東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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2・魔女と悪魔とついでに泥棒

 突然だが、魔法使いの扱う「魔法」とは、一体何だろう。

 魔法の「魔」の部分を、ある者は、「世界に存在しない力や法則」と語り、またある者は、ただ簡潔に「混沌」だと例えた。

 炎や風などの自然現象、呪い・奇跡などの神秘。それ以外にも、術者の実力さえ伴っているならば、およそ引き起こせない事象はないという、ありとあらゆる可能性を内包した、万能物質。

 

 幻想郷には、奇跡も魔法も、あるんだよ!

 ただし、緑巫女に常識はない。

 

 冗談はさて置き、我々魔法使いは、そんな魔力というこの世の全てを混ぜ込まれた謎エネルギーから、必要な量を必要な部分だけ切り取る事で、魔法を己の望む通りに発動させている。

 そして、魔法を語る上でもう一つの重要な要素。それは、魔法の「法」。即ち、深淵にも届く雑多な知識だ。

 魔法使いといえば、とりあえず何か本を読んでいる、という印象を持つ者が多いだろうが、それは間違いではない。

 知識は食材、知恵は器具や調理方法に例えれば、解り易いだろうか。

 当然、食材は多ければ多いほど、調理出来る料理のレパートリーは増える。

 だが、肝心の器具の使い方や調理方法が解らなければ、料理を作るのは不可能だ。

 その食材のどの部位を、どういった形で切り、どれ位の調味料を入れれば良いのか。逆にどの部位を捨て、どの余分を引けば、味は上がるのか。

 食材と食材――別々の事象を、適切な形で繋ぎ合わせ、詠唱や魔方陣といった「皿」に乗せる事で、魔法という料理が完成する。

 慣れてくれば、オムハヤシや、スープスパゲッティなどといった、複数の料理や調理方法を組み合わせ、まったく新しい料理を開発したりと、創造の枠は無限に広がっていく事だろう。

 まぁ要するに、魔法使いには勉強も大事なのだ。

 長々と説明しておきながら、胡散臭い事この上ないだろうが、実際やってみると本当に今言った感覚なので、「そういうものなんだ」と納得して貰うしかない。

 魔法というものが存在しない場所に住む者が、魔法についての考察を細かに説明されても、完全に理解するのは少々難しいだろう。

 何せ、存在しない以上、証拠も根拠も示せない。

 天動説を信じていた当時の学者に、「実は地球って回ってるんだぜ、プゲラww」と語っているようなものなので、どうか右から左へと聞き流して欲しい。

 さて、なぜ今更、私がこんな下らない話を延々語っているのかというと、実はその「魔法のお勉強」をする為に、とある場所へとお邪魔しているからだ。

 永遠に赤いドアノブの二つ名を持った、チビでロリのチロリっ娘吸血鬼、レミリア・スカーレットを主とする、悪趣味全開の赤塗り洋館、紅魔館。

 その屋敷の地下に作られた、広大な大図書館の中で、私の前に机を挟んで鎮座しているのは、日がな一日本を読むだけで人生を過ごすニート魔法使い、動かないもやし、パチュリー・ノーレッジである。

 まぁ、天狗とかスキマとかの、仕事として定めた役割のある所帯以外は、妖怪全体がニートと言えばニートなのだが。

 今日も、何時もと同じゆったりとしたパジャマみたいな紫色の服を着て、肩幅ほどもある分厚い本を読み耽り、客である私の事など、まるで眼中にないご様子だ。

 私の方も、この大図書館で借りた錬金術関係の本を読んでいるので、二人の間に会話はない。

 室内は、壁にかけられた大時計の振り子の音だけが、静かに重く鳴り響いている。

 静寂が心地良い。お祭りなどの騒がしい空気も嫌いではないが、やはり平穏を愛する私には、こういった雰囲気が肌に合う。

 

「ふふっ」

 

 と思ったら、パチュリーが突然、口元に手を当てて小さく笑い出した。

 

 え、何その反応。私の心でも読んだの?

 

「どうしたの?」

「いえ。唐突に、貴女との出会いを思い出したのよ」

 

 質問する私に、本から一端目を離し、苦笑混じりで笑い掛けて来るパチュリー。私よりも、長く魔法使いという種族を生きている為か、彼女はこうして簡単に表情を作る。

 正直に言って、かなり羨ましい。

 種族柄、感情が乏しい点は共通しているものの、時折見せる彼女の喜怒哀楽の顔は、私とは違って見栄えのする、とても可愛らしいものだ。

 

「異変が終わってしばらく経ってからとはいえ、過去に争った相手の屋敷に身一つ――いえ、正確には菓子折り一つで訪れるなんて、今でも正気を疑うわ」

「別に、私と貴女が直接争った訳ではないでしょう?」

「それでもよ」

 

 まぁ、確かに彼女の言いたい事も解る。

 何せ私たちは、スペルカードルールが布かれる前に起こった、幻想郷最後のガチンコバトル騒動、「吸血鬼異変」の敵味方として相対していたのだ。

 遊びに来た回数など、とうの昔に忘れてしまうほどこの紅魔館に来訪し、今ではこの日陰魔女パッチェりんと、お互いマブダチと言える間柄だろう私たちだが、出会いというか、最初の関係は本当に最悪だった。

 とはいえ、当時の異変では結局パチュリーやレミリアとは出会っていないし、私はレミリアや紫といった主役たちの話し合いが終わるまでの、単なる露払いとして扱われていたので、印象は薄いだろう。

 私のようなへっぽこ魔法使いが、異変に関わった事自体がある意味奇跡なのである。

 紅魔館勢が、幻想郷との間に様々な条約を交わし終え、いきなり殺しに掛かられる事はないだろうという楽観視もあり、異変からしばらく経った後、菓子折りを持って改めて挨拶に伺ったという訳だ。

 今はこうして、顔パスで通れるくらい紅魔館の面々とも仲良くなれたので、結果オーライである。

 

「幻想郷でも魔道書は貴重よ。それが、これほどの規模で保管されているのだもの、駄目元で頼む価値はあると思ったのよ」

 

 後、パチュリーたちとも仲良くなりたかったしね。

 

 原作知識によって、彼女たちの性格や能力を大なり小なり把握しているとはいえ、私と同じく彼女たちも地に足を付けて生活をしている、己の意思を持つ唯一無二の存在だ。

 自分の大好きなキャラクターたちと、アイドルや俳優の追っかけよろしく、仲良くなりたいと思うのは自然な発想だろう。

 そこに、程度の差はあれ生死の危険が付きまとうのは、幻想郷では良くある話だ。

 戦闘に関して、私以上の実力者や、チート級の能力者が多いこの世界では、そんな事を一々気にしていては人付き合いも出来ない。

 なので、私はその辺りの問題に関して、早々に吹っ切れている。

 

「本来図書館は、大勢の利用者に読まれてこそが本懐よ。無為に埃を被らせておくよりは、今の方が健全な使われ方をしているんじゃないかしら」

「そうね、こうして貴女や魔理沙と出会える切っ掛けになったのだもの、感謝しているわ」

 

 パッチェさんのデレきたー!

 

 私が、パチュリーとの友情を疑わないのは、彼女からこういった嬉しい言葉を平然と言って貰えるからだ。

 普通であれば赤面ものの臭い台詞を、彼女は素面のままで言ってのける。

 嬉しい反面、恥ずかしさも強いので、この時ばかりは私の鉄面皮に感謝だ。

 

「私も、貴女に出会えた事に感謝しているわ」

 

 笑顔は作れないので、私は精一杯の想いを乗せて言葉だけでもお返しをする。

 

「……そういう事を、平気で言うものではないわ」

 

 いやいや、言い始めたのはパッちゃんからだよね?

 

 なぜか軽く頬を染めつつ、視線を逸らすパチュリー。そんな彼女に困惑しながらも、その萌え姿を網膜に焼き付けようと、無言でガン見を続ける私。

 沈黙は沈黙でも、先程とは違い奇妙な雰囲気が漂い始めた大図書館の扉が、唐突に開かれた。

 

 あ、誰か来た――

 

 

 

 

 

 

 大図書館の居候、パチュリー・ノーレッジにとって、アリス・マーガトロイドはとても不可解な存在だった。

 まず、思考がとても未熟だ。

 人間から人外へと昇華したはずの彼女は、未だに極めて人間に近い価値観で行動している。

 食事の不要な魔法使いに対し、毎度菓子折りを持参して来るのが、良い証拠だ。

 来訪の度に品を変える、贅を尽くさぬ平凡な菓子たちは、全て彼女の手作りなのだと言う。

 今日の菓子は、原点に返ってイチゴの乗ったショートケーキ。中々上手く作れたと、アリスは無表情のままやや自慢げに語っていた。

 基本が鉄面皮である彼女の表情以外から、ある程度の感情を読み取れるほどには、パチュリーとアリスの関係は深い。

 次に、異常なほどの気安さ。

 現在対峙するパチュリーとは異変の後に出会ったものの、それでも殺し合いをした相手に対し改めて友好的な関係を始めようと挨拶に伺うようなバカが、彼女以外のどこに居るというのか。

 「吸血鬼異変」。今は霧の湖近くに居を構える紅魔館を、幻想郷に転移した時に起こった双方の全面戦争は、紅魔館の敗北という形で幕を閉じた。

 館の住人は、今後は幻想郷のルールに従うという屈辱的な条件を受け入れて、今の生を繋いでいる。

 敵対した大本である幻想郷の賢者は当然として、その箱庭に住まう者たちに、八つ当たりにも近い敵愾心が残るのは仕方のない事だろう。

 それを承知の上なのか――正直かなり怪しい所だが――アリスは、事後処理の一環として結界によって隔離された紅魔館へと、菓子折り一つで再び訪れて門番にこう言ったそうだ。

 

「こんにちは。大図書館という、魔道書の多く蔵書されている場所の利用許可が欲しいの」

 

 図太いというには余りに命知らずな願いに、門番である華人妖怪、紅美鈴は大層混乱した事だろう。

 結局、当主であるレミリアがアリスと謁見し、大した取引や駆け引きもなく「面白い」というだけの理由で簡単に許可が出された結果、今のような関係が始まった。

 結界が解かれ、世間には「紅霧異変」と呼ばれる茶番が起こる前から、彼女は足繁くこの館へと訪れ、本人の自覚、無自覚も含めて、紅魔館の面々と幻想郷との仲立ちをしてくれた。

 正直、彼女の存在がなければパチュリーを含めた紅魔館のメンバーは、未だ幻想郷へのしこりを残したままの日々を過ごしていたかもしれない。

 続いて、片手間で魔法の研究をやっているのかと思えるほどの、人形劇への執着心。

 今日は、魔法に関係のある錬金術の本を読んでいるが、服飾や装飾、音楽や演劇、絵画に童話と、彼女がこの大図書館で読むのはそういった人形劇関連である事の方が多い。

 延長線上には、確かに自律可動式の人形を作るという彼女の目的があるのかもしれないが、目的と手段が入れ違えているのではと邪推してしまうほど、アリスは人形劇に情熱を注いでいた。

 基本的に、自分の目的や興味以外には無頓着な魔法使いという種族にあって、彼女は観客という他人の為に努力をする、明らかな異端者なのだ。

 最後に、一体どこから仕入れているのか解らない、未知の魔法の知識。

 この大図書館に納まっている、ほとんどの魔道書を暗記しているパチュリーですら、彼女の使う一部の独自魔法は理解不能で解読出来ない部分が多い。

 その結果として、魔法使いとして未熟なはずの彼女は、しかし、破壊力という点だけで見れば、七曜の魔女と称されるパチュリーを遥かに凌ぐ力を保有していた。

 興味と関心、猜疑と嫉妬――パチュリーがアリスに抱く想いは、中々に複雑だった。

 

「――そうね、こうして貴女や魔理沙と出会える切っ掛けになったのだもの、感謝しているわ」

「私も、貴女に出会えた事に感謝しているわ」

 

 会話の途中、からかい半分で本心を語れば、アリスは何時もと同じ真顔で、真っ直ぐにパチュリーを見据えて答えを返して来る。

 

「……そういう事を、平気で言うものではないわ」

 

 こういう時の彼女は、本当に反則だ。表情が変わらない分、その声が本気か冗談か疑いようもなく解ってしまう。

 微妙に気恥ずかしくなってしまった雰囲気に話題の転換を決めて口を開こうとしたパチュリーよりも早く、救世主であり邪魔者である誰かが大図書館へと訪れた。

 

「……ふぅっ、折角静かな時間だったというのに」

 

 音を立てて開けられる、二人分ほどの大きな扉。大図書館への唯一の出入り口が開かれ、来訪者に当たりを付けたパチュリーは、小さく悪態を吐いた。

 この場所に、ノックもせずに入って来るような人物はパチュリーの知る限り二人しかいない。

 

「アリスお姉ちゃんが来てるって、本当!?」

 

 紅目に金髪、宝石を吊り下げたような、色彩豊かな羽を持つ紅魔館当主の妹、フランドール・スカーレット。

 大声と共に登場した、天真爛漫なフランドール――フランに目をやったアリスが、椅子から立ち上がってそちらに振り向く。

 

「おねーちゃーん!」

「ぐっ」

 

 事前に、身体強化の魔法を使っていたのだろう。瞳を輝かせ、突撃して来た怪力を持つ悪魔の妹を、彼女は肺の空気を幾らか吐き出しながら、律儀に正面から受け止めた。

 

「フラン。私は、貴女とは違って人間に近い身体なの。だから、そんなに力を込めてぶつかられると危ないわ」

「えへへー、ごめんなさーい」

 

 何時も繰り返される割と本気の注意と、全く反省していない笑顔の謝罪。

 痛みを我慢しながら、相変わらずの無表情を貫くアリスは、本当に何も解っていない。或いは、解った上でフランの我侭を受け入れているのか。

 「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」――殺戮に特化した能力を持ち、それが原因で精神を病んでいたフランが、誰かに避けられず、迷いなく受け止めて貰える事がどれだけ嬉しいか、その笑顔を見ただけで容易に理解出来る。

 

「アリスお姉ちゃん。また、フランに絵本を読んでくれる?」

「えぇ、良いわよ」

 

 自分の研究の為に訪れたというのに、二つ返事であっさりとフランの願いを聞き入れるアリス。彼女はフランを伴って、童話や絵本を収めた区画へと、少女の手を引きながら立ち去って行く。

 

「パチュリー、ごめんなさい。少し騒がしくするわ」

「貴女のせいではないでしょう。妹様、余りアリスを困らせては駄目よ」

「うー、そんな事ないもん! お姉ちゃん、フラン、迷惑なんかじゃないよね!?」

「そうね。フランは良い子よ」

「えへへー。行こ、お姉ちゃん!」

「えぇ」

 

 片や魔法使い、片や吸血鬼。種族さえ違う二人だが、その微笑ましいやり取りを見ていると、同じ髪色もあいまって、本当に姉妹のように見えて来る。

 

「あらら。妹様に、アリスさんを取られちゃいましたね」

 

 何時からそこに居たのか、紅茶のお代わりを持って来た燕尾服姿の小悪魔が、パチュリーにカップを差し出しながら去って行くアリスたちを一瞥した。

 

「彼女の所有権は、他でもない彼女自身のものよ」

「またまたぁ。そんな事言ってると、本当に妹様や魔理沙さんに負けちゃいますよ?」

「小悪魔……何でもかんでも色事に話を繋げるのはやめなさい。貴女の悪癖よ」

 

 桃色の脳みそをしている小悪魔に辟易しつつ、疼痛を抑えるように眉間に手をやるパチュリー。

 

「えー。だって、その方が素敵じゃないですかぁ」

「貴女が、私たちを使ってどんな妄想をしようと自由だけど、それを私やアリスに押し付けるのは自重して。正直に言って、迷惑よ」

「ぬふふー。独占欲ですね、解ります」

「はぁっ……」

 

 ひとの話を聞かない色魔に、パチュリーはとうとう深い溜息を吐き出して押し黙った。

 どうせ、フランが飽きるか眠るまで、アリスは戻って来ないだろう。彼女は冷淡に見えて、子供の世話を好んでいる節もある。

 それまでに、フランに付き合わせた礼として、読んでいたものを含め、関連書籍を幾つか見繕って貸し出すのも、最早日課だ。

 騒がしい室内を、悪くないと思えるようになったのは、何時からだろうか。

 わずらわしさばかりだった、増えていく外からの来訪者に、僅かばかりの楽しさが生まれたのは、何時からだろうか。

 こんなにも穏やかな日常が訪れるなど、この幻想郷へ訪れるより昔のパチュリーなら、想像も付かなかった事だろう。

 

「小悪魔、これから言う魔道書を、ここに持って来て頂戴」

「はいはい、何時ものお土産作戦ですね。お任せ下さい」

 

 問題は、何時まで経っても誤解が解けそうにない、この厄介な助手の存在だけだった。

 

「はぁっ……」

 

 去って行く小悪魔に目をやり、パチュリーは再び盛大な溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

「昔々、ある所に――」

「ある所って、どこなの?」

「そうね、この話は日本の話だから、外の世界の日本でしょうね」

 

 目をキラキラさせながら、絵本を読むのをねだるフランの目力に負け、私は大図書館の童話コーナーで一冊の絵本を読み聞かせていた。

 今回読むお話は、「かぐや姫」。

 幻想郷に本人が在住しているという、割とノンフィクションの昔話だ。

 椅子などないので、正座した私の膝に足を伸ばしたフランを乗せ、彼女の前に腕を伸ばして、後ろから乗りかかるようにして本を読む。

 本音を言うと、しきりに動く宝石みたいなフランの羽が大層邪魔なのだが、だからといって着脱可能な訳でもないので、くすぐったいが我慢する。

 今の体勢からも解る通り、どういう訳か、私はフランに物凄く懐かれていた。

 理由として思い浮かぶのは、「吸血鬼異変」での対峙だが、私としては懐かれるような事をした覚えはなく、むしろ本気で殺そうとした手前、軽く罪悪感のようなものすら抱いている。

 まぁ、フランもフランで私をぶっ殺そうとしていたのだから、本来ならばそれもおあいこなのだが。

 この辺りが、私が平和ボケした日本人の思考をしている、良い証拠と言えるだろう。

 実を言うと、私は「吸血鬼異変」での記憶を、ほとんど覚えていない。

 大筋の流れ位は思い出せるのだが、その時誰と出会い、どんな会話があったかなどになると、途端に靄が掛かったようになり、おぼろげにしか思い出せないのだ。

 突然与えられたり、封印されたりと、皆さん私の記憶に恨みでもあるのだろうか。

 封印した相手の目星は付いている。というか、他人の記憶に干渉するなど、私の知る限りでは彼女ぐらいしか思い浮かばない。

 幻想郷の賢者にして創始者。美しく残酷で胡散臭いBB――ゲフンッ、少女の、八雲紫である。

 「境界を操る程度の能力」を持つ彼女が、何を思って私の記憶を封印したかは不明だ。

 だが、彼女が幻想郷を想い、そこに住まう全ての住人を愛しているのは承知している。これにも、相応の理由があるのだろう。

 その時出会ったはずの、先代博麗の巫女との記憶が丸ごと消されているので、その辺りの事情ではないかと睨んでいるのだが、確証はない。

 

 どこかの東方手書き劇場みたいな理由だったらと思うと、それだけで私の涙腺が崩壊しそうだし……

 

 情けない事この上ない話だが、取り合えず今の所困った事態には陥っていないので、まぁ良いやぐらいの気持ちで尋ねるまでには至っていない。

 なぜなら、彼女が本気で私の記憶を封印していたとすれば、「記憶が消えている」という記憶すら改ざん出来るはずだからだ。

 わざとそれが解るよう、私ですら気付くほど雑なやり方で記憶を封印しているという事は、つまりは何時か問われる、もしくは記憶を戻す覚悟をしているという事。

 なので、今はこれで良いのだ。

 

 皆が笑顔で平和なら、私は一向に構わん!

 

 ネタ台詞で申し訳ないが、私としては本心だ。何事も、平和が一番である。

 

「輝夜姫って、迷いの竹林に住んでる人なんだよね。凄く綺麗な人なんでしょ? 会ってみたいなぁ」

「そう。それじゃあ、今度彼女に会った時に、貴女が会いたがっていたと伝えておいてあげる」

「本当!?」

「えぇ、約束」

 

 フランと私の小指を結び、二人で約束事に必須の歌をうたう。

 

 ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたらこーろす、っと。

 針を千本飲むくらいじゃ、妖怪とかだと全然平気だしね。私は死ぬけど。

 

 命を懸けるには余りに安い約束だが、反故にする気は毛頭ないので、実質何を懸けても問題はない。

 

「邪魔するぜ!」

 

 その後、頼まれた絵本の朗読も終わり、パチュリーへの迷惑を若干気にしながら、二人で――といっても、基本的にフランだけが――きゃっきゃうふふとはしゃいでいると、再び大図書館の扉が勢い良く開く音と共に、更なる来訪者の声が朗々と響き渡った。

 

「魔理沙だ!」

 

 フランにとっても友人である、魔法使いを目指す人間。普通の泥棒、霧雨魔理沙の登場に、うつ伏せで私の膝に抱き付き、頭を撫でられていた少女の顔が跳ね上がる。

 

「遊びに来たのかな!?」

「何時も通りなら、この図書館の本が目的でしょうね。小悪魔とパチュリーが、弾幕ごっこを始めるんじゃないかしら」

「フランも遊ぶ! ねぇねぇ、アリスお姉ちゃんも一緒に見ようよ!」

 

 途端に立ち上がり、袖を摘んで鼻息荒く引っ張りだすフラン。

 私と遊んでいた時よりも嬉しそうに見えるのは、嫉妬から来る勘違いだと思いたい。

 

 あぁフラン、私よりも魔理沙を取るのね……おのれ魔理沙! ゆ゛る゛さ゛ん゛

 

 まぁ、無表情でインドア派な私よりも、元気一杯でアウトドア派な魔理沙の方がフランとは相性も良さそうだし、仕方がない。

 とはいえ、この間魔理沙に我が家をスプラッタ現場にされた件の報復は、まだ済んでいない。フランを取られた腹いせも含めて、今日は私も、彼女への妨害とお仕置きに加わろうではないか。

 フランに半ば引き摺られるようにして、私は早速始まった美しい光源たちの下へ歩いていく。

 

 さぁ、魔理沙。己の罪を数えるが良い。

 

 私は内心ノリノリで、彼女への罰を何にしようかと考えていた。

 平和で暢々とした時間も好きだが、こういった下らない騒動も、幻想郷での楽しみの一つだ。

 愛しい愛しい箱庭は、今日も静かで賑やかだった。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 翌朝、私の家に届いた文屋の新聞、文々。新聞に、昨日の出来事が記載されていた。

 ウエディングドレスみたいな真っ白なフリルだらけの丈長ドレスを着た、長い金髪の美少女が箒に跨って泣きながら、幻想郷の空を高速で駆け抜けていたらしい。

 僅かにぶれた写真からは、それが一体誰なのか特定出来そうになかった。

 新しい異変の始まりだろうか。

 

 おぉ、こわいこわい。

 

 私は、新聞の内容に戦々恐々とした気持ちになりながら、リビングの机に置いた真新しい写真立てを見た。

 そこには、洋館の一室を背後に、文屋の新聞に書かれていたものと瓜二つの恰好で、顔を真っ赤にしながら後手を組んで恥ずかしがる、霧雨魔理沙のラブリー写真が収められている。

 同じ日に、同じ恰好の少女が別々の場所で目撃されるとは、世の中不思議な事も起こるものである。

 それから数日後、その写真が本人にばれて私の家に巨大な風穴が開く事になるのだが、それも想定の範囲内。

 

 甘い甘い、スイーツ(笑)だよ。

 世の中にはね、実はネガというものが存在するのだよ、魔理ちゃん。

 

 さて、これはまた今度、彼女に迷惑を掛けられた時にでも烏の文屋に売り付ける事にしよう。

 一体いくらの値が付くか、今からとても楽しみである。

 


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