東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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20・今日も、幻想郷に太陽は昇る(結)

 見送りもなく、一人地霊殿を去ろうとしていたアリスの前に、開いたスキマから扇子で口元を隠しつつ紫が静々と進み出て来た。

 彼女の背後には、その従者である藍が三歩下がった立ち位置で同伴している。

 

「はぁい」

「紫……起きたのね」

「えぇ、大体の事情は把握しているわ。異変解決、ご苦労様」

 

 どこで知ったのか、どうやって知ったのかは、聞くだけ無駄だろう。

 しかし、事情は知っていると言いながら、楽しそうに片手を振る紫の労いはどこか挑発的ですらあった。

 彼女はスキマを維持したまま、アリスをそちらへと促す。

 

「後の折衝は、私が責任を持って引継ぎますのでご安心を。お疲れでしょう? 地上まで送るわ」

「――結構よ」

 

 しかし、アリスは紫からの提案を拒否し、スキマの横をすり抜けて旧都の方角へと飛び立って行く。

 

「あらあら、つれないわねぇ――藍」

「はっ」

「送って差し上げて」

「御意」

 

 主の命令に否やを唱える訳もなく、藍は一礼をした後にアリスを追う形で空へと飛翔していった。

 地底の空は暗い。光球を出して傍に置くアリスへと追いついた藍が、その隣を併走する形で進む。

 

「――何も、言わないのだな」

 

 双方の無言がしばらく続き、最初に口火を切ったのは藍の方からだった。

 

「今回の顛末、地底を過剰に警戒し同時に侮った私の落ち度も一端ではある。責め句の一つや二つは、覚悟していたのだがな」

 

 霊夢と魔理沙。地底へ向かう者を人間だけに限定し、妖怪は地上でフォローだけに徹していれば、諸々の問題は発生しなかった可能性は高い。

 

「私は、私の意志で貴女の指示に従ったのよ。全ての責は私にあるし、そこから目を逸らすつもりはないわ」

 

 しかし、それは所詮たらればの話に過ぎず、終わってしまった過去に問うても意味のない感傷しか生みはしない。

 

「……そうか」

「真面目ね。少しは紫を見習いなさい」

「私の命題を、随分と簡単に言ってくれる」

 

 藍が苦笑した後、二人は再び無言になって空を飛んで行く。

 気まずい訳ではないのだが、双方が饒舌ではない性格なのに加え、やはりアリスの身に降り掛かった不幸が空気を重くしている。

 

「――藍」

「何だ?」

 

 今度はアリスから、藍へと声が掛けられた。

 

「悪いけれど、少し寄り道するわよ」

「構わないが――おい」

 

 旧都の上空で藍に断りを入れたアリスが、都の一角へと高度を落としていく。

 勇儀と諏訪子が、周囲の全てを破壊し争いを繰り広げた場所は見事な更地となっていた。生え腐った草花も、点在していた毒沼も、何もかもが埋め立てられて綺麗さっぱりなくなっている。

 そんな、大きな空洞となった広場のような場所で、大勢の妖怪たちが宴会を行っているのが見えた。

 アリスが目指しているのは正にその中心であり、その集団の中に一体誰が居るかなど考えるまでもない。

 

「阿呆」

 

 呆れと非難を込めながら、藍はアリスの後を追って自らも地面へと向かう。

 あの魔法使いが、何を思ってそこに向かおうとしているかもまた、付き合いの長い者にとっては考える必要がないほどに解り易い謎掛けだった。

 

 

 

 

 

 

「……っ」

「こらこら、おやめよキスメ。そんなに押し付けたって、くっつくのが早くなったりはしないよ」

 

 旧都の修復を途中で止め、今回の騒動を肴に酒盛りを開始した妖怪たちに囲まれているのは、元締めをやっている星熊勇儀だ。

 切断面を、白く太い糸で巻いて固定した右腕をだらりと下げ、左手で朱塗りの大杯を持った彼女が、一生懸命分断されていた部分を押すキスメに困った顔をしていた。

 人間に近い見た目をしていても、妖怪は妖怪。特に、鬼の中でも最高峰の力を持つ勇儀ともなれば、切断された部位を繋げてさえいればやがて問題なく完治する事が出来る。

 腕の一本や二本が吹き飛んだからといって、彼女にとっては別段大した事ではないのだ。

 

「そうだよ。折角綺麗に固定したってのに、逆にズレて変な風に繋がっちゃうかもしれないじゃないか」

 

 自分なりに、勇儀を治そうと必死なのだろうキスメを、鬼の腕に巻かれた糸の提供者であるヤマメが呆れた口調でたしなめながら、やんわりと引き剥がす。

 

「慕われてるわね……妬ましい」

 

 行き掛けで、アリスたちが出会わなかった旧都の玄関橋に潜む橋姫、水橋パルスィが、勇儀の隣に陣取り集団でありながら徳利とお猪口で一人酒に勤しみ毒吐いている。

 

「――妖怪の宴会好きは、地上も地底も変わらないのね」

 

 騒がしくも楽しく飲み食いをしていた妖怪たちの宴会場に、空から一人の魔法使いが降り立った。

 

「アンタ……っ」

 

 すぐにその後ろへと藍が着地するが、ヤマメを含め大抵の妖怪たちが視線を向けてるのは、吊るされた提灯の明りに反射するほどの輝きを放つ金髪をした、人形のような少女の方だけだ。

 比較的大人しい性格であるキスメですら、アリスを見るその視線には敵意と警戒が宿っている。

 

「コイツ、地上から攻めて来た奴らの一人だぞ」

「なにぃ? だったら、星熊の姉御を舐めたあの童子の一味かよ」

「殺すか?」

「食いではなさそうだが、後ろの狐共々食っちまおうぜ」

 

 周囲の妖怪たちも、敵対者の唐突な出現でにわかに殺気立っていく。

 

「そう、貴女が旧都を滅茶苦茶にしてくれたご一行様という訳……のこのこ現れるなんて、余程命が惜しくないのかしら」

 

 それらの台詞たちを代表するように、パルスィが立ち上がって勇儀の前へと移動する。

 地底においてほぼ最強である彼女を守る必要などないのかもしれないが、勇儀は現在腕を一本動かせないという明らかに弱体化した状態だ。

 万が一すらあるとは思えないものの、そんな勇儀に託して下がっていられるほど、地底の妖怪は穏やかではなかった。

 

「それ以上近づいたら、妬み殺すわよ」

 

 「嫉妬心を操る程度の能力」。妬みの権化である橋姫の全身から、緑光の妖気が滾々と溢れ出す。

 

「下賤な売女風情が、やれるものならばやってみるが良い。貴様の拙い呪いなど、所詮は児戯に等しいと教えてやる」

 

 全方位を敵に囲まれた状況にありながら、パルスィと同じくアリスの前へと進み出た藍もまた、金色の妖気を滾らせてそれに応じる。

 

「パルスィ、やめな」

 

 一触即発の雰囲気へと転じた中で、大杯の酒を飲み干した勇儀が背後からパルスィを止めた。

 

「聞ける訳ないでしょう」

「三度はないよ――パルスィ、やめな」

「……くっ」

 

 殺気を出した訳でも、妖気を発した訳でもない。勇儀は、ただ言葉の威圧感だけでパルスィは元よりその場の妖怪全ての勢いを、張り詰めた空気共々一緒くたに呑み込んだ。

 

「貴女もよ、藍。らしくもない」

「……すまん」

 

 藍もまた、アリスから諌められて放出していた妖気を抑えていく。

 

「最初にケンカを吹っ掛けたのが私なら、旧都をぶっ壊したのも私だし、横槍を食らってまんまと相手に逃げられた間抜けも私だ。その嬢ちゃんを睨むのは、お門違いだよ」

 

 片腕が動かないので、キスメを頼って大杯に再び酒を注いで貰いながら、勇儀はきっぱりと言い切った。

 

「随分派手にケンカしたようね」

「途中で振られちまったけどね。今度会ったら、絶対逃がさないよ」

 

 平らになった周りと、その動かない腕から戦闘の規模を推測するアリスに、鬼は快活な笑みを浮かべて大杯を傾ける。

 豪快でさっぱりとした性格の彼女にしてみれば、終わったケンカに恨みも怒りも感じてはいなかった。精々、次に会ったら二人と全力でケンカがしてみたい、などと思う程度だ。

 

「霊夢たちが先に帰ったはずだけれど、出会わなかったかしら」

「さてね。さっきからここで酒盛りしているけど、見てはいないよ。面倒を避けて、上を通っていったんじゃないかい?」

「そう」

 

 アリスは、そんな会話をしながらケンカ好きの四天王へと、無造作に近づいていく。

 

「――固定はしっかりされているわね。変なズレ方をしてもいない」

 

 しゃがみ込み、切断された勇儀の右肩に手を添えながら、その傷を観察していくアリス。

 

「おいおい、何をするつもりだい?」

「治すわ。少し痛むかもしれないけれど、貴女なら軽く耐えられる程度よ――「治癒(リカバリィ)」」

「ぐっ」

 

 答えと同時に唱えた魔法が発動し、鬼の治癒力が限界まで高められた結果、切り離された腕が一気に接合されていく。

 下手に高位の回復魔法を使うより、勇儀自身の治癒力を利用した方が今のアリスにとっては確実かつ手早い。

 

「おぉ、凄いもんだね。だけど――」

 

 高速で治癒されていく右腕を面白そうに眺めていた勇儀だったが、僅かに不快感を宿した表情をしながら、頭の角が刺さりそうな距離まで治療を続けるアリスへとその顔を近づける。

 

「ひょっとしてこれは、私とケンカがしたくないからって媚でも売ってるつもりかい?」

「ただの善意よ。少し黙っていなさい」

 

 普通の者であれば、それだけで腰を抜かすか気絶してしまうほどの濃密な気配を叩き付けられているにも関わらず、アリスは我侭な子供を叱るような口調でぴしゃりと言い放った。

 今、残された左腕を振るうだけで首が飛んで行くだろう位置にいながら、まるで恐れていないアリスの自然な態度を見て、脅しを掛けた勇儀はきょとんとした顔をしてしまう。

 

「……ごめんなさい。今のは、ただの八つ当たりだったわ」

「くくっ、良いさ」

 

 かと思えば、勇儀の態度を責めるでもなく自らの行いを謝罪してくる。

 強大な力を持った鬼を相手に、ここまで気安い相手も珍しい。

 不思議な雰囲気の少女に気を良くし、勇儀は再び杯を傾けた。

 アリスが感じている小さな怒りは、鬼や今居る周囲にではなく自分に対してのものだ。勇儀の直感は、彼女の声の色からそれを察する。

 

「地霊殿に行くと言っていたが、さとりに会って嫌な事でも言われたかい?」

「えぇ、見事に一番考えたくない箇所を突かれたわ」

「はははっ、あの娘は意地が悪いからねぇ」

 

 地霊殿の主、古明地さとり。

 能力も然る事ながら、嫌われ過ぎてねじくれ曲がってしまった性格は、友人とするには中々難しい困った娘だ。

 勇儀本人は嫌っても好いてもいないが、たまに聞く噂話でも良い類のものは余りない。

 

「解ってはいるつもりよ――私のこういった行為が、ただの真似事である事は」

 

 治療を続けながら、アリスは独白を開始した。何時も通り感情の乗らない、ただただ平坦な口調で。

 

「自分が普通でない事は自覚しているわ。でも、仕方がないじゃない。もしも、この記憶(おもい)の全てが偽りなのだとしても、私は憧れてしまったのだから」

 

 「やらない善より、やる偽善」、「汝、隣人を愛せ」、「誰かを助けるのに、理由はいらない」。どれだけ素晴らしい言葉を重ねようと、思いやりの感情さえ薄いアリスにとっては正しく薄っぺらなしろものでしかない。

 

「美しいと思ってしまった、尊いと感じてしまった。私自身が、そうありたいと願ってしまった――」

 

 誰かに笑われても、裏切られたとしても、それでも彼女は目指すと決めたのだ。

 

「決して届かない夢である事も、滑稽な一人芝居である事も全て承知しているわ」

 

 しかし、それらの事情が届かない幻想を追ってはいけない理由には、到底なりはしない。

 一歩でも、指一本であろうと、目指したという足跡は残り続けてくれる。

 

「私は、「私」になると決めたの。この想いだけは、誰にも否定させはしない」

 

 だから、彼女は目指す。

 太陽を背にするその立ち姿を。

 内より出ずるその輝きを。

 届かず、叶わなくとも、その歩みは続けられる。

 例え肉体が違おうと、精神が異なろうと、そうありたいと想いを続ける限り彼女は目標と定めたその暖かな存在を、確かにその胸へと宿せるのだから。

 

「……今度は愚痴ね。重ねがさね、ごめんなさい」

「ふふっ。アンタ、面白い奴だねぇ」

 

 勇儀の笑みは、興味と関心を示すものへと変わっていた。

 そのさまは、泥の中でもがくように卑しくもありながら、同時に厳かな静謐(せいひつ)さを秘めた美しさも感じ取れる。

 人形遣いの魔法使い、アリス・マーガトロイド。彼女は、本当に不思議な少女だ。

 勇儀は、見方によって幾らでも形を変える万華鏡でも見ているかのような、そんな気分にさせられていた。

 鬼の興味とは、即ち攫いたいという欲求に直結しているのだが、勇儀とて空気は読む。

 治癒の魔法を終えたアリスが、勇儀から離れた。

 

「こんな所ね。どうせ聞かないのでしょうけれど、あくまで応急処置だからしばらくは使わないで」

「あぁ、ありがとうよ」

 

 言っている傍から、動くようになった右手で近くにあった酒瓶を掴み、大杯へと注ぎ込む勇儀。

 

「……貴女たち」

「お、おぅ」

 

 事態について行けず、呆然としている妖怪たちの中で、声を掛けられたヤマメがどもりながら答えた。

 

「この鬼はこんなでしょうから、貴女たちが頑張って頂戴」

「あ、あぁ。解ったよ」

「お願いね。藍、行きましょうか――ん?」

 

 後を託し、再び飛び立とうとしたアリスの腰に、地面から僅かに桶を浮かせたキスメが抱き付く。

 

「どうしたの?」

「――ありがとう、お姉ちゃん」

 

 か細い、至近距離でなければ聞き取れないような小さな声で礼を言うキスメの姿に、ヤマメは大いに驚いた。

 人見知りが激しく、その成り立ち故に警戒心の強い彼女とまともに会話をするだけでも、ヤマメは数年を必要とした。

 アリスとキスメは、たった二度しか出会っていないはずだ。にも関わらず、あの魔法使いは無口で引っ込み思案な少女からあっさりと信頼を勝ち取ったのだ。

 

「どういたしまして。貴女も、勇儀をお願いね」

「――うん」

 

 頭を優しく撫でられ、くすぐったそうに目を細めるキスメ。

 

「待たせたわね」

「まったくだな。残した顛末を確認したいというだけで、お前の無茶に付き合わされるこちらの身にもなって欲しいものだ」

「勿論感謝しているわ。ありがとう、藍」

「その台詞が本心から出ている分、余計に性質が悪い」

 

 粗暴と野卑を好む地底にありながら、果てしなく似合わない和やかな雰囲気を醸した後、改めてアリスたちはその場を飛び去って行った。

 

「変な連中ね――妬ましい」

 

 二人が消え、妖怪たちの間からざわざわと騒がしさが戻り始めた中で、パルスィはアリスたちの消えた空を複雑な表情で睨んでいる。

 結局、あの魔法使いは何をしに来たのかまったくもって意味不明だ。

 突然現れ、勇儀の腕を治し、愚痴を言って、それで終わり。

 訳が解らない。

 隣に居た狐の妖獣の言葉が正しいのならば、そんな事の為に平気な顔で死地を訪れるあの魔法使いは、確かに普通ではないのだろう。

 

「巫女やもう一人の人間共々、また会いたいもんだねぇ――おっとキスメ、その酒瓶を返しておくれよ」

「……」

「右腕は使うなって? もう治ったから、大丈夫だって」

「良くやったキスメ。しばらく動かせないよう、右腕を糸で縛っちまおう。姐さん、動いちゃ駄目だよ」

「つまみが取りたいなら、私たちが取ってあげるわ。妬ましいから、大人しくしていなさい」

「やれやれ、あの魔法使いも面倒な事を頼んでいったもんだ」

 

 アリスからの頼まれ事に使命感にを燃やすキスメたちを見て、勇儀は困ったように頭を掻いた。

 

「「とんでもない腑抜けだから、ケンカする気も失せちまう」、か。同じ鬼だから嘘じゃないのは解ってたけど、まさか思ってる以上だったとはねぇ」

 

 思い出し笑いをしながら、杯を傾けて酒を楽しむ勇儀。

 

「こんな事なら、強引にでも勝負しておくべきだったかな? くくっ、どうにも勿体無い事をしちまったね」

 

 良きを楽しみ、悪きを楽しみ――生を、己の死さえ楽しむ鬼の乙女は、美しくも朗らかさとは程遠い粗暴な笑みを浮かべ、狂乱の宴を楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 再び光源を出して空を飛ぶアリスたちは、特に問題もなく橋を越え、大した会話もなく入って来た大穴の最下層へと到着した。

 

「アリス」

 

 それなりに広い縦穴の底で、見送り役である藍が静かにアリスの名を呼ぶ。

 

「もし、もしもだ。お前が望むのであれば、紫様の能力を頼りあの人形たちの魔石を元通りの形で再生させる事も――」

「それ以上は言わないで」

 

 提案の途中で、藍の台詞にアリスが自分の言葉を被せた。

 

「あの娘たちは、上海と蓬莱は死んだの。私を庇って、私の前で」

 

 アリスの表情にも声にも、大きな変化はない。しかし、殺気でも、怒気でもない、何か恐ろしい空気が彼女の身から滲んでいる。

 それは、最強の妖獣の背筋を凍らせるには十分な迫力だった。

 

「貴女が、貴女と紫が私からあの娘たちの「死」さえ取り上げると言うのなら、私は貴女を許してはいけなくなるわ」

「……妄言だった。忘れてくれ」

 

 僅かに脂汗を滲ませながら、藍は固い口調で謝罪を入れた。

 

「えぇ――それじゃあ、始めましょうか」

 

 宣言と同時に、出現した魔法陣を通ってアリスの周囲に人形たちが次々と姿を現す。

 アリス本人の意思がどうであろうが、彼女は既に地霊殿との火種となった。高が妖怪一体と考えるには、彼女の交友範囲は広過ぎる。

 「帰り道の途中、弱っていた彼女はどこかの妖怪に襲われて帰らぬ者となった」。陳腐で強引だが、目撃者の居ない今の状況なら真実は闇へと葬れるのだ。

 それでなくとも、アリスの記憶を奪い行動を制限する式を憑けでもしなければ、今後の不安を払拭する事は不可能だろう。

 それを、眉一つ動かさずに実行出来るからこそ、紫は幻想郷の管理者なのだ。

 彼女を信頼し、友人として理解するからこそ、アリスは地霊殿で紫の申し出を断った。

 その先に、破滅しか待っていないと解っていたから。

 

「貴女と本気で戦うのは、これで二度目ね」

 

 上海と蓬莱は居ない。魔力もそれほど残ってはいない。その上で、相手は万全な態勢でも敵わなかった八雲の従者。

 状況は最悪だ。

 しかし、己を生かしてくれた上海と蓬莱を思えば、ここで無残に散るか、操り人形と成り果てるという選択肢をアリスが選べるはずもなかった。

 

「……一体、何を言っているのか解らんな」

 

 二十を超える人形たちが展開されていく様子を、黙したまま動きもせずに眺めていた藍が、ようやく口を開いた。

 

「紫様が私に与えて下さった役目は、お前が地上に戻るのを見送る、これだけだ。それ以上も以下も、以外さえもない」

「それで良いの? それが、郷の管理者である彼女の意思だと受け取って良いのね?」

「くどい、自意識過剰も大概にしろ」

 

 アリスの確認に返した藍の言葉は、主への敬愛と己の自信と滲ませるものだ。

 

「貴様がどこで何をしようと、我が主と郷に害をなさない限り知った事ではない」

 

 それが例え、全てが手遅れになる事態の引き金であったとしても、八雲の知略はその上を行く、と。

 

「そう……ありがとう」

「知らんな。それと――すまん」

 

 最強の妖獣は、どこまでも真面目で不器用だ。

 人形たちを家に戻し、遥か上空へと昇って行くアリスを見送った藍は、主の能力を借りスキマを開いて地霊殿の前へと空間を繋げた。

 

「お前如きが考えて得る程度の心算など、全て杞憂だ。紫様の提案を拒んだ時点で、お前はもうあの方から認められていた」

 

 誰に届けるでもない独白が、虚空へと溶ける。

 

「アリス・マーガトロイド。お前にとって、私は良き友人なのだろうな。まったく――」

 

 己の未熟な策が招いた悲劇。

 同じ過ちを繰り返さない為に、更なる研鑽が、練磨が必要だった。

 未だ主の背は遠く、その道はとても険しい。

 

「余計な気遣いなどして、これではどちらが慰められたか解らんな」

 

 自嘲気味に呟きながら、八雲の従者はスキマの奥へと姿を消していく。

 忠義と冷厳を背負うその硬く強い背中は、何時もより少し小さく見えた。

 

 

 

 

 

 

「――一体なんなの、この集まりは?」

 

 昼、博麗神社の境内へと集まった面子に向け、巫女である霊夢が怪訝な顔で問う。

 人間、人外を含め、何人もの少女たちがその場に集い、膝を突き合わせて何かを談義しているのだ。

 

「人形遣いのお姉さんを、元気付ける方法の相談さ」

 

 議題の提案者であるお燐が、人型に変化して石畳に座り少しだけ困った表情で首を傾けた。

 

「うにゅ、温泉卵を沢山食べる!」

 

 その隣で、両手を上げて自信満々に自分の案を出すお空。今は制御棒を着けておらず、脚甲のような両足の金属と電子もなくなっている。

 

「それ、アンタがやって嬉しい事じゃないさ」

「うん、一杯食べたい!」

「真面目に考えておくれよ、お空」

「うつほはまじめだよ!」

「そうだったね。ごめんよ」

「ていうか、何当たり前みたいに地上に出て来てるのよあんたたち。条約は良いの?」

 

 寸劇の途中で、霊夢が当たり前の疑問を口にした。

 

「え? 巫女のお姉さんは聞いてないのかい? さとり様と地上の管理者が話し合って、その条約はかなり緩和されたんだよ。あたいとお空は、異変を起こした罰として間欠泉の維持と、怨霊が間欠泉に紛れて地上に出て来ないよう監視する仕事をするのさ」

「妖怪同士の話し合いなんて、知る訳ないでしょう」

「いや、知っとけよ。あれから十日だぜ? どんだけ興味ないんだよ」

「同じような内容の号外も、かなりの種類と数が配られたはずなんですけど……流石は博麗の巫女、常識に囚らわれていないですね。私も見習わないと」

 

 管理者にあるまじき適当さに、お燐の相談を受けていた魔理沙と早苗がそれぞれ別の意味で呻く。

 

「天狗の書いた新聞なんて、信じる訳ないでしょう」

「酷い! 折角霊夢さんと地底に行った時の様子を、ありのままの形で記事にしたというのに――天狗差別です!」

「じゃあ、あんたの新聞は信じてない。これで良いでしょ」

「悪化しているじゃないですか!」

「良いから。今は、アリスをどうにか出来ないかって話だろう?」

 

 霊夢と文のやりとりに、そのまま脱線しそうな話題を元へと戻すにとり。

 

「アリスがどうかしたの?」

「お家から出て来ないの。地底の異変が終わってからずっと――心配だよ」

 

 ピンクの日傘を差したフランが、霊夢の質問に答えながら顔をうつむかせた。

 地上に帰って来たアリスは、誰にも何も告げぬまま自宅にこもってしまっていた。

 異変の終了から既に幾日も経っているというのに、彼女が外に出たという話はどこからも聞こえては来ていない。

 

「人里や他の奴らの所にも顔を出してないし、訪ねても居留守を使われたぜ」

「ねぇ、巫女のお姉さんも友達なんだろう? 一緒に考えておくれよ。あたいのもう一つの罰も、人形遣いのお姉さんに直接伝えたいしさ」

 

 お燐の首に巻かれた黒いチョーカーが、その罰の証だ。

 藍の式によって編み込まれたその首輪は、アリスからの命令に拒否権を許さず、また彼女が呼べばそれがどこであろうとその元へ転送される式となって憑けられていた。

 罰の期間は、百五十年。少なくとも、霊夢たちが人間である頃には終わりそうにない重い罰である。

 

「そうねぇ」

 

 お燐から懇願され、霊夢は面倒そうに頭を掻く。

 

「――何だい何だい。お通夜みたいな辛気臭い空気が、神社の中まで漂って来てるよ」

 

 霧が集い、萃の鬼が瓢箪を片手に賽銭箱の上で胡坐をかいて座る。

 

「何だか知らないけど、腐ってる奴なんて放っときゃ良いのさ。その内ひょっこり顔を出す。でなきゃ、今頃自分の部屋で首でも吊ってるんじゃないかい?」

「おいこら、萃香っ」

 

 余りに無遠慮な言い草に、魔理沙が鼻白みつつ萃香を睨む。

 

「――そうね、らしくないわね」

「霊夢?」

 

 だが、霊夢は萃香の言葉に得心がいったと鷹揚に頷くと、お払い棒を出して前へと突き出した。

 

「アリスが落ち込んでるからって、こっちまで落ち込んであげる義理はないわ。異変は解決したし、幻想郷は平和。だったら、やる事は一つよね」

 

 霊夢が何を言おうとしているのか察した者から、その表情を次々に笑みへと変化させていく。

 

「あぁ、決まりだな」

「ですね」

「あややや、道理です」

「成程ねぇ、流石は盟友」

 

 解っていないのは、地底組の二人だけだ。

 

「え? えっと、どうするんだい?」

「うにゅ? なになに? 何だか楽しそう」

「えへへ、教えてあげる」

 

 変化した雰囲気に戸惑うお燐と、解らないながらも浮ついた空気を悟ったお空に、フランがにっこりと笑い掛けた。

 ここに来て、やる事など一つに決まっている。

 

「「「宴会だ!」」」

 

 見事な唱和をもって、異変解決を祝した乱痴気騒ぎが決定する。

 異変の禍根は残さない。

 飲んで、騒いで、楽しんで――

 洗い流す為に、吹っ切れる為に――だからこそ、皆が酒宴の中で力一杯笑い合う。

 それが出来るからこそ、そうして来れたからこそ、少女たちにとってこの土地は楽園なのだ。

 

「萃香はお酒ね。人里で、良さそうなのを片っ端から買って来なさい。守矢のつけで」

「応さ!」

「え、ちょっ。ご自分の財政が火の車だからって、こっちに押し付けないで下さいよ!?」

「今回の異変は、アンタらが原因でしょうが!」

 

 消えていった萃香を追えず、慌てて意見した早苗を霊夢が一喝で黙らせた。

 既に、お空に神を降ろした犯人が神奈子である事は判明している。身内が元凶である以上、早苗にはぐうの音も出せない。

 

「魔理沙とにとりは食材の調達。変なもん持って来るんじゃないわよ?」

「応! きのこと山菜は任せとけ!」

「にひひ。冬の川魚は絶品だからね、楽しみにしてなよ」

 

 こういう時の皆の結束力は、無駄に洗練されている。

 魔理沙は箒に跨って高速で飛翔し、にとりはなぜか光学(ステルス)迷彩を使用して神社から姿を消した。

 

「早苗と私は料理ね。とりあえず、今神社にある分はまとめて使い切るわよ」

「うぅ、はーい」

「霊夢、フランは!?」

「フランは、そこの猫と一緒にアリスを呼んで来て。居留守を使われたら、扉を破壊して引き摺ってでも連れて来なさい」

「うん、解った! 行こう、お燐ちゃん、こいしちゃん!」

「う、うん」

「うん! フランちゃんのお義姉さん、これできっと元気になるね!」

 

 気後れしているお燐の手を掴み、フランたちが空へと飛翔していく。知らない内に一人増えている気がするが、恐らくは気のせいだ。

 

「うにゅ! うつほも何かお手伝いする!」

「貴女は、境内の掃除をお願い。面倒だからって火で焼いたりせず、ちゃんと箒を使うのよ」

「うん!」

「文は……特にやる事もないでしょうから、その辺で膝でも抱えてなさい」

「先程から、私の扱いだけ酷くありませんかね!?」

 

 一人だけぞんざいな仕打ちを受け、文の抗議が虚しく響いた。

 

「カラスのお姉さん、うつほと一緒にお掃除しよ?」

「嫌ですよ。私は、膝を抱える作業で忙しいんですぅ」

「それと――紫」

「――あらぁ、何か用かしら?」

 

 拗ねてしまった烏天狗を放置し、居ない者を当然の如く呼ぶと、呼ばれた妖怪がスキマから湧いて当然の如く応えた。

 

紅魔館(こうもりのす)白玉楼(おばけやしき)永遠亭(うさぎごや)守矢神社(やくびょうがみのいえ)と――他の奴や、地底で出会った連中も全員ここに呼んで。異変の時は役に立たなかったんだから、今働きなさい」

「妖怪使いの荒い巫女ですわねぇ。でも良いの? 仲の悪い間柄の者たちも、一同に集う事になるわよ?」

「関係ないわね。私は博麗の巫女よ。ケンカなんて始めたら、両成敗でまとめてぶっ飛ばしてあげるわ」

「あらあら、勇ましい事。うふふ――」

 

 扇子で口元を隠し、出て来たスキマへと消えていく紫。

 

「覚悟しておくのね、アリス。落ち込んでる暇なんてあげないわよ」

 

 誰にともなく宣言し、己の分担である料理に取り掛かる為、霊夢は土間へと向かう。

 今までで、一番の規模となった恒例の大宴会。

 そんな騒ぎに呼ばれ、皆からの温かい気遣いを受けて涙腺を刺激されたアリスは、耐え切れずに幾筋もの涙をはらはらと流すはめとなった。

 彼女が、つい最近ようやく出来るようになったその光景を初めて見た幻想郷の住人たちが、揃って顎が外れるほど仰天するのは今から数時間後の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 地底での異変も終わり、自宅にこもって早十日。私は、ようやく二つの作業を完了させる事が出来た。

 魔理沙やフランが何度か訪ねて来ていたようだが、私は作業に集中する為にそれを無視した。折角訪れてくれたのに、申し訳ない事をしてしまったと思う。

 だが、これだけは誰かに会う前に完成させなかればならなかったのだ。

 

「……完成ね」

 

 つらつらと考え事をしつつ、砂糖とミルク入りの紅茶を口に含む。

 私の前にある作業台の上には、青と赤の似かよったワンピース姿をした肩幅よりも若干低い金髪の人形――上海と蓬莱が以前と変わらぬ姿で出来上がっていた。

 破壊された彼女たちのパーツは、まだ使えたものも含めて何一つ流用せず、中に込めた魔石(ジェム)もまっさらな完全に完璧な新品だ。

 彼女たちの情報(データ)だけでも、魔石(ジェム)に引き継がせようとは思わなかった。

 彼女たちは死に、だからこそこの娘たちは生まれたのだ。その意思は継がせても、それ以外の余計なものを背負わせるべきではない。

 糸を繋ぎ、二体の人形を宙へと浮かす。

 違和感はない。あの時感じていた、あの娘たちの違和感(メッセージ)はどこからもなくなっている。

 それで良い。もう、次は間違えない。

 作業台に残るのは、もう一つの完成品。

 二体の魔石(ジェム)を可能な限り掻き集め、砕いて溶かした後に再構築して作り上げた、六角形の水晶柱が二本。

 台座に固定し、頂点に彼女たちの頭に結わえていたリボンを巻いて出来上がり。

 寝台に置き、朝起きて夜眠る度に祈りを捧げる為に作った、あの娘たちの遺影だ。

 彼女たちは、私を生かした。ならば、私はもう死ぬ訳にはいかない。死を、求める訳にもいかない。

 終われない理由が、また一つ出来てしまった。

 

「上海、蓬莱――おいで」

 

 新しい上海と蓬莱を目の前に呼び、強く抱き締めてその感触を確かめる。

 

 ねぇ、貴女たちが目覚めたら教えてあげる。

 とても優しくて、頑張り屋で、私を精一杯支えてくれた、優秀なお姉さんたちが居た事を。

 だから、早く起きて、私にその事を教えさせてね。

 それまで、ずっと待ってるから。

 ずっとずっと、何時までも待っているから。

 上海。

 蓬莱。

 大好きだよ。

 そして、誕生日おめでとう。

 

 不変なものなどありはしない。

 朝が来て、明日が来る。

 地底の異変が終わり、日常が戻る。

 幻想郷は、また少しだけ変わるだろう。

 私もまた、あの娘たちの犠牲の上で前へと進んで行く。

 過去に進むべき道はなく、常に未来へと続いていくのだから。

 そして、私はそんなこの世界を、心の底から愛しているのだから。

 

 




良し、地霊殿編完結!

もう、しばらくシリアスは書きたくないでござる。
書きてぇ、ほのぼの書きてぇ――

次からは日常編ですね。
特に縛りは決めていないので、完全にランダムでメインキャラが決まると思います。

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