東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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金曜日に雨が降るならば、日曜日もまた雨になるだろう――


113・レイン・オン・サンデー

 〇月〇日 小雨

 

 小雨ではあるが、朝からぽつぽつと雨が降り始めた。

 晴れの日が長く続いていたので、これで農家も一安心だろう。

 多くても困る、少なくても困る。まったくもって厄介なものだ。

 今日は取材も来客も予定がなかった為、一日屋敷でのんびりと過ごさせて貰った。

 最近は、多発する異変を記録として残す為の情報収集や関係者への取材に忙殺されていたので、久々の休日だというのに何もする気が起きない。

 阿礼の子としての寿命より先に、過労で死に兼ねない仕事量だ。

 もしかすると、歴代の稗田家当主の中で私が一番働いているのではないだろうか。

 そういえば、小鈴の貸本屋で借りていた本の返却期限が明日だった。

 折角借りたのに、結局半分も読めていない。

 仕方がないので、返すついでに借り直すとしよう。

 明日は、晴れてくれるだろうか。

 

 〇月〇日 大雨

 

 雨は止まなかった。むしろ、勢いを増している。

 しかし、貸本の返却日である以上私は外に出なければならない。

 箸より重たい物を持った事のないひ弱な私にとって、「傘を差して歩く」という行為は中々の重労働だ。

 そんな悪態を吐きながら出向いた貸本屋には、最近入荷したという新しい本が幾つか並んでいた。

 作者は「恋の迷宮探偵」……ふざけたペンネームとは裏腹に、試し読みさせて貰った推理ものは序盤だけで十分引き込まれた。

 小鈴に事情を聞いてみると、道に迷っていた少女を目的地まで案内したところ、その少女が作家だったらしく意気投合の末幾つかの著書を寄贈して貰ったらしい。

 まるで、心が読めているのではと思えるほど観察眼の優れた人物だったと言うが……

 小鈴は妖魔本収集癖が祟って怪異に遭遇し易いので、また変な妖怪にでも出くわしたのではないかと心配だ。

 面倒が起こる前に、なるべく早めに博麗の巫女へ相談する事にしよう。

 

 

 〇月〇日 豪雨

 

 雨の勢いは、日増しに強くなっている。

 雨が降ったと安心していた農家も、今頃はもう止んでくれと悲鳴を上げている事だろう。

 そんな、人間の事情などお構いなしに、降って、止む。

 あぁ、でも、こうも長く雨が続くとほんの少しだけ思ってしまう。

 

 ――この雨は、本当に止むのだろうか。

 

 〇月〇日 豪雨

 

 雨が止まない。

 河川の氾濫により、人間の集落の幾つかが地図から消えた。

 情報がもたらされた早朝から、逃げ遅れたであろう住人たちの安否を確認中だ。

 もし、昨日の夜半に起こった出来事であるならば、生存の可能性は絶望的だろう。

 この凄惨な事件に、人里で生活している者たちからも不安の声が大きい。

 何より最悪なのが、これが「異変」ではなくただの「災害」であるという点だ。

 その証拠に、博麗の巫女は人里の手助けはしても、解決に動いてはいない。

 本日の緊急対策会議にて、点在する規模の小さい集落の住人を一時的に人里や近隣の施設へと避難させる事が決まった。

 ある程度の危険に対処出来るであろう、上白沢慧音や藤原妹紅を始めとした人里に友好的な実力者たちを頼り、可能な限りの人間を保護する予定だ。

 今はもう、一人でも多くの人命が助かる事を祈るしかない。

 あぁ、人間はなんと無力なのだろうか。

 

 〇月〇日 ――

 

 雨が、止まない――

 

 

 

 

 

 

 未曽有の大災害の中、各所でその対応が求められていた。

 人里は当然として、妖怪の山や紅魔館、永遠亭すら無関係では居られない。

 そして、命蓮寺では人里以外の集落から逃げ延びて来た人間たちの避難先として、人妖問わず多くの者が忙しく動き回っている。

 人里の住人の中で、比較的体力のある若者たちは自ら志願して避難先の手伝いを買って出ていた。

 頭上に浮かぶ雲山を傘としながら、この場の総監督としての役割を貰った一輪が、やって来る者たちに次々と指示を出していく。

 

「一輪の姐さん! 頼まれてた毛布、あるだけ持って来ました!」

「来ましたー!」

「ありがとう、横島さん、響子! そのまま二人で倉庫と往復して、本殿に居る避難民に配ってちょうだい! まだまだ増える予定だから、一人一枚を徹底させて!」

「「はい!」」

「一輪さん! 堀に詰まった倒木ですが、思いの外深くまで刺さってるようで、撤去が難航しそうです!」

「解ったわ! 大神さん! 力の強い妖怪を手伝いに向かわせるから、作業の人たちには少しだけ待って貰って!」

「はい!」

「一輪さん! 人里から、こっちに避難したいって人たちが門前に!」

「……っ。解ったわ! 橘さん! 本殿は、これから来る人里外からの避難民で埋まるから、マミゾウに聞いて私たちの宿舎へ誘導して!」

「はい!」

 

 予定外のアクシデントにも、機転を利かせて対応していく一輪。

 まるで、蜂の巣を突いたような大騒ぎの中、雨音に負けないよう大声と大声の応酬が繰り広げられる。

 その後、ようやくある程度の対処が終わったところで、熱い緑茶を入れた二つの湯飲みを手にマミゾウが登場する。

 

「お疲れ様じゃ」

「ありがと。ふぅ……っ」

「とりあえず、一段落かの」

「えぇ、なんとかね……」

 

 湯飲みを受け取り、ひとごこち付いた入道使いが小さな吐息と共に同意を示す。

 油断は出来ないが、それでも現状はそこまで絶望的な状況ではない。

 最悪の場合、星が法力による結界を展開すれば命蓮寺の全域を三日三晩守護する事も可能だ。

 しかし、この災害がその三日で終わる保証はない。未だ着地点の見えない現状で、安易に手札を切る事は出来ない。

 

「星は?」

「毘沙門天の代理として、立派にご本尊を演じておるよ」

 

 不安、恐怖、嘆き、怒り――

 災害によって起こる負の感情の受け皿として、星は避難して来た人々の前にて(おごそ)かに佇み、その祈りを一身に受け止めていた。

 

「……あの娘が一番、被災地の最前線に向かいたいはずなのにね」

「適材適所じゃよ。拝むべき像がなければ、本殿はただの空き部屋じゃ。それでは、信心のない者たちが縋れまいて」

 

 これは、星にしか出来ない役割だ。故に、聖は彼女へ本尊としての役目を優先するよう指示を出した。

 聖自身は、本来星が望んでいた人里の外に住む者たちの救出作業へと出向いている。

 

「村紗の方はどう? 少しは落ち着いた?」

「そっちも相変わらず、部屋の隅っこでダンゴ虫じゃ。今は、とりあえずぬえに監視させておるよ」

「水難事故で死んだ亡霊が怯えるには、十分な災害だもの。その上――いえ、これは言うべきではないわね」

 

 自室で毛布に包まり、がたがたと震えている村紗の心中は大層複雑だろう。

 「水難事故を起こす程度の能力」。それは、己を殺した恐怖の再現であり、恐怖そのものの具現。

 その上で厄介なのは、本人も無自覚のまま同胞を求めてしまう亡霊という存在の悲しき性質(さが)だ。

 

 水が怖い、恐ろしい。

 この恐怖と絶望を、自分だけが味わうなんて間違っている。

 だから、自分以外の誰かも自分と同じ恐怖を知るべきだ。

 

 これだけ大量の水気が溢れている中で、村紗は舟幽霊として湧き出す恐怖と殺戮願望という相反する衝動を、必死に押さえ込んでいるのだ。

 

「ほっほっほっ。あの乱暴住職は、()()()()()()と決めたのじゃろう? ならば、(わし)らはその行く末を見守るのみじゃよ」

 

 身内に爆弾を抱える以上、常に「もしも」は想定しておくべきだ。

 新参とはいえ、マミゾウはもう命蓮寺の一員となった。

 家族が家族を助けるのは、当然の行いだ。

 

「一輪よ、少し休め。ここからは、(わし)が聖殿の代理の代理として控えておこう」

「助かるわ。ぬえが連れて来たって聞いた時は不安だったけれど、有能なら大歓迎よ」

「穀潰しとして追い出されんよう、精々働かせて貰うかの」

 

 一人より二人で、二人より皆で。

 個を貴ぶはずの人外たちが集い、手を取り合って暮らす異端なる妖怪寺。命蓮寺。

 人と妖怪の架け橋となる事を夢見る者たちは、嵐の中でもその輝きを失う事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 命蓮寺と共に、その地下にある神霊廟でも避難民の受け入れを行っていた。

 完全に外界から隔離された仙界である地下空間に、地上の災害は無縁だ。

 幻想郷が未曽有の震災に晒されている中、仙界はそよ風すら運ぶ平和な光景を映し続けている。

 

「……正に、極楽浄土ですね」

 

 命蓮寺とは別地区の避難民を受け入れる神霊廟に、監視役としてやって来た阿求の表情は非常に苦々しいものになっていた。

 近況では、恐らく最大級の惨事となるであろう危機のはずが、この地に居れば安全だとはっきりと理解出来てしまう。

 普通の人間は、当然危険よりも安全を求める。

 この災害の後、小さな集落で暮らす事への危機感を覚えた多くの人間たちが、その安全を求めて人里へ集まる事は容易に想像出来る。

 そして、更なる救いを求めてこの霊廟の信者となるだろう事も。

 無論、その中から本当に仙人へと変化出来る者はほんの一握りのはずだ。しかし、それは同時に「自分から人外になろうとしている人間」が大量に発生する事を意味している。

 ただでさえ一枚岩ではない人里という組織に、更なる派閥が追加される未来を憂い、阿礼乙女は深々と溜息を吐いた。

 

「憂う表情も可憐だね。阿礼の娘」

「……」

 

 歯の浮いた台詞と気障な態度で登場した新勢力の頭領に、阿求は遠慮なく嫌悪の表情を返す。

 

「神子さん。貴女は、何時でも誰にでもそんな事言っているのですか?」

「もちろん、時と場所と相手は考えているとも。為政者たる者、軽挙妄動は律して然るべきだからね」

「……はぁっ」

 

 にっこりと笑う神子の美貌を見上げ、仕事柄弁舌が達者なはずの阿求が匙を投げて溜息を吐く。

 

「まずは感謝を。人里、命蓮寺、神霊廟という三カ所に避難民を分散させる事で、個々の負担を格段に減らす事が出来ました」

 

 一度退治されたとはいえ、人里の治安を滅茶苦茶にしてくれた邪仙の居る新規勢力になど頼りたくはなかったが、背に腹は変えられない。

 社交辞令も含め、阿求は人里の一員として深く頭を下げた。

 

「なに、私としても願ってもない提案だった。民草に起こる悲劇は、少なくするに越した事はない。それに――」

「それに?」

「いや、今は止めておこう」

 

 意味深に微笑を浮かべ、会話を閉じる神子。

 追及しようとする阿求に先んじて振り返り、そのまま霊廟の中へと退散していく。

 

「あぁ、そうそう。青娥の事は心配しなくて良いよ」

「え?」

「彼女は今、身動きが取れない状態に()()()()からね。安心して過ごしてくれたまえ」

 

 奇妙な言い回しだ。

 まるで、手足を切り飛ばして達磨にしてあるとでも言っているかのようではないか。

 しかし、そんな狂気の沙汰を平然と語れるはずもない。

 神子の語った言葉の裏を考えながら仮設された避難所へと向かった阿求は、そこで意外な人物を発見する。

 

「つまりじゃな、幻想郷の守護神が龍神であるが故に風水的にも水気が蔓延し易く、更には自然に強く依存する故に治水事業もままならぬ事が――」

「なるほど。だが、その場合今までよりも災害の規模が大きい理由の説明には不十分だ。それらの要因も加味した上で、更に別の要素が加わっていないと――」

 

 避難民たちが、思い思いに暇を持て余す室内の中心。

 他の者が静かに過ごす中、空気を読まない尸解仙と香霖堂の店主が討論を繰り広げていた。

 

「霖之助さん」

「ん? やぁ、阿求。君はこちらに避難して来たんだね。無事で何よりだ」

「霖之助さんも、ご無事なようで安心しました。どうしてこちらに?」

「元々は、霧雨の親父さんの安否確認をしに来たんだが、ついでとばかりに今の君と同じ仕事を頼まれてね」

「なるほど」

 

 人間に友好的な態度を示していようと、神霊廟の面々は新参者であり人外だ。

 そう簡単に信用は出来ないし、するべきでもない。

 監視役は、何人居ても足りる事はない。

 

「稗田殿も、今後の人里の展望について我と存分に語り合おうぞ」

「申し訳ありませんが、稗田家は人里を統治する立場にはありませんので」

 

 布都がこの場に居る理由は、恐らく避難民たちへの対応と人里が送り込む監視役への牽制だ。

 鼻息荒く討論への参加を促す尸解仙に、揃って捕まる訳にはいかないと適当な理由を付けてやんわりと辞退を示す阿求。

 そのまま、避難所内の対応を霖之助へと丸投げし、阿礼の少女は再び外へと足を運ぶ。

 

「こーらー」

「ひっ」

 

 出口で待ち構えていたのは、青白い肌をした死体の少女。宮古芳香だった。

 

「勝手に外に出ちゃだめだぞー。仙界は広いから、迷子になったら大変だー」

「も、申し訳ありません」

 

 命令通りにしか動かない死体相手では、どんな言い訳を重ねても無意味だ。

 普通の人間では絶対敵わない門番に入り口を陣取られ、阿求はろくに反論も許されぬまま中へと押し戻されてしまう。

 

「困りましたね……」

 

 折角、神霊廟の内部を調査出来る機会だったのに、芳香が居る限り目的は果たせない。

 仕方なく、今度は部屋の奥で子供たちの遊び相手になっている妖怪の元へと向かう。

 

「ほーら、もう大丈夫だよー。この中に居れば、全然怖くないからねー」

「こんにちは、小傘さん。貴女は命蓮寺に居るのだと思っていましたが、こちらに来たのですね」

「んぅ? あら、阿求じゃない。べろべろばー」

「まぁ、怖い怖い」

「ちゃんと驚いてよー」

 

 挨拶ついでに驚かせようとした小傘は、扱いの適当さに不満そうな顔を作る。

 避難民には子供も多い。本人の存在意義はさて置き、ベビーシッターとして有名になりつつあるこの唐傘妖怪に任せておけば多少の不安は紛れるだろう。

 

「この娘だれー?」

「あたし、しってるよ! あれいさまだ!」

「あれいさまー?」

「えらいひとー?」

「あらあら、皆さん元気ですね」

 

 小傘に世話をされていた子供たちが、今度は阿求の傍へわらわらと集まり始める。

 どうせあの死体が居る限り、外へは出して貰えないのだ。

 この避難所の中で大人しくしておくしかないのであれば、布都の議論に加わるのも子供の相手をするのも同じ事。

 

「それでは一つ、退屈しのぎにこの仙界にまつわる異変のお話でもしましょうか。最新情報ですよ」

 

 この空間は安全だが、そこに住まう者たちも安全とは限らない。

 ここを根城とする仙人たちの危険性を、聞き手に植え付けられれば御の字だ。

 

「小傘さん、手伝って貰えますか」

「えぇ、良いわよ」

 

 子供たちを中心として、大人たちの一部も呼び込んでいく阿求と小傘。

 十分な観客たちが集ったところで、用意して貰った簡素な椅子に座る語り部が、ゆっくりと物語を紡ぎ出す。

 

「事の発端は、命蓮寺の一員であるネズミの妖怪ナズーリンが、地下に眠るこの神霊廟を突き止めた事から始まります――」

 

 人形劇をやっている時のアリスさんも、こんな気持ちなのでしょうか。

 

 きらきらとした子供たちの視線を一身に浴びながら、阿求は益体もない思いを浮かべて消した。

 人間が居て、妖怪が居て、神が居る土地、幻想郷。

 その全てが共存し、そして、決して交わる事はない。

 箱庭の記録者として、人間側の観測者として、前世の記憶を持つ少女は人間の味方であり続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 止まぬ豪雨に晒されながら、妖怪の山にて普通の魔法使いと守矢の祭神の弾幕ごっこが終わりを告げる。

 少々不利な形勢ではあったが、苛烈な神奈子の弾幕をひたすら回避し続け好機を待った魔理沙の粘り勝ちだ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ」

「ふむ。まるで蛇の如き執念だな――しっかし、遊戯とはいえ神が人間に負けるとは、今更ながら世も末ねぇ」

 

 箒にまたがり肩で息をする傷だらけの勝者へと、湖面に仁王立ちする敗者が神としての演技を止め余裕綽々で軽口を飛ばす。

 勝者の方が重症となる結末は、一撃決着を旨とする弾幕ごっこならではの終わり方だ。

 

「今すぐこの異変を止めろ」

「異変? おかしな事を言うわね。これはただの大雨よ」

「嘘吐け! ただの大雨が、五日も六日も続いてたまるか!」

 

 首を捻る神奈子へ、とぼけるなと激昂する魔理沙。

 この天気は異常だ。異常とは異変であり、必ず首謀者が存在する。否、()()()()()()()()()いけない。

 

「哀れな。貴女のその思いと願いこそが、この災禍の引き金だというのに」

「どういう事だ」

()()よ。貴女は、度重なる異変によって、「この大雨も、異変なんじゃないか」、「誰かが、何かが、この大雨を引き起こしているんじゃないか」。そう思ってしまった」

「……」

「貴女だけじゃない。他の人間も、妖怪や神たちも、一心にそう「願って」しまった。だから、その信仰を受け取った天は祈りを聞き届けた」

「そんな、そんな馬鹿げた話が……っ」

「祈りは、時に両刃の刃となるわ。善も悪もなく、正と負もなく、そうあれかしと望まれた事象をただ表すのみ」

「……っ」

 

 強い歯ぎしりをする魔理沙を見上げ、語りを終えた神奈子が無言で佇む。

 

「なら、お前の力で今すぐこの雨を止めてくれ。風の神なら、それくらい楽勝だろ」

「断る。自然の営みこそ、我らの役目そのもの。神が摂理を捻じ曲げては、それこそ本末転倒というもの」

「お題目なんざどうでも良い!」

「……魔理沙、貴女ちょっと変よ」

 

 被害ばかりが増えていく現状に焦っているのかもしれないが、神奈子から見て魔理沙の言動は余りに拙い。

 

「貴女は、神様相手に「出来るならやれ」、なんて情けない事を言う娘ではないはずでしょう」

「……」

 

 神に縋るという事は、神に屈服したと認める行為に他ならない。

 だからこそ、人は神に、災害(天意)に挑み続けた。

 そんな、人間の代表とも言える反骨心の塊であるはずの少女が、無様に自分へと縋る姿など見たくない。

 それは、時代に敗れた神として今も人間を見守り続ける神奈子の、偽りのない本心だ。

 

「今の貴女は、霊夢に「異変を解決してくれ」と頼んでいるのと同じ事を、私にしているのよ?」

「……っ」

 

 ようやく己の愚かさに気が付いたのか、魔理沙は何も言えぬまま顔を伏せる。

 

「早く帰って、お風呂で良く温まりなさい。人間である貴女は、神に勝てても風邪には勝てないのだから」

「……うん」

 

 観念したのかしおらしく頷き、普通の魔法使いである少女は何時もよりも幾分遅い速度で飛行し山を離れて行く。

 見るからに落ち込んだ雰囲気の魔理沙を見送り、残された神奈子は腕を組んだまま太陽を遮る分厚い雲を睨み付けた。

 

「やれやれ、次から次へとうっとうしい」

 

 吐き捨てるように呟く乾神の背後に、相方である坤神が出現する。

 

「魔理沙は?」

「帰ったよ。残念だけれど、どうやらあの娘も今はここまでみたい」

 

 諏訪子の問いに、神奈子は振り返らずに至極残念そうな溜息を吐いた。

 

「神奈子の出したヒントが、解り辛かったんじゃないの?」

「まさか。何時ものあの娘なら、十分気が付けたはずよ」

 

 確かに、この異常気象の直接の原因は幻想郷の住人たちによる信仰だ。

 だが、その程度の信仰でこんな災害が発生するのであれば、幻想郷はとっくの昔に崩壊している。

 

「懇切丁寧に説明する義理はないとはいえ、ここで諦めちゃうかぁ」

「霊夢が動いていないというのが、引き下がった一番の理由でしょうね。良くも悪くも、この土地はあの巫女の判断に強く依存しているから」

 

 今までと今回で、異なっている要素――それは、神子が復活した事で急激に活性化した神霊たちだ。

 神霊とは欲の欠片であり、欲とは祈りや願いにも通じる高純度の燃料。

 本来であれば、時間と共に活性化も落ち着くはずだったのだが、それよりも早く燃料をくべる先が出現してしまった。

 つまり、大勢が無意識に行った信仰を神霊たちが増幅してしまったのだ。

 

「霊夢は悪意に殊更敏感なだけで、それ以外には無頓着なのにねぇ」

「だからこそ、発想が柔軟なあの娘には期待していたのだけれど……何か別の悩み事も抱えているみたいだし、仕方がないわ」

 

 しかし、それでも()()()()()()

 幻想の溢れる土地とはいえ、住人たちの信仰をかさ増ししてもこれほどの災害へ発展する事はない。

 ただの大雨を誰もが恐れる災厄へと加速させた、何か別の要因が存在している。

 それが一体なんであるかは、今のところ判明していない。

 神の権能や妖怪の能力といった、個に根差す力ではない。そんな力が介入していれば、まず間違いなく異変と判断され博麗の巫女が動く。

 恐らくは、使用者の能力に寄らない特殊な効果を持つ道具や装備。それも、災害そのものではなく「すでにあるもの」の規模や範囲を増幅、加速させるような類の代物だろう。

 それすらも、悪意を持って使用すれば霊夢の直感に捕捉される。

 住人の信仰、それを後押しした神霊。そして、その二つの要素を「悪意なく」加速させたものは()()

 博麗の巫女という、史上最高の異変察知レーダーをすり抜けた元凶の目的は、果たして何か。

 

「まぁ、密室の恋ってやつじゃなけりゃあ、相手から勝手に掛かって来るだろうさ」

「未必の故意よ。貴女、最近チルノに似て来てない?」

「ケロケロ。最近暇だから、たまに遊んでやってるんだ」

「無垢な妖精と戯れる邪神……事案かしら」

 

 異変という刺激を常に欲している幻想郷としては、この展開の方が長い目で見れば有益だろう。

 結局、思惑が外れた守矢の祭神たちは、自ら手を出す事なくこの凶事を静観する事に決めた。

 神は軽々と動けない。博麗の巫女は見過ごし、風祝(かぜはふり)は人々の救済に奔走し、普通の魔法使いも諦めた。

 もしも、裏で蠢く者たちが居るならば、その行いはやがて異変へと至るだろう。

 今止めようと、後で止めようと、同じ結末に辿り着くのであれば、どちらであろうと差異はない。

 この災害にて死に逝く者たちもまた、幻想郷という閉ざされた箱庭を存続させる為、くべ続けられる燃料()に過ぎないのだ。

 それはそれは、残酷な話だった。

 

 

 

 

 

 

 小雨から始まった雨模様は、今や洪水や土砂崩れがそこかしこで起こる大災害へと成長した。

 

 話は聞かせて貰った! 人類は滅亡する!

 な……なんだってー!

 

 そんな不謹慎な冗談すら本当になりかねない未曽有の災厄の中、私は人里の寺子屋にて避難誘導の指揮に参加していた。

 救出班として割り当てられた知り合いたちに通信用のミニ人形を持たせ、各員からの報告を机に広げた地図へと書き込んで次の指示を出す。

 避難を終えた人たちの誘導や割り振りは、人里の自警団にお任せしている。

 博麗の巫女である霊夢だけは、緊急時とはいえ人外である私の指示に従う姿を見せる訳にはいかないので、仕方なく通信用の人形を持たせて独自の判断で動いて貰っていた。

 人里の問題は人間が解決するべきだが、今回ばかりは特例だ。

 そのせいなのか、人里の偉い人たちを押し退けて私が司令塔のポストに抜擢されてしまった。

 救えた人、救えなかった人。色々な意味で大勢の人間たちに深い傷を残すだろうこの避難劇にも、ようやく終わりが見えて来た。

 

「難民の誘導は粗方終えたわ。聖、今の一団を命蓮寺に送り終えたら、早苗の居る北の一団に合流して」

『了解しました』

『アリス、私も行こうか?』

「妹紅と慧音は、一緒に不測の事態に備えて人里で待機をお願い」

『備えは妹紅一人で十分だ。私にも行かせてくれ』

『こらこら。慧音はさっき、子供を助けに川の中を泳いでへとへとじゃないか。行くなら私だよ』

「その慧音を助けようとして、溺れ死んで流された貴女も待機よ。妹紅」

『……はーい』

 

 妹紅は不老不死なので、何度死んでも復活する。

 復活した時点で体力だって元通りになるのだから、本当であればこの災害で一番頼りたい存在だ。

 しかし、例え体力すら戻るのだとしても、死んだ瞬間の記憶は残るし精神面の消耗は戻らない。

 何より、ストッパー役である妹紅の監視を外すと、慧音がまた無茶をしかねない。

 その事を言外に告げて、二人を大人しくさせておく。

 

「妖夢、そっちは大丈夫?」

『はい、問題ありません。帰ったら――下がって!』

「妖夢?」

 

 フラグ回収早過ぎぃっ!

 

 妖夢個人の心配もあるが、彼女は今数十人の難民たちを誘導している最中だ。

 ぬかるんだ地面を延々と歩いて来た彼らを守る必要がある為、彼女への危険度は更に増している。

 

「妖夢、何があったの。返事は出来る? 妖夢」

『ごほっ、ごほっ。申し訳ありません、アリスさん。こちらは無事です。何処かの河川が決壊したのか、突然真横から鉄砲水が、ごほっ』

「無事なら良いの。無理に喋る必要はないわ」

 

 今のような事態は、一度や二度ではない。

 大雨によって地盤が緩み、河川の氾濫や土砂崩れによって更なる災害が誘発される。

 それに巻き込まれれば、当然全滅だ。

 天狗たちも自分たちの住処で手一杯の為、協力を打診しても断られてしまった。

 代わりにリグルやミスティア等、比較的人里に友好的な妖怪たちに頼み逐次危険となった範囲を地図情報に更新しているが、それもまったく追い付いていない。

 

『妖夢ったらびしょ濡れじゃない、情けないわね!』

「妖夢の近くに居るのね、チルノ。だったら彼女を助けてあげて」

『良いわ! 最強のあたいに任せなさい!』

『アリスさん。妖精の手助けなど、必要ありません』

「いいえ。鉄砲水が来たのなら、元となった水源が近くまで伸びて来ているはずよ。もしもの時は、チルノを上手く使いなさい」

『……解りました』

 

 「冷気を操る程度の能力」。水に関する災害に対し、チルノの能力は非常に有効だ。

 その事は理解しているのか、妖夢は渋々ながら私の指示に従ってくれる。

 

『アリスさん、早苗さんとの合流が完了しました。これより、共に避難誘導を行います』

「ありがとう、聖。早苗もそろそろ限界だろうから、一緒に気に掛けてあげて」

『うぅ……心配してくれるアリスさんの優しさが嬉しい反面、情けなさがもりもりです』

『うふふ。貴女は貴女に出来る範囲で、十分頑張っていますよ。よしよし』

『くっ。そんな安直なバブみでこの私を篭絡しようなんて――あぁ~』

「……元気ね」

 

 音声だけでも早苗のだらしない顔が幻視出来てしまい、思わず呆れを含んだ呟きが漏れてしまう。

 「竜破斬(ドラグ・スレイブ)」辺りを連発して頭上の雲を全て吹き飛ばせば、恐らくこの天災は終わる。

 しかし、私はその解決方法を選択する事が出来なかった。

 これはきっと、ただの災害ではない。

 だが、近況でこんな異常気象が前兆の異変など、原作にはなかったはずだ。

 私という異物が、何かの歯車を狂わせてしまったのではないか。

 その結果が、この異常気象なのではないか。

 何より、私が調べた限り原因がなんであれこれはただの自然現象だ。

 先ほどのような安易な解決策では、摂理を大きく歪めた反動により更なる災厄を呼び込む結果となりかねない。

 

「……ままならないものね」

 

 やらない善より、やる偽善。

 その先に、犯した過ちへの罰が来ると解っていても、私はこの災害をもっと早くに止めるべきだっただろうか。

 解らない。

 私には、何も解らないよ。

 

 結局、何も選べなかった私はこうして消極席参加という中途半端な立ち位置を続けている。

 「原作」という超越した知識を持ちながら、そこから外れた事象には何も対処が出来ない。

 情けなくて、涙が出そうだ。泣けないけど。

 選ばなかったからといって、時間は待ってくれないのだ。

 ならば、今出来る事をやるしかない。

 これ以上の犠牲を出さない為に、私は再び地図を見渡し必要な指示を出していく。

 最終的に、十日を掛けてようやく降り止んだ大雨の影響は、大方の予想を超え目を覆うほど甚大だった。

 百人以上の人間と、それに近い数の人外たちが犠牲となった、今世紀最大となるだろう自然災害。

 復興の支援として、特別に地底の鬼や土蜘蛛が地上の各地へと派遣され、崩壊した集落たちは早々に元の姿へと戻った。

 だが、形だけが戻っても失ったものは戻らない。

 それでも、慰霊祭を終え宴会へと突入した人々の表情には、少ないながらも笑顔があった。

 失って、奪われて。未だ不安と恐怖がくすぶり続ける中で、最後には笑って慰め合える。

 それは、私にとって人間という種族の強さを改めて実感させられる出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 全てが終わったその後。

 人里から遠く離れた場所に捨て置かれた廃屋の中で、人間の膝下程度の背丈をした少女が晴れ間の覗く外の景色を眺めている。

 

「凄かったねー」

 

 薄紫色の短髪に、帽子替わりのお椀の蓋。赤色の和服は意匠に富み、窓枠に両手でしがみ付き裸足の両足をぷらぷらさせている。

 小人の名前は、少名針妙丸。一寸法師の末裔である、小人族の少女だ。

 

「えぇ、素晴らしい結果でした。流石は姫様」

「えへへー」

 

 そんな小人族を褒め称えているのは、黒髪の中に白と赤が僅かに混在した、小さな二本の角を持つこちらは人間サイズのもう一人の少女だ。

 矢印が幾つも連なった装飾が特徴的な半袖の上着と短めのスカート。瞳の色は赤く、柔らかな笑みを浮かべている。

 相方の少女の名前は、鬼人正邪。

 二人は異なる種族でありながら主従関係を築き、こうして行動を共にしていた。

 

「今回の使用は、小槌の効果を検証する為の実験的な意味合いが大きかったのですが、よもやただの大雨がこれほどの規模へ拡大するとは。実に有意義な成果です」

「……」

「如何なさいましたか? 姫様」

 

 「打ち出の小槌」。なんでも願いが叶えられるという、鬼の秘宝。

 一寸法師が鬼を退治し、救い出した人間の姫と結ばれる為に秘宝の力で大きな身体を得たのは、昔話の通りだ。

 長らく小人族に保管され続けた小槌は、所有者である彼らだけが使用出来る道具へと変貌を遂げていた。

 つまり、この大災害を引き起こしたのは正邪に言われるがままその秘宝を使用した針妙丸なのだ。

 もっとも、二人とも住人たちの信仰や神霊での増幅といった別の要素について、理解している訳ではない。それらの要素も含めた全てを、打ち出の小槌による効果だと錯覚してしまっていた。

 

「ねぇ、正邪。この大雨で、亡くなった人は居ないんだよね」

「えぇ、幻想郷は強者の土地ですので。それに、弱者たちには私から安全な場所へ避難誘導を行っております」

 

 嘘だ。正邪は針妙丸と共に、この災害をただ傍観していた。

 

「正邪。私たちは、正し事をしているんだよね」

「はい、貴女は正しい。我々、弱き者たちの希望なのです」

 

 嘘だ。正邪は己の行いを正義だなどとは、露とも思ってはいない。

 

「姫。貴女たち小人族はその体躯故に、どうしても力が弱かった。味方する者も居らず、利用するだけされて捨てられる。そんな思いを何度もして来たはずです」

「……えぇ、そうよ」

 

 これだけは本当だ。一寸法師という偉大な先祖に顔向け出来ないほど、小人族は零落し長きに渡り辛酸を舐め続けた。

 例えそれが、自らの一族が引き起こした愚かな過ちが原因であろうとも。

 

「姫様と秘宝の力があれば、皆が救われるのです! 強者が弱者を食い潰す、そんな地獄のような世界をひっくり返すのです!」

「正邪……」

 

 故に、正邪はそそのかす。

 この無垢なる姫を。無邪気な少女を。夢見る幼子を。

 

「さあ、姫様。私と共に、弱者が見捨てられない楽園を築きましょう!」

 

 ただの詐欺師が、幻想郷を崩壊させ得る凶器を得た。

 反逆だ。強者が食われ、弱者が食らう、全てが真逆の宴を起こそう。

 己が性質(さが)に逆らう事なく、生まれながらに背負いし業を満喫しよう。

 正邪の種族は天邪鬼。

 「鬼」の名を持ちながら、虚飾を好み、誠実を嫌い、悪徳を喜ぶ外道の小物。

 幾つもの幸運と偶然が混じり合い、やがて必然の衝突へと加速していく。

 幻想郷(せかい)は未だ、己の敵となる存在に気付かない。

 




生きとったんよワレェッ!(生存報告)
ちょっと給料が2倍になるくらい働いてました。
ボスケテ

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