東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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クリスマスイブに貰った休日を使い、一人部屋で次話を書き上げる私……
イエスだね。



43・ペパーミント・バタフライ

 闇の中を豪雪と烈風が掻き回す、右も左も見えない深夜の吹雪。

 勢いに任せて飛び出したは良いが、目的地も定かではない為適当に空を飛び回っていた魔理沙は何時の間にか不思議な空間へと迷い込んでいた。

 

「なんだ、ここ……」

 

 それは、大きな屋敷を思わせる広大な空間だった。しかし、その内装はとても人間が住めたものではないほど滅茶苦茶なものだ。

 上下を逆さ向きに伸びる階段、廊下という名の壁に取り付けられた障子、横一面が畳張りとなった垂直の茶室――まるで、騙し絵の中に吸い込まれてしまったのではと思えてしまうような構造だ。

 

「妖怪の住処か? 化かし絵みたいな空間って事は、狐狸か猫か――」

「呼ばれて飛び出てぇ――にゃんにゃんにゃーん!」

 

 箒から降り、下に敷かれた壁を歩く魔理沙の前方へ天井にある障子を開き、くるくると旋回しながら股割れした二本の尻尾を揺らす元気の良い少女が降りて来た。

 黄緑色の帽子から覗く頭上の耳は、ピンッと立った猫の耳。両手を腰に当てて、妖猫の少女はフンスッと鼻を鳴らしながら白黒の前へと立ち塞がる。

 

「おぅ、ここはどこだ?」

迷い家(マヨヒガ)だよっ。どこにでもあって、どこにもない――迷い人たちの行き着くお屋敷。一応、場所は妖怪の山の中って事になるかな」

「そうか、じゃあ出口はどっちだ? ごちゃごちゃしてて、何時まで歩いても道がさっぱりだ」

「吹雪で迷ってたんでしょ? 外は危ないし、お茶でも出すからゆっくりしていきなよ」

「危険は百も承知だぜっ。私は、異変を解決したくてこんな凍えそうな真夜中をうろついてるんだからな」

 

 もてなしの姿勢を見せる妖怪猫へと、魔理沙は不敵な笑みを浮かべて八卦炉を取り出し突き付けた。

 

「へえぇ、そんな事言っちゃうんだぁ」

 

 小さく舌なめずりをする猫娘の身から、滲むように妖気が溢れ始める。ガタリッ、ガタリと屋敷全体が震え出し、室内に置かれていた茶釜や花瓶、文鎮などが宙を舞い廊下へと漂いだす。

 

「自分で言ったから、解ってるよね。ここが私の住処だって――この場所全てが、今は私の支配下なんだって」

 

 両手を地面に突き、前傾姿勢になった猫の妖怪が可愛いお尻を振りながら興奮により縦長となった双眸で魔理沙を下から覗き込む。

 

「それじゃあ――いくよぉっ! 貴女が本当に異変を解決したいなら、この勝負に勝ってみせなよっ。そしたら、今回の異変を起こしたあの方の所へ行く方法を教えてあげる!」

「へぇっ、お前黒幕の知り合いだったのかよ――それじゃあ、遠慮なくぶっ飛ばさせて貰うぜ!」

 

 互いに掲げたカードは四枚。

 地を跳ね、壁を跳ねて弾幕を繰り出す妖怪の少女。魔法使いの少女もまた、口角を吊り上げて箒に跨り空を舞い広い通路を好き放題に破砕する数々の光弾を回避していく。

 迷宮屋敷で暴れ回る子猫とドラ猫のじゃれ合いは、ダンスなどという高尚な雰囲気など微塵もなくお互いが心のままに飛び跳ね、回り、取っ組み合う。

 

「あははっ。もっともっと――もっとだよ! もっと激しく撃ち合おうよ! 人間!」

「当たり前だろ! 私の本気は、まだまだこんなもんじゃないぜぇっ!」

 

 どこか似ている、化け猫と普通の魔法使い――どちらの勝利で終わろうと、この二人が後に意気投合するのは明白だった。

 

 

 

 

 

 

 一方、遥か上空へと飛翔した霊夢は月の光りの下空の全てを染め上げる桜吹雪の景色に眉をひそめていた。

 

「雲の上なのに、桜が舞ってる?――違う、これは普通の桜じゃないわね」

 

 大量の花びらはどこからともなく現れ、そして雲へと触れる頃にはその存在を薄めどこかへと消えていく。

 雪の吹き荒れる下界とは、まるで正反対の春満開。気温さえも「春」であるらしく、防寒具を着込んだ霊夢には少々暑く感じるほどだ。

 

「うそ、本当に来た……」

 

 そんな陽気の中、冷気をまとう黒い衣装の少女が陰鬱な雰囲気を醸しながら霊夢の前へと流れ着く。希薄な存在感と周囲の熱を奪う実体のない肉体――幻想郷では珍しくもない、幽霊の少女だ。

 

「来った来たー! 来ちゃったものはしょうがないし、しっかりばっちりお仕事しなきゃねーっ」

「お仕事お仕事、頑張ろー」

 

 それに続き、現れたのは薄桃と、赤。

 三角錐の形をした同じような帽子を被り、それぞれがヴァイオリン、トランペット、キーボードという楽器を片手にゆらゆらと漂っている。

 服装が似ているだけで髪色や雰囲気もまるで違う三人だが、顔立ちは似ているのでもしかすると姉妹なのかもしれない。

 

「誰よ、あんたたち」

「ふふんっ。やるよ、姉さん! リリカ!」

「不幸だわ……」

「はいはーい」

 

 トランペットを持つ少女が気合と共に残りの二人を呼べば、姉と妹らしい黒と赤の少女が動く。

 

「ルナサ……」

 

 諦めの境地と言いたそうな暗い雰囲気で、拳にした右腕を突き上げるようにして組み片膝を付いて左を彩るルナサ。

 

「メルランッ!」

 

 ノリノリで両手を広げ、力一杯外側へと伸ばしながら満面の笑顔で右を占領するメルラン。

 

「リリカー」

 

 そして最後に、暢気な表情で片足を持ち上げ鶴の翼のように両手を高く持ち上げる姿勢を中央へと沿えるリリカ。

 

「遠からん者は音にも聞け……」

「近くば寄って目にも見よっ!」

「けらくごくらくききかいかいー。三人揃ってぇ――」

 

 ルナサとメルランが左右を入れ替え、更に三人がポーズを変更して見栄を切ると背後から様々な音符の形をした光が爆発と共に吹き上がる。

 

「「「我ら、プリズムリバー三姉妹!」」」

 

 最後の宣言で大声を出したのはメルランだけで、他の二人は普通の声音である。

 

「……」

 

 突然始まったなんだか良く解らない茶番に、霊夢はどういう反応をして良いか解らず無表情と無言を貫くばかりだ。

 

「決まった……今のは、かんっぺきに決まってたよね! 姉さん、リリカッ」

「もう、お嫁に行けない……」

「沢山練習した甲斐があったねー。振り付けとか考えてくれたみすちーの知り合いって人に、今度お礼言いに行こうよー」

 

 打ちひしがれる長女とは裏腹に、次女は興奮気味に、三女はほがらかに演出の成功を喜んでいる。

 

「で、結局なんなのよ?」

「……見ての通り、通りすがりの騒霊楽団よ。依頼主から、冥界で行われるお花見を盛り上げる演奏を頼まれてるの」

 

 淀んだ雰囲気のまま、巫女の問いに答えるルナサ。若干背中が煤けているが霊夢にはどうしようもなく、そしてどうでも良かった。

 

「それともう一つ。お花見の準備が整う前に冥界へ行きそうな人をもし見掛けたら、こてんぱんにして追い返して欲しいってね!」

「貴女を見つけちゃったから、言われた通り追い出そうってこと。偉いでしょー?」

「あんたたち、語るに落ちてるわよ」

 

 地上で振る現実の雪と、上空で散る幻の桜。この状況で、二つの事柄が無関係である可能性は皆無だ。

 普通に考えて冥界へ行く用事のある生者など居るはずもなく、それを妨害するという事はこの一件の根が死者の世界にあると言外に告げているに等しい。

 或いは、それを触れ回る事こそが依頼主の希望している展開なのかもしれないが。

 

「私もお花見したいわ」

「残念、生きてる貴女はお呼びでないよっ!」

 

 管霊 『ヒノファンタズム』――

 

 いい加減冬は飽きたと語る霊夢へと、ルナサとリリカが下がり残されたメルランのスペルカードが閃く。

 

「時間が惜しいわ、三人で来なさい」

 

 正面に出した正方形の結界でメルランの弾幕を完全に遮断しながら、練り上げた霊力を滾らせて博麗の巫女が告げる。

 

「舐められたものね――容赦はしないわよ」

「ルナサ姉、メルラン姉、がんばれー」

 

 一転し、凍えるような冷たい視線でスペルカードを掲げて見せるルナサの横で、リリカが変わらずの態度のまま適当に弾幕を放出し始めた。

 

「悪いけど、なんだか先を急ぎたい気分なの――即行で潰すわよ」

 

 最小限の動きだけで三方からの波状攻撃をものともせずに回避しながら、霊夢は指の間に霊符を構えて最初の獲物を見定めていく。

 

 苛立ってるのは解るのに――

 焦ってるのは解るのに――

 私は、その理由を思い出せないでいる――

 私は一体、何を忘れているの?

 私は一体――誰を忘れさせられて(・・・・・・・)いるの?

 

 霊夢には、その答えと真実がこの先に向かう冥界で待ち構えているという確信があった。

 誰かの手の平の上で遠回りをさせられている感覚が、そんな彼女の心を更に不快にさせていく。

 

 誰だか知らないけど、覚悟しておく事ね。

 

 ついでとばかりに霊夢の鬱憤晴らしに付き合わされる三姉妹の末路は、真に不幸だったと言う他ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 空がどんなに荒れていようと、外がどんなに危険であろうと、大時計の振り子だけが鳴り響く地下の大図書館にはまったくもって無縁な話だ。

 

「そろそろ――か」

「お嬢様?」

 

 吹雪でテラスが使えない為、深夜のお茶会をこの部屋で行っていたレミリアの呟きに給仕として傍に立つ小悪魔が首を傾げた。

 

「パチェ」

「とっくの昔に。後は、貴女の気分と合図次第ね」

「流石ね、我が親友」

「光栄よ、私の旧友」

 

 くつくつと笑う吸血鬼の少女を見ず、七曜の魔法使いは開いた書物へと視線を落とし続ける。

 

「咲夜」

「はい、お嬢様」

 

 レミリアが指を鳴らして名を呼べば、メイド長は即座に空となったカップへと紅茶を注ぎ主人の前へと差し出した。

 

「貴女は人間よね」

「はい、その通りで御座います」

「異変は、人間の手によって解決される――つまりそれは、貴女であっても問題はないわよね」

「ご命令とあらば」

 

 次に語られる指示を理解し、咲夜は腰を折って深々と(こうべ)を垂れる。

 

「ならば命じましょう、私の愛しい忠臣。此度の異変で、それなりの戦果を上げてきなさい」

「御心のままに」

「茶番は済んだ? 面倒だから、早く説明を始めさせて欲しいのだけれど」

 

 主君の右手を取り従者がその甲へと唇を落とす儀式の終わりに、パチュリーは至極億劫な物言いで一抱えはある紫色の球体を出現させていた。

 二つの球体には黄色の大きな星型模様が塗られ、一見しただけではいまいち用途が解らない。

 

「これは、弾幕ごっこで貴女を補助すると同時に今現在現界から強制的に乖離させられている「春」と呼ばれる要素を効率良く回収する為の魔道具よ」

「はい」

「貴女の方からこの魔道具に、何か特別な事をする必要はないわ。勝手に付いて行くし、貴女の近くで「春」を感知すれば勝手に回収を行う――乱暴に扱うとすぐに壊れてしまうから、それだけは注意してちょうだい」

「かしこまりました」

「吹雪を「冬」だと定義するのならば、「春」が見つかるのはその勢力圏外が大半だと思うわ。適当に集めていれば、その内今一番「春」を所有しているだろう元凶の居る場所へ辿り着けるはずよ――私から伝えられる事は、それぐらいね」

「これほどまでのご助力、真にありがとうございます。パチュリー様」

 

 本当に、過保護とすら思えるほどの過剰な選別だ。彼女が興味のない事柄に対し、ここまで熱を入れる姿勢を取るのはかなり珍しい。

 

「貴女に怪我でもされると、レミィが手を付けられないくらいうるさくなるでしょうからね――まぁ、気を付けて行ってきなさい」

 

 心配の種はあくまでレミリアであり、自分は別に特別な感情など一切持ち合わせてはいない――つまりは、そういう事だ。

 

「フランと美鈴にも、ちゃんと出掛ける挨拶をしてから行くのよ。特に美鈴は、そろそろ貴女を出すかもって事前に教えておいたらサプライズプレゼントするんだって無駄に張り切っていたみたいだし」

「お嬢様、それ教えちゃダメな情報ですよね?」

「あら、良いじゃない小悪魔。私は別に、あの娘から口止めをお願いされてなどいないわ」

「お嬢様――正に悪魔と呼ぶに相応しい所業っ、素敵ですっ!」

 

 さらりとサプライズを台無しにする悪逆非道のレミリアへ、小悪魔は感極りながら両手を組み祈るような姿勢で彼女へとひざまずく。

 

「はぁっ……子供ね」

「……」

 

 呆れるパチュリーの隣で楽しそうな彼女たちを見ながら、咲夜の瞳が細められる。眩しいものを見るように――届かない光りを見るように――

 人外の館で暮らす、弱く儚い人間。

 彼女は屋敷の皆から大切にされていて、家族のように労わられている。とてもとても、まるで宝石を扱うように。

 だが、それだけでは――どうしても満たされはしないのだ。

 

「あぁ、それと――どこかのおバカさんがおバカな事をし始めるだろうから、ナイフで止めるか手伝うかしてあげなさい」

 

 彼女の瞳が捉えた運命とは、如何なるものか。レミリアは多くを語らず、ただ迷える子羊に道を示すだけだった。

 

「はい――では、行って参ります」

「ご武運をー」

 

 小悪魔が手を振っている場所から、一礼をしたメイド長の姿が消失する。

 

「――本当に、可愛いんだから」

 

 鋼の意思で内なる想いを塞ぐ咲夜は、その紅の瞳を妖しく揺らす暴君の罠に気付かない。

 彼女を決して逃がさぬよう、彼女が決して逃げられぬよう――館の主が嬉々として注ぐ、疼くように流し込まれている毒の正体に。

 群に慣れれば個を失い、個を貫けば群に馴染まず――(よわい)五百を数える幼姫の神算は、手元へと置いた玩具の奥深くまで蝕んでいく。

 甘い甘い――心を溶かす、紅い毒。

 集団の中で独り。その孤独感に気付いていながら、あえてその想いを助長するように愛でているのは一体どこの誰であろうか。

 左手の薬指に指輪をはめる風習は、古来その指に心臓へと真っ直ぐに伸びる太い血管があると信じられていたからだと言う。

 従者の心臓へとはめた楔を眺め愉悦を抱いている事など露も感じさせず、レミリアは何食わぬ顔で美しい笑みを続ける。

 

「悪趣味ね」

「ふふふっ――まだよ。まだまだこんなものじゃ、全然足りないんだから」

「いやぁ、悪い顔ですねぇ」

 

 当主の楽しみ方を理解している時点で、魔女と悪魔も同列だ。

 この屋敷の名は――紅魔館。

 群れるはずのない人外が群れ、集うはずのない運命に導かれた者たちの集う、恐怖と闇の館。

 堕落と退廃こそが至高。悪魔の示す希望は何時だって、絶望と隣り合わせの代物でしかないのだ。

 ――因みに、美鈴から手編みのマフラーを受け取った咲夜の演技は名女優も真っ青な迫真のものだったと付け加えておこう。

 意地の悪い当主の思惑はどうであれ、人間の少女は今日も小さな幸せを噛み締めている。それを救いと呼ばず、一体なんと呼べば良いのか。

 その答えは、吹雪の空へと舞い上がる銀の少女だけが知っている。

 

 

 

 

 

 

 九尾の狐が座す場所は、装飾として庭に置かれた二つの大岩の隣。座禅を組み、指を印の形にしたままの姿勢で彼女は不動を貫いている。

 冥界の御殿、白玉楼に植えられた桜は一つを残し全てが枯れ果てた状態となっていた。一本の大木が、全ての木々や草花から「春」を奪い取っているのだ。

 そうまでして、西行の咲き加減は未だ五分から六分といったところ。満開には、まだまだ活力が必要らしい。

 

「橙が敗北、騒霊の三人組も同じく敗北――紅魔館よりメイドが出立を開始。皆、順調に冥界へと向かっております」

「あらあら、順調過ぎて逆につまらないくらいねぇ」

 

 縁側で緑茶と団子を楽しみながら、状況を俯瞰する藍からの報告に幽々子は少し不満気な表情をしていた。

 お祭りに不測の事態は付き物であり、全てが予定調和で終わる騒動ほど白けるものはない。

 

「幽々子様。私はこれより、階下にて侵入者たちを待ち受けます」

 

 傍に控えていた半人半霊の少女が立ち上がり、己の主へと背筋を伸ばして深く頭を下げる。

 

「えぇ、負けないでね。妖夢」

「当然です。この私に、敗北などあり得ません」

 

 滲ませる絶対の自信は、真の敗北を知らないが故の無知からか。

 意気軒昂と鋭い剣気を滾らせている少女には無粋かと、幽々子は笑顔のまま白髪の剣士を見送った。

 

「ねぇ、藍。妖夢は勝てるかしら?」

「如何に矮小な存在であろうと、勝利の確率は零ではない――それが、スペルカード・ルールにおける勝負の定義です」

「藍。その言い方だと、まるで妖夢が矮小だと言ってるみたいよ」

「そのような事は決して……どうか、平にご容赦下さい」

 

 妖夢の腕前は、本当の戦闘であれ弾幕勝負であれ決して低くはない。だが、修行に明け暮れるあの少女には余りに実戦の経験が足りなさ過ぎる。

 白黒の魔法使いや吸血鬼の従者もまた、その実力は侮れない。藍の語った通り誰にも等しく勝利の可能性があり、その中でも博麗の巫女の勝率が群を抜いているのは確実だった。

 

「そうそう。冥界に一番乗りした魔法使いさんは、今どうしてるの? こちらに向かって来てるのかしら?」

「いえ、到着した場に留まり何かをしているようです。これは――まさかっ」

「え?」

 

 淡々と報告を続けていた藍が、突然固い口調を発して手の印と座禅を解いて立ち上がる。

 

「――申し訳ありません、幽々子様。不測の事態につき、私は一時持ち場を離れます」

 

 そして、亡霊姫からの答えを聞くよりも早くその姿を近くへと開いたスキマの先へと没して行く。あの従者が焦りを隠せないほどの事態とは、人形遣いの少女は余程の事を仕出かしているらしい。

 

「あらあらぁ。これは、私の望んだ通り仕掛け人すら予期せぬ展開になっちゃったのかしら? どうなの、紫?」

「――さて、どうかしらね」

 

 幽々子の傍で床から湧き出るように徳利が生え、続いて皿に乗った饅頭や葛餅などの和菓子が出現する。

 それに続き、早速幽々子が手を伸ばす皿を挟んだ反対側へとスキマ妖怪が姿を現した。手にしているのは、酒の入った小さなお猪口だ。

 

「酷いわ、友達の私に隠し事だなんて」

「私としては、これも予想の範囲内だという事よ」

 

 甘味と酒も相性は良い。葛餅を竹の櫛で小さく切り取り口に運ぶと、紫はお猪口に入った酒を嚥下する。

 

「ねぇ――幽々子」

「なぁに?」

「この大桜が咲いて封印が解けたら――貴女は、その下に埋まっている「誰か」に何を問うつもり?」

「そぉねぇ――」

 

 旧友からの質問に、人差し指を唇に当てしばし左右に首を振っていた幽々子はやがて笑みを深めてこう答える。

 

「私ね、色んな事が知りたいの。楽しい事も、面白い事も、美しい事も――美味しい事も」

 

 そうして、一口サイズの饅頭をもう一口。

 

「私は、亡霊になって忘れてしまったから――だから、体験しているはずなのに覚えてないの。それは、とっても勿体無い事だと思えたわ」

 

 脈動を開始した妖怪桜は、心臓の鼓動のように微弱な波動を繰り返している。

 ドクンッ、ドクンッ、と。何かの目覚めを待つように弱く――そして、途轍もなく力強く。

 

「知りたいの――桜の下で眠る人が目を覚ましたら、私はきっと最初にこう問い掛けるの」

 

 「春」を受け取るばかりだった西行妖は、今や周囲から「春」を奪い始めるほどまでその力を取り戻していた。

 間もなくだ――間もなく、長きに渡って閉ざされ続けた封が開く。

 

「「ねえ。「死ぬ」瞬間って、一体どんな気持ちだったの?」って――」

 

 見えてくるのは、地獄の蓋か、極楽への扉か。その答えはもう、眼前にまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 えー、ありのまま今起こった事を話すぜ!

 空を飛んでたら、陸地に着いたなう。

 ――どういう事なの?

 

 催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチな現象ではないのだが、幻想郷には浮遊大陸もあるので別段それほど驚く事でもなかったりする。

 しかし、ここがその天人の住む浮遊大陸かと思えば、どうやらそれも違うらしい。

 地面も、花も、空気も、雲も――ありとあらゆる事象に霊的な力が混在しているのだ。精神世界面(アストラル・サイド)を読み取る私の目にはこの空間そのものが少々度の過ぎる刺激であり、慣れるまでしばらくは「目がーっ、目がーっ」状態になって身動きが取れなかった。

 これではまるで、全てが霊子で構築されているという噂の尸魂界(ソウル・ソサエティ)だ。

 

 ――うん、解ってる。アリスちゃん解ってるよ。

 ちょっとで良いんだ、現実逃避くらいさせてよ。

 

 霊夢たちへ案内役を渡す為に移動していたのだが、どうやら私は間違って案内するべき冥界に辿り着いてしまったらしい。全部、あのもくもくしていた雲のせいだ。

 入った場所から外に出られるかと思ったが、どうにも変な入り方をしてしまったらしく周囲に現世へと繋がっている境界や穴は見当たらない。

 地面には、色とりどりの光る花という正に幻想の光景が一面に広がっている。どの花も蕾の状態であり、咲いているものが一つもない事が残念で仕方がない。

 

「春ですよーっ、春ですよーっ」

 

 冥界に到着すると同時に元気になったリリーがニコニコしながら花たちへと春を告げていく。どうやら、地上とは違いこの世界には探すまでもないほどの「春」が溢れているらしい。

 西行妖という大木を咲かせる為に集めているのだから、それも当然ではある。

 「春」の兆しを受け取った自然は、急速に成長しその花弁を花開いていく。

 

「春ですよーっ、はーるでーすっ」

 

 自分の役目を存分に果たせる場が嬉しいのか、リリーもすこぶるご機嫌だ。不満が溜まっていた分、ひとしきり満足させてから帰りの道を探す事にしよう。

 そんな風に考えていた私は、何も解ってはいなかった。

 知っていて罪を犯すか、知らずに罪を犯してしまうか。被害を受ける者にとってはどちらも同じであり、私に罰が下される事に変わりはない。

 気付いたのは、一面の三分の一ほどが開花した頃だっただろうか。

 

「これは……」

 

 リリーの咲かせていった花たちは、再び萎み蕾へと戻り始めていた。春告精から離れている場所からその現象は始まっている為、彼女はその事に気付いていない。

 

 咲かせた「春」が、奪われてる?

 誰に? 決まってる、西行妖にだ。

 

 妖怪桜は、自分の封印を解く為に冥界中の「春」を強引奪うまでに成長しているのだ。

 

 ヤバイッ。

 何がヤバイって、リリーがここに居るだけで西行妖が成長する手助けにしかなってない。

 このままだと、あの妖怪桜が咲いてしまうっ。

 

「リリー、急ぐわよ」

「ほぇ?」

 

 早く現界へと戻らなければ、異変の解決を手伝うどころかむしろ主謀者の片棒を担いでしまう。

 

「――その必要はない」

 

 飛び回っていたリリーに近づき、本人も「春」を吸収したのか少し体格の大きくなった彼女を抱きかかえた瞬間、目の前に雷光が走る。

 

「――藍」

「久しいな」

 

 雷の着弾点に出現したのは、吸血鬼異変以降今まで一切の接触のなかった八雲の名代。思い出にある通り変わらぬ冷厳な雰囲気をまとい、その鋭い相貌を私へと突き付けて来る。

 

「貴様は、一体何を知っている」

「え?」

「何も知らないはずのお前が、何故幻想郷を知っている。その知識をどこで得た。紫様の築いたこの理想郷を、貴様はどこまで理解しているのだ」

 

 早口に、次々と質問がぶつけられる。否、これは質問などではなく藍が自分自身と行っているただの自問自答だ。

 

「何故、今まで世界から隠れるように過ごしていた貴様が今になって行動を開始した。秘匿された西行の秘密を、もしや貴様は暴いているのか。この場に春告精を連れ単身で乗り込んで来た事を、私はどこまで深読みすれば良い」

 

 藍の疑問を解消する為、私は自分の行動を振り返ってみる。

 

 まず、十年以上隠居生活を送っていたがこの異変が始まってから突然積極的に動くようになった。

 能力の性質上無限に「春」が湧き出ると言っても過言ではないリリーを冥界に連れ込み、しかも好き放題「春」を振り撒かせている。

 そのお陰で、現在西行さんはモリモリ成長中。

 細かい事情は省くが、この妖怪桜が満開になると幽々子が死ぬ――彼女は亡霊ですでに死んでいるので、より正確には成仏する。

 

 ――うんっ。これ、どう見ても893プロの事務所にハジキと爆弾持って特攻を仕掛けてる鉄砲玉だねっ。

 ……ちゃうねん。

 じ、実はね、ちょっとした手違いで迷い込んじゃっただけなんだぁ――テヘペロッ。

 

「藍、聞いて」

「黙れっ」

 

 弁解の余地すらなく、藍は怒りすら込めた声で私の言葉を遮った。

 拍手を打った彼女が、地面へと手を付く。巨大な梵字が地面へと広がり、花も、草も――全ての光景が白の世界に塗り潰され始める。

 

「「崩魔陣(フロウ・ブレイク)」!――づぅっ」

 

 クソッ、弾かれた!

 

 結界とは、本来空間を強引に歪めて発生させる非常に不安定な力場だ。強制している分、元に戻ろうとする反作用や中和の働きには非常に脆い。

 だというのに、私の中和呪文がなす(すべ)もなく弾かれてしまった。

 これは、それだけ彼女が本気だという気概の表れを証明している。

 

「最早、貴様の全てが信用ならん――だが、貴様ほどの者をただ殺すのは幻想郷にとって僅かながらの損失だ」

「ア、アリアリさぁん」

「大丈夫よ、下がっていなさい」

 

 縋り付くリリーの頭を優しく撫で、その背を軽く押して私から離れるようお願いする。

 せめてリリーだけでも逃がしたかったが、結界はすでに一帯をおおってしまった。術者である藍が解除しない限り、この空間を脱出する(すべ)はない。

 

「貴様を私の式とする」

 

 彼女の中では、すでに「決定」しているのだろう結論を私へと告げる藍。

 

「貴様の持つ未知の知識は危険だ。だが、千年ほど記憶と言葉を封じてやればそれも忘却の彼方へと消え失せるだろうよ」

 

 目が覚めたら千年後って――リアル浦島太郎をしろと?

 お断りだよっ。

 私はまだ、幻想郷(この世界)をこれっぽっちも楽しんじゃいない。

 

 宴会だって一度きり。それもコソコソしていただけで、まともな会話すらほとんどしていない。

 自宅と紅魔館を往復するばかりで、人里だって行っていない。この異変が終われば、幽々子たちとだって交流が始められる。

 萃夢想、永夜抄、花映塚、文花帖、風神録――知っているだけで、こんなにも沢山の行事が待っている。それでなくとも、こんな綺麗な世界を味わえないまま操り人形と化すなんて絶対に嫌だ。

 

「藍、聞いて。誤解なの」

「黙れと言ったぞ。ここまで来て、貴様と語り合う口などあるものか」

 

 両腕の広い袖に自身の手を入れ、九尾の狐が上空へと浮遊していく。

 スペルカードは出さない。彼女に、弾幕ごっこをする気はない。

 明確なルール違反だ。それを理解してなお、彼女は私を使役すると宣言した。

 藍だけではない。彼女の暴挙を、その主である紫が気付いていない訳がない。

 つまりこの戦いは、幻想郷のルールそのものが黙認しているという事だ。そして、藍の命すら天秤に乗せ私の隠す秘密を確認したいという管理者の警戒の現われでもある。

 

「機会をやろう」

 

 金毛の妖獣から、身が竦むほどの妖気が迸る。練り上げ、昇華し、全身全霊を持ってこちらを叩き潰すという意思がはっきりと理解出来る。

 

「好きなだけ足掻け、好きなだけもがけ。手練手管を尽くし終え、(こうべ)を垂れたその先で――私が貴様を飼ってやる」

「――来なさい」

 

 宣言に偽りはないらしく、空間が遮断されていながら私の転送魔法は問題なく発動出来た。

 特定のものだけを通し、退出は許さない。この繊細な技術だけで、私と藍の実力差は明白だ。

 それでも、その程度が先の千年を諦める理由には到底なりはしない。上海と蓬莱を含めた八体の人形たちが、私の周囲へと布陣する。

 

「貴女には、もう橙が居るでしょう。あの娘で我慢しておきなさい」

 

 挑発染みた皮肉を返し、私もまた魔力を練り上げていく。

 圧倒的で絶望的な戦力との、この身の所有権を賭けた負けられない戦争の幕が切って落とされる。

 この戦いの果てで――私にくつがえしようもない敗北が訪れる事は、避けられぬ未来としてすでに決定していた。

 




今年の更新は、これが最後でしょうね。
それと、次回の更新はちょっと時間が開きそうです。ごめーんちゃいっ☆

皆様、どうか良いお年を!

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