東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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愛を下さい。もっと、愛を。
他には何も要らないから。ちゃんと良い子にしますから。
溢れるほどに、止まないほどに。
この飽く事なき飢えと、満たされる事なき乾きが。
一時でも忘れられるだけの――愛を、下さい。



107・箱舟は遠く、されど星の海は生まれたる

 今、私たちが居るのはキングプロテアの内外へと展開された疑似世界、SE()RA()PH()(偽)の最奥だ。

 白もなく、黒もなく。

 落ちているのか、昇っているのか、留まっているのかすら定かではない。

 世界の狭間――その名に相応しい空間に、私ともう一人が存在している。

 光も闇もないはずなのに、それでも私は女神の姿をはっきりと認識出来る。

 

 うわぁ、ほんとに変Tだー。

 でも、美人さんだから変Tも普通に似合ってるね。

 流石に神様だから、光学迷彩(ステルス)うぜぇ丸で撮ってもばれるだろうし、ここは脳内補完でしっかり目に焼き付けねば。

 

 そんな不思議な空間で、相も変わらずお花畑な事を考える私を、ヘカーティアはうっすらと笑みを浮かべながら頭上から見下ろしている。

 一口に神と言っても、その強さや権能は千差万別だ。

 そんな中で、私の頭上を漂っている女神の神格は間違いなく最高クラスだろう。

 

「初めまして、ホワイトフェイス。お噂はかねがね聞き及んでいるわよん。主に、貴女のお母様からねん」

「彼女は今、地獄に居るの?」

「えぇ、そうよん。同じ世界の底という意味で、魔界も地獄も似たようなものだしねん。会いたい?」

「今は、その時ではないわ」

「あっはははっ。嫌われたものねぇ」

「子は親を嫌うものよ」

 

 そして、同じくらい愛しもする。

 会えるものなら、会いたいとは思う。だが、それは今ではない。

 

「んー。一方的にお仕着せられただけの、お人形ちゃんを想像していたのだけれどぉ……貴女、もしかして元々は人間だったのかしらん?」

「どうかしら。もう、随分長くこの身体を使っているから、その辺りの認識も曖昧になって来ているわ」

 

 最初から全てが曖昧だった上、更に紫の封印を追加して十数年も過ごして来たのだ。

 一体どれだけ摩耗し、擦り切れてしまったか。持ち主である私ですら、もう何も解らない。

 「私」が人間である可能性など、とうの昔に捨てている。

 

「人間、人間かぁ……んふっ、なるほどねん」

 

 人さし指を口に当て、女神が妖艶にほほ笑む。

 

「貴女への試練が決まったわん」

「試練?」

「えぇ、試練よん」

「何故、私が貴女から試練を受けないといけないの?」

「そ・れ・わぁ――私が神で、貴女が人だからよ」

「っ!?」

 

 そこに、神が居た。

 世の理不尽の一切合切を体現する、天と地を統べる者。

 おふざけを止めただけで、この威圧。それだけで、抵抗は無意味だと理解させられてしまう。

 

 意味不明な上に問答無用とか。ワロス。

 

「……乗り越えられなかったら?」

「貴女たちによって歪められた全てが、元に戻るわ――当然、本物のアリス・マーガトロイドも含めて、ね」

 

 それは、「私」という痕跡と足跡の全てを消し去るという、本当の意味での消滅を意味していた。

 

 ゲームオーバーどころか、ゲームデータそのものが削除されるとか、なんやクソゲー!?

 

「幻想郷の閻魔ちゃんすら()()()()()()()()()()()貴女を、世界は裁けない。けれど、貴女は貴女自身の生を持って、十分な業を溜めてみせた」

 

 女神が持ち上げていた球体の一つを手放し、自由になった右手の人差し指を私へと突き付ける。

 

「「この世界で生きた」。それだけの理由で、私は貴女を地獄へ堕とす。死んで喜びなさい」

「ヘヴィね」

 

 ヘヴィだぜ。

 勘弁してつかぁさい。

 

「ハッピバースデー、トゥーユー」

 

 嘆いても、怒っても、神の試練から逃れる(すべ)はない。

 微笑を浮かべるヘカーティアの指先から発せられた高速の光が、私の脳天を無情に撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 諏訪子の助言を受けた早苗は、道中にポツポツと浮かぶ小さな神霊たちを辿りつつ、妖怪の山を下っていた。

 その道すがらで出会うのは、以前の異変で幻想郷へ住み着いた新参と追加の新顔だった。

 

「あれ? ぬえさんじゃないですか。お久し振りです」

「お前は……えーっと、さ、さ、さまえ!」

「惜しい! そんな間違って覚えちゃうような娘には、何度でも名乗らせていただきます! 私は、東風谷早苗です!」

「だ、だから、別にポーズは取らなくても良いだろ」

 

 ぐいぐい距離を詰める早苗に、困惑しながらたじろぐぬえ。

 そんな二人の様子を、紺色などの落ち着いた色合いの和装をした女性が、隣からにやにやと薄ら笑みを浮かべて眺めている。

 

「ほほぅ。ぱーそなるすぺーすが滅法広いこの娘を相手に、随分と気安いものじゃのぉ」

「ぬえさんのお知り合いでですか?」

「端的に言えば、腐れ縁かのう。二つ岩マミゾウじゃ。これからわしもこの幻想郷で厄介になる予定じゃから、よろしく頼むぞい」

「ぬえさんって、命蓮寺の方々以外の友達も居たんですね」

「かかっ! それは、こちらの台詞じゃなぁ」

 

 自身の能力に見合うだけの自尊心を持ち、単純で一途で猪突猛進のおっちょこちょい。

 封獣ぬえという少女は、長所を欠点で塗り潰しているかなり面倒臭い娘だ。

 色んな意味で歩く災害である彼女に、仲間でも家族でもないのに見捨てない友人が二人も居るのだから、これはもう奇跡と言って良いのかもしれない。

 

「おいこら! なんで、二人揃って私を馬鹿にしてんだ!」

「だって、ねぇ」

「まぁ、自業自得じゃなぁ」

 

 大声で抗議するぬえに、二人は顔を見合わせて肩をすくめ合う。

 そんな平和なやり取りの後、早苗は改めて二人へとこの場所に居る理由を尋ねる。

 

「そういえば、お二人はどうして妖怪の山へいらしたんですか?」

「お前には関係ないだろ」

「ふっふっふっ。甘いですね、ぬえさん。私は、天狗さんたちとは別口で山の治安維持を担っているのです」

 

 当然、山の組織はそんな役割を守矢の風祝(かぜはふり)に認めてはいないので、完全な自称である。

 そもそも、守矢の風祝(かぜはふり)にとっての治安維持とは妖怪退治と同義だ。同業者どころか、完全な敵対者である。

 その場のノリと気分で見敵必殺(サーチアンドデストロイ)される犠牲者たちは、これからも増え続ける事だろう。

 

「さて、もう一度だけ聞きますよ、山に属さない不審妖怪さん。返答次第では、神奈子様の御柱が降りますのでそのつもりで」

「ふんっ、やれるもんなら――っ」

「まぁまぁ待て待て、二人共。つまらん言い掛かりで、喧嘩を始める必要もなかろう」

 

 互いに四枚のスペルカードを出現させるが、その決闘にマミゾウが待ったを掛けた。

 しかし、一般では常識的と言える態度のはずが、残る二人に半眼を向けられる結果となってしまう。

 

「「……」」

「うん? なんじゃ、今度は二人して(わし)を見て。なんぞ、変な事を言ったかの?」

「いえ。スペルカード・ルールを知らないとは、本当に外から来られたばかりなんですね」

「マミゾウ、空気読んでよ」

「なぬ?」

 

 まさか、空気が読めない筆頭たちから苦言を言われるとは、天下の二つ岩大明神も驚きである。

 そんな、幻想郷初心者のマミゾウに、早苗が先輩風を吹かせながら弾幕ごっこについて説明する。

 

「――という訳で、スペルカード・ルールは、幻想郷においての決闘の作法なのです」

「ほーん、なるほどのぉ。負けた方が勝った方に従う、か。少々乱暴じゃが、概念と自負で存在を保つ妖怪変化には丁度良い娯楽じゃな」

 

 ただの決闘を許してしまうと、ただでさえ少ない妖怪の数を減少させてしまう。

 決闘を封じてしまうと、他者からの畏怖によって成り立つ妖怪が力を振るい己の存在を誇示する場を失ってしまう。

 誰も死なない決闘。そして、その勝敗が決定的な優劣とはならない健全かつ公平な勝負。

 

「そんな訳だから、マミゾウは下がってて」

「事情を知れば、然もあらん。お主と早苗殿が友誼を深めたいと言うのならば、もう野暮はせぬよ」

「ち、ちちち、違わい! 私はただ、こいつをけちょんけちょんにしたいだけだ!」

「ナイスツンデレ! その情熱(パッション)ごと、私の信仰が押し流します!」

「うるさいうるさい! お前なんて、なんやかんやで怯えて死ね!」

 

 妖雲 『平安のダーククラウド』――

 

 照れまくった挙句、雑過ぎる台詞で最初のスペルカードを開くぬえ。

 撃ち出される弾幕を回避する早苗と共に、彼女もまた空高くへと飛翔していく。

 一人地上に残されたマミゾウは、その勝負を観戦しながら口を開く。

 

「――それで、そちらの御仁は何用かのう?」

 

 一陣の風が吹き、狸の隣に白狼天狗が降り立つ。

 犬走椛。妖怪の山の哨戒役にして、最前線にて指揮を執る武闘派だ。

 

「犬走椛と申します。突然のご無礼、誠に申し訳なく」

「天狗か。そういえば、ぬえの奴がこの山が天狗たちの住処だと言うておったな」

 

 膝を付き、深く(こうべ)を垂れる椛。真摯な態度ではあるが、その実、何時でも襲い掛かれる体勢を維持している。

 そんな彼女を見下ろし、特に気にする様子もなく自分のあごを撫でて貫禄を示すマミゾウ。

 

「さぞや名のある妖怪とお見受け致しました。ご尊名をお伺いしたく存じます」

(わし)は、二つ岩マミゾウじゃ。頭は下げつつ刃は下げず、か。お主ら天狗のお得意芸も、久々に見た気がするのぉ」

「……」

 

 狸の大頭領は、当然木々の間に潜みこの一帯を囲む軍勢が居る事も読み取っていた。

 必要に駆られれば、その全てが死兵と化して襲い掛かって来る事も。

 

「随分ささくれておるようじゃが、なんぞあっておるのか?」

「はっ。近く、異変が起こる可能性が高まっております。その影響で、お恥ずかしながら侵入者や来訪者にはやや過敏になっている状況です」

「異変、のぉ。この新参に、詳しく聞かせてはくれんか」

「かしこまりました。あちらの二人にも関わりがございますので、勝負が終わり次第席を設けさせていただきます」

 

 異変は妖怪が起こし、人間が解決する。

 早苗は、解決する側の人間であるが故に。

 ぬえは、異変の発端とも言える命蓮寺に住むが故に。

 到着早々巻き込まれる事が確定したマミゾウには、同情する他ない。

 この地で最も危険な人物たちが一同に会するその舞台へ、退治される側であるはずの妖怪が解決する側として立ち会えるのだ。

 それは、ある意味で幸運な事だと言えるだろう。

 しかし、物事には常に表と裏が存在するものだ。

 その幸運と同じだけ、不運もまた存在している。

 不幸の名は、デウス(機械)エクス(仕掛けの)マキナ()。誰も見た事のないような、大きな大きな大きな災厄。

 神霊廟。決戦の地にて、両雄が集う時は近い。

 

 

 

 

 

 

 早苗たちが妖怪の山で出会っている頃、仙人たちの隠れ家の真上に建設された命蓮寺では、とある人物が戦支度を整えていた。

 聖白蓮。以前に起こった異変の原因にして、魔界より復活を果たした聖人である。

 

「聖、何も貴女一人が行かなくとも……やはり、私に共をさせては貰えませんか?」

「ごめんなさい、星。貴女の同行を許可してしまうと、他の娘たちの同行も許可しなければならなくなってしまうわ」

「それで良いじゃん! 皆で一緒に行こうよ!」

「水蜜。繰り返しますが、貴女たちには命蓮寺と人里の防衛を頼みたいのです。敵地が目と鼻の先にある状況で、本拠地を手薄にする訳にはいきません」

「防衛は、私と雲山だけで十分よ。せめて、壁役として星を連れて行って」

「それは慢心ですよ、一輪。相手の狙いは、人里と人里に友好的な妖怪たちです。奸智術数に優れた指し手に、警戒は幾ら重ねても足りるものではないでしょう」

 

 その場に集った己を慕う者たちへ、それぞれ微笑を向けながら諭していく。

 すでに、地下への封印は解除されている。今まで我慢していた娘たちも、今頃仙人たちの根城へと雪崩れ込んでいる頃合いだろう。

 聖も一緒に参戦したかったのだが、こうして弟子たちから猛反発され足止めを食らっていた。

 聖が封印の解けた尸解仙たちを見逃し、他組織からの干渉を防いでいたのは、あえて力を取り戻させた上で完膚なきまでに叩き潰す為だ。

 強固な封印をすり抜けられてしまった以上、衝突は避けられない。

 その上、大き過ぎる力は災いや騒乱を引き寄せ易い。

 つまり、相手側から仕掛けさせて「本来の実力なら負けなかった」という言い訳を封じ、敗北を素直に受け入れる為の下地を用意したのだ。

 そうしておけば、幻想郷へ受け入れられた後で妙なしこりを残す可能性は格段に減る。

 聖は仙人たちの行動から、その本質をある程度察していた。

 人間側にも妖怪側にも、致命的な犠牲者は出ないだろうという確信もあり、今まで傍観者を決め込んでいたという訳だ。

 そして今、この騒動を集結させる準備は整った。

 異変は人間が解決するもの。しかし、解決までの道筋を人外が導いた前例もある。

 何より、聖は元人間。屁理屈をこねれば、彼女もまた異変を解決する資格を有している。

 

「大丈夫。心配はいりませんよ。行って来ます」

 

 編み笠を被り、錫杖を持って出立の準備を終えた聖人が、なおも縋る弟子たちを置いて外へと進んで行く。

 

「やれやれ。あの娘たちにも、困ったものです」

「そうさせているのは、貴女自身だよ。聖」

 

 門を出たところで溜息を吐けば、待機していたナズーリンにお返しの毒を吐かれてしまう。

 

「彼女たちが気持ちの整理を付けるには、まだまだ時間が必要だろうさ」

「貴女は、引き止めてくれないのですか?」

「ふんっ。全盛期の力を取り戻した貴女を殺せる猛者など、幻想郷にも居るものか。精々好きに暴れて、日頃のストレスを発散させて来ると良い」

「ふふっ。そういう貴女は、寂しがって心を弱らせている星を慰撫する為にここへ来たのでしょう? お互い、酷い女ですね」

「貴女には負けるさ」

 

 命蓮寺の一員の中で、聖とナズーリンの関係は特別だ。

 ナズーリンが仕えているのは、あくまで毘沙門天の代理である星。

 言いたい事は言うし、やりたくない指示には星から頼まれるまで従わない。

 少々複雑ではあるが、関係が遠い分適切な距離感を維持出来ているとも言える。

 

「とはいえ、流石に心配一つしないのは人情にもとるか。聖、大丈夫なんだね?」

「えぇ。今回の首謀者には、私の思想と通ずる何かを感じます。そして、その思想はきっと私のそれとは致命的な齟齬(そご)があるだろう、とも」

「イエスマンばかりではつまらない、か」

「停滞は腐敗の温床となり得ます。これほど()()策を仕掛ける論者との対話は、きっと良い刺激となるでしょう」

 

 仙人たちによる一連の事件が、まるでこの土地を試すような随分と加減された代物である事は明白だ。

 口論も戦争も、相互理解の手段の一つである点は変わらない。

 相手も対話(闘争)を望んでいるのならば、是非もない。

 語り合うのは、何も口だけの特権ではない。言葉はなくとも、拳を交えれば通じる絆もあるものだ。

 霊長類を超えた阿闍梨、出陣。

 長くの封印の果てに訪れた、幻想郷での日常。聖は、その平穏で不穏な生活を十分に満喫していた。

 

 

 

 

 

 

 命蓮寺から展開されていた封印の結界が解除され、気兼ねなく攻め込めるようになったというのに、方々で呼び掛けた者たちが文の待つ場所へ現れる事はなかった。

 ある意味で、それは当然だった。

 謎の白装束――布都が起こした無差別襲撃において、重傷者は出ても死者は出てはいない。

 つまり、その重傷者たちは今も虫の息で生き続けているのだ。

 何かの不運で野良妖怪に襲われただけで死にかねない者たちを守る役目が、復讐を果たす事よりも優先されたという訳だ。

 その上、肝心の博麗の巫女は普通の魔法使いと一緒に博麗神社で足止めを食らい、現人神は神託を授かり別行動。

 半霊と玉兎は、怪我ですでに退場済み。

 全てが相手の手の平の上。決戦の前だというのに、攻め込む戦力がないというのだから笑い話にもならない。

 仕方なく、文は事前の敵情視察として地下へと穴を穿ち、単身で仙界へとその身を躍らせる。

 そこで待ち受けていたのは、仙人ではなく怪獣だった。

 予想など出来るはずもない、完全なる想定外。

 半分以上がSE()RA()PH()の海へと侵食されてしまった、仙界と異界のせめぎ合う地下空間。

 星の海を生み出す巨大過ぎる化け物は、新しい玩具が来たと喜びを全身で表しながら、訪れた少女へと襲い掛かった。

 

「どんどんっ、どぉーん!」

 

 弾幕は通用せず、その癖相手からの攻撃は一撃でも食らえば命が危ういものばかり。

 文もまた、成す(すべ)もなく逃げの一手を打つしかない。

 

「おいおい。私たちと戦う為に集った精兵の一人であるのなら、この停滞した戦局をほんの少しでも動かしてくれたまえよ」

「なんで貴女、一緒に逃げてる癖に偉そうなんです!? それに、貴女方が元凶だったんじゃないんですか!?」

「まぁ、()()の出現を許したのは私の落ち度で間違いはないがね。はっはっはっ、まさか人形娘にちょっと無体を働いただけで、大魔神が飛び出て来るとは実に面白い」

「笑ってる場合かぁ! あのあんぽんたんにちょっかい掛けるとか、大惨事確定じゃないですかやだー!」

 

 軽く笑う神子へ向けた文の絶叫は、酷い風評被害にも思えるものの間違った認識ではなかった。

 アリス・マーガトロイドに手を出せば、予想だにしない反撃が返って来る。

 それは、今までの異変や事件の全てが証明している。

 

「いい加減に――しなさいっ!」

 

 距離を離した文が、扇を真横へ全力で振るった。

 彼女の妖気を糧とした極大の風刃が、一直線に怪獣娘へと向かう。

 大木さえも両断する、烏天狗の真一文字。

 しかし、成長し続ける暴威そのものには通用しない。

 

「効きません、怪獣なので」

 

 両腕を交差させ、その一撃を受け止めたキングプロテアの台詞に、強がりはない。

 この巨大な怪獣は、()()()()()()()()のだ。

 肉体を構成する海水を、衝突地点へと圧縮する。

 ただの水と侮るなかれ。集い固まるその密度と硬度は、鉄や鋼すら凌駕する。

 

「ですよねー」

 

 弾幕ですらない全力の一撃をいなされ、文は反撃として振るわれた左手を回避しながら苦い表情をしている。

 七色の魔法使いは、日常を過ごしながら常に他者を観察している。

 アリスが幻想郷に現れてから、文が本気を出した回数は少ないがなくはない。

 敵であろうと、味方であろうと、なんならアリスがその場に居なかろうと関係ない。

 たった一度でも見せてしまえば、必ず対策が用意される。

 観察し、推測し、研究し、構築する。

 あれは、そういう類の魔女なのだ。

 

「図体は大きいが、こちらの攻撃は一応通っている。回避を重視しつつ、成長速度に勝る打撃を与え続けれるしかないかな」

 

 唸りを上げて振り下ろされる拳を回避し、神子はお返しとばかりに己自身でもある宝剣にて手首の関節へと斬撃を見舞う。

 人形故に痛覚がないのか、傷口から血を流す事もなく平然と次の行動へと移る巨娘。

 太子の言葉通り、キングプロテアの全身には様々な攻撃で付けられた大量の傷が溢れていた。

 幾ら成長を続けているといっても、このアルターエゴは最強でも無敵でもない。

 度重なる攻撃に晒されれば、ダメージは蓄積されていく。

 

「賭けても良いですが、今言った戦略であの人形に勝つ事は出来ませんよ」

「何故だい?」

「だってあれ、「アリスさんの人形」なんですよ? そんな簡単に終わるようなお行儀の良い作品なんて、作るはずがないじゃないですか」

 

 無駄に厚い信頼である。当たっているだけに、始末も悪い。

 そんな素敵なお母さま(マスター)に作られた渇愛のエゴは、自身の出現地点である泉のあった場所へと瞬間移動(テレポート)する。

 そして、全身に力を込めるように身震いした後、それは起こった。

 

「もう、これじゃあ本気出せない……っ」

 

 幼児退行――

 

 無限に成長するキングプロテアを抑制する、安全装置のスキル。

 自らのレベルを戻し、肥大化した自己を初期化(リセット)する。

 膨れ上がった巨体が縮小し、膨大な海水が流出していく。

 少女の肉体が登場した際の初期値へ戻り、大きさという意味では確かに脅威は減った。

 しかし、それで安全が増えたと思う者は居ない。

 海水の放出に併せ、データの海の侵食が更に加速する。

 肥大化した肉体――つまり、ダメージを受けていた表層を切り離したキングプロテアから、全ての傷が綺麗さっぱり取り除かれる。

 そして――

 

「もっと、もっと」

 

 ヒュージスケール――

 

 一度体格を戻した少女が、再び成長を開始する。

 周囲の状況を悪化させた上で本体は振り出しに戻るという、悪夢のような現実がそこにはあった。

 

「なんとまぁ」

「ご理解いただけましたか? 一体誰に、喧嘩を売ってしまったのか」

 

 アリス・マーガトロイドの集大成は、何時だって最高傑作だ。

 まるで、何かに焦がれるように。

 まるで、何かに急かされるように。

 

 そこに、妥協はない。

 そこに、納得はない。

 そこに、満足はない。

 

 成長と退行を繰り返す、「G」のエゴを打倒する手段は少ない。

 一番単純なのは、肉体が初期値に戻ったその瞬間に、最大火力の一撃を持って殲滅する事だろう。

 しかしながら、当然彼女の巨体へ致命の一撃を与えるだけの威力が、簡単に捻り出せるはずもない。

 八方塞がりとなった戦局で、時間と体力だけが消費されていく。

 

「ていうか、さっきまで居たもう一人の仙人は何処に逃げたんです?」

「あぁ、青娥の事かい? 彼女なら、怪我人の回収と地上の者たちを誘導する役目をお願いしたよ」

「私が言うのもなんですが、他力本願ですねぇ」

 

 増えて、増えて、増えて――そして溢れる。

 勝てはしないが、負けもない。

 膠着状態にも見えるが、虚構の海は変わらず侵食を続けている。

 キングプロテアから溢れるSE()RA()PH()は、海水であり、霊子であり、電子であり――そして何よりも、彼女自身に他ならない。

 神霊廟の建つ地下空間は、順調に少女の胃袋へと姿を変えていく。

 全ての侵食が終わった時、真に完成した人形は究極の一撃を放つだろう。

 

 宝具、開放――

 

 地下空間という限りなく狭い範囲ではあるが、世界が終わるその時は刻一刻と迫り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 是非曲直庁。

 魂の輪廻を司る、死の向こう側にある世界にて、今日も今日とて仕事漬けの閻魔がひたすらに書類を処理している。

 正しいものには判を押し、間違っているものや誤記のあるものは差し戻す。

 それらの作業は、一定のリズムを保ちながら素早く的確に行われ、文字通り山となっていた書類の束がみるみると減少していく。

 しばらく後、午前の分の仕分けを終えた四季の執務室へと、部下である小町が二つの湯飲みが乗った盆を片手に登場する。

 

「四季さまー。午前のお仕事お疲れっしたー」

「小町。貴女の午前のノルマは、まだ終わっていないはずですが?」

「大丈夫ですって。その分午後に働いて、帳尻を合わせますんで」

「ならば最初から午前も、真面目に仕事をしなさい」

「きゃいんっ」

 

 湯飲みを受け取りながら、自堕落な部下へと悔恨の棒を振り下ろし罰を与える上司。

 時折、小町はこうして大した用もなく映姫の元へと訪れる。

 

「いてててっ。映姫さまぁ、最近私の頭叩き過ぎじゃありません?」

「そんな事はありません。貴女の自業自得です」

「そんな事言って、私の方が背が高いから縮ませようとしてるんじゃないでしょうね」

「どうやら、もう一発食らいたいようですね」

「おっとっと、流石にそりゃあご勘弁です」

「まったく」

 

 映姫は気安い小町を邪険にせず、小町もまた融通の利かない映姫の在り方に順応していた。

 閻魔と死神、上司と部下の関係ではあるが、二人の距離感はそれよりもほんの少しだけ近い。

 

「そういや、アリスが地獄に行くかもって本当なんですか?」

「ヘカーティア・ラピスラズリからの情報ですね。えぇ、事実です」

「映姫様って、ヘカーティア様の事呼び捨てなんですね」

「彼女は、地獄そのものです。大地や空に敬称は不要でしょう。もっとも、貴女たちは付けた方が良いでしょうね」

「あー。あの神様、気紛れですもんねぇ」

 

 ヘカーティアは、あらゆる地獄を司る女神だ。

 彼女は、地獄という世界を示す記号に過ぎず、その土地に住まう管理者でも統治者でもない。

 とはいえ、不敬を働けば当然罰や試練が下される。

 意思のある天災であり、はた迷惑な隣人。その本質は、何処の神であろうと変わるものではない。

 

「アリスって、地獄にも天国にも行き場がないって話だった気がするんですが。事情が変わったんですか?」

「事情が変わったのではなく、ヘカーティア・ラピスラズリが勝手にそう決めただけです。試練を突破出来なければ、アリス・マーガトロイドは地獄行きだと」

「うわぁ……」

 

 余りにも傍若無人な神の所業に、ドン引きする小町。

 

「地獄の女神の試練は、単純明快かつ不条理です。誠実と猛進を履き違えたアリス・マーガトロイドにとって、突破は困難を極めるでしょうね」

 

 何時も通りの余裕で、映姫は湯飲みを傾けるだけだ。

 神の決定は、自然の摂理だ。例えそこに善悪や正誤があろうと、摂理は摂理として機能する。

 

「映姫様は、その試練の内容を知っているんですか?」

「試練の内容は、その時々で変わります。しかし、試練を突破する為の唯一の法則は変わりません――即ち、示された試練の内容に従わない事」

「うわぁ……」

 

 小町、二度目のドン引きである。

 試練を受け入れるという事は、ヘカーティアという地獄そのものを受け入れると宣言しているに等しい。

 故に、試練を突破するにはルールを無視し、地獄へと向かう道を拒否し続ける事が正解となる。

 唯々諾々と示されたルールに従ってしまえば、そのまま地獄へと一直線だ。

 映姫の言葉通り、実に底意地の悪い試練だと言えるだろう。

 

「良い子ちゃんになりたいアリスには、確かに難しい試練になるでしょうねぇ」

「当然です。試練とは、苦難でなければ意味がない」

 

 そう、試練とは苦難だ。乗り越えた者を成長させ、祝福する為の大壁。

 アリス・マーガトロイドになりたい娘は、試練を超えられるだろうか。

 アリス・マーガトロイドを返したい娘は、試練に敗れてしまうだろうか。

 神も、閻魔も、死神さえも、未来は誰にも解らない。

 

「それでも――」

「え?」

「それでも彼女は、示された苦難を受け入れ続けるのでしょうね」

 

 罪深い事です――

 

 溜息と共にそう締めくくった閻魔の真意は、距離を測る死神でさえ見通せないものだった。

 

 

 

 

 

 

 何もない空間ばかりが広がる、白一色が無限に続く無味乾燥の世界。

 その中心でぽつりと立つ私は、女神にくっ殺されたアリス・マーガトロイドさんだ。

 ここが地獄というのは流石に無理があるだろうから、ヘカーティアの言っていた試練とやらを行う場所なのだろう。

 

 振り返らずに進みなさい――

 

 天の彼方から、声が聞こえる。

 

 振り返らずに進みなさい――

 

 二回、それだけ言って声は終わった。

 

 はっはーん。

 冥界名物の、振り返ったらアウトゲームですな。

 

 「見てはいけない」「してはいけない」というルールを破ってしまい、悲惨な結末が訪れる。

 古今東西の神話で語られる中では、割とポピュラーな部類の試練だろう。

 

 この勝負、勝ったな。

 ちょっと田んぼ見て来るわ。

 

 心の中で冗談の死亡フラグなどを建てつつ、私はすでに試練への勝利を確信していた。

 何故なら、この手の試練で失敗する原因は、基本的に恐怖や焦燥、或いは好奇心などの心因性によるものだからだ。

 感情の起伏が少ない私の場合、そういった泣き落としや脅迫は全て無視して突き進む事が出来る。

 余り好きではない自分の体質が、こういった時には役に立ってくれる。

 

 よーし。さくっと突破して、さっさ情報貰って帰ろう。

 いやー、悪いねヘカーティア。

 折角用意してくれた試練なのに、鼻歌混じりで攻略しちゃうわ。

 

 余計な知識は、時に判断を誤らせる。

 私はこの時、もっと深く考えるべきだった。

 気楽に繰り出したその一歩こそ、永遠に終わらない旅路への始まりとなった。

 踏みしめる一歩に意味はなく、振り返るだけの価値を見出せず。

 ただ歩く。死へと向かって。

 ただ歩く。地獄へと堕ちるように。

 歩く、歩く、歩く、歩く――てくてく、てくてく、次の一歩を踏み出し続ける。

 

 神が人へ優しさを示した事など、一度としてない。

 

 その意味を、私は後に知るだろう。

 真白の荒野を歩く、神の意志を知らぬ人間未満。

 今はただ、そんな阿呆な愚か者が真なる無窮(むきゅう)を進み征くだけだった。

 




振り返らずに進みなさい⇒振り返ってはいけないとは言っていない
振り返らずに進みなさい⇒進めば合格とも言っていない

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