東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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もしも、名前があるならば――


17・例えば、それを愛だとして

 くるくる、くるくると。

 地霊殿の一角、暴れるには十分な広さを持ったダンスホールで、河城にとりが地霊殿の主と踊っている。

 

「私たちは、一体何をやっているのでしょうね」

 

 フリル付いた袖口の広い水色の上着に、膝丈ほどのセミロングのスカート。

 複数の管で身体と繋がれている第三の目を胸元に浮かせ、古明地さとりが他人事のように呟いた。

 

「何言ってるんだ。見ての通り、弾幕ごっこだよ」

 

 河童 『お化けキューカンバー』――

 

 にとりの背負ったリュックの横口が開き、伸び出た二本の管の先端からきゅうりに見立てた緑の細長いレーザーが断続的に射出され、本人の放つ弾幕と緩急を付けた波状攻撃となってさとりへと迫る。

 さとりは、速度の異なる二つの弾幕をゆらゆらと小さな挙動だけで見事に回避していく。

 

「当たりませんよ。私には、貴女の心に映った弾幕の軌道が読めますから」

 

 想起 『夢想封印』――

 

 博麗の巫女が一枚。

 にとりの記憶から読み取ったスペルカードがさとりの手の平から発動し、色彩豊かな弾幕が流々と舞い踊ると同時に、にとりの弾幕を相殺して一気に押し流す。

 

「おぉ! こいつが、九尾様の言ってたトラウマ再現ってやつか! 中々良く出来てるじゃないか!」

 

 リュックの背から伸びた二本ののびーるアームを巧みに使い、にとりは弾幕を適度に防御しつつこじ開けた間隙へとすり抜ける。

 弾幕ごっこのルールは単純明快、先に弾幕を当てた方の勝ちである。なので、当たらないようにする為ならこういった小手先芸もありだ。

 互いの弾幕が行き来し、ダンスホールを幻想の色に染めて輝かせていく。

 

「遊戯をする必要性を感じませんね。中庭の場所は教えて他の方はそちらに行きましたし、この場に残った貴女の目的は私との交渉のはずです」

 

 楽しむにとりとは違い、さとりはどこまでも淡白に弾幕ごっこを興じていた。

 

「だから、私が勝ったらアンタのペットをちょっと貸して欲しいんだよ。負けたら、ペットの方にお願いするからさ」

「ですからそれでは、勝負をする意味がありません。いえ、どの道私がその条件を確約しない以上、この勝負の勝敗にすら意味はありませんが」

「意味ならあるさ! 仲良くなれる!」

 

 相手から抱き付いて来るのを心待ちにしているかのように、両手足を大きく広げてにとりは笑う。

 

「「弾幕ごっこは、相互理解の手段なんだ。自分と相手の中身を伝え合う事で、互いの距離を縮める遊びだ」、ですか」

「そうさ。ほらほら、さっきから私のトラウマばっかりで、アンタはどこにも居ないじゃないか! さぁ、本当のアンタを見せておくれよ!」

 

 友好的なにとりを見ながら、さとりの視線はどこまでも冷たい。彼女に対し、どれほど胸に響く言葉であろうと意味はないのだ。

 

「「先に進んで、霊夢のてこずる地獄烏とは戦いたくないから、さとりと友好的な関係を築いて灼熱地獄の熱源を地上で利用しよう」。普通の人間に対し居丈高な態度を取ってしまうのは、恐怖と羞恥の裏返し――なるほど。貴女は、心が弱く他者に怯えながらも強かな欲望を抑えられない愚者のようだ」

 

 さとりの第三の目は、相手の心を読み通す。甘言や虚偽の類は一切通用しない。

 

「はっ、臆病者はお互い様だろうに!」

「はぁっ――埒が明きません。貴方の心の中にある、美しい弾幕で生ぬるい地上へ逃げ帰れ!」

 

 想起 『百万鬼夜行』――

 

 続くさとりのスペルカードは、にとりにとって大敵である鬼の札。鬼火の葬列が、死出の旅へと誘うように百万の業火となってにとりへと向かう。

 ただ、鬼が関わった技だというだけでそれを見たにとりの心に、足先から這い上がるようにして潜在的な恐怖が溢れ出す。

 だが、河童の少女は歯を食い縛り、両手を握り締めてその振るえを強引に耐え忍んだ。

 どだい、利害を求めない友好などあるものか。隠し事が出来ないのなら、打算だろうと本心だろうとただ全てを曝け出せば良い。

 地底の熱源を利用するなら、さとりと関係を築くのは絶対だ。ならば、その間柄は友好的である方が双方にとって望ましい。

 

 その上で仲良くなっていくのが、友情へ向けての第一歩だ!

 

「へへっ。弾幕の軌道が先読み出来るなら、解ってても回避出来ないほどの弾幕をぶち撒けるだけってね!」

 

 水符 『河童の幻想大瀑布』――

 

 対するにとりの弾幕は激流。背後から流れ出す膨大な水色の光弾が、まるで大河の氾濫の如くさとりの弾幕とぶつかり合う。

 

「我慢比べだ! さとり、仲良く一緒に川流れと洒落込もう! きっと楽しいよ!」

 

 嫌われ者の独りぼっちなんて、寂しいじゃないか。

 

 互いの弾幕を拮抗させながら相手の心を読み、さとりはにとりとの対戦を始めてからようやくと言って良い表情の変化を見せていた。

 

「要らぬお世話を――っ」

 

 実に不愉快そうな、それでいて別の感情も見え隠れする、複雑な顔へと歪めて。

 

 

 

 

 

 

 熱い――喉が焼け、肺が焦げる。

 地底へと続いていた大穴と、ほぼ同等の大きさを持った中庭の縦穴の底は、地面に溶岩の流れる灼熱の空間だった。

 どろどろと動くマグマの熱風と、上空に存在する忌々しい擬似太陽によって、霊夢の体力は確実に消耗の一途を辿っている。

 

「ったく、雪景色の後に暖房の効き過ぎは正直堪えるわね……ちょっと藍。上の掃除が終わったら、間欠泉で露天風呂を作っといて頂戴。それぐらいの報酬がなくちゃ、やってらんないわ」

 

 額の汗を拭いながら、陰陽玉に向けて声を送る霊夢。

 

『ざざっ……怨霊はまだだが、風呂はもう粗方造り終わっている。後は、外観を整えるだけだな。それと、そろそろそちらに援軍が到着するはずだ。上手く連携しろ』

「あややや。こちらは破竹の快進撃だったはずですが、後発の魔理沙さんたちがもう到着したのですか?」

 

 霊夢の隣で飛びながら、文が愛用のカメラと扇をそれぞれの手に、少々驚いた様子で陰陽玉を見た。

 

『あぁ、アリスの手腕だ――来るぞ』

「霊夢ー!」

 

 陰陽玉から流れる藍の言葉通り、霊夢たちも通った上空の穴から、箒に乗った魔理沙とフランが高速で来訪する。

 

「よっしゃあ! ようやく追いついたぜ!」

「あっつーい! お手伝いに来たよ! 霊夢!」

 

 二本指を振って軽快に挨拶をする魔理沙も、箒から降りてニッコリと笑うフランも、上から降りて来た時点で既に汗だくだ。

 

「気を付けなさい。相手は、申し訳程度に弾幕ごっこの体を取ってるけど、一発食らえば消し炭になるわよ」

「「何人でも掛かって来い」との言質は頂いておりますので、皆さんでやっちゃって下さい。私は、この戦闘では後方支援を担当しますので」

「この戦闘でも(・・)、でしょ」

「あやややや、細かいですねぇ」

 

 文の能力は、「風を操る程度の能力」。それによって上下の空間に空気の層を幾つも重ねて熱を遮断したり、穴の外の風と取り込んで循環させたりと、可能な限り戦闘領域の温度を上げないように苦心していた。

 でなければ、妖怪である文はともかく、人間である霊夢はとっくに熱射病を起こして溶岩の海へと墜落している。

 灼熱地獄跡地の最底辺というこの場所は、それほどまでに厄介だった。

 溶岩から吹き上がる風が、空気の温度が――全ての熱源がエネルギーとして相手に取り込まれ、そのまま神力へと変換され続けているのだ。

 それでいて、こちらはその熱によって体力を一気に削られていく。この場所は、霊夢たちにとって最悪であり、相手にとって最高のフィールドとして成り立っていた。

 

 『サブタレイニアンサン』――

 

「ザコが増えたか――」

 

 異変の元凶である地獄の烏が、霊夢たちの頭上に浮いた人工太陽より進み出た。

 右足は、「融合」の象徴である岩石状の固形物が。左足には、「分解」の象徴である電子が絡み付き、背中の黒翼と白いマントをはためかせた長身の少女。

 胸元に朱色の眼球に似た宝玉を埋め、多角形をした制御棒という名の第三の足を高々と掲げた霊烏路空――さとりたち身内からはお空と呼ばれていた者が、静かに面々を睥睨する。

 しかし、コロナの如き激情はすぐさま頂点を越え、地獄の業火よりも熱く、強く、世界への憤怒をその口より高々と吐き出させた。

 

「さとり様を地底に押し込めた、地上の愚かな者たちに私の力を思い知らせてやる! 地上の生物は全て、第二の灼熱地獄に落ちて絶望すれば良い!」

「なんだ、アイツ」

「気にしなくて良いわよ。さっきから、ずっと似たような事しか言わないもの」

「どうやら、神という規格外の存在を飲み込んだせいか、感情が振り切れて前後不覚に陥っているようです。お陰で、先程から会話も碌に成立しません」

 

 最初から理解を諦めている霊夢と、肩を竦めて呆れる文が説明している間にも、お空はお構いなしに己の激怒を吠え散らす。

 

「この究極の力、核融合の力で地上を焼き払い、世界をフュージョンし尽くす! さとり様! どうか私を見ていて下さい!」

 

 焦げる――飲み下した神の焔が、一匹の烏の心を太陽の温度まで燃え上がらせる。

 望んだのは力――絶対の、世界を灰塵に帰すほどの怒りを体現しながら、それでもなお止まらず獄炎を振り撒き続けるに足る、永遠のエネルギー。

 

「来るわよ」

 

 霊夢の合図に合わせるように、お空は光烈に揺れる両目の視線を外敵たちへと突き刺した。

 

「お前も、お前も、お前も、お前もぉ! ――さとり様の苦しみを、百億兆分の一でも味わえぇぇぇっ!」

 

 爆符 『ギガフレア』――

 

 太陽の化身である、八咫の烏の三本足。制御棒の先端に光が収束し、お空の絶叫は極大の閃光となって霊夢たちへと撃ち放たれた。

 

 

 

 

 

 

「お待ちよお姉さん! どこに行くんだい!?」

 

 戦闘開始直後に、地霊殿から旧都へ向けて飛翔するアリスへと、お燐が弾幕を繰り出しながら追いかけていく。

 

「場所を移すのよ。貴女も、自分の家がこれ以上破壊されるのは嫌でしょう?」

 

 大盾を持たせた三体の人形で防御しつつ、アリスは反撃を行わず一定の距離を保つ事だけに集中している様子だった。

 このまま旧都に逃げ込むかと思われたが、人形遣いの少女は適当な所で反転し、攻撃五体防御三体、宙を飛びながら計八体の人形で布陣を敷くと、お燐に振り向いて改めて対峙する。

 

「おや、もう良いのかい?」

「えぇ、もう双方からの距離は十分開けたもの」

「――言い訳をさせて貰えばさ、さとり様に言われた通り、最初はちゃんと我慢するつもりだったんだよ?」

 

 さとりのペットであるお燐は、さとりを強く慕っている。本来であれば、彼女からの指示を背く事はしないし、したいとも思わない。

 

「博麗の巫女なんて、あんな強い人間に出会っちまったのがいけなかったね。あれが全部悪いんだよ」

 

 だが、動物という基盤から昇華した妖怪にとって、本能による情動が抗い難い誘惑である事もまた事実だ。

 

「そんな後に出会ったのが、強くあろうと頑張っている人間みたいなお姉さんじゃないか。我慢なんて、出来る訳がないだろう?」

 

 彼女の本能が告げているのだ。アリスの素晴らしい素質を。無機質な表情とは裏腹に、「死」という絶対的な結末に抗う人間と見間違うばかりの内面を。

 

「解るよ。色んな死体を見て来たあたいには、お姉さんが生き足掻く意思に溢れているのが、どうしようもなく解っちまう」

 

 妖怪のように、折れぬ意思など人間は持たない。折れて、直して、折れて、直して――その度に何度でも立ち上がるからこそお燐にとって人間の「死」とは、その集大成である死体とは愛おしいのだ。

 天寿を全うした死体を好むのも、この為だ。本人の意思とは外れた、突然の、理不尽で唐突な「死」ほどつまらなくなるものはない。

 

「だからさ――どうかあたいに運ばれておくれよ、お姉さん!」

 

 だとしても、お燐はもう限界だった。極上の死体になる素材と立て続けに出会い、しかも住む場所が違う為に二度と会えなくなるかもしれない。

 お燐の中で、さとりへの忠義より己の欲望が勝った瞬間だった。

 猛り上がったお燐へと、アリスが無言で掲げるのは一枚のスペルカード。

 

「「スターティアラ」!」

 

 偽星冠 『スターティアラ』――

 

 アリスが、その原作から再現に成功した三つの魔法。その最後の一つが発動し、掲げたカードが粒子に変わると同時に込められた魔力が弾幕へと変換される。

 原作では、戦闘マップ全域攻撃という超広範囲魔法。それが、スペルカードという形で組み上げられた事で白星の群れとなり、お燐とその周囲へと大量に降り注ぐ。

 

「にゃははっ、今更弾幕ごっこ用のスペルカードなんて――え!?」

 

 ぶつかるだけで消えていく、貧弱な弾幕を身体全体で浴びるお燐の嘲りは、最後まで続かなかった。

 こちらも、他の二つと同じく再現度の低い三流品であり、攻撃力など皆無だ。だが、この魔法で重要なのは威力ではない。

 

「お、怨霊がっ」

 

 この魔法の最大の特徴は、死霊(アンデット)を一撃で消滅させる浄化効果にあった。

 お燐にとっては何の害もないものが、彼女の従える怨霊にとっては彼岸への強制片道キップとなって襲い掛かる。

 空中を埋め尽くす弾幕の群れを、怨霊たちが回避を出来る訳もなく、お燐の周囲は元より領域に漂っていた全ての霊魂が消滅させられていく。

 単純な抑止だが、これで怨霊の掃討が容易である事は示した。お燐はこれから先、怨霊を使っての攻撃は制限せざるを得ない。

 

「やるねぇ!」

 

 晒した手の内に対し、即座に絶対的な対抗策を講じて見せた聡明な魔法使いを前に、お燐は舌なめずりでも始めそうなほど、実に楽しげな笑みを浮かべて戦意を滾らせた。

 

 

 

 

 

 

 今まで散々死にそうな目に合って来て、私だって少しは学習している。戦闘に対する忌避感は相変わらずだが、始まった以上は相応の覚悟を持ってお燐との対決に臨んでいた。

 私の中では、弾幕ごっこではない殺し合いの戦闘になった際、原作の「東方地霊殿」に登場する者たちでお燐が最も戦い易い相手だと考えている。

 お燐の従える怨霊たちは、精神(アストラル)体が剥き出しとなった繊細な存在だ。精神攻撃系の呪文を得意とする私とは、非常に相性が良い。

 フランや旧都の皆様を巻き込まないよう適度な距離を開け、ハッタリを込めた牽制として見栄えのする一発で怨霊たちを一斉に駆逐する事で、お燐の心に怨霊による攻撃が無意味である印象を植え付けておく。

 原作で、「アリス・マーガトロイド」の使うスペルカードは上手く再現出来ず、新しく組んだカードの方が性能的に優秀だとは、とんだ皮肉だ。

 

「「魔皇霊斬(アストラル・ヴァイン)」!」

 

 お決まりの強化魔法で、人形たちの武器に精神攻撃効果を追加する。今の私の力量では、同時に強化するのは今呼び出した数である八体が限界だ。

 妖怪は、物理的な痛覚に対しての耐性が高い。どのくらいかというと、腕を切断しても家の角で足の小指をぶつけた程度の痛みしか感じないらしいのだ。

 また、格の高い妖怪は非常に死に辛くなるのも特徴だ。獣の槍で突き刺さない限り死なないんじゃないかって思えるぐらい出鱈目なタフネスを持ち、多少のダメージなら覚悟の上で突撃して来る。

 よって、呪文で強化しない人形での攻撃は余り意味がなく、必然的に私の呼び出す人形の数は制限されてしまうのだ。

 お燐の実力は、漂う妖気から見て恐らくはルーミアやレティとほぼ同格。何時も通り勝ち筋など思い浮かびもしないが、少なくとも勝率はゼロより上だろう。

 強敵相手に手加減とか、生温い事を考えた時点でこっちが殺されてしまう。

 

 妖怪の頑丈さは、今までの異変で十分把握してるしね。

 

 よって、私の攻撃に躊躇などなく、最初から全力で倒しに行く。

 

「やるじゃないか! 上手いもんだね!」

 

 私は、五体の人形たちを操作して円を描くような軌道でお燐を取り囲み、波状攻撃によって彼女の接近を防ぐ。

 だが、思考加速によって先読みをしているにも関わらず、お燐に人形の攻撃は掠りさえしない。直線での速度は魔理沙に劣るものの、動物特有のしなやかな動作で三次元に動き回られ、牽制するのが精一杯だ。

 

「永久と無限をたゆたいし、全ての心の源よ。尽きることなき青き炎よ。我が魂の内に眠りしその力、無限より来たりて裁きを今ここに――「崩霊裂(ラ・ティルト)」!」

 

 手持ちの魔法の内で、遠距離単体用の最強呪文。

 威力にして、「烈閃槍(エルメキア・ランス)」の数倍以上。精神のみを燃え散らす、蒼白い円柱の焔がお燐の足元より吹き上がる。

 

「ぎにゃあぁぁァァぁぁぁぁァッ!」

 

 絶叫を上げて仰け反るお燐。流石に、この一撃で決着とまではいかないが、相応のダメージは確実だ。

 

「うぐぅっ!……今度は、こっちからいくよ!」

 

 人形から逃げ回るお燐からの反撃は、弾幕に似せた多数の炎塊。種族が火車というだけあって、炎の扱いはお手のものなのが伺える。

 

 まぁ、属性の固定された相手ほど、魔法使いの餌食は居ないけどね!

 

「「誘蛾弾(モス・ヴァリム)」!」

 

 消火呪文から派生した、対火炎用の相殺呪文。

 私の手と、防御用の三体から放たれた四つの光球が、不規則な軌道を描いてお燐の放つ炎の群れを引き寄せ、次々と食い散らかす。

 

「にゃんと!?」

「「烈閃咆(エルメキア・フレイム)」!」

「おわっ!」

 

 驚くお燐に向けて、私の放った一条の閃光がその隣を虚しく過ぎ去った。

 

「「獣王牙操弾(ゼラス・ブリット)」!」

 

 続け様にもう一発。同様の形をした光の帯が、お燐に向けて疾駆していく。

 最初の呪文はただのブラフだ。本命はこちら。

 

「にゃははっ、何度やっても同じだよ!――ぎにゃあぁぁぁっ!?」

 

 最初の呪文を回避した余裕から、紙一重で閃光をかわしたお燐は、直後直角へ向きを変えた光烈の牙に脇腹を貫かれ、身体をくの字に折れ曲がらせた。

 魔王の腹心、その内の一体である獣王の力を借りたこの呪文の軌道は、術者の意思によって自在に操作が可能なのだ。

 私の戦法は、「吸血鬼異変」で初めて強敵との実戦を経験したあの時から、何も変わってはいない。相手から距離を保ち、先手を奪って後手を潰す完封狙い。

 手を変え品を変え、お燐を素早く、しかし確実に削っていく。

 

「あぁぁぁあぁァァぁぁぁァァァっ!」

 

 業を煮やしたお燐が、咆哮を上げて突撃して来た。

 

「ぐぅっ! ぎぃっ! ガあぁぁァァぁぁぁァぁっ!」

 

 上海の長剣を左の脇腹に食らい、続くもう一体の大鋏を肩口で受け止めて、それでも速度を緩める事なく一直線で私へと手刀を繰り出す。

 大盾を持つ三体の防御に指をねじ込ませ、お燐の長く伸ばした右の爪が私の腹部の直前にまで迫る。

 

「「雷撃破(ディグ・ヴォルト)」!」

「ぐぎィぃぃィィぃっ!」

 

 人形の身体から迸った強烈な雷撃に、お燐の動きが停止した。

 身の丈以上の装備を軽々と扱っている所からも解るだろうが、私の作った人形たちは意外とパワフルだ。

 盾と大鋏を加えた四体の人形で、そのまま一気にお燐を押し返す。

 お燐の手の平がこちらを向く。確かに腕一本とはいえ防御は抜けられたが、この距離からでも弾幕ならば余裕で防御が可能だ。

 そんな甘い考えを持った私の前で、お燐の右手から荷車が生えた(・・・)

 

「ぐぅあっ!?」

 

 弾幕用に張った結界が物理攻撃によって見事にぶち抜かれ、私の胸に金属塊が直撃する。そのまま訳も解らずに吹き飛ばされ、私は地面へと盛大に叩き付けられた。

 

「にゃっははは! 油断大敵だねぇ、お姉さん!」

 

 何とか身を起こす私の上空で、お燐が悪戯が成功した子供のように出した荷車を放り投げながら笑っている。

 お燐は、死体を運ぶ火車の妖怪。

 つまり火焔猫燐とは、今彼女の両腕に持っていた荷車を含めてお燐なのだ。

 私の人形や、霊夢の陰陽玉などのように別の場所から転送するのではなく、自分の存在の一部を切り離し「荷車」という物体として新しく生み出す。

 それが可能な存在を、私は知っている。故に、その考えで恐らくは当たりだ。

 

 そんなんありか!? 

 ……ありだよなぁ、目の前に居るんだし!

 

 今の一撃で、肋骨が何本か折れたらしい。肺に刺さったのか、呼吸に血が混じり始めている。

 貧弱な魔法使いに不意打ちの物理攻撃とは、お燐も戦い方を良く解っているようだ。たった一度接近されるだけでこの有り様とは、本当に情けない。

 痛みによって、集中力が一気に途切れていくのが解る。長期戦は元より、使える魔法も時間が経つごとに制限されていくのは確実だ。

 この状態だと、思考加速も切らざるを得ない。この魔法の最大の弱点は、強烈な激痛なのだ。

 思考と共に体感も引き伸ばしてしまうので、続ければ続けるだけ苦痛を味わう時間が長くなる。それは、欠点(デメリット)利点(メリット)を大きく上回った事を意味していた。

 痛覚を失うほどの半死半生ならばともかく、現状で思考加速を続けても消耗が倍化するだけでしかない。

 へっぽこ魔法使いのメッキが、勢いを付けて剥がされていく。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒くなっていく。

 お互いが消耗しているが、不利なのはこちら側だ。まだ余裕のあるお燐とは違い、こちらは一気に弱体化した上にもう一度攻撃されれば死ぬかもしれない。いや、もしも同じ攻撃を食らえば生きていられる自信はない。

 どうしようもない、肉体の性能差が私を追い詰める。

 

 どうする――

 どうする――

 

 「崩霊裂(ラ・ティルト)」をもう一発――駄目だ。

 今のお燐の体力では、恐らく二発は食らわせないと確実に耐えられる。二発目を撃つには、私の集中力が持たない。

 旧都へ逃走――駄目だ。

 あの場所は、勇儀と諏訪子が未だ怪獣大戦争の真っ最中だ。下手に近づいて巻き込まれれば、それこそ挽肉になってしまう。

 ならばどうする――決まっている。何時もの通り、手札の限りを尽くして死に物狂いで勝ちに行くだけだ。

 逆境にあって持つべきは、不屈と気合と熱血だ。愛と勇気があれば、恐いものなど何もない。

 そういう風に、思い込む。

 死の足音が近づき、アドレナリンの分泌量が半端ではない。感情は一定値のまま平行線を辿りながら、しかし、肉体の高揚だけが限界まで猛り、必死で生を繋ごうともがき続けてくれる。

 だから行ける。勝ちに行ける。

 

「――勝つわよ。皆」

 

 追加で転送する人形は、二体。

 ハロウィンで出て来るような、顔の形にくり抜いた大きなカボチャを頭にした、黒いローブをまとった人型、パンプキンヘッド。

 別原作の魔法を研究した副産物として作製した、こちらの二つの人形には武器を持たせていない。この二体には、必要ないから。

 カボチャの魔女が愛した人形と、盾の裏から長剣を引き抜かせた防御用三体も加え、全ての人形でお燐へと突撃を仕掛ける。

 私の考えた策でお燐から勝利をもぎ取るには、三つの賭けに勝つ必要がある。どれか一つでも賭けに負ければ、私は死ぬだろう。

 

 分の悪い賭けは、大嫌いなんだけどね!

 

「ははっ、さっきより動きが全然遅いじゃないか! お姉さん!」

 

 手数を増やしたというのに、お燐は人形たちを余裕で回避していく。その動きが先程よりも速く感じるのは、私の気のせいではあるまい。

 お燐の言う通り、思考加速を切った事で私が彼女を追いきれないのだ。

 

「そんなんじゃ――そら!」

 

 お燐の繰り出した右の爪が、襲い掛かったパンプキンヘッドの胴体を一撃で貫いた。他の人形とは違い、装甲に強化処理を施していないカボチャ頭は、あっさりと彼女の腕を貫通させる。

 

 掛かった!

 

 第一の賭けは私の勝ちだ。

 出来るだけ、彼女の傍で邪魔をするように飛ばした事が私の望む結果を引き寄せた。どういった形であれ、今あの人形は彼女を捕らえた。

 私の作ったパンプキンヘッドの役割は、原作に因んだたった一つ――自爆だ。

 人形の内部には、大量の炸薬とクレイモア地雷を参考にして詰め込んだ、前面の裏にびっしりと貼り付けた金属球しか入っていない。

 炸裂と同時に、人形たちの武器にも使用している金属で作った大量の球が、前方に弾ける仕組みなのだ。

 

 球は、一発一発に強化を施した特注品だ。残さず受け取れ!

 

「え? ――っ」

 

 仕掛けを作動させ、お燐が閃光を放つ人形の破滅に巻き込まれた。耳と肌に響く重低音の爆裂と同時に、空に紅蓮の大輪が咲いて黒煙を巻き上げる。

 勝利の為とはいえ、作った我が子を爆散させた事への強烈な罪悪感が私を襲う。もう一体作ってはいるが、この戦法を使う事はもう二度とないだろう。

 

 ごめんね、せめて安らかに――

 

「にゃはははっ。おしいおしい!」

 

 鎮魂の祈りを捧げた私の耳に、お燐の哄笑が響く。その身体中に、幾つもの怨霊がまとわり付いて彼女を防護していた。

 どこからか呼んで来た怨霊を盾とする事で、お燐は人形からの爆発の威力を最低限にまで留めたのだ。

 

「にゃっ!?」

 

 だが、防御されるまでは想定の範囲内。

 そしてそれこれが、賭けの二つ目。お燐は今、防御に集中する事で動きが制限された状態となった。

 立ちこめる煙を隠れ蓑に、私がお燐の正面へと姿を現す。手負いの魔法使いが近づく訳がないという心理の虚を突いた、精一杯の不意打ち。

 ここからが、最後の賭け。

 私の身体能力は、普通の人間と大差がない。ここでお燐が反撃を選択すれば、私の脳漿がぶち撒けられてジ・エンドだ。

 受けるか、避けるか、反撃か――

 

「にゃっはぁ!」

 

 お燐の笑みが深まり、その身体から留まっていた以上の怨霊が一気に溢れ出す。それはお燐の身体をすっぽりと包み込み、まるで巨大な繭のような形状となって鉄壁の防御を示す。

 

 私がやった最初のハッタリ、意味がぬえぇぇぇっ!

 ていうか凄ぇ! お燐ってそんな事も出来るの!?

 

 精神を根源とする妖怪は、怨霊に取り憑かれると主人格を乗っ取られ死に至る。

 つまりお燐は、身体にこれだけの怨霊を入れておきながら、一体たりとも取り憑かせてはいなかったというのだ。

 折角新技まで披露したというのに、こっちの方がびっくり仰天である。

 だが、ハッタリが通用しなかった事が、逆にお燐に防御を選択させた。この勝負、私の勝ちだ。

 

 いくぞ、お燐。

 これが、私の切り札(ジョーカー)だ!

 

「「魔王剣(ルビーアイ・ブレード)」!」

 

 両手に灯るは、血液の朱色を輝かせる烈閃の剣。

 「赤眼の魔王(ルビーアイ)」――魔族を統べる王の一太刀が、お燐に向けて全力で振り抜かれる。

 繰り出される斬撃は、目を覆いたくなるほどの凡庸。しかし、手に持つ武器の桁が違う。

 抵抗もなく、感触もなく――剣の軌道上に居た全ての怨霊ごと、私の赤剣はお燐を肩口から見事に袈裟切りに伏した。

 

「にゃ……がぁ……っ」

 

 斜め一閃に深々と身体を切り裂かれたお燐が、両手を泳がせながら怨霊たちを散らし、地面へと墜落していく。

 手持ち魔法の近接用二番手。名前の呼び辛く読み辛い部下Sこと魔王シャブラニグドゥさんから力を借りる、赤より紅い魔剣を生み出す高出力呪文だ。

 例え幻想郷の住人であろうと、「崩霊裂(ラ・ティルト)」を超える攻撃力で精神と肉体にダブルパンチを食らわせるこの呪文を耐えられる者は、そうは居まい。

 

「はぁっ、はぁっ――「復活(リザレクション)」」

 

 荒い息を吐きながら、私は猫車を食らった箇所に上位の治癒呪文を当てる。周囲から集めた「気」や様々な力の欠片が暖かな光となって両手に灯り、鈍く熱を持った痛みを急速に和らげていく。

 

 勝った! 勝ったあぁぁぁぁぁぁっ!

 エイドリアーーーン!

 

 ボクサーの奥さんの名前を叫んでも意味はないのだが、内心で何かを叫ばずにはいられなかった。

 

 生きてるって素晴らしい!

 

 勝利の余韻よりも生存出来た事への感謝を全身で感じながら、私は傷の治療を続行しつつゆっくりと地面に降り立ち、落ちたお燐へと近づいていく。

 

「にゃ、にゃははは……負けちゃったぁ」

 

 多分死んではいないだろうとは思っていたが、お燐は結構大丈夫そうだ。弱々しくだが、こちらに笑い掛ける余裕さえ残っている。

 それでも、唯一爆発の直撃をまともに食らった右腕が血塗れであらぬ方向へと無残に曲げられ、胴体には左の肩口から一直線で反対側の脇腹まで伸びた、長く深い刀傷が浮かんでいた。

 私は、お燐を両断するつもりで振り抜いたのだが、それでもどこかで迷いがあったのか、それとも単純に避けたのか、或いは両方か――彼女の傷は、身体の半ばほどまでを引き裂いてそれより奥へは到達していない。

 あの時、僅かでも手心などを考えていたとしたら、恐らくこの傷はもっと浅かったはずだ。そして、その程度の傷ではお燐は止まらず、勝敗の結果は真逆になっていた。

 改めて、この世界の恐ろしさを肌で感じる。私のような中途半端な強さしか持たない者が生きるには、とても難しい世の中だ。

 それでも、この世界と住人を愛おしく感じてしまう辺り、私は度し難い被虐趣味なのかもしれない。

 

「「治癒(リカバリィ)」」

 

 自分の傷を粗方塞ぎ、今度はお燐に向けて治療の呪文を掛ける。体力を削って自己治癒能力を高める呪文なので、傷を癒し終える頃にはもう、彼女には立ち上がる気力さえ残ってはいないだろう。

 

「強いねぇ……お姉さん」

「偶然よ。もう二度と戦いたくはないわ」

 

 しかし、本心からの私の願いは聞き届けては貰えまい。原因が判明したとはいえ、これから先も見ず知らずの方々から警戒や関心を持たれている事実はくつがえらない。

 

 泣いて良いですかね、自分。

 どうしてこうなった……

 

 未来に対し、絶望的な悲愴感を背負う私へとお燐が再び笑い掛けて来た。

 出会った最初と何も変わらない、人懐っこさの溢れる可愛い笑顔だ。

 

「ねぇ、お姉さん」

「何?」

「やっぱりさ……死んでよ」

 

 私は、その瞬間を生涯忘れはしないだろう。

 そんな笑顔のまま、最後の力を振り絞ったのであろうお燐の最速の手刀が、私へと向けて突き放たれた。

 何も理解出来ず、何も感じられなかった。

 気付いた時には、もう全てが終わっていた。

 

「……え? ――ごほっ」

 

 振り抜かれた手――

 それにより、紅く染まっていく私の胸――

 込み上げて来るものをそのままに、血液を吐く口元――

 

 そして――そんな私を守ろうと、その身の中心を貫かれた上海と蓬莱が、何も語る事なくそこに居た。

 




或いは、まったく別のものだとしても――



それを救いと、呼ぶべきだろうか。



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