クリスマス ビフォア アポカリプス   作:志須

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魔法少女事変前、キャロルとエルフナインがクリスマスを過ごす話。
エルフナイン覚醒時の話と、クリスマスの話の二本構成です。
時間軸はフロンティア事変(二期本編)が終わった数カ月後と、その年の12月。
 (初出:2016/12/20)(他サイトと同時投稿です)







ビフォア ビフォア

 

 

 

 

 

 

 

 春の名残を残す陽差しは眩しすぎず照りすぎず。高山の涼気を暖めきるまではいかないけれど、固く結んだ蕾を緩め咲かせて久しい。

 空の真中に登っている陽は遠くの険しい山々から足元の草花までを別け隔てなく清々しい陽光で照らして、平地一面に茂る足首ほどの高さの草の緑に、金貨のような丸い花が黄を添える斑点模様を色鮮やかに映えさせていた。

 遠くに見える背丈の十数倍もある針葉樹が鬱蒼と立ち茂った森は、さんさんと降り注ぐ明るい陽光のおかげで黒々とした暗さが日影程度にまで和らいでいる。住んでいる村の近くにもあるような、いつもなら恐ろしくて近づきたいとも思わないそれに今なら分け入っていけそうにすら思えた。

 今なら。

 山の野道を隣で往くこの人と一緒の今なら。

 自分よりずっと背が高くて、背中が広くて、温かくて大きな柔らかい手の大人――パパと一緒なら。

 そのパパが、ふと足を止める。

「見てごらん」

 パパは右手の方角に身体を向けて何かを眺めやった。その横に並び立って視線の先を追って、それを目にした途端、思わず野道を逸れて駆け寄りそうになった。

 こちらの平地と向こう岸の山裾との間に、村がすっかり収まってしまうくらいの大きな湖が、豊富な水量を青々と湛えて静かに横たわっていた。岸辺の濃緑色の森の他に遠くの峰までもが映り込んでいて、湖面全体がまるで磨き上げられた巨大な鏡のよう。

 ここまでの道中でパパのいる右手の方向の遠くに湖がかすかに見えていたのは覚えていたけれど、いつの間にこんな近くにまで来ていたとは分からなかった。パパは、大人と違って見渡せる範囲の狭い子供の背丈のこちらが湖に気付いていないと見て、教えてくれたのだろう。

「キャロル。そっと近づいて、そっと覗いてごらん」

 穏やかな声が頭上からからゆるしをくれる。ほとりに駆け寄りたい衝動に駆られているのを見透かしたかのように。

 急な斜面を足を取られないようゆっくり降り、言われた通りにそっとほとりに近づき、水際に立つ。

 湖面には、生成りのブラウスと臙脂色のワンピース、その上にベージュのケープを羽織り、円錐の黒いとんがり帽子を被って広いつば下にふわふわした短い金髪と、感激に綻ばせた顔を覗かせている少女――”わたし”の姿が映り込んでいた。

 やがてやってきたパパの灰色のトリコーンハットに襟高のコートの姿が水面の隣に映り込む。

「まるで鏡のようだね。無風でさざなみが立たずに、太陽があの位置にあるとよく映る」

 斜め後ろを振り向いて見上げると、パパは何も言わずに頭の上のとんがり帽子を外して持ってくれた。落としてしまわないようにと預かってくれたのだろう。やりたいと思っていることはパパにはお見通し。冷たく清らかそうなそれに”わたし”は触れてみたかったのだった。

 水際にさっそくかがんで、湖面に両手を差し入れる。

 底が見えるほど透き通った湖水は、思った通り冷たかった。春も終わりかけてとうにぬるくなった川の水よりはもちろん村の井戸の水よりずっと冷たく、ずっと触れていたらかじかんでしまうのではと思うほど。

 手を差し入れているそこから水紋が湖に広がっていく。

 水鏡はゆがんで、それまで映っていた自分やパパの姿はぼやけてもう見えなくなっていた。

 水紋はさらに広がってゆく。広がりに広がって、湖面全体に行き渡り、ゆらゆら揺れる湖はもう何も映さない。

 連続する水紋は向こう岸にまでたどり着いて、湖面だけでなく岸上の鬱蒼とした森も、遠くの険しい山も、澄んだ青空も、風景の全てを波打たせてゆがませた。さざなみ立った水面のようになにもかもが乱れて、全ての色が混ざり合って、黒になる。視界の全てが黒に染まって、塗りつぶされて、やがて何も見えなくなった。

 何も、見えない。

 驚きも不安も、悲しみも辛さもない。何も見えないという感覚だけがあって、ただそれをなんの感情もなく受け入れる。

 けれども。

 その感覚を違うと否定する別の感覚があった。

 何も見えないではなく。

 暗闇が見えているのだと。

 ギィ、という軋むような音が間近で立った。同時に目の前に細い縦長な光が差す。眩しく感じるそれに思わず目を細めて、そのせいで自分が既に目を開けていたことを自覚した。

 寝起きのように頭がぼんやりする。それを他所に軋む音は連続して、それに連れて光の幅も太く広くなっていく。周囲に伝う少々の振動と、硬質な何かが嵌り合うようなガコンという音と共に光の増幅が止まる頃には、暗闇だったものは両肩より広い幅に目の前を開けていた。

 目がすぐに明るさに慣れたのは、空間の光源になっている光球の紫がかった光がそれほど強くないからだろう。

 数歩先には幅広だが段差の低い下りの石階段。十数段のそれを下りきった先に見えるのは、巨大な歯車が透けて見える床が中央にある円形の広いホール。さらにその向こうの突き当りの壁には、遠近の縮尺から見てとても大きい両開きの扉が見える。

 ここはどこ――そう疑問を抱いたとたん、頭の中にどこからともなく情報が思い浮かんできて、疑問は解消された。

 ここがどこか、知っている。

 ここは、この風景は――チフォージュ・シャトー。その深奥、玉座の間。

 明かりが差したおかげでようやく、自分が四方と上下が壁で囲まれた狭い空間で、何かに腰掛ける形で座っていたのだと自覚できた。

 身体のあちこちがぴりぴりする。皮膚の下がくすぐったいようなその感覚は、かじかんだ手足を湯に浸けるなどして凍えから急速に回復させたときの感覚と似ていた。足元から床を這うように広がり出て霧散している靄は、それと無関係ではない気がする。

 少し肌寒く感じるものの、凍えてはいない。

 目の前に開けた風景に誘われるように座面から立ち上がり、裸足の足を踏み出して、箱状の囲いから出た。

 そこで、見つけた。

 こちらを見つめている者の存在を。

 ふわふわした短い金髪に、蒼と菫の取り合わさった瞳。袖のない膝上丈の赤いワンピースに、同じく赤いパンプスを履いた、年端もない子供の姿の――自分そのものな、少女が立っているのを。

「あなたは……”わたし”? ”わたし”は、キャロル……」

 ”わたし”が呼ばれていた名前を口にすると、囲いの中からでは影になっていて見えなかった右斜め前方に立っている少女は、その落ち着き払ってともすれば冷たく見える顔の表情を変えることなく首を左右に緩く振り、肘上までを覆う黒の長手袋の右手を胸の高さに上げ、右外に向けて開いた。

 少女の右側、こちらにとっては正面の何もない空間に、肩幅くらいの大きさの青白い光の線で描かれた正六角形の枠が三つ、上下の辺を連ねて出現する。向こうが透けて見える枠だけの三連の正六角形はふいに面を白く輝かせ、光が失せるとそこには一人の、またも自分によく似た少女の姿が映されていた。

 枠に映る少女は目をわずかに見開いてこちらを眺めている。その後ろには暗い紅紫色の、両開きの扉が開いた箱が映っていて、胸に湧き上がった予感に従って両手を持ち上げ顔に触れると、枠に映る少女も同じように動く。

「キャロルはオレだ。お前は、廃棄躯体十一号」

 目の前のそれは、鏡だった。

 歳の頃は十かそこらの、肌の白い幼く華奢な子供の姿。緑がかった金といったようなくすんだ色合いの、内側にふわふわと跳ねる襟足までの短い髪に、青みがかった碧色の瞳。

 これが、自分? そう疑問を抱くと、先ほどのようにすぐに頭の中に浮かび上がるものがあった。

 これは、キャロルが自身の依代とするために造るホムンクルス躯体。けれど髪の色、瞳の色、右目下のほくろがないなど素体との身体的特徴の相違と、部位――生殖器の欠落が認められたため、廃棄が決定された躯体。知覚と身体機能に問題がない廃棄躯体は予備躯体同様に聖櫃に収められ、使役や素材利用のときまで冷凍保存される。これはその最終にして現時点で最後の一体。

 けれど、そんな情報を何故か知っている一方で錬金術師のパパと村で暮らしていた記憶があった。今思い馳せると数百年も前の昔という認識が不可思議に追いついてくるそれは、記憶と呼ぶには相応しくないように思える。

 なぜなら、記憶の中の”わたし”が取った行動は、かつて自分が自分の意思で選択したという覚えが一切なく、他者の経験――視覚や聴覚といった五感感覚と、思考・感情を伴う時空間の記録をなぞるような、追体験するだけのものだったから。これを言い表すのに最も似つかわしい言葉は、『想い出』かもしれない。ただし自分のではなく、キャロルの。

 想い出の中の”わたし”が自分自身であるとどこか思えないでいたのは、自分の躯体がキャロルの素体と大きな相違を持っていたせいなのだろうか。相違という欠陥を持つ躯体が廃棄されるのは、外見が異なるだけに限らずそういった理由があるのかもしれない。

 ”わたし”はキャロルだった。けれど、自分はキャロルではない。

 鏡に映るキャロルと異なる少女が、本当の自分。

「わたしは、廃棄躯体……」

「そうだ。以後、お前をエルフナインと呼ぶ」

「エルフナイン……それがわたし、いえ……ボクの、名前……」

 咄嗟に自分の人称を改めた。キャロルと自分は、異なる存在。あの想い出は、キャロルのもの。混同してしまわないよう、自分の中できちんと区別をつけられるように、違うものを使う必要を感じて。

 咄嗟に思い当たった一人称ながら、『わたし』『オレ』を除くと今使われているこの言語では、性別がない自分には最も自然に感じられるものだった。

 鏡から目を離してキャロルを見やると、キャロルもまた、出会った初めからずっとそうしているようにじっとこちらを見つめていた。

 こちらの挙動を注意深く観察しているかのような眼差しを向けてきているキャロルの姿は、想い出の中でわたしと自称していた数百年前の昔と同じ背格好。髪の色、瞳の色、右目下のほくろなどの特徴から紛れも無くキャロル当人だけれど、あどけない顔からは純真さが失せ、目には鋭く冷えた殺伐とした雰囲気を纏わせている。

 一番の違いは、後頭から左肩へ流している金髪の三つ編み。編んでいても床につくほどの長さは、これまで生き永らえてきた年月の長さを物語っているかのようだった。

 キャロルはこちらが改めた自称を口にするのを聞くと、自己を正しく認識したのを確認したとでも言うように頷いた。

「廃棄躯体として処分を待つだけだったお前を目覚めさせたのは、我が大願の成就に労役が必要となったからだ。大願――即ち、父親の遺志を継ぐこと」

「父親の遺志……」

 その言葉を耳にしたとたん、脳裏にあの日の想い出がたちまちに思い起こされた。

 広場の中央に設えられ、火が放たれて燃え盛る焚刑台。その中心の柱に拘束されているパパの姿。夜半に行われた処刑にどうにか忍び込んで、駆け寄ろうとしたものの大人たちに捕らえられてかなわず、引き離されようとしているときパパからキャロルに向けられた、『世界を識れ』という最後の言葉。

 そこまでを思い出すとひどく胸が痛くなった。視界がじわりと滲んで、熱くなった目もとを指で拭う。

「そうです……パパは死の間際に、世界を識れと言っていた……いえ、違いました。ボクのではなく、あなたのパパが」

 うっかり自分の父親のように言ってしまった。区別をつけたつもりが、さっそく失敗してしまった。

 気分を害しただろうか。怒られるだろうか。恐々とキャロルを見やると、キャロルはかすかに目を瞠っていて、けれど軽く瞬いた後には元の冷静な深慮を伺わせる目つきに戻っていた。

「いや、言い得て妙だ。出来損ないではあるが、オレの素体から作られたお前もまたパパの娘には違いあるまい」

 淀みなく唄うように言う声色にはかすかに不敵な何かを感じられる気がしたけれど、告げられた言葉の胸での響きの前に掻き消える。

「ボクもパパの娘……キャロルと同じに……あっ、いえ、マスターと同じに」

「好きに呼ぶがいい」

「は、はい、キャロル……」

 想い出の向こうのパパは、家事や料理など生活のことでときどき失敗するような少し頼りないところもあるけれど、人が好くて優しくて、聡明で暖かくて大きくて、とても好ましい人だった。思い返せば返すほど好きになる。

 本当の娘であるキャロルからエルフナインもまたパパの娘だと言われることで、マスターと呼ばなくてかまわないと言われることで、パパのことを好きでいて良いと許された気がした。

 同時に、キャロルに親近感を覚える。大好きなパパを喪った者同士として。

「パパの遺した言葉を追うことが、オレの使命だ」

 最後に見たパパの姿が再び思い起こされて、悲しみでまた胸が痛くなる。

 炎に焼かれて熱くて苦しいはずなのに、それをキャロルに見せまいと顔に出さず、優しい眼差しで語りかけるように。

 ――キャロル、生きて、もっと世界を識るんだ。

「パパは最後に何を告げようとしていたのでしょう……」

「世界を識れ――その命題の答えは、万象に存在する摂理と術理を隠す覆いを外すこと、即ち万象黙示録を完成させるということ。そのためにお前にはやってもらうことがある」

 知りたい。パパが何を告げようとしたのか。

 その答えにたどり着ける公算がキャロルにはあるのだろうか。万象黙示録というものの完成がそれだというなら、心は決まっている。

「はい、お手伝いさせてください。ボクも知りたいです、パパが何を伝えようとしていたのか」

 再び涙が滲んでしまって、それを指で拭いながら言う。その様子が拙いものに見えたのだろうか、キャロルの口端がわずかに上がる。

「いいだろう、お前にも見せてやろう。万象黙示録の完成の暁に、覆いを全て取り去った世界を」

 その笑みにどことなく不敵な印象を受けるのは気のせいだろうか。

 万象黙示録とは何なのか、今はわからない。けれどそれはきっと、これからわかるのだろう。キャロルと共にパパの遺した命題を追い求めるうちに。

「必要となる錬金術の知識は既にインストール済み。お前にはシャトー建造の任に就いてもらう……が、その前に」

 改めてという風な目で、キャロルから眺められる。どちらかと言えば、少し怪訝な目で。

 その前に、何なのだろう。首を傾げる。

 

 

 

「ここがお前の部屋だ」

 シャトーの建造に携われと言われた後、ついてこいと促されて玉座の間を出て、宮殿風の白い石造りの回廊を通り、その途中の扉を入って辿り着いた場所は、奥行きと幅が共に七、八歩ほどの広さの個室。壁は回廊と同じ白い石造りで、調度として木製の簡素な四足の一人用ベッド、同じく木製の引き出し付き机と椅子が壁付けで置かれている程度の質素な部屋だった。

 シャトーの構造は現在までに建造済みな区画の間取りまでは頭に入っているけれど、存在する各部屋が何に使われているかまでの情報は持たされていなかった。

 こちらを連れて部屋中に進んだキャロルは、部屋の真中ほどで立ち止まると、黒い長手袋の腕をついと上げて部屋奥のクローゼットを指差した。

「そこに衣服が入っている。好きに選べ」

「好きに、ですか」

 こちらに頷くキャロルを見、壁に埋め込みになってるクローゼットを見、それから再びキャロルに視線を戻して言う。

「でしたらボクはこのままでかまいません」

 む、とキャロルは怪訝な面持ちになる。

「ボクはただのホムンクルスですし、性別もありませんから、服を着る必要は無いかと」

「っ……」

 不要の理由を言うと、キャロルは何故か眉を不機嫌そうにぴくっと顰めた。

「では言い直す。防護用のローブを着ろ、靴を履け、それから下着も着けろっ」

「は、はいっ」

 語気の強さにびくっとして、慌てて奥のクローゼットに駆け寄った。玉座の間から移動する最中もそうだったように、裸足の足が硬い床にぺたぺたと音を立てる。

 何故怒らせてしまったのかのだろう。無性のホムンクルスが裸でいることはキャロルにとって怒ることなのだろうか。ともかく、キャロルが必要と言うなら、その通りにしようと思った。

 クローゼットのスライド扉を開けると、紫の縁取りが入った黒地の同じデザインのローブが何着もハンガーで吊られていた。隠れに置かれたチェストには他の衣類が入っている。

 必要そうなものを見繕っていると。

「……の欠落が羞恥の感情にこんな影響を及ぼすとは予想外だった……」

 というようなことをキャロルが呟いているのが聞こえた気がしたけれど、よく分からなかった。

 クローゼットとチェストから取り出したものを身につけて、キャロルを振り返る。

「これで、いいでしょうか?」

 言われた通りローブを、クローゼットに多数吊られていた同じデザインのもののうちの一着を身に着けた。靴として揃えてしまわれていたロングブーツを穿き、チェストに入っていた黒いショーツも穿いた。

 さきほど言われた条件は満たしたはずなのに、キャロルがとても微妙そうな顔をしているのはどうしてだろう。

「お前は、その格好でいいのか……」

「? はい。……?」

「まあいい。ともかく、今後はそのように衣服を着用して事にあたれ」

 諦めたようにため息混じりでキャロルはそう言って、けれど気を取り直して再び口を開く。

「さしあたって今日はそこのベッドで休め。目が覚めたら玉座の間へ来い。任務はそれからだ、いいな」

「はい、わかりました」

 こちらの返事にキャロルは軽く頷くと、用は済んだとばかりに踵を返して出入口へ向かい、金の三つ編みの揺れる小さな背中はドアの向こうに見えなくなった。

 一人、部屋に残される。

 改めて、部屋を見回す。

 床や壁、家具に至るまで部屋の中の全てのものは最近に掃除されたかのようにきれいで、埃が積もっているようなことはないけれど、部屋全体から受ける掃除では取り去れないうっすらしたくすみの印象が、この部屋が古くからあることを偲ばせていた。

 ベッドや机、椅子、卓上ランプといった調度品は、キャロルの想い出の中で見るようなものより意匠が洗練されていて新しいもののように思えるけれど、みなそれなりの経年を感じさせる。

 机の表面の細かな傷、床についている椅子を引いた跡など、生活の跡が見られるあたり、昔に他の誰かが使っていた部屋なのだろう。キャロルだろうか。それとも来訪者か食客か。それとも、自分のように労役のために覚醒されたこれまでの廃棄躯体だろうか。

 腰掛けたベッドが、ぎしりと軋む音を立てる。

 自分の前に、ここに居ただろう人のように。

 自分もいなくなる日が来たらその時は、後に使う人が快適に過ごせるよう、ちゃんと掃除してから出ていこうと心に決めた。

 さしあたって今は、キャロルに言い付けられた通り身体を休める。

 起きたらさっそくキャロルの元へ手伝いに行こう。パパの命題の答えを探し求める手伝いを。

 そんな思いを胸に抱きながら、ベッドに身体を横たえようと身動いで――そのとき。

「ひゃあっ!?」

 突然、ガタンという音と同時に視界が傾いた。

 

 

 

 キャロルの部屋は、一足入るなり懐かしい感じがした。

 壁際に配されたドレッサーやキャビネット、部屋の中ほどに置かれた大人が二人は横になれそうな大きさのベッド、衝立の向こうに上部だけ見えている天井まで届くほど高いワードローブなどの家具が、時代物なせいだからだろうか。堅実質素なつくりの調度品はどれも豪華さはないけれど、控えめに品のよい意匠が施されている。

 シャトーの現在の間取りの情報はインストールされていたが、部屋の内訳までは持たされていなかった。

 おそらく居住区だろう自分の部屋のエリア内で、自分の部屋よりいくぶん広い程度の大きさの部屋、と消去法で上げた候補の部屋を順番にあたっていこうと考え、そのうちの一つ目のドアをノックをしたところキャロルの応えがあり、ほっとしてドアを開いて入った部屋がここだった。

 部屋の内装全般がクラシカルに統一されていて、キャロルが数百年前の昔に暮らした生家の寝室と雰囲気が似ている。キャロルはそんな部屋の片隅にある書き物机に着いていて、机上に開いていた本から顔を上げ、ドアから入ってきたこちらに視線を投げかけていた。

 冷徹そうな鋭い眼差しはこちらの胸中を見抜いてくるかのよう。怒られても仕方のないことをしてしまった後ろめたさからか、なおさらそう感じられる。覚悟を決めて、部屋まで来た理由を、言う。

「キャロル、すみません……ベッドを、壊してしまいました……」

 端に腰掛けて少々物思いをした後、横になろうと身動いだら突然、腰掛けていた側のベッドの脚が二本とも折れて、あえなく床に転がりだされたのだった。

 そのことを正直に話すと、キャロルは机上の分厚く大きな本をばたんと閉じた。その音はやけに大きく聞こえて、びくっと肩が竦まった。怒気が篭っているような気がして。

 壊れたベッドはマットこそ古くはなかったけれど、ヘッドボードなど露出してる部分から受ける印象からすると結構な年代物のようだった。腰掛けたときに鳴った軋んだ音がそれを物語っていたのだろう。でも、怒られても仕方がなかった。自分が腰掛けなかったらベッドはきっと壊れなかったのだろうから。

 キャロルは無言で席を立つと、部屋の奥へと歩いていった。行き着いた先のクローゼットを開き、そこから掴み出したものをこちらに放って寄越してくる。受け取って手元で広げて見ると、それは膝丈くらいのシンプルな生成りの綿の半袖のワンピースだった。

「後で調達させる。それまではこの部屋のベッドを使え」

「えっ……?」

 思いもよらない返答と物を渡されて、ワンピースを抱えたまま思わず立ち尽くしてしまう。言葉を詰まらせるこちらに、キャロルは更なる説明が必要と見取ってか、続けて口開く。

「あいにくだがシャトーには、お前が壊した以外のベッドはこれしかないのでな」

 怒らないのだろうか。怒るどころか代わりに自分のベッドを提供しようとさえするキャロルに、つい尋ねる。

「あの、壊してしまったベッドのことは」

「経年で劣化していたのだろう。それより、休め。休息も任務のうちだと覚えろ」

「は、はいっ」

 些事にかかずらっているなと言わんばかりのキャロルの語調に気圧されて、急かされるまま小走りになってベッドの側に歩み寄った。

 先程渡された胸に抱えているこの衣服は、これに着替えてベッドに入れというのだろう。

 これはきっと、想い出の中のキャロルも寝る前に着替えていた寝間着というもの。ならば着替えようと、穿いていたブーツを脱ぎ、着ていたローブを脱ぎ、下着一枚になったところで、ふとキャロルと目が合った。キャロルは微妙そうな顔で眉を顰めていて、目が合うとすぐにふいと視線を外して、踵を返して部屋の奥へと向かっていってしまう。

 着替え方が、何かおかしかったのだろうか。

 ともかく言い付け通りに着替えようと、ワンピースを被って頭を通した。袖を通し、裾を伸ばし、ちゃんと着られたかと前と後ろを見える範囲で目で確認して、それからベッドに上がる。ベッドはやはり大きく、上掛けをめくって中に横になっても身体の左右は広々としていて、自分がもう一人ずつ左右で横になってもまだゆとりがありそうなくらいだった。

 それにしても、このベッドを自分が使ってしまっていいのだろうか。キャロルはシャトーにベッドは壊れたもの以外はこれ一つしかないと言っていた。キャロルはどこで眠るのだろう。

 そういえば、キャロルはどこに行ったろう。

 身体を起こして周りを見回すも、姿が見えなかった。けれどふと視界の端に動いたものが見えた気がしてそちらに目をやると、部屋の奥に置かれた木製の彫りが施された三つ折りの衝立の、その影から現れたのは自分と同じ生成りのワンピース姿のキャロルだった。

 衝立の上縁にはキャロルが着ていた赤いワンピースと長手袋が掛かっている。たぶん、衝立の向こうで着替えたのだろう。

 キャロルはこちらに向かって歩いて来て、ベッドの側に立った。

「キャロル……?」

 どういうことなのか分からなくて、首を傾げると。

「お前一人に使わせるとは言ってない。奥に詰めろ」

「えっ、あ、はいっ」

「成体の人間が二人横たわれる大きさだ。広さは問題なかろう」

 慌てて左手の奥側へ移動するこちらに言いながら、キャロルはベッドに膝を掛ける。

 そうする傍ら、ほっとしていた。キャロルのベッドを奪ってしまったわけではないことが分かって。

 そういえば、想い出の中に見たキャロルの生家のベッドも、これくらいの大きさだった。キャロルがもっと幼少の頃にはパパと一緒にそんなベッドで眠っていた時期があったのを思い出す。キャロルがまだ居なかった頃はママと一緒に眠っていたんだよと、パパが語っていたことも。

 けれど今にベッドに入るのはどうしてだろう。それを不思議に感じて、右隣で上掛けに足を潜らせて座ったキャロルを思わずじっと見てしまっていると、キャロルはそんなこちらの視線を説明の求めと受け取ったようだった。

「お前を寝かしつけてから、こちらも休むつもりだったのだ」

「そうだったんですか」

 納得したのなら話は終わりだと言わんばかりに、キャロルは上掛けを被ってベッドに仰向けになり、それに促されるようにこちらも同じく仰向けになった。

 天井を仰ぎ見ている視界の中で、キャロルの右腕がついと持ち上げられて、天井を指差すのが見える。

 長手袋を着けていない素手の小さな手指が指先で円を描くと、宙空に金色に輝く光の線で描かれた正六角形の構造式風の魔法陣が現れ、その後に部屋の明かりが落ちた。部屋の明かりは先に玉座の間で現れた青白い光の枠の鏡同様、錬金術によるものだったのだろう。

 暗闇の帳が落ちた部屋に浮き残っていた魔法陣は、金色の光の粒子となって崩れて消える。その散る様子が、暗闇にきらきらとして綺麗だった。

 ぱさりと隣で立った音は、キャロルが腕を下ろした音。その後の衣擦れの音は、身動ぎして上掛けを被り直した音。

 それからは、部屋に静寂が落ちる。

 隣にいるキャロルを意識してしまって少々そわそわするものがあったけれど、それもしばらくするとすっかり落ち着いた。

 右隣からじんわりと伝わってくる、あたたかな体温。

 そのぬくもりに、ひどくやすらぐものを感じていた。

 想い出の中のパパを思い出す。パパと一緒に眠っていた頃のキャロルもこんな感じがしていたのだろうか。

 隣のキャロルはもう全く身動がなかった。もう眠ってしまったのかもしれない。

 全身の隅々まで気怠くも心地よい感覚で満たされて、うとうととする。

 思い巡らしているキャロルの想い出と、現実の境目がわからなくなり掛けた頃。

 想い出の中で、眠る時にこんなことを言ってたと、思い出す。

「……おやすみなさい、キャロル」

「……、ああ……」

 おやすみ。

 眠りに落ちる寸前、ごく小さな声でそう呟かれるのが、すぐ近くで聞こえた気がした。

 そのあと、夢を見た。

 ベッドで隣に添い寝して、アルカナを数え聞かせてくれるパパの夢を。

 想い出の中では、ふと目を覚ますと、一緒に眠ってしまったらしいパパの寝顔があったものだった。

 命題はきっと解き明かす。キャロルと、二人で。

 パパが告げようとしていたことに、辿り着く。

 願わくば、やがてくる寿命の前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

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