泰平への思い -藤色の章-   作:暁紀

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06.依頼

 

 

 長篠の戦いは織田軍の大勝で終わった。武田軍の総大将・武田勝頼は負傷の為に逃亡したものの、武田軍は大きな痛手を負う。そして、織田信長はますますこの乱世の中で台頭していた。信長の天下統一も目前に迫りつつある。

 雪重は長篠の戦から幾日か眠り続けていた。戦が終わり、周囲を捜索していた光秀と蘭丸が倒れている彼を見つけたのである。武田兵の死体が散乱している中で、発見された雪重も傷だらけの状態だった。命に別状はないものの、体力の消耗が激しい為か、幾日か経ってもまったく目覚めなかったのだと言う。

 そうして後に彼がようやく目を覚ました時である。最初に目に入ってきたのはあまり見慣れない顔だった。

 

「やあやあ、やーっと起きたね。あんまり心地良さそうに寝てるもんだから、つられて俺も思わず昼寝したくなっちゃったよ」

 

 容姿は雪重と同じように若々しくあどけなさを残しながら、しかしどこか全てを達観しているような瞳を持っている。雪重は、彼に見覚えがあった。名前までは思い出せないでいたが、織田家臣の一人である羽柴秀吉に軍師として仕えている男だと確信する。

 彼は雪重を見下ろしながら、にこにこと笑っていた。

 

「ええ、と……貴方は確か、秀吉のところの……」

「そそ、俺は秀吉様の軍師の一人。……って、もしかして、俺の事あんまり分かってない?」

 

 沈黙がその答えであった。そっかあ、とわざとらしく大袈裟に肩を落としながら、頭を掻いた。

 

「まあでも、正直今まであまり接点らしいものもなかったから仕方ないかあ。俺は半兵衛。竹中半兵衛だよ。よろしくね、藤の修羅さん」

「……あまりその呼び方は好きではないので、雪重と呼んでもらえると嬉しいのですが」

「へえ、噂の人斬りもそんなむくれた顔するんだね! さっきまでの気持ちの良さそうな寝姿といい、思ってたよりも親近感沸いちゃうなあ」

 

 半兵衛は雪重の傍に腰を下ろす。その笑顔はどこか裏がありそうにも見えてしまうので、雪重はどうにも落ち着かないものであった。

 ゆっくりと布団から上半身だけを起こした雪重は、身体中が痛むのを改めて感じる。それは敵から受けた傷だけの問題ではない。先の小谷城の戦の時もそうであった。人を斬る行為に身体が追いつかないのである。

 織田家の重臣である柴田勝家や前田利家より稽古をつけてもらい、ある程度の護身となるような剣術や戦い方を教わった。しかし、彼は信長の命を遂行する為、人を斬る為、より一層の強さを求めるあまりに、持っている力以上の極端な負荷を己に課していた。初陣を終えたばかりの、成熟期の途中の段階としてはあまりにも無茶な行動をしているのだ。

 それは雪重自身も気づいていた事だったが、それでも彼はその戦い方をやめなかった。それが少しでも主君の力になると信じていたからである。

 

「いやあ、実は長篠で君の戦いを遠くから見てたんだよねえ。本当、凄いのなんのって。あまりに凄い戦い方なもんだから……人間じゃないみたいにも見えちゃうほどに」

「あはは……良く言われます」

 

 半兵衛の言葉に、雪重はそれ以上の返す言葉がなかった。人間らしくない、と言われるのはこれが初めてではない。

 小谷城での戦いでは、彼は初陣でありながら、多くの敵兵を殺した。それが、信長に仕える身である己に課せられた命であり、絶対に守らなければならないと思い行動したまでの事だった。しかし、その姿を見た多くの味方が、いつからか彼を恐れ始める。

 “藤の修羅”と誰かが呼び始めてからは、より一層その恐れが強くなっていた。「第六天魔王の下には修羅すらもいる」と噂される事も少なくはない。

 それでも彼は、戦の時以外はそれを特に気にする事もなく穏やかに、年相応の若者のように過ごしていた。けれど、それがかえって奇妙に映ってしまい、周囲からは気味悪がられる要因の一つとなっている。

 

「ま、俺は嫌いじゃないけどね。だってそれってつまり、戦に私情を持ち込まないで淡々と戦ってるって事でしょ。策を練る者としては、そういう人間の方が迅速に動いてくれるから有難いよ。それに、多分――」

「おお! 目が覚めたんか、雪重!」

 

 襖を勢い良く開けて入ってきたのは、痩躯で小柄な男――羽柴秀吉であった。雪重が起きている様子を見て、嬉しそうに笑いながら、半兵衛の横に腰を下ろす。

 

「半兵衛! 雪重が起きたら教えてくれと言っといたのに、あんまりにも来んからどうしたんかと思ったじゃろ!」

「あははは、すみませーん、秀吉様。俺、雪重君と話した事なかったもんだからつい楽しくなっちゃって」

 

 悪気ない様子で、半兵衛ははにかんでいる。その笑顔にはこれ以上怒る事も出来なくなったのか、秀吉はそれ以上何かを言う事もなく、深い溜め息をついた。

 

「まあ、ええわ……それより雪重、身体の具合はどうじゃ? 光秀殿も、勝家殿も利家も、皆心配しとったで」

「ありがとう、もう殆ど大丈夫です。今すぐに出陣しろって言われても、問題ないぐらいに」

 

 雪重が笑って見せたのとは逆に、秀吉は少しばかり複雑な表情をしていた。

 決して彼が嘘をついているわけではない。けれど、傷は癒え切っていないという事は一目瞭然であった。それでも、彼は痛みさえも表には出さずに平常に振舞っている。だからこそ、そんな風に笑顔を見せる雪重の事を、秀吉はひどく案じてしまうのだった。

 そして、雪重が長篠の戦で信長の命を遂行し切れなかった事に負い目を感じているのにも、秀吉は気づいていた。

 

「……ところで、秀吉はどうして俺の目が覚めるのをお待ちに? 何か、信長様から新しい命でもあったのですか?」

「敬語はええって前にも言ったじゃろ? お前は、齢は離れていても織田家臣の一人であり、困っている時に助けてくれたりもした同志のようなもんじゃ。それに、ねねもお前の事を子供のように可愛がっとるでな!」

「え、あ……ありがとう、秀吉」

 

 秀吉は、雪重が織田信長の下で生活するようになってからというもの、様々な形で面倒を見てくれた。勝家と利家が戦闘においての師として世話をしてくれたのと同じように、秀吉は彼の衣服であったり、生活するにあたり必要な物を工面してくれたのである。

 彼の妻――ねねもまた、雪重を本当の子供のように可愛がり、世話を焼いてくれていた。身寄りのない雪重にとって、二人の存在は大きいものなのだ。

 

「――で、秀吉様、本題忘れてませーん?」

 

 半兵衛の言葉により、秀吉は何かを思い出したように膝を叩いた。

 

「そうじゃった! 雪重、目を覚ましてばかりですまんが、わしに手を貸してくれんか?」

「勿論構わないけれど、一体何を手伝えば?」

「わしの仲良うしとる奴の城が、ちいとばかし厄介な問題を抱えとるみたいでな……助けに行ってやりたいんさ。そこで、雪重がついて来てくれれば色々と助かるんじゃが……」

 

 また秀吉の表情が曇る。彼が言い出した事ではあるが、やはり何か抵抗があるような顔であった。雪重を気遣っての事なのだろう。雪重は、秀吉が友人想いの人物であるという事を、彼と前田利家とのやり取りで随分前から知っている。此度の事も、友を助けたいという想いがあって、その為に力を借りたいと言っている。

 だからこそ雪重も、そんな秀吉を手伝いたいと心から思うのだった。

 

「分かった。俺も秀吉の力になれるなら、一緒に行こう」

「お……おお! それは本当か! ありがとな、雪重!」

「良いなー。俺も一緒に行きたかったなー。そっちの方が断然楽しそうだし」

 

 そう言って少し不満そうに寝転がる半兵衛の様子を見て、秀吉と雪重は二人とも思わず笑みを零すのだった。

 


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