東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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あけまして、おめでとうございます(大遅刻)


102・人形が消えた日(承)

 アリス・マーガトロイドの失踪。

 その一報は、天狗の新聞によって瞬く間に幻想郷の全土へと知れ渡った。

 以前の一件とは異なり、人里や妖怪の山の小細工ではない。

 誰が、何故、どうやって彼女を攫ったのか。目的も理由も、何もかもが判明していない。

 だが、現実として人形遣いは消えた。

 依頼者であった阿求の屋敷には、慧音に加え情報収集役として文、はたて、椛という三天狗がそろいぶみしていた。

 

「ふーむ。いっそ、人里での犯罪増加はアリスさんを誘い出す為の罠だった、と考えるのが自然では?」

 

 誰よりも幻想郷に詳しいと自負する文が、各種の資料に目を通し自分の持つ情報との擦り合わせを行いながら、一つの推測を口にした。

 

「そうですね。状況から見て、優先度は解りませんが目的の一つに人里の防衛戦力の誘拐、ないし排除が含まれていたのでしょう」

「なんて事だ。私が、安易に頼ってしまったばかりに……」

「例え慧音さんが依頼せずとも、アリスさんが人里の危機である今回の一件に介入した可能性は高かったはずです。余り、過去の決断を責めるものではありませんよ」

 

 顔を青ざめさせ、両手で自身の顔をおおう慧音を阿求が肩に手を添えて慰める。

 

「私の千里眼もはたて様の念写も、アリスさんの姿を捕捉出来ません。恐らく、なんらかの妨害措置が取られているものと思われます」

「ふんぎぎぎぎぎぎっ!」

 

 比較的冷静に語る椛の隣では、握り潰さんばかりの力で携帯型の写真機を掴んだはたてが、血走った目でなんとかアリスの写真を捻り出そうと奮闘している。

 アリス・マーガトロイドという少女は、決して幻想郷に不可欠な存在という訳ではない。

 だが、彼女が居なくなれば多くの涙が流れる事になるだろう。

 そんな、皆にとって大切な友人であるアリスの失踪を、座して待つなどあり得ない。

 誰に言われるでもなく、すでに大勢の者たちがアリスを見つけようと幻想郷中を飛び回っている。

 

「逆に考えて、死体になっているでのあれば面倒な妨害などせずその辺に放置するでしょうし――あぁ、いえ。相手方には、死体を操っていた仙人が居たのでしたね」

「ふぬぬぬぬぬぬぅっ!」

「文さん。余り、慧音さんが落ち込むような推測は言わないであげて下さい」

「うごごごごごごっ!」

「おやおや。阿求さんも普段は、平気で毒を吐いているではありませんか」

「ほあぁぁぁぁぁぁっ!」

「からかう趣味はあっても、死体を蹴る趣味はありませんよ」

「ふんぬばらあぁぁぁぁぁぁっ!」

「……はたて、うるさいからいい加減諦め――」

「撮ったどおぉぉぉぉぉぉっ!」

「うそぉ!?」

 

 無意味と思われた少女の努力が、報われた瞬間である。

 写真機を掲げて渾身のガッツポーズを取るはたてに、驚愕の視線を向ける文。

 黒幕が張り巡らせたであろう強固な防壁を、気合(ガッツ)だけで貫いた健気な少女。その顔には、会心の笑みが張り付いている。

 

「ぜぇっ、ぜぇっ……天才美少女はたてちゃんに掛かれば……ぜぇっ、ぜぇっ……ざっと、こんなもんよ……っ」

「やれやれ、出来るのであれば勿体ぶらずにさっさとやって下さいよ。とはいえ、妖怪らしいというか、人間らしいというか」

「はたて様らしい、というのが適切な表現かと」

「本当に、お手柄ですよ。はたてさん」

 

 その偉業に呆れる文と感心する椛の前で、阿求は惜しみのない称賛を送る。

 

「それで、あのあんぽんたんは今どうなっているのです?」

「ふっふーんっ。皆、ちゃんと私に感謝しながら見なさいよ。ほらっ――え?」

 

 文に促され、ふんぞり返りながら写真機を机に置いた撮影者のはたてさえ、その画像を見て言葉を失う。

 季節感を無視した様々な花が咲く園の中で、白木の椅子に腰掛ける金髪の少女。

 椅子と同じ真っ白でゆったりとした東洋風のドレスを着込み、少なくとも見る限り拘束や拷問などを受けた印象はない。

 問題は、アリスと一緒に映っているもう一人の誰かだ。

 

「これは……」

 

 それは、一体誰が漏らした声だったか。

 竹林の月姫とは別の方向で、完成された美を体現する中性的な導師。

 妖怪でさえ見惚れてしまう、端整な顔立ちをした性別不明の誰かは、まるで忠誠を誓うようにかしずき人形遣いの右手へと口づけをしている。

 アリスの方は表情は相変わらずの鉄面皮だが、絵面が絵面だけに心なしか相手への愛情のようなものすら感じられる。

 実際、アリスの原作キャラクターに対する愛は無限大なので、あながち間違いではない。

 強引な念写によって大半の精神力を失っていたはたてにとって、この一撃は強力過ぎた。

 

「ア、アリスが、お、男を侍らせ――ぽ、ぽぴいぃぃぃっ!?」

 

 男の影すらなかったアリスが、まさかの女王様プレイである。しかも、双方の整った顔立ちにより素晴らしく写真映えしているところも、ポイントが高い。

 余りに強烈な光景を目撃してしまい、はたては甲高い悲鳴を上げながら気絶してしまった。

 

「あやややや。これ、広めたら絶対面白いやつですよね」

「駄目ですよ、文さん――しかし、あの人はこちらが心配してる間に、一体何をやらかしているのでしょうか」

 

 冷や汗を流しながらも、記者としての本能をうずかせる文。

 そんな困った友人をたしなめつつ、半眼で写真を睨む阿求。

 普通に考えて、攫われた直後にこのような関係になっているのは明らかにおかしい。

 だが、ここはその「おかしさ」が幾らでも溢れている幻想郷だ。

 疑うべきは、己の常識でなければならない。

 しかし、推測は所詮推測でしかなく、真実には程遠い。

 それでも、こんな写真を見せられれば、あれやこれやと不埒な妄想をせずにはいられない。

 つまり、この一枚が今回の騒動を加速させる特大の燃料になる事は間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 地下空間をそのまま仙界へと繋げた、神霊廟の一角。

 地下でありながら当たり前のように太陽が昇り、私の居るテラスの前には透明度の高い泉に色取り取りの花々が咲き乱れている。

 

「うむ、うむ。筋は良いな」

「ありがとう」

「仙術は、陰と陽の気の使い分けが重要となる。陽とは即ち生命そのもの。ゆめゆめ、不老にかまけて生への執着を忘れてはならんぞ」

「えぇ、肝に銘じておくわ」

 

 椅子に座りながら、監視役兼お世話役として宛がわれたのだろうカムチャッカお寺放火魔、物部布都の授業を受ける。

 真面目な気質からか、彼女の講義は一歩一歩基礎から進めていく、初心者にも優しい堅実なものだ。

 

「しかし、やはり解せんな。お主はすでに陰の術者――魔法使いであろうに。今更付け焼き刃で仙術を学んでも、得られるものは少なかろう」

「そうでもないわ。知識とは泉の源泉。枝葉を伸ばし深淵へ至るのに、何一つ無駄なものなどないの」

「左様か」

 

 理解したのか、どうでも良いのか。

 布都はそこで会話を切り、神霊廟の方角へ向けて頭を下げた。

 

「やぁ、こちらでの生活に不便はないかな?」

 

 うぉ、まぶしっ。

 

 続いて現れたのは、イケメンオーラがカンストしている超絶美人聖徳導師、豊聡耳神子。

 別に光ってなどいないはずなのに、イケメン過ぎる美貌がキラキラと謎の発光を行っている錯覚さえ覚えてしまう。

 

「大丈夫よ。ありがとう」

「君は、私にとって大切な客人だ。何かあれば、布都や私に遠慮なく言ってくれたまえ」

 

 やめて! イケメンな仕草で、私の右手を優しく握って微笑まないで!

 しゅ、しゅきぃぃぃっ。

 

 一つ一つの所作が洗練されており、まるで貴族の社交界から飛び出して来た王子様だ。

 体質上、私は魅了や洗脳等が効きにくいはずなのに、言動だけでころっと騙されてしまいそうになる。

 まぁ、誰にも告げずに神霊廟(こんな所)へほいほい付いて来ている時点で、普通に手遅れなのだが。

 私が太子の誘いに乗った理由は、次に起こる異変にある。

 前回の異変では、首謀者の協力者という立ち位置を取ったにも関わらず、その首謀者である星と殺し合うという本末転倒な結果になってしまった。

 その反省を活かし、今回は更に争いに巻き込まれない位置に居ようと決めたのだ。

 すなわち、「捕らわれのお姫様ポジション」――つまりは人質である。

 救い出されるまでは自宅に帰れず暇なので、こうして新天地にて新たな技術をお勉強している訳だ。

 まず、攻略組である霊夢たちは、人質を殺しに来るほどとち狂っていないと信頼出来る。

 次に、神子は私に「願いを叶える」と約束してくれた。

 他者の欲を聞ける聖徳導師が、私の安全を守ると契約を持ち掛けてくれたのだ。

 青娥辺りが不安要素ではあるが、このビックウェーブに乗らない訳にはいかない。

 こうして長年の切実なる願いを叶える為、私は神子と手を組みこうして大人しく誘拐された次第である。

 神子側の目的がいまいち解らないが、幻想郷に危険が及ばない限りは力を貸したいと思っている。

 

「とりあえず、前にも言った通り私たちが大々的に動くにはもう少しだけ時間が掛かりそうだ」

「えぇ、それまではこの娘と一緒に待たせて貰うわ」

「ありがとう。君の協力が必要になるまで、この仙界でゆっくり養生すると良い」

 

 うひょっ。

 手の甲にキスとか、なんなのもう。結婚しよ。

 気障過ぎるのに、イケメンだと全てが許される法則。あると思います。

 

 気分的には、高級ホストにかしずかれる女性客だろうか。後でドンペリタワー級の無茶振りが来そうで、嬉しさよりも恐怖が勝る。

 というか、復活してからそんなに日は経っていないだろうに、西洋風の仕草など何処で覚えたのだろうか。

 しかも、それすら様になっているのだから始末に負えない。

 

「布都には、引き続きアリスの世話役を頼みたい。くれぐれも、粗相のないようにね」

「委細承知しております。お任せ下され、太子様」

 

 神子へ向け、膝を折り床に付きそうなほど深々と(こうべ)を垂れる布都。

 狂信に近い神子への忠誠心が、そのまま態度に現れている光景だ。

 恐らく、布都はどれだけ仲良くなった相手であろうと、神子から命令されれば疑問すら持たず排除出来るだろう。

 自分の思考よりも仕えるべき主の意思を優先し、絶対の指標とする。

 これもまた、従者としてあるべき姿の一つなのだろうか。

 咲夜や妖夢辺りと従者談義をさせると、致命的に相性が悪そうではある。

 

「また来るよ。それではね」

「えぇ、また」

 

 柔らかく微笑み、立ち去って行く神霊廟の王。

 争いは止められない。

 元より、生きる為に刺激を求めるからこそ異変は起こるのだ。

 幻想郷と神霊廟との全面戦争は、起こるべくして起こる祭事となる。

 心配してくれているだろう皆へ申し訳なく思いながら、今度こそはと切に願ってしまう。

 死を恐れる私の逃避行は、この大嵐の中で如何なる賽の目となるのか。

 せめて、異変が無事に終わりますようにと、私は視線を落とし祈りを捧げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 神霊廟内に設置された、青娥の工房。

 悪事を働く以上、襲い襲われるのは日常茶飯事だ。

 何時失っても問題がないように、破壊された洞窟内の施設を含め、こうして複数の工房を用意しておくのは当然と言えた。

 そんな凶悪犯の秘密基地にて、かちゃかちゃと金属の擦れ合う音が断続的に響く。

 青娥が今行っているのは、芳香の修復作業だ。

 芳香は死人だ。当然、傷が勝手に癒える事はない。

 その為、キョンシーの修復は別の人間の死体を使用する事となる。

 太さ、大きさ、骨格さえも千差万別な()()たちを削り、整え、繋ぎ合わせるその緻密な作業は、ある種の芸術と言えるかもしれない。

 もっとも、それは常人には到底理解不能な死体愛好家(ネクロフィリア)としての芸術だが。

 切断された首を極細の糸で繋ぎ、吹き飛ばされた両足の代わりに、幻想郷で()()した別の足を縫い付けていく。

 

「――っ」

 

 針と糸によって新たな両足が繋がれようとした直前、顔をしかめた青娥がその身を強張らせる。

 

「どうしたー、せいがー」

「なんでもないわ。大丈夫よ」

 

 平静を装っている邪仙だが、その内面は酷い有り様だ。

 生粋の軍人である玉兎と邪悪なる仙人との対戦は、文字通り双方の痛み分けの結末となった。

 弾幕による銃創、ナイフによる裂傷、狂気の波の余波による強烈な頭痛。

 しまいには、肉体の内部で炸裂するという殺意の極まった銃撃すら食らい、青娥は半死半生で神霊廟へと逃げ延びた。

 今の彼女を観察すれば、右腕と左腕の太さの違いに簡単に気付く事が出来るだろう。

 どれだけの幸運に恵まれようと、死線を巡る事に快感を見出す破綻者が五体満足で生き永らえられるはずもない。

 つまり、青娥にとっては己の肉体すらも()()の集合体でしかないのだ。

 死と生の狭間で得られる極上の快楽を求め、死を願い、生を勝ち取り、足掻き続ける悪の華。

 そして、スリルを求めて欠落していく肉体を埋める為、殺した友という芸術を世に残し続ける為に、()()となる犠牲は生まれ続ける。

 霍青娥という邪仙は、この世に生きるべき存在ではない。だが、彼女を殺せるだけの者は未だに彼女の前に現れない。

 それは、この世界にとって限りない不幸だと言えるだろう。

 とはいえ、流石の青娥と言えど全体の三分の二近くを一度に交換した負担は相当に大きい。

 外見を取り繕っているだけで、今の彼女は本来立っているのもやっとな状態だ。

 それでも、傷が癒え入れ替えた肉体が馴染むのを待つ事なく、拙いつぎはぎのまま無理を通して芳香の修復を優先した。

 そこに、一体如何なる意思が内包されているのか。何も語らぬ邪仙の胸の内を、容易に知る事は出来ない。

 

「おい」

 

 今度こそ縫合の糸を結び、芳香の修復を終えて一息ついた青娥へと背後から声が掛かる。

 振り向けば、同じ戦場に立ちながらこちらはほぼ無傷の屠自古が工房の入り口で浮いていた。

 

「ごきげんよう、屠自古さん。如何いたしましたでしょうか」

「太子様が命じた、周辺一帯の調査。進捗はどうだ?」

「あぁ。それでしたら、あちらの戸棚の二番目に」

 

 青娥は、情報収集に現地の住人を利用した。

 人里に雑な手法で薬物と仙術による混乱を起こしたのも、実はその一環だ。

 人里の守護者たちが、犯罪者の増加と仙術を符号させてくれればしめたもの。

 麻薬に溺れた者、色香に溺れた者、金銭に溺れた者。

 人間は勿論、人里への往来を許可されている温和な妖怪等の人外の一部にも――本命の「協力者」たちは、誰一人外法に頼る事なく堕落させられていた。

 一度超常の力に目を向けてしまえば、それ以外の手口で仕込みを終えている事に気付くのは難しくなる。

 表沙汰となった犯罪者たちを隠れ蓑に、本当の「協力者」ははた目には以前となんら変わらずに、各地の情報を主人である青娥へと届けている。

 策とは、その一手にて一重にも二重にも意味を持たせられるものなのだ。

 

「勝手に持って行くぞ」

「えぇ、どうぞ」

 

 通り過ぎていく亡霊を気にせず、邪仙は死体娘の足首を軽く曲げ接合部分の調子を確かめ始める。

 

「お前にしちゃぁ、随分と派手にやられたみたいじゃないか。油断したか?」

 

 棚の中にあった資料を流し読みしながら、こちらも相手を見ずに疑問を口にする屠自古。

 二人の関係は、良くも悪くも仕事の同僚といった立ち位置でしかない。

 

「あらあら、貴女に心配していただけるとは。怪我をしたかいがありましたわね」

「言ってろ。腕が鈍ったんなら、殺す時に好都合ってだけの話だ」

 

 屠自古は青娥をまるで信用していないし、青娥は屠自古が隙を見せる瞬間を今か今かと待ち侘びている。

 踏み込み過ぎず、離れ過ぎず、決して慣れ合わない。

 

「油断したつもりも、腕を落とした覚えもございませんわ。あの兎さんの戦闘能力は、条件次第で今の太子様にも届き得るかと」

「へぇ。こっちが相手した剣士二人は腑抜けだったが、気合の入った奴も居るのか」

「下働きの者であれほどの力を持つ以上、その上役への実力行使は避けた方が無難ですわね」

「元より、武力での侵略は最終手段だ。つっても、優秀な人材なら太子様が仲間に引き込みたがるだろうけどな」

 

 敵対者への最も効果的な対応は、自陣へと引き込む事だ。

 屠自古も、布都も、元は神子の政敵だった。しかし、その理想に感化され彼女の元へと下った経緯がある。

 聖徳導師という存在の魅力と光に、抗える者は居ない。

 

「この地であれば、太子様の真なる願いが叶うかもしれませんわね」

「真なる願い? なんだそれ」

「ふふふっ。恐らくあの方ご自身も気付かれていない、心の裏に隠された本当の願望ですわ」

「それを、てめぇは知ってるって?」

 

 青娥の言葉を挑発と受け取った屠自古が、身体から僅かな紫電を漏らしながら死体いじりを続ける工房の主を睨む。

 

「屠自古さんも、本当は理解しているはずですわ。あの尊いお人が、今もまだどうしようもないほどに「人間」であるという事を」

 

 人々の欲を聞き届ける尊き人が、己の欲望を知らぬのだと邪仙は笑う。

 人を愛し、人に愛される。誰よりも正しくありながら、だからこそ歪んでしまった哀れな王。

 願いが叶うのが先か。

 野望が叶うのが先か。

 

「本当に、何時まで経っても可愛らしい。ふふっ、ふふふっ――」

 

 やがて、神子に訪れるであろう結末を予想しながら、悪辣なる傍観者は静かに笑みを深めた。

 

 

 

 

 

 

 そこは、確かな地獄だった。

 幻想郷どころか、宇宙を含めたこの世界全てにおける医療の最前線。永遠亭。

 死なない限り治して見せると豪語する薬師の元に、瀕死の急患が担ぎ込まれていた。

 患者の名は、この永遠亭に住まう者でもある、鈴仙・優曇華院・イナバ。

 

「が、きひっ、ひいぃぃぃっ」

「鎮痛剤、三番! 増血剤の七番も! 急いで!」

「はい、はいっと! 次は!?」

「そっちのフラスコに入った緑の薬を布に掛けて、左腕を拭いてちょうだい! ただし、直に触ったら貴女も腐るから慎重に!」

「がってん!」

 

 処置をする両手を止めず次々と指示を出す永琳と、その命令に対し即座に対応するてゐ。

 患者の全身が血塗れである程度ならば、まだ救いがあっただろう。

 だが、鈴仙の状態はそんなものすら生易しいと感じる、悲惨なものだった。

 右腕は半ばから腐り落ち、左腕も全体が黒に近い紫へと変色し腐食が始まっている。

 何より、一番むごたらしいのは彼女の頭部だろう。

 溶けているのだ。顔が。

 まるで、塩酸でも掛けられたかのように皮膚が焼け、肉は爛れ、長く美しかった髪はその大半が抜け落ち、一部では肉の隙間から骨が覗くほど顔面がどろどろに融解している。

 

「ひっ、かはっ、けうっ」

「喉も焼かれているわね――てゐ、強心剤の八番! それと、吸引機で喉奥のたんを吸い取ってから人工呼吸機を取り付けて!」

「あーもー! 兎使いが荒いったら!」

 

 殺す気で仕掛けたのだから、相手もまた殺す気で反撃して来るのは道理と言える。

 だからといって、果たしてこれほどむごい所業をただの反撃と認めても良いものか。

 比較的軽傷で済んだ妖夢は他のイナバたちから簡易な治療を受けた後、手術室の手前に設置された待合場で鈴仙の無事を祈り続けている。

 

「そんな、あぁ、鈴仙さん……」

 

 簡素な椅子に座り、両手で顔をおおい嗚咽を漏らす妖夢。

 自分の傷が少ないにも関わらず、鈴仙一人が重症となった。その事実が、彼女の自責の念を助長している。

 手術室に舞台を戻し、傷の深さから考えれば破格とも言える時間で施術を終えた永琳がマスクを外してようやくの一息を吐く。

 

「こんなところね。とりあえず、峠は越えたわ」

「いや。あの状態から普通に生かすとか、やっぱお師匠すっげぇわ」

「設備がもう少し整っていれば、もっと簡単に済んだわ」

「それも含めての称賛だよ」

 

 栄華を極める月の都と比べれば、地上の技術など文字通り月とすっぽんだろう。

 弘法筆を選ばずと言うが、劣悪な機器しか用意出来ない現状でここまで瀕死の患者を生還させた事に、てゐは感心するやら呆れるやらだ。

 

「う……ぁ……」

「治るまで、どんくらい掛かるの?」

 

 こちらもマスクを外し、包帯だらけのミイラと化した鈴仙の顔を覗き込むてゐ。

 

「肉体の方は、おおよそ十日から十五日。精神の方は、この娘次第だからなんとも……?」

 

 白衣を外して片付けを開始する永琳が、そこで言葉を切り動きを止める。

 辛うじて保っている意識を使い、震える左手で鈴仙が弱々しく彼女の服のすそを掴んでいた。

 

「どうしたの、うどんげ?」

「いや……いやです……捨て……ないで……」

 

 死の間際こそ、人はその本性をさらけ出す。

 重傷の身で何を言うのかと思えば、玉兎の口から漏れたのは紛れもない懇願だった。

 鈴仙は己の命が尽きるかどうかよりも、居場所を失う可能性の方を恐れているのだ。

 役立たずは捨てられる。

 価値がなければ殺される

 兵士として、月の奴隷として、自身の有用性を示せなくなった者の末路は決まっている。

 

「ぷふっ、だってさ。どうすんの、お師匠?」

「ねぇ、てゐ。私と姫様って、そんなに薄情に見えるの?」

「ひひひっ、さてねぇ。鏡でも見れば、解るかもしれないウサよ」

 

 ここは、月の都ではない。

 鈴仙は、もう奴隷ではない。

 永琳と輝夜は、鈴仙が役立たずになった程度で捨てる気などない。

 思いの他信用されていなかった事実に、凡人を理解出来ない月の天才が若干傷付いた様子で顔をしかめる。

 そんな薬師を横目で見て、からかい上手の悪戯兎は喉から老婆の様な笑い声を出す。

 包帯だらけの患者の眠るベッドへと乗り上げた永琳は、馬乗りになるように被さり手術台から拾い上げたメスを相手の首筋へひたりと添える。

 

「うどんげ、聞きなさい」

「……」

「私が診る以上、患者の運命は()()()()()()()よ。逃がしはしないわ」

「あ……あぁ……ありがとう……ございます……」

 

 両の瞳を合わせ、悲しみの涙を喜びのそれへと変えた玉兎の意識が落ちる。

 鈴仙は患者だ。心の奥底に癒せぬ傷を抱えた、戦場帰りの精神疾患者。

 少なくとも、その(やまい)が根治するまで月の薬師は少女を捨てる気などない。

 

「まったく、師弟揃って面倒臭い性格してるよねぇ。ま、見てる分には楽しから別に良いけど」

 

 ここに居て良い。ただそれだけを伝える為に、何故脅す必要があるというのか。

 見えぬ影に怯え続ける大きな兎と、天才故に他者の機微が理解出来ない神の頭脳。

 凸凹師弟の不器用なやり取りに、傍観者の小兎は意地悪く口元を歪めるだけだ。

 

「そう言えば、姫様見掛けなかったけど何処か行ったの?」

「姫様なら、妹紅を殺しに彼女の家に行っているわ」

「うわぁ。それ、ただのとばっちりじゃん」

 

 そもそも、鈴仙の重症は暇を持て余した輝夜の我儘から始まったようなものだ。

 原因の一端となってしまった以上、思うところがあるのだろう。

 ペットが虐められた。その苛立ちや不満を、無関係な知り合いで晴らす。

 妹紅が家に居れば殺し合い(決闘)が始まり、居なければ自宅が金閣寺の屋根で押し潰される事だろう。

 

「妹紅、ちゃんと成仏しておくれよ」

 

 不死相手としては、最悪の部類の冗談だ。

 まったく身に覚えのない理由でストレス解消役を押し付けられる、哀れな自称健康マニア。

 犠牲者となった妹紅の自宅の方角へ向け、てゐは届かぬだろう合掌を送った。

 

 

 

 

 

 

 修行を行う為の部屋と定めた、神霊廟の一室。

 座禅を組み、精神を集中していた神子が目を開き、入り口を見る。

 

「こちらにおられましたか」

「探させてしまったかな。申し訳ない」

「いえ」

 

 入室した側近である屠自古に、優しく微笑み掛ける神子。

 この短いやり取りだけで、屠自古の心は救われていた。

 何年、何百年経とうと、その背を支え続ける事を誓い、こうしてまた支えられる。

 当たり前の光景が、救済と呼ぶに相応しいほどの喜びとなる。

 

「青娥に任せていた幻想郷についての調査は、人里を中心にほぼ全域を終えました」

「そうか。では、予定通り次の布石といこうか」

「かしこまりました」

「……何か、私に聞きたい事があるのかな?」

「はっ、いいえ……はい」

 

 真っすぐに見据える主人の視線に晒され、亡霊の少女は恥じ入るように視線を下げた。

 神子の洞察力を前にして、心に秘めた疑念を隠し通せるものではない。

 意を決し、屠自古は兼ねてからの疑問を口に出した。

 

「太子様は何故、あのような魔法使いを招き入れたのですか?」

「おや、嫉妬かい?」

「違います。幻想郷において、彼女の立ち位置はかなり複雑なようです。計画の初期段階で、火種を持ち込むのは危険かと」

「危険を承知で、確保する必要があったということさ」

 

 神子の目的は、人里の掌握。そして、その先にある幻想郷の支配だ。

 幻想郷は、人間からの認知と畏れに依存している。だというのに、人間の地位は他の組織などよりも下に置かれている。

 そんな人里を支配し、外部勢力と対等と言えるようになるなるまで成長させるには、常識的な手段では余りに時間が足りない。

 

「彼女は――アリスはね、私の探し求めていた理想なんだ」

「理想、ですか」

「何一つ形になっていなくて、どの想いも何一つ叶えられていない。だが、それ故に全ての要素を持っている」

「? 一体、何を――」

「「種」の話だよ」

 

 相手の心象()が聞こえるのだ。相手の理解度を正確に把握出来る時点で、神子はそのレベルに合わせた説明も出来るはずだ。

 だというのに、こうして屠自古の理解を超える――というより、理解させる気のない言葉で翻弄している。

 つまり、神子は単に困惑する屠自古を愛でているだけだ。

 

「やれやれ。どうして、誰も彼もあの娘を「失敗作」と見なすのか。理解に苦しむ」

 

 アリス・マーガトロイドという少女は、感情の起伏が著しく少ないという欠陥を抱えている。

 しかし、それは本当に欠陥なのだろうか。

 

「あれほどの完成度を誇る人形の作成者が、欠陥など許すはずもないだろうに」

 

 感情の欠落。それは、()()()()()()()()にとって備わるべくして備わった、正常な機能なのではないのか。

 

「しかし、だからこそ利用出来る。アリスの備えた完璧な「種」を、あまねく世界へと広げられる」

 

 感情が抑制される。それはつまり、激情にかられる事も、絶望に沈む事もないという絶大な安定を意味している。

 そんなアリスから「欲の種()」を取り出し、世界へとばら撒く。

 欲を聞く太子の能力と、尸解仙となった事で最高にまで高まった仙術を持ってすれば、決して不可能ではない。

 不安を撒き、恐怖を煽り、民の皆が革命を受け入れる下地はすでに完成している。

 よって種は根付き、人々は気付かぬ内に心の欠落を埋めるだろう。

 

 喜びはあれど、歓喜には届かず。

 花はつぼみのまま――

 怒りはあれど、憤怒には届かず。

 幹は小さく――

 哀しみはあれど、哀切には届かず。

 根は少なく――

 楽しさはあれど、悦楽には届かない。

 枝は細く、葉はまばら――

 

 全てがあり、そして全てが欠けている。正に理想的な精神性。

 反抗も嫌悪も忘れた民衆を従えるなど、赤子を捻るよりも簡単だ。

 長所を削り、短所を埋め、人々の間に凪の如き平穏が訪れる。

 闘争も、犯罪も、他者を貶める何もかもがなくなった、真なる平和。

 「人」としての尊厳を消し去り、「民」としての幸福で満たす。

 その際、「種」を失ったアリスはきっと人間でも妖怪でもない「何か」へと変質してしまうだろう。

 また、アリスの「種」が根付いた人間たちは、妖怪への認知は残っても恐怖や敬意といった畏れはほぼ消滅する。

 畏れられる事のなくなった人外たちの、弱体化や消滅は避けられない。

 しかし、それは仕方のない犠牲だ。

 幻想郷の歪な構造を正常に戻す為に、誰かが負うべき尊い犠牲。

 アリスは平穏と終焉を願った。神子はその願いを叶える。

 喪失と欠落の果てに、世界の遺物は「孤独」という名の平穏と終焉を手にするのだ。

 例えそれが、本人の臨む未来でなかったとしても。太子は、アリスという人形を犠牲に進む道を選んだ。

 

「征くぞ、屠自古よ。この聖徳導師が、此処に新たなる(のり)を敷く」

 

 傷を負わぬ革命などない。

 苦味を感じぬ変化などない。

 世界は何時だって、不幸(痛み)に満ちている。

 

「あぁ、そうだ。導いてやるとも。私が、私こそが「人間」だ」

 

 だから、それを誰かに背負わせる訳にはいかない。

 傷も、痛みも、罪も、罰も。

 背負うべきは、頂点に立つただ一人。

 果たしてその決意は、正義か、悪か。

 

「我ら皆、魂魄の一滴さえも。全ては貴女様の為に」

 

 千年王国を夢見て笑う真なる王へ、深々と(こうべ)を垂れ恭順を示す屠自古。

 駒となる事を受け入れ、駒である事を誇りとする、絶対なる忠義。

 太子の掲げる恐るべき計画は、水面下のまま着実に歩を進めていく。

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、神子の計画は失敗する。

 最大の障害となるだろう博麗の巫女も、妖怪の賢者も関係ない。

 駄目なのだ。寄りにもよって、犠牲として選んだその人選が最悪なのだ。

 アリス・マーガトロイドを利用するという事は、人形の作成者である()()魔界神を利用するという事に他ならない。

 それ以上、他に何も語る必要はないだろう。

 未来ばかりを見ているから、自分だけが可能性だと思うから、思いも寄らぬところから出て来る他の可能性に、何時の間にか足元を掬われてしまっている。

 天才故の墓穴。豊聡耳神子の輝かしい復活劇は、最初から詰んでいた。

 しかし、例え計画が失敗しようと、アリスに犠牲としての役割が用意された事実は変わらない。

 人形遣いの少女に、逃れられない割と無意味な不幸が待っているという、その虚しい未来は避けられない。

 そんな未来など微塵も知らないアリスは、虜囚の身にて相変わらずの鉄面皮のまま、のん気に元凶の部下と戯れるのであった。

 




太子様キャラクターモチーフ
拗らせ系天才一覧
・藍染 惣右介(BLEACH)
・飛鳥井 仁(ブギーポップシリーズ)
・秋葉 流(うしおととら)
・ランスロット・タルタロス(タクティクスオウガ)
・●●(●●学園)
・●●●●●●●●●(うた●●●●●)
・始皇帝(Fate/Grand Order)←NEW

神子「アリスは完璧な人形だ。製作者もさぞ完璧に違いない」
魔界神「ん? 呼んだ?(*´ω`)」

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