ジャック×赤姉の一章最終話。
個人的に赤ずきんはカッコよさと可愛さを兼ね備えていると思います。カッコ良いだけではダメで、可愛いだけでもダメ。やっぱりこの両方の魅力が揃っていないと赤姉とは言えない気がします。
「な、何さ……ジャックだって、いっぱいあたしに嘘ついたじゃんか……」
ジャックが部屋から去って決して短くない時間を置いた後、赤ずきんがようやく取れた行動はそんな悪態を吐くことだった。しかしその声音は自分でも悲しくなるほどに弱々しい。フードが無いせいとはいえ、情けなくて涙が出そうになるほどである。
まあそれも仕方の無いことだ。どうも想いを寄せてしまっているらしい相手を傷つけた挙句、そのせいで愛想を尽かされたのかもしれないのだから。
(……あたし、やっぱりジャックのこと好きなんだなぁ……)
だがそのおかげでやっと赤ずきんは自分の気持ちに気付くことができた。
さすがにもう自分を誤魔化したり言い訳したりはできそうにない。フードを身に付けていないせいで弱っているとはいえ、嫌われてしまったかもと考えただけで立っていられなくなるほどの怯えを感じてしまうのだ。これで好きでなかったら一体何が好意なのか皆目見当がつかない。
(ってことは……あたしがこんな真似し始めたのも、そういうことなんだよね……)
赤ずきんが自作自演を行い始めたのは、赤ずきんの力になれたことで喜ぶジャックの笑顔が見たかったから。それは間違いなく事実だ。しかし今、赤ずきんはもう一つ別の理由があったことに気付いた。笑顔を見せるどころか傷つき涙ぐんだ表情でジャックが去り、胸の中に寂しさと後悔が溢れてきたことで。
たぶん、赤ずきんはジャックに甘える理由が欲しかったのだろう。
個性的な子が多いせいか、皆のお姉さんという立場ははっきり言って結構疲れる。だからたまには赤ずきんもお姉さんという立場を忘れて、誰かに甘えたくなることだってある。とはいえ頼りになるお姉さんが妹達に甘えることは出来ないし、他に甘えられそうな人物など一人も思い当たらない。なのでそんな気持ちは押し殺して我慢するしかなかった。そう、今までは。
だが今はフードの無い赤ずきんがどれだけ弱く情けなくなるかを知ってなお、そんな自分を受け入れて優しく接してくれるジャックがいる。おまけに何だかとても自分を尊敬し、憧れてもくれている。そんな相手だからこそ、赤ずきんは本当にフードを失くした時ジャックに頼ったのだ。あの最初の一件、ラプンツェルによってコートを持ち去された時に。
(それで癖になったんだろうなぁ……ジャックが凄く優しくしてくれるから……)
その結果、赤ずきんはジャックに甘える味を占めてしまったのだろう。
自作自演を始めたのはあの特別な笑顔を見たいという気持ちからであったが、たぶん本心では擬似的に甘えたかったに違いない。フードを身に付けていない弱い自分になら、ジャックは全力で力になって優しくしてくれたから。
そして自演を重ねて甘えに甘えた結果、今ではすっかりジャックの笑顔、優しさ、甘えることで感じる安らぎの虜になってしまったというわけだ。
色々と思うところはあったものの、とりあえず優しくされただけで落ちたわけではないことが分かりほっとする赤ずきんであった。
「……いや、ほっとしてる場合じゃないって! これからどうすれば良いのさ、あたしは……そうだ! フード!」
ここにきてやっとフードを身に付けることを思い出し、すぐさま隠し場所へと向かう。まだ足が覚束ないので床を這うようにしか移動できないのが情けない。
今回のフードの隠し場所は洗面所。洗濯物代わりに積み重ねた衣服の一番下だ。ジャックなら仮にも女の子の衣服に手を出すことは躊躇いそうなので、今回はこんな隠し場所を作ったのだ。ジャックが途中で真実に気付かなければきっと今までで一番探すのに苦労して、今までよりも長い間一緒にいられたに違いない。
「あったあった! これがあればいつも通りのあたしに戻れるね。ジャックが憧れてくれてる、いつも通りのあたしに……」
衣服の底に隠していたコートを引っ張り出し、満足感と共に掲げる。
これを身に付ければ赤ずきんはいつもの赤ずきんに戻れることは間違いない。ジャック曰く、強くて優しい頼りになるお姉さん、憧れの赤ずきんに。
(でも、憧れかぁ……今のジャックからしたら、あたしは憧れでも何でもないよね……)
落胆の溜息を零し、コートをぎゅっと抱きしめる。まだ身に付けてはいないがそこにフードがあるという安心感からか、幾分気持ちは前向きになっていた。そして前向きになっていても、今の赤ずきんはジャックの憧れとはほど遠いことが分かっていた。
ジャックから見れば、今の赤ずきんは力になりたいという純真な気持ちを弄んでいた最低な女だ。喜びが大きかった分、真実を知ったジャックが感じた絶望は相当なものに違いない。そんな絶望を味わわせてしまったというのに、赤ずきんは怖くて真実の全てを伝えられていない。それどころか謝罪すらしていないという有様だ。間違いなく今の赤ずきんはジャックに憧れを抱かれるような大層な存在ではない。
異性としての好意を抱かれている自信の無い赤ずきんとしては、憧れすら失った時点で何もかもが終わったような気さえした。
「……だったら、このままじゃ終われないね」
だからこそ、このままでは終われない。竦んだ足に鞭打って立ち上がり、コートに袖を通し始める。
異性としての好意を抱いてもらえそうに無いなら、せめて憧れくらいは抱いたままでいて欲しい。憧れだって自分への好意なのだからせめてそれだけは失くしたくないし、裏切りたくなかった。
そのためには今のままではいけない。抱いた恋心に向き合うことすらせず、勘違いと決め付けて消えるまで放っておく。勘違いではないと気付いた後も、恥ずかしいからと言って必死に誤魔化す。そのせいでジャックを傷つけた後も、断られる恐怖から真実を口にしない。そんな赤ずきんはジャックが憧れる強くて優しい頼れるお姉さんではないのだから。
「あたしがするべきなのは――」
ならばジャックが憧れる赤ずきんなら何をすべきか。ここでずっと恥ずかしがってくよくよ悩んで、傷ついたままのジャックに本音を伝えず放っておくことか。
無論そんなことはありえない。赤ずきんがすべきなのは自分らしく、難しいことは何も考えず、被弾上等の覚悟で突っ込むこと。つまり――
「――正面突破! こうなったらもう当たって砕けろ、だね!」
――包み隠さず真実を伝え、気持ちをぶつけ、告白することだ。それくらいのことができなければジャックの憧れの強いお姉さんとは言えないから。
「というわけで今行くよ、ジャック! お姉さんの一世一代の告白、振ったら酷い目に遭わせるからね!」
ついに全てを吹っ切り覚悟を決めた赤ずきんは、勢い良くコートを翻しジャックの部屋へと向かった。
身に付けるだけでなく被ったフードから勇気を貰い、緊張と怯えを根性で捻じ伏せるという実に赤ずきんらしい心持ちで。
「はぁ……」
ベッドの中でもぞもぞ寝返りを打ち、もう何度目かも分からない溜息を零す。
自室に戻った直後、ジャックは全てがやるせなくなってそのままベッドに突っ伏していた。もうこんな無気力状態は自分でも初めてだと思うくらい、何一つとしてやる気が起きない。
しかしそれも仕方の無いことだ。あれだけ喜びと達成感に燃えていたというのに、冷たい水をぶっかけられて強制的に鎮火させられたようなものなのだから。気分の落差は最早何もかもが嫌になるほど激しかった。
(まさか、赤ずきんさんがあんな酷いことするなんて思わなかったな……)
そんな心も気分も湿った状態で考えるのは、やはり赤ずきんのこと。
何気ない一言をかけて反応を探り、怪しさを覚えて踏み出してみれば待ち受けていたのは衝撃の事実。コートを失くすのは全てが赤ずきんの自作自演で、ジャックは気持ちを弄ばれてからかわれただけだという現実。
何か大きな悩み事があり、そのせいでうっかり者になってしまったのではないかと心配していたジャックは完全にただのピエロであった。
(僕でも力になれる機会をくれたのは本当に嬉しかったのに、まさかそれが全部自作自演だったなんて……)
失くしたコートを自分で探してもどのみち時間がかかることに変わりは無いから、どうせならジャックに頼んで力になる機会をあげよう。以前赤ずきんが話してくれた考えはそんな優しいものであり、力になれるのならジャックとしても非常に喜ばしいことであった。事実ここ最近はアリスたちの目にも明らかなほど気分は充実していた。
だが実際にはその優しい考えが嘘だったばかりか、コートを失くしたという前提すらも真っ赤な嘘。事実を知った時にはあまりの衝撃と悲しみに少し泣きそうになってしまったほど惨たらしい仕打ちだ。ジャック自身がその嘘に気付かず、大きな喜びを感じていたからこそ余計に。
(こんな風にからかう赤ずきんさんが悪いのは当然だけど、やっぱり気付かなかった僕もダメな奴だなぁ……)
再び寝返りを打ち、胸の中で渦巻く感情を溜息として吐き出す。自分の気持ちを弄ばれた絶望、得られた喜びが紛い物だった悲しみ、気付けなかった自分の不甲斐なさ。それら全てが混ざった重苦しい溜息を。
とてもショックだし大いにふてくされているが、別にジャックは赤ずきんに怒りや恨みを抱いているわけではない。冷静に考えればジャックが赤ずきんの力になれる、というのがそもそもおかしな話だったのだ。
赤ずきんは血式少女の中でも最も強いと言っても過言ではなく、またリーダーシップもある誰から見ても非の打ち所の無い頼りになる優しいお姉さん。対してジャックは特に何か誇れるものがあるわけでもない。唯一特筆できるのは血式少女の穢れを浄化できる血液だが、それは血液が特別なだけでジャック自身の肉体や精神が強いなどというわけではない。そういった強さは凡人かそれ以下が妥当なところである。
そんなジャックが何度も赤ずきんの力になれるわけがなかったのだ。きっと一度、ラプンツェルが原因だった時には力になれたことで調子に乗って思い上がっていたのだろう。こんな自分でも赤ずきんの役に立てる、力になれる、と。そんな風に甘い夢に浸っていたからこそ、少し考えれば分かる程度のことにも気付けなかったに違いない。
(……考えてても仕方ないや。一眠りして嫌なことは全部忘れよう)
今更後悔しても遅いし、何万回溜息を吐こうが気持ち全てを拭い取ることは不可能。だからこそジャックはもう何も考えずぐっすり眠って忘れることにして、シーツを頭まですっぽり被った。
俗に言うふて寝であることは否めないが、ジャックだってちゃんと心のある人間だ。ふて寝くらいしたって許されるはず。
(……ん? ノックの音……?)
しかしそれを許さないとでも言うようなタイミングで部屋の扉がノックされた。さすがにこれにはジャックもちょっとムカっと来て、一瞬居留守を使おうかと考えたほどだ。
とはいえ訪ねて来た人に罪は無いし、八つ当たりなんてしては余計に惨めになるだけだ。少し心がささくれ立っているものの頑張って普通に応対することにして、ジャックは被っていたシーツを脇に退けた。
「ジャック、中にいるー? いるなら出てきてよ、大切な話があるんだ」
「……っ」
そして声をかけようとしたその瞬間、今一番会いたくない人物の声が扉の向こうから聞こえてきて口ごもる。どうやら訪ねて来たのは赤ずきんのようだ。
まあ冷静に考えれば訪ねてくるのも当然だ。本人が善意半分からかい半分でやったことだとしても、今回のことはジャックにとっては酷くショックな仕打ちだった。そして赤ずきんは強くて優しい皆のお姉さん。ならばすぐさま謝罪に来たとしても何らおかしいことはない。
「あんたに、その……伝えたいことが、あるからさ。とりあえず開けてくれない?」
赤ずきんにしてはしおらしい声だが、フードが無い時に比べれば遥かにマシな声だ。扉を隔てているせいでどんな格好や表情なのかは分からないが、自作自演で実際には失くしていなかったのだからフードは間違いなく身に着けているはず。にも関わらず声がしおらしいのは罪悪感からに違いない。
自業自得と言っても差し支えないはずなのだが、そんな気持ちを抱かせたことにジャックの胸はちくりと痛んだ。
「……謝らなくて良いよ、赤ずきんさん。僕は別に怒ってないから。ただ、しばらく一人にしてくれないかな」
「そ、それじゃ困るんだってば! あたしは今すぐあんたに伝えたいことがあるんだよ!」
しかしジャックはまだ気持ちの整理がつかないので、赤ずきんを迎え入れるのは拒否しておいた。
きつく当たったりしない自信は無いし、何よりショックと悲しみで泣きそうになった所を見られてしまったのだ。正直どんな顔を見せれば良いか全く分からなかった。
「……赤ずきんさん、お願いだから今は一人にさせてよ。後でならどんな話も聞いてあげるから」
慌てた口調で食い下がる赤ずきんに対し、ジャックは後にして欲しいと懇願する。
そして再びベッドへと戻り、横になってシーツを頭まで被る。これ以上言葉を交わすと口調が乱暴になってしまいそうなので、ジャックとしては話はこれで終わりのつもりだった。
赤ずきんもジャックの声音に含まれた拒絶の意思を感じ取ったのだろう。食い下がる声は聞こえてこなかった。
(嫌な気持ちはさっさと眠って綺麗さっぱり忘れよう。少なくとも赤ずきんさんとしっかり顔を合わせられるくらいにはしないと)
故にジャックは目蓋を閉じ、眠りについて心を安らげることにした。だが――
「――そっか、なら仕方ないね。ジャック、五秒待つよ。五秒以内に開けないならこのドアをぶち破るよ!」
「……え?」
まだ部屋の前にいたのか、そんな乱暴極まりない言葉が聞こえてきた。
冗談で言っているにしては非常に力強く、決意漲るカッコイイ声音で。
(ま、まさか……さすがに、そんなことしないよね……? あの赤ずきんさんが、そんなこと……あはは……)
心の中で笑い飛ばそうとするジャックだが、笑いは明らかに乾き切っていた。そして熱くも無いのに頬を一筋の汗が伝っていく。
理由は赤ずきんならやりかねないからだ。被弾上等の覚悟で敵に突っ込むような猪突猛進型の赤ずきんが、開かない扉を前にして大人しく引き下がるなどということがあるだろうか。もちろん答えはノーだ。力ずくで開けようと試みても何ら不思議は無い。
「ごー、よーん、さーん――」
そして続くのはカウントダウン。しかしまさか本当にやる気なのだろうか。
確かに以前一度その現場を目撃したことはある。ジャックが黎明に来た頃、かぐや姫との顔合わせの時だ。あの時は部屋の中にいるはずなのに呼びかけても出てこない、返事も無いかぐや姫に焦れた赤ずきんが扉をガツンと蹴っ飛ばしていた。
ただしその時はあくまでも蹴っ飛ばしただけで、ぶち破ってはいない。それに今赤ずきんがぶち破ろうとしているのは、かぐや姫のようにしょっちゅう引き篭もったりしているわけでもなく、特に何か機嫌を損ねることをした覚えの無いジャックの部屋の扉だ。おまけに自分が謝罪に来たはずの相手。そんな相手に対し、部屋から出てこないからといって扉をぶち破ったりするだろうか。
(さ、さすがに、赤ずきんさんでもそんな非常識なこと……)
「にー、いーち……オッケー。巻き込まれたくなかったらドアから離れな。ぜーろ、っと!」
「っ!?」
瞬間、轟音が響き部屋全体が揺れた。次いで何か大きな物体が周囲を転げ回る音、そして小さな物体が幾つも降り注ぐ音が耳に届く。
シーツを被っていた故に視界の効かないジャックにとっては、恐る恐る顔を出して周囲を確認せざるを得ない異常な破壊音であった。
「や、やった!? 赤ずきんさん、本当にやったよ!?」
「だからやるって言ったじゃん。あたしはちゃんと五秒待ったからね? まあ、何か……思った以上に力入っちゃったけどさ……」
シーツから顔を覗かせ周囲の惨状を目にしたジャックは、予想以上の惨状を目にして跳ね起きる。
音で何となく分かってはいたが部屋の扉は見事に枠からさよならして床に転がっていた。おまけに蝶番とドア枠の一部を引き千切ったように道連れにしていて、あまつさえ扉自体も上下にばっきりと割り折られている。周囲には木屑と小さな破片が広がり、凄まじい破壊の爪痕が残されていた。一体どんな力で蹴ればここまでの破壊を引き起こすことができるのか。
なお、これだけの破壊をもたらした張本人はちょっと罰が悪そうにしているだけで特に悪びれた様子も無く立っていた。枠の一部が吹っ飛んだせいか若干広くなったように感じる部屋の入り口に。
「今の馬鹿でかい音なに!? うわっ、ジャックの部屋凄いことになってるし!」
「おー……扉、真っ二つ……!」
たまたま近くにいたのか、破壊の音を聞きつけて親指姫三姉妹が現れる。いつも眠そうにしている眠り姫でもさすがにこの惨状には目を丸くしていた。
「あ、赤姉様、一体何があったんですか!?」
「あー……ジャックが立て付け悪くて扉が開かないって言うから、あたしが開けてやったんだよ。ただ、ちょっと力が入りすぎてさ……」
「赤姉、もうちょっと加減しなさいよ。下手したら中のジャックもぶっ飛んでたんじゃない?」
「ジャックさん、お怪我はありませんか?」
「え、あ、うん……怪我は無いけど……」
心配を瞳に浮かべる白雪姫に、ジャックは半ば呆然として答える。
やっても不思議ではないと思ったが、まさか本当に扉をぶち破るとは。しかも枠ごと持って行くくらい力いっぱい。
(もしかして僕……赤ずきんさんに嫌われてるのかな……)
気持ちを弄ばれる惨い仕打ちを受けたことといい、ひょっとするとジャックは赤ずきんに嫌われているのではないだろうか。そういえば謝りに来たとは一言も言っていなかった気がする。
ただでさえ大きなショックを受けていたというのに、この上実は憧れの人に嫌われていましたではちょっとジャックも立ち直れそうに無かった。
「それなら良かったです。あ、掃除のお手伝いが必要なら白雪も手伝いますよ?」
「ん……ん……」
「白雪もネムも大丈夫だよ。あたしがやったことだし、ちゃんとあたし一人で片付けないといけないしね」
「なら私たちもう行くわね。ほら、行くわよ二人とも。あー、それにしても本当にびっくりした……」
「あ、待ってください姉様! それじゃあジャックさん、赤姉様、失礼します!」
「ん……また、ね……」
状況についていけず呆然とするジャックの前から、親指姫たちが歩き去って行く。後に残されたのは何やら覚悟を決めたような精悍な顔つきでフードを被っている赤ずきんと、そんな赤ずきんに実は嫌われているのかもしれないジャック。
何やら話があるらしいが果たしてそれは楽しい話なのだろうか。終わった後に自分も部屋の扉のような無残な姿にされたりはしないだろうか。騙されて気持ちを弄ばれた事実も相まって、今のジャックはかなり疑い深くなっていた。
「……ジャック、話があるからあたしの部屋に来てよ。こんな風通しの良い場所じゃできない話だからさ」
「か、風通しが良いって、赤ずきんさんがやったんじゃないか……赤ずきんさん、もしかして僕のこと嫌いなの……?」
「……え?」
何気なく疑問を投げかけてみると、赤ずきんは呆けた顔で目を丸くする。まるで質問の意味が分からないとでも言いたげな表情だ。
やはりフードが無い時とは違い、今のジャックにはその真意を見抜くことはできそうになかった。
(……あれ? 赤ずきんさん、何か……怒ってる?)
しかしその面差しに徐々に怒りが浮かんできたのは見抜けた。それも頬が赤く染まるほどの。
ただその割には不思議と敵意や害意のようなものは感じなかった。この状況で怒りを抱くのなら対象はジャックであっておかしくないはずなのだが。
「……ああ、もうっ! 何でこうやること為すこと全部裏目に出るのさ! ジャック、良いからこっち来る!」
「えっ!? うわっ!」
首を捻って考え込んでいたところ、突如赤ずきんは素早く目の前へと駆けて来た。そうして驚くジャックの手を握ると、有無を言わさぬ力で引っ張り走り始める。どう頑張っても振り解ける気がしないため、ジャックはそのまま連れて行かれるしかない。
自分の行く末を不安に思う中、辿りついたのは赤ずきんの部屋の前。勢い良く扉を開けて部屋に入った所で、赤ずきんはやっと手を離してくれた。
「あ、赤ずきんさん、一体――っ!?」
だが行動はそこで終わらなかった。怒りの名残かまだ赤みの残る、しかし並々ならぬ決意が漲る表情で振り向き、ジャックに詰め寄ってくる。
思わず後退りしてしまうジャックだが背が扉にぶつかり、それに気を取られた瞬間残りの逃げ場も赤ずきんの腕で塞がれてしまった。まるでジャックを押し倒すかのような形で扉に突かれた、力強い両腕によって。
(僕……これから一体どうなるんだろう……)
柄の悪い男に因縁をつけられているような状態のため、ジャックの胸の中には不安しかなかった。
鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離に赤ずきんの整った顔立ちがあるので普段ならドキリとしそうなものの、怖いくらい真面目な顔つきをしているので浮ついた気持ちは微塵も沸いてこない。実は嫌われているのかもしれないという予想のせいで余計に。
過度の緊張と不安に乾きを覚え生唾を飲み込んだその瞬間、引き結ばれていた赤ずきんの唇が開いた。
「……ジャック! あたし、あんたのことが好きだ!」
「……え?」
そして、欠片も予想していなかった言葉が紡がれた。これには抱いていた不安も緊張も忘れ、ジャックは呆けた声を出してしまった。
(好き、って……僕のことが? え……これって、告白……? 赤ずきんさんが、僕に……?)
好きという気持ちを女の子が真剣な表情で男に伝える。単純に考えればそれは告白というものか。
しかしあの赤ずきんが、よりにもよってジャックに告白などするだろうか。いや、どう考えたってありえない。ただの聞き間違いに違いない。
「ご、ごめん、赤ずきんさん。今、何て言ったの?」
「だから! あたしは、あんたのことが好きなんだよ! 一人の女として、ジャックのことが好きなんだ!」
「あ、あれ……?」
再び尋ねてみると先ほどよりもしっかりとした告白が返ってきたため、ジャックは更に混乱を覚える。幾ら何でもここまではっきり力強く言われては聞き間違うことも難しい。
それに何より、赤ずきんの目は至って真剣だった。羞恥心からか耳の先まで真っ赤に染まっているが、緑の瞳は逸らさず揺らさず、ただジャックの瞳だけを見つめている。
普段のジャックなら赤ずきんのこんな様子を目にすればいくら荒唐無稽な話でも信じたに違いない。しかし今のジャックはその赤ずきんについさっき手酷く騙され、気持ちを弄ばれたばかり。故に素直に信じることができず、疑いの目を向けてしまった。
「……赤ずきんさん、そんなに僕をからかって楽しいの? さすがに僕でもこんな嘘には引っかか――っ!?」
そして非難の言葉を口にした結果、物理的に口が塞がれた。
ただし赤ずきんお得意の力技ではなく、優しく柔らかでこれ以上ないほど愛情深い方法。この告白が嘘や冗談の類ではなく、真実だと証明できる方法。すなわち、キスで。
「……こ、これでも、嘘だって思う? 言っとくけど、あたしのはファーストキスだからね?」
数秒後、唇に触れていた柔らかさが遠ざかり、真っ赤になってもじもじしている赤ずきんの面差しが目に入る。
確かに冗談で女の子にとって大切なファーストキスをするなどありえないだろう。それにフードを身に着けているのに、身に付けていない時に勝るとも劣らない可愛らしい様子だ。そのおかげでここにきてようやくジャックは理解した。赤ずきんは嘘や冗談ではなく、本気で自分に告白してきたのだと。
「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! どうして赤ずきんさんが僕なんかのことを!?」
「そりゃあ……あんなに優しくされたら好きになっても仕方ないじゃんか。見えない所であんなに優しさ振りまくあんたが悪いんだよ……」
恥ずかしそうに答える赤ずきんの視線が自らのフード、その一部分へと向く。一見何の変哲も無く見える部分だが、ジャックはその部分に隠された秘密を知っていた。というかジャック自身が秘密にしていたのだから当然だ。
赤ずきんはそこを指して優しさを振りまくジャックが悪いと言った。それはつまり――バレていたということだ。ジャックのあくどい隠蔽工作が。
「あ、赤ずきんさん、もしかして知ってたの? 一体いつから……?」
「最初から全部だよ。あんたが貧血を理由に部屋に戻ろうとしたとこから。ちゃんと戻れるか心配で後を追っかけたらラプの部屋に行ったからさ、不思議に思って扉に耳を当てて話を盗み聞きしたんだ。まさかジャックがあんな悪いこと考える奴だなんて思わなかったよ……」
「ご、ごめん。悪いことなのは分かってるけど、フードが破れたって知ったら赤ずきんさん凄く傷つくと思ったんだ。ただでさえフードが無くて凄く沈んでたから、あれ以上傷つけたくなくて……」
実際あの時の赤ずきんは本当にフードを失くして弱っていた。あれ以上弱った所を見たくなかったからこそ、ジャックは証拠隠滅の悪行を働いてまで守ろうとしたのだ。
ただそれは赤ずきんからすると余計なお世話だったのかもしれない。前髪同士がくすぐり合うほどの距離にあるその面差しは、どことなく不満げなものだった。
「あんまり褒められたことじゃないけどその気持ちは嬉しかったよ、ジャック。おまけに実は本当に貧血で体調悪かったんだから一周回って怒り出したくなるとこだったね。あんたどんだけ無理してあたしのために駆けずり回ってくれたのさ……」
「だ、だってフードは赤ずきんさんにとって大切なものだし、赤ずきんさんが落ち込んでると僕も気分が晴れないから……僕にとっての赤ずきんさんは、いつも元気に笑ってるイメージもあるし……」
「そ、そっか……」
ぽっと頬を染めた赤ずきんは小さく頷き、ここでやっとジャックの両脇を塞ぐように突き出していた腕を下ろす。そして一、二歩下がると何やら恥ずかしそうにもじもじと視線を向けてくる。こう言うのは失礼かもしれないがとても女の子らしくて可愛らしい姿であった。
幾らなんでもここでどうしたのかと声をかけるほどジャックも無粋ではない。赤ずきんはジャックの返事を待っているのだろう。自身の告白に対する返事を。それくらいはジャックにも分かる。
「その……赤ずきんさんは、本当に僕のことが好きなの?」
分かってはいるが、もう一度尋ねる。何だか凄くカッコイイ告白を受けた上にキスまでされてしまったが、未だにちょっと信じられなかった。あの赤ずきんがまさかジャックなどに告白してくるとは夢にも思わなかったのだから。
都合三度目の確認になるせいか赤ずきんはしばし睨むような視線を向けてきたものの、一つ深い溜息をつくと口を開いてくれた。恥ずかしそうに視線を下に向けつつ、もじもじと非常に女の子らしく。
「あたしがフードを失くしたふりして何度もあんたに探してもらったのはさ、あんたの笑顔が見たかったからなんだよ。フードを見つけてあたしの力になれたって喜ぶあんたの笑顔を見ると、何か凄くドキドキして幸せな気持ちになれるんだ。最初は特に不思議には思わなかったんだけど……さっき、気付いたんだ。す、好きな人の笑顔だからいっぱい見たくて、見られると凄く嬉しいんだって……」
そこで一旦言葉を切った赤ずきんの視線が、ちらりとジャックに向けられる。
さすがにここで気のせいではないか、とか口にしたら殴り飛ばされそうなので口を挟むのは止めておいた。先ほど部屋の扉を破壊した力を見る限り加減が上手くできていないため、下手をすると冗談抜きで命の危険がある。
「それに、フードの無いあたしにジャックは凄く優しくしてくれたよね。あんたに優しくされるともっともっと優しくして欲しくなって、どんどん甘えたくなっちゃうんだよ。自分がお姉さんだってことも忘れて、一人の女の子としてさ……こんな気持ち初めてだから断言できないけど、これってやっぱり恋ってやつなんじゃないかな……?」
「そ、そう、だったんだ……」
続く言葉を聞いたジャックが口に出来たのは、何の捻りも無い納得の言葉だけ。
皆のお姉さんという立場に拘る赤ずきんが、それを忘れて頼りがいも何も無いジャックに甘えたくなるならそれはもうただ事ではない。ジャックも経験は無いので断言はできないが、それこそ色恋沙汰でも無ければありえない事態だ。
(赤ずきんさん……本当に僕なんかのことが好きなんだ……)
赤ずきんにここまで言われては信じないわけにはいかない。
どうしてそこまで好意を抱かれているのかは良く分からないが、ジャックは間違いなく赤ずきんに好意を抱かれているのだ。正直なところあまりにも意外すぎて嬉しさよりも驚きの方が大きかった。
「……ジャックは、どう? あたしのこと、どう思ってる?」
「え!? ぼ、僕!?」
抱いた驚きのせいか、問われて思わず飛び上がりそうになってしまう。そんな自分に視線を向けてくる赤ずきんは、フードを被っているにも関わらず酷く不安げ。
しかしそれも当然のこと。赤ずきんの想いが実るも実らないも、全てはジャックの返答一つで決まる。言ったら怒られそうだがこんなに大胆で男らしい告白をしてきた赤ずきんからすれば、自分の運命を握られていると言っても過言ではないはずだ。
(僕は……どう思ってるんだろう? 赤ずきんさんのこと……)
はっきり言えば赤ずきんのことはとても好ましく思っている。ちょっと大雑把なところもあるが、いつもまっすぐで一生懸命、頼れる皆のお姉さんだ。そして強くて優しい、ジャックの憧れの人。好ましく思わないわけがない。好きか嫌いかで言えば間違いなく好きだと断言できる。
ただし、問題が一つ。
「僕は……分からないよ。僕にとって赤ずきんさんは凄く良い人で、頼りがいがあって強くて優しい憧れの人だけど……そのせいで赤ずきんさんに対しての気持ちが恋なのかどうか、良く分からないんだ……」
自分が抱いている好意の種類が分からないこと。確かに赤ずきんのことは好きだがそれが自分より遥かに優れた人への尊敬としての好意だけなのか、それとも異性への恋心からくる好意も混ざっているのかが分からない。
故にジャックは正直に気持ちを伝えた。ここで赤ずきんを傷つけない答えを返すのは優しさではないので、正直に。勘違いさせないように言葉を選んだ甲斐もあってか、むしろほっとした様子を見せてくれた。
「そ、そっか。まあすぐには分からなくても仕方ないよ。あたしだって気付くのに時間かかったしさ……でも、あたしのこと嫌いだったりはしないよね……?」
「そ、それはもちろんだよ! だって赤ずきんさんは強くて優しい皆のお姉さんで僕の憧れだけど、ちゃんと女の子らしい可愛いところがある魅力的な人だって思ってるし、好きか嫌いかで言えばもちろん好きだよ! ただ、これが恋かどうかっていうのがまだ分からないだけで……」
「……そっか。だったら今はそれで良いよ。それで良いから……あたしを、あんたの彼女にして欲しいな……」
「赤ずきんさん……」
普段の赤ずきんからは想像も出来ない、不安の滲む乞い願う瞳が向けられる。
本人が今はそれで構わないというなら、応えてあげるのがむしろ誠実さというものだ。だからジャックもその想いに応えることを決めた。
「……ごめん、赤ずきんさん。実は、答える前に伝えておかないといけないことがあるんだ」
だがその前に、まだ気付かれていない秘密を打ち明けることにした。
幻滅されそうでちょっと怖いが、本気で想いをぶつけてきた赤ずきんに対して隠し事をするべきではない。まだ自分の気持ちが分からない以上、せめて誠実さで以って応えなければ。
「あ……そ、そっか……そう、だよね。ジャックにはもう、恋人の一人や二人くらいいるよね……」
「えっと……僕は恋人なんていないよ? ていうか一人や二人くらいって……赤ずきんさん、僕を何だと思ってるの?」
「ほ、本当!? 良かったぁ……!」
何やら勝手に勘違いして一人でがっくり落ち込む赤ずきんに事実を伝えると、途端に心底ほっとしたような安堵の笑みを浮かべてくれた。
何股もかけるような不誠実な男と思われているのではないかという疑念が浮かび本当に好きなのかと再度問いかけたくなったが、ジャックに恋人がいないと分かって嬉しそうにしている姿を見てさすがにそれは躊躇われた。
「じゃあ伝えたいことって何なのさ? あ、もしかして恋人がいないだけで好きな子はいるとか……」
「いないから安心してよ、赤ずきんさん。僕が伝えたいのは、その……初めて赤ずきんさんのコートを探した時、僕が嘘をついてたってことなんだ」
「初めてって、ラプが持って行った時のことだよね? もしかしてまだ何か隠してることがあったってこと?」
特に蔑みなど見えない、ただ疑問に思っているだけの瞳がじっとこちらに向けられる。
ラプンツェルの部屋を訪れた時から話を聞いていたなら、きっとジャックの考えは全て把握していると思っていたのだろう。だが実際は違う。ジャック自身誰にも語らず、自分でもあまり考えないようにしていた嘘があった。
「うん。実は僕、赤ずきんさんに良い所を見せようとしてたんだ。誰の力も借りずに自分の力と考えだけでコートを見つけて、僕だって頼りになるんだってところを。最初は現場を調べるか、持ち去った人を誰か見てないか目撃者を探すべきだったのは分かってたんだけど……」
「……あたしに良い格好を見せたかったから、後に回したってこと?」
「うん……それとフードが破れたのを隠したのは赤ずきんさんを傷つけたくなかったからだけど、やっぱり僕が赤ずきんさんの力になれるってことを証明したいって気持ちもあったんだ。フードが破れてたらちゃんと力になれたとは言えないからね……」
言い切り、ジャックは胸のつかえが取れた心地で一息つく。
実際、あの時のジャックは良い格好を見せようとしていたのだ。赤ずきんに頼られることなどまたと無い機会だと思っていたために、できる限り自分が頼りになる所を見せたくて。要するにジャックは赤ずきんのコートを探す時間を、自分が良い格好を見せるための場に利用していたのだ。これは幻滅されても仕方ない。
「へー、そうだったんだ……」
(あ、あれ……?)
しかし赤ずきんは驚きを見せるだけで、別段幻滅した様子も無ければ軽蔑も見せない。てっきり告白の撤回だって覚悟していたジャックとしては、拍子抜けの反応だった。
「……怒らないの?」
「そのためだけに隠したっていうなら、もちろん性根を叩き直してやるとこだよ。でもジャックはそういう気持ちもあったってだけで、しっかりあたしのことを考えてくれたんだよね?」
「そ、それはもちろんだよ。でも見栄を張ってたのも確かで……」
「なら怒んないよ。ていうかむしろ安心したよ。自分二の次で優しさ振りまくジャックも、ちゃんと見栄張ったり悪いことしたりできるんだってね」
「あ、安心しちゃうんだ……」
あろうことかにっこりと笑う赤ずきん。冗談で言っているにしてはやたら嬉しそうな笑顔だった。どうも本当に安心感を覚えているらしい。
「うん。だってあたしに対して見栄を張りたかったんだよね。それってつまり、少なからずあたしを意識してくれてるって、考えても良いってことだろうし……」
(そう……なのかな? どうだろう、やっぱり今はまだ分からないや……)
男として見栄を張りたかったのか、それとも憧れの人に見栄を張りたかったのか。見栄を張りたかったのは確かだが、その気持ちがどこから来たものなのかは今のジャックには分からなかった。
しかし赤ずきんは自分に取って多少好意的に解釈したようなので、今更否定してぬか喜びさせるのも忍びない。ひとまずはそういうことにしておいた方が良さそうだ。
「……ジャック、もう一度聞くよ。あたしをあんたの、恋人にしてくれる?」
そうして再度問いかけてくる赤ずきん。フードを被っているにも関わらず、やはりその表情は不安げだ。つまりはそれだけジャックの存在を大きく思っていて、同時に心のより所でもあるのだろう。
断ればきっと赤ずきんは酷く傷つく。だがそれを抜きにしてもここまで深く想われ、求められているなら返す言葉はたった一つだ。
「……うん。僕みたいな男で、それもまだ自分の気持ちも分かってない奴で良いなら、喜んで」
ジャックは頷き、赤ずきんの告白を受け入れた。
正直自分が赤ずきんに釣り合うかどうかに自信は無いし、努力した所でどうにかなる気もしないが他ならぬ本人が望んでいること。ジャックが釣り合い云々を深く気にしていては、そんな奴だと知りながら告白してきた赤ずきんに失礼だ。
だからといって努力しなくて良いというわけではないが、一番すべきなのは赤ずきんのひたむきな想いに応えることである。
「やっ――あ、う、うん。良かった良かった。断られなくてほっとしたよ……」
赤ずきんの不安に曇っていた表情は、ジャックの答えを耳にした途端弾けんばかりの眩い笑顔となった。しかし次の瞬間には気を取り直すように頬が引き締められ、心の底から安堵を覚えた程度の微笑みへと変化していた。
(うーん……僕も赤ずきんさんの笑顔が見たかったんだけど、何で今表情を取り繕ったんだろう……)
素朴な疑問であったが、赤ずきんが安堵を覚えているのは間違いなく本当のこと。両膝に手を当て、緊張が抜けて崩れそうになるのを支えるようにしているのを見れば分かる。なのでこの程度の疑問は気にせず放っておくことにした。
「じゃあ、これで一応あたしたちは恋人同士ってことで……良いんだよね?」
「う、うん……たぶん、そうだと思うよ」
「そっか……じゃあさ、その……今度はジャックからしてくれないかな? さっきは何か不意打ちみたいな感じだったから、あんまり実感無いんだよね……」
「えっと……もしかしなくても、キスのこと?」
分かっていたが一応尋ねると、赤ずきんは恥ずかしそうに無言で頷く。
先ほどのキスは告白を信じなかったジャックに対する証明のようなものであり、好きあう者同士のキスではなかった。また唇が触れ合っていた時間も僅かだったため、ジャック自身もその感触は曖昧にしか覚えていない。
なので晴れて恋人同士になった今、改めてキスをしようと提案しているのだろう。こちらに注がれる視線には明確な期待が見え隠れしていた。
「……ごめん、赤ずきんさん。まだ赤ずきんさんへの気持ちも良く分かってないのにそんなことするなんて、やっぱり許されないと思うんだ。だからキスはできないよ」
しかしジャックははっきりと拒否した。まだ自分の気持ちが分からないから。
とはいえもちろん赤ずきんとキスするのは嫌ではない。本人はあまり自信を持っていないが、赤ずきんは立派な美少女。あるいは綺麗なお姉さんだ。だからこそジャックだってキスできるならしたいと思っているし、そう思っているからこそキスするわけにはいかない。ここでキスしたらまるで身体や外見目当てのように思えて不誠実だからだ。
それにまだ自分の気持ちも分かっていない癖に、恋人という間柄でしかできないことをするのは虫が良すぎる。自分の気持ちがちゃんと分かるまでは一線を引くのが、誠実な対応というものに違いない。
「そ、そっか……やっぱり、ジャックは優しいなぁ……」
(う……赤ずきんさん、すごく悲しそう……)
納得する赤ずきんだが、明らかにがっかりした様子でしょぼくれていた。
まだ気持ちが分からないジャックと違い、赤ずきんは本気なのだ。きっと心の底からジャックとキスをしたがっているのだろう。その気持ちに応えてあげたい所だが、さすがに唇にキスするのは許されない。
「……でも、そうだね。気持ちの分からない僕と違って赤ずきんさんは本気なんだから、これくらいは――」
「っ!?」
なので妥協して頬に軽く口付ける。唇が触れる前はほんのり赤い程度だったのに、触れて距離を取った時には耳まで真っ赤に染まっていた。
あの赤ずきんがこんなにも可愛らしい反応をしてくれるとは。おかげで早くもジャックの中で赤ずきんへの愛情度が上がった気がした。この調子だと普通にその内落ちてしまいそうな気さえする。
「い、意外と大胆だね、ジャック。びっくりしたよ……」
「あははっ、あんな告白をしてきた赤ずきんさんには敵わないけどね。それにしても……何だか今日は色々あり過ぎて凄く疲れたなぁ……」
「ジャックは体力も無ければ精神力も無いなぁ……何で告白する側のあたしよりも疲れてるのさ? ちょっと貧弱過ぎだよ」
「そうだね。直前に誰かさんにすごく傷つくことを言われたから、かな?」
呆れた顔をする赤ずきんに、にっこり笑って教えてあげる。気持ちを弄ばれたと思って酷く傷ついたのはついさっきのことだ。それも全てが嫌になってふて寝したくなるくらいに傷ついたのは。
別に怒ってはいないしもう気にしていないが、そんな傷を負わせた張本人がその事実を忘れて貧弱呼ばわりしてきたのだ。さすがのジャックも嫌味の一つくらいは返したい。尤も肉体的に貧弱なのは否定できないが。
「う……ご、ごめん……疲れたならもう部屋に戻ってゆっくり休みなよ……」
「もう怒ってないから大丈夫だよ、赤ずきんさん。でも本当に疲れたしそうさせてもらおうかな?」
「うん、それが良いよ。あたしたちのこれからについては明日話そっか。今日はお互い色々あったし、ゆっくり休んでちゃんと整理しておかないとね」
表面上は疲労の色が毛ほども見えないものの、赤ずきんは頷いてくれる。
まだ夕飯前程度の時間帯なので今日話し合うこともできるが、根を詰めすぎたって良いことは無いだろう。時間はあるのだから二人でゆっくり進めていけば良い。
「そうだね。でも赤ずきんさん、僕たちの関係は皆にはどう説明するの?」
しかしそこだけは今決めておかなければならないため、尋ねておく。
この関係を秘密にしたいのか、それとも皆にも話しておきたいのか。それを予め決めておかなければ誰かに疑われたりした時、肯定すれば良いのか誤魔化せば良いのか迷ってしまうからだ。
「あー……ひとまず秘密にしておこっか。それについても明日話すってことで良いよね?」
「うん、分かった。それじゃあまたね、赤ずきんさん」
答えを得たジャックは一つ笑いかけると、部屋を出るために扉のノブへ手を伸ばす。
「うん。またね、ジャック……だ、大好きだよ……」
「……っ!」
その背中に、恥ずかしそうな声音で好意の言葉が送られる。振り返ってみればそこには照れ臭そうに頬を染めつつも、真っ直ぐにこちらを見つめる赤ずきんの姿。フードを被っているのに、最早被っていない時より途方も無く可愛らしい。
ここで『僕も大好きだよ』と返せばきっと赤ずきんも喜んでくれるはず。しかしまだ自分の気持ちの分からないジャックが返して良い言葉ではない。
「……うん!」
だから胸の内に生じる喜び全てを伝えられるように、精一杯の笑顔を返した。
好きな人の笑顔が見たかった赤ずきんは、目的のものが見られて嬉しかったのだろう。やはりちょっと照れ臭そうにしながらも満面の笑みを浮かべてくれた。
ジャックを満面の笑みで見送った赤ずきんは、しばらく扉に張り付き耳を澄ませていた。そうしてジャックの足音が完全に聞こえなくなるまで待ち、ゆっくりと扉から離れると――
「や、やったああぁぁぁぁぁぁ!!」
――ぐっと拳を握り、ジャックの手前抑えていた喜びを爆発させた。
抑えていたのは、まるで子供のように喜びはしゃぐ姿を見せたくなかったからだ。ジャックが告白を受け入れてくれた時、内心ではその両手を取って身体ごと振り回し踊りたくなるくらいに嬉しかったがそれも何とか我慢した。
赤ずきんとしてはむしろそういう姿を受け入れてもらいたいのだが、今現在の自分たちはあくまでも片想いの恋人。両想いになるまではジャックに甘えて良いはずがない。だから何とか自制したのだが、ジャックが部屋に戻った今はもう抑えられなかった。
「まさか普通に受け入れてもらえるなんて思わなかったよ! どうせ散るなら派手に散ってやるくらいの気概でぶつかったのにさ! あーっ、告白して正解だったね!」
せめてジャックの憧れの人には戻りたいという思いで自分らしく突撃した結果、玉砕しなかったどころか最高の戦果を得られたのだ。これで嬉しくないわけがない。
まあすでに恋人がいるかもしれないという考えは完全に失念していたため、伝えたいことがあるとジャックが口にした時は心底肝が冷えたのだが。
「おっと……でも、喜んでばかりじゃいられないね。ジャックはまだあたしへの気持ちが分からないんだ。もしかしたら好きじゃないってこともあるかもしれないし、これからは好きになってもらえるように頑張らないと」
しかしはしゃいでばかりではいられない。
もしもジャックが自分の気持ちをはっきりと理解したら、場合によっては赤ずきんは捨てられてしまうかもしれないのだ。もちろん赤ずきんのことが好きだと言って、本当の恋人になってくれる可能性もあるにはある。
ただジャックの周りには赤ずきんよりも女の子らしい女の子がたくさんいる。楽観はせず、こちらから行動を起して好きになってもらえるよう努力しなければ。
「うーん……どうしたらジャックはあたしのこと好きになってくれるのかな……」
そのため浮き立つ心を何とか抑え込み、真面目に考えようと試みる。
しかしそうするとジャックの唇が触れた頬が、そしてジャックと重ねた唇がむずむずしてきて一向に落ち着かなかった。胸は際限なくドキドキしてきて、抑え込んだはずの喜びはあっというまに弾けてしまう。
「うあぁぁ……! ダメだ、今は嬉しすぎて何も考えらんないよ! よし、ちょっとその辺走って落ち着こう! 二、三時間くらい街中を走れば大丈夫だね!」
こんな状態でまともにものを考えられるわけがない。
そのため、赤ずきんは解放地区を走り回って少し頭を冷やすことにした。冷静になるための方法に運動を選んでしまうとは、やはり赤ずきんは脳筋なのかもしれない。しかしそんな赤ずきんでもジャックは受け入れてくれたのだ。恥じることはどこにも無かった。
(そういえば何か忘れてる気がするけど……ま、思い出せないってことは大したことじゃないか。そんなことよりランニングだ!)
故に、赤ずきんは清々しい気分のまま走り始める。
一瞬何事かが脳裏を掠めたものの、胸の内が喜びで溢れている上に脳筋の赤ずきんが思い出せるわけもなかった。
(まさか告白されるなんて思わなかったなぁ。それもあの赤ずきんさんにだなんて……)
自室に戻ったジャックはベッドに腰かけると、改めて先ほどまでの出来事を思い返していた。
今まで赤ずきんの力になるためにコートを探していたのに、実はただの自作自演だと判明したこと。それによって気持ちを弄ばれ、からかわれ、もしかしたら自分は嫌われているのではないかと思ったこと。そう思っていたのに実際は何故か非常に好かれていて、極めて真剣な告白を受けたこと。そしてめでたく恋人同士になったこと。
はっきり言って展開が急すぎて現実感に乏しいくらいだ。現実だとすぐに分かる証拠が無ければ、ジャックは夢か何かだと疑っていたに違いない。
(お姉さんだってことも忘れて甘えたくなっちゃう、か……ってことはもしかして、これからは僕に甘えてきたりするのかな?)
恋人同士になった今、きっと赤ずきんは恋人同士の触れ合いを求めてくるはず。そもそも本人が甘えたいと言っていたのだ。さすがに唇へのキスはできないが、それ以外の大抵のことならジャックは受け入れるつもりだ。まだ気持ちが分からないジャックと違い、赤ずきんは本気なのだから。
(可愛く甘えてくる赤ずきんさんかぁ……な、何か凄くドキドキする……)
頼りになる皆のお姉さんである赤ずきんが、一人の女の子としてジャックに甘えてくる。その様子を想像すると可愛らしさに自然と胸が高鳴るジャックであった。
そもそも赤ずきんは元から可愛らしい女の子だと分かっているが、普段とのギャップの違いから余計に可愛さが増しそうに思えた。明日からはそんな姿が見られるのかと思うと、ますます期待に胸が高鳴る。
(そういえば……キスも、したんだっけ……)
胸の高鳴りに導かれるようにして、唇に指を当ててみる。
突然のこと、それもほんの一瞬の出来事だったので感触も良く分からなかったが、確かにジャックは赤ずきんにキスをされたのだ。美少女にキスされて、それもファーストキスを捧げられて嬉しくない男などほとんどいないだろう。実際ジャックも優越感に似た強い喜びを感じている。美少女、それも憧れの女の人にキスされたのだから余計に嬉しい。
しかし素直に喜びに浸ることはできなかった。その喜びの中に、想い人にキスされた喜びがあるかどうかが分からなかったから。
(……鼻の下伸ばしてばかりじゃいられないよね。ちゃんと自分の気持ちが分かるようにならないと……)
でなければ本気で想ってくれている赤ずきんに失礼だ。
とはいえそう簡単に自分の気持ちに向き合い理解することができるなら、赤ずきんだってあんなに苦労はしなかっただろう。強くて優しい憧れの人でさえああなら、ジャックが自分の気持ちを理解する道のりは先が見えないくらい果てしなく遠い気がした。
この道のりが横ではなく上へ続くタイプの道なら、ジャックだって今すぐにでも登りたい気持ちになるのだが。
(……うん。とにかく今日はゆっくり休もう。色々あって疲れたし)
残念ながら道は高い所へ続くものではないので、ひとまずは大人しく休むことにした。
今日は本当に色々あって疲れたのだ。気持ちを弄ばれたり、告白されたり、キスされたり――
「……ハルさん、これ直してくれるかなぁ。ドアの枠まで持って行っちゃってるけど……」
――部屋の扉を破壊されたり。
ちらりとジャックが視線を向けた先にあるのは、真っ二つになった扉の残骸や小さな木片。そして風穴が開いた部屋の入り口を塞ぐ部屋備え付けのタンス。要するに赤ずきんによる破壊の爪痕と、半ば適当な応急処置だ。
まだハルに修理のお願いをしていないのは、今日の出来事の現実感が薄いジャックにとってはこの破壊の痕が現実の証明になるからだ。まあ、破壊をもたらした本人はどういう訳かすっかり忘れていたようだが。
(ひょっとしてこんなことも忘れちゃうくらい、僕の恋人になれたことが嬉しかったのかな。それなら今頃は嬉しさで子供みたいに走り回ってたりして……って、さすがにそんなわけないか)
さすがにそんなに子供っぽい姿を思い浮かべるのは失礼だ。しかし本当ならそれはそれでとても可愛らしい。そんな想像に微笑ましさを思い浮かべつつ、ジャックはベッドに入るのだった。
ちなみにその想像が現実であったことを知るのはそれから約二時間後、良い汗を流して帰ってきた赤ずきんの子供っぽい姿を目にした時のことである。
カッコ良さと可愛さ、両方を意識した結果こうなりました。壁ドンからの告白という高レベルの告白をした癖に、嬉しくて街中を走り回る子供っぽさ。でもそのギャップが堪らないと思います。
まあ後者はともかく前者については、恋獄塔ではジャックから告白していたので逆パターンにしてみたかった、という考えもあったりします。さすがに同じ展開よりは別の展開にした方が面白くなりそうですし、何より赤姉側からの告白を書いてみたかったですしね。
2章はちょっとイチャイチャしつつ、赤姉がジャックを落とす(物理的な意味ではない)ために頑張るお話です。でも先に親指姉様のR18の方を投稿する予定。
親指姉様の時はこの時点ですでに両想いにも関わらず片方がツンデレなためイチャイチャしませんでしたが、赤姉の場合は果たしてどうなることやら……。