、相手チームのシーカーはさぞ焦る事でしょう。150の点差が開く前に、なんとしてもスニッチを掴まなければならない。そういう焦りは、ミスに繋がる。捕まえられるものも、捕まえられなくなるかもしれない」
淡々と続ける彩芽に、ドラコは眉をひそめ、ルシウスは笑みを深くする。
「君の母、ナデシコはクィディッチの選手だった。……優秀なチェイサーだったよ」
「…………」
ルシウスの言葉に、彩芽はただ相手を見返した。
クィディッチの選手だったというのは聞いた事があった。
だが、チェイサーだったというのは初耳だ。
「ナデシコに昔聞いた事がある。何故チェイサーなのかと。彼女の実力なら、当時のグリフィンドールのシーカーを蹴落とし、自分がシーカーに納まる事も可能だった」
ルシウスの賛辞に、彩芽は内心首を傾げた。
初対面時にも思ったが、ルシウスはあのドラコの父親だ。
当然スリザリン出身であろうし、グリフィンドールとは仲が悪いはずだ。
ドラコも不思議そうに自分の父親を見上げているところからして、それは確かだろう。
「彼女は私にこう言ったよ。『150点しか得点できないシーカーなんかやっても意味がない』と。そしてその言葉通り、彼女は恐ろしいほど得点した。そう、まさにさっき君が言った戦法だよ、アヤメ。敵は戦意を削がれ、スニッチを見つける前に絶望を叩きつけられた訳だ」
クククっと笑うルシウス。
「やはり、君はナデシコの娘だな」
◇スニッチキャッチで150点は多過ぎないかといつも思うのですが、実際のところどうなのか。ハリポタ読むと、チェイサーの得点がそんなに多くない気がするのでそう思うものの、クィディッチ試合の平均的にはもっとチェイサーの得点は多いのかな?◇