東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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んみゅ~、変に長くなってしまいましたね。



40・終わりある永遠(結ノ一)

 停止していた太陽が天をひた走り、ようやく止まった場所は次の夕と夜の境目に差し掛かった頃だろうか。

 偽りの月が昇った今夜の異変は主謀者全員の敗北と朧月の消滅もって終了を迎え、永遠亭の中にある板張りの広い一室では一部を除き敵味方を問わずこの騒動で傷を負った全員の手当てを行っていた。

 元々騒ぎが終われば全員を治療するつもりだったらしく、薬品や包帯などの医療道具は過剰なほど揃えられている。

 もしくは監禁や尋問、拷問などをする予定だった可能性も否定は出来ないが、現実としてそうならなかったので問題はないだろう。

 アリスの魔法は屋敷の玄関から見てやや右横を通る形で一直線に貫通しているのだが、どうやら消し飛んだのはそれらを保管する場所ではなかったようだ。

 治療を必要としない霊夢と紫――そして咲夜は治療を終えると同時にレミリアに連れられて帰宅している。幽々子の姿が見えないが、最後の言葉を聞く限りてゐの指示に従って彼女も白玉楼へと帰っているのではないだろうか。

 

「あの、鈴仙さん。その、む、胸がですね――」

「こぉら、包帯巻いてるんだからじっとしていなさい」

「はい……」

「――もーほらー、妖夢が変な事言うから私まで恥ずかしくなって来たじゃない」

「す、すみません」

 

 戸惑いを浮かべる妖夢を咎め、放置していた彼女の腹の傷に適切な処置を施した鈴仙は、体重を掛けて包帯をきつく巻こうとその身を密着させていた。

 目元にも包帯を巻く妖夢は気付いていないが、顔を斜めに走る包帯を巻いた兎兵は口調に似合わず終始笑顔を振り撒いている。

 どちらも女性である事に目をつぶり会話の内容だけを聞くならば、純情な少年に悪戯を仕掛ける年上のお姉さんに思えなくもない。

 

「……何あれ?」

 

 丸い台座をした簡素な四脚の椅子に座り、そんな光景に視線を送りながら死んだ魚のような目をしたてゐが隣に立つ永琳に問う。

 てゐの治療も終了している。仕込んでいたジャケットを脱ぎ去り、案の定折れていた肋骨を特殊な形状の木板で固定してその上から包帯を巻いていた。

 アリスの魔法によってほとんど繋がっていたのだが、完治はしてはいないので一応の処置だ。

 

「犬も食わないというやつよ。優曇華の花が咲くように、なんて名付けてみたけれど――咲いたのは百合の花だったわね」

「三十二点」

「辛口ね」

 

 自分は亡霊から死ぬ一歩手前まで追い詰められていたというのに、あんな胃もたれでもしそうなほどの甘過ぎる光景を見せ付けられているのだ。採点も、辛口になろうというものである。

 

「からかいのネタが一つ手に入ったって事で、今は納得しとくよ――んで、そっちは?」

 

 盛大に溜息を吐き出す兎の隣で現在永琳が診ているのは、まっとうなベッドに身体を移したアリスだ。

 毒を抜き、呼吸と脈拍が落ち着いた事で身体的には健康となったはずの彼女は、しかし未だ目覚める兆しを見せない。

 

「肉体の損傷よりも、脳への負荷と精神面での疲労が限界以上に蓄積されているわ。まるで、この短期間の間に何十日も不眠不休で働き続けたみたいな疲労度ね」

 

 永琳の知らない事ではあるが、アリスが自分の「切り札」と定めている幾つかの手段は強力無比な効果を発揮する反面、例外なく彼女自身の肉体や精神に強い負荷を掛けるものばかりだ。

 脳へと強烈な負担を掛け、魔力を枯渇させた彼女にはそれに見合うだけの十分な休息が必要だった。

 

「起きるのは、多分早くて明日の夜中頃じゃないかしら」

「ふぅん――だ、そうだよ」

「一々言わなくても聞いてるよ」

 

 永琳の治療により、更にその右目へとガーゼを追加された魔理沙がてゐの言葉を鬱陶しげに振り払う。

 

「起きないこの人形遣いさんは泊まりだけど、メイドを持って帰ったあの吸血鬼様みたいにお前さんとあっちの剣士も自分の足で帰れるでしょ? 敗者の侘びとして手厚く治療してやったんだ、それ以上を望むのは流石に面の皮が厚過ぎると思わないかい?」

「思う訳ないだろ。何様だ」

「ご覧の通りの敗者様だよ」

 

 ひっひっひっ、と老婆のような引きつった笑い声を出しながらてゐの口元が歪む。因幡てゐというこの兎は、正にああ言えばこう言う奴だった。

 

「この娘の護衛なら、私がちゃんとしておくよ。陰険な兎小屋の連中には、手当てと看病以外の手出しはさせないさ」

 

 霊夢に叩き落されて全身がボロボロだったはずなのに、服だけはそのままで傷を完治させている妹紅が大きく頷いて自分の胸を親指で叩く。彼女は特に治療らしい治療を受けていないにも関わらず、ものの数分で全身の傷が塞がっていた。

 この長い白髪の少女もまた、普通の人間とは一線を隔す存在らしい。

 

「言ってくれるじゃない。三つ巴で良いなんて自分で言っておきながら、真っ先に撃ち落とされたお間抜けさんなのに」

 

 妹紅と同じく傷の塞がった肌に破れてしまった着物を別の落ち着いた色合いのものへと着替え、一人窓から夕焼けに染まる千切れ雲の空を見ていた輝夜が不死鳥の少女を皮肉る。

 

「あれは、お前と霊夢が二人掛かりでしつこく弾幕を撃って来るからだろうがっ」

「あら、一時的な共闘も乱戦の醍醐味よ。一番弱いのが貴女だったから、博麗の巫女も貴女を最初に狙ったんでしょうし」

「ふん、安い挑発だね。そんなんで私が釣れると思ってるなら、バカにし過ぎだよ」

「釣れるわよ。だって貴女――子供じゃない」

「~っ」

 

 長年の付き合いで相手の沸点を把握しているのだろう輝夜からの挑発に、何時も通りの展開なのだろう妹紅がそれでも顔を真っ赤にして激怒を表す。

 

「――姫様、妹紅も。今日はこの辺りで」

「あん、残念」

 

 そのまま、窓から外に向けて吹き飛ばさんばかりの勢いをつけて妹紅が輝夜へと詰め寄ろうとした瞬間、その間にやんわりと両手を二人の方へと向けながら月の従者が割って入る。

 止められた輝夜は、こうなる事が解っていたのか意地の悪い笑みを浮かべながらまるで残念がっていない軽い口調で身を引き、扇を取り出して口元を隠す。

 

「――ちっ」

 

 傍に怪我人が居る事を思い出したのか、妹紅の方も激しく舌打ちをしながら戦意を散らし、アリスの近くに置かれた複数の丸椅子の一つへと腰掛けて腕を組む。

 

「……私も残るぜ」

「ダメよ、貴女は帰りなさい」

 

 やり取りに不安を感じたのか、永遠亭への滞在を決めた魔理沙の申し出を永琳があっさりと拒否した。

 

「なんでだよ、やましい事でもあるのか?」

「この娘はしばらく面会謝絶の上に絶対安静よ。傍に居ても、貴女に出来る事は何もないわ。だから、今日の所は大人しく帰りなさい」

「……」

「そんなに心配しなくても、姫様が望まれた以上はこの娘をどうこうするつもりはないわよ」

 

 永琳の基準は、全て主人である輝夜を中心に回っている。彼女が白だと言うのであれば、それは黒であろうと白になる。

 最悪の場合、黒を白へと塗り潰す事すらも視野に入れて。

 ただ、今はその時ではないというだけの話だ。永遠に死なない者にとっては、それで十分だった。

 

「以前から顔を出していた妹紅はともかく、見ず知らずの力を持った者たちが何人も来て怯えているイナバも居るの。あの子たちを落ち着かせる為にも、貴女の滞在を許可する訳にはいかないわ――納得して貰えるかしら?」

 

 永琳の向ける視線の先には、この部屋の出入り口である障子の隙間からこっそりと顔を覗かせる人型のイナバたちが居た。

 皆てゐに似て垂れた兎耳を頭に付けた低身で、中には指で障子に穴を開けてまで覗いている者も居る。恐怖心よりも興味が勝っているようにしか見えないが、この場に居ない他のイナバたちを知らない魔理沙には永琳の言葉を否定するだけの根拠を示す手立てがなかった。

 

「出来る訳ないだろ」

 

 真っ当な理由に聞こえるが、竹林の各所に設置された仕掛けを思い出す限りまるで信用が出来ない。

 魔理沙の顔には、ありありとその不信感が浮かんでいる。

 

「困ったわねぇ」

「良いじゃない、永琳。一日くらい泊めてあげても」

「姫様、またそのようなお戯れを……」

「健気な娘って好きよ。この娘なら、きっとイナバたちともすぐに仲良くなってくれるわ」

「……姫様がそう仰られるのであれば」

 

 魔理沙にとっては助け舟であり、永琳にとっては味方から背中を撃たれるような何時もの我侭に、従者はやれやれと肩をすくめただけであっさりと身を引く。

 

「ふふっ、お礼は要らないわよ。でも、人里で売ってるお饅頭とかは少し食べてみたいわ」

「恩着せがましいな、おい。礼なんて言わないし、買って来てやる気もないぜっ」

 

 輝夜のからかい癖は、性分のものであるらしい。扇を閉じてそのニヤついた顔を見せる月の姫に、魔理沙は心底嫌そうな表情で鼻白む。

 

「んー、可愛いわねぇ。強情で、意地っ張りで、その分だけとても脆そうで――妹紅とはまた違った感じが楽しめそうね」

「おい、その目をやめろ。なんだか知らないが、気に入らない」

「ふふふっ」

 

 魔理沙が輝夜から感じているものは、見定められた後下された冷評。「人間」という境目の向こう側に居る者へと、「向こう側」に立つ者が送る絶対なる乖離を込めた視線だ。

 

「――今日は良い日ね」

 

 魔理沙の言葉を聞き流し、輝夜は逢魔が時の黄昏に月の姿を探しながら、しかしその実何も見つけようとはしていない二つ瞳をここではないどこかへと彷徨わせる。

 彼女の中ではきっと、派手で、騒がしくて、煌びやかで――日常とするには少々刺激の強過ぎる、そんな光の群れが目に焼き付いて離れないのだ。

 

「この心とその魂に、刻み付ける事が出来たのならどんなに良いか――そう思えるほどに、素敵な日」

 

 穢れは全てを汚していく。心も、記憶も、その魂さえも――永遠に汚され続ける罪人に、未来永劫の救いなどどこにもありはしない。

 

「ちっ……」

 

 月姫から一方的に興味を外され、普通の魔法使いは露骨に舌打ちをしながら頭の三角帽子を指で摘んで下へと下げる。

 

「精々そうやって、あぐらを掻いて上から見下ろしてろよ」

 

 そこに、幾ばくかの虚勢がある事は否定しない。だが、それでも魔理沙はしっかりと笑って見せる。

 

「寝ている兎を追い越すのは、何時だって走り続ける亀の役目なんだぜ?」

 

 誰かの背があり、それが見えるのであれば追わない理由はない。どれだけ遠かろうと、どれだけ長かろうと、道は確かに続いているのだから。

 どれだけ惨めな失敗を重ねたとしても、少女の中に燻る熱は何一つ衰えはしない。

 太陽のように熱く、閃光のように眩く――そして流星のように速く鋭い。

 霧雨魔理沙という魔法使いの少女は、どうしようもないほどに人間だった。

 

 

 

 

 

 

「――ねぇ、良いかしら」

 

 神社へと帰って来た霊夢は、目に見えて不機嫌だった。

 仁王立ちで腕を組み、目の前で正座をする二人を射抜いてしまいそうなほどの双眸で睨みつけている。アリスほどではないが、本気の感情を示さない彼女にしては珍しいほどの怒りも見て取れる。

 

「私、異変を解決しに駆けずり回って凄く疲れてるの――出来る事なら、このまま真っ直ぐ布団に入って寝たいのよ。解る?」

「あ、あぁ」

 

 境内の中で正座させられている一人、上白沢慧音が実に申し訳なさそうに頷いている。

 

「それじゃあなんで――へとへとで帰って来れたと思ったら、私の仕事が追加されてるのよ!」

 

 屋根と一緒に受け皿となる岩まで破壊され、あちこちに水が跳ね飛んでいる手水舎(ちょうずや)。吹き飛ばされ、別の場所へと逆さ向きに刺さった灯篭。

 抉れた地面、巻き上がった石畳――その他、現在の神社は大惨事という言葉がとても良く似合う、素敵な模様替えを果たしていた。

 

「す、すまない。私が、萃香殿の挑発に乗りさえしなければ……」

「いやー、わたしが肉弾戦(頭突き)で一歩下がるなんて久々だったよっ。うん、楽しかった! ――うぎゃぁっ!」

 

 己の失態を悔やみ本心からの深い土下座をする慧音の隣で、同じく正座をしていながらまるで反省していない萃香へと霊夢は手加減無用の霊撃を叩き込む。

 異変が起こす余波は、こういった形で関係を持たなかった第三者たちにさえその熱を伝播していく。簡単に言えば、異変とは幻想郷の住人全てに「ケンカをする理由」を与えるのだ。

 この神社を含め、もしも戦場となったその近辺に住居を持つ者が居たならばこうしたとばっちりを受けている事は言うまでもない。

 刺激は別の刺激を生み出し、その先に新たな異変を連鎖させていく。

 異変(祭り)弾幕ごっこ(ケンカ)は、幻想郷の華である。

 

「ていうか、なんで貴女がここに居るのよ? 何か用事?」

 

 こう言ってはなんだが、この神社に参拝目的で訪れる者はほとんど居ない。神社に来る者たちの目的は、大体の場合が博麗の巫女である霊夢への用事か依頼かのどちらかだ。

 

「それなんだが……すまない、どうか気を悪くせずに聞いてくれ」

 

 慧音にしては珍しく、視線を逸らして言い辛そうにしながらポツポツと事情を説明し始める。

 

「異変が始まってすぐ、私は人里の歴史を隠して里の入り口を警戒していたんだ」

 

 「歴史を食べる程度の能力」。歴史とは過去から現在へと続く足跡であり、未来へと続く道しるべの一つだ。ハクタクの獣人である慧音に食われた歴史は、その道標を乱され認識を疎外されてしまう。

 彼女はそれを利用し、一時的に「人里の歴史」食う事で「今ここにある人里」を誰の目にも止まらぬようその腹の中へと隠していたのだ。

 

「だが、しばらく経っても一向に解決される兆しもなく、もしや巫女が動いていないのではと邪推してしまってな……」

「で、訪ねてみたら私はしっかり解決に出掛けてて不在。ついでに暇してるこの小鬼(バカ)からケンカを吹っ掛けられて、挙句ご丁寧に買ってしまったと」

「面目次第もない……」

 

 穴があったら入りたいとは、彼女の事を言うのだろう。肩を狭め、顔を赤らめて謝罪するさまはそのまま小さくなって消えてしまいそうなほどだ。

 

「萃香」

 

 霊夢からの本気の霊撃を真正面から食らったというのに、多少身体を汚しただけでまるで堪えた様子もない大妖へと、巫女の鋭い視線が刺さる。

 

「べっつにー。わたしはただ、普通に質問しただけだよ。「これから帰って、その火照った身体を一人寂しく慰めるのかい?」ってさ――みぎゃっ!」

「~っ」

 

 先程とは別の意味で顔を赤くする純情な教師に代わり、正義の巫女が破廉恥妖怪へと霊力を込めた渾身の拳骨を振り下ろす。

 月の魔力は獣人を侵し、例外なくその本能を目覚めさせる。満月に変身する慧音にとって、僅かに欠けた月の昇り続けた今回の異変は様々な意味で相当に辛かった事だろう。

 隠し通そうとしていた胸の内を抉られて、限界だった半獣の感情が激怒となって爆発した。つまりはそういう事だ。

 

「はぁ……とりあえず片付けは明日からにするから、あんたはもう帰りなさい」

「本当にすまなかった。瓦礫の撤去と神社の修繕は、私も必ず手伝わせて貰う」

「当たり前でしょ。寺子屋の授業が終わったら、ここが綺麗に直るまで毎日来なさい」

 

 自分の定めた仕事は仕事としてきちんとこなし、生活に支障が出ない範囲で謝罪に来い。

 

「ぷっ」

 

 霊夢の言葉の裏に隠れた意図を読み、慧音は正座したまま思わず軽く噴出してしまう。

 

「ふふ、お前の優しさは不器用だな」

「勝手に言ってなさい」

 

 溜息を吐いて振り返り、片手を適当に振りながら神社の中へと去って行く。

 

「んー。誰かが起こした異変ってのも、まぁまぁ楽しめたかね。んぐっ、んぐっ――」

 

 霊夢が居なくなると、殴られた頭を擦っていた萃香が立ち上がり瓢箪の酒を飲み下しつつそのまま霧となって消え失せた。

 自分勝手な気紛れのまま、何者にも束縛されない自由と傲慢の種族。どこに失せたかなど、知る者はどこにも居ないだろう。

 一人残された慧音も正座を解いて立ち上がり、人里へと帰る為に神社の参道へと振り返る。

 

「――絶景だな」

 

 そこにあったのは、楽園だった。

 沈み掛けた太陽が空の全てを茜色に染め、その下には幻想郷というこの世界を示す広大な大地が広がっている。

 人里も、魔法の森も、霧の湖も――自然と溜息が漏れてしまいそうなほどに美しいその景色に、慧音は自分の心に逆らう事なくしばし佇み見惚れ続ける。

 

「――今度、妹紅にもここを教えてやるか」

 

 美しいものを見れば、不思議と優しい気分になれる。目を細め、この世で一番尊い一瞬を目に焼き付けながら、少女は頭に浮かんだ大切な人を想い自然と頬を緩ませた。

 慧音が自分の言葉を実行するのは、これより数日後である大宴会の当日だ。

 世界は多様な面を持ち、この静かで美しい景色をぶち壊す終わらないバカ騒ぎが起こるのもまた同じ場所である。

 折角二人きりで楽しもうと思っていた計画を酔っ払いたちのせいで見事に邪魔をされ、彼女が自棄酒を呷って愚痴を吠え散らす日はそう遠くはなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――知らない天井だ。

 良し、ノルマ達成。

 

 なんのノルマかは解らないが、とりあえず私の記憶にない場所で目覚めた為そんな事を思ってみる。

 

「ん――」

 

 どうやら長い時間寝ていたのか、ギシギシと軋む全身に力をいれて身体を起こし周囲を見渡せば、やはりそこは私の知らない場所だった。

 広い板張りの和室に、私の寝ているベッドと幾つかの丸椅子だけが置かれた簡素な室内。

 明りは、天井へと等間隔に取り付けられた行灯から。窓にカーテンが掛かっている為外は見えないが、光のなさや静けさなどから感じる限りどうも日の沈んだ時刻らしい。

 

 んー? マジでどこやねん。

 物がない以上にえらく清潔っぽいし、まるで病室みたい。

 病室?

 え、もしかしてここ、永遠亭?

 ――ヤバス。

 

 さて、私の永夜異変における所業を思い出してみよう。

 「神滅斬(ラグナ・ブレード)」によって彼女たちの隠れ住む場所である竹林を蹂躙し、ついでに永遠亭も真っ二つにして外から侵入し放題に。

 輝夜の問いを質問で返した挙句、言いたい放題言ってそのまま気絶。しかも、永琳の仕込んだ術式に結構な傷を付け嫌がらせにもほどがある行為を働いた。

 

 ――うん、これはヤゴコロ先生激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム待ったなしだね。

 今すぐ逃げねば。

 

「お、起きたのかい」

 

 せめて、怒りが静まるまで時間を置かなければと早々にこの場からの脱出を決めた私の居る部屋に、障子を開けて白髪の長髪をした少女が入って来る。

 

 も、もこたん……だと……

 

「随分と無理をしたみたいだね。あの薬師が呆れるほどだから、相当だよ」

 

 そう言って苦笑いをしながら、妹紅は近づく過程であった丸椅子を拾い私のベッドの近くに置いて腰掛けた。

 

 アリスは逃げ出したい――しかし、逃げ道を塞がれてしまった!

 

 私の体調は、まだ万全ではない。どうやら毒は抜けているようだが、魔力を消費し過ぎたせいで今度は強い疲労感と虚脱感が私を襲っている。

 無視して逃げ出そうにも、捕まってベッドに連れ戻されるのがオチだ。

 異変の最中はアドレナリンが全開だったのでなんとか誤魔化せていたのだが、明日から数日はきっと筋肉痛になってひーひー言っている事だろう。

 まぁそれも、私に明日があればの話になるが。

 

「初めまして――で、良いかしら。アリス・マーガトロイドよ」

「あぁ、どたばたしてて挨拶なんて出来なかったからね。私の名前は藤原妹紅――まぁ、なんでも好きに呼んでよ」

「それじゃあもこたんで」

 

 無論、脊髄反射ばりの即答だった。

 普段は自重しているのだが、どうも先程まで死に掛けていたせいで微妙に自制心がほころんでいるらしい。

 

「それはやめて」

 

 え? 今、なんでもって言ったよね?

 

「なんでも良いって言ったじゃない」

「限度があるよね!? ていうか、そんな性格なの!?」

 

 無表情の私からこんな小粋なギャグが飛び出すとは思っていなかったのか、座った椅子から立ち上がるほどの慌てようだ。可愛い。

 

「冗談よ」

「――あら、残念。可愛いから、本当にそう呼べば良いのに」

 

 そうだねぇ。けど、やっぱり私のキャラ付け的にそんなフランクな呼び方はちょっと違うかなって思っちゃうんだよね。

 だから、残念だけど――って、んん?

 

 二回目の障子が開いた音も、誰かが近づく気配もなかった。

 だというのに、何時の間にか妹紅の隣には当たり前のように美しい黒の長髪をした輝夜姫が座り、極自然に会話へと交ざってきていた。

 

 なん……だと……

 

 永遠と須臾。時間に関係する能力者だとは知っているが、彼女は咲夜よりも更に神出鬼没だ。

 呼吸と呼吸の間。そんな、誰もが見逃す刹那にも届かない間隙に滑り込んで来る。

 これからは、姫様の事を女版INAZUMAさんと呼ばせて貰おう。

 

「この娘が呼ばないのなら、私が呼んでも良いかしら――も・こ・たん」

「……表に出ろ、一瞬で灰も残さず焼き尽くしてやる」

「護衛を買って出ていながら、対象から離れたいだなんてやる気がないのかしら」

「お前を殺して戻るのに、時間なんて掛けないさ」

「ケンカしないの」

 

 ほぼ初対面にも関わらず、輝夜の挑発から始まり仲良くケンカを始めそうな二人に私は言葉を挟んで仲裁を試みていた。

 

 ケンカ、ダメ、ゼッタイ。

 

「騒ぐなら、出て行ってもらいますよ」

 

 そして、結局起きてから何も出来ないままラスボスの登場です。

 ――オワタ。

 

 二人の仲裁に気を取られていると、今度は静かながらしっかりと音を立てて障子を開け、蓬莱の薬師が呆れ声を出しながら姿を現す。

 

「とりあえず、私は彼女と話がありますのでお二人は退室をお願い致します。決闘を始めるのであれば、屋敷を出てからにして下さいね」

「いや、私は残るよ。はいそうですかと出て行ったんじゃ、護衛役を買って出た意味がないし」

「それじゃあ私も残るわ。妹紅だけ残るなんて、ズルいじゃない」

「……ふぅっ」

 

 その、なんて言うか……ご苦労様です。

 

 この二人の相手を何年――ひょっとすると百年単位でして来ただろう従者に、私は心の底から同情の視線を送る。

 

「姫様」

「はぁい。行くわよ、妹紅」

「いや、だから――」

「大丈夫よ。この場で永琳が彼女に何かをしたら――私が永琳を裁いて捨てるわ、永遠にね」

「……っ」

 

 輝夜の宣言は、気紛れの混じった本気だった。口に出した以上、彼女はその約束を違えないのだと出会ったばかりの私でも理解出来る。

 それだけの信頼があり、そして、蓬莱山輝夜という存在にとって八意永琳とはそれだけの関係でしかないのだ。恐ろしく強固で希薄な、二律背反の性質を持つ絆。

 妹紅も輝夜の言葉が嘘ではない事を理解したのか、渋々と腰を上げて退室していく。

 

「呼んでくれれば、すぐに行くから」

「心配性ねぇ、向こうで甘い物でも食べて落ち着きなさいな。もこたん」

「その呼び名、次に言ったらぶっとばすからな」

「可愛いのに」

 

 ま、待ってくんろっ。行かねぇでけれっ。

 

 無言の訴えが届く訳もなく結局仲の良い二人が部屋から居なくなってしまい、私は生肉をぶら下げてライオンの居る檻に放り込まれた一般人の心境である。

 

「それじゃあまずは――双方の抱えた賠償の話から始めましょうか、アリス・マーガトロイド」

 

 しかも、輝夜の残した椅子へと腰掛けた永琳の話題は、自己紹介すら飛ばしていきなり一番重たい事柄からだった。

 

 斬首? ねぇ、やっぱり斬首かな?

 それとも縛り首?

 

 この件に関しては完全に私がギルティなので、戦々恐々としながら相手側の下す判決を待つしかない。

 

「そちらに希望があれば、ある程度の条件は飲むわよ?」

 

 ――え?

 

「――え?」

「え?」

 

 まるで、永琳の方から謝罪を申し出ているような物言いに二人の間で疑問符が飛び交う。

 

「私、屋敷や竹林にあんな事をしてしまったから、謝罪や賠償を要求されるのだとばかり思っていたわ」

 

 もしくは、普通にぶっ殺されるか。

 いやまぁ、別に死にたい訳じゃないから正直助かるんだけども。

 

「まぁ、確かにこちらにも幾らか被害は出たけれど、それはそちらも同じでしょう。貴女、もしかして自分が死に掛けるまで追い詰められた事を勘定に入れていないの?」

 

 あーあー、そう言われればそうだねー。

 竹林と永遠亭を吹っ飛ばした事が印象に強過ぎて、そっちは全然記憶からすっぽ抜けてたよ。

 あの結界とかも、下手をすれば咲夜や妖夢と三人揃って一緒に死んでたんだった。

 

「その様子だと、本当に考えていなかったみたいね」

 

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に、永琳は大層驚いた様子でこちらを見ている。

 

「――狂っているわね」

「この幻想郷に、普通の人外なんてどこにも居ないわよ」

 

 曲全――とは少し違う気もするが、どこかで歪み狂っているからこその妖怪だ。まっすぐなままでは人を脅かす刃にはなれても、人間たちの根幹から恐怖を呼び起こす鎌にはなれない。

 私は人間に憧れる人外であり、人間から恐れられるべき存在だ。「振り」に命を懸けるくらいで、丁度良いのだ。

 

「まぁ良いわ。それで、どうするの?」

 

 えぇっと、こっちからの条件かぁ。

 いきなり言われても、何を要求して良いのやらだね。

 ふむ――

 

「私たちからの要求は、貴女の破壊した竹林の修復ね。屋敷の建て直しは、外の者を使わず身内だけでやっておきたいし」

「私を治療したのは、貴女?」

「えぇ、随分と身体に無理をさせて来ているわね。今日みたいな事を繰り返していたら、その内死ぬまで後遺症を背負う事になるわよ」

 

 真剣というよりも、ただ確認した事を淡々と語っている感じが逆に永琳の言葉に真実味を与えていた。

 解っていて習得した切り札ではあるが、医学者からの正確な診断を聞くと更に重たい現実としてのしかかって来る気分だ。

 

 使いたくて使ってる訳じゃない――なんてのはただの言い訳だね。

 作ったり身に付けたりした以上は、どこかで使う事を前提としている訳だし。

 

「優秀なのね」

「一応、今まで生きて来た中で私が知っている以上の技術には出会ったためしがないわね」

 

 自信や自慢ではなく、これはただの事実だ。

 外の現代世界と比べても、追随を許さないほど高いだろう彼女の知識に勝る技術など、宇宙の果てまで探してもあるとは思えない。

 だからこそ、私の要求は決まった。

 

「――人里の人間を相手に、医療施設を始めて貰えないかしら」

 

 原作では、永夜抄以降始まる永遠亭印の外来薬局。本当に始まるかどうか解らないので、私のお願いという形で確実に始めて貰う事にする。

 

「私に施した処置から見て、貴女の医療技術は人里の水準よりも遥かに高いの。貴女の持つ知識や技術をほんの少しでも人里で活かす事が出来れば、人間の病気や怪我での死亡率を下げられる」

 

 人里にも薬師や医師――それに付随する職業に就く者たちは居る。だが、その人間たちと永琳を比べればどちらに軍配が上がるかなどは考えるまでもない。

 永琳が居るだけで、病に罹った全ての人間を助けられるなどとは私も思ってはいない。だがそれでも、確実に拾い上げられる命は増してくれるはずだ。

 

「この屋敷に人を入れたくないのであれば、傷薬や医薬の販売だけでも構わないわ」

「それをして、貴女にどんなメリットがあるの?」

「言ったでしょう? 人里で、死人が減る――私にとっては、それだけで十分なメリットになるの」

 

 だって――

 

「私はきっと、助けられなかったから……」

 

 これは、ただの感傷なのだろう。

 誰かを助けられなかったから他の誰かを助けたいだなんて、失礼にもほどがある考え方だ。

 きっと、あの世から見下ろしながらその人も苦笑している事だろう。

 お前は一体、何時まで引き摺っていれば気が済むんだ――なんて言いながら。

 

「良いでしょう、貴女の提案を受け入れます。それで、今回の件は水に流すと言うのね?」

「えぇ、お願い」

 

 元々、味方にも敵にも迷惑ばかりを掛けてしまったこの異変で、何かを欲したり主張をしたりするつもりは更々ない。

 

 いやほんと、思い出すだけ余計な事しかしてないよね、私。

 魔理沙の足引っ張って、咲夜と妖夢には迷惑掛けて、永琳の術の破壊も他の誰かに丸投げしてさぁ――

 完全に要らない子なのに、出しゃばるだけ出しゃばって……しかも全然役に立ってないし。

 私もう、異変に関わらない方が良いんじゃないかな。

 

 少なくとも、これからは自分から異変に首を突っ込むような真似は控えるべきだろう。

 私のような大根役者が舞台に出て来ては、折角整えられた演目の価値を下げてしまう。

 とはいえ、「東方緋想天」や「東方地霊殿」などの異変がもしも始まった場合、その登場人物である私も強制参加させられる可能性がある。

 解決するのは霊夢や魔理沙などの主人公勢に任せるとしても、せめて手助けとして援護や補助の出来る魔法を新しく習得しておいた方が良いかもしれない。

 

 それと、今回みたいに離れ離れになった時でも効果のある魔法が良いよね。

 うーん、援護魔法かぁ――何があるだろ?

 

「ん……」

 

 未来への算段を始めようとしていた私だが、突然眩暈にも似た感覚を受けて思考が中断されてしまう。

 

「そろそろ限界みたいね。体力もまだ十分回復していないようだし、もう一度寝ておきなさい」

 

 続いて訪れるのは、猛烈な睡魔だ。ふかふかのベッドに寝ている誘惑もあって、浮き沈みを繰り返す感覚は徐々に深く底へと意識を溺れさせていく。

 

「……そうさせて貰うわ」

 

 辛うじて永琳の言葉に答え、私は再び横になって瞳を閉じた。

 

 あぁ、そうそう。

 

「……ねぇ」

「何かしら?」

 

 これから始まる交流の前に、これだけは言っておきたかったんだ。

 

「幻想郷へ――ようこそ」

 

 これからよろしくね、永琳。

 

 以前からここに住んでいようが、外との関わりを持っていなかった彼女たちは幻想郷にとっての新参になるだろう。

 幻想郷は、全てを受け入れる――それはそれは、素敵で優しい話なのだ。

 言うだけ言って満足したので、私は引き摺られるまま意識を夢へと手放していく。

 もしも夢を見るのなら、きっと優しい夢が見れる気がする。

 そんな、都合の良い期待を胸に抱きながら――

 

 

 

 

 

 

 静かに寝息を立て始めた人形遣いを見下ろし、永琳はしばらく何かを考えるようにその場でじっと動きを止めていた。

 

「――面白い娘でしょう?」

 

 アリスの眠るベッドを挟んだ反対側にスキマが開き、その奥から扇子を片手に妖怪の賢者が姿を現す。

 

「興味深い、という点では同意ね。まるで――」

「まるで、「出来損ないの人間」のよう」

 

 開いた扇で口元を隠し、紫は永琳の言葉を引き継いでクスクスと笑い出す。

 

「それと、循環節が九の循環小数と一との違い――と言った所かしら」

「あら、そちらも気付いておりましたのね」

「一度診察したのだから、当たり前でしょう」

 

 0,9999999999……

 無限に続くこの数字は、1というただ一文字と等しい。限りなく近いのではなく、完全に一致していると証明する事が可能だ。

 これまでも、これからも、気付く者は少ないだろう。ここまで精密ならば、もしかすると本人でさえ気付いていない可能性もある。

 アリス・マーガトロイドという人形(・・)の製作者は、相当に趣味が良いか悪いかのどちらかだ。

 

「それで、解ったの?」

「えぇ。貴女の言う月からこの地へ送られた可能性があるという通信の記録は、やはり確認出来ませんでしたわ」

 

 内から外へ、外から内へ――博麗大結界は、そこを通る全ての事象を逃す事なく記録し続ける。

 その微細にして精密な網に掛かっていないという事は、そんなものは通って来ていないという十分な証拠だった。

 

「そもそも、月の使者が来訪するなどという通信が入っていたのならば、大結界は自動的にその情報の侵入を拒絶しています」

 

 月と「八雲」は過去に一悶着のあった間柄であり、良好とは言い難い関係だ。

 博麗大結界の発動前に入り込んでいた永遠亭とその住人はともかく、侵入であれ通信であれあの衛星から届くものを素通りさせるほど妖怪の賢者は甘くない。

 

「つまり――完全にこちらの勘違いだったという訳ね」

「油断は出来ませんが、恐らくは――騒霊やコウモリの獣人など音や波長を操る能力持ちは沢山居ますし、別の方へと向けられた強い念波の一部をたまたま拾ってしまったのではないかしら」

「恐ろしいほど低い確率の偶然ね」

「それもまた、幻想の庭では日常ですわ」

 

 月の技術力を考えれば、紫の言う通り油断は出来ない。だが、可能性は限りなくゼロに近いと見て良いだろう。

 

「今回の騒動が、異変として片が付いてくれて本当に助かりましたわ」

「まったくね」

 

 下手をすれば、勘違いのまま月を奪われた幻想郷全土の妖怪が、アリスの開けた道を使って永遠亭へと一気呵成に攻め込み泥沼の闘争へと発展する可能性すらあったのだ。

 勿論、紫はそうさせない為の策を用意していたし、永琳は永琳でそれを見越した上での策も用意はしていた。それを横から踏み倒していったのが、アリス・マーガトロイドという魔法使いだ。

 異変という範疇でこの騒動が収まったのは当然の流れであり、またそれなりに幸運が重なった結果でもあった。

 

「それじゃあ、これから世話になるわね。八雲紫」

「えぇ。貴女方も勿論幻想郷は歓迎致しますわ、八意永琳。月の情報は貴女の方が耳が早そうですし、頼りにさせて頂きますわね」

 

 スカートの部分の裾を摘み、優雅に一礼をして見せる麗しの賢者。

 腹に一物持つ者同士、表面上はなんの問題もなく必要な情報を伝え合い住人として受け入れられるべき手順を踏んでいく。

 

「異変の解決によって数日後に博麗神社で大きな宴が開かれるでしょうから、ご興味がおありでしたら皆様揃ってご参加下さいまし」

「姫様は参加したがるでしょうし、四人でお邪魔させて貰うわ――一つだけ良いかしら」

「どうぞ」

「なぜ、この娘を殺さないの?」

 

 寝ているとはいえ本人の目の前であるにも関わらず、永琳は言葉を飾る事もなく紫へと当然の疑問を投げ掛けた。

 

「この娘の危険度は、付き合いの長い貴女の方が理解出来ているでしょう?」

 

 永琳は、アリスの使用した魔法が危険だったというだけの理由でこんな事を言っているのではない。そんなもの、彼女自身や輝夜、そして幻想郷の管理者を語るスキマ妖怪であっても五十歩百歩で同じ事が言える。

 アリスを危険視する理由。それは、使用出来るその強大な魔法に対し彼女の精神が余りに未熟過ぎるからだ。

 この人形遣いにその気がなくとも、(かた)り、脅し、謀り、乞い――その力を第三者が利用出来る可能性は非常に高い。

 泣き落としでもすれば、平気で考えなしにあんなバカげた威力の魔法を使いそうな甘さと献身が、永琳の目には火種を自らの手で持ち歩く特大の火薬庫としての危うさに映っているのだ。

 そして、その考えはおおむね正しい。理由さえあれば、アリスは何度でも同じ状況で同じ事を仕出かすだろう。

 

「そう思うのでしたら、貴女が殺せば良いのではなくて?」

「聞いていたのでしょう? 私はもう殺せないわ。でも、貴女は違う」

 

 ルールの提唱者であれば、言い訳や隠蔽は幾らでも可能なはずだ。そういう目的に特化した能力も持っており、取捨選択に私情を交えるようなタイプでもない。

 つくづく、アリスが今まで行方不明になっていないのが不思議なほどだ。

 

「自分が出来ないからと、こんな事を他人に頼るのは感心しませんわね」

「この娘には、そのリスクに目を瞑るだけの価値があると言うの?」

「いいえ、まったく。正真正銘、煮ても焼いても食えない幻想郷で一、二を争う最大級の厄種ですわ」

「……」

 

 冗談のようで、冗談ではない。

 それでも、紫は彼女を殺さない明確な理由があるのだ。

 

「だって、その方が面白い(・・・)でしょう?」

 

 妖怪の口元がパックリと三日月の形へと割れ、その宝石の如き双眸に深淵へと誘う狂気と闇と熱が灯る。

 

「この娘は、貴女の箱庭を無自覚なまま下らない理由で破壊するかもしれないのよ?」

「そうですわね。偶然で、手違いで、勘違いで――そんな詰まらない理由で私の愛しい園が壊れてしまったなら、きっと私は胸が張り裂けそうなほど嘆き悲しむ事でしょう」

 

 まるで、何かの役を演じているかのように大仰な動作で胸と顔に手を添え大きく仰け反る紫。だが、そのまま上体を戻し前のめりになるまで身体を倒した紫の顔には、狂おしいほどの笑みが張り付いていた。

 

「そんなの、想像するだけでたまらなくなる(・・・・・・・)じゃない」

「――幻想郷に、まともな人外は居ない。なるほど、理解したわ」

 

 ギョロギョロと動く不気味な瞳を正面から見据え、永琳はもう言うべき事はないと口を閉ざす。

 心が、身体が、命が、魂が――幻想郷という楽土に住まう人を超える者たちは、誰も彼もが例外なく曲がっていた。

 狂い捻れ曲がっているからこそ、その描かれる弧はやがて繋がり円となる。直線では永劫に届かない、円という名の完成に至る。

 歪で不揃いな円たちが、縁を辿って繋がっていく。

 幻想郷――それは、忘れられた者たちが集う泡沫の楽土。幻想という名の、存在してはならない化け物たちが我が物顔で歩く場所だ。

 紫も、永琳も――そしてアリスもまた、狂った楽園に住まう捻じ曲がった者たちの一人だった。

 

 

 

 

 

 

 さて、皆様お待ちかね。満を持して行われる宴会の時間である。

 時刻は夜。場所は勿論博麗神社で、幹事は異変の主謀者である永遠亭だ。

 幾つもの大樽で置かれた大量の酒に、持ち寄った食材を使い尽くした大皿の料理たち。

 グラス、ジョッキ、お猪口――お箸にスプーンにフォークと素手。集まった皆が好き勝手な形で好き勝手に飲み食いし、笑って泣いてと中々にカオスな空間が巻き起こっている。

 

「ア゛~リ゛~ズ~。あ゛り゛がどう゛、あ゛~り゛~が~ど~う゛~。ん~、ん~ん~っ」

 

 待って、みすちー待って。

 感謝のキスは嬉しいけども、口にね、唇に当たっちゃいそうで――あぶ、危なっ。

 

「ミスティア。アリスが困ってるよ」

「ん~、ん~ん~っ」

 

 酔っ払ってキスの嵐を仕掛けて来るミスティアの両脇に手を通し、リグルが苦笑しながら私から引き剥がす。

 

 ナイスリグルッ。

 だけども、出来ればもっと早くに止めて貰いたかったな。

 お陰で、ほっぺたとか色んな所がべちゃべちゃだよ――まぁ、私にとってはむしろご褒美なんですけどねっ。

 

「はい、これ」

「ありがとう――それで、どうして彼女はこんな事になっているの?」

 

 隣に座る、大変珍しい参加者であるパチュリーがくれたタオルで顔を拭きながら、まだそんなに飲んでおらずまともな話が聞けそうなリグルに問い掛けてみる。

 

「アリスー、アリスーっ」

 

 因みに、ミスティアはリグルから押さえ付けられながらもこちらへ抱き付こうと、真っ赤な顔に上擦った声で私の名前を何度も呼び手を伸ばし続けている。

 

「えっとね。竹林の外で目が覚めて、そしたら亡霊のお姫様が来ててね、ミスティアを持って帰って食べたいって――」

 

 おいこらぁ、ゆーゆーこー!

 悪食にもほどがあるでしょうが!

 私の友達食べようとか、絶対許早苗だよ!

 

 姿を探せば、幽々子は大皿に盛られた私作のキノコスパゲッティを口に入れ、幸せそうな顔で舌鼓を打っている。

 食道楽の気がある彼女にとっては、美味しそうなものを前に我慢する方があり得ない話なのだろう。てゐもなんだか怯えているようだし、この異変で一番恐怖を振り撒いたのは彼女かも知れない。

 

「妖怪の肉は、硬くて食べられたものじゃないわよ」

「経験があるの?」

「レミィたちと知り合う前に、興味が湧いて一度だけ――口に入れた分も吐き出して、残りは捨てたわ」

 

 もう。こっちはこっちで、興味を持つととことんアグレッシブだし。

 何時か危ない目に遭わないか、私とっても心配だーよ。

 

「でも、アリスの置いていってくれた人形たちを見たら引いてくれたんだ。「アリスの知り合いなら、食べたら怒られそうね」って」

「無事で何よりだわ」

 

 良かったっ。行き掛けに見つけてて、本当に良かったっ。

 

 下手をすれば、知り合いがこの宴会の食材として振舞われるという猟奇現場になっていた可能性もあった訳だ。

 今後知り合う動物系の妖怪には、お守りとして私の人形を贈呈した方が良いかもしれない。

 

「わっ」

「ア~リ~ス~っ」

「はいはい、恐かったわね。大丈夫よ、もう大丈夫」

「う゛ん……う゛んっ」

 

 リグルの拘束を振り解き、全力ダイブをして来たミスティアを受け止めた私は、その背を出来るだけ優しく撫でて慰める。

 ガチ泣きしている所を見る限り、本気で命の危機を感じたのだろう。

 

「美しい光景ね」

 

 精巧な装飾の施されたワイングラスで、紅魔館から持って来た赤ワインをチビチビと飲みながらパチュリーが白々しくそんな台詞を吐く。

 

「後で、貴女にもやってあげる」

「イヤよ、絶対にイヤ」

 

 押すなよ、絶対に押すなよってヤツですね、解ります。

 

「やったら絶交だから」

「だったら、また菓子折りを持って仲直りに行かないといけないわね」

「やらないという選択肢を選びなさいよ」

「イヤよ、絶対にイヤ」

「……はぁっ」

 

 溜息を吐いてはいても、本気でイヤがってはいない。気安くて、楽しくて――彼女は本当に私の大切な友人だと思える。

 

「……魔力を感じたわ。貴女、「左腕」を使ったわね」

「――えぇ」

「間隔が短すぎるわ。その腕は、こんな短期間に連続で使用して良いものではない――渡す時に、とくと説明したはずよね」

「えぇ、ごめんなさい」

 

 お互いの顔は見ない。レミリアに投げられ悲鳴を上げながら空を飛ぶてゐや、魔理沙に絡む泣き上戸の慧音を見て笑う妹紅など、美しくも騒がしい宴会の会場を見ながら二人の会話は続く。

 

「謝罪が欲しいのではないの。不老の身で命を削るというその代償の意味を、貴女はまだきちんと理解していない――やはり、貴女にその腕を渡したのは失敗だったわね」

「後悔しているの?」

「……少しだけ」

「ありがとう」

「感謝が欲しい訳でもないわよ」

「それでもよ。ありがとう、パチュリー」

「ふんっ」

 

 口をへの字に曲げて、そのまま押し黙ってしまうパチュリー。彼女からの心配が嬉しく、また申し訳なく思ってしまう。

 

「――おいコラッ、もう一遍言ってみやがれ! この腐れ鬼!」

「あっはははっ! やるかぁ小娘ぇ!」

 

 声のする方角に目を向ければ、慧音を引き剥がした魔理沙が歯軋りし萃香がその前に立って見下ろしながら呵々大笑している。

 どうやら、萃香の方が挑発し魔理沙がそれを受けて激昂しているらしい。何時もの事になりつつあるが、あのケンカ好きの小鬼は本当に相手をその気にさせるのが上手い。

 

「ほぉらほら、威勢の良い口だけじゃなく立ち上がって挑んでみなよ! 弱くてちっぽけな人間よぉ!」

「上等だぁっ!」

 

 魔理沙の吊られた右腕は、骨折した状態でまだ繋がってさえいない。それでも普通の魔法使いは知った事かと飛んで来た箒を左手で受け取り、闇夜の空へと猛然と勢いを付けて飛翔する。

 

「何をやっているのよ、あのバカたち」

「元気が良いわね」

 

 始まった弾幕ごっこという余興に周囲がやんややんやと盛り上がる中、パチュリーと私は比較的冷静な態度で上空で行われる光弾の交差を眺めた。

 

 萃香も、元気がなかった魔理沙を随分気にしてたしねぇ。なんだかんだ言いながら、あの娘の人間好きは私以上かも。

 私も魔理沙には少し声を掛けたけど、逃げるみたいに避けられちゃったし――うん、良かった。

 

 こういう点では、やはり長い間様々な人間を観察し続けて来た鬼に一日の長があるという事だろうか。

 

「貴女も、あの娘も……あんまり心配させないで欲しいものね」

 

 やだ、この娘可愛過ぎるっ。

 これは、永遠亭で動物イナバにさせて貰った抱き締め一時間コース待ったなしだおっ。

 

「えぇ、ちゃんと努力はするわ」

 

 光り輝く空を見上げながら小さくポツリと呟いたパチュリーに、私は泣き疲れて眠りそうになっているミスティアを見下ろしながらしっかり聞こえるように彼女の耳へと言葉を届ける。

 

 よぉしっ!

 萃香に負けてられないし、明日は魔理ちゃんの家に突撃訪問しちゃおう!

 大丈夫大丈夫。お菓子とか約束した魔道書とか持って行けば、きっと出涸らしのお茶ぐらいは出してくれるさ。

 大事なのは、ラブだよラブ!

 

 心の中で明日の予定を決め、私は再び空へと視線を移す。

 光り、満ち、煌めき弾ける――幻想の光景に目を奪われながら、私は止まらない喧騒を音楽に隣に置いていたお猪口の酒を口へと運ぶ。

 

 うん――今日も一日、皆様お疲れ様でした。

 

 生きてるだけで、頑張っている――誰の言葉だっただろうか。

 皆生きているのだ。頑張っているのだ。

 私も、そんな皆の中で頑張っていける。それがたまらなく嬉しくて、そして涙を流してしまいそうなほど愛おしい。

 欠けた月と、夜空の星と、弾幕の星と、地上の宴。

 これこそ、もしかすると永遠に続いていく光景になるのかもしれない。

 そんな事を少しだけ思ったりもしながら、終わりへ向かう今日の夜はまだまだ終わりそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 更に次の日。予定通り、私は気合を入れてお菓子を作り異変に付いて行く対価として約束した魔道書を持って、「霧雨魔法店」へとお邪魔しようとしていた。

 

 ふっふっふっ。魔理ちゃんよ、絶品となったマロンタルトの甘さにとろけるが良いわ。

 

 初めて訪れる彼女の家の中がどんなものかと想像しながら、ウキウキと玄関の扉を叩く。

 返事もなく、鍵も掛かっていないので中で待たせて貰おうともう一度だけノックをして、おじゃましますとドアを開ける私。

 それが――カビだらけの室内と膝丈ほどまで成長した多種多様なキノコを相手に、私が腐海へと沈んだ魔理沙を救出しようと奮闘を開始する合図である事を、私はまだ知らない。

 




はい、これにて永夜抄は締めとなります。お疲れー。
次の幕間は、現代に戻って再び魔理ちゃんとアリスのダブルヒロインですね。

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