東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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100・虎よ、虎よ

 その日もまた、命蓮寺の本殿の中は重苦しい気配に包まれていた。

 この寺のご本尊でもある寅丸星が、部屋の中心にて座禅を組み瞳を閉じて瞑想にふける。

 食事も睡眠も不要な妖怪であるとはいえ、彼女がこの場所にこもってからすでに幾日もの日数が経過している。

 それでも、毘沙門天の体現者は一切の身動きを取る事なくこうして自問自答を続けていた。

 まるで、高名な剣術家が勝負へ挑む前に精神を統一させているかのような、鋭く強い刺さるような気迫が室内を満たす。

 異変の際に蒸発し、今は義眼となっている右目から涙のように血の雫が溢れ、ゆっくりと頬を伝う。

 

 嘆いているのか、悔やんでいるのか。

 (あやかし)としての自分。仏としての自分。

 聖の願い。自分の願い。

 弘誓(ぐぜい)とは何か。

 救いとは何か。

 悟りとは何か。

 

「……」

 

 何時までも、何時までも――彼女は一人、明かりの消えた暗い部屋の中で己と向き合い続けている。

 そして、永遠に続くかとも思えた沈黙の時間にも、終わりの時が訪れる。

 落ちた血涙が手の平を濡らし、そこでようやく星の両目が開かれた。

 長い長い自問自答の果てに、毘沙門天の代理が立ち上がる。

 そのまま本殿の入り口に向かおうとした星を待っていたのは、彼女の従者でありお目付け役であるナズーリンだ。

 

「ようやく、か。こんな大事な時期に瞑想(ふて寝)をした成果は、あったんだろうね?」

「どうでしょう。ともあれ、ご心配をお掛けしました」

「良いさ。ご主人を補佐するのは、私に課せられた使命だからね」

「いけませんね。昔から、貴女には甘えてばかりだ。これでは、毘沙門天の代理失格です」

 

 穏やかに口の端を持ち上げ、虎の主人がネズミの従者の頭を撫でる。

 そして、顔の輪郭に沿うように手の平を滑らせて相手の頬へと手を添えながら、星はナズーリンとしばし無言で見つめ合う。

 

「きーす! きーす! ひゅーひゅー!」

「え、えぇ!? 星さんとナズーリンさんって、そ、そういう!? あ、えっと――ひゅ、ひゅーひゅー」

 

 誰かにとっての至福の時間が、長続きする事はなかった。

 本殿の外部を一周する廊下の角から、ぬえと響子がひょっこりと顔を出して騒ぎ出す。

 折角の良い雰囲気が台無しだ。

 とはいえ、これほど早く姿を見せた事からぬえたちもナズーリンと気持ちは同じだったのだろう。

 待ってくれている仲間が居る。それは、星にとって何よりの幸福であり喜びだった。

 逃げた――というより、皆を呼びに行ったのだろうぬえたちをほほえましく見送る星。

 

「彼女たちにも、私などの為に随分と心労を重ねさせてしまったようですね、ナズーリン――ナズーリン?」

「……なんでもない」

 

 その眼下では、小さな賢将が明らかに不機嫌な声でなんでもない(気にするな)とそっぽを向いていた。

 

「?」

 

 毘沙門天の加護を受けるほどに徳を重ねた高僧であっても、その心象を察する事は出来ない。

 従者心とは、中々に複雑怪奇な代物なのだ。

 

「それで、これからどうするつもりだい?」

「そうですね――まずは、アリスさんに会いに行こうと思います」

「……っ」

 

 星が口にした因縁の名に、ナズーリンの表情が強張る。

 

「そうしなければ、私はきっと歩き出せない。そう、確信しています」

「――そうか。ならば、私は何も言うまい」

 

 本当は口にしたい全ての言葉を喉の奥へと押し戻し、毘沙門天の従者は覚悟を持って主を見送る事を決める。

 ナズーリンの両頬に手を添え、膝を折って視線を合わせた星が互いの額を重ね合う。

 

「本当にありがとうございます、ナズーリン。貴女は、私にとって宝塔に勝る最も尊い至宝です」

「私にとっても、貴女は掛け替えのない光だよ」

 

 従者を想う主人と、そんな主人を想う従者。

 幾千年が流れたとしても、決して揺るがぬ愛の形がそこにはあった。

 たった一歩。されど一歩。

 遠い昔にその歩みを止めてしまった仏の化身が、今一度の一歩を踏み出そうとしている。

 死を望むほどの絶望にあった少女を掬い上げた、人形遣いの魔法使い。

 幻想郷という異端の土地の中にあって、更に異常なる特異点。

 寅丸星という妖怪が生きる道にて、決して避けられない一枚の壁にして幻影。

 それは、魔法の森に住む魔女の家に毘沙門天が来訪する前日の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 はーい、今週の「文文。新聞」はー。

 リグル、殺虫剤に敗れる。

 妖夢、人里で窃盗犯を峰打ち御免。

 幽香、花屋の娘から百合告白。

 の三本でーす。

 

 相変わらず、話題に事欠かない幻想郷である。

 非想天則の騒動も一段落し、自宅で優雅に紅茶を飲みながら新聞を読むセレブな私。

 人と妖怪が入り乱れた混沌の坩堝(るつぼ)は、今日も元気に回っているらしい。

 

 そろそろ、一部の素材が心許なくなって来たし、今日は此岸方面にお散歩かな。

 

 此岸は、あの世である彼岸や是非曲直庁に最も近い対岸の現世だ。

 当然、亡霊や死神などが跋扈する割と危険な場所なのだが、その危険度に見合うだけの霊魂や精神世界面(アストラル・サイド)に関する素材が多数入手出来る。

 紅魔館の近くにある、霧の湖。

 白玉楼のある、冥界。

 永遠亭のある、迷いの竹林。

 守矢神社と山の組織がある、妖怪の山。

 土地が変われば、当然手に入る素材も変わる。

 私が日々あちこちに出回っているのは、そうした自宅にこもっていては入手出来ない固有の素材を集める目的も、多分に含まれていたりする。

 

 まるで、モンスターなハンターかカルデアのマスターにでもなった気分だーね。

 逆鱗、心臓、銀天、物欲センサー……う゛、頭が……っ。

 

 そんな風に、若干トラウマを刺激されながら今日の予定を決めていたところで、玄関からドアベルの音が響く。

 わざわざ、毒胞子溢れる魔法の森の中まで訪ねて来るとは珍しい。

 本日、誰かが来訪する予定はないはずだ。やって来そうな少女たちの顔を思い浮かべ、誰が来たのかと新聞をたたんで机に置き玄関へと向かう。

 扉を開けた先に待っていたのは、私の予想から外れた毘沙門天の代理様だった。

 

「いらっしゃい。久し振りね」

「突然の来訪、失礼いたします」

 

 礼儀正しく目礼をする星。

 聖輦船の異変から、今までずっと命蓮寺の本殿にこもっていたと聞いて心配していたので、一安心だ。

 

「その節はご迷惑をお掛けし、大変申し訳ありませんでした」

「歓迎するわ。中へどうぞ」

 

 深く腰を折って謝罪する星を招き入れると共に、上海や蓬莱を含む複数の人形たちを操作して来客への準備を開始する。

 紅茶と共に、マカロンやマシュマロなどのお茶請けが次々と机に並んでいく。

 

「素晴らしい。まるで、おとぎ話の世界に迷い込んだようだ。素敵なご自宅ですね」

「ありがとう。残念ながら、人里の人間からは不気味がられているわ」

 

 何時かの昔、私は妖精の悪戯で迷子になっていた二十代くらいの男性を自宅に招いた事がある。

 夜も遅かった為一泊させてから人里に届けたが、その青年は終始落ち着かない様子で、私の人形や工房に続く廊下に吊るした顔や手足等の部品に怯えていた。

 後ほど、阿求の求聞史紀でもしっかりネタにされてて、ちょっと泣いた。泣けないけど。

 

 べ、別に寂しくなんてないんだからね!

 

 まぁ、人外に対しての妥当な反応ではある。

 どれだけ私が人里の人間に友好的なのだとしても、怖いものは怖いし、不気味なものは不気味なのだろう。

 

「それは……もったいない事です」

 

 人形たちが織りなす演出を絶賛してくれる星だったが、私の自嘲に眉を下げて同情を示す。

 

「気にしないで、ただの愚痴よ。さぁ、冷めない内に楽しんでちょうだい」

 

 上海に椅子を引かせ、星を促すした私は対面へと座り、相手からの言葉を待つ。

 星蓮船異変で、私と彼女は敵対した。

 かつて殺し合った者同士が、それほど時間を置かずにこうして再び対峙している。

 

「これでも、お互い思うところがあるだろうと色々考えて来たのですがね……貴女はなんというか、ずるいですね」

 

 そんな物騒な過去など放り捨て、紅茶にお菓子と準備万端でもてなそうと構えた私へ、星は困ったような表情で苦笑する。

 

 あぁ、尊い。

 普段真面目で、キリッとした表情が似合う美少女の顔が、ふにゃっと崩れて安心しきった様子で笑うとか。

 あざとい、流石ペコ虎ちゃんあざとい。結婚しよ。

 

 その後、私たちは何気ない会話をした。

 食べ物の好き嫌い、幻想郷に来てからの出来事や外の世界での日常、過去の話、今の話。

 私と星は出会って間もないはずなのに、まるで古くから付き合いのある親しい友人のように和やかな雰囲気でお喋りが続く。

 紅茶とお菓子を楽しみながら、私と星は親睦を深めていく。

 本当に何気ない、穏やかで、ゆるやかな、優しい時間。

 だからだろうか。

 

「アリスさん。私は――」

 

 薄く笑う彼女の言葉を――

 

「私は、世界が憎いのです」

 

 私は、ありのままで受け入れる事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 あぁ、尊い。

 

 それが、私がアリスさんとの会話の中で相手へと抱いた想いだ。

 

「私は、世界が憎い。聖を救わなかった、私たちを救わなかったこの世界が憎いのです」

 

 こぼした言葉に、偽りはない。

 憎い。

 憎いのだ。

 世を呪い、人を呪い、己の無力を呪う。

 不条理に嘆き、理不尽に怒り、無理解を恨む。

 こんな私が、仏の身代わりなどおこがましいにもほどがある。

 

()()()()()、私は世界を救いたい」

 

 だからこそ、だ。だからこそ、私にしか出来ない事があるのだと、今なら言える。

 私に足りなかったのは、覚悟だ。

 捨てる覚悟ではない。あらゆる全てを背負い続けるという無限地獄を受け止める、救世への覚悟。

 世に不条理があるのなら、私が正そう。

 世に理不尽があるのなら、私が諭そう。

 世に無理解があるのなら、私が語ろう。

 例え、その道半ばに聖を含む同胞たちの屍を乗り越える事になったとしても。

 私は、現世へ楽土を築いてみせる。

 

「元気が良いわね。何か良い事でもあったのかしら」

 

 太陽を直視しているように、アリスさんの目が細まる。

 ほんの少しだけ口角が上がっているのは、彼女なりの精一杯の笑みなのだと解る。

 

「貴女のお陰です、アリスさん。貴女のお陰で、私にもようやく覚悟が決まりました」

「人は、一人で勝手に助かるだけよ」

 

 私の感謝に、アリスさんは紅茶に口を付け何気ない様子で語る。

 深い含蓄が含まれた、しかし、経験の乗せられていない言の葉。

 

「えぇ、そうですね」

 

 彼女はその言葉を知っていて、その言葉を使うべき場面を知っていて――そしてきっと、その場面の当事者ではなかったのだ。

 

「まったく、その通りだ」

 

 聖から、彼女の生い立ちは聞いている。

 「虎」を知らぬ無知な民の想像から編み上げられた私と、滅びを前にした魔界神の手によって創造された歪な幻想。

 アリスさんは、何時、何処でその言葉を知り、感銘を受け、そして使用しているのか。

 それはきっと、彼女にとっての支えなのだろう。

 決してまっとうとは言えぬ形で生を受けた、およそ正常ではない命と精神。

 そんな、己自身すら信じられない不安定な足場に立つ中で、彼女を彼女たらしめているもの。

 或いは、それこそが未だ続いていると思われる魔界神の思惑を崩す、最大の一手となるかもしれない。

 

「アリスさん、貴女は危険です」

「えぇ」

「貴女が存在している限り、幻想郷へと必ず厄が訪れるでしょう。これは、予想や推測ではなくほぼ限りない事実です」

「承知しているわ。その為の準備も、私なりに進めているつもりよ」

 

 アリスさんの言葉に、偽りがあるとは思わない。

 事実、彼女は己の異常性を理解した上で引き起こる不幸へ向けた予防策を、可能な限り用意するつもりなのだろう。

 

「であれば、あえて言わせていただきます」

 

 彼女の覚悟に敬意を表し、私もまた覚悟を決める。

 未来の危険を承知の上で、アリス・マーガトロイドという魔法使いを生かすという選択肢を選ぶ覚悟を。

 

「私は、貴女が嫌いです」

 

 人の形をした異端者の、瑠璃玉の如く澄んだ瞳が私を写す。

 ()()()()()()()。大嫌いだ。

 その事実から、目を逸らすつもりはない。

 これは、私の抱える闇の部分。

 恐らく、高潔である聖でさえ持ち得る、心ある生き物として絶対に避けられない淀み。

 

「これからも、私は貴女を嫌い続けます」

「本人を前に、言う事ではないわね」

 

 私の意図を察しているのだろう。

 やや呆れた様子で溜息を漏らすアリスさんは、それ以上何も付け加える事はなかった。

 

「貴女とはこれから、長い付き合いになるでしょうから」

 

 世界とは、全てが繋がっているのだ。

 故に、世界を救うには全てを救うしかない。

 私は私が嫌いだ。世界が嫌いだ。

 そんな私が、私の意思で、私を含めたその全てを救うのだ。

 

「私は、貴女を愛し(嫌い)ます。貴女の前で、どうしてもこの言葉を告げておきたかった」

 

 妖怪として生まれ、仏として生きた一匹の獣が見つけた、稀有な同類。

 一番近い立場のナズーリンにすら見せられない、私の最も醜い部分を晒す事が出来る初めての友人。

 

「今日、貴女と話せて良かった」

 

 私は貴女を嫌いましょう。

 それと同じだけ、私は貴女を愛しましょう。

 

 これはきっと、同族嫌悪だ。だからこそ、嫌悪する分だけ私はこの女性を愛せると確信する。

 その献身を、その無謀を、その生き様を。私は嫌い、そして愛する。

 愛憎表裏とは、良く言ったものだ。

 全てを愛そう。全てを憎もう。

 世を呪い、人を呪い。

 世を救い、人を救う。

 これこそが、私の見つけた終着点。

 

 あぁ。今日も世界は、こんなにも醜い(美しい)

 

 その矛盾の果てに、例えこの身が狂い尽くす事となろうとも悔いはない。

 憐憫の獣として、私は世界を憎み(愛し)続けると決めたのだから。

 

 

 

 

 

 

 寅ちゃんから嫌い嫌いと言われ続け、ドMにでも目覚めそう。

 我々の業界ではご褒美です! ありがとうございます!

 

 お馬鹿な感想はさておき、色々と吹っ切れたらしい星の表情はとても晴れやかだった。

 聖を助ける前の、悲壮な覚悟を秘めていた頃と比べると随分態度も柔らかくなったと思う。

 

 なんか、別の意味で覚悟完了してるっぽいけど……

 うん、きっと気のせいだよね! 多分!

 

 やはり、家族にも等しい大好きな人を救えた事が一番の要因だろう。

 私が嫌いと言っているが、その笑顔から察するにただのポーズ的なものだと思われる。

 さて、私としてはこのまま和やかにお茶会を続けても全然良いのだが、折角だ。

 今日の予定は空いているという星を誘い、考えていた此岸へのピクニックを実行する。

 護衛が欲しかったというのも本音だが、行った事がないという星へのガイドも兼ねたお出掛けだ。

 仏教とあの世は切っても切れない関係にあるので、早めに場所や雰囲気を知っておいた方が良いだろう。

 

「賑やかですね」

「ここは、何時もこんな調子よ」

 

 中有の道。

 幻想郷の三途の川へと向かう際、霊たちは必ずこの道を通らければならない。

 骸骨や幽霊や鬼といった、あの世に縁のある者たちが開く様々な屋台が立ち並ぶ、幅の大きな一本道。

 屋台の中身も、「死霊金魚掬い」「遺書掴み取り」「人魂ボンボン」といった、現世のそれとは大きく趣の異なるものばかりだ。

 私や星のような生きた者の往来も可能であり、人里からは少々遠いが小旅行気分で人間が来ている事もある。

 この、裁きを待つ死者たちの憩い場がお祭り会場になった原因は、是非曲直庁にある。

 三途の川の渡り賃だけでは賄えなくなった財政を立て直す為、苦肉の策として始めた屋台が規模を広げた結果、こうして毎日が縁日のような不思議な一角が出来上がったという訳だ。

 今では、地獄での刑期を終えた死者を屋台の店主に据え、輪廻転生(社会復帰)が可能かを確認する為の試験会場としても利用されているらしい。

 もっとも、地獄行きになるような者が簡単に改心するはずもなく、売上金の着服などで新たな罪を重ね再び地獄へ戻される事も多いのだそうだ。

 もちろん、この死者と生者の不思議な交差点に訪れたのは、遊びに来ただけではない。

 屋台で売られている霊的な素材を幾つかと、命蓮寺へのお土産として大量のお菓子を買い込んだ後、更に奥へ奥へと足を進める私と星。

 

「私たちは、何処に向かっているのですか?」

「すぐに解るわ」

 

 自分で語るのは悲しいが、私に相談役としての能力はない。

 私に出来る事と言えば、星の愚痴や苦労話へ相槌を打つ事ぐらいだ。

 星が苦悩の末に出した結論に、肯定も否定もしてあげられない。

 とはいえ、私に能力がないのであればその役を担える知り合いを頼れば良いだけだ。

 幻想郷において、相談役としてこれ以上ないほど頼れる役者と言えば、彼女を置いて他には居るまい。

 

「――私も、それほど暇ではないのですがね」

 

 かくして、三途の川のほとりにて待ち構えていたのは、幻想郷の閻魔にしてこの箱庭の調停者。四季映姫・ヤマザナドゥ。

 今回の彼女は、幼女姿の小閻魔モードだ。

 事前の連絡を一切していないにも関わらず、映姫は当たり前のようにその場に立ち私と星を睨んでいる。

 正直、アポを取る手間が省けて大変助かったが、その不機嫌さから安易に頼り過ぎたかと少し反省する。

 

「忙しいのなら、日を改めてでも良かったのに」

「貴女の判断は正しい。そうでなければ、私も業務の時間を割いてまでここには居ません」

「ありがとう」

 

 曖昧さを嫌う映姫の判断は、白か黒以外の結論を受け付けない。

 必要がなければ永遠に出会えないし、必要があるのならどんなに逃げようと必ず目の前へ現れる。

 

「初めまして。私は、この幻想郷を管轄とする閻魔。四季映姫・ヤマザナドゥです」

「初めまして。私は、命蓮寺に籍を置きます、寅丸星と申します。至らぬ点は多々あると思いますが、以後よしなにお願いします」

 

 二人共、真面目が服を着て歩いて居るような堅物なのは知っているが、挨拶まで硬いのはご愛敬だろうか。

 目礼で済ませる映姫に対し、姿勢を正し深くお辞儀をする星。

 

「聖白蓮との面通しはすでに終わっていますが、貴女とは初めてですね」

「はい」

「……なるほど、迷いは晴れたようですね。重畳。しかし、その結論は悟りとは程遠い」

「はい」

「理解してなおその道を進むのであれば、貴女はいずれ必ず後悔する事になります」

「覚悟の上です」

「覚悟の一つで救えるほど、世界は安くも軽くもありません。貴女は少し――傲慢が過ぎる」

「それもまた、我らが悲願には必要な業であると考えます」

 

 会話が進むごとに、映姫の眉間に皺が寄っていく。

 最初の不機嫌は、どうやらこの展開を予測していたかららしい。

 

「黒です。貴女はやはり、仏にはなり得ない」

「えぇ、えぇ。私はこの地にて、ようやくそれで良いのだと思えるようになりました」

「黒です。そこに正座なさい。貴女が如何に罪深いか、とくと語って聞かせましょう」

「はい。よろしくお願いします」

 

 機嫌が急降下していく閻魔と反比例するように、毘沙門天の代理は何処かうきうきとした様子で砂利の地面へと正座し説教を待つ。

 映姫の雰囲気からして六時間コースを超えそうな勢いだが、対面させた手前私だけ逃げるのも不義理だろう。

 

「貴女もですよ、アリス・マーガトロイド」

「え?」

 

 そんな風に覚悟を決めた私へと、映姫が手に持つ悔悟の棒が突き付けられる。

 

「何を無関係そうな顔をしているのです。貴女も早く正座しなさい。アリス・マーガトロイド」

 

 え? あの、え?

 あ、目がマジだ。

 これ、あかんやつや。

 

「仏の化身を誑かした罪、貴女もとくと反省なさい」

「さぁ、アリスさん。ご一緒に」

 

 いや、「ご一緒に」じゃないよ!

 星ちゃん、なんでそんなに笑顔なの!?

 ドM!? どMなの!?

 閻魔の説教を喜ぶレベルのドMとか、不良天人だけで十分なんですけどぉ!?

 

 是非遠慮したいが、先にも言った通り必要があればどんな手段を使おうと絶対に逃げられないのが閻魔の説教だ。

 星と共に捕捉された時点で、逃れる(すべ)はない。

 ここに至っては是非もなし。

 この後、命蓮寺でお茶会の再開でもと密かに画策していたが、策士策に溺れるとはこの事か。

 

「では、お説教の時間です」

 

 大人しく正座した生贄二人の前に立ち、悔悟の棒を胸の前へと置く説教魔。

 結局、三途の川で仕事をする小町や他の渡し死神たちの視線に晒されながら、私と星はありがたくも長ったらしいお叱りや薫陶を延々と受け続けるはめになった。

 深夜まで続いたその苦行に救いがあるとすれば、終わった後の星の顔は私の家に訪れた時よりも余程晴れやかだった事だろうか。

 閻魔とは、如何なる事態においても最終兵器。

 その恐ろしさを見せ付けられた、自業自得な一日だった。

 

 

 

 

 

 

 命蓮寺の本殿にて、私は再び瞑想にふける。

 今日一日の出来事を反芻しながら、アリスさんとの会話や映姫様からの忠言を思い出す。

 自然と、口元に笑みが浮かぶ。

 今日は良き日だった。

 明日もきっと、良き日になる。

 未来など誰にも解るはずがないのに、確信を持ってそう思える。

 春を愛で、夏を感じ、秋を和み、冬を憩う。

 何も、特別なものは必要ない。それだけで、色褪せていた毎日はこんなにも光り輝いて見える。

 大切な人を想い、暗たんたる絶望に身を浸した日々。

 大切な人と共に、届かぬ理想に立ち向かい続けた日々。

 どちらも正しく、私が私として過ごした大切な思い出だ。

 

 明日は何をしよう。

 明日は何を食べよう。

 明日は――明日は、一体どう生きよう。

 

 生きて、生きて、生きて。

 世界は醜く、こんなにも美しい。

 妖怪として、毘沙門天の代理として。

 私は私の幸福を探しながら、この世界で生きる事を許し続ける。

 他でもない、私自身を許し続ける。

 その果てに、誰もが安寧を過ごせる至高の楽土を夢見ながら。

 私は、今日もこの幻想郷(世界)で生きる喜びを噛み締める。

 




ナ「信じて送り出したご主人が、私も滅多に見た事ないくらいの幸せオーラ全開で帰って来るなんて……(ぎりぃっ)」

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