東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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誰か、私を止めてくださひ……(白目)



45・誰が為に――

「……酷い目に遭ったわ」

 

 ボロボロの服と焦げた身体で、完敗したスキマ妖怪は深い深い溜息を吐く。

 

「良い気味よ」

 

 霊夢はその傍を飛びながら、憮然とした表情で鼻息を鳴らしている。

 勝負が終わっても、二人が居るのは紫の作り出した空間の中だ。

 勝負そのものはただの確認であり、ここからが妖怪の賢者が博麗の巫女の前に現れた真の理由になる。

 

「さ、返しなさい。私から奪った「もの」を」

 

 優雅さも情緒も、まるであったものではない。しかし、手段はどうであれ霊夢は紫の望み通り力を示した。

 

「仕方ないわねぇ――はい」

 

 横を向く紫の閉じた扇子が、無造作に右から左へと振り抜かれる。

 一瞬だけその空間にスキマが開き、そして閉じる。発生したのはそれだけだった。

 それだけで、霊夢の奥で閉ざされていた「蓋」が開く。

 

「ぐ……っ」

 

 額を押さえ、霊夢が呻いた。紫が奪っていた――封じ込めていた彼女の記憶が、失っていたかの時の思い出が、再び糸を繋げていく。

 

「さて、大好きだったあの魔法使いの真似事をした気分はどうかしら?」

「――最悪よっ」

 

 止まらない頭痛に顔を歪めながら、巫女は妖怪を殺意すらこもった視線で睨む。

 しかし、紫には通じない。むしろ更に口元を歪め、彼女の苦しむさまを楽しんでいる節さえある。

 

「なんで、こんな面倒臭い事したのっ」

「貴女が、博麗の巫女だから」

 

 質問への答えは、至極簡潔だった。そして、それこそが彼女の成長と同時に姿と記憶を消し十数年の孤独を押し付けた理由なのだ。

 人間と、妖怪。管理者の天秤は、どちらに揺れる事も許されない。

 幼い人間には、教育と保護が必要だ。脆弱であり、数日も放置すれば死んでしまう赤子や幼子を独り立ちさせるまでは、生きる事を手助けする「大人」が必要不可欠となる。

 

「貴女は人間だもの。十年以上も前の記憶は、呼び起こされたところでそれほど鮮明には残されていないでしょう? 私が隠すまでもなく、穴開きで、歯抜けで、価値を失ってしまっている」

 

 しかし、その関係は半ば強制的に強い縁を生んでしまう。未熟な身体と精神に施される情は、強く、深く、その身の奥へと刻まれてしまう。

 だから、紫は切り離した。博麗霊夢と言う名の天秤を、自分へと傾けない為に。

 こうして記憶が薄れ、恩を忘れるには十分な時間が過ぎるのを待っていたのだ。

 

「これで、貴女は本当の意味で博麗の巫女として完成する」

 

 そして、それは同時に彼女を縛る楔となる。

 妖怪の賢者の狙いは、一人の人間の少女を制定者と定める為の見えざる監獄を生み出す事。

 

「誰かと触れ合う時、誰かに近づく時、貴女は失っていた記憶と取り残された十年を思い出すでしょう。そして、伸ばし掛けた手を、踏み出し掛けた一歩を、きっと躊躇してしまうようになる」

 

 また、失うかもしれない。また、奪われるかもしれない。

 この妖怪が生きている限り、霊夢が博麗の巫女という地位にある限り、紫は彼女から縁を奪い続ける。

 人間は、不変である妖怪とは違い変わる生き物だ。途轍もなく強く――そして、哀れなほどに弱い。

 それは、「空を飛ぶ程度の能力」を持つこの少女とて例外ではない。

 北風と太陽の童話のように、孤独という寒さに耐えられてたとしても、他者から与えられる温もりには耐える事が出来ないのだ。

 だから、紫は奪う。

 こうして、彼女の前で語って聞かせているのも必要な儀式の一つ。

 今までも、そしてこれからも――()()()()()()()()()()という可能性を紫は霊夢の前に残し続ける。

 世界を支える天秤が、背負ったものの重さで傾いてしまわないように。

 

「舐められたものね」

「逆よ。私は貴女という存在を信頼し、そして愛しているからこそこうして楔を打つの」

「それが、舐めてるって言うのよっ!」

 

 その激情に任せ、霊夢が全力の霊撃を叩き込む。一枚の札を介して放出された白の本流が、妖怪の賢者へと直撃する。

 

「づ……ぅ……今は、気の済むまでやってちょうだい」

 

 紫は、その攻撃を回避しない。霊夢自身が僅かに逸らす形で放った一撃は、彼女の左腕を見事にもぎ取って跡形もなく吹き飛ばしていた。

 霊夢だけに、痛みを強いるつもりはない。

 共に願い、共に愛し、共に幻想の未来(あす)を夢見る盟友としてこの少女を選び、そして完成させた罪と責任を紫は背負う。

 それが、繰り返されて来た重い宿業を背負わせる霊夢へ向けたせめてもの誠意だと語るように。

 

「いっぺん死になさい……っ」

 

 舌打ちと共に吐き捨てて、霊夢は袖口から四枚の霊符を取り出した。紫に背を向け、札を円の形に配置して内部の空間を外へと繋ぎそのまま抜け出して行く。

 片方の腕を失い、取り残された紫はうつむきながら虚空へと呟く。

 

「もしもその時が来たのなら――貴女が私を殺しなさい、霊夢」

 

 誰でもなく、彼女自身が一番に理解しているのだ。自分も、彼女も、それ以外の何もかもすら、全てはこの歪んだ世界を維持する為の部品に過ぎないのだと。

 人間と妖怪。現実(うつつ)幻想(まほろば)

 重心は二つ。天秤も二つ。

 どちらが欠けても、この地は揺らぐ。

 スキマで作り上げた空間の全体が崩れ、紫は同じ冥界ながら霊夢が抜けた場所とはまた別の大地へと足を付ける。

 大きなスキマが上から下へと通り過ぎた後、紫は身体も服も傷一つ残さない元の姿へと戻っていた。

 力は失ったままだが、元より妖怪は精神に依存する存在だ。境界を操作し見た目だけを再生させるなど、彼女にとっては造作もない。

 

「さてさて、宴もたけなわ。あちらもこちらも大忙しで、一体この異変はどこに行き着くのかしらねぇ」

 

 気を取り直すように語る彼女の周囲で複数のスキマが開き、戦場となった各地をその先に映し出した。

 巫女はそのまま白玉楼へ、メイドは庭師と交戦中。普通の魔法使いは、いち早く亡霊姫の下まで辿り着いた。

 脇道に逸れてみれば、冥界の手前では猫と騒霊が戯れている。これもまた、異変がもたらした刺激の一つだ。

 細く長く美しい右手の人差し指が、開いたスキマの一つの上でくるくると回される。

 

「ぐるぐる、ぐるぐる。迷路が回り、私が閉じて、出口が消える――」

 

 そこから顔を覗かせているのは、人形遣いと妖怪の賢者が生み出した最高傑作――

 紫は嗤う。三日月に歪めた口元で、三日月のスキマへと腰掛けて。

 

「ぐるぐる、ぐるぐる――うふふ、うふふふ……」

 

 紫は嗤う。果てまでに続く、楽園の未来を夢見ながら。

 永劫に閉ざされ続ける、哀れな鳥かごを愛でながら。

 

 

 

 

 

 

 冬があり、春を見て、再び冬に――

 草花は閉じ、木々は枯れ、ただでさえ寒々しい冥界という土地の全てを犠牲にして、一本の大桜だけがその場で妖しく咲き誇っている。

 

「どこに行っても満開だな」

「まだまだ、後少しなのよ」

 

 屋敷の庭で対峙し、そんな光景を皮肉る魔理沙へ異変の主謀者たる亡霊の娘が開いた扇で口元を隠しながらコロコロと笑う。

 素人目には満開に見えるこの大樹の咲き加減は、現在六分か七分といったところ。奪い取る「春」の勢いは増し、血管の如く浮き出た光の脈がその全体へと走り明滅を繰り返す。

 

「幻想郷から春を奪った原因は、こいつか?」

「えぇ、立派な桜でしょう? でも、とってもお爺ちゃんだから元気がないの。だから、私が妖夢に頼んでその元気を持って来て貰ってたのよ」

 

 可愛らしい我侭を語るように、世界一つの生態系を狂わせそのまま崩壊させかねない悪行を平然と語る幽々子。

 

「まったく、泥棒は嘘吐きの始まりだぜ」

 

 帽子のつばを指で摘んで持ち上げながら、魔法使いの少女の作っていた笑みが更に深まる。

 この会話は、これから始まる勝負を盛り上げる為の言わば前菜。先に待つ、闘争への熱を限界まで高める為の余興だ。

 

「花見がしたいなら、協力してくれると嬉しいわ。特等席を用意してあげる」

「どんな席だ?」

「それはもう、二度とこの地から出たくなくなるくらい素敵な席よ――すぐに案内してあげる。あの桜の枝に、縄を括ったその下へ」

「……っ」

 

 亡霊の掲げた右手から、「死」が湧き出して形と意味をなしていく。薄く儚く、そして本能からの恐怖と絶望を呼び起こす色取りどりの蝶々へと。

 

「悪いが、私はまだ死ぬほど人生を楽しんじゃいないんだよ――その席は、お前に譲っといてやるぜ!」

 

 走る怖気を大声で誤魔化し、箒に跨った魔理沙が高速で飛翔を開始する。放射状に拡散する幽々子の弾幕を避けながら、直進する光弾の連打を反撃として放つ。

 

「遠慮しないで。貴女、きっと亡霊になったら今よりもっと綺麗になれるわ」

「余計なお世話だ! 今で十分満足してるよ!」

「あら、それはダメよ。折角磨けば光る瑠璃の珠なんだから、それこそ死ぬ気で磨かないと勿体無いじゃない」

「それで本当に死んじゃったら、元も子もないだろうが!」

 

 魔理沙は旋回し、反転し、時に蛇行しながら迫る蝶達の包囲網を抜け手招きする幽霊へと力の限り怒鳴り返す。

 

「逆に考えるのよ――「美しくなる為なら、死んじゃっても良いや」って。ほら、そう思うと死にたくなって来たでしょう?」

「思うかぁっ!」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

 ふざけた幽霊にお仕置きをする為、魔理沙の絶叫と同時に八卦炉からの盛大な火砲が迸る。

 

「あらあら、惜しい惜しい」

「ちっ」

 

 しかし、威力と範囲は広くとも苦し紛れに放たれた直線に当たるほど相手も阿呆ではない。素早く真横へと流れた幽々子は、あっさりとその奔流を回避してのける。

 今の砲撃で屋敷の屋根が二割ほど吹き飛んでしまっているが、家人が気にしていないので魔理沙も気にしない事にした。

 

「つれないわねぇ。それじゃあ――少しだけ、本気出しちゃおうかしら」

「……っ」

 

 幽曲 『リポジトリ・オブ・ヒロカワ 神霊』――

 

 亡霊姫の掲げる一枚のカードが、粒子へと溶ける。

 そして、発動したスペルは濁流となって魔理沙へと牙を向く。使用者本人は元より、舞い散る蝶たちからも色彩豊かな弾幕が発生し途轍もない密度となって内から外へと溢れ出す。

 

「さぁさ、頑張りなさい。油断してると、本当にこちらへ誘ってしまうわよ」

「――上等っ」

 

 魔理沙は歯を食いしばり、逃げ場など見当たりそうにもないその光の迷路へと立ち向かっていく。

 勇気と無謀は紙一重であり、それは後になって別の誰かが勝手に語る適当な流言に過ぎない。

 

 死んでも良い――あぁ、そうだな。その通りだよ。

 私にとって、重要なのは今この瞬間だけだっ。

 この勝負に勝てるなら、私は死ぬ気にだってなってやるさ!

 

「いっくぜぇーっ!」

 

 流れ出る冷や汗に混じり、魔理沙の頬が笑みの形に強張る。

 それは勝利への願いを込めた虚勢からか、それとも逃れられない敗北を察したが故の絶望からか。

 辿り着いた最後の城で待っていた魔王へと挑む勇者にとって、それはどちらでも良い事だった。

 

 

 

 

 

 

 一角の鬼の腕が無情に振るわれ、遂に最後となったゴリアテ一号機の胴を圧し折る。

 大きな音を立ててバランスを崩し、機械人形が大地へと倒れ伏す。

 

「くっ――「暴爆呪(ブラスト・ボム)」!」

 

 ギゥンッ、と空間の軋む音を立てて、私は自分の周囲に熱火球群を出現させた。

 一発一発の威力が、岩盤を砕き鉄を溶解させる高出力。さしもの鬼も、この呪文ならば届くはずだ。

 

行け(ゴー)っ!」

 

 号令により、片手で掴めるほどの大きさをした十数の球が一角に向けて高速で飛び立ち、着弾と同時に耳を傷めてしまうほどの強烈な爆音を奏でた。

 

 やったかっ。

 

 もうフラグでしかない事を内心で考える私の予想を裏切らず、片腕を犠牲に私の呪文を耐え切った式神が巻き上がる煙の中から一足跳びでこちらへと突っ込んで来る。

 丸太のように太いその左腕が横薙ぎに唸り、回避の遅れた私の脇腹を掠めていく。

 

「が――ぁっ!」

 

 竜巻に巻き込まれたかの如き感覚と共に、私の身体が宙を舞い彼方へと吹き飛ばされる。

 掠っただけでこの威力だ。直撃した時の事など、想像したくもない。

 

「ぐ……ぁ……」

 

 軋む身体を叱りながら、私は片膝に手を置いて歯を食いしばって立ち上がる。

 人形は、もう大半が破壊された。戦闘用の中型人形たちも、ゴリアテたちも――家にあったほぼ全ての人形を投入して、それでも藍には傷一つ付けられなかった。

 今残っているのは、片腕のもげた上海と顔面に亀裂の走った蓬莱だけ。これすらも、藍がそうなるよう手加減に手加減を重ねた結果でしかない。

 腕、顔、歯車、剣――壊された数多の人形達の部品が、真っ白な結界の床へと敷き詰められて転がっている。

 外部は破壊されているが、人形達の中枢である魔石(ジェム)は全て無事だ。私を追い詰めながら、気遣いは完璧である。

 圧倒的な実力差。最強の式神様にしてみれば、私との勝負など鼻歌混じりのお遊びでしかないのだろう。

 

「まだ……折れんか」

 

 銭剣を片手に、空中からこちらを睥睨(へいげい)する藍の瞳と私の霞む瞳が重なり合う。

 勝負を始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。体感だが、半日近くはこの結界の中に閉じ込められている気がする。

 どうやら彼女は、私の心が完全に折れて降参を宣言するまで何日でもこの空間で戦いを続けるつもりらしい。

 

「まだ……よ……」

 

 まだだ……まだ終わらんよ……

 

 どうしたって、今の私に――この先ずっとだって、藍という強者に勝てる見込みはない。

 潔く頭を下げて、彼女の従者となる事を受け入れた方が楽に生きられるのは明白だ。

 八雲という強力な後ろ盾を手に入れ、有事の際に下される命令をこなしてさえいればきっと橙のようにそれほど行動を制限される事もない。

 原作の知識だって、それほど固執するものではない。むしろ、捨てられるのであればその方が良いくらいだ。

 藍に従う事で発生する利益は、不利益を補って余りあるほどに上等のものばかり。

 私だって、本当ならこんな辛い目に遭うよりは楽な生き方をしたい。彼女の下に就くだけで最高権力者からの庇護を得られるのであれば、その方がずっと快適に幻想郷の生活を楽しめる。

 「私」だけの問題ならば、きっととっくの昔に(こうべ)を垂れていた。

 

 でも、さ――やっぱりダメだよ。

 貴女に、この身体は渡せないんだ。

 

「何故だ。何故そうまでして、お前は不可能を前に立ち上がる」

「……決まっているでしょう」

 

 この身体は、私のものでも貴女のものでもなくてさ――

 「アリス・マーガトロイド」のものなんだよ。

 

「私が、「アリス・マーガトロイド」だからよ」

 

 押し付けられたこの肉体は、持ち主に返さなければならないのだ。

 そして、その役目は使い続けて来た私でなければならない。他の誰かに、この役を譲ってはならない。

 私以外の何者も、この身体を侵す事は許されない。

 これは私の罪だから。私が背負い、清算すべき罪科だから。

 だから、この一線だけは絶対に譲る訳にはいかない。

 

「強情だな――しかし、そろそろ飽きた」

 

 自分から始めておきながら、随分と酷い言い草だ。まぁ、実際もう打つ手がない事が解り切っていながら無駄な抵抗を延々と続けられれば、そういう気分になるのは納得だが。

 

「終わらせてやる――死ぬなよ」

 

 幻神 『飯綱権現降臨』――

 

 ここに来て、藍が取り出したカードによって発動させたのはこちらの体力を削り切るだろう大量の弾幕による圧倒的な面制圧。

 

 勘弁してつかぁさいっ。

 

「上海っ、蓬莱っ」

 

 前方に据えた二体の人形の腕が開き、ギミックが発動して魔力による淡い障壁が出現する。

 最初は粒状の連弾だけだったものが、鱗弾、中弾、大弾、と次第に振り落ちて来る種類と物量を加速させていく。

 

「ぐ……うぅ……っ」

 

 人形達にありったけの魔力を送り込みながら、私は奥歯を軋ませて呻く。

 終わりのない連撃の果てに落とされるのは、流星よりもなお明るい極大の弾幕群だった。

 

 あ、これ死んだわ……

 

「ぎ……あ゛ぁ゛……っ」

 

 両腕を伸ばすよりも更に大きなその光の一撃が、人形たちの防御を砕き熱と爆風を叩き付けて来る。

 

「あ゛、がぁ゛、があ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!」

 

 地面を転がる私へと、残った弾幕たちが容赦なくぶつかり、弾け、打ちのめす。

 滅茶苦茶に跳ね回り、自分が今止まっているのか動いているのかさえ曖昧になってしまう。

 しばらく後、どこかでカランッ、と人形の部品の転がる音がする。

 

「かひゅー……かひゅー……」

 

 どうやら、熱波の中で叫んだせいで喉を焼かれたらしい。一呼吸するだけで激痛の走る喉と全身によって、落ちていた私の意識が覚醒する。

 身体中が、火傷だらけの満身創痍。このまま目を閉じてもう一度意識を手放しても、誰も責めはしないだろうと思えるほどに私の肉体はボロボロだ。

 

「……「(リザ)……(レクション)」」

 

 それでも、私は立ち上がる。

 二本の足で、地面を踏み締め、そうしてしっかりと立ち上がる。

 

「ひゅー……ひゅー……」

 

 まずは呪文の詠唱への支障を減らす為、両手を喉に当てて集中的に治療する。

 癒しの魔力が全身を駆け巡り、皮膚を、内臓を、体力を、強制的に回復させていく。

 しかし、もう完全に手札は尽きた。

 これ以上は、どう足掻いても時間の無駄だ。

 だから私は、残されたたった一つの奥の手を晒す。

 

単眼砲(バロウル)起動(オン)……」

 

 小声で唱えた始動呪文(キー)により、私の左腕である義手の内部で変化が起きる。静かに、しかし確実に。

 木っ端妖怪は勿論例え上位の妖怪に使っても確実に消滅させるだろう、対鬼の四天王用として作り上げた魔道兵装。

 最強の妖獣である藍でさえ、果たして耐えられるかどうか――だが、もう私に残された手段はこれしかない。

 この攻撃を外せば次はなく、万が一耐えられた場合も私の命運は尽きる。

 

 分の悪い賭けだね。最悪だ。

 いかんいかん。気力が底辺だからって、ネガティブな事ばかり考えてたら当たるものも当たらなくなっちゃうよ。

 よし、もっと良い事を想像しよう。

 もし、この先の全てが私の思い通りに運んでくれたら――私が勝って、藍も無事なら――

 その時は、彼女に手を差し出してこう言うんだ。

 真面目で、堅物で、これっぽっちも融通が利かないように見えて、私みたいな問題児の為にこんなにも真摯に向き合ってくれた。そんな素敵な女性に向かって――

 「私の、友達になって下さい」って――

 ――うん、良いね。悪くない。

 ほんのちょっとだけど、元気出て来た。

 

「まだ、続ける気か?」

「はぁっ……はぁっ……当たり前でしょう……私はまだ、何一つだって諦めてはいないわ」

 

 人形の部品が散らばる地面に降り立つ藍へと向けて、私はベルトの留め具を捻り内蔵していた小指ほどのナイフを引き抜き腰溜めに構えた。

 

「……」

 

 藍の両目に、明らかな失望の色が宿る。

 こんなちっぽけな刃を差し込んだところで、彼女にとってはまるで苦痛にすらなりはしないだろう。

 そもそも、普通に考えてこの状況で当たるはずもない。届くはずもない。

 私のやっている事は阿呆の極みであり、まったく意味のない単なる無駄だ。

 度重なる攻撃により意識が混濁し、遂に自暴自棄となった。

 そういう風に、思わせる。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 今の気分は、正に完全なる敗北を喫しながら敵の王を前に一騎打ちを仕掛ける小犬軍師だ。彼は何時だって、その場で出来る自分の最善を尽くし続けた。

 私も、それに習うとしよう。

 駆け出そうにも、体力が追いつかない。

 足を引き摺り、身体を揺らし、うつむいた姿勢で前に進む事だけしか出来ない。

 人形の部品につまづき、前のめりに倒れそうになるのをなんとか足を踏み出して凌ぐ。

 半分は本気で、半分は演技。

 私の愚かさに呆れ返った様子の藍は、式神に自分を守らせる事すらせず一心不乱に彼女を目指す弱者をただその場に立って待ち構えている。

 彼女と私との距離は、もう後数歩という所にまで近づいていた。

 藍は動かない。きっと、最後にこの一撃を受け止めてから私の意識を刈り取るつもりなのだろう。

 その甘さこそ、その油断こそ――私が求めた策とも知らずに。

 

 それで良い、そのまま私に失望し続けろ。

 

 二人の間隔は更に狭まり、次の一歩で私の刃は彼女へと届く。そこまで近づいても、やはり藍は動かない。

 

 侮れ――侮れ、八雲藍っ。

 これが、私に出来る乾坤一擲……っ!

 

「「(ラグナ)」――っ」

「っ!?」

 

 流石に気付く。

 だが、もう遅いっ!

 

「「滅斬(ブレード)」ぉぉぉっ!」

 

 (たま)ぁ取ったらぁっ!

 

 最後の一歩を全力で踏み込み、ナイフを媒介に出現した虚無の刃が最強の妖獣へ向けて突き出される。

 

「くっ」

 

 咄嗟に銭剣で受けるが、そんな貧弱な武器で防げるような代物ではない。刃が重なり合った瞬間、音もなく藍の剣はその部位を消失させる。

 更に身を捻って横へと逃げた藍へ、左手を使って分割(・・)した刃を一気に振り抜く。

 

「二刀!?」

 

 驚愕に目を剥きながら、それでも藍は地を蹴って後退し私の凶刃を難なくかわす。

 

 まっだまだぁっ!

 

 何もなくても生み出せるこの剣を、わざわざナイフという媒介を使って出現させた理由はここだ。触媒を使って発動させた場合、虚無に食い尽くされるまでの僅かな間だけ私の手元を離れても黒の刃は残り続けてくれる。

 腕よ千切れよと言わんばかりに身体を捻り、私は右手に握り込んだナイフを跳んだばかりの的へと狙いも付けず力の限り投擲する。

 

「ふっ」

 

 空中を自在に飛べる藍にとって、跳び上がったその場所は身動きの取れない死地ではない。

 僅かに身体を右へと流し、首を傾ける事で回転する刃をあっさりと回避する藍。

 

「惜しかっ――がぁっ!?」

 

 ――言わせねぇよっ!

 

「ざ、(ざん)……(どう)……っ」

 

 最大限のパフォーマンスにより、私にのみ注意を向けていた藍の背から腹を突き破る形で生えたのは、虚無という漆黒に食われ半分以下の大きさとなった人形の右腕。

 彼女たちは、私の武器であり杖。伸ばした糸が繋がる限り、例え粉微塵にされようと私の魔力を通してくれる。

 暴走の危険を回避する為の未完成版とはいえ、流石にこの呪文を三分割して維持し続けるには私の許容量(キャパシティ)がまるで足りない。この時点で、発生していた虚無の刃は全てが虚空へと消滅する。

 

「が……ぁ……っ」

 

 背後を押される形となった藍は、そのまま前へ――私の方向へと墜落し、突き出した左の義手がその胸を掴み取る。

 「単眼砲(バロウル)」の機能は至って単純。魔力を波動として撃ち出す、これだけだ。

 魔理沙の八卦炉を生み出した霖之助と、魔術の深奥であるパチュリーの二人が掘り込んでくれた合作術式。

 その出力は相手の防御を貫き、八卦炉よりも更に工程を省略する事で反射や妨害などの術式を差し込む隙間さえ存在させない。

 義手の骨格部分に詰め込まれているのは、圧縮し、連結させた総数五十を超える大量の魔石(ジェム)。半年掛けて限界値まで溜め込んだ合算の魔力は、私の平時の約六倍。

 勿論、こんなバカげた出力を生身で放てばその部位はただでは済まない。だから、私は発想を転換させる。

 腕が壊れてしまうほどの出力ならば、()()()()()()()を着ければ良いのだと。

 これこそが、私が肉体の一部を切り離し交換可能な部品とした最大の要因。

 

「ぎ、ざぁ゛ま゛ぁ゛っ」

「――よい旅を(ボン ボワイヤジュ)

 

 臨界に達した魔力の勢いによって、腕の各所に隠れていた放熱板が開く。

 苦痛に顔を歪ませる強者へと、吐き出された血を被りながら私は皮肉を突き付ける。

 勝つか負けるか――この一撃がその結末を示すだろう。

 私が、「アリス」として今まで生きて来た全ての集大成だ。これで駄目なら、諦めも付く。

 

 さぁ、皆さんご一緒に――っ。

 弾幕わぁ――パワーだぜぇぇぇっ!

 

「――っ」

「――っ」

 

 藍の悲鳴も私の叫びも掻き消して、無色の津波が二人の眼前で炸裂した。

 


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