東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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今年中に、ギリギリ間に合いました。

私の「好き」を片っ端から詰め込んでいったら、ただの闇鍋になってしまったの巻。
この作品は、作者の趣味です(今更)



110・それはきっと、誰も知らない物語

 世界とは数多にあり、地獄もまたその世界に付随する形で数多にある。

 ここは、そんな幾つもある地獄の内の一つ。

 地獄が無数にあるのだから、ヘカーティア・ラピスラズリという女神もまた、同じ数だけ存在している。

 そんな、規格外の神とテーブルを共にしているのは、彼女の友人となった別次元からの異邦者だ。

 

「頼まれた通り、貴女のアリスちゃんは試練に向かったわよん」

「うふふっ。ありがとう、ヘカちゃん」

 

 深紅の法衣に、歪に咲いた三対六枚の羽根。

 長く伸ばした銀髪を一房だけ頭上にまとめた、美しい女性。

 その名を語る事は避けよう。例え知る者が居たとしても、口に出すのは野暮というものだ。

 

「ねぇ、聞いても良いかしらん」

「なぁに? ヘカちゃん」

「どうして貴女は、もう一度魔界を作ろうとしなかったのかしらん?」

 

 それは、世界を構築する(かなめ)という同列の神格を持つ女神からの、素朴な疑問だった。

 

「んー……特に深い理由はないわ。ただ、同じ事をしてもつまらないと思っただけよ」

 

 相手の女神は人さし指を口に当ててしばらく悩んだ後、あっけらかんと言い放つ。

 

「どのみち、「私が滅んだ後」であるこの世界に私の居場所はないわ。今の私は、何時終わってもおかしくない夢の続きのような存在。薄幸の美少女ね」

「ダウト」

「なんでよぉ」

「「美少女」だなんて、年齢詐称はいけないわん」

「私、永遠の十七歳なの」

「ダウト」

「ぷー」

 

 全知全能にすら届き得る、最高クラスの神格を持つであろう二柱の会話がこれである。

 内包する規格外の権能とは裏腹に、なんとも残念な二人だった。

 

「でも――良かったのん?」

「えぇ、良かったわ」

 

 ヘカーティアの質問の意図など、解り切っている。

 だから、対面の女神は笑顔でただ首肯する。

 

「ヘカちゃんの考えている通り、あの娘一人なら貴女の試練はきっと突破出来ないでしょうね」

 

 地獄の女神が用意した試練。その本当の目的は、神への反抗ではなく生への渇望の自覚だ。

 滅びに至る門は大きく、その道は広い。

 命に至る門のなんと狭く、なんと細い事か。

 試練とは、苦難でなければならない。

 名ばかりの試練、名ばかりの苦難を言い渡され、なんの迷いもなく甘く楽な道に従い続ける事が正しいはずがない。

 立ち向かう精神を忘れた者は、己の死に打ち勝つ事が出来ない。

 

()()()()()、確信しているわ。あの娘なら、きっと大丈夫だって。だってあの娘は、私の娘なんだもの」

 

 試練に敗北すれば、アリスは地獄へ落とされる。

 そうなれば、この女神の計画も全てご破算だ。

 だというのに、彼女の表情に焦燥や不安の色はない。

 例え誰であろうと、親を選ぶ権利はないのだ。ただ、神の共犯者()として作られただけの者に、一体なんの罪があろうか。

 

「幻想郷に、あの娘を愛する娘が一人でも居れば、私たちの勝ちよ。ヘカちゃん」

 

 アリス・マーガトロイドは人である。

 人は、一人では生きられない。

 人は、一人で生きてはいけない。

 例え、一人では試練に屈してしまうとしても、彼女を大切に思う者たちが必ず助け出す。

 

「んー? 幻想郷の娘たちに協力させるにしても、アリスちゃんの肉体は異界の彼方、魂は試練の狭間よん? どうやって、その両方を回収させるつもりなのん?」

「……あ」

「「……」」

 

 気まずい沈黙が、二人の間に流れる。

 魔界神の計画が、文字通り計画倒れだった事が判明した瞬間である。

 

「……貴女の魔界が滅びたのって、そのぽんこつさが原因じゃないのん?」

「ち、違うわよぅ……多分」

「やれやれねぇ。こんないい加減な親に振り回されて、あの娘が本当に可哀そうねん」

「うぅ……」

 

 前提が間違っていたとしても、すでに始まってしまった試練を止める(すべ)はない。

 それは、試練の監督役であるヘカーティア自身も例外ではない。

 両手で頭を抱えてうつむく元魔界神を、現地獄神が呆れ顔で眺めている。

 しかし、そんな二人の預かり知らぬところで、事態は元魔界神の思惑通りに進んでいた。

 運も実力の内と言うのであれば、彼女ほどその力に恵まれた者も居ないだろう。

 何せ、世界の崩壊という未曽有の大災害ですら、彼女はこうして逃れきっているのだから。

 あらゆる世界からの異邦者となった彼女にとって、その「運」が幸運であるか、不幸であるか。

 今はまだ、生み落とした小さな「アリス(異物)」が答えを探し続けるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 紫電が舞う。

 その中心に浮く亡霊の気性に呼応し、激しく、強烈に。

 

「くっそがあぁぁぁっ!」

 

 激昂する屠自古が、全身で激怒を示す。

 しかし、当たらない。

 まるで木の葉かそよ風か。

 打消しの弾幕も防御の結界も、何一つ繰り出す事なく霊夢はただ回避のみで相手からの弾幕をしのぎ続けている。

 そして、回避の合間に撃ち出された弾幕が屠自古の身体を()()()()()()()()

 

「づぁっ」

 

 痛みによって、亡霊の顔が歪む。

 直撃ではない。しかし、完全に外れてもいない。

 こんななぶるような真似は、無駄を嫌う普段の霊夢であれば絶対にしないだろう。

 無数の怪我に、破れた服。屠自古の全身は、無残なほどの有り様と化していた。

 

「はぁっ、はぁっ。てめぇ、てぇめぇぇぇっ」

 

 最早、怨嗟の声にも気迫が失われ始めている。

 相手の霊力によって削り取られた自身の霊力が、疲労という形で霊体を苛んでいるのだ。

 ただの侵略者であれば、霊夢もまたただの職務として退治していただろう。

 だが、そうではない。

 

「はあぁぁぁっ!」

 

 苦し紛れに弾幕を放ち続けたところで、霊夢には掠りもしない。

 巫女はただ淡々と、それでいて執拗に亡霊の身体を刻んでいく。

 

「ぐ、ぐぁっ」

 

 屠自古たちは、踏んではいけない虎の尾を踏んだ。

 事の経緯は関係ない。知っていたとしても、知らなかったとしても、踏まれた事実はくつがえらない。

 

「ひぎゃっ」

 

 追加の弾幕が右目の近くを掠め、涙さえ浮かべながら後退する屠自古。

 瞳を閉じてしまった亡霊へ、博麗の巫女が高速で接近しその胸ぐらを左手で掴む。

 一撃決着。それが、弾幕ごっこのルールだ。

 そして、その一撃の威力を定める条文は――ない。

 

「約束よ、受け取りなさいっ!」

 

 全力で振り下ろされた霊夢の右拳が、唸りを上げて屠自古の頬へと突き刺さった。

 屠自古にとっての最大の不幸は、この戦いが聖輦船を巡る異変の後で行われているという一点に尽きる。

 聖白蓮。数多の異変の中で、霊夢を地に付けた数少ない人物。

 博麗の巫女に、敗北は許されない。より正確には、勝利しか許されていない。

 故に、博麗霊夢は成長する。あらゆる面で、あらゆる意味で。

 ()()勝利出来ないのであれば、()()勝利出来るように。

 彼女には、それが出来る。出来てしまう。

 

「――っ!」

 

 妖怪の賢者をして、「最高傑作」と評される最強の人間。その慈悲なき拳を前に、悲鳴を上げる事さえ許されない。

 拳という一点によってもたらされた暴虐により、哀れな犠牲者は遥か上空から一瞬で地表へと直撃する。

 地が揺れ、爆ぜる。爆発にすら似た盛大な轟音と共に、砂煙が一帯へと吹き上がる。

 

「……はぁっ。慣れない事は、やるもんじゃないわね」

 

 好き勝手に虐めた挙句、全力でぶん殴っておいてこの言い草である。

 半ば以上は自業自得であるものの、それでも地面に埋もれた屠自古を同情せずにはいられない。

 

「あの時のアリスも、こんな気持ちだったのかしら」

 

 そして、退治した亡霊への興味も失い、霊夢は未だ目を覚まさないお寝坊な人形遣いへと思いをはせる。

 復讐は、何も生まない。

 全てが終わった後でようやく気が付くその愚かさも、人間らしさと言えるだろう。

 やられた方は色んな意味でたまったものではないだろうが、一人の少女が成長する為に必要な犠牲だったと諦めて貰うしかない。

 敗者(死人)に口なし。蘇我屠自古という亡霊は、己の身でその言葉が真実である事を証明していた。

 

 

 

 

 

 

 一方、マミゾウと青娥の勝負は弾幕ごっことは名ばかりの、盤外戦術溢れる緊迫の頭脳戦と化していた。

 互いに申し訳程度の弾幕は放っているが、そこに意味などありはしない。

 

「なんと、よいさ」

「ふふっ、ふふふっ」

 

 不意討ち、騙し討ちは当たり前。

 話術、詐術、幻術、毒――相手の喉笛を掻き切る為に、ありとあらゆる手管が秘密裏に蠢く。

 思考の裏の裏さえ読み合う、命を懸けた盤のない詰将棋。

 そして、千日手でもない限り決着は必ず訪れる。

 

「ぶ、ごぶっ!?」

 

 突然、右手で自分の口を押えるマミゾウ。直後、おびただしい量の真っ赤な血が塞き止めようとした手の平を無視し喉奥を超えて吐き出された。

 

「こ、れは……一体……がぼっ!」

 

 相手の弾幕には、一度も当たっていないはずだ。

 距離を空け、邪仙の通った同じ場所にも近づいていない。

 だが、それでも最初に邪悪の牙を突き立てられたのは、マミゾウが先だった。

 

「あらあらまぁまぁ。大変大変――大変、結構でございますわねぇ」

 

 どす黒く皮膚を変色させていく犠牲者を見下ろし、美しき天女の口元が喜悦に歪む。

 

「な、何故じゃ……何時、(わし)に……ごふっ」

「過程を問うのは野暮ですわ。それでもと言うのであれば、一つだけ――一体何時から、()()()()()()()()()と錯覚しておりましたぁ?」

「っ!?」

 

 これが邪仙だ。

 千年を超え、命を踏み潰す快楽を享受し続けて来た生粋の大量殺害者(シリアルキラー)

 殺戮という分野において、この女に勝る策士は居ない。

 

「くっ、ごっ、ごほっ」

「ほら、ほら。早くお逃げ下さいまし。ふふ、お上手ですわよ」

 

 胸を掻きむしりながら、それでも必死に後退するマミゾウ。

 苦し紛れの弾幕を軽々とかわしながら、青娥はその稚拙な鬼ごっこを楽しむように少しずつだけ距離と詰めていく。

 

「ま、まだじゃっ」

 

 伍番勝負 『鳥獣戯画』――

 

 血に塗れた顔面を蒼白にしながら、マミゾウは気迫と共にスペルカードを開いた。

 泳ぐように上下左右から迫る、兎型と鳥型の弾幕。マミゾウ自身の周囲には蛙型の弾幕が浮き、青娥へ向けて個別に連弾を浴びせ掛ける。

 

「……ごほっ、ごほっ、ああぁぁぁっ」

「うふふ、残念でした」

 

 しかし、カードが破られるまでもなく、マミゾウのスペルが終わる。

 全身に回った毒が、いよいよ意識さえも奪い始めているのだろう。

 辛うじて浮く事だけは出来ているが、それも徐々に高度を落とし始めている。

 「死」だ。二ツ岩マミゾウという妖怪に、圧倒的なまでの「死」が近づいていた。

 

「ぐ、ぐぉぉ、ガあアァァぁぁッ!」

「わぁ、素敵」

 

 遂には、目や耳からすら血を流し始めたマミゾウからの攻撃が、弾幕から純粋な殺意を込めた妖術へと切り替わる。

 弾幕ごっこという勝負を忘れ、刃と化した大量の木の葉や炎塊たちが滅茶苦茶に叩き込まれる。

 しかし、それらが邪仙に当たる事はない。

 元々、死に体で放たれた術にまともな狙いなど定められているはずもなく、当たる軌道だった少数も霊符による結界一枚であっさりと弾かれ霧散してしまう。

 

「死にたくないのですね。えぇ、えぇ。解ります。解りますわ」

 

 菩薩のような笑みを浮かべ、逃げ惑うマミゾウを付かず離れずと追い掛けながら、その無様な姿を嘲る事なく愉しみ続ける。

 愉悦。その悦楽を得る為に、殺して、殺して、殺し続けた。

 ただ殺す。慈悲深く殺す。慈悲なく殺す。

 全て同じだ。違いなどない。

 

「ひ、ひいぃぃぃっ」

「ふふっ、ふふふっ。あぁ、やはり何度立ち会っても良いものですわね。底に穴が開く瞬間というのは」

 

 命が終わるその瞬間、誰もが己の本性を曝け出す。

 深い知識や含蓄を持つ者は、裏を返せばその土台こそが一番の拠り所だ。

 それら全てが理不尽に崩された時、その心さえも無様に崩れ去ってしまう。

 目も見えず、耳も聞こえず、ただ肉を腐らせながら朽ち果てていく大妖怪の悲鳴を聞きながら、青娥は場違いなほどにっこりとほがらかな笑みを浮かべてその地獄絵図を眺めている。

 

「あぁ、あぁぁ……あぁぁ……」

「貴女の悲鳴(音色)、確かに刻ませていただきましたわ」

 

 これは事故だ。弾幕ごっこというルールとは関係なく、偶然起こってしまった不幸な事故。

 つまり、これから起こる事も事故となる。

 

「あぁぁ……まぁ、こんなもんじゃな」

「……は?」

 

 散々血を吐き悶えていたはずのマミゾウが、いきなり何事もなかったかのように血涙を流していた両目を開く。

 

「なっ!?」

「ほっほっほっ。残念ながら、「化かし」の腕前は(わし)の方が一枚上手だったようじゃなぁ」

 

 気が付いた時には、もう手遅れだ。

 先ほどのスペルで霧散したはずの兎型と鳥型の弾幕が、青娥の周囲を真近くで取り囲む。

 無意味な抵抗として、スペルカードを開いたのも。

 毒に苦しみ血を吐きながら、時間を掛けて逃げ回ったのも。

 マミゾウの取った全ての行動が、相手に最早反撃はないと誤認させる為の布石。

 この瞬間へ辿り着く為にばら撒いた、無数に絡む蜘蛛の糸。

 故に、逃げ場など用意してやるはずもない。

 時計の針が逆さに振れるように、狸の大将から毒の要素が取り払われていく。

 肌の色が戻り、血の汚れが消え去る。指を三本数える間に、マミゾウはすっかり元の姿へと戻っていた。

 

「な、何故っ」

「くくっ。そっくりそのまま返そうか。一体何時から、(わし)()()()()()()と錯覚しておった?」

「っ!?」

「ではの」

 

 変化 『二ッ岩家の裁き』――

 

 マミゾウが、最後のカードを開く。

 青娥の上空で一ヶ所にかたまっていた蛙型の弾幕たちに、マミゾウが煙管から吸った煙を盛大に吹き付け、一つの大岩へと変化させる。

 弾幕から大岩に変わった一撃が向かう先は、当然真下だ。

 

「くっ、がっ、ぎゃっ!」

 

 青娥は頭の(かんざし)を使おうとするが、同時に殺到した周囲の弾幕たちを回避しきれず上へと伸ばした腕を弾かれてしまう。

 

「――っ!」

 

 押し潰すかのような全方位からの弾幕を余す事なく全身で食らった後、駄目押しとして落下してきた大岩が直撃する。

 ぐちゃりっ、と肉の潰れ骨の砕ける不快な音が響き、哀れ邪仙は真っ逆さまに地上へと落ちていった。

 

「ぷっはぁっ。仙人とて、人間は人間。騙され方は、一緒じゃのう」

 

 幕引きとして一服吸った煙管を回し、マミゾウは墜落した青娥を見下ろしながら一人ごちる。

 マミゾウが青娥に語った言葉は嘘だ。彼女は邪仙の毒をまともに受けており、今も身体に潜伏し続けている。

 本当に食らっていたからこそ、演技ではない素の態度によって青娥は騙され返されたという訳だ。

 では、どうして毒に侵されながら平気な顔をしているのか。

 答えは簡単。マミゾウは今、自分の身体を「健康な自分」に化けさせているのだ。

 「化けさせる程度の能力」。能力の対象には、当然自分自身も含まれている。

 とはいえ、妖怪一人を完全に再現する精密な変化は、妖気の消耗が激しい。

 このままであれば、三日と経たずに変化が解けてしまい、その後すぐに毒で死ぬ事となるだろう。

 しかし、マミゾウはその三日という短い猶予で、己の命を繋ぐ手段をすでに把握していた。

 

「うむ。早苗殿から、永遠亭の話を聞いておって良かったわい」

 

 人里でばら撒かれた邪仙の毒に対し、瞬時に解毒薬を作成したという宇宙最高峰の医療薬局。

 早苗の性格からして、多少の誇張くらいはあるだろうが全てが嘘である可能性は低いだろう。

 賭けにはなるが、ほぼ鉄板で勝てる賭けだ。自分の命をチップにしても、勝てるのであれば問題はない。

 

「しっかし。来日初日でいきなり命のやり取りをやらされるとは、先が思いやられるわい……いちちっ」

 

 変化前の毒の痛みを幻痛として感じながら、マミゾウはようやく己の不幸を嘆いた。

 どうせ張るなら、例え命懸けでも見栄は張り通す。

 それが出来る女傑だからこそ、二ツ岩マミゾウという大妖怪は狸の総大将として君臨して来たのだ。

 他者とのしがらみを無視して千年を生きただけの若造如きに、数百年組織の長として張り通した貫禄が敗れる道理はなかった。

 

 

 

 

 

 

 神子と聖の決闘は、ある意味でシンプルな内容だった。

 即ち、切られたら殴り返す。これだけだ。

 当然、その一撃が当たるまでには無数の攻防を挟むのだが、その超絶的な二人の技巧と戦略は先ほどの結果を生むだけの過程に過ぎない。

 都合三発。互いに浴びせ合った結果として、二人はすでに血塗れだ。

 

「世の中を見渡してみろ。自らの手を汚し、リスクを背負い、そして、自分だけの足で歩いていく――そんな者が、どれだけこの世の中に居るというのだ」

 

 超怪力によって顔面を三度も殴られ、神子は鼻と共に幾つかの歯もへし折れてしまっている。

 会話の最中であっても、両者の苛烈な攻撃と回避は続いている。

 直撃すれば命取りとなりかねない一撃の応酬と共に、心に秘める意見をぶつけ合う。

 

「貴公らが血を流し、命を懸けて守った民はどうだ? 自分の身を安全な場所に置きながら、勝手な事ばかり言っていたのではないのか」

「彼らは、自分の生活を維持するだけで精一杯だったのです」

 

 迫る刃を逸らす聖も、三つの斬撃を食らい服も身体もボロボロだ。

 辛うじて流血しない程度に傷を塞いではいるものの、血が出ていないというだけで真っ赤な肉の見える大きな傷口が堂々と晒されている。

 

「いいや、違う。被害者で居る方が楽なのだ。不満をこぼしたいからこそ、彼らは望んで弱者になるのだよ」

 

 共に世界の救済を願いながら、二人の思想は完全に相反していた。

 政治家として辣腕を振るっていた神子にとって、民の愚劣さは嫌というほど見せ付けられて来た。

 そんな愚かな民を管理、統制する事こそ、上に立つ者の役割であると彼女は確信しているのだ。

 

「馬鹿な。生者には、自分の生を決定する権利があります。その自由があるのです」

 

 対する聖には、そんな人間の弱さを許容する寛大さがあった。

 しかし、その寛大さは裏を返せば他者の悪意すらも受け止めねばならないという、哀れなほどの脆さを意味している。

 それは、人から排斥された挙句に封印された彼女自身の歩みが、何よりも雄弁に物語ってしまっている。

 

「解らぬか! 本当の自由とは、誰かに与えて貰うものではない。自分で勝ち取るものだ!」

 

 激昂した神子の剣が虚空を裂き、無言のまま繰り出された聖の拳が誰も居なくなった空間を過ぎ去る。

 攻撃の余波と紙一重の回避により、二人の身体に小さな裂傷が増していく。

 

「しかし、民は自分以外の誰かにそれを求める。救世主の登場を今か今かと待っている癖に、自分がその救世主になろうとはしない。それが「民」だ!」

「人は、そこまで怠惰な動物ではありません。ただ、我々ほと強くないだけです」

「――聖者よ、貴公は純粋過ぎる」

「がっ!」

 

 哀れみを込めて振り下ろされた太子の剣によって、僧侶の右肩が切り裂かれた。

 反撃の拳を悠々とかわし、剣の血を払いながら逃げるように距離を空けた聖を見据える神子。

 

「民に、自分の夢を求めてはならない。支配者は、与えるだけで良い」

「何を与えるというのです?」

「「支配される」という特権を、だ」

「馬鹿な事を!」

「ごぶっ!」

 

 余りに傲慢な神子の言葉に、肩の傷を無視して突進した聖の拳が相手の腹へとめり込む。

 無理にその場に留まるよりも、後ろへ飛ぶ事で威力を逃した神子が距離を空けて停止する。

 

「ぐ、ぼぁっ……人は、生まれながらにして深い業を背負った生き物だ。「幸せ」という快楽の為に、他人を平気で犠牲にする」

 

 おびただしい血を口から吐き出しながら、それでも神子の言葉は止まらない。

 平行線となっている互いの主張は、弾幕ごっことは別の「問答」という勝負を成立させている。

 

「彼らは思う、「これは自分のせいじゃない。世の中のせいだ」と」

 

 故に、二人とも譲れないのだ。拳も、剣も、口も――何よりも、己の理想が相手に劣ると認めてしまう事が許せないから。

 

「ならば、我々が乱れた世を正そうではないか。快楽を貪る事しか出来ぬ愚民には、相応しい役目を与えてやろう」

 

 両手を広げ、尸解仙として復活した救世主が語る。

 幸福なる未来を。絶対なる救いを。

 己一人が天として君臨する、その華々しい栄光の道を。

 

「意にそぐわぬ妖怪(もの)を虐げる事が、管理なのですか」

「虐げているのではない。我々は、病に侵されたこの世界から、その病因を取り除こうとしているに過ぎん。他組織に影響を及ぼす前に、悪質な病巣は排除されねばならんのだ」

 

 神子にとって、興味の対象は人間だけだ。

 妖怪も神も、彼女にとっては利用出来そうなら策に組み込む、といった程度の存在でしかない。

 才ある者は「人」として育て、才なき者は「民」として才ある者の(いしずえ)となるべく運用する。

 その理想郷の構築を邪魔する者は、なんであろうと排除しなければならない。

 

「身体に自浄作用が備わっているように、心にもそれを正そうという働きはあります」

 

 しかし、「人と妖怪の救済」を掲げる聖にとって、その計画は決して許容で出来るものではなかった。

 一度は道半ばに倒れたとはいえ、聖の夢は今も続いているのだ。

 

「それを待つというのか。ふふふ、貴公は人という動物を信用し過ぎている」

 

 眩しいほどの理想を語る聖を見ながら、神子は微笑を浮かべ瞳を細める。

 片や、人の悪性を制御し、「民」として全てを管理しようとする聖徳導師。

 片や、人と妖怪の善性を想起させ、異なる種族の融和を目指す魔界僧。

 二人は等しく、幸福の溢れる平和な世界を目指しているはずだ。それなのに、その到達点は余りに掛け離れ過ぎてしまっている。

 

「民は、より力のある方へ。より安全な方へ身を寄せるものだ」

 

 人里がその存在を維持出来ているのは、妖怪の賢者という幻想郷でも最高峰の強者から保護されているからに過ぎない。

 彼女が保護を放棄すれば、妖怪たちは遠慮なく人里の人間たちを食らい尽くすだろう。

 幻想郷の維持だとか、己の存在維持だとか、そんな小難しい話を理解出来るほど、彼らは賢くも理知的でもない。

 人も、妖怪も、なんと愚かで、なんと哀れな存在なのか。

 

「何時だ」

「え?」

「何時になったら、人は我らに追い付く。何時になったら、人は我らの孤独を埋めてくれる」

「……」

 

 神子の質問に、聖は答えられない。

 その答えを探しているのは、聖もまた同じだからだ。

 

「我らなくして、人々にこれ以上の進化はない。もう良い、もう十分だ。もう、見るべきものはない」

「いいえ、まだです。我々はまだ、待てるはずです」

 

 千年の時を超えても、人はその宿痾(しゅくあ)に惑わされ続けている。

 これからも、争いはあるだろう。決別も、矛盾も、不条理も、理不尽も。

 人の世界には、余りにも多くの非合理に満ちている。

 だが、それでもまだ、人類は袋小路に陥ってなどいない。

 千年の時を使い、人は歴史を歩み続けている。

 人と人、村と村。そんな小さな繋がりしか持てなかった者たちは、今や海を渡り、空を飛び、地球という星のあらゆる場所と繋がる(すべ)を生み出した。

 それは、進化ではないのかもしれない。

 それは、変化でしかないのかもしれない。

 だが、それは確かな進歩だ。

 そして、これからも人は歩み続けるだろう。

 あらゆる犠牲を払い、未来への負債を積み上げ、子孫たちへとその業を預けながら。

 

「もう千年、待とうではありませんか。それでも無理なら、もう千年を」

「まるで、弥勒菩薩だな。待ち続けるだけの未来に、希望などありはしない」

「希望はあります。私と貴女が、こうして出会えたではありませんか。そして――」

 

 聖の向けた視線を追い、神子が目にしたのは――「人間」だった。

 博麗霊夢。幻想郷の守護者にして、唯一絶対の存在である博麗の巫女。

 お祓い棒で肩を叩きながら、気負いもなくただ平然と空中へ浮かび二人の勝負の行く末を見守っている。

 何時の間にか、二人の攻防は止まっていた。

 聖の役目が終わる。今の神子は、その美貌を拳で歪められた挙句喉を己の血で痛めた状態だ。

 これでは、平時の半分も能力を発揮出来ないだろう。

 

「貴女にとって、この一戦が更なる救いになる事を願っています」

 

 決着となる一撃を互いに残したままで、聖は勝負の終わりを宣言し後退していく。

 それに気が付いた霊夢は、無言のまま下がった聖と入れ替わり神子との対峙を果たす。

 

「さっさと始めるわよ。まだ、こっちはやる事が残ってるんだから」

「奇遇だな、私もだよ」

 

 二度目の始まりの合図は短い。霊夢が霊符と針を両手に構え、神子は己自身でもある剣を構える。

 二人とも連戦となった状況は同じだが、消耗具合は圧倒的に神子が上だ。

 削られ切った体力のまま、万全の状態に近い博麗の巫女の相手をするなど、ただの無謀でしかない。

 人間を見限り、新生したはずの尸解仙が、その人間に敗北する。

 そんな皮肉の利いた結末が見えていようと、復活した聖徳導師が後退を選択する事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 私は一体、何時間歩いただろうか。

 それとも、何日だろうか、何年だろうか。

 意識が曖昧だ。上手く思考が続けられない。

 私は一体、何をしている。

 歩いている。

 それは解る。

 では、何故歩いているのか。

 それが解らない。

 ずっと昔。遠い遠い記憶の彼方で、歩かなければならないと、そういう風に決まったのだ。

 誰が決めた、何故決まった。

 解らない。

 私は誰だ。

 解らない。

 私はなんだ。

 解らない。

 解らないのに、歩いている。

 歩いて、歩いて、歩き続けている。

 解らない、解らない、解らない。

 

 ――、――。

 

 私の後ろで、誰かの声がする。

 誰だったか。

 大切な誰かのような。

 どうでも良い誰かのような。

 そんな誰かの声。

 

 振り向こうか。

 

 そう思って、足を止めた。

 でも、振り向けない。

 何故。

 解らない。

 振り向いてはいけないと、誰かが――

 

 ――っ、――っ。

 ――っ、――っ。

 

 声が増える。そして、少しだけ音が大きくなる。

 随分と長い間音を聞いていなかったので、少しだけ大きな音量でもうるさく感じてしまう。

 

 うるさい。放っておいて。

 

 ――っ、――っ。

 ――っ、――っ。

 ――っ、――っ。

 ――っ、――っ。

 

 どんどん声が増えていく。

 どんどん声が大きくなる。

 

 うるさい、うるさい。

 誰も私を知らない癖に。

 誰も私を呼ばない癖に。

 

 私は一体、何をしているのだろうか。

 知らないのは当たり前だ。

 誰にも相談しなかったのは、私。

 呼ばれないのも当たり前だ。

 出会った最初に「アリス」と名乗ったのは、私。

 私が間違っている事も、歩き続ける事が正しくない事も、とっくの昔に解っている。

 

 アリス! いい加減起きなさい!

 

 そんなに怒鳴らないでよ。霊夢。

 

 起きろアリス! 起きろってんだよ!

 

 泣きそうな声。哀しいの? 魔理沙。

 

 お願いです、起きて下さい! アリスさん!

 

 心配してくれるんだ。妖夢。

 

 催眠が効かないっ。アリス! アリス!

 

 私は、嫌われてなかったんだね。鈴仙。

 

 いやっ、いやぁっ! 私を置いて行かないで! アリスさん!

 

 あぁ、そんなに泣かないで。早苗。

 

 皆が私を「アリス」と呼ぶのだ。

 そんな間違った世界に、戻る理由なんてあるのだろうか。

 このまま歩き続けて、何がいけないのだろうか。

 戻るか、戻らないか。

 振り向くか、忘れるか。

 解らない。

 答えが出ない。

 

 アリス――

 

 別の誰かが、私を呼んでいる。

 まったく知らない。でも、誰よりも聞いた事のあるような声。

 

 あぁ――結局、「私」が行き着く先は()()なんだね。

 

 忘れたくても忘れられず、捨てたくても捨てられない。

 これは呪いだ。

 私を幻想郷へ縛る為に打ち付けられた、最も古く、最も不条理な束縛。

 そうして、小波が聞こえ始める。

 果てのない海。見渡す限りの水面が広がる先に、誰かの背中が映りだす。

 首筋辺りまで伸びる、蜂蜜を溶かしたような金髪に、()のカチューシャ。

 青のワンピースと、同色のロングスカート。

 左右に青と赤の人形を飛ばす、本人も人形の如く整った華奢な身体。

 

「これは、ただの夢ね。私の脳が、記憶が作り出した錯覚に過ぎない」

 

 まったく、度し難いにもほどがある。

 こんな彼方の地ですら、私の心は記憶にある誰かの演出を望むのか。

 何時か見て感動した光景を、己に置き換えるだけのお芝居を――

 

「理屈をこねるようなもの言いね」

 

 私の記憶だけあって、振り返った「アリス」の台詞もお察しだ。

 ずっと会いたかった。ずっと返したかった。

 目の前に居るのは、本物の「アリス」ではない。

 これが虚しい一人遊びである事は、私自身が一番に解っている。

 でも、それでも、私は「アリス」へと語らなければならない。

 

「例え原作の全てが終わっても、人生は続くのよ。馬鹿馬鹿しいくらいにね」

 

 そうだ。私の知る全ての歴史を網羅したとしても、私に終わりは訪れない。

 ずっと続いていくのだ。霊夢が死に、魔理沙が死に――他の誰かが死んでいっても、なお。

 

「私は、彼女たちの死(あれ)から少しは変わったのかもしれない。何も変わっちゃいないのかもしれない」

 

 上海、蓬莱。そして、●●●。

 踏み越しめて、踏み越えて。「アリス」として、「私」として、ここまで歩いて来た歴史に、何一つ偽りはない。

 例え、私が全てを欺く贋作者(フェイカー)だったとしても。「アリス」ではあり得ない、別の誰かだったとしても。

 

「ただ一つだけ言えるのは――まだ私は、貴女の隣に並ぶ事は出来ないって事よ」

 

 生きなければいけない。そんな義務は、本当は何処にも存在しない。

 ならば、何故私は生きるのか。

 生きていたいからだ。

 今日を、明日を、生き続けていたいからだ。

 

「何故なら、その道行の苦しみも、その果ての栄誉も、幻想(現実)で得るべきものだから」

 

 安易な終わりを、求めてはいけない。

 そこにきっと、救いはない。

 

「ここではない。私の、「アリス・マーガトロイド」の戦場で」

 

 苦しんで苦しみ抜いて、間違いや後悔もありったけ積み上げて。

 何もかもが記憶の彼方に過ぎ去ったとしても、それでも、負けるものかと前を向いて。

 そういう風に、生きたいのだ。私は、人間だから。

 こんな大事な事すら、誰かの言葉に縋らないと口に出来ない愚かな私へ、私の記憶の中の「アリス」は小さく微笑みを浮かべてくれる。

 

「そう。なら、泡沫(うたかた)の夢であるこの私が、あえて問うわ」

 

 視線が合う。私と彼女の視線が。

 例え夢幻(ゆめまぼろし)の出来事であろうとも、そこには確かに二人の「アリス」が存在していた。

 

「楽しかった? ここまでの旅は」

 

 あぁ、あぁ。

 答えねばなるまい。

 その問いに。その試練に。

 

「――えぇ。当たり前でしょ、「アリス」。貴女の背中を、追う旅なんだから」

 

 左足に、力を込める。

 進む為ではなく、戻る為に。

 幻想郷へ、私の大切な故郷へ帰る為に。

 迷って良い。迷い続けても良い。

 後悔も、後から幾らでも背負って良い。

 でも、選ばない訳にはいかない。

 進む()か、戻る()か。選択肢は、たったの二つしか存在しないのだから。

 

『……そう、選んだのね。おめでとう』

 

 最後の瞬間。試練を言い渡した女神の、憐れむような、慈しむような、そんな声が聞こえた気がした。

 




それでは皆様、良いお年を

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