東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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103・人形が消えた日(転)

「……お初にお目に掛かる」

「?」

 

 失踪したアリスを探し、魔法の森に近い雑木林へと一人で赴いてたリグルの背後から、年若い少女と思しき誰かが声を掛ける。

 振り返ったそこに居たのは、白いぼろ布で顔をおおい同色の貫頭衣をまとう事で体格すら隠した、謎の人型だった。

 

「何か用? 急いでるんだけど」

「ふはははっ。決まっておろう、()()退()()だ!」

 

 警戒し、半歩下がったリグルへと白装束は袖口から大量の霊符を取り出し問答無用で襲い掛かる。

 

「なっ!?」

 

 これに驚いたのはリグルだ。

 スペルカード・ルールを無視した暴挙。発覚すれば、博麗の巫女すら動きかねない重大な違反行為。

 それを、白装束は知った事かとばかりに平然と破って見せる。

 

「くっ、このぉっ!」

 

 高速で迫る霊符を回避し、妖虫の少女はお返しとして殺傷力を込めた緑色の弾幕を放つ。

 その反撃に対し、白装束は更に一枚の霊符を取り出し正面に結界を展開。無色の防壁にによって、全弾を余裕で防御する。

 

「いきなり何するんだ!」

 

 怒りと戸惑いを混じらせ、リグルが叫ぶ。

 

「蒙昧な! ()()()()()()退()()()()のは、世の道理であろうが!」

「ぎゃあぁぁっ!」

 

 白装束の操作によって、回避したはずの霊符と術者自身の持つ別の霊符が共鳴し、その中心に居る妖怪を縛る。

 全身に電流が走ったかのように、リグルの身体が空中で大きく跳ねた。

 

「では、さらばだ」

 

 追撃は、炎。

 白装束の右手に増えた二枚の霊符が燃え上り、混ぜ合わせる事で更に灼熱へと昇華する。

 まるで、遥か昔に妖怪と人間が血で血を洗う闘争を繰り返していた頃のような、遊びも余裕も必要のない一方的な殲滅。

 

「あ、あぁ……っ」

 

 結界の霊符によって身動きを封じられたリグルに、その大火を避ける(すべ)はない。

 そして、絶対絶命のピンチに駆け付けるのは、正義のヒーローだと相場は決まっている。

 

「あ・た・い! さん・じょおぉぉぉっ!」

 

 氷塊 『グレートクラッシャー』――

 

 氷精の雄叫びと共をもって、放たれた炎塊ごと白装束を押し潰すように、身の丈三倍はある巨大な氷鎚が振り下ろされる。

 

「ちぃっ」

 

 舌打ちしながら白装束が後退した直後、氷の塊は炎を巻き込みながら地面に叩き付けられ、盛大に破片をぶち撒けた。

 

「リグルちゃん、大丈夫!?」

「う、うん。助かったよ」

「まったく。リグルったら、だらしないわね!」

 

 後から追いついて来た大妖精が、リグルの背に癒しの光を灯す傍らで、その真上に陣取るチルノが盛大に胸を踏ん反り返らせる。

 

「新手か」

「ちょっとあんた! 弾幕ごっこのルールを無視するなんて、飛行甲板よ!」

「チルノちゃん、それって卑怯千万?」

 

 鬱陶しそうに舌打ちする白装束へ、指を突き付けるチルノ。

 その様子を下から眺め、何時ものツッコミを入れる大妖精。

 

「潮時かの」

 

 そんな少女たちのやり取り無視し、白装束はあっさりと背を向け一目散に逃走していく。

 

「あっ!?」

 

 叫んだのはチルノだ。

 文字通りあっと言う間に、木々の間を縫うように走り抜ける白装束の姿はリグルたちの視界から見えなくなっていた。

 本当に逃げ去ったのか、何処かに隠れてやり過ごそうとしているのか。気配を読めぬリグルたちでは、判断する事が出来ない。

 

「あたいから逃げようったって、そうはいかないわよ!」

「待って、チルノちゃん! 危ないよ!」

「大丈夫! あたい、最強だから!」

 

 相手の素性も目的も判明していない現状で、単独での深追いは危険だ。

 もし、相手が隠れて機をうかがっていた場合、戦力を分散すると再び襲われる可能性がある。

 しかし、引き留める大妖精の忠告は当然おてんば娘に通用しない。

 

「そ、それに、今はリグルちゃんを安全な所に運ばないと。さっきの人が、探しに行ったチルノちゃんと入違いで戻って来たら大変だよ」

 

 そこで、大妖精はリグルを引き合いに出して再度の制止を試みる。

 チルノは優しい娘だ。悪党の成敗と友達の治療であれば、必ず後者を選ぶ。

 なんだかんだで、大妖精はここ一番でのチルノの操り方を熟知していた。

 

「む……それもそうね」

 

 かくして、傷付いたリグルは妖精二人に助けられ、窮地を脱する。

 しかし、相手の目的も、理由も、何一つ解らない。

 解らないまま、そこにあった事実が噂を混じらせ流布されていく。

 それこそが、白装束とその背後に居る者の陰謀であるとも知らずに。

 武力ではなく、知力にて。音なき侵略が、ゆっくりと幻想郷を侵していく。

 互いの駒を動かす盤上遊戯は、局面を変え次なる衝突へと向かい始めていた。

 

 

 

 

 

 

 恒例となった阿求宅での会合にて、天狗側も人里側も表情は目に見えて暗い。

 アリスの無事は確認出来たものの、その朗報を帳消しにして余りある悲報が届いたのだ。

 

「辻斬りならぬ、辻退治……ですか」

 

 苦々しい口調で、天狗からの報告書を見下ろす阿求。

 己を人間と語る謎の白装束による、妖怪への無差別襲撃。

 スペルカード・ルールへ正面から喧嘩を売る、度し難い悪行だ。

 死者こそ出ていないようだが、だからこそ襲われた重傷者たちが急増している。

 生きていれば、口を開く。

 被害者たちから語られる証言は、どれもが人里を追いつめるものばかり。

 

「リグルにミスティア、他にも沢山。流石に、幽香たちみたいな規格外な連中には手を出してないみたいだけど、それでも人里の妖怪退治屋程度なら軽く捻れるはずの実力者たちもやられてるわ」

 

 せわしなく携帯型の写真機を操作しながら、こちらも険しい顔で資料の内容を補足するはたて。

 何時、誰が襲われるか解らない現状では、念写の焦点を合わせる事が出来ない。

 犯人を直接念写しようにも、「顔を隠した白装束」だけでは条件の一致する他人を写しかねない。

 その為、彼女は自分が知る限りの知り合いたちを次々と念写しその無事を確認しているのだ。

 

「お役に立てず、申し訳ありません」

 

 そう言って頭を下げる椛の千里眼もまた、対象が絞れなければ役に立たない。

 スキマ妖怪ほどの規格外の視野があれば良かったのだが、流石にそこまでの能力を求めるのは酷だろう。

 

「本当ですよねぇ。目と鼻が良いだけの犬っころの癖に、その目と鼻が使えないとか。ふっ、紛れもない穀潰しですね」

「がぁうっ!」

「ふぎゃあぁぁぁっ!」

 

 嬉々としてこき下ろす文の頭へ、椛は躊躇なく己の牙を突き立てる。

 妖怪が人間を食い、人間が妖怪を退治する。

 根本的な構図は、今も昔も変わってはいない。

 だが、スペルカード・ルールの普及により、人間が生存する確率は格段に上昇した。

 弾幕ごっこという真剣勝負は、妖怪同士でも行える。退屈や気紛れで人間を殺して遊んでいた妖怪たちが、別の遊びを覚える事によって資源(人間)を消費する必要がなくなったのだ。

 妖怪からの被害が零になる事はあり得ないが、それでもどんな理由であれ人間の死者が減った事実は変わらない。

 そんな、人間を守る為の法をよりにもよって人間側が破ったかもしれないのだ。

 まだ、下手人が人間だと断定された訳ではないが、可能性があるだけで人里からすれば死活問題に近い。

 

「野良妖怪もそうですが、人里に出入りするアリスさんと仲の良い妖怪は軒並み、彼女を探索する為に所在を分散させています。相手方にしてみれば、各個撃破するこれ以上ないほどの好機なんですよねぇ」

 

 山の天狗や人里とは違い、他の人外たちに組織だった動きは不可能だ。

 その上、アリスを探すのを中止させるにしても、己の意思こそを貴ぶ人外たちを説得するのは難しいだろう。

 噛まれた頭を擦りながら、文は他人事のように言いつつ書類を精査している。

 自身の持つ情報と最新の情報を照らし合わせつつ、裏に潜む敵の意図を探ろうとしているのだろう。

 慧音と阿求もまた、今までの資料を睨むように読み返し解決の糸口を見つけようとしている。

 

「なぁ、阿求。相手は、これを狙っていたのだろうか」

「えぇ、恐らくは。連鎖的に、こちらの悪手へ付け込むような策が来ています。まるで、見えない蟻地獄にでもはめられているかのようです」

 

 人里の住人を操って恐怖を煽り。

 その人里に雇われた人形遣いを連れ去り。

 人形遣いを探す者たちを分散させ、襲撃する。

 では、その次は如何なる策が来るのか。

 そこが読めない限り、例え襲撃者を止めたとしてもこの負の連鎖が止まる事はないだろう。

 何もかもが手探りのまま、時間だけが無為に浪費されていく。

 焦燥が、この場に居る全員に滲んでいた。

 そんな中、何かを思い出したのか顔を上げた文が阿求へと視線を向ける。

 

「そういえば、命蓮寺の地下を探る為の交渉はどうなりました?」

「難航しています。長である聖さんが結界の解除に反対らしく、「確証が得られていない現状で安易に封を解けば、二次災害に繋がりかねない」と」

 

 当たりであれば問題はないが、絶対ではない以上外れていた場合の可能性も考えねばならない。

 実際、蓋を開けてみてまったく別の災厄が解き放たれる事になれば、目も当てられない。

 仙人たちとのいざこざだけでも手一杯だというのに、これ以上の厄介事はごめんだ。

 

「はぁ~。あの人、頭の代わりに漬物石でも乗っけているのではないでしょうか」

 

 文は万年筆で頭を掻きながら、渋い顔で溜息を吐く。

 解ってはいても、手詰まりの状態で解決に繋がるかもしれない検証を拒否されれば、愚痴の一つも言いたくなる。

 政治的な視点から明確な指針を持って行われる、人里と妖怪との離間の計。

 統率者の存在しない――存在する事を許されなかった人里にとって、それは極めて対処の困難な脅威だ。

 それからしばらく、あーでもないこーでもないと全員で膝を付き合わせ対策を煮詰めていく中、一人の女中が部屋へと尋ねて来る。

 

「申し訳ありません、お嬢様」

「何がありました」

 

 声の質から、それが決して朗報ではなく、しかも火急の事態である事を理解した阿求が声を硬くしながら端的に問う。

 

「先程、霧の湖側の入り口から人里に侵入した者が、無差別に通行人を襲っているとの報告が入りました」

「なっ!?」

「なんとっ」

「現在、急ぎ更なる情報の収集を行っております」

 

 阿求と文。驚きの度合いは違えど、告げられた情報は変わらない。

 

「とうとう、直接攻めて来たって訳ね! 解り易くなったじゃない。行くわよ、椛!」

「いえ、お待ち下さいはたて様。今までの流れから考えると、行動が余りに直截的です。襲撃者の情報は、何かありませんか?」

「それが……」

 

 女中もまた、報告するべきその情報が信じられないのだろう。何かを躊躇うように、椛からの質問に回答を言いよどむ。

 

「報告内の特徴から、襲撃者は白玉楼の魂魄妖夢様ではないかと……」

 

 何をしても、しなくても、始まってしまった事態は坂を転がり落ちるように終局へ向けて突き進むだけ。

 それが、異変と呼べるだけの規模に膨れ上がる時は、もう寸前まで迫って来ているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 人里にて、辻斬り現る。

 辻斬りの名は、魂魄妖夢。

 

「ひぎぃっ!」

「ぎゃあぁぁっ!」

 

 切る、切る。

 通りを歩いていた人を。

 道端に座っていた人を。

 呼び込みをしていた商売人を。

 切る、切る、切る、切る。

 頬がこけたようにすら見える幽鬼が如き表情の剣士が、無言のまま目に付く端から人間を切り捨てていく。

 

「そこまでです!」

「っ!」

 

 切った数が四十を超え、親が庇った子供にすら刃を向けた妖夢の正面へと、豪風の弾幕が叩き付けられた。

 弾幕を両断する事で動きを止めた少女から、逃げ惑う人間たちを守るように宙へ浮く文が立ち塞がる。

 その後ろには、あの部屋に居た面子も全員が揃っている。

 

「人里での殺傷は禁則事項です。知らぬはずはありませんよね?」

「邪魔です。どいて下さい」

 

 咎めを含む文の詰問に、妖夢は光のない瞳のまま手に持つ刀の切っ先を突き付ける事で返答とする。

 

「妖夢、一体何があった!? まさか、敵に操られているのか!?」

「違いますね。ですが、その案は後で採用させて貰いますね」

「今、妖夢さんが持っているのは白楼剣です。それに、襲われた人間から血の匂いをそれほど感じません」

 

 更に問いを重ねようとする慧音に対し、文と椛が状況から読み取れる結論を冷静に返す。

 妖夢は正気だ。誰に操られた訳でもなく、こんな狂気染みた行動を行っている。

 どうやら、迷いを断つ白楼剣にて人里の住人全員を切り捨て、邪仙の術に掛けられた人間を救おうとしているらしい。

 確かに、探知役であった鈴仙とアリスが揃って脱落し、操られている人間を探す事は難しくなった。

 だからと言って、人間全員を切り捨てようとは短絡的にもほどがある結論だ。

 

「人里に撒かれた邪仙の毒への対策については、先日の地下牢で発見出来た被害者たちを永遠亭に送り、永琳さんに解毒薬の作成を依頼しているはずでは?」

「あやややや。そういえば、落ち込み具合が余りに面倒臭かったので、その辺の情報は説明し損ねてますね。いやぁ、まさかこんな形で吹っ切れるとは」

「文のせいじゃん! 全部、文の、せいじゃんっ!」

 

 首を傾げた阿求の疑問への回答は、割と酷いものだった。

 はたてが指をさし、元凶である文をなじる。

 文も確かに悪いだろうが、一番悪いのは妖夢自身だ。

 この場に居る者や永遠亭の誰かに尋ねれば、その情報は簡単に手に入ったはずなのに、それをしなかったからこの娘はこんな事を仕出かしている。

 如何に重傷を負った鈴仙への負い目があるとはいえ、余りに愚かであると言わざるを得ない。

 

「とはいえ、さきほどの返答を見る限り今更何を言っても止まらないでしょうよ。椛」

「承知」

 

 上司から名前を呼ばれただけで、白狼天狗は己の役目を十全に把握し行動する。

 誰も居ない場所へと蹴り上げられる、文の右足。

 小さな跳躍でその足に履かれた一本下駄の先端に乗った椛が、蹴りの勢いと風の加護を受け弾丸のような速度で妖夢へと直進する。

 

「はぁっ!」

「ちぃっ!」

 

 気合と共に振り下ろされる上段からの重い一太刀を、白楼剣で受け止める妖夢。

 その直後、両手が塞がり無防備を晒す半人前の腹部へと別の一撃が叩き込まれた。

 

「ごっ!?」

 

 椛の大太刀は、あくまで牽制。斬撃の勢いを利用し身体を浮かせた彼女の下から、滑り込むような体勢で追いついた文の蹴りが突き刺さったのだ。

 速度は力だ。足の踏ん張りも効かず、妖夢はそのまま盛大に吹き飛ばされて地面を転がっていく。

 

「手早く仕留めて回収しましょう」

「了解。むしろ、これは好機かと」

「そうですね。やられっぱなしも性に合いませんし、そろそろ反撃といきましょう」

 

 長年連れ添った上司と部下だけあって、意思の疎通は素早く正確だ。

 今の短いやり取りだけで、二人は問題なく互いの考えを共有していた。

 

「はぁっ、はぁっ、あぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 幾ら気迫を込めようと、今の妖夢には二人に勝てるだけの実力が伴わない。

 むしろ、冷静さを失い今の一撃で十分に弱った剣士など、白狼天狗一人だけで対処可能だ。

 であれば、上司の手を煩わせる必要もない。

 

「おぉ、こわいこわい。その元気を、もう少しましに使えないものか」

「元凶が、自分の罪も忘れて何かほざいていますね。痴呆ですか?」

 

 軽口を言い合いながら一歩前へと進み出た椛が、がむしゃらに振られた妖夢の刃を左腕の楯で受け止める。

 ないに等しい切れ味だとしても、達人が振るえば等しく凶器だ。

 薄い鉄板と木板を張り合わせて作られた支給品の盾が半ば以上まで切断され、その先にある腕にも深々と刃が食い込んだ。

 しかし、そこが限界だ。椛は己の傷を無視し、粛々と反撃に移る。

 密着した状態で更に一歩を踏み出し、刀を受け止めたままの盾を前面へと強引に押し込む。

 

「ぐっ、ぐがっ!」

 

 椛柄の盾によって視界を塞がれ、更に振り下ろした腕ごと押されて体勢を崩した妖夢のあごを、大太刀を手放した椛の拳が打ち上げる。

 よろめいた妖夢に、立ち直る暇は与えない。

 

「がうぅっ!」

「がぁっ!?」

 

 白楼剣を持つ妖夢の右腕へと噛み付きながら押し倒し、凶器を手放した瞬間を見計らい容赦なく逆側へ折り曲げてへし折る。

 

「ぎっ、ぐっ、がぅっ、ぐぅっ!」

 

 仕留めると決めた以上、獣に加減は存在しない。

 噛み傷と骨折の痛みによって涙を流す剣士を見下ろし、刃の刺さる盾を放り捨て、馬乗りとなった白狼の拳が何度も振るわれ獲物を痛め付けていく。

 抵抗が弱まったところで妖夢の白髪を掴み、軽く頭を浮かせてから地面へと振り下ろす。

 何度も、何度も――

 相手からの悲鳴すらなくなり、そこでようやく椛の攻撃が止まる。

 

「手負いの身で獣と食い合うには、貴女は少々誠実過ぎる」

 

 血塗れで気絶する妖夢へ向けてそんな事を言いながら、椛は相手の血で染まる手で口元を拭い立ち上がる。

 

「戦ってる時の椛って、格好良いけどとことん容赦ないわよね。自分が怪我するのも、まるで気にしないし。毎回どん引きなんだけど」

「必要ですので」

 

 はたてに呆れられつつ、椛は左腕の傷を舐めながら横腰に付けている小物入れから傷薬等を取り出し、自分で治療を開始する。

 白狼天狗は、様々な種類の存在する天狗の中で下位に位置する種族だ。

 例外はあれど、下位の種族が上位の種族に真正面からの勝負で勝つ事は難しい。

 だからこそ、彼女は支払うべき対価に頓着しない。

 仮に、妖夢の一撃で左腕が切断されていたとしても、椛はまるで気に留める事なく反撃に移っていただろう。

 

「ともかく、早く妖夢さんを私の屋敷へ運びましょう」

「待て、阿求。これだけの事をやらかしたんだ。人里の中にあるお前の屋敷に匿うのは、外聞が悪い」

「慧音さん……」

「運ぶのなら、少し遠いが里の外にある永遠亭が無難だろう」

「申し訳ありません」

「お互いに、立場のある身だ。面倒だが、仕方がないさ」

 

 助けたいのに、助けられない。

 地位が、身分が、他者の目が。見る事の出来ない様々なものが、純粋な願いの邪魔をする。

 結果として、今回の異変に連なる中では最も多くの犠牲者を出した妖夢は竹林へと運ばれ、鈴仙と一緒に入院生活を送る事となる。

 力持つ者の暴走は、人間という弱者にとって絶望でしかない。

 ほんの小さなすれ違いが、その恐ろしさをまざまざと見せつける事となった悲しい事件は、こうして犠牲者しか生まず終結した。

 

 

 

 

 

 

 仙界と化した地下の神霊廟にて、私は変わらず虜の身としての生活を続けている。

 攫われたといっても、行動に多少の制限が掛けられているだけでそれなりに自由は許されていた。

 その自由を使い、私はお気に入りとなった泉の見えるテラスにて椅子に座り、完成させた作品を眺める。

 

「おい、何だそれは」

 

 背後から、棘のある口調でびりびり大根ヤンキーである蘇我屠自古が声を掛けて来る。

 元々の監視役だった布都が神子の命令で地上に出ている為、その代役として私を見張っているのだ。

 

「人形遣いが作った物よ。人形に決まっているじゃない」

()()が、人形だと?」

 

 彼女の雰囲気に、更なる警戒心が追加される。

 確かに、素人が一目見てこれを人形だと判断する事はほぼ不可能だろう。

 私が両手に持っているものは、一辺が三十センチほどの正四角で形作られた黄緑色の立方体だ。

 

 どう見ても、マナプ〇ズムです。

 本当にありがとうございます。

 

 ただのゼリーっぽい四角と侮るなかれ。この物体の中には、魔法陣や陰陽陣、他にも様々な式や紋様が内部の全体を所狭しと埋め尽くしているのだ。

 魔法や錬金術から始まり、妖術、法力、そして仙術。今まで私が幻想郷で学んで来た、全ての要素を詰め込んだ究極の闇鍋だ。

 

「これはね、「種」なのよ」

「種……」

 

 私の説明に何か思うところでもあるのか、屠自古は神妙な表情で顔をうつむかせる。

 

 え、何その反応。

 私ってば、なんか地雷踏んだ?

 

 彼女がそんな顔をする理由が理解出来ず、さりとてこのまま無言になるのは気まずいので、仕方なく説明を続けておく。

 

「仙道の本場にもあるでしょう。仙人が宝玉を用いて、蓮の花から人形を作り出した逸話が」

哪吒(ナタ)太子、か」

 

 哪吒(ナタ)太子。有名なフジリュー漫画でも登場する、とある仙人が生み出した宝貝(パオペエ)人間。

 誰かの手によって作り上げられた、人工物。つまり、私にとってはそれもまた人形だ。

 

「完全に同じものではないけれど、成功例なのだからあやかる価値はあると思わない?」

 

 まぁ、ぶっちゃけ完成予定なのは仙人も仙道も関係ない子だから、あやかる意味もあんまりないんだけどね。

 むしろ、あやかりたいのは無機物から一つの生命を生み出そうとした、生みの親の方だったり。

 

 言いながら、私の操る上海と蓬莱へ黄緑の箱を手渡し、泉に咲く大きな蓮の花の上へと運ばせ設置する。

 乗せられた荷物の重さで花が沈み、「種」は水面の底へと消えて行く。

 ついでに、回収されると困るので水面から見えなくなった時点で、ダミーの射出や光学迷彩(ステルス)での隠蔽を含む色々なギミックが自動発動するようになっていたりする。

 神霊の満ちた仙界の中でも、神霊廟に隣接するこの泉は群を抜いて生命力に溢れている。

 故に、失敗はないだろう。後は「種」が芽吹き花開くのを待つだけだ。

 一仕事を終え、次は何をしようかと「種」の沈んだ水面をぼんやりと眺め続ける。

 異変だ仕事だ頼まれ事だと、最近は少々慌ただしく過ごしていたせいもあり、ここでのスローライフは丁度良い休暇になっていた。

 

 そうそう、こういうので良いんだよ。こういうので。

 あー、原作キャラにお世話される生活とか、めっちゃ最高ですわー。

 

「お前は……」

 

 このまましばらく自堕落な生活も良いかと、駄目人間街道まっしぐらの思考をしていた私の隣で、同じように水面を眺める屠自古が口を開く。

 

「お前はどうして、太子様の誘いに乗った?」

「私が、それを必要としたからよ」

「お前の願いはなんだ」

「平穏と静寂、かしら」

 

 俺は、平穏と静寂を望む――なんてね。

 

 イケメンガンナーさんの口癖と、()()私の願いは共通している。

 この身体にも、随分と無茶をさせ続けて来た。

 美味しい空気、溢れる神霊。生憎と、仙人が菜食主義なので肉類はないが、美味しい食事。

 魔法使いの療養地として、ここは幻想郷より優れている。

 例え、それが作り物の紛い物なのだとしても、私の身体が癒せるのであればどちらでも同じだ。

 神子は、異変が始まるまでもう少し時間が掛かると言っていた。

 彼女の復活劇が何日先になるかは解らないが、異変開始までに可能な限りこの身体を労いたい。

 

「神子は、私にして欲しい事がある。私は、神子に招かれた事で達成出来る目的がある。公平であるかはさて置き、取引は成立しているわ」

「信じられる訳、ないがろうが」

「なら、神子にそう伝えて私を追い出せば良いじゃない」

「まさか……お前……」

 

 今度は何よ。

 警戒するんなら出て行こうかって言ってるだけなのに、なんで戦慄してんの?

 

 何かを勘違いしているらしい屠自古の反応から見て、少なくとも神子の取ろうとしている手段が私にとって害になる事は確実だろう。

 

 死ぬの? 私、このままここに居たら死ぬの?

 

 それが知れただけでも、収穫としては十分だ。

 博麗の巫女と妖怪の賢者が居る以上、聖徳導師の野望が叶う事はない。

 不義理を働くのには抵抗があるが、神子の準備が整い異変が始まる前にとっとと逃げ出すが勝ちだ。

 

 ん? でも、命蓮寺からの結界が解除されてないのに、どうやって逃げれば良いんだろ。

 神子たちは普通に出入りしてるけど、捕らわれの身だからやり方教えてって聞けないし。

 「竜破斬(ドラグ・スレイブ)」辺りを上に撃ち込めば出口は出来そうだけど、その場合命蓮寺も漏れなく吹っ飛ぶ可能性高いし。

 あ、あれ? もしかして私、詰んでね?

 

「ままならないものね。私も、貴女も」

「……そうだな」

 

 今更になって、神子の誘いへ安易に乗った事に後悔を始めても、現実は何も変わらない。

 湖面の揺れる波紋を眺めながら呟く私に、勘違いを続けているだろう屠自古は同情気味の同意を返してくれるのだった。


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