東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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解る人には解ると思いますが、ここのレミリアの能力は某酸素さん的なものになっています。
ポジションも多分そんな感じ。

後、吸血鬼姉妹とメイド長は無駄にグロが似合うと思います(小並感)



31・二人はめーパチェ、マックスハード!(下)

 紅と赤――短くも長い舞踏会も、やがて終わりの時が訪れる。

 

「「曇りの日、誰かと初めて会う時は服装のコーディネイトに注意。赤い服を着ていると、予想外のアクシデントが起こるかも」――」

 

 ジンクスでも語るかのようにレミリアが告げた瞬間、驚異的なまでの先読みで彼女を圧倒していたはずの赤い少女が、何の前触れもなく膝を突いた。

 

「……ぐぶっ」

 

 彼女の口元から、喉をこみ上げ尋常な量ではない血液が溢れ出す。流れ続けるおびただしい紅の水は、荒廃した大地を潤す事なくただ表面だけを滑り染める。

 対峙するレミリアは、それが然も当然と言うように無造作な歩みで近づいて行く。

 右目に突き刺さった十字架を無造作に抜き取り、くつくつと低く喉を鳴らしながら吸血鬼の少女は無様な敗者を嘲笑う。

 

「何度、私を素通りしたか覚えてる? 何度、霧になった私の身体を吸い込んだのか」

 

 吸血鬼の能力の一つに、変化というものがある。

 彼女らは己の全身、或いはその一部を切り離す形で別の存在へと姿を変える事が可能なのだ。

 吸血鬼の変化で最も代表的なものは、霧、コウモリ、狼だろう。

 赤い少女の吸い込み続けたレミリアの霧は、彼女の腹の中で新たな生命として再誕していた。

 飢えた獣に与えられたのは、見渡す限りのご馳走の山。

 

 バゥ、バゥバゥ――

 

 鼻や口から止まらぬ血を吐き出す少女の腹の奥で、くぐもった獣の吠え声が響く。

 

「あらあら、そんなに楽しそうに吠えて。随分と貴女が気に入ったみたいね」

 

 肉体を内部から貪り食われるという、およそ常識では考えられないおぞましい光景を自ら生み出しておきながら、レミリアは微笑さえ浮かべて少女の首を掴み上げた。

 この期に及んで何の感情も示さない無貌を晒す赤い少女に、彼女から放たれる苦し紛れの十字架を平然と食らいながら暴君の顔が不愉快そうに歪む。

 

「恐怖の表情も感情も生まれず、か。アリスと似たような戦い方をするから、てっきり同質の存在なのかと思っていたのだけれど――ただの木偶だとはな、つまらん」

 

 その瞬間、レミリアは少女への関心を完全に失っていた。

 壊した玩具に未練はなく、後は不要なゴミ屑として放り捨てるだけだ。

 

「興ざめだ――失せろ」

 

 紅符 『不夜城レッド』――

 

 彼女の足下から紅の瀑布が迸り、赤い少女の肉体を切り裂き、砕き、粉微塵にしてぶち撒ける。

 

「――もしも機会があるのなら、今度は本物と殺し合いたいものね」

 

 そんな未来は存在せず、それが永遠に叶わない願いであろうと、彼女とレミリアは確かに出会ったのだ。

 

「アリス――受け入れなさい、その業を。運命などという偶然の連続に過ぎないものに、意味や価値を求める事こそが愚かなのだと……」

 

 粒子となって散ってゆく破片を眺めながら、紅い十字架の中で片腕を空に掲げ続けるレミリアの声が、どこにも届く事なく虚空へと流れていった。

 

 

 

 

 

 

「――お嬢様の戯れも終わられたようですし、こちらも幕引きと参りましょうか」

 

 何度も刃を掠め、互いに少なくない傷を作っていく中で咲夜が唐突に呟いた。

 発動すれば、ほぼ無敵になれるという同質の能力を持つが故に咲夜は相手の行動の意図を読んでいた。

 能力を発動する瞬間こそが無防備となる。ならば、その一瞬は隙を塞ぐ為に攻撃を苛烈とするのが道理だ。

 故に――最低限の回避のみを行い、あえて受ける。

 

「づっ、うっ、ぎ――っ!」

 

 左のこめかみと左脛を刃が裂き、右肩に刺さる長剣を無視して咲夜の能力が発動する。次の瞬間に時が停止し、音を失い全てが制止した世界で咲夜だけが動き始めた。

 咲夜の読み通り、敵である赤いメイドは脚を止めて剣を構えた状態でその姿を実体として晒している。

 ここでナイフを幾ら投げても、相手には当たらない。時の流れを戻した直後に動かれ、半透明化して避けられてしまうからだ。

 故に、咲夜はその一瞬の間すら与えず急所を貫く必要があった。

 肩の剣を引き抜き捨てたメイド長が懐から取り出したのは、今まで使っていたものより更に大振りな一本のナイフ。

 ゆっくりと相手へと照準を定め、グリップに取り付けられた突起部分を押し込む。

 スペツナズ・ナイフ――それが、咲夜の持つ刃物の名称だ。刀身と柄の間にバネ仕掛けが搭載され、刀身を切り離すと同時に前方へと射出する暗器。

 ただそれだけでは、今まで投げていたナイフとなんら変わらない結果となっていただろう。

 だが、咲夜はここで更に己の能力を使用する。

 「時間を操る程度の能力」。時を停止させるだけが、彼女の能力ではない。

 飛び出そうとする刃に乗せられるのは、空間が軋むほどに重ねられた「時間の加速」。

 時間の歩みが元に戻った瞬間、咲夜のナイフは刀身を消失させていた。続いてその場に、ドンッという衝撃すら伴う強烈な破裂音が響く。

 金髪の少女は、音速を超え圧縮した空間を伴った刃によって眉間どころか顔面の半分を抉り取られ、何の反応も出来ぬままに絶命していた。

 力を失った全身が傾ぎ、赤いメイド服の少女が地面へと倒れ伏す。

 

「どうか、安らかな悪夢(ゆめ)の黄泉路を逝かれますよう――」

 

 敗者である少女へ向け、従者の鏡として己を律する少女が両手を前方に添え深々と腰を折った。

 粒子となって空へと溶け消える少女を見送る事なく、咲夜は瞬きする間に自身の応急処置を済ませると、踵を返してレミリアの元へと向かう。

 振り向きはしない。振り向く理由もない。

 その場限りで出会っただけの、行きずりの関係。

 どれだけの強敵であろうと、殺した相手へ抱く感慨など咲夜にとってはその程度でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「かあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 極大のオーラを乗せた美鈴の両腕が、虎の両顎を模した形で上下から挟み込まれ、幽香の右腕をあらぬ方向へと圧し曲げた。

 腕一本を奪われながら、幽香は一切の反応を示す事なく美鈴へと右足の横蹴りを繰り出す。

 

「ふんっ! はぁぁっ!」

 

 裏拳を使って幽香の脚撃を下方へ落とし、続く左の肘撃ちを相手の喉元へと抉り込む。

 徐々にではあるが、美鈴は幽香を圧倒しつつあった。肉体の強度を同等以上に引き上げたのであれば、格闘戦は積み重ねて来た武の練度で勝敗が分かれる。

 対して、相手からの拳を一撃受けただけでも絶命するであろうパチュリーは、近づこうとするもう一人の幽香を相手に物量に任せての飽和制圧を延々と行っていた。

 

「まったく、勘弁して欲しいわね」

 

 火&土符 『ラーヴァクロムレク』――

 

 火球と石球に混じる、二つを併せた溶岩の弾丸による三種の連弾。

 弾幕ごっこ用に調節を行っていない全力の魔法だと言うのに、幽香は回避もせずに食らった端から平然と立ち上がり迫って来る。

 相手が無表情のまま変化しない事もあり、パチュリーはまるで出来の悪い怪談にでも無理やり付き合わされているような、そんな下らない苦味を味わっていた。

 

「ん、ごほっ、ごほっ――こんな時に……っ」

 

 連続で魔法の詠唱を続けていたパチュリーが、顔を歪めながら口元を押さえて咳き込む。元々が喘息持ちであり、体力も長時間の戦闘に耐えられるほどを持ち合わせてはいないのだ。

 どれだけ攻撃しても、パチュリーの魔法だけでは幽香の分身体を倒す事は出来そうになかった。だが、だからといって彼女が負けるかといえばそれもまた否だ。

 

「おぉぉぉあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 そこに、美鈴の剛撃により飛んで来た本体の幽香が分身体の幽香を巻き込んで倒れ込む。

 二人の幽香はそのままの姿勢で同時に片腕を前に突き出し、パチュリーに向けて全てを飲み込む二つの波動を撃ち出した。

 

「美鈴、耐えて」

「おぉ!」

 

 絶対的な信頼を受け、パチュリーの前に布陣した美鈴が仁王立ちになって光の奔流を耐える。

 

「おぉォぉあぁぁアアぁぁぁァぁぁぁァァァッ!」

 

 肌を焦がし、肉を焼くその熱波に負けないほどの咆哮が、武人の口より出でて大気を揺らす。

 

「頼んだ手前言いたくはないけれど、見ていられないほどの暑苦しさね」

 

 命懸けの護衛に激励にもならない言葉を送りながら、動かない魔女は袖口から取り出した黒鉄球を親指で弾き、空間を跳躍させた。

 黒球の辿り着いた先は、二人の幽香が立つその中心。

 黒鉄球は魔道具であり、「吸血鬼異変」で使われる事のなかったかの道具を、暇潰しに研究を重ねて更なる強化を施したしろものだった。

 魔道具の効果は、二つの存在の持つ力を利用した反発。その反発力は、強化前にして両者を異次元の彼方へと弾き飛ばすほどだ。

 反発力の更に増した魔具が発動し、光の波動が突然の消失を遂げる。

 バチュッ、という水が弾けるような濁音が流れた後に残ったのは、何も存在しない空虚な空間だけだった。

 

「おしまいね、ご苦労様――何?」

「そんな物があるのなら、最初から使え」

「貴重な素材も使っているし、片手間だったから一つしか作っていないのだもの。使いどころを慎重に見極めるのは、当然でしょう?」

 

 掛けられていた魔法の効果が終了し、服も身体もボロボロの状態で半眼を向ける旧友へ、身綺麗なままの魔女はそしらぬ顔で肩をすくめる。

 

「……毎度の事だが、お前と一緒に戦う時は何時も締まらない終わり方になるな」

「ご愁傷様。最後まで戦いたかったのでしょうけれど、結果的に目的を達成出来るのだから過程がどうあれ勝者は私たちよ」

「そうだな、まったくその通りだ」

 

 手段を選ばず、手管を尽くし、貪欲に勝利を求める――パチュリーの理屈は、何も間違ってなどいない。

 それを理解するが故に、美鈴も強くは言い返さない。それでも、彼女は口では納得をしつつ不満気な表情を隠そうともしていなかった。

 この辺りの意見の食い違いは、例え千年先でも歩み寄る事はないだろう。

 

「先に行くわ」

「あぁ」

「それと――やっぱり貴女、猫を被っている方が大人しくて好みね」

「ほっとけ」

 

 疲労感も合わさり、盛大に溜息を吐く美鈴から視線を外したパチュリーは、彼女を放置したまま再び「世界」の中心へと移動を開始する。

 しばらく飛行を続け、今度は余計な邪魔が入る事もなく荒野にポツリと浮かぶ魔道書へと辿り着く。

 半透明の球体に守られる魔道書は、まるで胎動を行うようにどくん、どくん、と無音の振動を繰り返していた。

 或いは、それは取り込まれたアリスの魂が発する鼓動なのかもしれない。

 

「――」

 

 パチュリーは、口の中で小さく呪文を唱えながら右手を添え、撫でるような軽い仕草をするだけで障壁はあっさりと取り払った。

 落ちて来た魔道書を手に取り、発光を続けるソレを慈しむようにそっと撫でる。

 

「――帰って来なさい。貴女の居場所は、こんなちっぽけな寒々しい所ではないはずでしょう?」

 

 生み出されようとしていた「世界」が、静かに終焉へと向かう。

 それは、恐らくこの魔道書を生み出した著者も理解している事だ。

 自分しか居ない作られた「世界」になど、何一つ価値などないと。

 この「世界」は、何も成せぬままに終わるべきなのだと。

 空が、大気が、地面が――この「世界」を構成する全ての要素が、白雪にも似た光の粒となって現界より剥離していく。

 次第に大図書館としての姿を取り戻していく周囲の中で、パチュリーはアリスの魂が入った魔道書を片手に彼女の身体の待つ入り口へと足を進めて行く。

 

「起きたらお説教ね。覚悟しておきなさい、未熟者」

 

 友人の魂を取り戻したその声に、どこか楽しげな色が含まれている事を七曜の魔女は自覚していなかった。

 

 

 

 

 

 

 千一夜もかくやと話を続ける私へと、幼い「アリス」が口を開く。

 

「――アリス」

「何?」

「貴女は、アリスとして今まで生きて来て幸せだったかしら?」

 

 唐突な質問だ。

 軽い気持ちで答えても良いが、彼女の真剣な瞳を見るにそんなものを望んではいないだろう。

 

「難しい質問ね……」

 

 なので、口元に手を置いた私は色々と話した過去を思い出したりしつつ、自分の中で答えを探してみる。

 

「幻想郷での生活はずっと波乱万丈だったし、私は幸福や不幸を強く感じる事が出来ないから」

 

 過去を懐かしむほど長生きはしてないつもりだけど、本当に色々あったなぁ。

 ケンカして死に掛けたり、記憶をごっそりなくしたり、知らない内に最強クラスの方々から目を付けられてたり――最近じゃ、仲良くなろうとお見舞いに行った白狼天狗たちにガチ泣きされたり――

 ……あれ、おかしいな。目からしょっぱい汗が止まらないや――出ないけど。

 

 だがしかし、悪い記憶ばかりではないのだ。

 博麗神社の宴会も、紅魔館での読書会も、私の家を訪ねる来客たちとのお茶も、皆の仕事を時々手伝ったりした時も――私は確かに楽しんでいた。

 そう、楽しんでいたのだ。深くではなくとも、それを楽しいと感じられるほどには、私はこの生を謳歌している。

 

「それでも言わせて貰えるのなら――私は今、幸せよ」

「……そう」

 

 右手を胸に置き、私はほんの少しだけ誇らし気に「アリス」へと答えていた。

 

「――やっぱり貴女は、返したいって思っているのね?」

「当たり前よ」

 

 「何を」とは、聞くまでもない。私は、その為にここへ来たのだから。

 

「可能性の話でしかなかったけれど、貴女は確かにここに居た。だったら、この身体を返したいと思うのはそれほどおかしい事ではないでしょう」

 

 今までのやり取りで、彼女がそんな事を望んでいないのは理解出来ている。

 そもそもここに来ようと思ったのは、魔道書から伸びる腕を見た時点で「これでは死ねない」と確信を持ったからだ。

 なぜそんな全力で後ろ向きの考えが頭をよぎったのかは解らないが、直感を信じた結果私はこうして今も生きている。

 だからこれは、私がそうしたいというだけの単なる我侭だ。

 

「その代償として、貴女は肉体を失うのよ? 貴女は今が幸せだと言っておきながら、そんな理由の死を受け入れているというの?」

「その為の準備はして来たわ。私を庇ってくれた上海と蓬莱の為にも、ここで終わる気は更々ないの」

 

 完全自律型人形の作製。

 「吸血鬼異変」の後、私がこの研究を行っているのはその過程で生まれる副産物もまた、私の目的に必要な要素の一つだったからだ。

 魂魄の引き剥がしと別の物体への注入、定着。魔石(ジェム)という、魂の受け皿に足る物質の生成――そして、人間と遜色のない動作を行える人形の完成。

 理論も、術式も、人形も――十年以上の歳月を掛け、納得のいく水準のものを用意したつもりだ。

 本人ではない魂が入っている方がおかしいのだ。あの肉体も、あの家も、本物の「アリス」が与えた全てを返せと言うのなら、私は喜んで返却する準備を整えて来た。

 借りたら返す。身に覚えすらない強制ではあったが、白黒の泥棒さんのように死ぬまで借りていたいとは思わない。

 

 ご本人も登場した事だし、そろそろ私は「アリス」を辞めて「私」を始めるのも良いんじゃないかな。

 生き足掻きたい私のせいで随分待たせちゃったけど、ちゃんと来たから許してくれるよね?

 

「解っているの? 貴女の行動は、決して本心からじゃないのよ」

 

 「アリス」が私へ向ける視線は、とても厳しい。本気で私を咎めているのだ。

 

「「普通であればそうする」っていう、知識を当てはめただけの演技に過ぎないわ。必要であれば、貴女はわたしを含めた全てを切り捨てられたはずよ」

 

 「アリス」の言葉は正しい。なるほど、彼女は「外」を知らずとも私を知っているのだ。

 だが、知っているからといって私を理解している訳ではないらしい。

 

「知った事ではないわね」

 

 ここは、某番長風に言わせて貰おう。

 ――知ったことかぁっ!

 

 感情の薄さからそれが出来たとしても、やるかどうかはまったくの別問題だ。

 私は、私の定めた価値観を遵守すると決めている。ならば、これもまた私の意思である事に間違いはない。

 多分、この辺りが私が文から嫌われている理由なのだろう。私は、皆の事を好きだ好きだと常々言いふらしているが、その「皆」の中に「私」が居ないのだ。

 だから、こんなにも簡単に命を懸けられる。あんなにも簡単に、誰かを許せてしまう。

 もしも「アリス」が敵だったら、肉体の譲渡が上手くいかなかったら。そもそも、魔道書の封印を解除した瞬間私という存在が強制的に書き換えられたり、消滅したりしていたら――

 分の悪過ぎる賭けであると理解しておきながら、私は階段を一歩下るような気軽さで無明の崖へと飛び降りた。

 汝、己を愛するが如く隣人を愛せ。自分に愛を注げない者が他者を愛した所で、それは歪な偏愛にしかなりはしない。

 人間として、そうありたい――欠けた心でただそれだけを求め続けているのだから、私も立派な狂人だ。

 

「……頑固者」

「褒め言葉ね」

「ほんと、育て方間違えちゃったかなぁ……」

 

 頬杖を付き、不貞腐れた態度で溜息を吐く「アリス」。

 だが、次の瞬間彼女の顔は笑みへと変わっていた。

 

「貴女の意思は解ったわ。だけど残念、貴女の願いは永遠に叶わないかもしれないわね」

 

 言葉の意味が解らず問い返そうとしたその瞬間、周囲の空間が極小の光となって徐々に崩れ始める。

 

「これは……っ」

「魔道書の解呪に、助っ人を呼んだのは失敗だったようね。時間が来れば元通りになっていたのに、余計な手出しをされて強制終了だなんて」

 

 崩壊を続ける「世界」の終わりを眺めながら、「アリス」は少しだけ寂しそうに会談の終わりを告げる。

 

「楽しかったわ。ありがとう、アリス」

 

 小さな「アリス」は、最初に持っていて机の脇にずっと置いたままだった魔道書を両手で持ち上げ、私へと手渡してきた。

 

「餞別とお礼よ。人形劇も良いけど、魔法の勉強もしっかり励まなきゃダメよ? 特に、同じ魔法使いの魔理沙には絶対負けちゃダメなんだから」

 

 私の身体も、指先から徐々に消滅を始めている。右腕を失って受け取り損ねた魔道書は、私の邪魔にならないよう右横で浮かび上下を繰り返している。

 

「元気でね。さようなら」

「貴女は――」

 

 ここで、私はようやく違和感に気付く。

 最初から、前提が間違っていたのだ。

 今の私が魂だけの存在であるならば、彼女もまた同じでなければこの空間は成立しない。

 内的魔力が肉体に依存するのであれば、目の前に居る彼女が外に置いて来た肉体や魔道書と同じ魔力を発しているのは、明らかな矛盾だ。

 肉体が不要である亡霊や神霊、精神のみで存在する妖怪ならばあり得る話だが、彼女が「アリス」なのだとすればそれすらも当てはまらない。

 完全に同一の存在を生み出すなど、幻想の摂理すら超越している。

 なまじ便利な目に頼ったばかりに、見えた事実を都合よく解釈してしまった私は大きな勘違いをしていた。

 あの夢に、「アリス」の言葉に、ヒントは幾らでも転がっていたではないか。

 アリスであってアリスではなく――

 語っているのは、失われた過去ばかり――

 「アリス」を知り、己が手で一つの「世界」すらも生み出せるほどの絶対者――

 

「貴女は、もしかして――」

 

 その答えを口に出す前に、「アリス」は私の唇に人差し指を添えて黙らせる。

 

「答えは内緒よ。真実は、貴女が自分で決めなさい」

 

 彼女は何も答えない。問わせてもくれない。

 

 ずるいじゃないか。

 こっちは散々喋ったのに、何一つ教えてくれないなんて。

 卑怯者――貴女は、とんでもない卑怯者だ。

 

「でも、どうかこれだけは覚えていて。わたしは、貴女が幸福である事を心から願っているわ」

 

 机と椅子が粒子へと溶け消え、阻むもののなくなった少女が私へと抱き付く。

 その時私が感じたのは、記憶をくすぐる甘く淡い花のような何かの香り。

 早過ぎる逢瀬の終わりに、思考の整理が追いつかない。

 

 せめて、せめて一言、「彼女」に何かを伝えないと――

 文句でも、罵倒でも、悪態でも良い――せめて――

 

「「――」――っ!」

 

 空間の崩壊よりも早く、口を開こうとした私の目の前が光に押し潰された。

 私が辿り着いた答えは、間違っているのかもしれない。

 だが、それでも伝たかった。

 

 届いたかな、私の言葉――

 届いてて欲しいな――

 

 何もかもが解らぬままに、私は白亜の空間から弾き出され意識を失った。

 

 

 

 

 

 

「――バカな子ほど可愛いって言うけど、あれはきっと嘘ね。賢い子でも、あんなに可愛いんだもの」

 

 塗り固められた外殻が崩れ、内包されていた「真実」が顔を出す。

 

「これでようやく、わたしの役目もおしまい――これが最後だからって、少し意地悪し過ぎたかしら」

 

 アリスの放った最後の言葉は、しっかりと「彼女」に届いていた。

 

 ――「お母さん」、ありがとうっ!

 

「間違いなんかじゃないわ。貴女は確かに生まれ、そしてその世界に存在しているじゃないの」

 

 髪は、短髪の金から長髪の銀へ。赤色の法衣、三対六枚の歪な羽――

 

「忘れられた過去になんて、縛られる必要はないの。自由に生きて良いのよ。ただ、自由に――」

 

 現れたその姿もまた、光の粒子となって空へと崩れて消えていく。

 

「どうか、幸せになってね――アリスちゃん」

 

 届かないその言葉を語る誰かは、この「世界」を生み出し記した創造主の残骸は、その崩壊と共に全てを虚無へと溶かし消滅した。

 

 

 

 

 

 

 アリスが目を覚ましたのは、紅魔館の一室だった。

 窓は鉄の板で塞がれ、洋風の調度品が揃ったそれなりに広い室内。

 その中央に鎮座した大きなベッドの上に寝ていたアリスは、掛けられていたシーツを外しゆっくりとした動作で起き上がる。

 

「私は結局……誰なのかしらね」

「下らない疑問ね。まるで、人間のような非生産的な思考だわ」

 

 自嘲すら含んだその呟きに答えたのは、アリスの眠っていたベッドのすぐ隣で椅子に座り、アリスの持ち込んだ魔道書を読み解こうとページを捲るパチュリーだった。

 

「貴女がどこの誰であろうと、私にとって貴女はアリス・マーガトロイドよ。真実がどうであれ、その事実は揺るがない」

 

 しかし、ほぼ全てのページが白紙となってしまったただの本からは何も得る事が出来ず、パチュリーは更に言葉を続けながら本を閉じた。

 

「――この答えでは、満足出来ない?」

 

 アリスが右手を開いたそこには、小さな三つの宝石が光っている。

 アリスは、夢の世界から持ち帰ったその小さな魔石(ジェム)たちをしばし見つめた後、拳を作って握り締めつつ小さく首を振る。

 

「……えぇ、出来ないの。ごめんなさい」

「そう」

「あらあら、振られちゃいましたね」

 

 パチュリーの隣から、美鈴が何時も通り人好きのする笑顔で顔を出した。

 

「貴女まで、小悪魔みたいな物言いはやめてちょうだい」

「それは失礼――さて、アリスさん」

 

 パチュリーの苦言を軽く流し、美鈴は立ったままアリスを見下ろすと、右手を上げて一枚の封筒を取り出した。

 

「お目覚めになった所で恐縮ですが、貴女の服に入っていたこちらは私どもがお預かりさせて頂きますね」

 

 小さな封筒の中には、一枚の紙が折り畳まれた状態で封入されている。

 「私にもしもの事があった場合は、これを読んで欲しい」、という冒頭の書き出しから始まるアリスの最後の一手であり、自宅の地下に保管してある自身の代替用人形と魂魄移譲魔法の研究資料の保管場所を記した置き手紙だ。

 パチュリーならば、これを読むだけでアリスの意図を完璧に理解してくれていた事だろう。

 

「読んではいませんが――これ、遺書ですよね?」

「ニュアンスは少し違うけれど、大体そんな感じね――いたっ」

 

 平然と答えるアリスの頭へと、パチュリーの手に持つ分厚い本が軽い放物線を描いて投げ付けられた。

 アリスにぶつかった魔道書は、勢いを失いベッドの反対側へと落ちていく。

 

「バカは死ななきゃ治らないそうだけれど、魂を抜かれた程度ではまるで効果がないみたいね」

「今回ばかりは、私もパチュリー様に同意です。詳しい事情は存じ上げませんが、それでも無謀が過ぎますよ」

 

 二人の声や瞳に怒りがこもるのは、それだけアリスの事を大事に思うだからだ。

 恩もあれば借りもある彼女が、自分の命を懸けてまで事をなそうとしていた。

 彼女にも、パチュリーたちには語れない事情があるのだろう。だがそれでも、水臭いと思わずにはいられない。

 

「今度、パチュリー様たちにろくな説明もせずこんな事を仕出かしたら――これ、フラン様に見せちゃいますから」

「……それは、恐いわね」

 

 どこか虚ろな視線で、どこでもない虚空を眺めるアリス。聞こえてはいても、その言葉は決して彼女に届いてはいない。

 今の彼女を、一人にしてはいけない。

 例え美鈴でなくとも、未だ魂が抜け落ちているようなアリスを見れば、その精神が危うい位置にある事は容易に察せられた。

 

「アリスさん――私たちは、貴女の重荷になれていますか?」

 

 アリスの手を掴み、自分の存在が傍にある事を訴え掛ける美鈴。

 (えにし)とは繋がりだ。それは綿であり、糸であり、鉛であり――個という存在をこの大地へと引き止める大切な錨。

 孤独を受け入れ、個を尊ぶ妖怪ですらその鎖から逃れる事は出来ない。

 美鈴の手を握り返し、仮面でも付けているかのような無貌の表情でアリスがそちらへと顔を向ける。

 

「えぇ、重いわ、重過ぎる――時々、新しい思い出と過去の記憶の狭間で押し潰されそうになるの」

 

 アリスの口から発せられるのは、淡々としていながらそれでいて血を吐くような、悲痛な独白だった。

 次々と重ねられる出会いが、日常が、過去の全てを忘却の彼方へと塗り潰していく。

 何も理解出来ぬまま、彼女の記憶の中だけに存在する魂の故郷を幻想の底へと沈めていく――

 真綿が首を絞めるように、傷口から全身が徐々に腐り果てていくように。ズキズキと、ジクジクと、強迫観念にも似た浅い痛みが胸の奥から溢れて止まないのだ。

 

「いっそ、狂ってしまえば楽になるというのに――私には、それすら許されない」

 

 誰の記憶からも忘れられた時、その存在は完全な意味での死に至る。

 人知れず、誰にも看取られる事もなく――

 幻想(まほろば)の生とは、現実(うつつ)の死とは、きっとそういう事なのだ。

 アリスであってアリスではない――そんな「誰か」の聞こえない慟哭が、彼女の心を茨の棘で刺すかのように責め苛む。

 

「美鈴――私は、誰なの?」

 

 まともな答えなど、期待してはいないのだろう。

 それでも、小波でしか震えない全ての感情が乗せられたそれは、誰かに縋らねば折れてしまいそうなほどの叫びが濃縮されていた。

 

「貴女は、アリスさんです」

 

 美鈴の返答は、笑顔だった。

 アリスと目線を合わせる為にしゃがみ込み、嘘臭く見えるほどの――実際幾らかの演技も含めた穏やかな笑顔で、掴んでいた手にもう一つの手も重ねて包む。

 

「フラン様を救い、私たちに沢山の手助けをして下さった、そんなお優しい魔法使い――パチュリー様の仰られた通り、私にとっても貴女は間違いなくアリス・マーガトロイドさんなのです」

 

 しっかりと掴んだ両の手の平から、美鈴は自分の体温をアリスへと送り込む。

 手の平の温度は、心の温度だ。冷たい手は熱した心を冷まし、温かい手は冷えた心を温める。

 美鈴の温度が、アリスの凍り掛けた心を溶かしていく。

 

「……ごめんなさい」

 

 少女の瞳から、一筋の雫が零れていた。

 たったの一つ――だが、それは間違いなく確かな涙だ。

 

「謝らないで下さい。貴女は、きっと何も悪くないのですから」

「……ありがとう」

「……ねぇ、美鈴。私の時とは、随分と態度が違うのではないかしら」

 

 感動的な場面に横槍を入れたのは、不機嫌な表情でジト目を送る七曜の魔女だった。

 どうやら、似たような台詞だったにもかかわらず自分ではなく美鈴の言葉でアリスが持ち直した事が、それなりにご不満らしい。

 

「当たり前です。あれは、パチュリー様の自業自得でしょう」

「不公平よ。ほら、今すぐアリスの服を掴み上げて怒鳴り散らしなさい」

「必要もないのに、わざわざそんな事はしませんよ」

「美鈴がそんな事をする何て、珍しいわね。見てみたいわ」

「アリスさんまで……」

 

 調子を取り戻し始めたアリスからも要求され、孤立無援となる美鈴。

 

「あら、使用人の分際で客の要望を断るの? 貴女を雇っているレミィと、この館の品位が落ちるわよ」

「もぅ、そうやってすぐ根に持つんですから……」

 

 悪友と客人に挟まれ、美鈴は底意地の悪いパチュリーを心底嫌そうな顔で一瞥する。

 

「誰が子供よ。無能門番のくせに、年長者気取りのつもり?」

「言っていないでしょう、そんな事。そんなのだから、さっきの戦いで余裕ぶっておきながら息切れとかするんですよ」

「誰がよ。あのまま続けても、全然余裕だったわ。あの時は単に、時間と勝利条件を優先しただけ」

「はいはい。終わった後でなら、なんとでも言えますもんね」

「言うじゃない。私の補助なしでは、五分の勝負にも持ち込めなかったでしょうに」

「私を幾ら貶めても、貴女が限界だった事実は消えませんよ。アリスさんの前では先達で居たいからって、見栄を張るのはやめて下さい」

 

 まるで、事前に打ち合わせでもしていたかのように、お互いの言葉が延々と留まる事なく繰り返されていく。

 ここまで饒舌なパチュリーも、おどけた調子で他人をからかう美鈴も、珍しいどころの話ではないほどに貴重な光景だろう。

 

「二人とも、私の為に争うのは止めて」

「「……」」

 

 二人のケンカを止める為、アリスが口を挟んだ。

 勿論台詞は完全に棒読みであり、顔は何時も通りの無表情である。

 

「……はぁっ」

「あはははっ、貴女は本当に面白い方ですね」

 

 毒気を抜かれたパチュリーと美鈴が、それぞれ溜息と笑いという真逆の反応を取った。

 美鈴がひとしきり笑っていると、部屋の外からなにやら騒がしい音が近づいて来た。その後、音の原因は部屋の扉を盛大に吹き飛ばして入室を果たす。

 粉微塵になる扉の破片と爆音を連れて現れたのは、なぜか前屈みになったレミリアの髪の毛を掴んで引き摺る、その妹であるフランだった。

 その後ろには、三歩下がった立ち位置で咲夜と小悪魔が静々と付き従っている。

 

「アリスお姉ちゃん! お姉様のせいで倒れたって本当!?」

「いたたた、いたい、いたいわよ! ちょっとフラン、髪の毛千切れてる! いい加減、私の頭を引っ張るのは止めなさい!」

「あらあら」

「咲夜っ! 見ていないで助けなさいよ!」

「ですが、お嬢様がフラン様を欺いたのは事実ですし、制裁の一つや二つは大人しく受けるのが当主としての度量かと」

「じゃあ小悪魔!」

「え? 普通にイヤですよ。私、パチュリー様の部下ですし。それに、実は妹様とじゃれ合えて嬉しさ爆発してるシスコンお嬢様の邪魔とか、そんな無粋な真似出来る訳ないじゃないですか」

「あーもーっ! 貴女たち、後で覚えていなさいよぉ!」

「お姉様! 早くこっちに来て!」

「いたたたたたた! ――うー!」

 

 闇は闇としてあり、日常は日常として別。

 どちらも彼女たちの本質であり、その境目に境界は存在しない。

 悪魔の住む家、紅魔館。

 妖怪屋敷というよりも、これではただの託児所である。

 

「……騒がしい連中が来たわね」

「お説教はまた後日、ですね」

 

 ここまで雰囲気が緩んでしまっては、真面目な話など出来ようもない。不満げに指を組むパチュリーの横で、普段通りの笑顔に戻った美鈴がニコニコと笑っている。

 結局、手加減を忘れたフランの突撃により肋骨数本が折れるという重傷を負った事で、今回アリスが持ち込んだ一件はパチュリーたちからなし崩し的な許しを得る形となった。

 療養の為アリスの一泊が決定し、謝罪や看病と言いつつちゃっかり彼女と一緒のベッドで寝る約束を取り付けたフランは、その日一日ずっと上機嫌ではしゃいでいた。

 その後、なんだか良く解らない流れでレミリアも一緒のベッドで寝る事となるのだが、一つの寝台で固まり小さな寝息を立てる三者の中で誰が一番得をしたのかは、言わぬが華としておこう。

 

 

 

 

 

 

 あばばばばばばばばば――!

 違うんだ、違うんですよ!

 自分の過去は気にしないとかほざいておきながら、なんたる醜態っ!

 色々あってちょっとホームシック入ったからって、悲劇のヒロイン気取っちゃってんじゃないよ私ぃ!

 それもこれも、全部「彼女」のせいだよ!

 うぐぐぐぐぅ……

 

 紅魔館からの帰宅後、自宅のリビングで椅子に座り今回の出来事を思い出していた私の内心である。

 実際、普通であれば奇声を上げながら床を転げ回るほどの恥ずかしさだ。しないけど。

 今回の元凶であり主犯が住み着いていた、傍の机に置かれた魔道書からは完全に魔力が消失していた。

 「彼女」の存在も、もう感じる事は出来ない。散々もてあそばれた挙句、体良く逃げられてしまったらしい。

 全てが白紙となった魔道書の一番最初のページに残された、たった一つの文。それは、見開きを丸ごと使った『Happy Birthday To You!』の文字だった。

 もうこれだけで、彼女の目的は理解出来ようというものだ。

 壮大に、何も始まらない。最初に感じた親近感と安心感は、何も間違っていなかった。

 「彼女」の望みは、私にこの一言をただ伝えたかっただけなのだ。明後日の方向に向けて全力で頑張っていそうな辺り、本当に私にもその血が流れているのではないかとすら思えてしまう。

 

 大遅刻な上に時期も全然違うし、申し訳なさで胸が一杯だよ。

 ほんと、すまんこってす。

 

 私の過去も、出会った彼女が本当に「彼女」なのかも解らずじまいだが、出会えて良かったと思う。

 彼女からの贈り物――私への誕生日プレゼントとも言えるそれは、あの空間で受け取った魔道書が変化したのだろう三つの魔石(ジェム)だ。

 今の私では到底生成出来ないほどの高い純度を誇り、内包出来る魔力の総量も桁違いの超一級品。人形にしろ武装にしろ、何に使用したとしても驚くほどの高性能を実現してくれるに違いない。

 常駐戦力であり、肌身離さず持ち歩く上海と蓬莱の魔石(ジェム)記録(データ)ごと入れ替えるのは決定だとして、余った一つを何に使うかが悩み所である。

 

 切り札として、また何か造ってみようかな。今までの異変で、色々と手の内を晒してしまってるし――ありがたく使わせて頂きます。

 あー、親から仕送りを貰う子供の気持ちって、こんな感じなのかな……

 

 何となく、アンニュイな気持ちになりながら貰った魔石(ジェム)の一つを手の中で転がしてみる。

 

 さて――真実ではないけど、一つの回答は得られた訳だ……これからどうしようね。

 

 私の身体を作っただろう、母が居た。正確には、創造主と呼ぶべき方なのかもしれないが。

 彼女は私に、幸せになれと言った。何をなせとも言わず、ただ幸福であれと。

 何とも難しい要求だ。妥協と諦念だけで過去を捨てるには、私は余りに自分に対して無知である事を自覚してしまっている。

 私の知識と記憶は限りなく特異でありながら、この根源の一端さえ掴ませてはくれない。

 知識を求める事こそが魔道の正道。ならば、この命題を諦める理由はどこにもありはしないのだ。

 

 まぁ、差し当たっては今日もまた、朝の紅茶を頂くとしますか。

 

 記憶の事、知識の事、幻想郷の事――そして、私の事。

 世界は謎に満ち溢れ、だからこそ探求者はその深遠を探り続ける。時間という、忘却の悪魔と戦いながら。

 世界を進める秒針は、遅々として、遅々として――いずれ、このわずかな郷愁すらも飲み干していくのだ。

 幻想郷は、全てを受け入れる。

 それはきっと、どこまでも幸福でありながら、どこまでも残酷な話になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 特に理由のない宴会が開催された博麗神社に、大変珍しくパチュリーがやって来ていた。出不精で雑音を嫌う彼女が参加するなど、今まで数えるほどしか見た事がない。

 宴もたけなわとなったその場で彼女が披露したのは、映像と音声を記録する魔石(ジェム)を使った上映会。

 映し出されたのは、なんと何時もの態度から一変しワイルドな口調と仕草で振る舞う紅魔の門番、紅美鈴の映像だった。

 美鈴は昔、結構なやんちゃ少女だったそうで、今回の件の最中レミリアの命令によって当時の演技をさせられていたのだそうだ。

 

 すげぇ、普段が物腰柔らかな丁寧口調だから、ギャップが超かっちょ良い!

 でもパッちゃん。これ、完全に貴女の私怨が入ってるよね?

 

 どうやらこの七曜の魔女、騒動のどさくさに紛れて私のうぜぇ丸よろしく隠し撮りをしていたらしい。見ている方は新鮮で面白いものの、映された本人にとってはただの拷問である。

 「彼女」がお願いしたという足止め役と戦っている様子だが、上手く編集されていて相手が誰かは解らない。

 美鈴には悪いが、これは録画して正解だ。黒歴史上映会の中止を訴え、魔石(ジェム)を破壊しようとする美鈴を私以外の全員が取り押さえ、しばし彼女の勇姿を皆で堪能する。

 そして、それからしばらくは誰かから何かを頼まれた際に、髪を軽く乱して流し目で「――今回だけだぞ」という返事が仲間内で大流行した。

 

 酷い虐めを見た。やめたげてよぉ!

 なんて心の中で言いつつ、私も一度は使ってみたり。てへっ。

 

 門番が仕事を放棄し、精神の療養として一週間ほど館に引きこもったのは言うまでもない。

 この通称「イケめーりん」が、本人の意思を無視して宴会芸の鉄板ネタとして扱われるようになっていくのだが、それはこれより未来での話となるのだろう。

 




なんでや! 美鈴頑張ったやろ!(困惑)
いやだって、彼女って私の中では昼行灯の弄られ役なんですもん……
正直すまんかった。

うにゅにゅ、この話は早過ぎたかもしれませんね。
出せない部分が多くて、締め方も投げっぱなしジャーマンになってしまいました。

お次は、てるもこっぽいもこけねを書く予定。
そして永夜へ――いけたら良いなぁ(遠い目)

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