東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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18・いろはにほろほろ

 私の喉の下辺りを貫通するはずだったお燐の手刀は、爪が一寸埋まった所で停止していた。

 

「――お姉さん……ごめんねぇ」

 

 何に対して私に謝っているのか、お燐はそれだけ言って意識を失う。

 私の傷も、お燐の言葉も、そんな事はどうでも良かった。

 地面へと崩れたお燐の手から、二体の人形が抜け落ちて地面を転がる。

 私の創作物ではない、この二体だけが持つ特別。

 上海と蓬莱には、自我が目覚めた時の為にそれまでの経験や記憶を溜め込んでおける魔石(ジェム)が、最初から内蔵されていた。

 私が同一の物を作れるようになり、制作した全ての人形に入れるようになった今でも、オリジナルとして存在していたたったの二つ輝石。

 込められていた場所は、一番装甲の厚い胸部の中心。万が一破壊されたとしても、その魔石(ジェム)さえ無事ならば別の人形に記憶(データ)の引継ぎを行う事が可能だった。

 見るまでもなく、最も重要な二体のその部分は完全に破壊されている。私を守る為に、私の目の前で、上海と蓬莱は犠牲となった。

 何も出来なかった。本当に、何も出来なかったのだ。

 お燐の速さは私より断然上で、思考加速も切っていた。

 咄嗟の判断で、とか、無意識で、とか、そういった偶然も一切ありえない。完全に無防備な状態への一撃。

 油断しきっていた。そんなものは来ないと。妖怪は不意打ちが出来ないと。

 愚かにもほどがある。

 勝ったのは私、対戦の勝者は私だ。弱者となったお燐が強者である私に対し搦め手を使ったとしても、幾らかの弱体化を受け入れれば消滅までには至らない。

 それ以上に、気絶寸前で意識が朦朧としていたであろうあの状態で、彼女がそこまでの判断が出来たかどうかも定かではない。

 無我夢中の行動に、あらゆる枷などありはしない。

 そんな、回避も防御も反応一つ出来なかった私の前で、それでも上海と蓬莱は動いた。

 そこから導き出される結論は、たった一つ。

 

 自律稼動――

 

 この娘たちには、個としての自我が芽生え始めていたのだ。動く事も喋る事も出来ないほどだが、それでも心が始まろうとしていた。

 そして、私に迫った危機に反応し、ほんの一瞬だけ自力で動いて見せた。

 私は、感じていた二体の違和感に対し、そんな可能性を最初から捨てていた。

 だって、原作の「アリス」が到達出来ない領域に、未だ未熟の極みにある私が辿り着けるとは思えないから。

 そんなバカげた思考故に、気付いてあげられなかった。

 言葉は喋れなくても、この娘たちは精一杯私に教えてくれていたのに。

 目覚め掛けていた事を、何度も教えてくれていたのに。

 当然、記録のバックアップは欠かさずに取り続けている。だが、そんなものはただの集積した情報でしかない。

 仮に、まったく同じものを用意したとしても、それは私を庇ってくれた上海と蓬莱ではないのだ。

 死んでしまったこの娘たちは、もう二度と戻って来ない。

 

「……」

 

 自分の傷をそのままに、私は気絶しているお燐を見下ろす。

 十年以上――十年以上だ。

 それだけの長い期間を一緒に過ごした大事な大事な私の娘たちが、目の前の妖怪の手によって殺された。

 転がっている、上海の使っていた長剣の一本を逆手で取り、気絶したお燐の心臓へと向けて振り上げる。

 武器に掛けた強化呪文は、まだ十分に効果が残っている。このまま急所へと振り下ろせば、お燐は死ぬだろう。

 恨んで当然だ。

 憎んで当然だ。

 だから殺す。

 殺して当然だから。

 感情に任せて、お燐を殺す事は容易だろう。

 感情に任せずとも、今のお燐に止めを刺すのは訳もない。

 

 だから頼む――

 どうか頼む、私の心よ――

 どうか――どうか私に、お燐への殺意を芽生えさせてくれ。

 

 お燐へと剣を向けたまま、私は動かない。

 人並みの感情が欲しいと願った事は、これまでに何度もあった。だが、この時ほど本心から望んだ事はない。

 私には、どうしてもその気がしない(・・・・・・・)のだ。

 正当な理由が目の前にありながら、私は刃を振り下ろすだけの意思が沸いて来ない。

 何という軽薄。何という薄弱。

 このままお燐を殺せば、それは単なる殺害だ。それでは、崇高な行為がただの作業に成り下がる。

 恨みを持って、憎しみを持って殺すからこそ、二体の受けた仕打ちへの復讐は完遂するのだ。

 だから、それだけの怒りが必要だった。

 それだけの憎悪が、怨嗟が必要だった。

 人形を殺したこの妖怪に。この、上海と蓬莱の仇に。

 なのに、私の心に浮かぶのは、何時も通り小波程度の揺らぎだけ。

 

 ふざけるな。

 いい加減にしてくれ。

 私には、あの娘たちの死に報いる事さえ許されないのか。

 

 余計な事を考えている間に、冷静な部分が行為の無意味さを淡々と語りだし、今後の展開を天秤に乗せて私の腕を絡めて縛る。

 こんな存在を、人間とは呼ばない。

 これではまるで、私自身が人形だ。

 心は人間だなどとうそぶきながら、肝心な所で私は人間として動く事が出来ない。

 復讐が、果たせない。

 お燐に対するあらゆる感情よりも、自身への悲しみが勝っていく。

 私は結局、どこまでいっても化け物なのだと。

 

「あ、あぁ……ぁ……」

 

 喉から洩れるその音を、私はしばらく自分の声だとは気付かなかった。

 何時の間にか下ろしていた手から、上海の剣が滑り落ちる。

 視界が揺らぎ、景色が歪む。

 私は今、泣いている。

 どんな時でも――何度死の淵に立ってさえ流した事のない両目の雫が、初めて頬を伝って幾筋も下へと落ちていく。

 

 どこまで、どこまで私の身体は言う事を聞いてくれない。

 人形のくせに、涙は出るのか。

 あの娘たちに報いれぬまま、その死には悲しめというのか。

 

 最早、滑稽と言う他ない。

 

「ごめん……なさい……」

 

 ――違う。

 私が彼女たちに送るべき言葉は、そんな下らない懺悔ではないはずだ。

 

「あり……がとう」

 

 壊れてしまった二体の人形を抱きかかえ、傷口から流れる血液によって彼女たちを濡らしながら、私自身もまた壊れてしまった蓄音機のように、何度も何度も「ありがとう」を繰り返す。

 

「ありがとう……ありがとう……ありがとう……」

 

 無知、油断、傲慢、軽挙――何を理由にした所で、もうこの娘たちは帰って来ない。

 仮にお燐を八つ裂きにしても、その事実は揺るがない。

 

 もう手遅れかもしれないけれど、貴女たちの居る場所に届くまで、私は何度でも言うよ。

 私を守ってくれて、ありがとう。

 私を何時も支えくれて、ありがとう。

 私と一緒にいてくれて、ありがとう。

 私に出会ってくれて――本当にありがとう。

 

「上海……蓬莱……ありがとう」

 

 狂ったように、壊れたように。

 横たわる猫の妖怪をそのままに、私は何時までも二体の人形を抱きしめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 最早、そこはただの地獄だった。

 二体の怪物が暴れ回った旧都の一帯は、何もかもが吹き飛ばされて随分と風通しの良い空間となっている。

 汚泥の如き蛇の毒が沼地として湧き、地脈の乱れた大地から草花が生えては腐るを繰り返す。

 そんな、おぞましい花園の周辺から旧都の住人たちは軒並み逃げ出し、命知らずにも見物を続けた者たちも戦いの余波に巻き込まれ、既にその全員があの世へと旅立っている。

 勇儀は、飛び込んで来た一体のミシャグジの牙を右腕で受け止め、左手で首を掴んでそのままあっさりと握り潰した。

 

「はぁ~……ったく、埒が明かないねぇ」

 

 続く、鋼を断ち切る鉄輪の飛弾を適当な裏拳で砕いて頭を掻きながら、彼女は盛大な溜息を吐く。

 

「こっちの台詞だよぉ。鬼が頑丈なのは覚えてたけどさぁ、それにしたって限度ってものがあるだろうに」

 

 全ての石柱を折られ、勇儀と同じ高さの地面に立つ事になった諏訪子が、こちらも首を振りながら辟易と息を吐いた。

 無傷な諏訪子に対し、勇儀は何度もミシャグジの呪いを受けて祟りが侵食し、身体中をどす黒く変色させている。

 

「はははっ。それ位でなけりゃあ、私は「力の勇儀」なんて呼ばれてやしないよ」

 

 しかし、そんな彼女の声には一切の疲労や苦痛は含まれない。我慢しているなどという気休めではなく、本当にそんなものを感じていないのだ。

 ミシャグジの毒は皮膚を焼き、内臓を腐らせ、心臓を溶かすほどの強烈な呪詛だ。並みの妖怪はおろか、高位の存在でも受け続ければ到底持たない。

 勇儀は(まじな)いが苦手だ。よって、対策など何もしていない。だが、だからといって彼女に呪いが通用するかといえば、それは否だった。

 流石に、急所の多い首から上は触れさせていないが、ミシャグジの呪いは噛み付いた表面より先へは一切進んでおらず、全て皮膚の上だけで受け止められ続けていた。

 理由など、考察するのもバカらしい。

 ただただ、頑丈過ぎる肉体と畏れを鼻で笑う強靭な精神だけで、大地を荒廃させるほどの怨念を弾き返しているのだ。

 しかし、勇儀の拳もまた、諏訪子には届かない。

 幾千万と生まれ続けるミシャグジの壁は、土着神の頂点を守るように大河となって勇儀の進撃を阻む。

 

「こんなちまちましたやり取りじゃなくて、私はもっとバカスカ打ち合いたいんだけどねぇ。いい加減、こっちに来てやくれないかい?」

「やだよ。そっちのデコピン一発で、わたしの負けになるじゃないか」

 

 このやり取りも、何度やったか解らない。

 諏訪子の目的は、あくまで勇儀が飽きるまでの遊び相手であり、命を懸けた死闘などまっぴらごめんなのだ。

 

「しょうがないねぇ……本当は、もうちょっと盛り上がってからにするつもりだったんだが、このまま逃げられちまうよりはましか――」

 

 しかし、勇儀の望みは正にその死闘であり、互いが限界まで力を出し合う最高のケンカを求めていた。

 故に、まずは勇儀が動く。

 相手が拒むなら、受けざるを得ない状況まで持っていくだけだ。それで死んだなら、それまでの相手だったというだけの話。

 常に自然体だった四天の一角が、初めて構えた。

 

「――そろそろ、締めといこうかい」

 

 白蛇の群れに囲まれ佇む諏訪子に向け、右腕を引き、左手を足に沿え、勇儀は突進を前提とした前傾姿勢を取る。

 

「四天王奥義――三歩必殺」

 

 技の名前とは、敵の前で名乗る為にある。

 それは、ある種の宣誓に似ていた。

 これから出すと、これから殺すと、神に向けて生物の天敵が宣言したのだ。

 手を添えられた勇儀の足が、高々と振り上げられる。

 

(ひぃ)っ!」

 

 大地が爆ぜる。

 普通であれば、地面を割って下へとめり込むだろう勇儀の起こした震脚は、全ての力を衝撃へと変換して前方に大量の石を巻き込んだ土砂を噴き上げ、指向性をもって諏訪子へと雪崩れ込ませた。

 更に、広範囲の家屋をも潰すそれだけでも十分な威力を持った強烈な激震が、大地に触れたミシャグジと諏訪子へと真下から襲い掛かる。

 勇儀の震脚によって発生した、局地的な大地震。それは、ただそれだけで諏訪子の足を、ミシャグジの胴を、完全に地面へと縫い止め、続く大地の津波が抗いようもない追撃として接近する。

 動ける部分を限界まで伸ばして盾となったミシャグジたちが、その身を引き裂かれて無残に肉片を撒き散らしていく。

 

(ふぅ)っ!」

 

 一歩で相手の動きと防御を崩し、二歩で助走。

 己で生み出した土砂の波をかち割り、動きの止まったミシャグジたちを吹き飛ばし、たった一歩の瞬動で諏訪子の眼前へと辿り着く勇儀。

 背筋が限界まで一気にしなり、構えた右腕が戦鎚となって引き絞られる。

 最後の三歩目――語るまでもなく、拳に最大限の力を乗せる為に繰り出される、山崩しの一歩。

 

「――お見事」

 

 そのまま、勢いに任せて轢き殺してしまうのではないかというほどにまで迫った鬼の巨体を前に、諏訪子は恐れるでもなく素直に賞賛を送った。

 そして、自分の帽子に右手を置いた後、頭に乗った市女笠を勇儀に向けて全力で投げ放つ。

 帽子の縁へと宿らせたのは、畏れと、祟りと、神力と――自身のありとあらゆる力を混ぜた、神としての(こん)の一擲。

 神殺しにも届く円環の妖刀と化した一閃は、今まで全ての攻撃を耐えてきた勇儀の右腕を、まるで当然の如く肩口から無情に切り飛ばした。

 血飛沫を上げながら奥義の要である拳を失い、勇儀の技がそこで止まる。

 これにて決着――などとはいかない。

 ここで終わるなら、勇儀は「鬼」とは呼ばれない。

 この程度で終わるなら、鬼は人間から恐れて疎まれ、裏切られたりはしない。

 

「があぁぁァァぁぁぁァァアあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 右腕を失った直後、勇儀は絶叫に近い咆哮を上げ自分の怪力で身体の腱を幾筋も断ちながら、強引にその身を捻り上げる。

 大地へと最後の足が到着し、そこから生まれた膨大なエネルギーが、残った左拳という一点へと収束されて猛り狂う。

 加速、筋力、妖気――全ての力を収束し、勇儀の拳が風を置き去りにして振り抜かれる。

 

(みぃ)っ!――がぼぁっ!?」

 

 しかし、その拳が諏訪子に届く事はなかった。

 突然の横槍。

 諏訪子の鼻先を掠める形で放たれた、身の丈数倍はある巨大な柱が勇儀に叩き付けられ、彼女を旧都の彼方まで吹き飛ばす。

 

「――こんな地の底くんだりまで遊びに行ってるなんて……探すのに時間が掛かる訳だよ」

「あっちゃぁ~、見つかっちゃった」

 

 諏訪子の後ろから現れたのは、肩幅ほどの太さをした御柱に乗った守矢神社に住まうもう一人の神、八坂神奈子だった。

 注連縄の輪を背負い、臨戦態勢である彼女がどうやってここまで来たのかは不明だが、どうやら諏訪子が戦いで放出した神力を辿って探し出したらしい。

 

「そろそろ晩飯だ。帰るよ」

「あーい」

 

 迎えに来た、異変の火付け人である神奈子を連れて地霊殿へ行けば、面倒事になるのは確実だ。

 諏訪子は、本来地底に来た目的の延期を決定すると、戻って来た帽子を被り直して神奈子へと飛び上がる。

 

「何だか、暴れに来ただけになっちゃったね」

 

 神奈子の乗った御柱に着地した諏訪子が、小さくぽつりと呟いた。

 実際、彼女が地底でやったのは勇儀とケンカして旧都の一部を更地にした事だけだ。相手から挑まれたとはいえ、地底の住人にとってはむしろ神奈子よりも迷惑を掛けたかもしれない。

 

「ん? 何か言ったかい?」

「さっさと逃げようって言ったの」

「逃げる? 軍神であるこの我が、軽々しく相手に背を向けるなど――」

「待ぁちぃやぁがぁれぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

「――した方が良さそうだね」

 

 憮然として腕組みをしながら、威厳のある口調で諏訪子に反論しようとした神奈子だったが、地の底から這い上がるような鬼の剣幕を聞いてあっさりと手の平を返した。

 神であっても、凶暴化した妖怪最強種族を進んで引き受けたいとは思わない。

 

「鬼のしつこさはピカイチだからね。首を飛ばしてたら、きっと頭だけ飛んで来てガブッとやられてたよ。神奈子、行こう」

「あぁ」

 

 逃がすものかと突進を開始する勇儀を無視し、諏訪子と神奈子は御柱に乗って帰路に就く。

 

 神祭 『エクスパンデッド・オンバシラ』――

 

「ガアぁっ! がぁっ! があぁァァァぁぁぁぁぁァァぁァァッ!」

 

 何本もの巨大な御柱が連続で飛来し、足下から溢れるミシャグジの群れからも延々と邪魔をされ、勇儀はどれだけ叫んでも二人には追いつけない。

 

「ねぇ、今日の晩御飯なに?」

 

 そんな怒り狂う鬼を放置し、二柱の神はのんきな会話をしながら地上へと向けて飛翔していく。

 

「カレーだってさ。香霖堂の店主が、無縁塚から賞味期限の残ってるカレールーを入手したそうでね。店主は作り方を知らないから、お裾分けを条件に早苗がタダ同然で貰って来たらしいよ」

 

 外の世界では極普通の料理も、幻想郷では存在しない事が珍しくない。特に洋食関係は、自給自足を主とする幻想郷では素材の調達が難しく、再現不可能な品目が多いのだ。

 外からやって来た諏訪子たちにとって、食べ慣れた料理が再び味わえる喜びは中々に心を躍らせる出来事だと言えた。

 

「おー! 甘口!? それって甘口!?」

「さぁねぇ、自分で確かめなよ」

「わーい! カ・レ・エ! カ・レ・エ!」

 

 両手を上げて左右に揺らし、身体全体で喜びを表現する諏訪子。

 鬼との決闘を演じていたとは到底思えない、幼さしか見えなくなった土着の神は、先程までの出来事などすっかり地底の彼方へと忘れ去ってしまい、今日の素敵な夕飯に思いを馳せる。

 

「――ちっくしょうがあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 残されたのは、更に被害の増した旧都の家々と、虚しく響く鬼の咆哮だけだった。

 

 

 

 

 

 

(おが)め! (あが)めろ! (たてまつ)れ! 私こそが神だ!」

 

 炎塊が爆ぜ、烏が吠える。

 天に輝く日輪の光。世界を覆う大火の車輪が、留まる事なくその熱を上げていく。

 

「随分と調子に乗ってるわね」

「四対一で優勢なんだ。調子にも乗るさ」

 

 滝のような汗を流しながら、霊夢と魔理沙が高々と叫ぶお空を見上げた。

 脱水症状により疲労が加速し、二人の呼吸は目に見えて荒い。

 お空は、常に高熱の火球に身を包んだ状態で敵からの弾幕を完全に遮断すると同時に、近距離での戦闘を阻み続けていた。

 高火力や連続攻撃で防御を崩そうにも、彼女の驚異的な飛行速度がそれを許さない。

 

「あっづぅ……いい加減終わらせて貰わなければ、私はそろそろ焼き鳥になってしまうかもしれませんね……」

「うきゅ~……」

 

 霊夢たちより幾らかましとはいえ、文とフランも限界が近い。

 進退窮まった今の状況でも、霊夢にはまだ最後の手段が残されていた。

 「空を飛ぶ程度の能力」。世界の(ことわり)さえ拒絶する、究極の一手。

 しかし、それは基本として不殺を旨とするスペルカード・ルールを提唱した博麗の巫女としての、完全な敗北を同時に意味している。

 能力をスペルカードにしたものも存在するが、こちらでは時間が掛かり過ぎる。お空を撃沈する頃には、その他の全員が干乾びてしまうだろう。

 結局の所、ここにいる全員の力を使って出来る限り素早くお空を無力化しなければ、本当の勝利とは言えないのだ。

 

「どうにかして、アイツのあのムカつく炎の殻を砕かないと……っ」

「折角持って来たってのに、新武装のキノコ爆弾やにとりのミサイルも全然効かなかったし、出来るんならとっくにやってるぜ」

「フランがやる! 行くよぉ、お空ちゃん!」

 

 互いが決め手を打てぬまま、霊夢たちだけが一方的に消耗させられる極限状態で、遂にフランが賭けに出た。

 

 禁忌 『レーヴァテイン』――

 

「やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 身長の三倍はある巨大な炎剣を肩で背負い、お空に向けて突撃するフラン。一度相手の頭上まで飛び上がり、急降下に合わせて災いの枝を振り下ろす。

 

「ふんっ」

 

 お空は、そんなフランを鼻で笑って左手を突き出すと、フランの魔剣をその手の平であっさりと受け止めて見せた。

 

「う、くぅ……っ」

 

 掴み取られた焔の剣は、押しても引いてもビクともしない。焦るフランとは対照的に、お空は羽虫でも見るような目で敵を見据える。

 

「吸血鬼のフランが、腕力で負けた!?」

「違う……っ。フラン! 今すぐここから逃げなさい!」

 

 迂闊――この状況は、その一言に尽きた。

 フランは吸血鬼だ。

 怪力、念力、魔法、変化――多種多様な能力を持つ、夜を統べる強大な種族。

 だが、だからこそ彼女には幾つかの弱点が存在していた。

 その一つが太陽。正確には、その太陽から発せられる陽光だ。

 土の下には存在しないはずだった吸血鬼の怨敵は今、彼女たちの頭上で赤々と燃え盛り続けている。

 擬似的な模造品とはいえ、神の力で作られた地底の太陽の前に身体を晒し続け、フランは自分でも気付かない内に消耗し尽くしていたのだ。

 

「燃え尽きろ!」

 

 『サブタレイニアンサン』――

 

「ぎゃあぁぁうぅぅぅっ!」

 

 お空を囲っていた炎塊が肥大化し、剣を手放して離れようとしていたフランの両腕を焼き焦がす。そして、吸血鬼にとっては猛毒となる閃光が、至近距離で全身へと浴びせ掛けられた。

 

「文!」

「無茶を言わないで下さい! 上を押さえるだけで、こちらは手一杯ですよ!」

 

 あらゆる部分に火傷を起こし、墜落するフランを助けようと背後の烏天狗を呼ぶ霊夢だったが、相手からの返答は無情だった。

 お空の打ち上げ続けた頭上の人工太陽は、既に十を越える有り様となっている。文は、些細な衝撃で爆裂するそれら全てを個別に操作しながら、こちらに向かって迫ろうとしている動きを押し留め続けているのだ。

 能力の制御に集中力を取られ、文はまともに動く事すら出来ない。

 落ちるフランに向けてお空の制御棒が静かに照準を定め、棒の空洞から閃光が溢れ出す。

 

「やらせるかよぉ!」

「魔理沙!?」

 

 背後の文を守る為、人工太陽から牽制として放たれる弾幕を結界で防ぐ霊夢の脇をすり抜け、魔理沙はフランとお空の間に自身の身を割り込ませる。

 

「影も残さず、消え失せろぉぉぉっ!」

 

 爆符 『ペタフレア』――

 

 臨界に達した天上の焔が、お空の激情によって更に勢いを増して猛り狂い、極大の熱波として吐き出された。

 

「いっくぜえぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

 対する魔理沙は、手に持つ八卦炉に最大限の魔力を込めて熱閃を撃ち返す。

 結果はすぐに出た。制御棒から放出されるお空の光波にとって、魔理沙の波動は余りに弱い。

 

「ぐ、ぎ、いぃぃぃっ!」

 

 一気にぎりぎりの地点まで押し込まれた魔理沙が、歯の根を噛みあわせて喉を呻かせる。

 

 ――足りない。

 あの偉そうぶった烏をぶっ飛ばすには、圧倒的に魔力が足りない。

 今使っているのが、自分の魔力だけだからだ。

 貰ったはずだ、アリスから。

 あれだけ沢山。

 腹一杯の山盛りで。

 

 七色の音色を――七色の魔力を――

 

 魔理沙の中で、何かが切れた(・・・)

 

「おォォぉアァァぁぁぁぁあぁァァぁああァァっ!」

 

 臨界を超えたのは、彼女の方も同じだった。咆哮に魔力を乗せ、八卦炉からの閃光が極彩を混じらせて振り切れる。

 

 魔砲 『ファイナルマスタースパーク』――

 

 神の一撃に、普通の魔法使いの一撃が届く。

 

「なん……だとぉっ!?」

 

 今まで、常に優位にしか立たなかったお空に動揺が生じた事で、その拮抗が崩れた。

 お空の閃光を飲み込んだ魔理沙の砲撃は、そのまま一気に対角線上にある全てを消し去り突き抜けていく。

 溶岩と多数の太陽に囲まれた眩しいほどの場でありながら、虹色の光は他のどれよりも美しく輝きを放ち、さながら彗星の如き軌跡を残して消失する。

 

「へっ……ざまぁ見やがれってんだ……」

 

 内在するほぼ全ての魔力を使い尽くし、空を飛ぶ事さえも困難になった魔理沙が、お空を隠す白煙に向けて弱々しくも強かな笑みで嘲笑を送った。

 

 

 

 

 

 

 意識を失い、飛ぶ事さえも出来ずにただ落下していくだけだったフランを、背後から誰かが抱き止めた。

 そこに居るのに気配はなく、誰からも気付かれない。

 

「ごめんね……ごめんね、フランちゃん。わたしが……わたしが、あんなお願いしたから……」

 

 古明地こいし。無意識の少女が、落ちるフランを支えながら自分の行いを悔いてめそめそと泣いていた。

 

「う……」

 

 こいしの涙が頬に垂れ、それによってフランの意識が覚醒する。

 自分だけが見えているこいしの頬に手を伸ばし、精一杯の笑顔で気丈に振舞おうとするフラン。

 

「大丈夫だよ、こいしちゃん……」

 

 気休めなどではない。フランの心は、まだ決して折れてなどいない。

 

「フランは、お姉様の妹だもん」

 

 妹の為に死すら覚悟した、最愛の姉。彼女の妹だと胸を張って誇るなら、こんな事で挫けてはいられない。

 あれから、フランは沢山の事を知った。

 笑う事、怒る事、悲しむ事、楽しむ事――

 最初の切っ掛けを作ってくれたのは、もう一人の義姉。

 彼女が最初に教えたのだ。

 争いの先に、手の取り合える道が確かにある事を。

 

「これは、ケンカだよ。殺し合いなんかじゃないっ」

 

 不死の血統が肉体を再構築し、炭化した両腕が高速で元の状態へと再生されていく。

 だが、肉体が再生しても消耗は健在だ。

 それでも、フランは悲鳴を上げる身体を無視して右腕をお空へと突き出す。

 

「このケンカが終わったら、「プレゼント」して、「仲直り」して――お空ちゃんともお友達になるんだもん!」

 

 眼前で、魔理沙の魔砲が全てを飲み込んだその後、煙の晴れた先でお空は展開していた炎の壁を失っていた。

 

「――お、おのれぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 怒りをあらわにするお空は、所々で服が焼けている部分もあるが、ダメージ自体は殆ど受けていない様子だ。

 弾幕ごっこであればこれで勝敗は決したが、そんなものを今の彼女が素直に認めるはずもない。

 神の焔で揺らぎ、ずっと見る事の叶わなかった一点を、遂にフランの両目が捉えた。

 全体ではなく、その内のただ一点。

 アリスや紅魔館の面々と一緒に能力を制御出来るようにしようと、練習は何度も繰り返してきた。

 だからやれる。

 失敗はしない。

 

「――きゅっ!」

 

 手の平に移した「目」を握り潰し、フランはお空の右腕に装着された制御棒だけを、正確無比に破壊する。

 

「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 木っ端微塵に打ち砕かれる、地獄烏の三本足。

 お空が絶叫を上げて大きく仰け反り、同時に彼女の展開していた全ての獄炎が制御を失い揺らいでいく。

 

「霊夢ー! やっちゃえー!」

 

 フランに言われるまでもなく、この隙を逃す霊夢ではない。

 結界を解除して高速で飛翔した博麗の巫女が、神の眼前へと躍り出た。

 

「これで――終わりよ!」

 

 神技 『八方鬼縛陣』――

 

「ガあぁァァァぁぁぁァァぁぁぁぁぁァッ!」

 

 霊夢の袖口から飛び出た八枚の札がお空の周囲を取り囲み、その足元に浮かんだ陰陽の印を中央に描く八卦陣が、八咫烏の神力を急速に封じ込めていく。

 

「最後に勝つのは数の暴力ってね。これが、私たちと貴女の違いよ」

「あ……あぁ……さとり様ぁ……」

 

 勝利を宣言する霊夢に対し、結界によって身動きも取れないほどに縛られたお空は、天を見上げて絶望の表情へとその顔を歪めていた。

 

「うつほは、うにゅほはぁ……お役に、立てませんでしたぁ……うにゅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

「こ、今度はなんだぁ?」

 

 途端に子供のように泣きじゃくるお空を見て、ふらふらと近づいた魔理沙が展開に追いつけず首を傾げる。

 

「神芝居ごっこが終わったのよ。こっちの方が、きっと本来の彼女でしょうね」

 

 膨大な神力を失った事で、お空に掛けられていた神降ろしの暗示が解けたのだ。もっとも、彼女の容姿に変化はないので解除は部分的なものでしかなく、制御不能だった感情が元に戻った程度なのだろうが。

 

「さとりさまぁ……うにゅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

「勝つには勝ったが……こう泣かれると、こっちが悪役みたいな気分だぜ。ていうか、そもそもさとりは本当にコイツを使って地上へ攻め込もうとしてたのか?」

「どうでしょうね。聞いた限りじゃ、ペットは殆ど放し飼いだったみたいだし。彼女自身は、地霊殿(ここ)での生活に不満はない様子だったけど」

「え!? それ、ほんと!?」

 

 大粒の涙を流していたお空だったが、霊夢の言葉を聞いた途端すぐに泣き止み、身を乗り出さんばかりの勢いで話に食い付いて来た。

 

「さとり様、泣いてない!?」

「あぁ。静かに過ごせるって、割と気に入ってる感じだったぜ」

「そっかぁ、よかったぁ」

「……おい、ちょっと待て」

 

 お空の反応に、あり得ない可能性を思い浮かべた魔理沙が冷や汗を浮かべながら顔を歪める。

 

「まさかお前――ただの勘違いで地上を襲おうとしてたのか!?」

「うにゅ?」

「そのまさか……でしょうね」

 

 可愛らしく小首を傾げるお空を見て、霊夢は全力で溜息を吐いた。

 元に戻ったお空の言動は、見た目に反してとても幼い。そんな彼女なら、飼い主であるさとりと長い間接触を持たなかった事で、自分で捏造した主人の像をそのまま信じてしまうくらいはしそうである。

 

「やれやれだぜ……」

「良かったね、お空ちゃん!」

「うん! ……うにゅ、さっきはごめんなさい。痛かったよね?」

「平気だよ! フランも、お空ちゃんの棒壊しちゃった。ごめんね」

「うつほも平気! ありがとう!」

 

 帽子に手を置き、頭を抱える魔理沙の前では、フランがお空の両手を掴み二人で満面の笑顔を向け合っている。

 あれだけ激しく争ったというのに、彼女たちの中ではもう和解が成立しているのだ。霊夢たちの目に、その隣で一緒に笑う黒帽子の少女が見えた気がした。

 

「――そろそろ、その娘を連れて穴から上がりましょう。(うつほ)さんをさとりさんに引き渡して、今回の異変は解決です」

 

 毒気を抜かれ、文が肩を竦めながら全員を促した。いい加減もう汗も出なくなってきているので、さっさとこの灼熱地獄から退散したいのだろう。

 霊夢たちもまた、思いは同じだった。

 

「そうね。後の面倒は藍に押し付けておけば良いし。地上に上がる頃には怨霊も片付いてるでしょうから、とりあえず出来立ての一番風呂でさっぱりしたいわ」

「賛成だぜ。藍が造った露天風呂、どんなんだろうな」

「皆で一緒にお風呂に入るの? 楽しそう!」

「あやややや……これは新たなシャッターチャンスの到来ですね。今月の新聞大会、頂きです」

「うにゅっ。うつほも、さとり様やお燐と一緒に入る!」

「アンタは……まぁ、良いわ。アンタのご主人様が許したらね」

「うん! ありがとう、巫女のお姉さん!」

 

 念の為、お空を結界で縛ったまま灼熱地獄の底を抜け出していく霊夢たち。

 間欠泉の噴出から始まった怨霊騒動は、太陽の神の敗北をもって無事に解決の運びとなった。

 もっとも、解決したのは異変だけだ。

 そこで生まれた様々な因縁は、途切れる事なく未来(さき)へと繋がっていく。

 それはさながら日輪にも似た車輪のように、熱を帯びたままくるくると回り続けていくのだろう――運命という坂道を、延々と転がりながら。

 

 

 

 

 

 

 地霊殿の一室。

 さとりが応接室と定めた、木造の机を挟んで二つのソファーが向かい合う部屋で、地霊殿の主である少女がその一方へと腰掛けていた。

 

「――皆さん、帰られたようですね」

 

 壁には地上の野原を描いた絵画が掛けられ、西洋風のアンティークがほど良く配置された落ち着いた室内は、この部屋を飾り付けたさとりの性格を現しているようだった。

 机の中央には、細長い花瓶に二本の薔薇が刺さっている。

 

「えぇ、これでようやく静かになりました――いえ、最後に貴女が残っていましたね。私ぐらいしか嗜む者は居ないので飲み物は紅茶しか出せませんが、どうかくつろいで下さい」

 

 対面に座る相手は、これまで一言も発していない。相手の心が読めるさとりとの対話に、相手側の言葉は必ずしも必要ではなかった。

 

「既に心を読んで把握してはいますが、ここは改めてお聞きしましょうか」

 

 さとりが話している相手は、対面のソファーに座る地上からの来訪者。

 軽く波打った金の髪に、傷と血で汚れた青の洋服。

 どこまでも無機質で、感情を見せない鉄面皮。

 常に傍らに飛ばしていた二体の人形は、今は居ない。

 

「アリス・マーガトロイドさん。貴女が地底に――地霊殿に住まう私へと会いに来た、本当の目的とやらを」

 

 ここに、奇妙な人形遣いと読心妖怪が邂逅を果たした。

 




またも次回に持ち越しで恐縮ですが、これが今年最後の更新でしょう。

皆さん、良いお年を。


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