東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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神様なんて、居ない居ない。
神様なんて、知らない知らない。
貴方の知ってるその神様は、貴方の信じるその神様は。
本当に、「神様」ですか?


114・神様の居ない月曜日

 おとぎ話がめでたしめでたしで終わろうと、登場人物たちの生活は続いていく。

 見事鬼を撃退し、秘宝の力で小人から人間の大きさとなった一寸法師は、浚われていた人間の姫と結婚し幸せに暮らした。

 彼は鬼から奪った秘宝で己の身長を伸ばして以降、他に一切小槌を使用する事なく生涯を閉じた。

 彼は誠実であり、真摯であり――何より、臆病であった。

 打ち出の小槌。使用者の願いを叶える、万能の願望機。

 一寸法師は、そんな都合の良い道具がなんの対価もなく利用出来るはずがないと、警戒していたのだ。

 そして、死後の悪用を恐れ誰の目にも触れさせない為に同族である小人族へと、厳重に保管するよう託してこの世を去った。

 小人族は、その小ささと弱さ故に定住の地を持てず、常に他者から隠れ住むように各地を転々としながら暮らして来た。

 一寸法師の活躍により、彼が救った国に住まう事を許された恩に報いるべく、小人族は彼の願いを聞き届ける。

 しかし、時代は移ろい、月日は残酷に進んで行く。

 かつての英雄の活躍が過去の出来事となり、人間は小人族を迫害するようになった。

 当時、人間と妖怪は殺し殺されの日々を繰り返す殺伐とした関係だったのだ。

 妖怪と共に暮らす国。それだけで、周辺諸国から魔道に落ちた悪鬼の国と罵られ蹂躙されても、文句は言えないような時代だ。

 功績を上げたとはいえ、一時だけでも小人族が人間に受け入れられたのは奇跡に等しい。

 そして、不幸にも小人族に与えられていた平穏な日々が、彼らの歯車を狂わせてゆく。

 最初からそんなものがなければ、求めはしなかっただろう。

 だが、彼らは知ってしまったのだ。覚えてしまったのだ。

 再び隠れ住む生活へと戻った小人族は、しかし、かつてあった穏やかな日々を忘れられない。

 ならば、望むだろう。過去にあった日々を、あの平和な日常を。

 

 どれだけ平穏を求めても、人間は小人族を殺し続ける。

 どれだけ安寧を望んでも、妖怪は小人族を食らい続ける。

 

 世界は残酷で、どうしようもなく理不尽だ。

 そして、小人の手には小槌があった。あってしまった。

 一人の末裔が、願いを叶える道具を所持していながら底辺の生活に甘んじる一族へ業を煮やし、遂に長年守り続けた禁を破る。

 最初は、一族を救う為の善意だったかもしれない。

 一度振るえば、もう止まらない。

 豪華な食事も、極上の美酒も、服も、家も、大判小判さえも。一振りするだけで、願ったものが手に入る。

 なんでも叶う、夢幻すら吐き出す希望の小槌。

 散々辛い思いをして来た者に与えられた、最高の幸福。

 狂わないはずがなかった。

 欲望は更なる欲望を呼び、願望機は願いを叶え続ける。

 打ち出の小槌が悪辣な点は、その対価が()()()である事だ。

 願いに対する対価が溜め込んだ魔力を超過した時、小槌は使用者の持つ「未来への可能性(運命)」を不足分の魔力として徴収していく。

 願いがささやかなものであれば、不足分の対価もまたささやかに終わっていいただろう。

 だが、欲を肥大化させ続けた末裔に、そんな期待は無意味だった。

 「未来への可能性(運命)」を搾り尽くされた者に待つのは、死んだ方がましだと思えるほどのとてつもない不幸だ。

 最後に、「豪華な城を建てて人間を支配したい」と小槌に願って巨大な城を造り上げたところで、小槌の魔力は尽きた。

 途端、出現した城は逆さまになり、地の底にある鬼の世界へ一族諸共に落とされてしまう。

 小槌を振るっていた末裔一人だけでは到底清算出来ない対価の代償として、一族全員が巻き込まれたのだ。

 鬼の世界の掟は、たったの一つ。

 即ち、弱肉強食。

 弱者である小人族にとって、本当の地獄が始まった。

 

 

 

 

 

 

 正に天災と呼ぶに相応しい豪雨による被害があってから、慰霊祭を経て更に数日。

 人里も、他の集落も、一応表面上の落ち着きは取り戻したものの、残された傷跡はあちこちに残されている。

 親を失った者。子を失った者。友を失った者。家を、住んでいた村を失った者。

 鎮魂の祭りが終わっても、残された者たちの嘆きは続いているのだ。

 しかし、同じ悲劇を繰り返さない為にも、嘆いてばかりは居られない。

 

「わっせ、わっせ」

「でかいの通るぞー。気ぃ付けろー」

 

 命蓮寺の地下にある神霊廟にて、何人もの人間たちが建物からの出入りを繰り返していた。

 彼らが運んでいるのは、霊廟の倉庫にしまわれていた様々な物品だ。

 霊廟が封印されてから、千年以上。神子たちと同じく時代を超えた品々が仙界の青空の下へと運び出されていく。

 そんな日雇いたちの中には、白黒の魔法使いの姿もあった。

 

「お、こいつも面白そうだな」

「おい、真面目に働け。労働者」

 

 しかし、その仕事振りはお世辞にも良いとは言えず、度々屠自古や布都に怒られている。

 労働力として死体からキョンシーを作成出来る青娥が居る為、本来であれば人里の人間を雇う必要はない。

 その上で、あえて神子が人里に依頼を出したのには幾つかの理由があった。

 本日の予定が終了し、いの一番で給料を受け取った魔理沙は、その足で神霊廟横のテラスにて優雅に紅茶をたしなんでいた神子の元へと向かう。

 

「そういや、なんだってこんな時に倉庫整理なんて始めたんだ?」

「先日起こった災害の影響で、生活に困窮している者たちが出ていると聞いてね。無償で施すのは健全ではないから、それらしい仕事を見繕ったのさ」

 

 そのまま二人のお茶会となった場で白黒の少女が問い掛ければ、依頼者からの回答は単純なものだった。

 

「それと、出て来た品で危険度の低いものは売り払って、空いた蔵の一部を保存食等の備蓄に回そうと思ってね」

「なんでだよ。お前たち仙人に、食事は必要ないだろ」

「人間向けの備蓄さ。安い時期に仕入れておいて、再び被災した時に適正価格で放出する。食料だから定期的に入れ替えが必要になるし、人里と交流する為の理由を一つ増やせる」

 

 「見事な策だろう?」とでも言いたげに、聖徳導師の顔へと涼やかな微笑が宿る。

 そんな美貌を向けられた魔理沙は、果てしなく面倒臭そうだ。

 

「お前って、いっつもそんな事ばっかり考えてるのかよ」

「そうだよ。民の命を守り導く事は、私の願いにも繋がるからね」

「別にお前は、人里の統治者でも王様でもないだろ」

「さて、どうかな。未来は誰にも解らないさ」

 

 意味深に笑い、口元へとティーカップを傾ける神子。

 一々仕草が様になっているが、別に狙ってやっている訳ではないのだろう。

 或いは、それが日常の一部になってしまうほど、常日頃から演技を続けているのか。

 

「ご歓談中に失礼」

 

 次の話題に移ろうかというタイミングで、布都が大きな桐箱を持ってやって来る。

 

「太子様、こちらを」

「ほぅ、これはまた懐かしい」

 

 机の中央に置かれた桐箱の中身は、様々なお面だった。

 翁、狐、般若といった代表的なものから、火男(ひょっとこ)等のユーモラスなものまで。延べ六十六枚という随分な大作だ。

 

「能楽のお面か。思い出の品なのか?」

「あぁ。当時、部下に私の顔を模した自作のお面を与えた事があってね」

「自分の顔のお面を自作って……ナルシスト全開かよ」

「知っての通り、君たちも思わず平伏すほどの美貌さ。大層喜んでくれたとも」

「まぁ、お前の部下なら喜ぶだろうな」

「その芸術性に触発されたのか、返礼として渡されたのがこのお面一式だよ」

 

 一つ一つへと大切そうに触れながら、太子は当時を懐かしむように両目を細める。

 

「太子様の霊廟という特殊な力場で千年の時を過ごした結果、すでに覚醒の片鱗を見せておりまする。人の形を模したものには、とかく意思が宿り易い」

「そうだね。このままだと、そう遠くない未来で付喪神として目を覚ます事になるだろう」

 

 部下の言葉に頷き、その続きを引き継ぐ聖徳導師。

 太子たちの生きていた時代では、妖怪はただの悪だった。

 幻想郷でも、器物の妖怪化は推奨されていない。

 長年使った道具については、完全に破壊してから破棄したり浄化の依頼と称して神社に寄付するなどの対策を講じている。

 

「お前たちの仙術とかで、封印したり出来ないのか?」

「出来なくはないが、私たちの力で育った物に対し、私たちの力で封印を施しても余り効果はないだろうね。その上、霊廟に置き続ければ更に力を蓄え、結局は目覚めを許す事になる」

「如何なさいますか? 太子様」

「折角の贈答品だ。破壊してしまうのは忍びない。博麗神社へ寄贈する事にしよう」

「承知」

 

 手元に置いておけないのであれば、せめて他所で預かって貰おうという話だ。

 霊夢にとって、この手の曰く付きの品を封印するのはお手の物だろう。

 

「お面とは古来より、表情を隠す目的と感情を表現する目的で作られた」

「あん?」

「優秀な術者でもある芸術家の作品だ。付喪神として目覚める前でも――いいや、その直前だからこそ装着者への影響は甚大だろうね」

「なんの話だよ」

 

 右手で持った翁の面で自身の顔を半分ほど隠し、神子は薄笑いを浮かべて眉をひそめる魔理沙を見る。

 

「解らないかい? このお面は、身に着けた者に感情の想起を促すと言っているんだよ」

「っ!?」

 

 感情の想起。それは、あの無表情の人形遣いが欲し続けている、人間であれば当たり前に備わっているはずの機能だ。

 はた目にも解り易いほど、アリスはずっと自分の感情が希薄である事を悩んでいた。

 魔理沙を含め、幻想郷の住人たちでその悩みを解決する方法を秘密裏に探しているが、残念ながら余り成果は出せていない。

 そんな中、正に求める効果そのものの道具が普通の魔法使いの目の前に現れたのだ。

 

「さて、どうする?」

「どうするって……何がだよ」

「欲しいなら安くしておくよ。借りて行くなら止めはしない。君は、あの伽藍洞(がらんどう)の娘を救いたいのだろう?」

「……っ」

 

 挑発とも取れる見透かしたような――実際に見透かされているのだろう――神子の台詞に、魔理沙は感情を隠さず鼻白む。

 「十人の話を同時に聞くことが出来る程度の能力」。相手の心を丸裸にする、聖徳導師へと授けられた天からの恩恵(呪い)

 

「……っ」

 

 なんの前触れもなく唐突に表れたのは、喉から手が出るほどに欲し続けた打開策。

 警戒、歓喜、疑念、葛藤。普通の少女の表情に、様々な感情が浮かんでは消えていく。

 

「ふむ、羨望と負い目――拗らせた年月の分、躊躇(ちゅうちょ)への割合いが強いか」

「人の心を、勝手に口に出すな!」

 

 悩み続ける相手の内心を語る神子へと、頬を染めながら魔理沙が抗議の声を上げる。

 その怒りに対し、神子は驚いた様子で軽く目を見開く。

 

「……少々意外だな。私の能力を知った大抵の者は、「心を読むな」と怒るか恐れるのだがね」

「あ? そんなごてごての耳当てしてても無理なんだから、言っても無駄なんだろ?」

 

 他者の()が聞こえる。それは、決して神子自身が望んで得た能力ではない。

 生まれた時から備わっていた、自分にとっては当たり前の――しかし、他者は持ちえない稀有な才能。

 豊聡耳神子は、普通の人間にとってただの化け物でしかない。

 この未熟な魔法使いはそれほどまでの隔絶に対し、「そういうものなのだ」とあっさり受け止めて飲み込んでいるのだ。

 

「ふはっ、くくくっ」

「なんなんだよ……」

 

 急に笑い出した神子に、訳が解らないと眉をひそめる魔理沙。

 

「どうやら私は、君を随分と過小評価していたらしい。なるほど確かに、君は霊夢の好敵手(ライバル)だよ」

 

 霧雨魔理沙は人間だ。

 紛れもなく、混ざり気ももなく。本当に、ただの人間なのだ。

 それは博麗の巫女として、「究極の人間」として完成した博麗霊夢には持ちえない、未成熟だからこそ存在する輝かしいばかりの可能性を秘めた、「ただの人間」。

 なんと(まばゆ)い光であろうか。

 なんと尊い光であろうか。

 博麗霊夢という少女の在り様に救われた者たちが居るように、霧雨魔理沙という少女の在り様に救われた者たちも、きっと同じくらい居るのだろう。

 知らぬは本人ばかりとは、なんとももったいない事だ。

 

「案外、君たちの関係はそれで良いのかもしれないね」

「なんだよ、それ」

 

 勝手に結論を告げられ、魔理沙は終始困り顔だ。

 

「だが、迷い続けるだけ時間は無為に失われていく。アリスに残された時間は、そう長くはないと見るがね」

「なっ、どういう事だ!?」

「まぁ、勘のようなものだよ。彼女を取り巻く様々な因果は、収束に向かいつつあるようだ。それが如何なる結末へと辿り着くかは――我々幻想郷の演者次第、かな」

 

 太子に見えているものが、普通の魔法使いには見えていない。

 新参者でありながら、否、だからこそ神子はアリスの持つ特異性について色眼鏡なく認識出来ているのだろう。

 

「私もまた、君と同じく彼女の花道を彩る道化の一人だ。共に踊るとしようじゃないか」

「……」

 

 アリス・マーガトロイドという少女の歩んだ十数年の歳月に、終止符が訪れる。

 それが、完全なる終幕となるのか。

 或いは、新たな幕開けへの祝福となるのか。

 幻想郷へと挑み敗れた敗北者の一人として、次なる挑戦者の末路をほのめかすその微笑みの意味を、魔理沙はついぞ理解する事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 大きな桐箱を両手で抱え、聖徳導師の家臣である尸解仙が博麗神社へと訪れる。

 

「たのもう! たーのもーう!」

「うるさいわねぇ。そんなに怒鳴らなくても聞こえてるわよ」

 

 神社の前で大声を張り上げる布都の呼び掛けに、霊夢が頭を掻きながら至極面倒臭そうな態度で顔を出す。

 

「博麗の巫女よ、本日はとある品を寄贈しに参った」

「食べ物なら歓迎よ」

「たわけ、太子様のかつての家臣が作成した美術品よ」

「じゃあ要らない」

「おい」

 

 余りにも素っ気ない態度に、思わず布都は半眼で霊夢を睨む。

 

「なんでそんなものわざわざこっちに……あぁ、付喪神化しそうなのね」

「しかり。すでに亡き家臣の遺作を打ち壊すのは忍びないと、深い慈悲をもって神社への寄贈を決められた」

「良い迷惑ね」

「相応の報酬は出す。我もあ奴とは知らぬ仲ではなかった。出来ればこのまま、道具として終わって欲しいのだ」

「……はぁっ。上がりなさい」

 

 布都の真摯な願いを受け、溜息を吐きつつ踵を返した霊夢は客人を神社の中へと招く。

 居間に通された布都は、丸机の上へと桐箱を置き中のお面たちを披露する。

 

「多いわね」

「ふっふっふっ、延べ六十六枚の大作よ。祭事の舞にでも使うが良かろう」

「そりゃどーも」

 

 座ったままふんぞり返り、我が事のように自慢する仙人へと適当に返事をしながら、博麗の巫女がお面の一枚一枚を確かめていく。

 そこで、予期せぬ事態が発生する。

 

「ねぇ、ちょっと。枚数足りないんだけど」

「なぬ? そんなはずは――」

 

 数を数え終えた霊夢の指摘に、布都はまさかといった表情をしながら自分でもお面を数えていく。

 この場で確認出来た枚数は、六十一枚。

 何時の間にか、五枚のお面が桐箱の中から消えていた事になる。

 

「ばかな……」

「もしかして、後から私がなくしたとか文句言うつもりだったの?」

「阿呆な事を抜かすな! 誰がそんな下らん難癖を付けるか!」

 

 怒りと共に反論する布都であったが、実際に枚数が足りないのは事実だ。

 

「一体何時……」

「来る途中で落としたんじゃないの?」

「あり得ん。お主も、さっきまで桐箱に入っておったのは見たであろうが」

「じゃあ、桐箱にお面を入れる時に落としたんでしょうね」

「お面を入れる……あの白黒小娘か!」

 

 お面を最後に桐箱の外へと出したのは、神子と魔理沙がお茶会をしていたあのタイミングだ。

 

「なんたる不敬! 太子様の眼前で盗みを働くとは、あの娘は恥を知らぬのか!?」

「あー、魔理沙にその辺期待するのは無駄よ」

 

 普通の魔法使いの手癖の悪さは、幻想郷ではかなり有名だ。

 現に、お面はなくなっている。状況証拠として、犯人は彼女でほぼ間違いないだろう。

 青娥という悪戯好きな邪仙も居るが、こちらはとある用事で今も芳香と共に冥界へと赴いており、そもそもこのお面が出て来た事もまだ知らないはずだ。

 

「全部揃えてから、また持って来なさい。今のままじゃ、封印しても残ったお面が鍵になって簡単に開いちゃうわ」

「くっ。そうさせて貰おう、邪魔をした」

 

 苦々しい表情で桐箱にお面を入れ直し、布都は怒り心頭といった様子で立ち去って行く。

 きっとこれから、魔理沙の自宅がある魔法の森へと向かうのだろう。

 再び一人になった霊夢は、来客用のついでで入れた緑茶を飲みつつ虚空へと視線を投げる。

 

「あのかっこ付け仙人が居て伝言一つないって事は、知ってて見逃した訳じゃないわね」

 

 霊夢にしては、珍しい独り言だ。

 まるで状況を確かめるように、少女は言葉を紡いでいく。

 

「魔理沙が盗んだとすれば、神子が気が付かない訳がない。なのに、神子は気が付かなかった――いいえ、()()()()()()()()()()()()

 

 相手の(こころ)が読めるのだ。魔理沙がお面が欲しいと欲を出せば、聖徳導師の耳に必ず届く。

 まるで、欲を出す事なく()()()に動いたような結果だ。

 

「無意識、そう、無意識よ。確か、さとりの妹に、そんな娘が……駄目ね、名前が出て来ない」

 

 眉間に皺を寄せ、しばらく悩んだ後諦めたような溜息を吐く霊夢。

 古明地さとりの妹。その「無意識を操る程度の能力」は、自他の無意識へと干渉し己の存在感をないものと誤認させる認識疎外だ。

 ないものはない。だから、名前も姿も思い出せない。

 

「確実に、()()()()わね」

 

 博麗の巫女が持つ、「空を飛ぶ程度の能力」でさえ干渉を防ぎきれない現状が、かの少女の暗躍を肯定していた。

 あのはた迷惑な少女が、再び幻想郷の住人を使った人形遊びを行おうとしている。

 

「懲りずに良くやるわ。そんなに退屈してるのかしら」

 

 博麗の巫女は動かない。否、動けない。

 何故なら、まだ異変は始まっていないから。

 彼女は舞台の主役であって、舞台の幕が上がる前に動く役ではない。

 どんなに無邪気な理由であろうと、どんなに凶悪な目的であろうと、開始の合図が鳴るまで動く事は許されない。

 故に、今の霊夢はただこうして湯飲みを茶を飲むだけで事態を静観する。

 だが、今回ばかりは博麗の巫女として役目を無視してでも、彼女はさとりの妹を止めるべきだった。

 あの娘が今回ハッピーエンド目指す相手は、今にも起きそうになっているお面の付喪神と、もう一人。

 この世界の最大にして最悪の異物――アリス・マーガトロイド。

 そこに救いはない。奇跡も、偶然も、必然という名の不幸に塗り潰されていく。

 人形のような人形遣いを救うべく、無意識の少女が人形劇への準備を開始する。

 幸福な未来を求めた先に、誰もが望む「めでたしめでたし」な結末など、何処にもありはしないのに。

 

 

 

 

 

 

 魔法の森の中にある、霧雨魔法店の居住区。その一角にある工房にて、店主の少女が頭を抱えていた。

 

「どうすんだよこれぇ……」

 

 椅子に座り懊悩する魔理沙の前には、机に置かれた五枚のお面があった。

 「喜び」を表す「福の神(おたふく)」の面。

 「怒り」を表す「般若」の面

 「哀しみ」を表す「老婆」の面。

 「楽しみ」を表す「火男(ひょっとこ)」の面。

 そして、「希望」を表す「聖徳導師」の面だ。

 お茶会で神子が語ったように、魔理沙はこのお面を利用するつもりはなかった。

 感情を強制的に想起させるという点は興味を引かれるが、無理やり感情を植え付けても解決には程遠い。

 そんな理屈が解っていながら、()()()()手が動いた。

 そのまま逃げるように帰って来たが、神子に止められなかったという事は、恐らくは見逃されたのだろう。

 

「あーもう、毒を食らえば皿までだっ」

 

 いよいよ自分の「死ぬまで借りる」癖がここまで来たかと戦慄したが、持って来てしまったものは仕方がない。

 アリスに渡さないという点は変わらないが、別アプローチの為の研究材料にでもすれば良い。

 「素直に返す」という選択肢を無視し、魔理沙はやけくそ気味に声を荒げお面の観察を開始する。

 確かに、神子たちが言っていたようにそろそろ妖怪化が始まるのだろう。それぞれの面そのものから、微弱な妖気が漏れ出している。

 醸している雰囲気も、完全に曰く付きのそれだ。少なくとも、興味本位で被るのは危険だろう。

 とはいえ、この手の道具は実際に誰かが使ってみるのが一番効果を把握し易いのも事実。

 

「チルノ辺りにでも被せてみるかぁ」

 

 友人で人体実験、もとい、妖体実験をしようという割と下種な手段が決定したその時、店の入り口から大声が鳴り響く。

 

「霧雨魔理沙ー! 住処を焼き払われたくなくば、今すぐ出て来い!」

「あぁ、追っ手は出すのな」

 

 怒り心頭といった布都の怒声に、魔理沙は割とのんきな態度で椅子から立ち上がる。

 弾幕ごっこで勝てば追い返すし、負ければお面を返せば良い。

 

『えー、使わないのー? だったらこのお面、私が貰ってっても良ーい?』

「おう、好きにしてく――っ!?」

 

 居るはずのない誰かの声に無意識に答えようとしていた口を塞ぎ、懐から取り出した八卦炉と共に振り返る。

 そこに人影はない。当たり前だ、ここには魔理沙一人しか居ない。

 だが、あるはずの物が消えている。

 自分が盗んだ、五枚のお面だ。

 

「お前の仕業かよ、()()()!」

 

 路傍の小石に、四六時中意識を向け続ける事は難しい。だが、こちらへ向けて飛んで来た小石へとその瞬間だけ意識を向ける事は簡単だ。

 彼女が舞台に手を伸ばす瞬間。その一瞬だけ、他者は「古明地こいし」という少女の存在を知覚する。

 呼び掛けに応じないのは、すでにこの場に居ないからか。

 

「くそっ」

 

 自分が一生借りたはずの物を、更にこいしに盗まれた。

 泥棒の片棒を担ぐはめになった魔理沙は、消えた無意識の少女を追うべく駆け足で家の外へと飛び出す。

 

「ようやく来たか! この不埒者が!」

「げっ、そういやコイツが居たんだったっ」

 

 箒にまたがり飛び立った先には、怒髪天と気炎を上げる尸解仙が待ち構えていた。

 事情を話すにしても、今の状態ではまともに会話すら許しては貰えないだろう。

 布都の取り出したスペルカードは二枚。短期決戦は、魔理沙の得意分野だ。

 

 炎符 『桜井寺炎上』――

 

「くたばれぇ!」

「はぁっ!?」

 

 森の中だというのに、布都は躊躇いもなく無数の炎弾を振り落とす。

 狙っているのか、天然なのか。ただ避けるだけでは、魔理沙の自宅諸共に魔法の森が大火事になってしまう。

 

 魔符 『スターダストレヴァリエ』――

 

「やってやらあぁぁぁっ!」

 

 魔理沙の側も無数の星型弾幕をぶち撒け、迫る炎の散弾を空中で次々と撃ち落としていく。

 弾幕と弾幕の真正面からの撃ち合いという根競べ勝負。

 

『うんしょ、うんしょ。はい、かんせー』

 

 そんな、両者が雄叫びを上げる暑苦しい戦いの下で、見知らぬ少女が地面に置かれている桐箱の蓋を空け盗んだお面を入れ直す。

 延べ六十六枚。全てのお面が再び集う。

 

『よいしょっと』

 

 更には桐箱そのものを両手に抱え、少女は鼻歌混じりで通り過ぎて行く。

 そこに居るのに、何処にも居ない。故に、誰も彼もが少女の操る人形劇へと巻き込まれ、己の意思だと目を逸らしながら踊るのだ。

 そんな大胆不敵な女の子の姿は、道端に転がる石ころのように誰にも知られる事なく消え去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 人里の外周近くに建てられた、個人の所有する小さな鍛冶場。

 相方、というか今回の主役は半袖のタンクトップに半ズボンという、普段より肌色面積を六割増しにした多々良小傘だ。

 かくいう私も、小傘と同じような恰好で作業をしている。

 鍛冶場の熱気は相当なもので、下手に着込んでいると早々に脱水症状を引き起こしてしまうのだ。

 

「……」

「……」

 

 お互いに無言で鎚を振るい、水――錬金術や魔法で色々と手を加えた特殊な液体――を掛けて不純物を飛ばす。

 炉の熱が肌を炙り、呼吸一つが喉奥へと火の痛みを送り込む。

 ただ無心に、ただひたすらに、金床に置かれた武器の純度と硬度を高めていく。

 

 汗だく小傘ちゃんprpr。

 いや、汗だくなのは私もか。

 熱が凄くてよく解らないけど、この部屋すっごい良い匂いしてそう。

 

 訂正、私の思考だけ煩悩塗れだった。

 工房を数日借り受け、私と小傘はとある剣を鍛えていた。

 剣とは言ったが、それの形は剣ではない。

 今鍛えているのは、上海の命とも言える魔石(ジェム)。即ち、魔剣「碧の賢帝(シャルトス)」。

 「多々良(たたら)」の名が示すとおり、彼女は唐傘お化けであると同時に鍛冶妖怪である一本ダタラの要素も含んでいるので、こういった仕事への適正が非常に高い。

 しかも、妖怪であるが故に彼女が妖気を込めて鍛えた武具は例外なく妖刀と化す。

 この魔剣の本来の原作では、とある魔剣鍛冶師の手により昇華された次なる形。

 私の魔力に加え、小傘の妖気と鍛冶妖怪としての技術。

 足りないものは、本来の持ち主が見つけた魔剣の核となる「心の拠り所」。

 最後の要素が見つからないまま、魔剣は更なる力を蓄え順調に成長していく。

 

「ふぅっ、ひとまずはこんなところね。小傘、休憩しましょうか」

「うん……っとと」

 

 一段落が付いたので、作業を中断し二人で立ち上がったところで小傘がふらりと身体を泳がせた。

 

「大丈夫?」

 

 咄嗟に受け止めた私を見上げながら、唐傘の少女は疲労を滲ませながら笑みを浮かべる。

 

「えへへ。ずっと鎚に妖気を込めながら打ち込んでたから、お腹がすっからかんだよ」

 

 はー、天使。小傘マジ天使。

 しかも、作業中は結構凛々しい表情してたし、可愛い上に格好良いとか最強かよ。

 

「足しになるかは解らないけれど、お昼ご飯は多めに作ってあげるわ」

 

 鍛冶場に併設された居住区へと移動し、人形たちと一緒に手早くお昼ご飯を作る。

 本日の献立は、メガ盛りチャーハンとジャンボ餃子、そして卵を入れたコンソメスープだ。

 

 早い! 安い! 美味い!

 遠慮せずにどぅんどぅん食べてね! おかわりもあるぞ!

 

「「いただきます」」

「はむっ、はむっ」

 

 先ほどの言葉に嘘はなかったようで、小傘はレンゲを使いこれでもかと盛られたチャーハンを気持ちいいくらいの勢いで平らげていく。

 私も負けじと、一口では入らない大きさをした羽根つき餃子を自家製の酢醤油に付けてもしゃりと一口。

 作り置きしたものを持って来て蒸したものだが、アクセントに入れた細切れの(たけのこ)の食感が中々良い塩梅で挽肉やニラの味を引き立ててくれている。

 鍛冶仕事は体力勝負なので、一杯食べて活力を得なければならない。

 しばし無言で食器を動かしていた私たちだが、チャーハンを平らげた辺りで小傘の動きが止まった。

 

「ねぇ、アリス。聞いても良い?」

「おかわりならあるわよ」

「ほんと! じゃあもう少し貰おうかな……って、そうじゃなくて」

 

 え? 違うの?

 

 上海を操作して、大鍋に残ったチャーハンを小傘の皿へと盛りながら、首を傾げる私。

 

「今鍛えてるアリスの剣は、とっても強い力を持ってる。ううん、強いなんて言葉じゃ足りないくらい、とんでもない剣になる」

 

 それはそうだろう。今の状態でさえ、あの毘沙門天の代理に競り勝つような凶悪さなのに、そこから更に鍛えようというのだ。

 しかも、小傘の妖怪鍛冶師としての能力は私が想定していた以上に高いらしく、完成途中の今でさえすでに恐ろしいくらいの規格外の魔力を内包している。

 完成後の試運転ですら、相当慎重に行う必要があるだろう。

 

「アリスはあの剣で、一体誰と戦うつもりなの? わちき……怖いよ」

 

 優しい唐傘お化けの瞳が揺れる。

 この娘が心配しているのは、剣を振るわれる相手と剣を振るう私の両方だ。

 目的の半分くらいは、ただ純粋に原作の再現として魔剣を完成させたいだけなのだが、その原作を知らない小傘に言っても理解は出来ないだろう。

 よって、例の如く私は誰かの言葉を用いて代弁して貰う。

 

「正義なき力が無力であるのと同時に、力なき正義もまた無力なのよ」

「正義?」

 

 先生違いだが、彼もまた人々の安寧の為に戦い続けた偉大な勇者だ。

 模造品とはいえ魔剣の所持者となった私も、彼らのような素晴らしい人々と同じようにこの力を振るいたい。

 

「あの剣はね、誰かと戦う為の剣じゃないの。誰かを守る為の剣なの」

「守る為の、剣……」

「大切な誰かを守る時、間違った誰かを止める時、大きな災いから皆を助ける時、それを成せるだけの力がいるわ」

「……」

「だから小傘、貴女の力も私に貸して欲しいの。お願い」

 

 小傘の小さな右手を私の両手で包み、祈るように懇願する。

 これは詭弁だ。

 力は力でしかなく、そこに意味を見出すのは私自身に他ならない。

 理想的な綺麗事。

 非現実的な夢物語。

 だが、それでも、私はその詭弁を口にするのだ。

 この虚ろな心に決めた、「正しい事(正義)」を成し遂げられるように。

 

「……うん」

 

 しばらく握られた手を見つめていた小傘は、やがて観念したように小さく頷いてくれた。

 

「ありがとう」

 

 本当に、私の我儘に付き合ってくれる彼女には感謝しかない。

 都合三本。数日掛けてひたすら二人で鍛え続けた魔剣の性能は、更なる飛躍を遂げる事となる。

 

 正義なき力が無力であるのと同時に、力なき正義もまた無力。

 

 口にした言葉を、決して嘘にしないように。

 守る為に、助ける為に。私は、幻想郷を守る為に、この力を振るうだろう。

 私に()()()()()()が生まれるまで、この魔剣は私の切り札であり続けてくれる。

 青臭い決意を胸に抱きながら、新生した魔剣の輝きを前に小傘と喜びを分かち合うのだった。




(作者が忘れそうなので)
前回のアンケートを終了とし、集計結果を発表します。

【アンケート結果】
・1位
『アビゲイル・ウィリアムズ』/292票
『謎のヒロインXX』/292票
・3位
『BBホテップ』/283票
・4位
『葛飾北斎』/103票
『楊貴妃』/103票

アビーとXXがまさかの同率一位とはww
どうすっぺ、これ(白目)

沢山の投票、誠にありがとうございました!

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