セブルス・スネイプにとって彩芽は、1年に1度思い出すだけの存在だった。
(セブルス、貴方に1番必要なものをあげるわ)
クリスマスの季節になると、必ず撫子の声が耳に蘇る。
(貴方に、家族をあげる)
認めたわけではなかった。
脅されて無理やり後見人にさせられたのだ。
だから会いにも行かなかったし、連絡もさせなかった。
ただ、クリスマスだけは。
やたらと撫子の声が幻聴のように響くので、仕方なしにプレゼントを贈った。
でもそれだけだ、自分に家族などいない。
ぐっと手に力が入り、書いていた文字が滲む。
気を落ち着かせるためにペンを置くと、スネイプはチラリと部屋の隅に目をやった。
膝を抱えて座り、部屋の一点を見つめる少女。
時折ペットだろう、白い生き物を撫でる以外は全く動かない。
この年頃の子供は、本来もっと騒がしいものだ。
毎年、入学して来た1年生の落ち着きのなさにスネイプは辟易している。
彩芽の母親である撫子は、1年の時どころか7年になっても騒がしかった。
じっとしているという事が出来ないのではないかと疑った事すらある。
だが、彩芽は大人しい。
時折、そこにいる事を忘れてしまうくらい存在感がない。
まるで自分を殺しているようなその姿に、幾度となく昔の自分が重なる。
違う、とその度に、スネイプは否定した。
自分には優しい祖母などいなかった。
その祖母さえ死ななければ、スネイプが彩芽の保護者になる必要もなかったと思うと、その祖母が死んだ事にさえ腹が立つ。
ダンブルドアが後見人の件を知っていたというのも、誤算だった。
恐らく、撫子が自分の死後の事を見越して、ダンブルドアに知らせていたのだろう。
自分が死ぬ事も、ポッター達が息子を残して死ぬ事も……。
色々なことが胸を過ぎり、スネイプは拳を机に叩きつけた。
思った以上に大きな音が出て、スネイプは反射的に彩芽に目を向ける。
驚くか、怯えるかしても良さそうな状況で、彩芽はこちらを見てはいたが、しかしその目には何の感情も映ってはいない。
「何を見ている」
スネイプの言葉に、彩芽は瞬きをする。
長い睫に隠れては現れる、黒い瞳。
スネイプは立ち上がり、ベッドの前に立つ。
ベッドの上に座った彩芽は小さかった。
見下ろすスネイプを、黙ったまま見上げている。
撫子も整った顔をしていたが、彩芽のそれは無表情も相まって酷く際立っていた。
黒く艶やかな長い髪。
高くはないが筋の通った鼻と、血色良く色づく赤い唇。
日本人にしては白い肌が、それらの色をさらに引き立てていて。
見れば見るほど、スネイプの中で何かが膨れ上がる。
「何を、見ていると、聞いているのだ」
小さな唇が少し動いたが、答えることはなかった。
ただ大きな黒い目が、何の熱も持たないまま、スネイプを映していた。
覗き込めば吸い込まれる様な深い闇の色をした……。
「……ッ、答えろ!」
自分でも理解しがたい衝動に動かされ、気付けば手が動いていた。
乾いた音が鳴り、彩芽がベッドに倒れる。
側にいた白い動物が低く唸るのを聞いて、ようやくスネイプの掌にジンと痛みが広がった。
どうやら自分は、この少女の頬を叩いたらしいと気付き、スネイプは慌てた。
「……っ」
「大丈夫です」
薬棚に目を向けたスネイプに、彩芽の落ち着いた声がかかる。
彩芽はそっと身を起こし、頭を下げた。
「すみません、何と答えればいいか、分からなくて……」
再び見上げてきた彩芽の目には、やはりなんの熱もない。
だがその片頬は、じわりと赤みを帯びている。
――痛い、はずだ。
スネイプはじっと彩芽を見下ろしながら考える。
顔に出ていないだけで、頬は痛いはずだ。
ただ、それを表に出していないだけで。
スネイプは自分の頬も打たれた気がした。
惨めな自分を思い出した。
心を閉ざした黒い目は、昔の自分によく似ている。
だが、それが理由ではない。
……撫子。
会ったことはなかったが、あいつの子供であれば、似ているのだろうと思っていたのだ。
想像の中の少女は悪戯の道具でポケットを満たし、気に入らない人間にはクソ爆弾を投げつけ、大笑いしながら口いっぱいに行儀悪くパイを頬張る子供だった。
なのに実際に目の前にいる少女は似ていない。
性格、行動、口調……。
他にも、挙げればキリがないほどの相違点。
それがどういうことか、考えないわけではなかった。
彩芽を撫子の子供だと紹介すれば、撫子を知っている人間は納得するだろう。
性格も行動も言動も、内面が似ていなくても、黒い髪で黒い瞳の日本人。
似ていると、言う人間もいるかもしれない。
――だが。
スネイプはヴォルデモートがまだ美しい美青年であった頃の顔を知っていた。
その顔を知る者にとって、彩芽が父親と母親、どちらに似ているかなど、一目瞭然。
黒い瞳と黒い髪。
その色は同じだが、つねにくせっ毛で悩んでいた撫子と違い、彩芽の髪は綺麗なストレート。
いつでも強い光を湛えていた、感情をそのまま映し出すような、撫子の黒い瞳。
それに反して、感情を感じさせない静かな彩芽の瞳。
それは母親である撫子ではなく、父親の瞳を思い出させる。
ヴォルデモート卿は感情激しい人物だが、興味がないものに対してはどこまでも冷酷だった。
それはかつて、任務中に死喰い人の記憶の中で見た……弄る事すら面倒だと、興味も必要もなくなった部下に死の呪文を向ける、若かりし頃のヴォルデモートの暗い瞳に似ていたのだ。
「……セブルス?」
呼びかけられて、スネイプはハッとする。
小首を傾げてこちらを窺う彩芽の目。
スネイプは、無意識にヴォルデモートを重ねていた事にようやく気付いた。
彩芽を見る度に膨れ上がる感情……その正体は、恐怖だ。
「…………すまなかった」
「いえ、こちらこそ」
淡々と言って、彩芽はペコリと頭を下げる。
「おやすみなさい」
そして何事もなかったように、カーテンを引く。
カーテンの向こうでキューキューとペットの鳴き声が聞こえたが、それもすぐに止む。
スネイプが時計を見れば、丁度自分の決めた就寝時間。
自分は彩芽に、規則を破り、騒ぎ立て、悪戯をする事を望んでいたのだと気付き、スネイプは深くため息を吐いた。
そうすれば撫子に似ていると納得できたから。
(大丈夫よ、私に似て良い子に育つから)
どこがお前に似ているのだ、と。
思い出の中の迷惑な女に問う。
(この子は愛されて育つの。うんと甘やかされて育つのよ。あたしと、ママと、それからセブルス、貴方にもね)
嘘を言うなと、スネイプは拳を握った。
――愛されて育った子供は、あんな目をしないだろう、馬鹿者が……。
翌朝、彩芽は何とも言い難い臭いで目が覚めた。
「薬の臭い?」
ポツリと呟いた彩芽に、氷炎が答える。
「鼻が曲がりそう……」
スネイプは魔法薬学の教授だ。
初めて部屋に入った時から、常に薬品の様な臭いはしていたが……。
体を起こした彩芽の目の前で、シャッとカーテンが開かれる。
「起きていたのか」
片手に木の器を持ったスネイプが、むっつりと立っていた。
昨夜も十分に意味不明だったが、朝起きぬけの予想外の事に、彩芽はついていけない。
何事かと尋ねようとした瞬間、スネイプは木の器に手を突っ込み、指先にどろっとしたものをすくう。
そして無言で彩芽の片頬に、それを塗りたくった。
「……っん」
部屋に充満した臭いの元はこれだったのかと、彩芽は生ぬるいどろどろしたものが塗られていくのを目を瞑って耐える。
そもそも、目にも刺激が強いので、開けていられない。
頬の隣が鼻なので、もろに臭い。
「5分したら、顔を洗え」
言い終えて、スネイプは部屋を出る。
手を洗いに行くのだろうと彩芽は思った。
常識的に考えれば、これは薬だろう。
昨日叩かれた時、体ごと倒して力を受け流したので、そんなに大した衝撃ではなかったし、正直もう痛くはないのだが。
「自分で叩いて自分で治療するって、あいつ何がしたいんだ?」
鼻を布団にうずめた氷炎が、くぐもった声で呻いた。
それ以降、スネイプの行動は以前に増して理解しがたくなったと、彩芽は思った。
睨まれたり、怒鳴られたりという事が少なくなったかと思えば、妙に色々な事を尋ねられる。
「入学の準備は出来ているのか?」
「いえ、まだ何も」
今は7月の後半。
新学期の9月1日までは、まだまだ時間がある。
「では必要なものを買って来い。大鍋と薬瓶は、我輩のをやろう」
言われて、彩芽は目を瞬かせた。
「ありがとうございます」
頬を叩かれて以降、スネイプは色々なものをくれるようにもなった。
もっとも、手に溢れるビーンズやキャンディを彩芽が喜んでいるかは微妙だったが。
彩芽は一度、どうしてくれるのかを尋ねたことがあるが、その時スネイプは「我輩は、他に方法を知らん」と一言答えただけだった。
「ダイアゴン横丁まではフルパウダーを使え。お前はこちらの金貨を持っていないだろう、仕方がないので……」
「大丈夫です、グリンゴッツに金庫があるので」
多分残高もあるはずです、と彩芽は心で付け加える。
いくら入っているのかは知らないが、新学期に必要なものが買える程度はあると思いたい。
すでにかなりの負担を強いている様だし、その上、金銭的なものまで負担をかけたくはなかった。
「それと、ダイアゴン横丁にはアルバスに連れていってもらう約束をしました」
まだしばらく行く気はなかったが、先日ダンブルドアから持ちかけられたのだ。
ロンドンに行く用事があるので、その日になら途中まで連れて行ってくれると。
それなら、わざわざスネイプの手を煩わせなくとも良いと、彩芽は二つ返事で頷いていた。
「…………勝手にしろ」
スネイプはぶっきらぼうにそう言うと、彩芽に背を向けてしまった。
喜ぶだろうと思っていた彩芽は、その態度に首を傾げる。
「お前と一緒にショッピングしたかったんじゃね?」
氷炎の言葉に、まさか、と彩芽は一蹴した。
一緒にいるところを見られるのをスネイプは嫌がるのだ、その可能性はない。
翌朝、ダンブルドアに連れられてロンドンに出かける瞬間も、スネイプはむっつりと黙ったままだった。
彩芽は自分が何かしただろうかと不安に思いながら、行ってきますと部屋を後にした。
◇彩芽たんはパパ似。スネイプは自身が愛されて育てられた経験がないため、どうやれば甘やかすことが出来るのか分からない不器用さん◇