東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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私はきっと、私を救う私になりたかったんだ。


105・お前らみたいな1ボスが居るか!(始)

 朝っぱらから博麗神社の賽銭箱にどっかりと座り、魔理沙は天狗の新聞を広げて読みふけっていた。

 二人分のお茶を入れたお盆を置き、霊夢が不届き者の脳天にお祓い棒を振り下ろす。

 

「いでっ!」

「巫女の前で、罰当たりな事してるんじゃないわよ。あんたがそこに居たんじゃ、参拝客がお賽銭入れれないでしょ」

「どうせ誰も来てないし、来たって誰も入れないぜ。あでっ!」

 

 余計な事を言って、懲りない普通の魔法使いはもう一撃を食らう。

 仕方なく賽銭箱からどいた魔理沙は、一度新聞を脇に置き霊夢から湯飲みを受け取りつつ読んでいた記事の話題を出す。

 

「阿求が依頼で来てたんだろ? 色々物騒になってるし、働かなくて良いのかよ。博麗の巫女さん」

「これだけ露骨だと、いっそ清々しいとは思ってるわ」

「会話しようぜ」

「してるじゃない」

 

 巫女の勘がそうさせるのか、霊夢は時折一足飛びで話の結論へと辿り着く。途中の文脈が、いきなりなくなってしまうのだ。

 勘の鋭い者、知識の豊富な者であればついていけるが、そうでなければ今の魔理沙のように置いてきぼりを食らってしまう。

 別に、相手を侮ったり馬鹿にしている訳ではない。これが霊夢の素であり、遠慮も容赦もないだけだ。

 

「あっちこっちで騒ぎを起こしてるのは、全部陽動よ。狙いはここと、多分向こうね」

 

 それでも、魔理沙が不貞腐れる前に説明を入れるくらいには、他人である普通の魔法使いを気遣う優しさは残っている。

 霊夢が指差した場所は二つ。

 一つ目は、己の自宅。

 二つ目は、空の彼方だ。

 

「博麗神社と……向こうってなんだ?」

「博麗大結界」

「……は?」

 

 あっさりととんでもない事を言われ、魔理沙は思わず間抜けな声を出してしまう。

 

「おいおい。あんなどうしようもないもん、どうしようってんだ」

「さぁ、どうでも良いわ。相手の思惑がどうであろうと、成し遂げられる前に止めてしまえばそこで終わりよ」

 

 相手の戦力も目的も、何一つ解っていなくても、己が負けさえしなければ幻想郷は守られる。

 気負いもなく、決意もなく、ただ自然に。

 少女はその小さな双肩に、幻想の守護者としてこの世界を背負っているのだ。

 

「……頼もしい限りだぜ」

 

 小さく喉を鳴らしつつも、魔理沙は遥か遠い好敵手(ライバル)を見て不敵に笑う。

 

「んじゃあ、霊夢はしばらく自宅待機か。ご苦労様だな」

「相手も馬鹿じゃないわ。思惑がこっちにばれてる事には、もう気付いてるはずよ。だから、私に小細工は無駄だと解ってる」

「敵側もそろそろ動く、か」

「いいえ――()()

 

 どろりっ、と音を立てるように、地の底から湧きだすように()()は来た。

 

「……お初にお目に掛かる」

 

 白の導師服を着た素顔を晒す仙人が、敵意と戦意を滾らせる。

 両手に溢れる霊符全てから炎が猛り、猛火の連弾が少女の周囲へと浮遊を開始する。

 

「問答無用、か」

 

 最初に口を開いたのは魔理沙だ。

 霊夢の方は無言のまま、神社への侵入者を観察している。

 

「これよりは、尊きあのお方の御心がこの世全てへあまねく導く」

「だから、大結界を壊そうって?」

「左様。民は(あやかし)の養分となり果て、そのおぞましき統治こそが間違いであると気づきもせぬ!」

 

 目を見開き、大きく口を開け、己に酔いしれる神仙が笑う。

 人を捨て、世を捨て、それでも人々を救う為に舞い戻った怪物が。

 

「混沌も惰性も、秩序と革命にて駆逐されるべき悪徳! 太子様という光にて(あやかし)共を駆逐し、民草は誇りと尊厳を取り戻すのだ!」

 

 魔廃 『ディープエコロジカルボム』――

 

 なおも言い募ろうとする仙人へ、魔理沙が無造作にスペルカードを放り投げる。

 カードは即座に薬品の入ったフラスコへと変化し、仙人の周囲を飛ぶ火炎に当たり大爆発を引き起こす。

 

「ぬぅっ!?」

「大層な演説だが、これっぽっちも感動しないな。退屈な大声だぜ」

「私の客なんだけど」

「適材適所だ。私にくれ」

 

 霊夢からの苦言を聞き流し、呼び寄せた箒にまたがった普通の魔法使いがふわりと宙へ浮かぶ。

 仙人は爆発を避ける為に大きく後退しており、二人の間には十分な距離が出来上がっている。

 普段の明るさは鳴りを潜め、魔理沙は鋭利な刃のように細めた視線にて敵を見下ろしていた。

 結界術を極めた霊夢の方が、攻撃一辺倒しかない魔理沙よりも防衛に適しているというのは正しい。

 だが、それ以上に魔理沙はこの阿呆と戦うべき理由が出来てしまっていた。

 

「私はさぁ。実は結構、この神社(ばしょ)気に入ってるんだよ」

 

 星が舞う。普通の魔法使いという名の太陽を背景に、極彩色の流星たちが。

 

「気の良い奴も、気に入らない奴も、誰も彼もがここに来て酒を飲む」

 

 人外たちの宴会場として名高い、博麗神社。

 酒を呑み、愚痴って遊んで。そうしてまた、喧嘩をする。

 幻想と人間の、新しい形。異端であり、最先端とも言える奇妙な聖域。

 仙人の台詞ではないが、ここほど混沌という言葉が似合う場所も珍しい。

 

「宴会やって、弾幕ごっこやって。アイツらもさ、ちゃんと生きて幻想郷(ここ)に居るんだよ」

 

 チルノも、リグルも、ミスティアも、他の様々な人外たちも。

 人間という種族にとって、彼女たちが危険な存在であるのは事実だろう。

 だが、魔理沙という個人にしてみれば、彼女たちはただの酒飲み仲間でしかない。

 共に笑い、共に遊び、時には悲しみを分ち合える、大切な友人。

 寿命も、思考も、生態も。何もかもが違っていようが、そんな事は関係ない。

 よって、この仙人がどれだけ高尚な理想を語ろうと、幻想郷に住む普通の魔法使いにしてみれば友だちを傷付けた屑野郎に過ぎないのだ。

 

「だからさ。私から、そんなお気に入りの場所や飲み仲間を奪おうってんなら――手加減はしてやれないぜ?」

 

 広げた両手の内にて、空中へ整列したスペルカードの数は合計で十五枚。

 殺気でも、怒気でもない。もっと恐ろしい()()が、魔理沙の全身から溢れている。

 譲れないもの、大切なものを傷付けられたのだ。勘違い馬鹿を叩き潰す為に、普通の魔法使いが今まで見せた事のないほどの本気を示す。

 

「小癪っ」

 

 自らが生み出していた火炎によって、服に幾らかの焦げ目を付けた仙人が不快感を隠そうともせず吐き捨てる。

 仙人――物部布都は、スペルカードを示さない。

 いずれ己の主が書き換えるだろう古い習慣になど、従ういわれはないからだ。

 

「物部の秘術と道教の融合、その身に刻むがいい!」

「良いぜ! 見せてみろよ、口先だけの大道芸人が!」

 

 魔符 『スターダストレヴァリエ』――

 

 殺気を滾らせ炎塊を撃ち出す布都に対し、あくまでルール通りに宣言と共にスペルカードを開く魔理沙。

 何時の間にか曇天となった空模様の中、勝負の開始を告げるようにぽつりと雨粒が地面へと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 幾ら永遠亭が広いと言っても、診療所として割いている区画はかなり少ない。

 そんな少ない面積に入りきらないほど患者が増えている現状、比較的症状の軽い患者は自宅療養として自分の家に帰される事となる。

 そんな中、妖夢は重傷ながら怪我の治療は終えた為に白玉楼へと帰還していた。

 

「あら妖夢? こんな時間に何処へ行くの?」

「っ!?」

 

 一夜明けた早朝、右腕を包帯で吊ったまま黙って外出しようとした従者を、当たり前のように察した主が門の前で待ち構える。

 

「異変が、始まります」

「えぇ、そうらしいわね」

「幻想郷に住まう者として、腕試しも兼ねて――」

「妖夢」

 

 それが誤魔化しである事は、妖夢自身も解っているはずだ。

 弾幕ごっこであれなんであれ、怪我を無視して戦えるほど実戦は容易くない。

 それでも出ると言うのならば、その理由を偽ってはならない。

 幽々子は、未だ迷いの中にある魂魄家の当主に鋭い視線でそう訴える。

 

「私は……私は……っ」

 

 妖夢の心には今、憎しみが満ちている。

 大切な友人である鈴仙をあんな姿にした、仙人たちが憎いのだ。

 そして、幾百刃で貫き裂こうと、決して晴れぬほどに――()()()()()()を憎んでいる。

 しかし、冥界を統治する白玉楼の一員として、私怨で動く事は許されない。

 許されないからと言って、胸の奥に渦巻く激情に折り合いなど付けられるはずもない。

 今にも泣きそうな表情でうつむき、苦悩する妖夢が血が滲むほどに左拳を握り締める。

 

「それで良いのよ、妖夢」

「え?」

 

 軽々しい口調でそう言ってのける幽々子へ、止められると思っていた妖夢は間の抜けた声を出してしまう。

 確かにそこに、正しさはない。

 だが、悪であって良いのだ。

 間違いであって良いのだ。

 剥き出しになった己の「欲」こそ、肉体を失った亡霊たちの持つ唯一の存在意義なのだから。

 半人半霊である妖夢にも、その権利はあるのだから。

 

「相手が憎くて、自分の無力さも嫌だから、腕試しも兼ねて異変を解決しに行く。それで良いじゃない」

「ですが……」

「えー。人里であれだけ暴れておいて、今更よねー」

「ぐっ」

 

 正にその通りである。痛い所を突かれ、妖夢は僅かに呻きながら視線を横にずらす。

 ふわふわと漂いながら、扇子を口元で広げる亡霊姫の言葉は何処までも軽い。

 過ちを犯してしまったからこそ、次はないよう戒めようとする妖夢。

 一度過ちを犯したのだから、二度犯すのも三度犯すのも同じ事だと笑う幽々子。

 繰り返すが、そこに正しさはない。

 ならば、見るべきは物事の正誤ではなく己自身の胸の内のみ。

 

「幽々子様」

「うん」

「魂魄家の当主として、友の仇を討って参ります」

「んー、もう一声」

「では、私の大切な友人を傷付けた不届き者たちへ、目にもの見せて参ります」

「もう一声」

「むぅ……では――」

 

 簡単には納得してくれない我儘な主人に対し、その従者は真面目に正解を探そうと言葉を尽くす。

 そうして何度か繰り返した後、妖夢は観念したように(こうべ)を垂れた。

 

「幽々子様。降参です」

「はい、正解」

「え?」

 

 幽々子とのやり取りに毒気を抜かれ、今の妖夢に当初の悲壮感や焦燥感はない。

 故に、幽々子の目的はもう終わっていると言って良い。

 

「解らなければ解らないと言いなさい。怒っているなら怒っていると言いなさい。魂魄家の当主を名乗るのであれば、心を殺す事こそが恥だと知りなさい」

「幽々子様……」

「後、そんな暗い顔のまま料理をされたら、妖夢の美味しいご飯の味が落ちちゃうわ」

「幽々子様……」

 

 折角良い事を言ったのに、ただ漏れの本音のせいで全てが台無しである。

 

 符牒 『死蝶の舞』――

 

 そして、なんとも微妙な雰囲気のまま、遂に白玉楼の主が舞台の主役の一人へと勝負を仕掛ける。

 

「どっちにしても、ここから出て行くと言うのなら、私を倒してから行きなさい!」

「えー」

 

 強引に弾幕ごっこを始めたはた迷惑な主を見上げ、従者も諦め気味な声を出しながら迫る光弾を回避する。

 抱えたままで良いのだ。胸の内に残したままで良いのだ。

 感情を燃料として動く肉体を失った者たちにとって、憎しみも、後悔も、捨てるには余りにもったいない。

 無空(むくう)であれ、と一人は言う。

 自由であれ、と一人は言う。

 剣の道もまた、日々之精進(ひびこれしょうじん)

 艱難辛苦を乗り越えて、そうして勝ち得たものこそが少女を成長させる糧となる。

 妖夢が剣を抜く。異変と言う名の舞台へ上がり、友の仇を討つ為に。

 立ちはだかるのであれば、主であっても容赦は不要。

 

「参ります」

 

 覚悟を決めた庭師の一閃が、迫る弾幕の群れを切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。ほぼ同時刻にて、永遠亭でも同じような状況が発生していた。

 皆に隠れて外出しようとしているのは、頭部を含む全身に包帯を巻いた傷だらけの鈴仙。

 出口で待ち構えていたのは、その主人である輝夜だ。

 

「何をしているのかしら、鈴仙。貴女は、永琳から静養を指示されているはずよね」

「姫様……」

「傷は深いわ。私や永琳みたいな不老不死ではないのだから、無茶をしては駄目よ。早く戻って休みなさい」

 

 口調はあくまで優しく、部下を心配する上司として振舞う輝夜。

 その反面、瞳は酷く冷たい。まるで、飼育小屋から勝手に抜け出したペットへ向けるような、苛立ちを含む視線で鈴仙を射抜く。

 普段の鈴仙であれば、輝夜に逆らうような真似はしないだろう。

 そうでなくとも、未だ重傷の身で外に出て一体何が出来るというのか。

 その身を賭す必要はない。

 鈴仙でなければならない理由もない。

 だが、それでも――

 

「姫様、お許し下さい」

「ふぅん。私の言う事が聞けないのね」

「いいえ、いいえ。私は、姫様の言う事を聞くために行くのです」

 

 玉兎の右手に、スペルカードが出現する。その数は、四つ。

 兎の少女が永遠亭へと辿り着いて、初めての反抗。

 

「姫様からの「お願い」を、私はまだ叶えられていません。もう少しだけ待っていてください。きっと、面白い話を持って帰って来ますから」

 

 そもそも、鈴仙がこの騒動に関わった切っ掛けは、輝夜が暇を持て余していた事による気紛れだ。

 半死半生で帰って来た事は、決して「面白いネタ」とは言えない。

 他でもない自身の失態が、姫の心を僅かでも沈ませた。

 その事実を、その汚点を(そそ)ぐまで、永遠亭に居座る資格はない。

 こんな簡単な「お願い」一つ叶えられず、月姫の奴隷を名乗れるものか。

 

「鈴仙。貴女は、そんなものの為に行くと言うの?」

「えぇ。そんなものの為に、私は行くのです」

 

 眉間にしわを寄せる輝夜へと申し訳なさそうに目尻を下げ、それでも譲らず前へと進み出る鈴仙。

 

「……生意気」

「え?」

「生意気よ、貴女」

 

 従者が今までと違うように、主人もまた今までとは違った態度を見せる。

 ぷくっ、と可愛らしく頬を膨らませ、輝夜は如何にも「私は今不機嫌です」という表情をしながらジト目で鈴仙を睨む。

 その可憐さは正に傾国と呼ぶに相応しく、

余りの美貌にやられ鈴仙がひるむように後退る。

 

「あ、その……ごめんなさい」

「謝ったって、結局は行くんでしょう?」

「えぇ、まぁ」

「むぅっ」

「……ごめんなさい」

 

 どれだけ輝夜が不機嫌になろうと、鈴仙は謝る事しか出来ない。

 

「もう良いわ。でも、そこまで言うからにはちゃんと面白い話を持って帰って来なさい」

「は、はいっ、行って来ますっ」

 

 主からの許可を貰い、月の兵士がその傷を押して出陣する。

 カードを消し、竹林を駆け抜けて行った少女を見送り、姫君はしばし一人で佇んだ後自身の屋敷へと足を向ける。

 

「てゐー、てーゐー」

「んー、なにー」

 

 玄関で呼べば、それほど時間を掛けずもう一人の居候がやって来る。

 近くまで来たてゐを小脇に抱え、輝夜はすたすたと自室へと歩き始めた。

 

「おっと。何? どしたの?」

「少し寝るわ」

「どうぞどうぞ」

「枕になって」

「はいはい」

 

 我儘姫の突飛な行動には、散々付き合わされた身だ。今更、この程度で驚く事はない。

 不貞寝用の抱き枕として、てゐは達観した様子でされるがままに運ばれていく。

 

「まぁ、子供ってのは成長するもんうさ。生意気なぐらいが可愛いって思わなきゃ」

「可愛くないわ。あんなの、全然可愛くない」

「むしろ、今までが健全じゃなかったんだよ。あの娘は今、ようやく自分の意思ってやつで動けたんだ。やっぱり、外からの刺激があると変化も早いね」

「むーっ、むーっ」

「ちょいちょい、耳をわっしゃわっしゃしないでよ」

 

 割と面倒臭い、不貞腐れ状態になった輝夜の扱いも慣れたものだ。

 例え何億年生きようと、そこに変化がなければ死んでいたのと同じ事。

 数千年を変化の中で生きて来た兎の老獪さに、敵うものではない。

 

「帰って来たらお赤飯だね。うさうさ」

「ふーんだ」

 

 幻想の渦巻く不思議の世界へ迷い込み、秒針を刻み始めた兎の少女。

 だが、永遠を生きる者たちにとって、変化とは即ち終わりへの一歩に他ならない。

 そして、早熟なものほど得てして終わりは早いものだ。

 変化を続ける玉兎の未来が、如何なる結末に辿り着くか。

 今はただ、旅立った少女の帰還を待ちながら、生きた枕の温もりと共に輝夜の姫が今一度の眠りに就くのみである。

 

 

 

 

 

 

 朝霧に霞む守矢神社の境内で、箒を手に日課である掃き掃除をしている早苗。

 彼女もまた、失踪したアリスの行方を捜し連日の捜索を続けている為、疲労の色が濃い。

 そんな早苗が、掃除の途中で空中に漂う何かを見つけ指先で摘まみ取る。

 

「なんでしょう、これ?」

 

 それは、片手に収まる小さな光だった。

 弾幕のようにも見えるが、僅かに意思のようなものを感じる事が出来る。

 霊というには余りに弱く、さりとて何になるでもなくただただ漂う生命に届かぬ断片。

 

「ふあ~ぁ。おふぁよ~」

「あ、諏訪子様。おはようございます」

 

 市女笠を斜めに被り、よたよたと寝ぼけ半分な足取りで歩いて来る幼女神へと、笑顔で朝の挨拶を告げる風祝(かぜはふり)

 

「諏訪子様、諏訪子様。これ、なんだか解りますか?」

「んー? あむっ」

「うっひゃほーい!?」

 

 知識を借りようと摘まんだ光を諏訪子の前に持って来た早苗だったが、いきなりその光ごと手の平をくわえられ変な悲鳴を上げてしまう。

 

「もみゅもみゅ」

「うひゅひゅっ。あ、あの、諏訪子様? そのベロベロ舐めているのは私の指なので、噛んじゃ駄目ですよ」

 

 寝ぼけたまま噛み千切られてはたまらないと、くすぐったそうにしながら冷や汗を流す早苗。

 しばらく少女の手の平の味を堪能した諏訪子は、口を離して幾度か咀嚼し光の正体を探る。

 

「んー、こいつは「欲」だね」

「欲?」

自然の結晶(妖精)にも霊魂(亡霊)にも届かない、小さな小さな神霊(願い)の欠片さ」

「願いの欠片ですか。欲望って、あんな形をしているんですね。もっとドロドロとした、汚い色のイメージでした」

「かまどと同じさ。「欲しい」「したい」「されたい」。くべる(願い)が違えば、灯る光も違う」

 

 究極的に言えば、欲とは目的へ向かう為のエネルギーだ。

 欲が足りねば、くべる薪を失ったかまどは「挫折」という名の消灯へと辿り着く。

 

「とはいえ、自然に生まれて漂うにはひ弱すぎる。発生源を辿って行けば、最終的に原因を作った「何か」には辿り着くだろうよ」

「今回の騒動と、何か関係があるのでしょうか?」

「どうだろ。ただまぁ、早苗が見つけたってだけで追う理由には十分だろうね」

 

 「奇跡を起こす程度の能力」。それは、本人すら自覚しない人智を超越した確率操作だ。

 早苗が行動を起こせば、それは必ず奇跡へと辿り着く。

 偶然が重なり、運命に導かれ、数奇な物語が彼女を無理やり舞台の上へと押し上げてしまう。

 

「うーん。今日は、皆さんと一緒に命蓮寺の地下へ突入する予定だったのですが……」

「別口で動けば良いんじゃない? さっきの「欲」が異変に関わってるんなら、行き着く先は同じだろうし」

「そうですね。攻め込むのは皆さんに任せて、私は諏訪子様の神託に従う事にします」

「うんうん、早苗は良い娘だね。そんじゃあ眠気覚ましと準備運動がてら、軽く()っとくかい?」

「はい、よろしくお願いします!」

 

 開宴 『二拝二拍一拝』―

 奇跡 『白昼の客星』― 

 

 互いの開いたカードの数は、二つ。

 陣中見舞いとして始まった、朝ご飯前の気楽な弾幕ごっこ。二人の放つ大量の光弾が朝空に弾け、澄んだ空気へと消えていく。

 一丸となって行動するのも良いが、それでは一網打尽となるリスクが生まれてしまう。

 別の道を辿れば、別の入り口が顔を出すかもしれない。

 この時の早苗が思っていたのは、その程度の軽い考えだけだ。

 その選択が、今回の異変において最善であった事を知るのは、もう少し後の話となる。

 神に愛され奇跡を起こす、現人神の少女。

 此度の異変での東風谷早苗の物語は、もうすでに始まっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 豊聡耳神子の胸中は、混乱の最中にあった。

 

 何を間違えた。

 何を見誤った。

 油断と余裕を履き違え、私は一体――何を見過ごしてしまったのだ。

 

 あの人形の少女から「種」を抜き、復活の演出に併せ人里を中心とした一帯の住人へと植え付ける。

 脚本の筋書きに違える事なく、アリスの「()」は今、聖徳導師の手の中にある。

 アリスは太子の理想を聞き、己の運命を受け入れた。

 抵抗はなく、否定もなく――さりとて、肯定もないまま己の心を差し出したのだ。

 己の死を望みながら、同じくらい生を望み続けていた彼女にとって、他者から告げられた終焉はさぞ甘美に響いただろう。

 神子は知らない。

 人形遣いの持つ、「原作」という未来に関わるその不思議な知識を。

 彼女の抱える本当の闇と、抗い続けて来たその苦難の道を。

 彼女が、死を望みながら生へとしがみ付くその理由を。

 復活した霊廟の主が敷いた、数々の計画が終わる。

 演劇の幕が上がる事はない。

 そんな余裕は最早ない。

 

Serial(シリアル) Phantasm(ファンタズム)、展開。私の指は、世界を囲う」

 

 決戦の舞台となるはずだった仙界は無残に崩壊し、世界を終焉に導こうとする巨悪が目を覚ました。

 色取り取りの花が咲き乱れる春空の風景が、数多の星を(たた)える海中の風景へと置き換わっていく。

 ()()()()()()()()()だ。

 霊廟の存在する地下空間を仙界へと変化させているリソースを丸ごと奪い取り、己の内に刻まれた電脳世界(プログラム)へと置き換えているのだ。

 それは正に、大地を飲み干す母なる海への回帰。

 獣の体毛を思わせるように緑の苔が全身をおおい、頭部には萃香に似た長く捻じれた二角の角の近くに、花の蕾が小さな王冠のようにちょこんと鎮座している。

 真っ直ぐに伸びた薄紫の長髪が、生まれ出た湖の水に濡れきらきらと煌めきを放つ。

 

「キングプロテア、出撃します」

 

 建物である神霊廟すら余裕で超える体躯を持ち、主人であるアリスを守る為体内へと飲み込んだ生まれたばかりの幼子が、己の誕生を喜ぶように宣言する。

 渇愛のアルターエゴ「G」。

 途方もなく巨大な少女という、生物として矛盾しかない正真正銘の大怪獣。

 愛に渇く存在として生まれた彼女に、「限界」という概念はない。

 ひたすらに食い、ひたすらに飲む。ありとあらゆるものをリソースとして取り込み続け、無限に成長を続ける絶望の質量兵器。

 とはいえ、所詮はアリスの作り上げた贋作の模造品。流石に、本来の少女と同じスペックは用意出来てはいない。

 だが、それでも、オリジナルの持つ数々の能力を再現出来る彼女が、幻想郷という世界を脅かすに足る化け物である事実は揺るがない。

 

「なるほど、青娥――我が師よ。これが、真なる敗北の味か……っ」

 

 神子も、屠自古も、布都も、アリスを侮っていたつもりはない。

 だが、その考えがすでに彼女の評価を見誤っていた。

 一粒の種から巨人へと成長を果たした少女を見上げ、戦慄に身を震わせながら口角を上げる救世の主。

 

「これは確かに、病みつきになりそうだっ」

「プロテアー、パーンチ!」

 

 ごっこ遊びを楽しむように無邪気に振るわれたその拳の威力は、空から落ちる隕石にすら匹敵する。

 大地の下に生まれつつある星の海にて、()(人形)による決して覆りようのない蹂躙戦が開始された。

 




異変なんて無かった(白目)
プロテアちゃんの第二臨は正義。

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