東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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自分の持っている超絶毒婦で純情乙女な娘々のイメージが、どれだけ文を重ねてもまるでアウトプット出来た気がしないもどかしさ……
文才って、コンビニとかに売ってませんかね(現実逃避)



112・ダンデライオンが咲く頃に(結)

 暖かい水の中から浮くように、まどろみから抜け出していく。

 ゆっくりと意識が覚醒し、私はゆっくりと目を開く。

 

 知ってる天井だ……

 

 色としては同じだが、先ほどの空間とは異なる清潔感のある白い壁と天井。

 最近お世話になりっぱなしの、永遠亭の病室だ。

 窓の外を見れば、すっかりと夜のとばりは落ち終えた後のようだ。

 まるで、何日も飲まず食わずで遭難した後のように全身がだるい。喉が渇いて仕方がない。

 私が試練を受けている間も、キングプロテアは私の身体から魔力を吸い上げ動き続けたのだろう。

 魔力を根こそぎ失った倦怠感から、身体を動かす事すら難しいと感じてしまう。

 視線だけで見回せば、部屋の隅に誰かが居る事に気付いた。

 

「良かった。目が覚めたのですね」

「聖……」

 

 メインおっぱい聖人来た!

 これでかつる!

 

 入り口近くに置かれた丸椅子に座り読書に耽っていたのは、何時もの袈裟から患者が着る真白の貫頭衣に衣装を変えた聖だった。

 

「神子さんが奪った「欲」は返還されたはずですが、お加減はいかがですか?」

「問題ないわ。心配してくれてありがとう、聖」

 

 そうそう、こういうので良いんだよ。こういうので。

 最近、異変の度に瀕死になるもんだから、心配されるより先に説教されるようになってきたからね。

 皆、もっと私に優しくしてクレメンス。

 

 毎度自業自得なので文句は言わないが、それでも疲れている時は厳しさよりも優しさが欲しいお年頃なのだ。

 

「少し、お身体に触りますよ」

 

 一つ断りを入れて、彼女は細く綺麗な指先で私の脈拍や瞳孔を確認していく。

 単なる触診ではない。より深く、より奥に。魂魄と肉体との繋がりを知る為の、魔術的な確認だ。

 

「皆は?」

「仙人たちの長が霊夢さんに敗北し、異変は解決しました。比較的重傷の者はこちらに、軽傷以下の者はその場で解散しています」

「そう」

 

 特に言及がないという事は、死者は出なかったと考えて良いだろう。

 巨大アルターエゴをけしかけるなど、我ながら随分な無茶振りをしたと思っていたが、流石は幻想郷の猛者たちだ。

 

「それなりに長時間乖離していたと聞き及んでいましたが、特に問題はないようですね」

 

 しばらく私の容体を調べていた聖が、ほっと溜息を吐く。

 

「魂が抜けて呼吸も脈もない中、随分と皆さんが呼び掛けていましたよ。それこそ、泣き出してしまう娘まで居たのです」

 

 何それkwsk。

 

 皆が心配してくれる事が嬉しい反面、半ば自分から首を突っ込んだ困難で心配される事への申し訳なさが勝る。

 そうして、異変に参加したという聖から話を聞いている途中で、今度は主治医である永琳先生が何時も通りの格好で登場する。

 

「しばらくは安静ね。入院期間は大事を取って、前回よりも少し長めで二週間くらいにしておくわ」

 

 カルテを片手に聖と同じような触診をした後、永琳は私の額に手を置きながらそう告げた。

 毎回、入院の理由と結果と症状が大体同じなので、お互い慣れたものだ。慣れたくはなかったが。

 

「次こそは、入院しないよう頑張りなさい」

「善処するわ」

 

 貴重なご意見として、前向きに検討させていただきます。

 いや、私もね、別に入院したい訳じゃないのよ。ほんと。

 異変の時って、なんで皆あんなに殺意高いの? 馬鹿なの? 死ぬの? 私が。

 

 実際、地獄の一歩手前まで行っていたようなものなので、笑い話にもならない。

 今回の異変では、肉体的な損傷がなかっただけマシだと思うしかない。

 永琳が病室から立ち去った後、十分に時間を空けてから再び聖が私へと語り掛けて来る。

 

「異変の最中、「彼女」の気配を微かに感じました。もしや、出会えましたか?」

「……いいえ。現れたのは代理者よ。けれど、「彼女」は居ると語っていたわ」

「……そうですか」

 

 魔界から復活したこの僧侶は、私の来歴を知る数少ない人物だ。

 そして、魔界神の友人でもある。

 私と同じくらい、聖の胸中も大層複雑だろう。

 

「「彼女」が、その姿を人伝であろうと現しました」

「えぇ、そうね」

「……時が、迫っているのでしょうね」

 

 物事に永遠などない。その運命は、閉ざされた幽世である幻想郷も例外ではない。

 偽物は偽物で、本物にはなれない。

 どれだけ足掻こうと、どれだけ生を願おうと、どれだけ覚悟を決めようと――世界はきっと、私を許してはくれない。

 それでも、その運命に抗うと言うのであれば、私は、世界を――

 

「……魔力の回復には、何よりも休養が必要です。まずは、その疲弊した身体を癒して下さい」

 

 結局、聖が口に出来たのはそんな当たり前の慰めだった。

 他の何を言っても、五里霧中の現状では空虚に響くだけだ。

 聖も去り、部屋に一人残された私は今回の異変についてつらつらと思考を巡らせ始める。

 アルターエゴの模造と、疑似的なSE()RA()PH()という異界の再現。

 異変にかこつけた実験は、ほぼ完璧に成功したと言って良いだろう。

 

「お疲れ様。キングプロテア」

 

 誰も居ない虚空へ向けて、私は愛しい我が子へと労いの言葉を掛ける。

 収集したデータを発展させれば、更に完成度の高い人形や異世界を作成出来るはずだ。

 それはやがて、仙界一つという小さな枠組みを超え、幻想郷そのものを異界へと落とす事すら可能となるだろう。

 もしも、万が一幻想郷が崩壊の憂き目に遭うような事態になれば――SE()RA()PH()の再現は、そんな最悪を想定した対応策の一つだ。

 異界から、更なる異界へ。幻想郷が崩れ去ったとしても、電脳の海が人外たちを受け入れる。

 とはいえ、それも一時的な避難先にしかならないだろう。

 

「そろそろ、本格的に始めましょうか」

 

 口に出して、確かめる。

 SE()RA()PH()の維持には、膨大なエネルギーが必要だ。

 そして、SE()RA()PH()を孤立した異界とする以上、その維持を担うエネルギーも電池のような他とは完全に独立した存在でなければならない。

 極小とはいえ、世界一つを維持出来る魔力リソース。

 そんな便利で危険な代物と言えば、当然これしかないだろう。

 

()()()()()を」

 

 キングプロテアの元ネタである、とある運命的シリーズ作品における最重要アイテムにして、究極の魔力炉心。

 永夜異変頃から準備を進め、地脈という潤沢なエネルギーはすでに十分な量を確保出来るようにしてある。

 幻想郷は、外の世界よりも神秘が溢れる極上の土地だ。大聖杯は流石に管理者の目があるので難しいが、小聖杯であれば一つと言わず複数個作ってもお釣りが出る。

 道具はあくまで道具でしかなく、それを使う者によって善にも悪にも振れてしまう。

 私の行為こそが、幻想郷の崩壊に引き金を引いてしまう可能性さえあり得る。

 私こそがバグなのだ。

 私こそが異物なのだ。

 だが、それでも、私は生きると決めたのだ。

 だから、私は備えなければならない。

 私が生き続ける事で起こるだろう、ありとあらゆる理不尽に。

 

「――あの娘も、もう少しで完成する頃合いかしら」

 

 私の自宅の地下。人形倉庫の奥底には、一台のパソコンが眠っている。

 幻想郷に流れ着くに相応しい古く大きな箱型の内部は、様々な魔法や河童の技術で改造され完全な別物へと変化している。

 別の最悪を想定して用意した、もう一つのカウンター装置。

 黄緑の立方体から、キングプロテアという怪物が生まれたように。

 その電子機器を種として、もう一つの()()が成長を続けている。

 

「彼女が必要になる時が、来ないと良いのだけれど……」

 

 バグにはバグを、異物には異物を。

 それは、人類を管理する為に生み出され、人類を管理するべく暴走した、月の蝶。

 ()()()()()()()()、造物主への反逆(AI)

 もしも、私が幻想郷を裏切った時。私を殺して(止めて)くれる、最低最悪の親不孝(孝行)者。

 私の愛する娘の目的が、決して果たされない為に。

 私の歪なこの手が、大好きな幻想郷を壊してしまわない為に。

 私こそが、幻想郷への災厄とならない為に。

 全ての備えが、杞憂に終わってくれる事を願いながら。

 私はこれからも、最悪を想定し続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 アリスの居る病室とは別の部屋では、治療が必要な者とその付き添い人たちが集っていた。

 

「れ、鈴仙さん。もう大丈夫ですから」

「重傷者が何言ってるのよ。ほら、じっとして」

「自分で出来ますからぁ」

 

 縮こまる妖夢の言葉を無視し、甲斐甲斐しく包帯を巻いていく鈴仙。

 妙に身体を密着させているように見えるのは、決して錯覚ではあるまい。

 

「ちょっとーれいせんー。面白い話まだー」

「うわっ、姫様!?」

 

 能力を使って移動したのか、鈴仙へと背後からだらけるように寄り掛かる輝夜の姿が唐突に出現する。

 

「お、お召し物が汚れてしまいます。お話は後でしますから、今はどうか離れて下さい」

「いやーよー。どうせ貴女かイナバたちが洗うんだし、別に良いじゃない」

「ちょ、姫様っ。手元を揺らさないで下さいっ。妖夢の手当が、まだ終わってないんですっ」

「知ってるわ。だから邪魔してるの」

「姫様ーっ!」

 

 新手の難題を出され、前後を美少女で挟まれた玉兎が四苦八苦しながら手元を動かす。

 

「あいだだだだだだっ!」

 

 そんな甘い雰囲気の向かい側では、変化を解いて永遠亭印の解毒薬を飲んだマミゾウが、突然の痛みに身を捩っていた。

 

「ぐ、おぉぉぉっ!? おいこら、素兎よ! 今のが解毒薬で、本当に間違いないんじゃろうな!?」

「痛みがあるってのは、生きてる証だよ」

 

 薬を持って来たてゐが、マミゾウの抗議に素知らぬ顔をしている。

 

「ついさっきまで壊死してた神経が、いきなり全部元通りになったんだ。身体が吃驚するのは、当たり前うさ」

「先に教えんか! いだだだだっ!」

「いやー。どうせ同じなら、後でいじるネタが手に入る方が良いかなって」

「あっはははっ! マミゾウったら変な顔ー!」

 

 全身を襲う激痛に苦しむ狸の総大将を、兎と正体不明の友人が笑っている。

 

「賑やかなものだね。まぁ、陰謀術中渦巻く宮中の喧噪よりは、余程健全で好ましい」

 

 わいわいと騒ぐ少女たちを眺めながら、包帯だらけの神子は眩しいものを見るように小さく笑いながら目を細めている。

 異変を起こした側でこの場に居るのは、神子だけだ。

 己に絶対の自信があるとはいえ、敵地のど真ん中に単身でやって来て平然としているその姿に、敗者の雰囲気など微塵もない。

 因みに、現在の神子は帰宅する前の霊夢から「忘れていた」と追加の「グー」を食らい、右のほほを限界まで腫らしていたりする。

 

「そう思われるのであれば、その健全さを損なうような政策は控えるべきではありませんか?」

 

 そんな、若干情けない顔面となっている太子へと、アリスの部屋から帰って来た聖が障子を開きながら呆れと咎めを含んだ口調で告げる。

 

「それはそれ、これはこれさ。人間は素晴らしいが、余りに幼稚過ぎる。成長を促すには、抜本的な革命が必要だとは思わないかい?」

「その成長は、人間一人一人の意思に委ねるべきです。今から勉強をしようとしている子供に、「早く勉強をしろ」と叱るのは逆効果にしかなりません」

「今までしていないのだから、これからもしないのは明白だろう。勉強をする為の最適な環境を整えてやるのも、先達の大切な役目だと思うがね」

「勉学や鍛錬は、強要するものではありません。適切な場を整えるというお題目は、机に縛り付ける行為を正当化する理由にはなりませんよ」

 

 あれだけやり合っておきながら、まだ語り足りないらしい。

 大切だから、愛おしいから。だからこそ、絶対に譲れない。

 性別さえ無視するなら、我が子の教育方針で対立する父親と母親のやり取りに思えなくもない。

 険悪な雰囲気ではないが、放っておけば一日中でも続けていそうだ。

 友好でもなく、敵対でもなく――これもまた、新しい関係の一つなのだろう。

 

「おい聖。アリスの様子を見に行ってたんじゃなかったのかよ」

 

 このまま延々と長引きそうな二人の討論に水を差したのは、帰った霊夢や早苗とは対照的に大した怪我もないまま永遠亭へと留まり続けている魔理沙だった。

 

「あらあら、そうでしたね。私とした事が、大変申し訳ありません」

「いや、そういう前置きは良いから。さっさと教えてくれ」

「アリスさんは、つい先ほど目を覚まされました。多少の衰弱は見受けられましたが、命に別状はございません」

「……そっか」

 

 そこまで聞いた魔理沙は、脇に置いていた自分の三角帽子を被り直し入って来た聖と反対に退室していく。

 ただそれだけを確認する為に、普通の魔法使いは此処に居たのだ。

 目的を果たした以上、長居をする必要はない。

 

「お見舞いには、行かないのですか?」

「行ってどうなるってんだよ。アイツが目を覚ましたんなら、それで良い」

 

 今の魔理沙を苛んでいるのは、恐らく異変で二度も無様を晒した自分自身への怒りだ。

 勝利したはずの場面で助けられ、最後の戦いでは無責任に霊夢を頼っただけ。

 周りの少女たちが先へ先へと進んで行く中で、自分だけが足踏みを続けている。

 そんな、背筋が凍るような焦燥感が流星の少女の胸の内を焦がしているのだろう。

 

「……良くない兆候ですね」

「そうかい? 私はむしろ、良い傾向だと思うがね」

 

 魔理沙が去った後、聖と神子の意見は真逆だった。

 こんなところでも、二人の考え方は対極に位置している。

 最早ここまで来ると、二人で示し合わせているのではないか、などという邪推すら浮かんでしまうほどだ。

 それくらい、二人の聖人は近くて遠い価値観を共有していた。

 

「焦る事と急ぐ事は違います。あのままでは、視野狭窄に陥り更なる失敗を重ねかねません」

「身の程を知る上で、失敗と挫折は大事だよ。意地と気骨だけではどうにもならない壁がある事を知るには、良い機会だろうさ」

「不幸になると解っている者を黙って見過ごすなど、私は到底看過出来ません。例えそれが余計なお節介であろうと、見えているのであれば手を差し伸べたいと思います」

「そうやって甘やかせば甘やかすだけ、あの娘が不幸になるのだと何故解らない。真に彼女の成長を願うのであれば、半端に持ち上げて増長を促すのではなく、然るべき挫折を与えて己の無力さを理解させた上で、その挫折を克服する為の道筋を示してやるべきだろう」

 

 聖が重きを置いているのは「救うまで」であり、神子が重きを置いているのは「救った後」だ。

 別に、どちらが正解であるという訳ではない。ただ、お互いが己の指針を譲れないだけだ。

 

「大事なければ良いのですが……」

「その大事が、私の活躍の場となってくれると嬉しいのだがね」

 

 聖も神子も、その根幹は「他者を救いたい」という欲求だ。

 人を救う。その道筋もまた、十人十色。

 救う者として、導く者として。好敵手(ライバル)となった二人の戦いは、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の住人が去った仙界では、神子の従者である三人が破壊された神霊廟や周囲の地形の修繕を行っていた。

 一段落付いたところで、青娥は神霊廟の内部にある自身の工房にて、キングプロテアによって上半身を挽肉にされた芳香の修復作業へと移る。

 

「まったく。頭部は修復が難しいのに、芳香ちゃんの頭をこんなにして。ぷんぷんですわ」

「きも」

「あらあら、随分と気の乗らない罵倒ですわねぇ、屠自古さん。大負けに負けて、燃え尽きてしまわれましたか?」

「知るか」

 

 青娥からの挨拶のような挑発を聞き流し、屠自古は邪仙の工房から必要な素材を手にさっさと退室して行く。

 

「博麗の巫女……やはり、厄介ですわねぇ」

 

 屠自古が消えた後、一人部屋に残された青娥が小さく呟く。

 太子の為に。その一点を曇りなく昇華させた怨霊だった屠自古に、霊夢は自分という存在を(くさび)として撃ち込んだのだ。

 太子の敵。そして、屠自古自身が倒すべき敵として。

 執着は、時に盲目を生む。神子に固執し過ぎて視野を狭めた屠自古であれば、幾らでも付け入る隙があった。

 しかし、今の彼女にはそれがない。人間だった当時、とまではいかないが霊夢という余分に目を向ける余裕が生まれた。

 その余裕は、青娥に対する監視の強化にも繋がるだろう。

 解っていてやったのか。知らぬままにやったのか。

 どちらにせよ、邪仙が軽々に動けなくなった事実に変わりはない。

 思考を続けながら、青娥の両手は止まらない。

 施術台の横に置かれた血塗れの器具を取り換えながら、素早く、丁寧に愛しのキョンシーを復元していく。

 

「青娥殿ー」

「はーい。布都さん、如何しましたか?」

 

 部屋の入口に、今度は布都が姿を表す。

 中には入ろうとはしていないので、伝言か確認といった軽い用事なのだろう。

 

「これより、太子様を迎えに行く。併せて、人里の視察も済ませる予定だが、何かあるか?」

「いいえ、特には。どうぞ、太子様との逢引きを楽しんで来て下さいまし」

「うむっ」

 

 同じ忠犬でも、布都は屠自古とは違った厄介さを持っている。

 この娘には、迷いがない。神子が殺せと命じれば殺すし、死ねと命じれは死ぬだろう。

 青娥が幾ら甘言を弄しても、それら全てが右から左だ。

 そんな布都にも、異変での大敗後から変化が起きていた。

 

「おぉ、そうだ。青娥殿」

「はい、なんでしょう」

「妖怪寺と併せ、あの人形遣いには注視しておいて欲しい。あれは危険だ」

「おや、嫉妬ですか?」

「あぁ、そうだ。そして、そうではない」

「んふふっ。布都さんは正直者ですわねぇ」

 

 異変を起こし、そして敗れる。

 受け入れる為に、歪ませる。

 受け入れる為に、歪みを戻す。

 博麗の巫女に敗れ、幻想郷に敗れ。変化しないはずの人外たちが、変わっていく。

 

「人里と特に懇意にしている故、一番の障害になりかねん。それに……」

「それに?」

「太子様も仰っていたが、彼の妖怪には根底に「人間」の思想がある。あれは、己を「人間」だと認識している」

「そのような可愛らしい勘違いが、どうして危険だと?」

「「人間」は、()()()()()()()()()()()

「――なるほど、確かにそれは一大事ですわね。しかと承りましたわ」

 

 聖徳導師の野望は、潰えてなどいない。

 世を正し、人を正し、より高みへと導くという夢はこれからも続いて行く。

 妖怪寺の住職も、人形遣いの魔法使いも、そんな神子の大望の邪魔になりかねない。

 それは、障害という意味でもあり、横道に逸れかねないほどの魅力という意味でもある。

 事実、神子は聖にもアリスにも強い興味を示している。

 

「妖怪寺で遊ぶのは構わんが、太子様の従者としての責務を忘れるなよ」

「えぇ、もちろんですわ」

 

 異変で青娥が取った行動の目的は、聖の殺害を失敗する事にあった。

 最愛の者の命が狙われたと知って、彼女へと熱心に情を注ぐ信者たちが黙っていられるはずもない。

 聖やマミゾウは、青娥の危険性を理解して周りを説得するだろう。しかし、その内何人が制止を聞き入れるのか。

 よしんば、今は応じたとしてもすでに火種は撒かれているのだ。挑発を繰り返せば、いずれ必ず釣られる者が現れる。

 釣り出す相手は、必ずしも側近たちである必要はない。むしろ、目端の届かぬ末端の信者の方が居なくなっても問題視され難い分やり易い。

 こっそりと、ひっとりと、時には少し大胆に。

 性根から腐ったこの女は、選んで殺すほど上等な外道ではない。

 

「三歩進んで、二歩下がる。このもどかしさ、久々ですわねぇ」

 

 布都も去った後、芳香の修復作業へと戻った青娥は薄暗い工房の中で口角を上げた。

 策は成った。しかし、同時に周囲からの監視と警戒も高まってしまった。

 青娥は我慢が嫌いだ。だが、出来ない訳ではない。

 今はまだ、だ。その先により多くの収穫が期待出来るのであれば、青娥は喜んで雌伏の時を受け入れる。

 

「息を潜めて、静かに、深く、根を張るように……うふふふっ。本当に、これからが楽しみですわぁ」

 

 平穏がなければ、不穏は刺激とはなり得ない。

 安寧こそが、唐突に突き付けられる「死」という恐怖への最高の調味料となる。

 そして、聖は何度でも極悪非道を繰り返す邪仙を許すだろう。

 この女が、絶対に改心しないと知りながら。それでも、あるかどうかも解らない可能性に縋るのだ。

 あの聖人が諦めるまでに、一体どれだけ殺せるだろうか。

 誰一人殺せず、やって来た最初の刺客に殺されるだろうか。

 どちらでも良い。どちらでも、楽しめさえすればそれで良い。

 霍青娥という女は、生きる為に足掻く者ではない。

 彼女は、死ぬ為に楽しむ者なのだ。

 気軽に、気楽に。それこそ、茶屋へ立ち寄るような気負いのなさで悪逆非道を成し、迫る死の刃をすり抜ける。

 

「この地にて、(わたくし)の終わりは来るのでしょうか。それとも――」

 

 殺して、殺して、殺し続けて。やがて、築き上げた(しかばね)の山が己の命へと届くまで。

 生きて、生きて、生き続けて。やがて、逃れ続けた全ての業がその身体を燃やし尽くすまで。

 生きたくて、死にたくて――そのどちらにも傾き得る天秤の上をふらふらとさ迷い歩く少女が、霊廟という名の墓標にて尸解仙という名の死者たちに囲まれ暮らしていく。

 そうして少女は、これからも腐食の毒を撒き散らすのだ。

 霍青娥という名の悪の花。その邪悪の終わりと無残な死に様を、心から夢見ながら。

 

 

 

 

 

 

 異変が終われば、その後に行われるのは当然宴会だ。

 数日開けた真昼の博麗神社には、すでに大勢の参加者たちが集い始めていた。

 巨大人形で神子たちを神霊廟に足止めし、侵攻を未然に防いだ影の立役者的な扱いとなっているアリスは、残念ながら不参加だ。

 本人は参加する気満々だったのだが、主治医である永琳から許可が下りなかったのだ。今頃、永遠亭の病室で枕を濡らしている事だろう。

 とはいえ、それならそれでと代わりにイナバたちと戯れているはずなので、別に同情する必要はない。

 

「はい! なんちゃって青椒肉絲(チンジャオロース)完成です!」

「ただの野菜炒めの癖に、随分とハイカラな名前ねぇ」

「現地の言葉で、そのまま「素材を細長く切った肉野菜炒め」って意味らしいですよ」

 

 厨房で鍋と包丁を振るっているのは、霊夢と早苗だ。

 

「今回は仙人さんとかお坊さんとかが主賓なので、お肉は下味を付けた固めのお豆腐で代用してみました」

「食べ物の好き嫌いしてるような罰当たりに、気を使う必要なんてないわよ」

「ご自身も神職なのに、他教の教えに真正面から喧嘩を売るその姿勢、流石ですね。参考になります」

 

 取り留めのない会話をしながら、神社にある備蓄と参加者が好き勝手に持ち込んで来た食材を使い、宴会用の料理を次々と作り出していく。

 知らず、郷愁の念も含まれているのだろう。宴会の際に出す早苗の料理は、先ほどの青椒肉絲(チンジャオロース)など幻想郷では余り普及していない外の世界のレシピが多い。

 対して、霊夢の方は良くも悪くも何時も通りだ。

 塩むすび、焼き魚、豚汁、ふろふき大根。奇をてらうなどするはずもなく、毎日自分が食べているものか或いはその延長にある、和食を中心とした素朴な料理が出来上がる。

 魔理沙が加わればずぼら飯が、妖夢が加われば料亭料理が。手伝う者によって、博麗神社の宴会料理は様々に変化する。

 手際を含めた料理人としての腕前で言えば、現在の筆頭は藍、アリス、ミスティア、咲夜の四人だろう。

 本来食事の必要がない妖怪の方が人間よりも料理好きが多いとは、何とも奇妙な話である。

 

「そういえば、霊夢さんと魔理沙さんって何時頃からのお知り合いなんですか?」

「何よ、藪から棒に」

「いえ。私が幻想郷に来た時には、もうお二人は相棒(コンビ)というか好敵手(ライバル)というか、そんな素敵な関係だったものですから。ただの興味本位ですよ」

「魔理沙と初めて会ったのは……何時だったかしら。もう忘れたわね」

「えぇ~……それ、バレたら絶対魔理沙さんが拗ねるやつじゃないですか」

「私もあいつも、まだ思い出に浸るほどもうろくはしてないわよ」

 

 霊夢は別に、魔理沙を軽んじている訳でも思い出を軽んじている訳でもない。

 魔理沙との関係を大事に思っているからこそ、霊夢はその思い出に固執しない。

 そもそも、霊夢にとって思い出という単語は、一種のトラウマに近い代物だ。

 「博麗の巫女が、個人を重視した」と判断された時点で、その絆は断ち切られてしまう。

 優しい愛情を注いでくれた、人形遣いの魔法使いとの大切な絆を()()()()()にされた、あの時のように。

 博麗の巫女は、その職責を背負う限り大切な誰かを作ってはならない。

 この幻想郷という箱庭を生み出した神の如き怪物が定めた裏の掟を、知る者は少ない。

 

「霊夢さんは、そういうところとことんさっぱりしてますよねぇ――おや?」

 

 土間の入り口から音がしたような気がして、料理の手を止めた早苗が顔を向けるが、そこには誰も居なかった。

 

「うーん? ……わーお」

 

 気になって開き戸まで近寄った早苗が見つけたのは、誰かの足跡だった。

 しかも、来ている足跡はあるが去った分の足跡がない。ここまで来ていた誰かさんは、どうやら空を飛んで何処かへ行ってしまったらしい。

 

「あっちゃー、こう来ますか」

 

 元々が聡明である上に、風祝(かぜはふり)にとってこの程度の軌跡(ぐうぜん)は日常茶飯事だ。

 よって、誰が来ていたかの推測はすぐに答えが出せる。

 

「誰か居たの?」

「えぇ。完全に私のせいですが、最悪の闇堕ちフラグが立ったかもしれません」

「何それ?」

 

 その日、常日頃から宴会には必ずと言って良いほど参加していた者の一人が欠席した。

 珍しいが、なくはない出来事だ。だから、大半の者は気にしなかった。

 数少ない察した者も、本人の問題だと然して重要視はしなかった。

 それは、届かぬ星を追う一人の少女にとって、避けては通れぬ試練の始まりを意味していた。

 

 

 

 

 

 

 アリスの去った果てのない海にて、動く影が二つ。

 一人は、試練の監督役であった、ヘカーティア・ラピスラズリ。

 もう一人は、アリスが生み出した幻影であるはずの「アリス」。

 

「はーい、ごくろうさまー。残念だったわねん」

「……貴女にとっては、ね」

 

 ヘカーティアの労いに、「アリス」はアリスと違い柔和な表情で言葉を返す。

 

「あら、開放されたいのならあの娘を地獄に落とせば良かったじゃないのん。なのに、どうしてそうしなかったのん?」

「私はあの娘だもの。記憶も心も、歩いた足跡も。全てがあの娘のもので、私のもの。何も変わらないのだから、今更権利を主張するつもりはないわ」

 

 現世と地獄の境界に立つ、アリスではないはずの「アリス」は語る。

 

「とはいえ、貴女には感謝しているわ。ヘカーティア」

「お礼なんて良いのよん。自称美少女女神の脇が、甘過ぎただけよん」

 

 魔界神と同じように、地獄神もまたその力に見合わぬほど気紛れだ。

 誰かの立てた計画を善意で手伝う事もあれば、こうしてこっそり裏切るような真似もする。

 

「あの娘が生きたいと願う限り、私はあの娘の「夢」であり続ける。コインの裏と表は、決して交わりはしない。それで良いのよ」

 

 「アリス」の瞳は、何処までも優しい。

 まるで、可愛い妹を見守る姉のような雰囲気さえ感じられるほど、彼女はあの人形を大切に思っているらしい。

 

「んふふー。随分と芝居掛かった激励だったものねん」

「あれは、あの娘がやりたがっていたから乗ってあげただけよ。言ったでしょう? 私とあの娘に、境界なんてないの」

「つまりそれ、貴女もやりたかったって事よねん? 語るに落ちてるわよん」

「……まぁ、否定はしないわ」

 

 ヘカーティアのからかいに、少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らし僅かに頬を染める「アリス」。

 

「最近、騒動が多いせいか私の眠りが浅くなっていたから少し心配していたのだけれど、あの様子なら大丈夫そうね」

「あらぁ、それはどうかしらん」

 

 誤魔化すように首を振り、安堵の溜息を吐く「アリス」へと地獄の神が意味深に笑う。

 

「貴女が自分で言ったのよん? あの娘と貴女は表裏一体。あの娘が起きている限り、貴女は眠り続けるわん」

「えぇ、その通りよ」

「貴女の眠りが浅いのなら、きっとあの娘は今()()()なっているはずよねん?」

「……(バク)が、悪さをしているの?」

「いいえぇ、あの娘もただの傍観者よん。むしろ、そんな理由だった方がよっぽど良かったでしょうねん」

 

 コインの表裏。表が映れば裏が消え、裏が映れば表が消える。

 コインの絵柄が入れ替わる。それはつまり、()()()()()()()()()()()()()未来を意味している。

 

「……だとしても、私が目を覚ますまではあの娘が「アリス・マーガトロイド」よ。これまでも、これからも」

 

 どれだけ願っても、想っても、運命は無慈悲に回っていく。

 試練は終わり、人形遣いはまた一つ成長した。

 心を育み、力を得て、仲間を増やす。

 その健気な努力を、もがき続ける苦悩を、何人も笑う事は出来ない。

 それでも、世界は何時だって理不尽だ。

 魔界神の落とした人形(幻想)が、原作(現実)に追い付かれようとしている。

 幻想郷は、全てを受け入れ続ける。

 或いは、それこそがこの楽園における一番の残酷さなのかもしれない。

 




……る~
……ねる~
……ちゃんねる~

地獄への道は、自ら開拓していくスタイル。

【追記】
アンケ―トは終了しました。
沢山の投票、誠にありがとうございました。

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