□
赤く染まった戦場に立ち、紅い空を見上げる。
多く積み上げられた屍の傍に、その少年はただ一人佇んでいた。彼の衣服や頬にはべっとりと血が付着しているが、それは返り血らしい。この場には少年以外に誰もいない。正確に言えば、彼以外の人間は全て命を落としたのだ。
虚ろな藤色の双眸が、ゆっくりと地面に焦点を落とす。折り重なった夫婦らしき死体を、ただ茫然と見つめる。
少年の心には、今、何の感情も生まれていなかった。この光景に涙を流すわけでもなければ、絶望し悲痛な叫びを上げるわけでもない。ただ、心がゆっくりと音を立てて崩れていくような、そんな感覚だった。
目の前に転がっている夫婦らしき死体は、正確に言えば少年の両親ではない。両親を亡くし、兄も行方知れずで孤児となった彼を引き取り、育てた伯父夫婦だ。伯父夫婦は、彼に対してあまり良い接し方をしなかった。と言うのも、少年の両親は周りの反対を押し切り駆け落ちした挙句に、その最期は盗賊の襲撃を受けたからである。故にその息子である少年は一族から疎まれる存在だったのだ。
しかし、それももう昔の話。仲の良くなかったその伯父夫婦でさえ、今では死んでしまったのだから。
「……僕、は……」
ぽつりと呟いた言葉が途切れる。右手に握り締めていた短刀が、地面に落ちる。
これ以上の感情は、もう何も生まれないだろう。幼いながらに感情を殺し、伯父家族と暮らしてきた彼にとって、これが精一杯の感情の吐露である。
これからどう生活していこうかだなんて事は、今、彼は少しも考えていなかった。いや、考えられなかったと言う方が正しいかもしれない。
辺り一帯はつい先日まで戦場と化していた為、付近に村など一つもない。そんな危険な場所を伯父夫婦と共に歩いたのは、伯父がここならば近道である上に、金目の物が落ちているのではないかと言う考えからだった。
貪欲な伯父らしいと言えばらしいが、その所為で皮肉にも少年の両親と同じように盗賊に襲われ、命を落としたのである。
無論、少年も盗賊に殺され掛けた。しかし、彼は今こうして生きている。彼自身すら無意識の中で、盗賊を逆に斬り、生き延びたと言うのだろうか。
「ここが地獄である、か……」
不意に後ろから聞こえた声に、少年はゆっくりと振り返る。念入りに手入れされているであろう栗毛の馬に乗った男が、馬上から少年を見下ろしていた。黒髪は後ろで高めに一つに結んでおり、見た事のない形をした着物を羽織っている。周りには、数人の家来らしき者達を率いていた。
男は興味深々、と言ったように少年を見て笑みを浮かべていた。その姿が、少年には少々不思議な光景であった。見たところ、ただの行商人と言う風ではない。何より、家来らしき者を連れているのだから、武士である事に違いない。
そんな男が、何故、こんな小さな孤児を気に掛けると言うのだろうか。
「これは、うぬがやった事である……か?」
「……よ、く、分からない……」
「……くっ、ふはははは!」
男は妖しく笑った。少年の周辺を見回し、何か納得したように頷く。そして馬から降りると、ゆっくりと少年の元へと歩み寄った。
もはや少年は逃げようともしなかった。彼もまた、この男に興味を持ち始めていたから。
彼はこれまでに、伯父家族から酷い扱いをされてきた。それは客観的に見れば召し使いと同じ、いやそれ以下の奴隷のようであったと言っても過言ではない。
彼を認める者など亡くなった両親以外にはいなかったし、彼自身も認めてもらえる、などと言う期待はどこかで捨てていた。
しかし、今、こうして目の前に立つ男はしっかりと彼を見ている。興味の色を含んだ漆黒の瞳が、彼の瞳とぶつかり合っている。
「……名は?」
「え、あ……ゆき、しげ……静馬、雪重……」
「雪重、か……」
「え……?」
男は地面に落ちていた短刀を拾い上げると、雪重の前に差し出す。突然の事に、雪重は戸惑った。
傍に従えていた部下達が驚いたように見えたが、男はそんな事は気にしていなかった。ゆっくりと差し出された少年の手にその短刀を握らせると、男は馬の元へと戻り、鞍に再び足を掛け馬に跨った。
「――雪重。うぬの行く末、この信長が見届けよう……ぞ」
雪重は瞠目し、信長と名乗った男の方を凝視する。
信長は、雪重を求めた。得体の知れない孤児である彼を、その行く末を見届けたいと述べている。こんな事は、これまでに一度もなかった。
雪重には、信長の言っている意味が良く理解は出来なかった。しかし、求められている、という事だけは理解出来た。だからこそ、驚きを隠せなかったのである。
どうして良いか分からない。けれど、雪重は小さく頷いたのだった。