東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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109・駆り立てるのは野心と野望、横たわるのは人と欲

 何故、人は理解しない。

 何故、人は納得しない。

 

 民の暮らしに合わぬ執政を成すな。目先の欲に目が眩めば、果てに待つのは破滅のみ。

 金玉(きんぎょく)に執着するな。民の血である税を死蔵するなど、国家を壊死させる悪徳なり。

 甘言に惑わされるな。民を導く為政者として、己の不徳は全て国と民の苦痛となる。

 

 何度も、忠告をした。

 何度も、警告をした。

 何度告げようと、人は理解しなかった。

 何度(いさ)めようと、人は過ちを繰り返す。

 私に助言を乞いながら、人は私の想いを裏切り続ける。

 私が、この島国を統治する事は容易い。

 だが、そうして支配した後、私が逝けばどうなる。

 私を失った民たちは、どうなる。

 せめて、私の意思を継ぐ者が居れば。

 その願いを込めて、私は人々を(はぐく)み続けた。

 しかし、私に残された時間は圧倒的に足りなかった。

 百年では足りない。

 千年でも足りない。

 どうして人は、私に辿り着けない。

 私もまた、人であるはずなのに。

 人と人の間に産まれ、人の中で暮らし、人の営みを見続けて来たはずだ。

 人と私に、違いはないはずだ。

 私には、人と同じ血が流れているはずだ。

 何故違う。

 何が違う。

 一体何が、私と人を隔絶している。

 

「化け物め」

 

 あの日、あの時、不躾な侵入者として切り裂いた邪仙とのやり取りを、私は今でも鮮明に覚えている。

 

「そうか。人の道理から外れた物の怪であっても、私を「人」と認めてはくれぬか」

 

 私は人であるはずなのに、誰も私を人であると認識してくれない。

 何処まで、人は愚かなのだ。

 何処まで、人は浅はかなのだ。

 何処まで、何処まで――人という存在は、一体何処まで未熟なのだ。

 

「……仙道に、興味はございませんか?」

 

 両腕を切り飛ばした物の怪の命乞いに、心動かされている私が居る。

 

 甘言に惑わされるな。

 

 哀しいかな。私もまた、為政者として未熟者だという事か。

 だが、その未熟さこそが、私が人である紛れもない証明となる。

 私が導く。私が育てる。

 百年では足りないのであれば、千年を生きよう。

 千年でも足りないのであれば、万年を生きよう。

 それでも足りないのであれば、永劫に生き続けようではないか。

 私は人だ。私こそが人だ。

 だが、私以外の人々が――人でないはずの畜生たちが、私の慟哭を否定する。

 ならば、私が彼らを()へと押し上げてみせる。

 愚かな人。

 浅はかな人。

 未熟な人。

 あぁ、こんな(もの)――導かず(愛さず)にはいられないじゃないか。

 

 

 

 

 

 

「――と、一応啖呵は切ったものの、少々君たち側の人数が多いね」

 

 屠自古と青娥という部下を傍に置き、神子は霊夢たちを睥睨(へいげい)しながらクスリと笑う。

 

「悪いが、私もそれほど暇ではないのでね。少々剪定(せんてい)させて貰うとしよう」

 

 それは、自信に満ち溢れた声だった。

 それが出来ると、己を疑いもなく信じきっている。

 そして、それは正しい。

 聖徳導師の言葉に、偽りなど存在しない。

 

「屠自古、青娥、()()を外す。備えよ」

「「はっ」」

 

 その言葉を聞いた瞬間、部下の二人は空中で膝を突き太子へ向けて深々と(こうべ)を垂れる。

 

「なんだぁ?」

 

 敵の大将が化粧を取る。それが一体、なんだと言うのか。

 言葉通り、神子は懐から取り出した布で顔を拭き、両耳をおおっていたヘッドホンのような耳当てを外そうとしている。

 

「世の中は、何時だって傷だらけだ――それを癒す為ならば、私は何時でも神になり代わろう」

 

 いぶかしむ魔理沙たち。だが、その余裕は自身の身に降り注ぐ理不尽を持って終わりを告げる。

 

(ひざまず)けい」

 

 降臨した王の言葉が、その場の全てを掌握する。

 

「なっ!?」

「うぉぁっ!」

「ぐぅっ!」

 

 およそ全ての「人」が、王の命令に従った。

 魔理沙が、早苗が、妖夢が、鈴仙が。「人」という要素を持つ者たちが、問答無用で膝を折り訳も分からず(こうべ)を垂れる。

 

「なんだよ、これ……っ」

()()()()()()()()。やれやれ、我ながら己の救世主としての気質が恐ろしいよ」

 

 一切身動きが取れなくなった魔理沙のうめき声に、小さく溜息を吐きながら神子が答える。

 顔を見て、声を聞いた。それが全てだった。

 洗脳でも、魅了でもない。魔理沙たちは今、紛れもない己の意思で神子の言葉に従っているのだ。

 「十人の話を同時に聞くことが出来る程度の能力」。その本質は、聞く事であると同時に語る事にもある。

 他者の「欲の声」を、十全に理解してしまう聴力。そして、その欲へと直接語り掛ける言葉を納得させてしまう、芸術的なまでの美貌と美声。

 究極の人間。偶像(アイドル)としてしか存在してはならない、人類の極地の一つ。

 馬鹿げた話だ。豊聡耳神子という存在は、耳を塞ぎ、顔を汚し、声を乱さなければ、まともに他者と会話をする事さえ許されないのだ。

 屠自古も、布都も、青娥すらも不要。神子が一人訪れ言葉を紡ぐだけで、人里は一瞬で支配出来てしまう。

 それをしないのは、この争いがただの余興であるからに他ならない。

 

「そもそも、「能力」とはなんだ。本当に、「能力」なんて言葉で片付くものなのか」

 

 空を飛ぶ者が居る。

 魔法を使える者が居る。

 あらゆる文字が読める者。

 来世へ記憶を持ち越せる者。

 人間でありながら、人間を超越する怪物たち。

 そんな者を、人と呼んで良いのか。

 そんな者を、人と認めて良いのか。

 豊聡耳神子もまた、その内の一人に他ならない。

 

「私には解らない。解らないから、こうして今も自分を知ろうと足掻き続けている」

 

 神子の剪定(せんてい)を乗り越えた者は、たったの三人。

 一人は、幻想郷の守護者である博麗霊夢。

 残りの二人は、完全な妖怪であるぬえとマミゾウだ。

 

「なんでコイツら、いきなり土下座してんの?」

「そういう能力なんじゃろう。王の気質ではあるのじゃろうが……この有り様では、なんともなぁ」

「悪戯して良いのかな」

「うん、お主はそういう奴じゃよなぁ」

 

 妖怪二人のやり取りを尻目に、霊夢は淡々と戦闘の準備を整えていた。

 例え二人すら居らずとも、彼女は一人で幻想郷を脅かす悪へと立ち向かうだろう。

 

「――いけませんね」

 

 花びらの舞う地下の桃源へ、最後の一人が到着する。

 編み笠で顔を隠した仏僧が、シャンッ、と錫杖の澄んだ音色を鳴らす。

 

「聖!」

 

 最後の援軍は、命蓮寺の頭領である聖白蓮。

 駆け寄って来たぬえをそのまま抱き寄せ、穏やかな口調で霊夢を諭す。

 

「霊夢さん、貴女の敗北は幻想郷の敗北。不利を承知で勝負へ挑む前に、勝利の確率を上げる算段を付けるべきですよ」

「うっさい。そんなの、私の勝手よ」

 

 霊夢が人間である以上、「空を飛ぶ程度の能力」でも神子からの支配から完璧に抜け出す事は出来ない。

 もしも戦況が劣勢に傾けば、彼女もまた魔理沙たちと同じように地へと平伏す事になるだろう。

 幻想郷の最後の砦たる霊夢が、スタートラインから不利を背負っている今の状況は、好ましいものではない。

 

「僭越ながら、まずは前座として私が敵の首魁と交戦します。鼻かあごを砕いて(かんばせ)を歪めてしまえば、能力の質は格段に落ちるでしょう」

 

 聖の提案は、笑顔で語るには少々物騒過ぎる内容だ。

 だが、巫女を勝利させるという点で言うならば、理に適った戦略ではある。

 

「その間に、霊夢さんともう一人で左右の取り巻きを倒して下さい」

 

 霊夢からの回答を待たず、聖は勝手に神子の元へと飛翔していく。

 

「おっとろしい尼さんじゃのう。ならば、(わし)があっちの青髪を受け持とうか」

「えー! 私、私が()りたい!」

「早いもん勝ちじゃよ。お主は、這いつくばっとる連中を流れ弾から守ってやれい」

「えー!」

 

 聖の役に立ちたかったのだろう。文句ばかりを言うぬえへと適当に手を振り、マミゾウもまた神子たちの待つ戦場へとその身を躍らせた。

 

「博麗の巫女殿は、愛されとるなぁ」

「知らないわ。周りの連中が、好き勝手しているだけよ」

「ほっほっほ。まぁ、そういう事にしておこうかのう」

「ふんっ」

 

 マミゾウの見透かすようなからかいに、霊夢は珍しく少しだけ罰が悪そうに鼻を鳴らす。

 好き勝手にした結果が助けとなるのであれば、それは霊夢の為に行動したと言っているに等しい。

 元々味方だった者も、かつて敵だった者も、今も敵である者も。幻想郷と博麗の巫女は、全てを受け入れる。

 好きの反対は、嫌いではない。承認欲求の具現化とも言える妖怪変化にとって、人間が()()()()()()()()()()()という安堵と幸福は、如何ほどのものか。

 

「幻想が住まう土地、か。これは、中々楽しめそうじゃなぁ」

 

 刺激があり、不穏もあり、平穏もある。退屈とは無縁な混沌の坩堝(るつぼ)

 幻想郷という秘境の仕組みを理解しながら、マミゾウの笑みは深まるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 二ツ岩マミゾウという妖怪にとって、この戦場は本来なんら関わり合いのないものだった。

 来訪初日に巻き込まれ、あれよあれよと最終決戦の一員として邪仙と対峙している。

 しかし、そんな理不尽な状況にありながら、彼女の不敵な表情から負の感情は一切見受けられない。

 

「すぅ――ぷはぁっ。さてさて、宴もたけなわ。互いの手札は出尽くした」

 

 己の尻尾に腰掛けるような姿勢で空中に浮遊し、呼び出した煙管で一服を入れる態度には、大親分に相応しい貫禄が滲んでいる。

 

「えぇ、えぇ。後は、畜生の如く互いの肉を食らい合うのみ」

 

 自分自身を抱き寄せるように肩と腰へ両腕を回す青娥が、興奮を隠そうともせず上機嫌で同意した。

 

「見れば見るほど歪んでおるのぉ。(わし)もそれなりに長生きはしておるつもりじゃが、お主ほどの破綻者は初めてじゃよ」

「お褒めに預かり、幸栄ですわ。そちらも中々に特異な軌跡を歩まれたご様子。その知啓、その含蓄が砂上の楼閣として崩れた時、一体どのようなお顔へと歪むのか……うふふ」

「おうおう。獲物を前に舌なめずりとは、余裕じゃのう」

 

 言葉の応酬を繰り広げながら、二人が掲げた札はそれぞれ五枚。

 青娥もマミゾウも、まっとうな勝負をしよう等とは欠片も考えてはいない。

 如何に相手を出し抜き、偶然や過失に見立てた()()を起こすか。

 弾幕ごっこという健全なお遊びを隠れ蓑に、二つの邪悪による化かし合いはすでに始まっているのだ。

 

「妖怪変化は、皆悪党じゃ。そうあれと望まれ、そうあろうと望み、悪徳を成す。じゃがな、()()であっても()()であってはならんのじゃ。善には善の、悪には悪の道がある」

 

 人間である霊夢にとって、この女のおぞましい毒気は害にしかなるまい。

 短気で直情的なぬえでは、この女の悪辣さにもてあそばれて終わりだろう。

 故に、二ツ岩大明神という大悪党がここに来た。

 

「来るが良い、小娘よ。この(わし)が、ちょいとお灸を据えてやろう」

 

 実際のところ、古代より生き永らえた青娥の方が、高々数百年しか生きていないマミゾウより遥かに年上だ。

 しかし、長寿である人外にとって実際の年齢は然して意味がない。

 どれだけ長くを生きようと、どれだけ時代を渡ろうと、外道(バカ)に付ける薬はないのだから。

 

 壱番勝負 『霊長化弾幕変化』――

 

 先手はマミゾウだ。これが初戦である事など、露とも感じさせない手慣れた手付きで最初のスペルが開かれる。

 弾幕の群れが小さな人の形を取り、一斉に青娥へと突進していく。

 

「あっはぁ」

 

 妖艶に嗤いながら後退する青娥の前に、迫る弾幕を相殺する弾幕が展開されていく。

 どちらが勝っても、救いはない。そんな二人の性根とは無関係に、両者から繰り出される弾幕は美しかった。

 

 美しさに勝る想念無し――

 

 悪党と外道が食らい合う、醜く美しい争いの幕が開く。

 

 

 

 

 

 

 霊夢が対峙するのは、可視化するほどに霊力を滾らせた屠自古だ。

 不機嫌そうに眉根を寄せ、緑髪の亡霊が殺気と共に小さな紫電を撒き散らす。

 腕組みをする霊夢の方は、何時も通りだ。平淡な表情で、ただ真っすぐに相手を見据えている。

 博麗の巫女は平等だ。誰に対しても、優しくも厳しくもない。

 しかし、それでも霊夢は人間なのだ。

 喜びもするし、怒りもする。

 

「先に謝っておくわ」

「あ?」

 

 そして彼女は、異変という馬鹿騒ぎを起こされ掛けた迷惑よりも、友だちが傷付けられた事を怒るような少女なのだ。

 

「アリスの代わりに、私があんたたちをグーで殴るわ」

「はぁ?」

 

 それは、霊夢なりの処刑宣告だった。

 もしも、その言葉の意味と博麗の巫女の実力を正しく理解出来ていれば、屠自古の反応も違っていたのかもしれない。

 とはいえ、二人がこれから勝負を始める事に変わりはなく、異変の首謀者たちの末路も変わる事はない。

 

「ていうか、あんたたちなんなの? 前回の妖怪寺といい、封印から復活したらいきなり世界征服始めるって……昔の時代って、そういうのが流行りだったの?」

「他の奴らの事情なんて知らねぇよ。まぁ、時代を超えた先に野望を託したって点は一致しているがね」

「ふぅん、どうでも良いわ」

「おい、じゃあなんで聞いた」

 

 霊夢の奇妙な態度にいぶかしみながらも、先手として屠自古がスペルカードを開く。

 

 雷矢 『ガゴウジトルネード』――

 

「巫女だかなんだか知らないが、太子様を失った後の統治なんぞ何するものぞ。やってやんよぉ!」

 

 過去に縋り、今を忘れ、気炎を吐くその姿は正しく怨霊に相応しい。

 同時に、博麗の巫女に「退治」される悪役としても、これほど相応しい者は居ないだろう。

 

「前座は前座らしく、精々賑やかしてから落ちなさい」

 

 後に、この亡霊は嫌でも思い知る事になる。「怒った博麗の巫女」という存在が、どれほど恐ろしい理不尽の権化であるのかを。

 普段よりも更に幾らか視線の温度を下げた、冷酷で無慈悲な巫女が宙を舞う。

 未来を知らない哀れな亡霊の不幸は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 聖人が二人。同じ視線の高さで空を飛び、視線を交わす。

 聖もまた、元人間だ。太子の能力の影響は無視出来ない。

 しかし、錫杖を片手にもう片方の手で祈りを捧げる僧侶は、微笑みを浮かべ余裕の表情をしている。

 

「「欲」を閉ざしたのか。見事だ。しかし、君のそれは臭い物に蓋をしているだけだ。問題の先送りにしかなっていない」

 

 太子の能力は、相手の深層心理へ外部から干渉する事で発揮される。

 つまり、なんらかの手段で干渉する先である深層心理に防壁を築けば、聖徳導師の言葉で惑わされる事はなくなる。

 しかし、すでにあるものをなかった事には出来ない。閉ざしているとはいえ、「欲」は確かに聖の心の内にあり続けている。

 問題は、小手先の一時凌ぎが突破されるまでに、どれだけ相手の干渉力を落とせるか。

 

「あらあら。今代まで己の野望を先送りにした貴女が、それを言うのですか?」

「言うさ。私を封じる蓋は、もう外れた。私を止められるものは、最早この世に存在しない」

「いいえ、いいえ。私と同じく、抑止の天秤は変わらず貴女を捉えていますよ」

 

 一足先に敗北した侵略者として、また、今は幻想郷に住まう一人の住人として。新たな侵略者へと、聖が広げた手の平を見せ付ける。

 

「五撃決着、で如何でしょう」

 

 通常、弾幕ごっこは一撃決着。相手に一度でも攻撃が当たれば終了だ。

 聖の提案は、相手へと先に五回攻撃を当てた方が勝者という、いわゆる「残機」を設定した勝負を提案しているのだ。

 

「この逢瀬が一度で終わってしまうのは、余りにももったいない。そうは思いませんか?」

「あぁ、そうだね。これが、なんのわだかわりも確執もない、たった二人の対話であったのであれば、まったくその通りだ」

 

 だが、そうではない。

 聖の目的は、霊夢に繋ぐ為の捨て石となる事だ。

 

「あら。では、お受けいただけないと?」

「いいや、受けるよ。君は、幻想郷の中でも屈指の実力者なのだろう? 博麗の巫女共々、程度のほどを知っておきたい」

 

 右手で髪を掻き上げつつ首を振り、神子は優美に微笑む。

 己が敗北する可能性など、露とも考えていない。自信に満ち溢れた表情だ。

 

「では、始めましょうか」

「あぁ、始めよう」

 

 お互いに、スペルカードを一つすら掲げていない。それでも、二人は勝負の開始を宣言する。

 次の瞬間、一呼吸すらなく距離を縮めた太子が、下段からの抜刀による一撃を繰り出していた。

 並みの者であれば、何が起こったかも理解出来ないまま両断されていただろう。

 しかし、聖は持っていた錫杖を手放しつつ後退する事でその斬撃をかわし、刃が過ぎ去った直後に前進し太子の顔面へと右手の正拳を振り抜く。

 迫る剛腕を、首を捻るだけで素通りさせる太子。

 互いの攻撃が、凶悪な風切り音を鳴らしながら次々と紙一重で回避されていく。

 聖の方は、数多の妖怪変化と戦い続けて来た経験による直感。

 太子の方は、相手の呼吸や筋肉の軋み等を「聞く」事で対象の挙動を察知する超技術。

 拮抗した実力ながら、二人の戦法は根本から異なっていた。

 故に、差が出る。

 ほんの一瞬。ほんの一拍。

 幻想郷でも屈指の実力者である両名にとって、その僅かな差は致命的なほどに分厚い壁となる。

 

「しっ!」

 

 幾度もの攻防の末、聖徳導師の逆胴の刃が迫る。

 一拍だけ勝るその一撃を、八苦を滅した尼君は避ける事も防ぐ事もしない。

 魔界僧の腹を凪いだ宝剣は、最高にまで強化されているはずの肉体を軽々と引き裂く。

 

「づ、ぅあぁぁっ!」

 

 鮮血を撒き散らす己の身体を無視し、聖は咆哮と共に左の拳を振り抜いた。

 

「ごぉっ!?」

 

 太子の顔面を殴り付けた拳は、とてつもない轟音を伴って尸解仙を遥か彼方へと弾き飛ばす。

 首から上がもげ飛ぶかと錯覚するほどの衝撃を食らい、完璧だった導師の美貌が大きく歪む。

 当たったのは、太子の刃が先だ。その上でなお、ダメージの大きさは太子の方が深い。

 

「く、くくっ。肉を切らせて骨を断つ、か……身体を逸らし、後ろへ飛び、ほぼ全ての威力を逃してなお、これほどの痛打になるとは」

「万の術利に通じていようと、一つの実戦には届かぬもの。頭でっかちで危機感が足りぬから、「ものは試し」などという無謀を肯定してしまうのですよ」

 

 血を吐く太子にしてみれば、相手が相打ちを狙っているところまでは看破出来ていたはずだ。

 しかし、読まれている事を理解した上で、聖の一撃は太子の完璧に近い回避すら上回った。

 

「君は、あれだな。青娥の言っていたマウンテンゴリラというやつに違いない」

「それが何かは知りませんが、酷く侮辱された事だけは理解しました」

 

 共に自身の傷へと片手で治癒の光を当てながら、太子は苦笑いを、聖は呆れ顔をしている。

 太子の能力は、その尊顔も含めてこそ真の効果を発揮する。

 次の霊夢との戦いまでに、完治が間に合わぬほどの傷を顔面へと残す。

 それが、聖の成すべき勝利への布石だ。

 とはいえ、同じ手が何度も通用するほど甘い相手ではない。

 手を変え品を変え、化かし合いながらの勝負は続く。

 

「では、残り四つ。拳と剣にて、ゆるりと語り合いましょう」

「あぁ、そうか。これは勝負だったな。まさか、私と勝負が成立する者がこんなにも早く現れようとは。復活したかいがあるというものだ」

 

 互いの傷は深い。簡易な治療だけでは、いずれ限界が来るのは明白だ。

 これは、遊戯であって殺し合いではない。

 互いの力量が近いからこそ成立する、生死の狭間を掛けた弾幕ごっこ(肉弾戦)

 二人の聖人による前哨戦は、二つの信念と救世の「欲」をぶつけ合う真剣勝負となっていた。

 

 

 

 

 

 

 一方、残された者たちの抵抗も続いている。

 この抵抗は、神子から許された慈悲に他ならない。

 何故なら、聖徳導師は「(ひざまず)け」と命じてはいても、「従え」や「抵抗するな」とは命じていないのだから。

 

「ん、ぎぎぎぎぎぎぃっ!」

 

 四つん這いの体勢となった魔理沙が、力任せに身体を動かそうと歯を食いしばって両腕を震わせる。

 しかし、それで動くのはほんの僅かだけだ。

 

「諦めなさい、魔理沙。これは、力任せでどうこう出来るような安い「命令」じゃないわ」

 

 同じ姿勢となった鈴仙が、悪態を吐く。

 長時間能力を全力で使い続けた結果、閉じられた彼女の両目からは血涙すら流れている。

 この有り様では、神子からの「命令」を上書きするだけの強い催眠は発動出来ないだろう。

 

「ぬえさん! ぬえさん! 起こして下さい!」

「嫌だよーだ」

 

 早苗は無事であるぬえに助けを求めるが、相手からの返答は無情だった。

 

「そこをなんとか!」

「だから嫌だって。ねぇ、悔しい? 身動き取れなくって、悔しい?」

「ここぞとばかりに煽って来るその姿勢、嫌いではありませんよ!」

 

 なんだかんだで、仲の良さそうな二人である。

 

「ぐ……む……」

「妖夢? 妖夢!?」

 

 無言のままだった妖夢が、突然力を失い地面へと倒れ込んでしまう。

 慌てて鈴仙が声を掛けるが、反応はない。

 怪我を押して幽々子と勝負し、更にキングプロテア戦では散々動き回った挙句に全力の一刀を放っているのだ。体力の限界が訪れるのも、当然と言えるだろう。

 近寄りたくとも、神子からの束縛がそれを阻む。

 

「うん? 死んだ?」

「のんきに物騒な事を言わないでください!」

 

 唯一動けるぬえにとって、妖夢は赤の他人だ。死のうが生きようが、興味はない。

 うつ伏せになった妖夢を覗き込むぬえに、動けない早苗が怒る。

 とはいえ、動ける者は一人なのだから今はこの正体不明の少女を頼るしかない。

 

「ねぇ、貴女。そいつを助けたら、後であの聖人が褒めてくれるわよ」

「え、ほんと?」

「えぇ、人助けは善行。そうでしょう? ついでに、私たちも助けてくれたらもっと褒めてくれると思うわ」

 

 善行の意味も価値も、妖怪には理解不能だ。

 だが、自分が好きな誰かが喜ぶという単純な理屈であれば、理解出来る。

 人間も妖怪も知る鈴仙は、妖夢の為に口八丁でぬえを言いくるめに掛かる。

 

「ふーん。ま、私は別にどうでも良いんだけど、聖が喜ぶならやってあげる」

 

 やる気のない言葉とは裏腹に、期待を隠し切れない表情で妖夢を介抱しだすぬえ。

 空中にて繰り広げられる三つの戦いを、大地へと平伏す者たちは眺める事しか許されない。

 

「ちっくしょうがぁ……っ」

 

 そんな光景を尻目に、僅かずつだけ動く不甲斐ない己の身体に歯ぎしりしながら、血を吐くように普通の少女が呻く。

 届かない。どれだけ手を伸ばそうと。

 届かない。どれだけ走り続けようと。

 同じ人間であるはずだ。

 五体があり、赤い血が流れ、人と人の間に生まれた。

 何故違う。

 何が違う。

 

「魔理沙さん……」

「……」

 

 早苗も鈴仙も、魔理沙の苦悩を知りながら何も言えない。

 言えるはずがない。

 霧雨魔理沙が目指すその(いただき)を、無謀を知るが故に。

 博麗霊夢もまた、人としてあってはならない人類の極地。偶像(アイドル)に憧れる少女は、何度絶望を味わおうとそれでも手を伸ばし続けるのだから。

 異変として始まった神仙たちの復活劇に、普通の魔法使いの居場所はなくなっていた。

 共に戦う事も、巫女を援護をする事も。せめて、足手まといにはならない為に逃げる事すら許されない。

 

「あぁアアぁぁぁぁぁアぁァッ!」

 

 己の無力を嘆く未熟な少女の慟哭が、華々しい仙界の風景に溶け消えていく。

 虚しく響く少女の叫びを聞きながら、その傍に横たわる人形遣いも今はただ沈黙を続けていた。

 




思い通りにいかないのが世の中なんて、割り切りたくないから。
それはそうと、金髪の娘かわいそう。

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