東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

109 / 119
くうくうおなかがなりました――なーんちゃってぇ。


106・地獄ようこそ

 この世界は、間違っている。

 歪み、狂い、捻じ曲げられ、本来あるべき道から外れ始めている。

 原作(正しさ)を知る、唯一の存在として。

 私は一体、何を成せば良いのか。

 

「……もしかしたらって、思っていたの」

 

 神子の右手が、容赦なく私の胸元を貫く。

 痛みはなく、苦しみもない。

 肉体に損傷を与える事なく、私の「欲」を抜き出そうとしている。

 

「でも、貴女の反応を見るにそれは杞憂だったみたいね。良かったわ」

「なんの話だい?」

 

 何もかもが手遅れとなった状況で、突然喋り出した私へと太子が怪訝な表情をする。

 

 何処かの幸薄系ヒロインみたいに、何かの理由で引っこ抜くのが失敗するかもとか思ってたけど、そんな事はなかったぜ。

 まぁ、いいや。バグまみれのちっぽけな欲くらい、好きなだけあげるさ。

 どのみち、霊夢と紫が居るのだから貴女の計画は絶対に達成出来ないだろうしね。

 

 心とは、それ一つだけで完結しているものではない。

 他者との触れ合いや、日常の変化で簡単に揺れ動く不安定で曖昧な代物だ。

 つまり、例え私から「欲」を引き抜かれたとしても、その「欲」を他者にをばら撒いたとしても、結局は時間と共に再形成されるだけで終わるだろう。

 神子の失敗は、「欲」という一点のみに固執し過ぎた事だ。

 私は、その策で失敗した敗北者を()()()()()

 

「切っ掛けが、必要だったの……」

「一体、君は何を言っている」

 

 徐々に意識が薄れ始め、うわ言のように言葉を紡ぐ私の意図が読めず、神子が更に眉を寄せていく。

 歪みの元は私自身であり、全ての乖離は私から始まっている。

 つまり、私がこの地から完全に消滅する事こそが、歪みを正し世界を正常な道へと戻す最短の手段だろう。

 この肉体にそのまま宿るのか、まったく別の肉体が用意されるのかは不明だが、恐らくはこの世界を歪めている元凶である「私」の死をもって、本物の「アリス・マーガトロイド」は幻想郷への帰還を果たす。

 だが、それは試せない。

 私の命は、もう私だけのものではない。

 

 上海、蓬莱――

 あの娘たちの犠牲の上で生きる私は、自ら死を選んじゃいけない。

 

 だが、世界は異物である私を認めない。

 正しいものを正しい場所へと戻す為に、世界は私の敵であり続けてしまう。

 故に、私に許される道は限られる。

 魔界神を欺く為。そして何より、世界を欺く為に――

 幻想郷に逃げ場はない。

 魔界に逃げても、過去は私を追って来た。

 上にも下にも行き場がないのなら、()()()()()()しかない。

 

()()()()()()()()()()()……その為の舞台が」

 

 これは実験だ。

 現世から薄皮一枚隔てた先にある、幻想郷。

 そこから更に別の異相にある、仙界。

 そして、更にもう一枚。私は界の壁を逸脱する。

 

お母さま(マスター)!」

「っ!?」

 

 ここが建物内である事など、なんの防御にもなりはしない。

 神霊廟の壁をぶち壊しながら、巨大な手の平が私の身体を包み込む。

 

お母さま(マスター)、隠れていてください――」

 

 慌てて後退し、巨人の腕を回避した神子を置き去りにして、私はそのまま手の平の持ち主である着ぐるみめいた巨娘へと捕食される。

 キングプロテア。

 とある別世にて。暴走したAIが切り離し、様々な女神のエッセンスを加えて再構築した、渇愛の自己(エゴ)

 愛を知らぬが故に、愛を欲し続ける底なしの(うろ)

 

 あぁ、落ちる――堕ちる――

 私の身体が、電子の海へと堕ちていく――

 

 彼女の巨体を動かす燃料は、何を隠そう私自身だ。

 正確には、私の左腕の義手に込められた大量の魔石(ジェム)の魔力。

 妖怪の山を余裕で貫通する出力の全てが、キングプロテアというAIを動かすエネルギーへ変換されるのだ。

 怪獣サイズの彼女には、同じく規格外のエンジンこそが相応しい。

 

 紅霧異変で手に入れた、レミリア・スカーレットの羽の一部。

 春雪異変で手に入れた、八雲藍の片耳。

 永夜異変で手に入れた、八意永琳の矢。

 他にも、ミシャグジの鱗、砕かれた鬼の拘束具の欠けらたち、切り飛ばした緋想の剣の刀身etc――

 

 私は、異変や事件に関わりながら誰もが気にせず放置した、数多の()()たちを手に入れて来た。

 そして、その素材の持ち主であった強者たちを観察し続けて来た。

 考察し、研究し、実験を繰り返す――その全ての成果が、アルターエゴという少女の形を取り顕現する。

 

Serial(シリアル) Phantasm(ファンタズム)、展開。私の指は、世界を囲う』

 

 遥か遠くから、我が娘の声が反響する。

 Serial(シリアル) Phantasm(ファンタズム)。またの名を、霊子虚構世界SE()RA()PH()

 月面にて作られた、たった二人の勝者を決める戦争の舞台となる電子の海。

 膨大なエネルギーと、規格外の演算能力が合わさって初めて可能となる電脳世界だが、幻想郷にはその異世界を模倣出来るだけの手段(ツール)が十分に用意されている。

 七曜の魔女、月の頭脳、山の河童、古道具屋の店主。

 頼もしい協力者に、事欠く事もない。

 

『キングプロテア、出撃します』

 

 私はこの娘に、謝らなければならない。

 愛は注いだ。

 力も権能も、出来得る限りのものを与えたつもりだ。

 だが、それでも私は彼女を「道具」として作成した。

 道具とは、役目を果たす為の手段でしかない。

 私は彼女に役割を求めた。故に、彼女は私の設定した要求を果たすだろう。

 キングプロテアの役割とは、()()に向けてのデータを取り――そして、最後にやって来るだろう博麗の巫女たちに敗北する事。

 彼女の敗北は、生まれた瞬間から決定している。

 

 愚かな母親を、この娘は呪うだろうか。

 罪深い母親を、この娘は恨むだろうか。

 

 せめて、と願わずにはいられない。

 せめて、私の娘が役目を終わるその時まで、幻想の園で目一杯全力で遊ぶ事を。

 

 

 

 

 

 

 愛は寛容であり、愛は親切である。

 愛は妬まず、愛は自慢せず、愛は高慢にならない。

 全てを我慢し、全てを信じ、全てを期待し、全てを耐え忍ぶ。

 

 そうあれかし。

 

 渇愛の(さが)をお仕着せられたキングプロテアは、造物主であるお母さま(マスター)に願われるまま己の全てを定義する。

 そこに魂はない。

 そこに精神はない。

 組み込まれた情報(データ)を元に、「そういうキャラクター」を演じ続けるだけだ。

 

「がお~!」

 

 初撃を回避した神子への追撃として、四つん這いの格好でノリノリの大声を上げながら、キングプロテアが再び拳を振り下ろす。

 

「ふっ」

 

 しかし、大きいからこそ狙いは解り易い。

 これ以上神霊廟を壊されてはたまらないと、神子は建物から離れるように大きく飛翔し巨人の拳から遠くへと逃げ延びる。

 

「お下がり下さい! 太子様!」

 

 二回の轟音を聞き付け、現れた屠自古が太子へ仇なす愚か者の眼前へと躍り出る。

 

「舐めんなあぁぁぁっ!」

 

 そして、自身の放てる最高威力の雷撃をその怒りと共に叩き込む。

 遠慮も呵責もない、全力の雷だ。

 普通の生物であれば、即死どころか形が残るかも怪しいほどの閃光が激しく明滅する。

 しかし、彼女が対峙した怪獣には通用しない。

 

「いたたっ」

 

 幾本もの強烈な雷撃を全て食らっても、キングプロテアは僅かに眉を寄せて痛がっているだけだ。

 余りに巨大。余りに強大。

 ただ「大きい」という単純過ぎる事実が、そのまま彼我の戦力差となって仙人と亡霊の前にそびえ立つ。

 

「もう、やめてください」

「がぁっ!?」

 

 そのまま平然と右手を振るい、屠自古を真横へと弾き飛ばす。

 まるで、ハエや蚊でも相手にしているかような、無造作な仕草。

 たったそれだけが、こんなにも強烈な一撃となる。

 そして、絶望は止まらない。

 

「もっと、もっと」

 

 ヒュージスケール――

 

 「限界のない、規模拡大を可能とする」、チートスキル。

 自身の規格(レベル)が上限に達すると、己の規格(サイズ)そのもの巨大化させ、更なる上限を設定。これを延々と繰り返す。

 

「もっと、大きく……」

 

 グロウアップグロウ――

 

 「常時、経験値を取得する」、二つ目のチートスキル。

 一つ目のスキル、「ヒュージスケール」との相乗効果により、キングプロテアの成長サイクルは完成する。

 この、原作能力を模倣する現象の正体は、伊吹萃香の「密と疎を操る程度の能力」と、命蓮寺の住人たちが起こした異変にて、村紗水蜜が見せた海水の巨人。その二つの融合だ。

 アリスが生み出したキングプロテアの肉体を構成しているのは、ほぼ全てが外の世界の海水である。

 膨大な質量の輪郭を整え、「キングプロテア」という画像(デザイン)を貼り付ける。この巨大なる少女は、つまるところ騙し絵のような存在でしかないのだ。

 つまり、オリジナルとは違い模造品である彼女には「地球上の海水全て」という明確な限界が存在する。

 だが、その限界が到底到達出来るものではないのだから、何が劣っていようと気休めにはならない。

 

「もっともっと、愛をください……お母さま(マスター)

 

 海と自身を接続し、空気によって膨らむ風船ようにプロテアの花が拡張していく。

 そんな彼女を動かす燃料は、最初に飲み込んだお母さま(マスター)の魔力。

 

「あらあらまぁまぁ」

「おー」

 

 次に神霊廟から姿を見せたのは、邪仙とその護衛のキョンシーだ。

 仙界の景色が分解され、星の海へと侵食されていく終末の光景を眺めながら、青娥は困ったように頬に手を当てている。

 芳香は状況が良く解っていないのか、地下の天上に星が瞬く景色に感嘆の声を上げていた。

 

「貴女たちも敵ですか? 潰して良いですか?」

 

 成長を続ける怪獣が、質問と同時に右の手の平を振り下ろす。

 平たい大岩に等しい剛撃が、叩いた大地を(したた)かに揺らす。

 しかし、そこは百戦錬磨の邪仙。そう簡単にやられはしない。

 己の能力で足下に深い穴を空け、キングプロテアの一撃をやり過ごした青娥と芳香は、そのまま横穴、縦穴の順で穴を空け巨人の手から離れた位置で飛び出す。

 

「これほどの隠し種を出して来るとは、幻想郷は本当に素晴らしい土地ですわねぇ」

「おっきいなー、青娥ー」

 

 多少の不利や不都合は、全て体格という力技で捻じ伏せる。

 大雑把で適当だが、真理でもある。現に、屠自古の全力ですら人形の巨体は受け止め切った。

 青娥も神子も、あれ以上の火力を即座に用意する事は出来ない。

 しかも、現時点ですでに巨大過ぎるほどの体躯だというのに、アリスの人形は明らかに成長を続けている。

 つまり、時間が経てば経つほど神霊廟の勝機は失われていくという事だ。

 

「むぅっ。逃げちゃ、だめっ」

 

 よけられた悔しさから可愛く頬を膨らませ、キングプロテアが選んだ手段は「ひたすら叩く」だった。

 虫一匹を潰すのに、小難しい作戦など何も必要ないのだ。

 不機嫌な少女の両手が振り回され、地面を局地的な大地震が襲う。

 

「芳香」

「解ったぞー。ふんっ」

 

 今度は二人で迫り来る大質量を回避しながら、芳香は大きく右腕を振り回し勢いを付けて自ら肉体を切り離す。

 地面へ到達したキングプロテアの一撃が、轟音と共に一帯を陥没させ盛大に土砂を巻き上げる。

 

「触れましたわね」

 

 犠牲となったのは、キョンシーの腕一本。

 だが、死体の少女の全身は邪仙の施した猛毒の宝庫だ。

 ほんの僅かに触れただけで、劇毒はどれほど規格外の巨体であろうとその全身を蝕んでいく。

 しかし、ほくそ笑む青娥の表情は続かない。

 

「汚れちゃった。よいしょ」

「え?」

 

 キングプロテアは、芳香の血が付いた部分の苔をむしり取り、適当に放り捨てる。

 彼女の成長に併せて、切り取った部分の苔が盛り上がる。元通りとなるまで、三秒も掛かってはいない。

 実際は、汚染された海水を切り離しただけなのだが、怪獣の着ぐるみのような恰好がその事実を誤認させる。

 

「まさか、そんな方法で……」

「青娥! 下がれ!」

「っ!?」

 

 驚きと称賛を含めた感嘆を漏らす青娥の背後から、神子が大声で指示を出す。

 大気が震える。大きく息を吸うというただそれだけの動作で、巨人の前方にある空気全てが悲鳴のような振動音を響かせる。

 

「La――――ッ!」

 

 ミスティアが習得した、音波による振動衝撃波。

 規格(サイズ)が凶悪になれば、その威力もまた凶悪なまでに引き上げられる。

 言うなれば、それは軸を真横にした極大の竜巻だ。

 進路にあるもの全てを問答無用で吹き散らす、音と振動の大洪水。

 

「「はあぁぁぁ!」」

 

 神子と青娥。師弟二人の構築した強固な結界は、大半の威力を相殺してなおその場に留まる事が出来ず、大きく後退してようやく停止する。

 

「とてつもな――っ!?」

 

 神子が感想を述べる暇すら、与えては貰えない。

 吹き飛ばされ、距離を開けたはずのその場へと巨娘の両手が左右から迫る。

 

「くっ」

 

 理解出来ない現象に戸惑いながら、それでも(かんざし)を使い虚空へと穴を空けた青娥に続き、間一髪で全員が死地から逃れた。

 巨人から距離を離した空間まで跳躍し――そこに、巨人もまた出現する。

 

「何が――っ!?」

「青娥! あぶない!」

 

 キングプロテアのデコピン――それをデコピンと呼んで良いのか迷うほどの威力と範囲だが――が、青娥を庇った芳香へと炸裂する。

 

「えいっ」

「ぼぎゃっ!」

 

 高速で飛来する、巨大なる一撃。

 その直撃により、キョンシーの上半身が挽肉となって飛散していく。

 

「んふふ。乙女の秘密、ですよ?」

 

 芳香の身体を無残に吹き散らしたキングプロテアは、再び毒の血が付いた苔をむしり捨て、くすくすと笑いながら種明かしをするように瞬時にその身の位置だけを別の場所へと移動させる。

 瞬間移動(テレポート)。大妖精や小悪魔の使用する、超常の移動手段だ。

 それを使えるという事は、成長するこの巨体が戦場の如何なる場所にも存在し得るという、悪夢を超えた絶望を意味している。

 

「はは……無茶苦茶だ」

 

 最早、太子の口からは乾いた笑いしか出て来ない。

 空を食らい、大地を食らい――仙界という偽りの世界を食らい、海が広がる。

 虚構と無限にたゆたう、電子の海が。

 花が消え、陽光が陰る。そして、空間の全てに星の瞬きが満ちていく。

 世界を食らい電子の海が広がる度に、その根幹であるキングプロテアが肥大化していく。

 

「私、大きいですか? 小さいですか? ……物足りませんか?」

 

 生まれた時ですら神霊廟を超えていた人形の成長は、屠自古と芳香が倒れてもなお止まらない。

 

「もっと……もっと……」

 

 止まらない。止まるはずがない。

 彼女は愛に飢えているから。

 彼女は愛に乾いているから。

 

 そうあれかし。

 

 残酷なまでに愛を求め続ける無垢なる少女の、理不尽なまでの暴力を止める(すべ)はない。

 神子の立てた計画は、生まれたばかりの幼子によって始める事すら許されない。

 潜んでいた岩戸の中へと解き放たれた、全ての仕込みを台無しにする人形(あくま)との攻防は、今しばらく続きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 小雨のちらつく曇天となった博麗神社にて、魔理沙と布都の勝負が続いている。

 そしてそれは、圧倒的なまでに魔理沙の優勢へと傾いていた。

 

「馬鹿なっ! 馬鹿な馬鹿な馬鹿なあぁぁぁっ!」

 

 怒りと己の不甲斐なさに激昂する傷だらけの尸解仙を尻目に、普通の魔法使いは無傷のまま箒にまたがり悠々と境内の上空を飛翔する。

 

「なっさけねぇなぁ。たった二枚のスペルを攻略するのに、どんだけ時間掛けてんだよ」

 

 布都は、弾幕ごっこをただの遊戯と侮った。

 しかし、それは間違いだ。

 結界で耐えれば動きが止まり、八卦炉の砲撃の餌食となる。

 やみくもに避け続けてもいずれは当たり、星の濁流によって押し流される。

 一つ一つの威力は低くとも、何度も食らえばそれは痛みとなり傷となる。

 数々の異変を経て、魔理沙の魔法使いとしての実力は順調に開花していた。

 

「そんな事じゃあ、決着が付く前に日が暮れちまうぜ」

 

 スペルカード・ルールは、決闘の作法だ。

 命のやり取りでなくとも、そこには相手を屈服させるだけの戦術が組み込まれている。

 

「ふざけるなぁぁぁっ!」

 

 反撃に繰り出した炎弾は、流星となった魔理沙の速度に追い付けない。

 霊符の操作による、背後からの奇襲も無意味だ。弾幕ごっこにおいてありふれている攻撃が、その道のエキスパートである魔理沙に当たる道理はない。

 

「何故解らん!? 人々が幸福へと至る道が、すぐそこにあるというのに!」

「知り合いを犠牲にして、赤の他人を幸せにしたいなんて思える訳ないだろ」

 

 互いの言葉は、相手の心に届かない。

 妖怪と人間の共存はあり得ない。

 布都の主張の正しさは、外の世界の有り様が証明している。

 

「大義である! 人が(あやかし)共に家畜としてもてあそばれる狂った統治など、許されるはずがないであろうが!」

 

 強大な力を持つ人外たちが、成す(すべ)もなくただ滅ぶ事しか許されなかった。

 残されたものは、人間の目には触れないように隠され秘匿されたほんの少しの神秘と、こんなにも惨めで小さな箱庭だけだ。

 人間こそが、この地上において最高の存在なのだ。

 その人間が、本来淘汰するべき妖怪に支配されている集落など、認められるはずがない。

 歪みは正さねばならない。その悪徳は、人間にとって害悪でしかない。

 

「ぽっと出の新参が、知った風にごちゃごちゃ語るなよ」

 

 しかし、正しさだけで世が回るのであれば、そもそも幻想郷は存在していない。

 存在自体が間違いであり、決して正しい循環であるとは言い難い人外たちの楽土。

 しかし、何が間違いであろうと、何一つ正しさがなかろうと、そこには確かに命ある者たちが生きているのだ。

 

「私から言わせりゃあ、お前たちの許しがないと生きられない世界の方が狂気の沙汰だぜ」

 

 生きる事に、理由など要らない。

 他者の都合で、死んで良い者など居ない。

 

「貴様ぁっ! 下民の分際で、太子様の統治を侮辱するかぁっ!」

「そっくりそのまま返すぜ、大馬鹿野郎。幻想郷の人間()たちを、侮辱するんじゃねぇ!」

 

 平行線のまま、再び二人が動き出す。

 ここまで来れば、是非もなし。

 互いの全力にて、ただぶつかり合うのみ。

 

 彗星 『ブレイジングスター』――

 

 その姿は、彗星の如く。

 箒の穂先へと取り付けられた八卦炉から強烈な熱波が放出され、その加速を受けた魔理沙自身が空を駆ける。

 

「はあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 対する布都が両手を広げ作り上げたのは、今までの比ではない密度と大きさをした疑似太陽とでも呼べるほどの巨大な炎塊。

 流星と焔。二つの弾丸が空中で交錯――しない。

 

「なっ!?」

 

 その流星は、生きているのだ。馬鹿真面目に、相手の有利な決闘を受けてやる道理もない。

 

「へっへぇ」

 

 斜めに軌道を変えて直前で火の玉を回避した魔理沙は、ニヒルな笑みを浮かべながら更に確度を変え、驚愕する布都へと抉り込むように突撃する。

 

「おぉぉぉらあぁぁぁぁぁぁっ!」

「がっ、がぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 箒の柄が布都の腹を捉え、そのまま円を描く軌道で遥か上空へと突き進んで行く。

 

「ぎ、ぎぃざぁ゛ま゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ」

「へっ、弾幕は頭脳(ブレイン)。常識だぜ?」

 

 血を吐き悶える敗者の前で、普通の魔法使いは他人の台詞で勝利を宣言する。

 滑走の最後に布都を真下へと振り落とした魔理沙の手元に、放出したばかりの熱を宿す八卦炉が瞬時に移動する。

 

「あばよっ!」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

「――っ」

 

 放たれた恋の波動が、落下する尸解仙の全身を飲み込み突き進む。

 最後に地面へと到達した熱波が炸裂した後、その中心にて布都が大地へと倒れ伏していた。

 

「負け犬らしい、見事な遠吠えだったぜ」

 

 スペルの連発による疲労から軽く息を弾ませながら、魔理沙は煙を上げる布都の近くへと着地する。

 

「か……ぁ……っ」

 

 ボロボロの姿になった仙人は、仰向けのまま身動きを取らず言葉にならない掠れた声を喉で鳴らしている。

 

「やれやれだぜ」

 

 勝つには勝ったが、魔理沙にとってこの一戦は決して楽しい勝負でも嬉しい勝利でもなかった。

 計らずも弱い者いじめ染みた戦いになってしまい、魔理沙は罰が悪そうに帽子のつばを下げる。

 だが、その行為は物部布都という存在への侮りに他ならない。

 

「魔理沙、前!」

「え? うぁっ!?」

 

 霊夢の声に反応するが、油断した魔理沙は自身の顔へと飛来した泥をまともに食らってしまう。

 投げつけたのは当然、雨で濡れた地面に倒れていた布都だ。

 ルール無用の真剣勝負(殺し合い)に真の決着が付くのは、相手が死んだ時だけだ。

 命がある限り、己の敗北を認めない限り、今わの際であろうと戦いは続いている。

 

「しいぃぃぃえあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 獣のように四肢を使い、狂気すら宿る気迫で彼我の距離を詰める尸解仙。

 しかし、その泥まみれの手が魔理沙の首を捉える事はなかった。

 

 宝具 『陰陽鬼神玉』――

 

 魔理沙と布都の間に紅白の陰陽玉が出現し、一気に肥大化する。

 

「お、ご――っ」

 

 そして、大玉と化した陰陽玉は回転しながら布都へと突撃し、神社の外周にある雑木林へ向けて一直線に吹っ飛んで行く。

 

「残心。忘れてるわよ」

 

 その場から一歩も動かぬまま敵を叩きのめした霊夢が、半眼で未熟者の相棒を睨む。

 

「あ、う、えと……ありがと」

「どういたしまして」

 

 命を救われた魔理沙は、悔しさと情けなさでしどろもどろになりながらもお礼を言う。

 

「あいつ、生きてんのか?」

「加減はしたわ。死んでたら、その時はその時ね」

「おい」

 

 幻想郷は、外の世界より遥かに命の価値が軽い。

 だからといって、ただの「うっかり」で誰かが死ぬ事を平然と認められるはずもない。

 半死人を回収しようと、今度はちゃんと警戒しながら魔理沙は林へと向かって行く。

 

「おん? 藍か?」

「あぁ、魔理沙か」

 

 大玉と化した陰陽玉が蹂躙した木々の先に居たのは、対決していた尸解仙ではなく、己の名と同じ藍色の番傘を差した九尾の狐だった。

 

「あーっと……この辺りに、吹っ飛んでった白装束が居たと思うんだが」

「私が回収した。縄で縛った程度では、霊夢が動けんからな。下の騒動が片付き次第、飼い主の元へ戻すさ」

 

 見れば、藍の立っている場所の地面にはスキマが開き、それが徐々に閉じようとしていた。

 恐らく、飛んで来た布都をそのスキマへと放り込んだのだろう。

 

「紫ほどじゃないが、お前が動くなんて珍しいな」

「元凶が下手を打ったせいで、もしかすると今すぐにでも異変が終わる――いや、始まるかすら怪しくなって来てな」

「はぁっ!?」

「不良天人の起こした事件も、それに続く巨大絡繰りの変事も、アリスが解決してしまい異変とは呼べなくなってしまった。博麗の巫女を含め、人間の活躍する機会が下らぬ些事で失われるのは、我々幻想郷を運営する側として看過出来ん」

 

 妖怪が異変を起こし、人間が解決する。

 それは、幻想郷において数少ない絶対の法則だ。

 人間は妖怪を恐れ、恐れるが故に退治する。

 その循環は、これから先も不変でなければならない。

 

「当面の脅威は去ったと霊夢に伝えろ。それと、仙人たちの根城は命蓮寺の地下だ」

「自分で言えよ。あ、おいっ」

 

 魔理沙を伝言役に仕立て、藍もまたスキマを使いさっさと姿を消してしまう。

 

「ったく。どいつもこいつも好き勝手しやがって」

 

 残された普通の魔法使いは、顔中で不満を表しながら神社へと戻って行く。

 魔理沙自身もまた「好き勝手」をする側の人間なのだが、相手からされるのは普通に嫌いらしい。

 博麗の巫女が動く。それは、異変の解決を意味している。

 つまり、巫女が関わった時点でそれは異変であるとも言える。

 だが、それも地下の激戦に間に合えばの話だ。

 霊夢とその相棒である魔理沙が、ようやく博麗神社から移動を開始する。

 目指すは命蓮寺。その地下で今、何が起こっているのかを知らぬままに、二人は小雨が降る曇り空を飛んで行く。

 それに呼応するかように、各地に散る者たちもまた決戦の地へと向かい始める。

 巻き込んだのか、巻き込まれたのか。

 事を起こした張本人たちですら、自分たちが何を仕出かしてしまったのかを理解しないまま、与えらえた流れに沿って転がり出す。

 世界は巡り、そして流れる。

 進み、導き、流転する。全ては――そう、全てはこの世界のイレギュラーが引き起こした、恐るべき大惨事を清算する為に。

 世界を滅ぼし得る機械仕掛けの神が、本当の意味で目を覚ましてしまうその前に。

 

 

 

 

 

 

 時を戻し、陰陽玉によって破壊された林の奥にて、布都が起き上がる事すら出来ずにいた。

 

「う、うぐぅ……っ」

「――復活したての世間知らずが、随分とやんちゃを働いたようだな」

「っ!?」

 

 禍々しい空間の裂け目より現れたのは、九つの尾を持つおぞましいほどに強大な妖気を放つ獣の(あやかし)だ。

 

「貴様は……八雲っ!」

「気安く呼んでくれるな。主の名であり、私の名だ。貴様如き、野蛮な不埒者に語られるのは気分の良いものではない」

「う、ぁ?」

 

 気が付けば、周囲の地面全てが(あやかし)が通って来たものと同じ空間の裂け目となり、布都を飲み込み始めている。

 

「く、くく……」

「何を笑う、尸解仙」

「これが、笑わずにいられようか。邪悪なる者よ」

 

 何も、間違ってはいなかった。

 その願いも、成すべき事も。あってはならない害悪共がのさばる地獄を許せぬ、自身の胸に宿る気持ちも。

 

「げにおぞましき闇の化生よ。貴様のような化け物が生きている事こそ、この箱庭の誤りよ」

「否定はせん。この地は所詮、志半ばで破れた者たちの流れ着く泡沫の夢でしかない」

 

 幻想郷という世界の破綻を、この獣は理解している。

 理解してなお、その統治を改めようとは考えていない。

 現状の維持だけに固執し、変化と進化を拒絶した停滞だけが残るただ腐るだけの鳥かご。

 確かに、そうしなければ幻想は滅ぶだろう。

 人間だけが前へ進み、幻想は留まる事しか出来ないのだから。

 愚かで、醜く、救いようのない、過去に縋るだけの遺物。

 

「だが、夢が夢のままで終わると誰が決めた?」

 

 睨み続ける人の成れの果てを見下ろし、(あやかし)の頂点が皮肉気に笑う。

 まるで、人間こそが愚かであるのだと(うた)うように。

 

「そういう意味では、人間共にはとても感謝しているよ。奴らが存在する限り、()()()()()()()()()のだから」

 

 あざ笑うそのさまは、正しく悪鬼の如く。

 

「外の世界が捨て続け、忘れ続けたものが、いずれ彼方の時を経てその()を逆転させた時、一体何が起こると思う?」

 

 幻想郷とは、幻想の廃棄孔であり、集積所であり、反撃の為の最後の砦。

 この秘境の存在意義は、「存在している」というその一点のみで完成しているのだ。

 

「幻想郷は、新たな幻想(お前たち)を歓迎するよ」

「馬鹿な……あり得ぬ」

「幾ら否定しようと、この場に居る時点で結論は変わらん」

「我らも……我らすらも……幻想、だと……」

「然り」

 

 人間は、己の理解出来ぬものを否定してしまった。

 

 仙人など居ない。

 仙界など存在しない。

 不老不死などあり得ない。

 

 仙道、陰陽道、錬丹術。人間が、人間を超える為に学び高みを目指したはずの学問ですら、彼らは全てをなかった事にしてしまった。

 全ては幻想。人を捨て、超越者として復活した者たちを待っていたのは、「そんなものは存在しない」という世界からの否定だった。

 隔離された箱庭の中でしか存在を保てない、か弱く無残な夢の残り滓。

 

「太子様は、この事を承知で……っ」

「当然だ。だが、その真意は測りかねている。まさか、己の目的の為に己の首を絞める阿呆ではあるまい」

 

 神子の策が、攻め手に欠いていた理由。それは恐らく、博麗大結界を砕けば尸解仙として蘇った自分たちも消滅すると理解しているからだ。

 死にたくないから不老の存在となったのに、どうして見ず知らずの他人の為に命を捧げられようか。

 外の世界で、幻想は生きられない。生きるにしても、己という神秘を秘匿するには人目を避け影に隠れるように暮らすしかない。

 それは、世界の中心にて差配を振るう事を夢見る、聖徳導師の求める生き方ではないはずだ。

 だが、幻想郷が己の命を繋ぐ存在であると理解しながら、それでも神子はその箱庭を破壊する計画を立てた。

 側近の布都ですら理解出来ないものを、敵対者である妖獣が理解出来るはずもない。

 

「馬鹿な……なんという、なんという事だ……っ」

 

 やがて、何も言えなくなった時の流れの犠牲者が完全に闇へと沈む。

 存在を失った吸血鬼。

 命を失った亡霊。

 信仰を失った神。

 妖獣の語った通り、幻想郷に集う者たちは皆が敗北者だ。

 その程度の不運など、この土地ではありふれている。

 人間を救おうと願い、その願いの為に人間を捨てた超越者は、救うべき人間から捨てられ幻想の園へと辿り着いた。

 全ては変わり往く。取り残された者たちもまた、変われないなりに変わらねばならない。

 幻想郷は、全てを受け入れる。

 それはそれは、残酷で優しい話だった。

 

 

 

 

 

 

 想定外というものは、何時だって起こり得る。

 何故なら、未来を知る事など誰にも出来はしないからだ。

 

「ゲイムオーヴァー」

 

 ある異変にて吸血鬼の姉と喧嘩した際、彼女は私に幻想郷から出て行って欲しいと願った。

 それを聞いた時から、私の頭の中にはある疑問が浮かんでいた。

 即ち、私は幻想郷から逃げられるのか、という問題だ。

 私は、「アリス・マーガトロイド」の贋作である。

 製作者の良く解らない目的を果たす為に、登場人物の代役をこなしながらこの世界で暮らしている。

 そんな私が勝手に舞台から降りる事を、製作者は許すだろうか。

 

「そーんなに怖がらなくてもいいわよん? これは、余興みたいなもんよ」

 

 だから、試した。存在するだろう監視者を誘き寄せる為に、これから逃げるぞ、出て行くぞ、と世界の壁をこれ見よがしにすり抜けてみた訳だ。

 良くて無人。もし居るしても、それは製作者である魔界神だろうと勝手に想定していた。

 

「自分から会いに行くのは良いのに、会いに来られるのは恥ずかしいだなんて、とってもいじらしいわよねん?」

 

 何故――

 その質問は無意味だ。全ての世界の地獄が彼女の管轄なのであれば、当然()()()()()も範囲に入る。

 そして、彼女の言葉が事実だったとしても、代役の人選を完全に失敗していると言わざるを得ない。

 肩口ほどまで伸ばした赤髪。

 首に巻かれたチョーカーと繋がる鎖たちの先に、バスケットボールほどの大きさをした三つの月。

 白い文字で「welcome hell」という文法ミスの文字が描かれ、返り血を模したデザインが貼られた黒いTシャツ。

 

「名乗った方が、それっぽいかしらん? 私はヘカーティア。ヘカーティア・ラピスラズリよん」

 

 数多の地獄を司る、公式最強にして公式変なTシャツヤロー。

 全ての世界の底を治める、最高クラスの女神。

 もしかすると、彼女の実質的な権能は私の「聖典(バイブル)」由来の最強呪文で力を借りるL様にすら匹敵するかもしれない。

 

「でも、気を付けてねん。もしも私がつまらないと感じてしまったらん――本当に、全部終わっちゃうかもしれないから」

 

 私の人生、終了のお知らせ。りたーんず――

 




い つ も の

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。