東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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ザ・説明会。
長ぇよ。

禁句 三行でおk



19・さとりのお悩み遭難室

「ぐぎぎぎ……っ」

「何でさっきから呻いてるんだよ、にとり。鬱陶しいからやめてくれよ」

 

 最初に入って来た縦穴へと向けて帰路に就く中で、歯軋りをやめないにとりへと魔理沙が嫌そうな顔で言った。

 

「だって! あの性悪妖怪、結局最後に自分のスペカ出さなかったんだよ!? しかも私が負けるしっ。次に会ったら、絶対捻り出させてやるんだから!」

 

 さとりとの弾幕ごっこに負けたにとりは、プンプンとでも擬音が出そうなほどの勢いで両腕を振り回し、己の不満を爆発させる。

 

「あー、そうか。まぁ頑張れ」

 

 しかし、それを聞く魔理沙にとっては至極どうでも良い事なので、片手を振りながら右から左へと聞き流した。

 

「なぁ、霊夢。アリスだけ残して、本当に良かったのかよ」

「アリスだって子供じゃないのよ。本人がそれで良いって言ったんだから、別に問題はないわよ」

 

 今度は、魔理沙が隣りを歩く霊夢へと問えば、誰に対しても優しくも厳しくもない少女は小さく肩を竦めるだけで、その不安を杞憂だと一蹴する。

 地上へと帰還しているメンバーは、霊夢、魔理沙、フラン、文、にとり。諏訪子は既に帰ったそうで、人形たちを使って気絶したお燐を抱えながら地霊殿に戻って来たアリスは、本人の希望により一人であの場所に残った形となっている。

 アリスは、どこかで洗って来たように見える僅かに血の付いた服となって、何時もの無表情で先に帰るように皆を促した。

 彼女の鉄面皮と平坦な声から、その内心を読み取るのは至難の業だ。

 元々が、本人の言う通り感情の起伏が少ない上に、まるで難解な間違い探しでもさせられているかのように変化らしい変化をしない。

 だが、それでも魔理沙はアリスから普段とは違う何かを読み取った。胸に去来する、痛みを伴った違和感。

 きっと、霊夢もそれには気付いている。しかし、彼女は気付いた上でそれを無視しているのだ。

 まるで、自分は知らない振りをしなければならない、とでも言うかのように。

 魔理沙は、霊夢の放つ形容し難い雰囲気によって、結局それを問い質すだけの勇気を持てなかった。

 

「ご不満があるのでしたら、お一人でアリスさんの用事とやらが終わるのを待っていられれば良かったのでは?」

 

 一人だけ宙を舞いながら、新聞に使うのか地底の風景写真を適当に撮っていた文が、魔理沙に向けて意見を述べた。

 別に、アリスの指示に従わなければならない道理などないのだ。彼女が心配なら、残って一緒に帰れば良い。

 

「だって……私が残っても、足手まといじゃないか」

「おや、自覚はあったのですね――おぉ、こわいこわい」

 

 魔力の切れた自分の身を恨めしく言う魔理沙に対し、別の意味として茶化した文は半眼を向けられてもまるで怯んだ様子もなく、おどけた調子で両手を上げて首を振る。

 アリスは魔力譲渡の魔法を使えるが、護衛として残った者が護衛対象の負担になっては、それこそ本末転倒だ。

 

「そんな事ないよ! 魔理沙、とってもカッコ良かったもん!」

 

 お空とプレゼント交換をして、彼女から貰った濡れ羽色の羽と裏地に宇宙の星空を彩ったマントの切れ端を嬉しそうに眺めていたフランが、頬を膨らませて文を睨む。

 

「そうね。最後のアレは、確かに恰好良かったわ」

 

 普段通りの飄々とした態度ながら、霊夢もフランの意見に同調した。

 荷が重い、などと侮っていた普通の魔法使いが、相手を追い詰める一手として最大の活躍をしたのだ。

 それは、彼女の評価を再び改める出来事としては、十分過ぎる一幕だと言えた。

 

「な、なんだよいきなり。お世辞を言われたって、気持ち悪いだけだぜ」

「顔が赤いよー? 照れてる照れてる」

「に~と~り~」

 

 からかうにとりに、頬を染める魔理沙が背後から襲い掛かる。

 

「ふぎぎ~!」

 

 両頬を思いっきり引っ張られ、顔を横に伸ばした河童の少女が変な呻き声を上げて抵抗するが、魔理沙は決して指を離そうとしない。

 

「そういえばお前、異変が始まる前もやってくれたよな~」

「ほんへ、やへはほはひは~!」

「あははっ! 魔理沙ったら恥ずかしがって、とっても可愛い!」

「その変顔と照れ顔、頂きですっ」

「まったく、これじゃあまるで遠足帰りね」

 

 魔理沙とにとりのじゃれあいに、それを見た面々が思い思いの台詞で笑う。

 乙女たちの花は、どこであっても変わらぬ騒がしさと可憐さで咲き誇っていた。

 

「――皆笑ってるよ……だから、きっと大丈夫だよね。アリスお姉ちゃん」

 

 気付く者、気付かぬ者――そのどちらも、彼女が意図して隠したものの詳細を知らず、また、知る必要もないのだから。

 

 

 

 

 

 

 傷を塞ぎ終えたお燐を地霊殿に運び、中に居た動物たちに彼女を任せた後、品の良い調度品に囲まれた応接室で、私はとうとう最も出会うべきではないだろう妖怪と相対していた。

 なし崩し的な勢いもあるが、この件に関して他者を挟める余地はない。なので、こうしてさとりと私のタイマン座談会を開催している訳だ。

 本当は、紅魔館の時のようにこの異変が終わった後、菓子折りなどを持参しつつ「おーいイソノー、野球しようぜー!」くらいの気軽さでお茶に誘いたかったのだが、見事にご破算となってしまった。

 

「なんですか、それは……様式美。なるほど、まったく解りません」

 

 あ、やべ。

 だから、さとりんは心が読めるんだって。

 カットカット。今のは忘れて。

 

 頭の中で、指を鋏に見立てて切る動作をしながら、私はさとりにそうお願いする。

 

「愛称を許した覚えはありませんよ。はぁ……追い払った迷惑な河童といい、貴女といい、地上の妖怪はこんな方ばかりなのでしょうか」

 

 そういうノリには馴染みがないのか、疼痛を抑えるように頭に手を置き、顔をしかめて首を振るさとり。

 

 失敬な。私は極普通の常識人です。

 

「ふっ」

 

 幻想郷での暮らしの中で、一番酷い半笑いを見た気がする。

 私より背が低く、身体も華奢な見た目なだけに、その蔑むようなジト目は中々胸に来る。

 

 そういえば、にとりがやたらと悔しがってたけど、何かしたの?

 

「別に何も。強いて言うのなら、彼女の望んだ結果や関係にはならなかったというだけですよ」

 

 ふーん。

 というか便利だね。このやり取り。

 

 地霊殿に入ってこの少女と出会ってから、私は一言も口を開いていない。

 それでも、さとりの読心能力によって私たちの会話は問題なく行われていた。

 

 普段あんまり喋る方じゃないから、考えるだけでこうやってさとりんとコミュニケーションが取れるのは、凄い楽だよ。

 

「愛称を許した覚えはありませんと言いましたよ。それと、そんな風に考えられるのは貴女ぐらいです」

 

 だろうね。

 

 私が、彼女の能力に対する不快感や嫌悪感が薄いからこそ、こうやって平気で会話が出来ているのだろう。

 普通であれば、記憶や心を一方的に読まれる上に、仮にその能力を何らかの方法で防御したとしても、本当に防げているかどうかは心を読めない側には確認のしようがないのだ。

 大なり小なり、やましい気持ちや過去、トラウマと言う名の黒歴史を持たない者など居ない。悲しい事ではあるが、それら全てが目の前の妖怪によって一切合財暴かれるとなれば、恐怖や忌避を感じてしまうのは仕方のない事なのだと思える。

 

「私が、貴女の知り合いに貴女の内面や秘密にしている事柄を話す可能性を、考えはしなかったのですか?」

 

 その程度で壊れる関係を、皆と築いて来たつもりはないよ。

 

 例え隠し事をしていても、私が幻想郷での暮らしで皆に対して接した態度に、偽りなどないと断言出来る。

 もしも、それでも私たちの絆が修復不能なまでに壊れてしまうのだとすれば、それはもう諦めるしかないのだ。

 私が、ある意味で出会う前から皆を騙し続けているのは、紛れもない事実なのだから。

 

「あくまで貴女は自身の目的が優先であり、ある程度の犠牲は覚悟の上だと?」

 

 うーん、覚悟はないかなぁ。

 

 目的は目的として達成したいが、それに今までの全てを捧げるほどの気概はない。

 甘えた贅沢だろうが、それでも私は彼女たちとの関係を捨てたくはないのだ。

 

 やっぱり出来るなら、折角の仲良くなった皆とお別れしたくはないよ。

 だから、その辺りは内緒にしてて貰えると助かるかな。

 

「こちらが加害者側ですし、承知していますよ――話を進めましょうか」

 

 おーらい。

 

「まずは私の方から。お燐への制裁を踏み留まって頂き、ありがとうございます。でなければ、私は今貴女を可能な限り苦しめて殺す方法だけを考えていたでしょうから」

 

 さとりの口調は、落ち着いた気軽さすらある平静のままだが、だからこそ事実としての重みを帯びていた。

 

 うん、解ってる。

 

 あの時、私がお燐を殺していれば確実に私と地霊殿の全面抗争が始まっていただろう。

 それだけの理由が双方にあるのだから、地上も地底も巻き込んで行き着く所まで闘争の規模を広げていたに違いない。

 もしくは、火種である私一人が切り捨てられるか。

 紫なら、恐らく後者を取るだろう。彼女は、私の友人であるより先にこの理想郷の管理者なのだから。

 

 まぁ、あれは私の心が勝手に止まっただけで、私自身の意思で止まった訳ではないからね。お礼を言われるものではないよ。

 

「そうですね。貴女は、心で考えているほどお燐に怒りや憎しみを感じている訳でもなければ、失った人形たちに対しての悲しみも抱いてはいない。涙をこぼせたのも、ある意味奇跡です」

 

 え、抉るねぇ。

 

 さとりの語りが事実なだけに、反論も出来ない。

 結局の所、自分の中にある知識に当てはめて、模範的回答としての情動を語っているだけに過ぎないのは、私自身が一番自覚している。

 

「さとりですから」

 

 お澄まし顔のさとり。

 動じない姿勢と常に物憂げな表情も相まって、幼い見た目ながら年上にも見えるという儚げ系美少女なので、その表情も非常に映える。

 

 可憐だ……っ。

 

「そんな風に語っていても、結局はただの一人芝居――歪な方ですね、貴女は」

 

 さとりは、僅かに同情したように眉を下げて私を見ていた。

 彼女は、その名に違わず私の本心を覚り、本質を見抜いてくる。口にする必要もなく、私の意思が一切の余分を排除する形で伝わっていた。

 

 正にニュータイプ。

 しかも脳波コントロール出来る!

 

「……変な方ですね」

 

 まぁ、自覚はしているよ。

 二重の意味で。

 

 私は、さとりの言う通り酷く歪な存在だ。

 感情が希薄なくせに、その感情が高ぶった際の感覚を知識や記憶として知っているのだ。だから、記憶と感情の齟齬に何時も悩まされている。

 内心を脚色するのも、そういった体質への慣れを僅かでも遅らせようという、私なりの抵抗だったりするのだから泣けてくる。泣けないけど。

 実際、私に真っ当な感情が出せていたなら、確実にお燐を殺していた――いや、殺せなくしていた(・・・・・・・・)だろう。

 

「「屍肉呪法(ラウグヌト・ルシャヴナ)」――対象の肉体を強制的に変質させ、永遠の苦痛を与え続ける呪法。そんなものが……あるのですね」

 

 私の記憶を読み取ったさとりが、口元を押さえて顔を青ざめさせた。

 間違っても、食事時のお茶の間には見せられないショッキング映像だ。私の思い出している場面がさとりに見えているのかは不明だが、呪文の内容を知るだけでもその恐ろしさは十分に伝わるだろう。

 例の如く、「聖典(バイブル)」出自の呪いの魔法。

 純粋な魔族のみが使用出来るという、相手を自身を食らい続ける蛇の湧き出す再生機能付きの肉団子に変貌させる、狂気の邪法だ。

 少し前に、ちょっとした腕試しとして組んでみたのだが、本当に組み上げる事が出来て驚いた。私が、着実に人外の魔法使いとして腕前を上げている証拠だろう。

 完成度は六割程度。変質させた肉体に不死性を持たせるまでには至っていないが、妖怪は頑丈なのでこのまま使用しても十分原作に近い効果が発揮されると思われる。

 思考加速もそうだが、この呪文が出来たのは運の部分が大きい。本来なら、まだまだ研究に時間が掛かりそうな魔法が、それより早い段階で突然組める事は極たまにだがあるのだ。

 

 まぁ、原作ファンとして組み上げただけだから誰かに使った事はないし、これから使う予定もないよ。

 

「そうである事を切に願います。本当に、お燐が無事で良かったと心から思いますよ」

 

 私の本心を読み、さとりが心から安堵の溜息を吐く。自分のペットが、蠢く肉塊に変えられていたかもしれない彼女にしてみれば、私の知識は相当な恐怖だった事だろう。

 私にその気はないのだが、なんだか提案を出す前の脅しのような形になってしまった。

 

 それでだけど、お燐の罰に関しては貴女と藍に判断を委ねたいと思ってるんだ。

 私自身が彼女を処断する事は……出来なかったから。

 

 幻想郷にも地底にも、妖怪同士での有形無形のルールはあっても、遵守するべき絶対の法と呼べるものは存在しない。

 ルールにしても、「皆がやってるから私もやるか」ぐらいの軽い感覚であり、実際に遵守しようと思っている者は極少数だろう。

 曖昧で、匙加減の効く、適当な線引き。

 妖怪とは、元よりそういう存在なのだから、ある意味で当たり前の措置だ。

 だが、だからといってお燐を許す事はしてはいけない。それでは、あの娘たちの死が本当に無意味になってしまう。

 それは、決してしてはならない事だ。

 お燐は罰を受けるべきだ。しかし、ではどの程度の罰が妥当なのかと問われれば、情けない事に私では判断が付かなかった。

 私には、条約やルール違反に関する正確な知識がない上に、仮にお燐を百年掛けて拷問しようが、彼女諸共地霊殿の住人をこの屋敷ごと消滅させようが、きっと満たされる事はないと断言出来てしまう。

 故に、お燐の飼い主であるさとりと幻想郷の管理者代行である八雲藍が決定した処罰を施行させる事で、対外的な意味でも手打ちと出来ると考えたのだ。

 ルールを犯せば、管理者から罰を受ける。それを地底に浸透させる一助として、お燐には矢面に立って貰う。

 例えペットという直属であろうと例外なくルールが適用される事を知れば、地底の妖怪たちも地霊殿――ひいてはさとりとの衝突を避けてルールを受け入れる者は多いはずだ。

 

「……ご配慮、感謝します」

 

 私の意見を聞き終えたさとりが、姿勢を正してゆっくりと頭を下げる。

 霖之助との会話に似て、彼女との意思疎通はとても早くて正確だ。

 

 上海と蓬莱には、守った主人がこんな駄目な奴で本当に申し訳ないと思うよ。

 だけど、この問題は私とお燐。そして、その事情を必然的に知る少数の間だけで完結させるべきなんだ。

 

 自惚れているわけではないが、私は幻想郷の名のある妖怪たちとの広い交友関係を持っているし、パワーバランスを担う勢力たちとも懇意にさせて貰っている。

 そんな私が、地霊殿の妖怪に大事な存在を奪われ苦しめられたと知れば、彼女たちの中から地霊殿や地底そのものへの敵意を抱く者が現れるかもしれない。

 藍にも、詳細は周囲に喧伝しないようお願いするつもりだ。まぁ、彼女の場合は言わずともそうしてくれるだろうが、万が一にでも地上と地底に軋轢が生まれる事態に発展するのは避けたい。

 それは、私を守ってくれたあの娘たちもきっと望んではいなかっただろうから――などというセンチな情からではなく、単にそうした方が各方面に角が立たないだろうというただの合理。

 私はとても冷静だ。反吐が出るほどに。

 彼女たちの死を、こんな形でしか報いてあげられない。

 涙を流せたのは、ある意味奇跡――さとりの言葉は、嫌というほど確信を突いていた。

 幻想郷という場所を保つ為に少なくない(まつりごと)を代行し、私を含めた周囲への反応も考慮出来るだろう藍を信頼しての提案でもある。

 

「そうですか……身内の不始末ですが、贔屓目にならず貴女にも納得のいく落とし所と出来るよう、最善を尽くしたいと思います」

 

 ありがとう。

 

「――ありがとう、さとり」

「わざわざ口にまで出すなんて、つくづく甘いのですね、貴女は」

 

 呆れているのか、哀れんでいるのか、なんとも複雑な表情に顔を歪め、さとりはそんな事を言ってくれた。

 お燐の問題も一先ず対処が決定したので、冷めた紅茶を飲みながら次の議題へと移る。

 壁に掛けられた時計を軽く見れば、時刻はもう太陽が完全に沈んだ頃だろうか。

 長いだけの楽しくないさとりとの対談は、もう少しだけ続ける必要があった。

 

 

 

 

 

 

「――しかし……貴女は私と出会って本当に良かったのですか? その心に、とても興味深い知識(もの)をお持ちのようですけど」

 

 さとりたち幻想郷の住人にとっては、こちらも重要な案件だろう。

 勿論、私にとっても決して他人事ではない。万人に披露するには、余りに危険過ぎるしろものだ。

 だが、読心に対する明確な対抗手段が確認出来ない以上、遅かれ早かれ私の事情がさとりに知られてしまう可能性があり、この秘密を彼女の心の中だけに留めて貰う為には、私に対する負い目を楔として打ち込める今が最適だった。

 秘密の共犯者に仕立て上げるのは心苦しいが、こんな状態でもなければさとりに私の秘密を打ち明ける気にはなれない。

 

 まぁ、散々頼って来た私が言うのもなんだけど、参考程度にしておかないと痛い目みるよ?

 ソースは私。

 

「えぇ、そのようですね」

 

 私にしてみれば、原作知識(コレ)は大雑把な預言書のようなものだ。

 知識にある彼女たちの強さや性格、能力による応用の幅。今回みたいな異変での流れなど、ズレていたり違っていたりする部分は結構ある。

 それは、私が起こした蝶の羽ばたきというには、余りに多過ぎる差異だ。

 つまり、厳密に言えばこの世界は私の頭の中に知識としてあるもの。「原作」と、便宜上そう呼んでいる情報が全てに当てはまる訳ではないという事。

 「平行し、枝分かれする未来」、「異なる宇宙の創造」、「金色の母」、「極めて近く、限りなく遠い世界」――そして、「シュレディンガーの猫」。

 中二病全開の考察で良いのなら、それこそ幾らでも推理が可能だ。

 

「荒唐無稽な推論ばかりですが――なるほど、面白い考え方です」

 

 曖昧で不確定な世界、無限に広がる平行世界の一つ。様々なマンガやアニメ、小説などで語られる跳躍した向こう側の次元。

 知り得る限りの科学技術では、到底成し遂げられないような絵空事の与太話。

 有るかもしれない世界と、無いかもしれない世界。その両方の事実を確認する術がないのだから、どれだけ考えても結論など出ない。

 ただ、私が幻想郷(ここ)に存在し、大雑把とはいえこの世界そのものの現在、過去、未来の知識を所有しているという点だけが、間違いのない真実。

 私が「アリス」になった最初の頃は、原作知識(コレ)について色々と悩んだり苦しんだりもした。

 だが、それよりもなお重要な事が私には出来てしまったのだ。

 

 ――幻想郷で生活するには、原作知識(コレ)ぐらいのハンデがないと確実に死ぬ。

 

 開き直って役立てないと、何せ私の命が終わる。元々、体質故にそれほど強く感じてはいなかったものの、罪悪感や負い目から吹っ切れるには十分過ぎる理由だった。

 異変の大筋や相手の能力、戦闘に関する情報を事前に知っていなければ、私はとうの昔に――一番最初、紫と初めて出会ったあの時点で首を刎ねられていた可能性もある。

 その次はいきなりフラン戦だ。あの娘の即死能力を知って対策を講じなければ、私はあの部屋で染みの一つとなっていた。

 まぁ、私に原作知識(こんなもの)がなかったとすれば、単なる木っ端魔法使いとして原作勢とは何の接点もなく、魔法の森で静かに暮らしていたのかもしれないが。

 

「吸血鬼の妹、フランドール・スカーレットから始まり、西行妖、八雲藍、八意永琳――その後も記憶を読む限り、そうそうたる面子と相対して来たようですね。というか、ここまでの境遇で今まで良く生きてこられましたね」

 

 さとりの目も、私の度重なる不幸の数々を見てかなり胡乱気だ。

 異変が起こる度に騒ぎに引き込まれ、その殆どにおいてなんやかんやで死に掛けるという、見るも無残な私の過去。

 きっと歴史食い(ヒストリーイーター)の慧音に食べさせれば、舌の上でシャッキリポンと踊る濃厚でエクセレントな味に違いない。

 

 この幻想郷には妖怪や神様を含めて、多種多様な種族や経歴を持つ人外たちが住んでるんだ。

 境界操作なんて反則妖怪が居るなら、未来視の出来る存在だってきっと居る。だったら、この世界の可能性を知る魔法使いが居たとしても、きっと許されるよね?

 

「私に聞かれても知りませんよ。しかし、結局の所貴女の考えは推測の域を出てはいない」

 

 問いに対して、答え合わせが出来ないのだから当然だ。

 私がしている事は、頭に入っていた雑多な知識を使って適当な答えをさも正解のように思い込んでるだけ。

 証明出来ないものを無理に確認する気はないし、その必要もない。

 見て、聞いて、感じられる。

 この地に住まう者たちの温かさ。それを身を持って体験している私にすれば、この世界が例え創作物の中であろうとだからどうしたという話でしかない。

 

「その曖昧さを受け入れた結果が、毎度の異変に巻き込まれての生死の掛かったやり取りですか。間抜けですね」

 

 う゛ぐぅっ。

 むぅ、さとりんのどS。

 

「ですから、愛称を許した覚えは……はぁっ、もう諦めました」

 

 良し、ゴリ押しの勝利だ。

 ペットばかりの独り暮らし生活らしいから、押しに弱んじゃないかと思ったんだけど……さとりんって、割とちょろいん?

 

「貴女は……」

 

 さとりの目が絶対零度だ。

 冗談の通じない少女である。

 

「紛れもなく本心でしたよね?」

 

 ごほんっ。

 で、ここからが私の本題になっていくんだけど――

 

「誤魔化しましたね。まぁ、良いでしょう。えぇ、貴女の目的もその理由も、ここに来た時点で把握していますよ」

 

 そう。

 私がここに、さとりに出会いに来た目的。

 それは、私の失われた過去――私が「アリス・マーガトロイド」となったあの日より前の記憶を、彼女の能力の一つである「想起」にて呼び起こせないかと考えたからだ。

 私が、原作に登場する「アリス」の魔法を使えない理由も、実はこの辺りが起因している。

 情報が少な過ぎるという部分も確かにあるのだが、もっと単純な話、私のレベルが足りないのだ。

 魔法とは幻想の技術だ。幻想の技術とは、即ち想像であり創造、そして理想と想念の技術。

 「理論」、「術式」、「魔力」――そして、その発動を疑わず、出現するべき当然として受け入れる「精神」。

 そのどれが欠けても、魔法は十全な効果を発揮しない。

 そして、私の中にある外の世界の情報と常識は――幻想を忘れ、否定するその思想は私からその「精神」、つまりは「信じる心」を奪い去っていた。

 魔法使いとして生まれ、魔法という技術が当たり前だっただろうパチュリーや、幻想の溢れる郷の出身である魔理沙にはない、致命的なまでの欠点。

 当時、独学で魔法を学ぶ唯一の手段だった魔道書の内容も問題だった。

 魔法の発動に必要な要素は前述の通りだが、逆に言えばその四つの要素さえ揃えばどんなに荒唐無稽な魔法であろうと完成する。

 よって、難解なポエムと数式を足して三を掛けたような、無駄に面倒なそれらの書物に記されているのは基本的に根底の「理論」だけなのだ。

 例えば、「魔力を火に変換する理論」の書かれた魔道書を私とパチュリーと魔理沙が読んで魔法を組んだとしても、私は「メラ」、パチュリーは「ファイア」、魔理沙は「アギ」、といった具合で、個々で精神が違う以上同じ理屈と効果でも個別の魔法が組み上がる。

 本来、魔道とはその過程も楽しむものなのだろうが、明確な回答がない謎掛けは私から更に「信じる心」を削っていった。

 これで正しいのか、本当は間違っているんじゃないか。幾らでも溢れる、不安と猜疑。

 術の難度が上がれば上がるほど、魔道書の難度が上がれば上がるほど、この二つの要素は絶望的な壁となって私の前に立ち塞がった。

 だから、当時外界を警戒し時間のなかった私は発想を転換させるしかなかった。逃避した、と言い換えても良い。

 「信じる心」が足りずに魔法が発動出来ないのなら、「心から信じられる」魔法を使えば良い、と。

 井戸のポンプを漕げば水が出る、時が経てば時計の秒針が動く。それぐらい、最初から疑いようもない答えを軸にして、既に完成された魔法を組む。

 即席(インスタント)一定(コンスタント)でありながら、同時に人外に対して十分対抗出来得るだけの手段(プロセス)

 言語の組み合わせという、素人にも解り易い「理論」。暗記するほどに覚えた、詠唱という「術式」の数々。文章や映像で発動の工程や結果を思い浮かべられる事によって、安定する「精神」。

 「魔力」は、私の身体に人間のそれを軽く超えるほど大量に詰め込まれている。

 全ての条件は、そこで揃ってくれた。

 「聖典(バイブル)」の記述通りの手順で「明り(ライティング)」の呪文が発動した時、私はそれに縋った。

 魔法という、まったくの未知である学問への取っ掛かりとして、定められた明確な解を用意した上で逆算すれば間違いようがないという安心感が必要だったのだ。

 他の世界が本当にあるかどうか、力を借りる対象が本当に考えている通りの相手かどうとなどは、この際重要ではない。

 私の「精神」が発動出来ると確信し、事実発動するだけの「理論」と「術式」が組める魔法であれば、それで十分だった。

 今もなお「聖典(バイブル)」の魔法だけを使い続けている理由も、積み重ねた経験の分だけ「信じる心」が上乗せされて、効果の向上と安定に繋がるから。

 今でこそ、私もそれなりに他の魔法が使えるようになってはいるが、それでももし「精神」を数値で測れたならば、私は未だパチュリーはおろか魔理沙にも数段劣っている事だろう。

 使っている魔法にしても、十年以上使用し続けているにも関わらず未だに伸び代が残っている。

 それほどまでに、私の記憶の根底にある認識は根強いという事だ。

 「アリス」の魔法を完全に再現出来る日は、一体何時になる事やら。

 そんなこんなだが、正直に言えば私と「アリス」の問題はそれほど深刻に考えてはいなかったし、今でもその気持ちは変わらない。

 存在しない過去がどうであれ、私は私だ。

 だが、早苗や霖之助と一緒に妖怪退治をしたあの時、その問題についてもう一度考える機会が生まれた。

 この身体は、誰がどう見ても女性であるはずなのに、対峙した猿妖怪の女性限定に作用する能力は私に通用しなかった。

 つまり、私の中に「女」という部分が欠片も存在していない。この身体の中に居る私が、完全に「アリス」ではない他の誰かだという事だ。

 だが、私は「私」となった直後から、家にあった謎の文字で書かれた魔道書を当たり前のように読めた。

 人形作りだってそうだ。様々なギミックが組み込まれた上海と蓬莱を含め、地下にあった出来合いの人形たちを分解して調べただけで、私は三ヶ月と掛からずにその製造工程を独力で理解出来た。

 どちらも、外の世界で学ぶ機会はまずないだろう事柄にも関わらず、だ。

 私は「アリス」ではない。だが、外の世界の人間だったとするには、私の身には分不相応な情報が入っている。

 では、私は一体「何」だ?

 内面の私が、「アリス・マーガトロイド」であるという可能性を否定された事で、その根源を知りたいという好奇心が生まれてしまった。

 本当なら、最初に語ったように菓子折り持参の挨拶をして、お茶をしばいたりお出掛けしたりと親睦を深めた後、十分な対価を支払う形でお願いしたかったのだが、世の中上手くいかないものだ。

 さとりの能力に対策を取らず、心と記憶を晒しているのは依頼への対価の一つとして。

 いずれ知られる可能性が高いのならば、いっそ全てを晒して見返りを要求した方が、私としても気が楽だ。

 情報を役立てるのも、誰かに教えるのも、後はさとりの自由。

 洒落にならない悪用も出来るが、仮にも閻魔様の仕事場である是非曲直庁から地霊殿の主として据えられた妖怪なので、その辺りの分別も十分持っているだろう。

 彼女は、本を読んだり書いたりの生活をしていると記憶しているので、外の世界産の物語の数々も受けが良いかもしれない。

 

 頼めるかな?

 

「――良いですよ。今回の出来事の謝罪の一部という意味合いも含めて、やらせて頂きます。正直に言いますと、そんな面倒な口上は必要なかったと付け加えておきましょう」

 

 そっか、ごめんね。

 でも、ありがとうは言わない方が良いよね。

 

「そういう考えを持っている時点で、それは既に感謝となっています。バカですか? いえ、バカでしたね」

 

 ヒドス。

 

 段々、さとりから遠慮がなくなってきている。良い兆候だ。

 私とお燐に確執があっても、それを他所に撒き散らす気はない。友好的な関係とはいかないが、それでも殺し殺されの間柄になるよりはずっとましである。

 

「しかし、結果の保障は出来ませんよ?」

 

 うん、それも承知の上だよ。

 

 彼女の能力は「心を読む程度の能力」であり、私の記憶を探ったとしても読めるのは「心」とそれに繋がる表層の記憶だけらしい。忘却によって完全に記憶から消えていたり、誰かから封印されているものを呼び起こす事は難しいだろう。

 ならば、もしも私が忘れた振り(・・・・・)をしている記憶があるとしたら、どうだろうか。

 抑圧――トラウマに対する、防衛機制の一つだ。可能性は、決してゼロではない。

 

「よくも、そんな考えが次々と浮かぶものです。えぇ、確かにそれは可能性としてゼロではないでしょうね」

 

 可能性が欠片でもあるのなら、それは試す価値がある。

 幸い、試して得るものはあっても失うものはないのだ。

 優先度の割に支払った対価が大き過ぎるが、だからこそ結果だけでも手に入れて帰らなければ無駄骨になってしまう。

 

「……ふぅっ。貴女は、本当に人間みたいな方ですね。そんな下らない事の為に危険を顧みず行動出来る存在を、私はそれ以外の単語で知りません」

 

 言いながら、さとりは自分の身体と繋がったサードアイを手に持ち、私の前へと突き出してきた。

 赤い外皮に覆われた丸い眼球が、私を正面から見つめてくる。さとりが小さい事もあり、サードアイも思っていたより小さめでちょっと可愛い。

 

「かなりの不快感を覚えるでしょうが、なるべく抵抗しないで下さい」

 

 そんな無茶振りをした直後、サードアイから眩いほどの光が溢れ、私の両目を照らし付けてきた。

 強まったり弱まったりと、まるで催眠導入でもしているかのように強弱の起こる光波を、身動きせずにじっと見つめ続ける私。

 

 うわ、なんだこれ。

 確かにちょっと気持ち悪いね。

 なんか、ヌルッとした紫斑点の謎物質を眉間の辺りに流し込まれているような……おおぅ。

 ――こいつ、直接脳内に……っ!

 

「集中していますので、余計な事を考えないで下さい。鬱陶しいです」

 

 あ、はい。すみません。

 

 普通に怒られた後、サードアイから光が途切れてもしばらく同じ姿勢を維持していたさとりが、力を抜いてソファーに戻る。

 

 ――どうだった?

 

「……」

 

 返答は、沈黙。

 

 そっか。

 

「お力になれず、申し訳ありません」

 

 良いよ。

 期待していなかったと言えば嘘になるけど、むしろこうなる可能性の方が高かったし。

 

 しかし、これで私の過去を探る手段が一つ潰れた事になる。

 次は、鈴仙に逆行催眠でもお願いしてみようか。それとも、魔界に封印されている尼さんが出て来た時に話を聞かせて貰うか――

 考え付くだけでも、手段はまだ残されている。元より暇潰し程度の感覚なので、ゆっくりと手探りでやっていけば良い。

 どうするにせよ、これで今回の用事は全て終わった。

 必要だったとはいえ、長々と話し過ぎた。地霊殿との付き合いはこれからも続いていくだろうが、そろそろお暇した方が良いだろう。

 

「そうですね。来客自体が珍しい事ですので、私も流石に疲れました。これから、地上の管理者を相手にもう一度折衝が待っていると思うと、気が滅入ります」

 

 カップに入った残りの紅茶を全て飲み干した後、どこまでも気だるげにうんざりした調子で溜息を吐くさとり。

 

 さとりん、ドンマイ。

 

「原因の四分の一は、貴女なのですけどね」

 

 うん、そうだね。

 頑張って。

 

「貴女は……本当に変な方ですね」

 

 しみじみと呟くさとりからの、私に対するまったくもって不当な評価が下された事で、会談は終了となった。

 

「――あぁ、最後に一つだけ」

 

 かと思いきや、お互いが立ち上がった時思い出したように声を掛けてきた。

 

「これは、貴女への感謝と取って頂ければ幸いです」

 

 憂いを帯びた半眼の視線。

 こちらの全てを覗き見るような、最奥の見えない口腔にも似た闇を帯びる二つの瞳が、じっとりとこちらを()め付けてくる。

 

「貴女のお名前を、お聞かせ願えますか?」

 

 聞く者によっては、何気ないただの質問。

 だが、全ての事情を知る彼女からとなれば、それは最悪の意味を持つ問い掛けだった。

 

 ――なるほど。

 そうくるか、古明地さとり。

 それを今、私の口から言わせるのか。

 

 痛烈な皮肉であり、同時に私へ向けての忠告を含めた警鐘だ。

 

 肝に銘じておくよ。

 私は――

 

「――「私」はアリスよ。アリス・マーガトロイド。魔法使いの人形遣い」

 

 答えは一つだ。

 それ以外に回答はなく、あったとしても選んではいけない。

 

「そうですか。私はさとりの妖怪、古明地さとりと申します」

 

 質問したはずのさとりは、私の答えに然して興味を示す事なく、今更な自己紹介をしながら両手を前で組み深く腰を折った。

 

「ではまた、いずれ時と場所が重なる事がありましたらお会いしましょう」

「えぇ、いずれ」

 

 (こうべ)を垂れるさとりに向け、私もまた自分のスカートの両端を摘まみ、出来る限り優雅な動作で礼を返す。

 こうして、私と彼女との出会いは幕を閉じる。

 嫌われ者の読心妖怪、古明地さとり。

 彼女はやはり、嫌われ者らしい。

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 地霊殿の一角。

 医療室などというものはないので、お燐の自室としてあてがった一室で、気絶していた彼女が目を覚ます。

 

「起きたのね。傷の治療は終わっているみたいだけど、どこか痛い所はないかしら?」

 

 まどろんだままお燐が視線を泳がせた先には、椅子から立ち上がってその顔を覗き込む最愛の主が居た。

 

「さとり様……あたい……」

 

 さとりが内面を読むまでもなく、ベッドに沈んだ彼女のペットは身体も心も思うように働かせられていない様子だ。

 

「あたい……お姉さんに謝らないと……」

「そうね、とんだ事を仕出かしてくれたわね」

「ごめんなさい……」

 

 興奮が醒め、落ち着きを取り戻したお燐はさとりに叱られて顔をうつむかせる。

 

「お姉さんが綺麗で……とっても綺麗で……あたい、どうしても欲しくなって……我慢が出来なくて……」

「仕方のない娘ね」

 

 そのまま縮んで、消えてしまうのではないかというほど落ち込むお燐の頭を優しく撫でながら、さとりは小さく苦笑する。

 

「さとり様……お姉さんは……?」

「もう地上に帰ったわ」

「さとり様……あたい、お姉さんに会いたいよ……」

 

 無意識に伸ばされたお燐の手が、さとりの服の裾を掴む。弱々しく、動いただけで解けてしまいそうな力だが、その手は確かにさとりの服を握っていた。

 

「会って、謝って、それで……それで……今度は、ちゃんと死体になるまで待ってるよって、言っておきたい……」

 

 反省はしている。否、反省しようとはしている。

 だが、お燐はアリスを諦めてはいない。

 お燐がアリスに抱く感情は、紛れもない好意だ。

 そして、だからこそお燐は彼女の死体を欲しがる。

 動物として、妖怪として、自制を努力出来るだけ十分上等だろうとは、飼い主の贔屓目だろうか。

 

「今は寝ていなさい。起きられるようになったら、彼女の家へ謝りに行きましょうね」

「……はい」

 

 さとりの言葉に素直に従い、元の動物である猫の姿へと戻ったお燐はそのまま再び寝息を立て始め、夢の世界へと旅立った。

 小さくなったお燐を抱え、人型用のベッドから動物用の寝台である毛布の敷かれた竹編みの籠に移したさとりは、なるべく音を立てずに部屋を立ち去る。

 

 しかし、お燐を助けて頂いたというのに、恩を仇で返したような形になってしまいましたね。

 

 通路を歩きながら、さとりは立ち去った人形遣いについて考えを巡らせていく。

 不思議、というより奇怪な存在だった、アリス・マーガトロイド。

 さとりは、一つ彼女に本当の事を語らなかった。

 沈黙をもって答えとした、アリスからの質問。

 さとりは己の能力によって、彼女の過去の一端を確認出来ていた。

 大量のピースが欠けたパズルのような有り様で、殆ど何も読む事は出来なかったが、それでも伝えられる程度の情報は手に入れていた。

 だが、あの場でそれを語る事は出来ず、「想起」にて思い出させる事もはばかられた。

 思い出させた拍子に全ての記憶が戻ったとして、そうした相手が安全である保証などどこにもない。

 心や記憶は読めても、未来は読めない。

 アリスに対する負い目はあっても義理はないさとりは、あっさりと保身を選択した。

 もしもまた会うならば、語る機会も生まれるだろう。語った通り今日はもう十分疲れたし、これ以上の面倒事はごめんである。

 

「そして……相も変わらず、趣味の悪い」

 

 聞いていても、いなくても、どちらでも良い。さとりは、これみよがしな言い草で吐き捨てた。

 さとりの能力は、アンテナ役であるサードアイから常時放たれている能力の波を思考を持つ生物に当て、反射されて届けられてきた内面を映像や言語や雰囲気などに変えて読み取る形で行われる。

 よって、例え何らかの手段で彼女の能力を防御した上で隠れていたとしても、その範囲内であればさとりは相手の存在を知覚出来るのだ。

 心を閉ざし、存在を消し、さとりでさえその心が読めなくなった自身の妹を把握出来るのも、この能力があるからこそ。

 そして、アリスと話し合いを始めた直後から、さとりは能力の恩恵により心の読めない誰かがあの部屋で聞き耳を立てている事に気付いていた。

 そんな器用な芸当を、この地霊殿にまで出向いて行う者は決して多くはない。

 敵とするには最悪で、味方とするにも遠慮したい、存在自体が胡散臭いスキマの賢者、八雲紫。

 アリスの記憶によれば、彼女はまだ冬眠中であるはずだ。ようやく起きたのか、ずっと起きていて今回の騒動を眺めていたのか、さとりにはどちらであっても変わりはない。

 

 今回の異変。一体どこまでが、貴女の手の平だったのでしょうね。

 

 全てかもしれないし、ほんの一部かもしれない。曖昧さを好むあの妖怪のする事などに、一々気を揉むだけ徒労だ。

 さとりは、自身の能力の詳細を誰にも教えてはいない。だから、隠れている存在には気付かない振りをしながら、言葉を選んで与える情報を最低限に留めていた。

 アリスに一切配慮せず、そのまま全てを伝えてもさとりにとっては何の問題もなかったが、あの魔法使いは仮にもお燐の命を見逃してくれた相手だ。

 これくらいの献身をする程度には、さとりは恩義を感じていた。

 しかし、所詮はそこまで。出会ってすぐの相手にそれ以上の気遣いをするほど、地霊殿の主は彼女を受け入れてはいない。

 その相手が、自他共に認めるほどの欠陥を抱えているのなら、尚更だ。

 

 そのアリスさんも、随分と難儀な迷路に迷い込んでいるものです。

 

 自分を「アリス」ではないと否定するあの魔法使いは、一つ大きな勘違いをしている。

 彼女の知識にある資料とやらも、紹介者の自己申告と著者の主観の入ったお粗末なしろもの。差異が出たとしても当たり前なのに、内容を信じてしまっているから彼女は事実に辿り着けない。

 はめ込まれる眼球、繋がれていく手足――分断された胴から伸びる、大量の糸と管。

 記憶から読めたそれらから推測する限り、彼女は――あの魔法使いは女性ではない。それどころか、元人間ですらない。

 まぁ、魂の宿らない数多の部品から作り出された存在を、そう呼べるなら話は別だが。

 限りなく人間に近づけて作られた人形に、人間との明確な違いなどありはしないのだから。

 そして、作られた人の形をしただけの物体に性別などない。だから、異性に反応する能力の対象にはならなかった。

 その時点の記憶が読めたという事は、完成した「アリス・マーガトロイド」は既に「彼女」だったという事。

 さとりが読めた情報から解ったのは、ここまでだ。それより前はなく、あったとしてもさとりには読めなかった。

 思考の加速という、本来機械の補助具を必要とする高度な技術が再現出来たのは、彼女が作られた存在だからだろうとか、魔族の呪法が例え幸運でも編み出せた理由は、彼女がそういった類と縁のある土地の素材を使って作製されたからなのかとか、推測ぐらいは立てられるものの確信にはほど遠い。

 もう一つ解るのは、完成したはずの彼女は心の欠陥を抱えた失敗作であり、そして現在、その欠陥が徐々に修復されつつあるという事。

 中身の出自については、今の所まだ一切が不明ではある。だが、あそこまで欠落と歪みを抱える精神が何の手も加えられていない純然な魂魄である可能性を問われれば、首を傾げざるを得ない。

 そんな彼女の心は、日々の暮らしの中で経験を積み重ねる事で、思い出しているのか、新しく覚えているのか、僅かずつだが感情を芽生えさせ始めていた。

 吸血鬼の妹との戦いでの、生への執着。

 今回の異変での、仲間の死という哀切。

 精神に強い負荷が掛かる度、時計の秒針が進むように遅々とした進行で、彼女の心は確実に成長を続けているのだ。

 涙を流すという、今まで到達出来なかった地点まで感情の振り幅が増えているのが、何よりの証拠。

 もうほんの少しだけ振り幅があったらと思うと、それだけでぞっとしてしまう。

 彼女が、何時か人並みの感情を出せるようになり、自らの出自と真実に辿り着いた時、一体どんな反応を示すだろうか。

 

 血を吐くほどに怒るだろうか。

 涙が枯れるほどに嘆くだろうか。

 それとも、心砕けるほどに壊れてしまうのだろうか。

 

 興味はあるが、さとりにとってアリスの存在は興味止まりでしかなかった。

 他人である彼女が死のうが壊れようが、知った事ではないのだ。

 彼女の持つ過ぎた知識も、利用出来る分だけ利用させて貰えればその出自や理由について掘り下げるつもりもない。

 

 貴女の作った傑作――完全自律式の人形は、確かに幻想郷(ここ)で稼動していますよ。

 なにやら面白い事になっているようですが、些細な問題でしょう。

 

 記憶の先で僅かに見えた、彼女の制作者とおぼしき者がもしも今の彼女と出会えたならば、一体どんな言葉を掛けるのか。

 彼女の知識の中にもあった、あの女性。

 魔界という異世界がある事は知っている。しかし、そこに行く方法は知らないし、今も彼女が居るかどうかは解らない。

 

 ねぇ――神綺さん。

 

 仮にも神を名乗る存在だ。異なる世界の知識や魂、そしてこの世界の未来を見通し人形に込めたとしても不思議はない。

 しかし、彼女を作った目的も、失敗作を幻想郷へと送り込んだ意図も、結局の所全ての結論は闇の底に沈んだまま浮かんでは来ないのだ。

 そしてそれは、さとりにとって何の関係もない話だった。

 さとりは考察を放棄し、本日最後の難関である賢者との対談を手短に終わらせるべく、応接室へと歩いていく。

 

「神に、人間に、河童に、魔法使い――これから、面倒が増えそうですね」

 

 特に、河童の少女は絶対にまた来るというはた迷惑な決意を固めていたので要注意だ。

 お空を説得しようにも近づくだけで消し炭にされかけ、接触出来ずにほとほと困り果てていたが、これならば地上が滅びていた方がまだましだったかもしれない。

 半ば確定した未来を幻視し、心の底から嫌そうな声で平穏の崩壊を嘆きながら、さとりは盛大に溜息を吐いた。

 




Q・結局、どういう事だってばよ?
A・解らなかったら諦める!

考えてる説明全部書いてみたら、それだけで6万字越えててわろたww

削りまくったので、変な部分が多いかもです。

地霊殿編は、残り一話くらいですかね。

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