深い深い海の底に沈んでいくような感覚。
あぁ、またこの感覚か。心の中の闇に呑まれるときに味わう感覚だ。
ドロドロとした黒い何か。まとわりつくように俺の身体を這いずり回っていく。光は、太陽は取り戻したはずなのにな。いまさら何を..いや逆か。取り戻したからこそ...目の前に光があるからこそ...より闇が見えやすくなったのかもな...
「ねぇ、お兄ちゃん。」
「明...また俺は来たのか、三途の川に。」
「来てないよ...ここはお兄ちゃんの心象風景。お兄ちゃんの心の中の世界。私はちょっと例外みたいなものだけど。それにしても...どうしてこうも...ここまでどろどろとしたものを心にため込むことができるかなぁ...お兄ちゃん、ほんとそういうところだよ。」
「言ってもしょうがないことだ...それで?俺の心象の例外の明がわざわざ俺に何の用だい?」
「っ...よく聞いてお兄ちゃん。私はお兄ちゃんの義眼の演算機能と記憶領域が生み出した擬似人格みたいなもの。お兄ちゃんの心象の中に入ることで現実のお兄ちゃんの状態を教えにきたの。」
まさかいきなりサイバーなことを明の口から聞くとは思わなかったが...
「現実のお兄ちゃんは...現在自我欠落状態。意識こそはあれど...お兄ちゃんはこの心象風景の中にずっといる。お兄ちゃんの自我そのものはね。」
「...そうかい。」
「茜さんがずっとそばにいて...ずっと願ってる。もう、2週間も経ったんだよ、お兄ちゃんが犯罪神を倒してから。」
「そうか...この薄暗い黒い波の中...これが俺の自我を取り巻く結界みたいなものなんだな。」
「...やけにあっさりと理解するんだね。さすがはお兄ちゃん。でも...そうやって考えることをやめずにいろんなことを理解してしまうから...だからこんなことになってるんだよ...」
「そうかもしれないな。」
立っているのか落ちているのか...溺れているのか浮かんでいるのか。黒の奔流は俺を包む。ただそれだけ。
「目覚めてよお兄ちゃん。茜さんに言ったように...向こうにはギアちゃんとイストワールさん...茜さんもいる。だから目覚めてよ...ここにいつまでもいちゃいけないの!」
「だが、俺の中にこれは残り続けるんだろう?だったら...ここで外に出さずに置いておいた方がいい。俺が戻れば...もう、持たない。」
「...わかっててやってたことじゃないの?逃げるの?ここまで逃げなかったお兄ちゃんが...やめなかったお兄ちゃんが!」
明に言われては返す言葉が見つからない。だが、この明は『凍月明』ではない。
「あぁ...俺の選んだ道だ。終わりも俺が選ぶ。」
「お兄ちゃんが殺した人たちの人生も勝手に終わらせておいて!」
「だからだよ、勝手に終わらせるんだ、自分自身すら。」
「ふざけないでよ!お兄ちゃんはもう普通に終わることなんてできやしないのに!逃げるな!ちゃんと前を見ろ!」
「っ......俺の思い描いた...生きていたらこうなっていたと考えられる明......そうか、お兄ちゃんはそれで満足だ。」
「まだ満たされるには早いよ...だからお兄ちゃん。ここから出よう?これが外に出ても...お兄ちゃんなら、茜さんなら、ギアちゃんなら乗り越えられるから。だってそうでしょう?私が死んだ苦しみを乗り越えたお兄ちゃんなんだからさ。」
「...乗り越えてなんていないさ。今でも苦しんでいる。でもだからこそ...こうして明に会えたのかもな。」
「そういうことだよ。うん。...それじゃあお兄ちゃん。またね。できれば...もう二度と会うことが叶いませんように。」
「...悲しいこと言うなよ。でも、それが摂理なのか...嫌だね、本当に...」
「...プラネタワーの一室...あれ、ベッドじゃない...車いす...?」
「...起きたんですか、影さん...茜さんに連絡入れなきゃ...えっと、どこか身体に異常は?おかしくなっていませんか?」
「...あぁ、大丈夫だ。それより、どうして車いすなんだ?」
「それは...茜さんが『某黒の英雄っぽく見えるでしょ』って...確かに影さんは世界を救った英雄です。でも...」
「英雄なんてものじゃないさ。世間的には人を殺し女神を殺した大罪人さ。よいしょっと...」
「歩けるん、ですか?」
「二週間も意識がなかったとはいえ...あぁ、大丈夫だ。」
目が覚めたらネプギアの仕事部屋の隅で車いすに座っていた。なるほど茜の差し金かと思えば納得でしかないが...当の茜は一体どこに...
「あぁそうだ。茜さんは...いえ。帰ってきたらお話しますね。」
「そうかい。...なにか、変わったことはなかったのか?」
「......」
ギアは言葉を紡がない。きっといっぱいありすぎたんだろう。
「これもまた、俺が招いたことか。」
「そうですね...どこまでも無慈悲で、どこまでも止まることのなかった、貴方の招いたことです。」
この二週間という期間に何があったのかは俺には知る由もない。
ここから見た街並みも何も...変わっていないというのに...世界はどうしようもなく変わっていったのか。
「たーだいまー。って...やっと起きたんだね、えー君。遅いよ...これじゃあどっちが待っていた側なんだかわかんないじゃん...」
「茜...」
とまぁ、そんな物思いにふけっていると茜が帰ってきた。帰ってくるなり俺に抱き着いてきたが...茜の言う通り、確かにどっちが待つ側なのか分かったものではないな。
「って、茜...そのチョーカーはどうした...?」
「えー君にもついてるよ。...それはね、私たちの罪の象徴。」
「罪、か...」
「はい。それが、影さんと茜さんに自由を与える代わりの代償...もう二度と世界の敵にならないようにする抑止力です。...これは起動すると直後に装着者の頸椎を破断します。」
「...安全装置というわけか。」
「はい。それが、高濃度のシェアエナジーを長時間体内に宿し、おおよそ人間とはかけ離れた状態の貴方たち二人に対する...この世界に唯一残った女神としての保険です。」
どこかの第三の少年みたいな感じだな...違うのは茜もつけてあるってことだが...
「そして、これは茜さんの要望でもあったのですが...片方が起動すれば、もう片方も連鎖的に起動します。」
「つまり、私とえー君は文字通り、命を共有していることになるね。」
「...そうでもしないと、か?」
「ま、そーだね。これ以上えー君には...だからさ。」
「...そうか。ギア、これの起動はお前が決めるのか?」
「はい。私が影さんと茜さん...どちらかがこの世界にとって危険な存在であると判断した時、私の一存で起動します。」
「どこかの柱が変にキレそうだが...あぁ、わかった。それなら安心だ。用はのんびり過ごしておけと、そういうことだろ?」
「まぁ、そうですが...」
「それでいいならいいさ...これ以上戦うことなんて...あってたまるか...」
「まぁ、それでも必要になるかもしれないけどね。」
「その時はその時、か...いずれにせよ...ギア、茜。」
二人に向き直り、俺は宣言する。
「俺は...旅に出る。」
「旅に、ですか?」
「あー、じゃあそれ私も行く。えー君を一人になんてできないし。」
「それはそうですね...チョーカーの起動範囲はゲイムギョウ界全体で起動できるのでこちらとしても問題はありません。それに...チョーカーでは生体反応などを常にモニタリングしています。」
「おぉ、そうかい。なら安心だ...それじゃあ準備に入る...」
「早いなぁえー君...それじゃあギアちゃん。えー君を見ておくから...いろんなこと、よろしくね。」
「はい。」
...今まで、瞬間瞬間を生きていくことにある意味必死だった。あるいは...結果的に、相対的に生き残っていただけかもしれない。だが...こうしてみると...よくもまぁしぶとく生き残ったものだと思う。そして普通に死ぬことは、俺たちはもうない。プラネテューヌに始まり、リーンボックス、ラステイション、そして最後にルウィーをまわりながら...まぁもう女神がいない以上プラネテューヌの○○州みたいな感じではあるものの、市街地や観光地、裏路地やダンジョンなど、さまざまなところを見てきた。目的そのものが旅だというのは初めてかもしれない。だから、どう終わらせるか考えてなかった。...リーンボックスでたまたま見つけた『それ』を見るまでは。
「さっむ...えー君、旅に出るって言ってもうだいたい二週間...この一話だけでひと月経ってるんだけどさ...てかそういうメタい話はさておいて、どうしてこのハクギン山を選んだの?ルウィーの最高峰なのはわかるけど...さすがに日が昇る直前に頂上に着くように山登りし始めるなんてわけのわからないことほんとにするなんて思わなかったよ...まぁ装備は万端だったから登れないわけじゃなかったし現に今頂上にいるんだけど...これもえー君の気の向くままってやつ?」
「そうだな...とりあえず持ってきた暖かいコーヒーでも飲もう。日が昇るまではね。」
東の空に雲はない。だんだんと明るくなってくる、白くなってきた空。
「私の把握に引っかからないように今、感情を殺してるでしょ。」
「さすがにバレるか。茜に隠し事はできないなぁ。」
「わかってるでしょそれぐらい...まぁ、わかってるからこそ隠してるってことだし、それはきっと私に関わることだから隠してるんでしょ?それじゃあえー君の口から出るのを待ってる。ま、どーせ私の考えてることと同じだと思うけどね。」
「おいおい、まさかそんなことは...あり得るか。」
「ふふっ、とりあえず...日が出てから言うつもりでしょ?そして...って、えー君見て!日の出だよ!」
茜の指さすままに振り返ると、地平線の彼方からその頭をのぞかせる大きな太陽。空に走る光の直線。
「きれー...って、ダイヤモンドダスト...さすがえー君。ちょっと仕組んだね?」
「演算で発生条件調べただけだよ...」
「まさかこれを見るためだけにわざわざ?違うでしょ?舞台装置を入念に準備して...えー君は私に何を伝えたいのかー...にゃ?」
俺の正面に回り込み、わざとらしく小首をかしげて問う茜は...やっぱりバレてるんじゃないかと...もはや確信犯じゃないかと、そういう猜疑が頭をもたげる。
「それじゃあ答え合わせといこうか...」
懐に忍ばせておいた『それ』を取り出し、茜に見せる。
「...やっぱり、そーだと思った。」
「まだわからんぞ?箱の中身を見るまでは。」
「シュレディンガーだねぇ、でも私の領域把握だと言い当てられるよ?猫が生きているのか死んでいるのか。」
「それを言われちゃぐうの音も出ん。箱なんてあってないようなものか。」
「そもそもその形と大きさの箱なんて用途一個しかないじゃん。手のひらサイズで妙にべるべってぃーな箱なんてさ。」
「化粧用品が爆弾になったことだってあるだろ...だー!俺の負けだ...」
「我慢比べの勝負かな?それじゃあ勝者としていうぞー、その箱を開けて私に言いたいことを言うのだ!」
結局茜の手のひらの上か...
「わぁったよ......すぅ、はぁ...」
意を決する必要はない。呼吸を置いたのは茜にリズムをこれ以上崩されないようにするため。
「...茜。...結婚しよう。」
「もちのろーん!ずっとずっと一緒...!生きるときも死ぬときも...いつだって!だから...!」
茜は笑顔でうれし涙を見せながら開けた箱の中身を手に取って言う。
「えー君の手放した幸せを...私が拾えなかった幸せを...二人で、作り出そう?」
「あぁ...」
「ねぇえー君、つけてよ。私の左手にさ。」
「それもそうだな。」
サファイアが埋め込まれた指輪を茜の左手薬指にはめ、俺はそのまま茜の頬に手を滑らせる。
「大好き、えー君。私のえー君。この暖かい手があるのなら...生きていけるよ。これからも...」
「愛してる、茜。例え許されなかったとしても...俺は...」
「おだまりなさいよ。」
そう言って茜は俺の唇に唇を重ねる。またか。
「細々としたことを考えない。客観的に見ればプロポーズが無事に成功したのです。喜ぶべきでしょ?もう...まぁ、そーいうえー君が一番なんだけどさ。」
「......帰るか。」
「そーだね。帰ったらギアちゃんびっくりするだろうなー、言うてそんなに驚かないと思うけど...」
「あぁ...そうだな。」
義手に指輪をつけるのは抵抗があるが...仕方ない。
「えー君のはルビーなんだね。ふふっ。そういうことなんだね。」
「茜だって言ったろ...一緒だってさ。」
「そーだね!」
「おわっ...まぁいいや。」
抱き着いてきた茜を抱き返しながらゆっくりと山を降りることにした。
...旅をしてわかったことは...俺が壊した世界はほんの一部にすぎなかったということ。自浄作用はもう働き始めていること。
「もう、俺の出番はなさそうだ。」
「そーだね。あってたまるかだよ。」
もうきっと、凍月影が戦うことはないだろう。戦いたくもない。だから...また俺が戦うことになってほしくないと...この暖かいぬくもりをくれる少女と一緒に生き続けるためにと...願うばかりだ。
次回、最終話「黄昏に光る」
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