東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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眠い(確信)
内容が春だしね。


46・春に散る、墨染めの桜

 留まる事のない魔力の奔流が、義手の手の平に浮き出した巨人の魔眼から怒涛の勢いで吹き上がる。

 

「ガあ゛ぁ゛ァ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ァ゛ぁ゛ぁ゛ッ!」

「ぐうぅぅぅぅぅぅ――っ!」

 

 絶叫と苦悶の応酬。

 服が裂け、皮膚が破れ、血飛沫を撒き散らす妖獣の前で、度を超えた出力により作られた腕に罅割れが走っていく。

 

「ア゛、ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!」

 

 大河の洪水よりもなお激しい魔力の波の中で絶え間のない叫び声が響き――しかし、藍は吹き飛ばない。

 踏み締めた二本の足が白の床を擦り、僅かに後退を続けるだけでしっかりとその場に留まり続けている。

 

 うっそだろっ!?

 計算上の出力は、妖怪の山を余裕で三回は貫通する放出量なんだぞおいっ!?

 

 今回初めて発動したとはいえ、流石にこの展開はあり得ない。彼女の耐久力だけではない何か別の要素が、私の最終兵器の威力を削いでいる。

 気付けば、藍の心臓の位置にある場所から光が見えていた。

 考える事は皆同じ――札だ。

 恐らく、服の内側にでも仕込んでいたのだろう防御用の結界札がギリギリの地点で砲撃の直撃を防いでいるのだ。

 私の最後の切り札が、全身全霊を込めた奥の手が――たった一枚の紙切れによって届いてくれない。

 

「グル゛ウ゛ゥ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛――ッ!」

 

 藍の声質が変わる。理性を持った人のそれから、本能に生きる獣の呻きへと。

 血塗れの肌から次々と黄金の毛が生え伸び、爪が、顔が、身体までもが変質しゆっくりと肥大化していく。

 

 獣化!?

 ここで第二形態とか――九尾様ラスボス過ぎでしょうがっ!

 

 私の方で打てる手立ては、もう何一つ残されていない。限界を超えた魔砲の出力を維持するのが精一杯で、このまま彼女が吹き飛んでくれるのを祈り続けるしかないのだ。

 

 でも、藍しゃまの変身シーンならちょっと見たいかも……っ!

 

「グルゥアァァァァァァァァァッ!」

「がぁっ!?」

 

 音にすれば、正に「ドゴォッ!」と言ったところか。

 一枚の壁の如き巨大な獣の手の平となった藍の右腕が、こちらの放出に打ち勝つ勢いで振り抜かれ私を真横から反対方向へと弾き飛ばす。

 

「がっ、げぅっ、げぁ……っ!」

 

 吹き飛ばされ方に既視感を覚えるが、何処でどんな事をすればこんな吹き飛ばされ方を二度も経験するというのか。

 人形の部品たちの中を盛大に滑って転げ回り、止まった頃には周囲の音もまた全てが止まっていた。

 

「がぁっ……がぁっ……がぁっ……」

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 霞んだ私の瞳に、再び獣から人の姿へと戻りながら、ジャリッ、ジャリッ、と人形達の部品を踏み締めてこちらへと歩いて来る藍の姿が映る。

 寝転がったまま左腕を見れば、亀裂まみれだったものが先ほどの一撃を受けてもう原型すら留めていない。元々使い切りとして作製された左腕だが、これで霖之助とパチュリーからの割と長いお説教が確定してしまった。

 

「……「(リザ)……(レクション)」」

 

 ただの重りとなったグチャグチャの左腕を震える右手で取り外し、私は再び掠れ声で治癒の呪文を発動させる。

 

「がぁっ……がぁっ……がぁっ……」

 

 藍の呼吸音がおかしい。波動によって喉か舌が裂けたのか、口元から溢れ出ている血液の量が尋常ではない。

 札の隠されていた心臓の場所から遠くなるほど、藍の傷は深かった。

 片耳が吹き飛び、血塗れとなった半身の裸体を晒し、腹に穴を開け、腕は捻じ曲がり――それでも、不安を感じさせないその足取りがしっかりとした一歩を繰り返す。

 私の全霊すらも超えた一撃は、幻想郷の強者にとってダメージ止まりでしかなかった。

 

 動けよ、動けっ。

 頼む、お願いだ。

 本当の持ち主じゃないけど、偽物の私だけど――私は貴女を、「アリス」を守りたいんだ。

 その為なら、なんだってしたいんだ。この命を全部懸けたって、まるで惜しくなんてないんだ。

 どうか、どうか私に――彼女に謝罪する理由を、()()()()()()()()理由を守らせてくれっ。

 

 口先だけで良い。態度だけでも良い。

 せめて、最後まで――自分から諦める事はしたくない。

 何度だって、私は立ち上がる。

 立ち上がって、私は藍と対峙する。

 

「げほっ、ごぼっ……まだ……よ……」

 

 込み上げて来る衝動に従い大量の血を吐き出す私は、震える膝で身体を起こし今にも途切れそうな意識を必死に繋ぎ止めて藍を睨む。

 立っている事すら続けられそうにない私と、消耗はしてもまだ余裕のある藍。

 彼女から一撫でされるだけで、私の身体は崩れ二度と立ち上がれなくなるだろう。

 

「ふぅっ……ふぅっ……ふぅっ……」

 

 息を切らし、歯を食いしばり、力を失った視線で――動く事の出来ない私に出来る精一杯の抵抗を続ける。

 

「アリアリさぁんっ!」

「リリー……」

 

 遠くから、悲鳴のような泣き声を上げて離していたはずのリリーが私の胸元へと飛び込んで来た。私の集中力が途切れたせいで、彼女を包んでいた風の結界が解除されてしまったのだろう。

 

「まだ危ないわ。離れていなさい」

「イ、イヤですっ。リリーは、リリーは……とっても優しいアリアリさんを守るですっ」

 

 ははっ、頼もしいなぁ。

 でも、止めて。私なんかの為に貴女が傷付く方が、私には耐えられないよ。

 

 彼女にとっては茶番だろう私を庇う妖精を眺めながら、藍は手品のように手元から札を一枚出現させ自身の喉へと貼り付ける。

 

「――いいや、潮時だ」

 

 しばらくそうした後、語られる声は普段通りで掠れ一つない凛としたものへと戻っていた。

 

 治療の腕前も、ご覧の通りか。

 

 まな板の上の鯉として彼女から引導が渡される瞬間を待っていた私だが、一定の距離で立ち止まったまま近づいて来ない。

 藍が一度、その場で地面を踏み鳴らす。反応の出来ない私に代わり、音に驚きビクッと身体を竦ませるリリー。

 賢者の式の足元から、周辺を囲う結界が解除されていく。白の空間は元の光の花達が蕾として広がる平原へと変わり、果てしないほどだった上空は淀んだ冥界の空へと戻る。

 

 見逃された?

 どうして?

 

 疑問を浮かべたのもつかの間、私の全身をどうしようもないほどの怖気が駆け巡る。

 

 こ……れは……っ。

 

 眩暈にも似た、吐き気をもよおすほどの強烈で濃密な瘴気。

 空気そのものが振動しているように思えるのは、きっと錯覚ではないだろう。死後の世界であるはずの冥界が、怯えているのだ。

 その圧倒的で絶望的なほどの勢いで撒き散らされる、決定的な呪樹の目覚めを感じて。

 

「もうじき、西行の桜が咲く――お前と、そして我が主が求めた通りにな」

 

 誤解です、藍さん。

 私はそんな大それた事、欠片も望んじゃいませんです。

 ――って、え? 紫も?

 

 私の持つ知識では、紫と幽々子の関係は長い縁を持つ互いに唯一無二の友人だったはずなのだが、もしかして違うのだろうか。

 

 ま、まさか――幽々子が紫の楽しみにしていたおやつを食べてしまって、友情が殺意に変わってしまった、とか?

 自分で考えててないわぁ……

 

「私は見届けねばならん――その命、しばし預けるぞ」

 

 阿呆な事を考えている私へと、藍は冷淡に告げてスキマを使い私達の前から姿を消失させる。

 残されたのは、ボロボロの私と、涙目のリリーと、残骸となって辺りに散らばる人形達だけ。

 

「ぁ……」

「アリアリさんっ」

 

 張り詰めていた空気が薄れ、膝を折った私の意識が途切れそうになる。縋るリリーにさえ、一言も返す事が出来ない。

 

「ぐ、ぅ……」

 

 唇を噛み、痛みを使って明滅する精神を辛うじて繋ぎ続ける。

 

 回復呪文は続けてる。意識さえ失わなければ、それだけでまだ持ち直せる。

 まだだ。まだ、何も終わってないだろうがっ。

 

 逆に、これからこそが本番だ。

 西行妖が咲く。幽々子が死ぬ。

 藍をけし掛けて来た事も、西行妖を咲かせる事も、紫の真意はまるで読めないがいずれも後で考えれば良い事だ。

 今は、亡霊の姫とその場に居るだろう霊夢たちの事の心配をしなければ。

 

 しっかし、相手の都合で始まって相手の都合で勝手に終わるとは……

 ダメだなぁ、私……

 弱いなぁ……

 

 格上の強者から、気紛れに軽く揉まれただけ。

 今の勝負は、要約してその程度の意味しか持ってはいないのだろう。

 挫かれるという意味では、もうすでに私の心は完全に折れていた。

 舐めていた――完全に。幻想郷という土地の恐ろしさを、何一つ理解していなかった。

 弱者は食われ、ただ野へと屍を晒すのみ。その嘆きは、絶望は、どこにも届く事はない。

 何が、対鬼の四天王用の魔道具だ。

 従者に効かないものが、主人に、その同格の者たちに通じるわけがない。

 

「はぁ……っ」

 

 身体から送られて来る欲求に従い、草花のベッドにその身を沈め大きく溜息を吐く。

 

 負けたね、負けた。

 完全に。言い訳のしようもなく。

 当たり前で、当然の、予定調和でしかない勝負だったけど。

 やっぱり……イヤだなぁ。

 

 悔しくはない。ただ、やはり私は届かないのだという事実が横たわっているだけだ。

 戦いは嫌いだ。勝てないから。

 勝っても負けても、こうして虚しさしか残らないから。

 治療を続けながら、魔力の糸を伸ばす。

 繋がる人形たちの中でまだ動かせそうなのは、上海と蓬莱だけ。それだって、もう何時完全に壊れて動かなくなってもおかしくはないほどにボロボロだ。

 

 ごめんね。本当にごめん。

 私みたいな弱っちい魔法使いに使われて、貴女たちも呆れてるよね。

 でも――もう少し、あと少しだけ、一緒に頑張って欲しいんだ。

 私が、この幻想郷を心から楽しむ為に。

 まだ知り合ってもいないような、そんな私の未来の知り合いを助ける為に。

 

「ア、アリアリさぁん」

「リリー」

 

 倒れた私の胸にしがみ付く春告精の頭に、私の右手が乗る。

 再び周囲の「春」を吸収したのか、リリーの身体はまた一回り大きくなっていた。今の大きさは上海サイズとチルノサイズの丁度中間と言ったところ。

 

「貴女に、頼みたい事があるの――」

 

 ほとんどなんの関係もないこの娘を死地へと共に連れて行く事は、本当ならばしたくはない。

 だが、私の考えが正しければ彼女はこの異変を解決する最強の切り札となり得るのだ。それこそ、その脅威を吠え散らす妖怪桜すらも黙らせられるほどの鬼札に。

 

「貴女には、少し辛いお願いになると思うわ」

 

 私にしか出来ない事、この娘にしか出来ない事。

 まだ、やれる事があるのだ。だったら、このまま全てが終わるまで寝ているわけにはいかない。

 西行妖が満開になるまでは、僅かだが時間があるはずだ。完全に封印が解けてしまえば、冥界にこんな安全な場所など存在しなくなる。

 それが理解出来るほどに、遥か遠いこの場所ですら肌に刺さる妖怪桜の波動は強く、そして禍々しい。

 

 えっと、とりあえずこのまま体力を回復させて、壊れたやつの替わりに家から普通の義手を転送して……その次は何しよっか?

 えっと、えっと……あぁ、そうだ。

 

「――まずは、着替えましょうか」

 

 焼かれ、裂かれ、吹き飛ばされ――あれだけやられたのだから、当然私の着ていた服も上から下まで無事な場所などどこにもなかった。

 

 そのせいで間に合わなくなったとしても、流石にほぼ全裸で助けに駆け付けるのは無理です。

 セリヌンティウス。アンタの親友、マジでパないわ。

 僕には出来ない。

 

 そんなどうでも良い部分で、私は主人公と脇役の持つ覚悟の違いを思い知らされるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ぐ……ぅ……」

 

 傷を負いながらも余裕を持ってその場を去ったはずの藍だったが、スキマの向こう側である冥界の平野に辿り着いた直後低く呻きながら前のめりに倒れ始めた。

 彼女にとっては、他の何よりも腹の傷こそが一番の重傷だった。肉体と同時に精神を焼き尽くされるかと錯覚するほどの衝撃と激痛が、全身に突き刺さったまま一向に薄れない。

 もしも食らったのが突きではなく、深い斬撃だったならば――もしかすると、それは彼女の命にさえ届いていたかもしれない。

 

「――ご苦労様」

 

 そのまま地面に落ち掛けた従者を支えたのは、主である八雲紫。溢れ出る藍の血によってドレスが汚れるのも構わず、紫は藍の胴に腕を回し落とさないようしっかりとその身体を掴む。

 

「言い訳は、致しません……私は、紫様の名を……八雲の名を、汚しました……っ」

「そうね、油断に慢心を重ねた挙句あの醜態――実に無様だったわ」

 

 「八雲」とは、最強でなければならない。

 油断ではなく余裕。傲慢ではなく不敵。

 勝って当然、成せて当然。それが、妖怪の賢者とそれに名を連ねる者の宿業だ。

 姓を与えられておきながら、藍はその定石に泥を塗ってしまった。

 

「罰は、如何様にでも……お受けします……っ」

「死んで詫びるにしろ、まずは身体を癒しなさい――後の話はそれからよ」

「……御意」

 

 肉体を触れ合わせる事で主から妖気を受け取り、藍は辛うじて自分の足で立ち上がれるところまで肉体を回復させていた。

 これで、アリスに関する懸念事項への確認は終了した。藍の首を刎ねるかどうかはあちらの出方次第だが、その可能性は限りなく低いと見て良いだろう。

 

「貴女にはどう見えたかしら? 彼女の事は」

「――あ奴は優秀なれど、今のままではその牙が紫様に届く事は永遠にないでしょう」

「あら、どうしてそう言い切れるの?」

 

 紫はその答えを知っている。あえて問い返すのは、単なる遊び心だ。

 

「あの者は――弱過ぎます」

 

 藍はアリスを殺す気などなかったが、アリスもまた藍に対し致死となり得る攻撃を仕掛けて来る事はなかった。最後の一撃は例外だが、あれもまた彼女の本気(・・)ではない事を二人はすでに過去の異変で知っている。

 結局、あの魔法使いは全力で抵抗はしていても最後まで双方が止まる事の出来る範囲でしか争いの定義を広げようとはしなかったのだ。

 それは、敵として現れた藍の言葉を一切疑わない無垢な信頼の上で成り立っていた。それもまたアリスの持つ謎の知識から来ているのかもしれないが、だとしても阿呆を通り越した埒外の甘さだ。

 まるで、そうしなければ生きていけないと言外に語っているかのような――そんな鋼のような頑なささえも感じてしまうほどの。

 彼女は、「八雲」にも幻想郷にも敵とはなり得ない。

 それは、藍がそう結論付けるのに十分過ぎるほどの理由だった。

 

「アリスには、貴女が直接謝罪なさい」

「承知しております」

 

 その他の傷を放置したまま、藍は用は済んだとスキマの奥へと消えて行く己の主人へと深く頭を下げる。

 付き合いのあった一年弱と、先日紅魔館の当主が起こした異変の裏で起こった争いの結末から考えて、あの魔法使いはきっと藍を許すだろう。彼女を使役する紫もまた同じく。

 

「――早く気付く事だな。お前の弱さとその甘さは、いずれお前自身を破滅に導くぞ」

 

 強者からの搾取を受け入れてしまえば、待ってるのは奴隷としてただ奪われるばかりの日々だ。

 幻想郷で自由に生を謳歌したければ、強くなければならない。非情な決断を先送りにする事は、相手から侮られこうしてその甘さを逆手に取られてしまう。

 あれだけの十分な実力を持ちながら、狂おしいほどに甘い魔法使い。そんな者は、後にも先にも彼女以外に現れはしないだろう。

 例えアリスが死んだとしても、大して困る問題ではない。だが、それでも彼女が貴重な存在である事は確かなのだ。

 

「気付け――お前の死は、幻想郷にとって僅かながらに確かな損失なのだから」

 

 しかし、藍にはどうする事も出来ない。

 不変の先に破滅を受け入れるか、変化の先にその希少な価値を失うか。どちらであったとしても、それほど意味は変わらない。

 あの人形遣いにはもう、進むべき道も戻るべき道もないのだ――これは、ただそれだけの話だった。

 

 

 

 

 

 

「な、何故……」

 

 震える声で、剣士は対峙するメイドを睨み付ける。

 当たらない――どれだけ激しい弾幕を撃とうと、自身の持てる最速の刃を振り下ろそうと、妖夢はナイフを構えて空を泳ぐふざけた格好の女に掠らせる事すら出来ない。

 

「何故……っ」

「簡単よ。それは、貴女が私よりも弱いから」

 

 幻符 『殺人ドール』――

 

「くっ」

 

 咲夜の両手と、彼女の周囲を回る紫の球体から無数のナイフが撃ち出される。

 鋭利で直線的な刃の群れは、単純だからこそ確実に妖夢から避けられる場を少しずつ奪っていく。

 

「貴女、自分よりも強い相手と命懸けで戦った事がないみたいね」

「私の師は、私などよりも遥かに実力がありました!」

「それ、どうせただの稽古でしょう?」

「襲って来る妖怪や悪霊は、この手で全て切り伏せて来ました!」

「弱い者虐めを自慢されても、微笑ましいだけよ」

「ならば、貴女はあるというのですか!?」

「あるわよ。何度も、何度でも――今、この時だってそう」

 

 カチリッ、と硬質の音を立てて咲夜の持つ懐中時計の針が止まる。それと同時に、能力を発動させた少女以外の「時」もまた灰色の世界となって停止する。

 

「私は人間だもの。妖怪よりも脆く、幽霊よりも儚い。そんな、ただ醜く哀れなだけの人間」

 

 ずるりっ、と自身の弾幕と相手の放つ弾幕の隙間を蛇が身体を捻るような動作で通り抜け、咲夜はこの言葉を聞く事の出来ない妖夢の傍へと到着を果たす。

 

「半分死人なら、人間よりも半分くらいは死に辛いはずよね」

 

 煌めく刃の向かう先は、白く細い敵の喉元。

 

「――っ!? づぅっ!」

 

 時の歩みが元に戻ると同時に、妖夢は本能で察知したのか咲夜の振るうナイフの軌道に短い方の刀を滑り込ませ直前で斜めに逸らして直撃を避ける。一寸切れた首筋から、鮮やかな血の飛沫が周囲へと散っていく。

 

「ぐぅ――っ。はっ!?」

 

 逆側の手で逆手に持ったもう一本のナイフと楼観剣の根元で鍔迫り合いを起こし、反動で咲夜と前後の位置を入れ替えた妖夢は己の失策を悟った。

 咲夜が傍に置いていた、二つの球体が見当たらないのだ。魔道具は停止した時間の中で動く事が出来ず、発動したその場に留まり弾幕を放出し続けている。

 つまり、反転した妖夢の背中へと向かって。

 

「くぅっ! ――ぐうぅっ!?」

 

 開始前の衝突と同じく、筋力を使って押し切り強引に咲夜を引き剥がそうとする半人の少女だったが、あの時とはまるで違う豪力が返され目論見を潰されてしまう。

 

「言ったでしょう? 貴女の時間も、私のものだと」

 

 咲夜の行っているのは、「停止」の延長にある「遅延」。刃を通じて触れている妖夢の肉体に能力を行使し、本人の思考がその身体に反映されるまでの時間を引き伸ばしているのだ。

 実際は逆なのだが、理解出来ない妖夢にはまるで咲夜の力が急に倍化したように感じられていた。

 動きを止め、進む事の出来なくなった半霊の少女へと背後から容赦なく無数のナイフが飛来する。

 

「ぎっ、あぐっ、ぎぃっ!」

 

 右肩、左腕、右の太もも。

 それとなく密度が調整されているので、当たったのはたったの三箇所。それでも、弾幕の直撃を受けた妖夢はこの時点で敗者の烙印が押される事となった。

 

「勝負ありね。ご苦労様」

「ま、まだですっ!」

 

 離れた咲夜へと、妖夢が言葉で引き止める。

 

「まだ? 何がまだだと言うの? 貴女が負けて、私が勝った。それだけの事でしょう」

「私が、私が負けるなんて……っ」

「負けたくなければ、勝ちなさい。敗者の弁は、狗に食われるだけよ」

「……っ」

 

 涙を滲ませる少女へと、歯に衣着せぬ物言いで瀟洒なメイドが淡々と事実を諭す。

 この場でどれだけ言葉を重ねようと、決着の付いた事実はくつがえらない。敗者に語る舌はなく、勝者は語る必要がないのだから。

 

「……っ」

「ふぅっ――っ!?」

 

 うつむき震える妖夢に、溜息を一つ吐いて咲夜が何かを語りかけようとした丁度その時、階段の上にある屋敷から天地を震わせるおぞましい気配が駆け抜ける。

 

「……イヤな空気ね」

「ゆ、幽々子様ぁっ!」

 

 顔をしかめる咲夜の前で、妖夢は泣き叫ぶように主だろう者の名前を呼びながら屋敷へ向けて一目散に飛翔して行く。

 

 オォ……オォォ……オォォォ……

 

 歓喜か、悲哀か、感謝か、狂気か。

 何かが鳴いている。何かが泣いている。

 唸るように、歌うように。

 

「ここまで来たのなら、結末まで見て帰らねば片手落ち――今帰っては、お嬢様の望む語りは出来ないでしょうからね」

 

 自分に言い聞かせるように呟き、メイド長もまた階上にある巨大な屋敷へと飛行を開始する。

 平坦に見える彼女の額に浮かぶ幾つもの汗は、屋敷で目覚めようとしている「何か」の放つ空気に触れたその内心を物語っていた。

 見えないはずの、その瞬間まで感じないはずのものが――五感を通じて知らせているのだ。

 人間は、終わりの意味を込めてその現象の名を――「死」と、命名していた。

 

 

 

 

 

 

 魔理沙と幽々子の勝負は、一進一退の白熱した攻防を繰り返していた。

 片方がスペルを開けばもう片方は回避と反撃のみを行い、お返しとして開かれたスペルに相手は同じ対応で破りに掛かる。

 

「しぶといなぁ、亡霊さんよぉっ!」

「ふふっ、これだけ踊ったのは久々ねぇ。貴女もまだまだ踊り足りないでしょう?」

 

 愚直なほどに真っ直ぐな魔理沙の弾幕と、全てを包み込むようにして広がる扇の如き流麗な幽々子の弾幕。

 お互い、残すカードは後一枚。先に発動するか、それとも相手の開いたカードを打ち破るか。

 流星の少女にとって、ただ漠然と相手の出方を待つなどという選択肢はない。

 

「コイツが最後だっ。破れるもんなら――っ!?」

 

 魔理沙が掲げた札へと魔力を集中させていく途中、その変化は急激に訪れた。

 

「あら? あらあら?」

 

 亡霊でありながらしっかりと存在感を放っていたはずの幽々子の身体が薄れ、背後が透けるほどに薄くなっていく。

 

「お、おい……」

「これは……え……?」

 

 亡霊の姿が消える。成仏ではなく、何かに引き摺られるようにしてその存在を奪われているのだ。

 誰に――それは、二人が勝負を始める前から延々と「春」を集め続けていた妖怪桜にだ。

 

「ぁ……」

 

 小さな呟きを最後に、幽々子の霊体が完全に消失する。

 そして、弾ける(・・・)

 

 オォ……オォォォォォォ――っ。

 

「くぅっ!?」

 

 魔理沙の背後にあった巨木から、振動と呪詛が全方位へ向けてぶち撒けられた。呪いは漆黒の弾幕へと変化し、触れた部分の全てを抉りながら四方八方へと直進する。

 

「折角良い所だったってのに……邪魔するんじゃねぇよ!」

 

 恐怖を怒りで塗り潰した魔理沙が、構えた八卦炉から極大の熱波を放出させる。

 黒の弾幕を焼き焦がし、消滅させて直進する光の波動は、しかし、妖怪桜に直撃するとまるで飲み干されるようにして大樹の内へと取り込まれていく。

 

 オォォ……オォォォ……っ。

 

 歓喜に呻く妖怪桜は、魔力波を食らった同じ場所から円環を吐き出した。

 一つや二つではない。十、二十、三十――円の内部には黒の焔が灯り、外周の回転に合わせて全ての光と熱を加速度的に増大させていく。

 まるで、魔力を込めた八卦炉のように。

 

「おいっ、それは反則だろ……っ」

 

 引き攣り顔となった少女の泣き言など聞き入れるわけもない。臨界に達した円環達は、爆音と共に振り切れた呪いの波を盛大に放出させる。

 

「くっ、この……やばっ」

 

 次第に避け切れなくなった魔理沙へ向けて、第二波となる大量の弾幕が振り撒かれる。スペルカードとは違い滅茶苦茶で、無軌道で、芸術性などまるでない弾丸の津波に、回避の出来る隙間などどこにも開いてはいない。

 

「もういっちょっ――おぉっ!?」

 

 もう一度八卦炉で活路を見出そうとした魔理沙へと向かう弾幕は、正方形をした巨大な結界によって阻まれていた。

 

「遅いぜ、霊夢! 一番乗りの私が許すから、一緒に戦わせてやるよ!」

「それは光栄ね」

 

 箒に乗った魔法使いの軽口に、霊夢は肩をすくめてその隣へと並び立つ。

 

「親玉の亡霊と戦ってたら、いきなりこの桜が横槍入れて来やがった」

「これが、幻想郷から「春」を奪った原因?」

「あぁ、コイツを満開にさせたかったんだと。本人は、さっきどっかに消えちゃったぜ」

「こんなの満開にしたら、冥界どころか幻想郷が滅ぶわね――来るわよっ」

 

 オォォ……オォォォォォォ……っ。

 

 目覚めの欠伸か、生への呪詛か――大桜から激しい慟哭と振動が響き渡り、先程よりも更に大量となった弾幕と円環を生み出し始める。

 

「もう一度封印するしかなさそうね――魔理沙、援護して」

「応よっ」

 

 振り撒かれる星の弾幕と桜の放つ黒の弾幕が相殺し合うが、相手の物量にとっては気休めにもなりはしない。

 

「大見得切ってそれ? もっと真面目にやりなさい」

「しょうがないだろ! 残ってるスペルが後一枚なんだ。無駄撃ちは出来ないぜっ」

 

 直進する波動を結界で防ぎ、弾幕の海を泳ぎながら二人が悪態を吐き合う。

 緊急回避手段のボムとは違い、一度消費されたスペルカードはある程度時間が経過しないと再発動する事が出来ない。これは、繰り返し同じカードを使い続けて勝負を強引に長引かせたりするのを防ぐと同時に、常に違うスペルを互いが開く事で美意識を持ち続ける事を周知させる狙いもあった。

 

「幽々子様ぁっ!」

「アイツ、咲夜と戦ってた奴じゃないか?」

 

 桜から放たれる膨大な弾幕を長短二振りの刀で切り裂きながら、半霊を浮かべる少女が傷を放置した痛々しい姿で庭の壁へと立ち大声で叫ぶ。

 

「貴様らぁっ! 幽々子様をどこへやったぁ!」

「知るかよ。勝手に消えたぜ?」

「ふざけるな! 切り捨てられたくなくば――ぎゃあっ!」

「落ち着きなさい。どう見ても、原因は紅白や黒白じゃなくてあの桜でしょう」

 

 傷口に指を突っ込むという見ている方が目を瞑ってしまいそうなやり方で、同じく壁の上へと到着した咲夜が剣士を諌める。

 

「全員で霊夢を援護だ! アイツが、この気持ち悪い桜を封印するんだと!」

「ゆ、幽々子様……幽々子様はどこに……っ」

「まずは、こちらを片付けてからゆっくり探しなさい」

 

 魔理沙からの指示を了承し、動揺する妖夢を置いて冷静な態度を崩さない咲夜が動く。

 

 奇術 『エターナルミーク』――

 

 数に対するは、同じく数で。

 傍を飛ぶ二つの魔道具と共に、呪いの大樹が吐き出す量と伍する怒涛の弾幕が展開する。

 

 オォォ――オォォオォォォオオォっ!

 

 次第にメイドと魔道具が押していくかに思われた津波の応酬は、桜の雄叫びと共にその展開を一気に外側へと押し返し始めた。

 

「おい! なんか、段々勢いと威力が強くなって来てないか!?」

「当たり前でしょう。こいつ、まだ満開じゃないんだもの」

「これでもまだ、成長を続けてるってのかよっ!?」

 

 時間を掛けるだけ桜は咲き、その力を強めてしまう。

 

「くぅ……っ」

 

 ここで、咲夜の発動させていたスペルカードが終了する。

 桜からの弾幕は、最早黒の侵食だ。妖怪桜を中心として、外へ外へと止まる事のない墨のような黒色が半端な抵抗を全て飲み干しながら悠然と拡大していく。

 

「くそ……っ」

 

 打つ手を失い、魔理沙が苦虫を噛み潰した顔で呻く。今更どんなスペルカードを発動させても、咲夜の二の舞となる事は目に見えているからだ。

 

「根競べね――勝ち目はないけど」

 

 霊夢は、自分や魔理沙たちと放心する剣士の少女を真四角の結界で囲む。相手はまだ全快には程遠く、その呪詛が途切れる事は恐らくない。

 絶望の足音が、この場に居る全員へと歩み寄ろうとしていた。

 そこに現れるのは、都合の良い救世主でも、世界を救う英雄でもない。

 

「紫! ――今すぐこの一帯を囲いなさい! でないと、どうなっても知らないわよ!」

 

 屋敷の門から全員の居る庭へと駆け込みながら、一人の女性が力の限り空へと叫ぶ。

 

「アイツ……」

「なんで……っ」

「バカ……ッ」

 

 魔理沙と霊夢、そして咲夜がその姿を見てそれぞれに小さく声を漏らす。

 首筋辺りまで伸びる金髪に、青のカチューシャ。左右に青と赤のワンピースを着た膝丈ほどの人形を飛ばす、本人も人形の如く整った華奢な身体。

 その女性の名は、アリス・マーガトロイド。どこにでも居る、少しだけ不思議なただの魔法使いだった。

 

 

 

 

 

 

 どちくしょう!

 最初っからクライマックスじゃねぇか!

 お家帰りたいっ!

 

 体力の回復と服の着替えが終わったので急いで白玉楼へと到着した私だったが、正面の門から入った私の目に映ったのは今正に西行妖からの呪いを受け止めようとしている霊夢の姿だった。

 

「紫! ――今すぐこの一帯を囲いなさい! でないと、どうなっても知らないわよ!」

 

 後先を考えている暇はない。西行妖のある庭へと全力疾走しながら、ありったけの声で事態を傍観しているのだろうスキマ妖怪に脅しを掛ける。

 

『――これで、貸し借りなしですわよ?』

 

 頭に直接響くようなくぐもった音で、紫の声が私へと届く。

 

 ちゃっかりしてんなぁっ。

 それで良いから、はよせぇやっ!

 

「永久を彷徨うこの世ならざるもの、歪みし憐れなるもの――」

 

 無回答を了承として、私は走り続けながらある呪文を早口で詠唱する。これは、正直冥界では――というか、幻想郷では使いたくない呪文ナンバーワンだ。

 

「浄化の光もて、世界と世界を結ぶ彼方に消え去らんことを――」

 

 私の意志を汲み取り、紫が庭一帯とその上空を薄い結界の膜で囲い込む。西行妖と、霊夢たち、それ以外のものを全て排除した理想的な形の結界だ。

 

 ナイスゆかりん!

 愛してるぅっ!

 

 霊夢の結界によって、魔理沙や咲夜たちも守られている。特に半分幽霊である妖夢を巻き込む心配がなくなり、後顧の憂いがなくなった私は全力でこの呪文を放つ事が出来る。

 

「「浄化結界(ホーリィ・ブレス)」!」

 

 右手の指を銃の形にして前へと突き出す私の呪文が発動し、私を中心に放射状に広がる光の波が結界の内部全てを一瞬で駆け抜ける。

 術者に内在するほぼ全ての魔力を消費して、小さな都市なら丸ごと飲み込むほどの超広範囲を浄化する神聖呪文。

 もしも紫が結界を張っていなかったら、冥界という世界そのものが綺麗さっぱりなくなっていた可能性もあるという、想像するだけで恐ろし過ぎる呪文である。

 呪いと浄化では、こちらに分があるのは明白。妖怪桜が撒き散らそうとしていた黒の波動は、私の白の波動に押されその全てを消滅させる。

 しかし、それだけ。大本である西行妖自体には効果が薄かったらしく、またすぐに暴れ出しそうな気配を滾らせている。

 

 ここで、藍との戦いで消費した魔力が響くか……っ。

 

 この呪文の威力は、そのまま支払った魔力に依存する。平時の半分以下となっていた私の残りの魔力では、ここまでが限界だ。

 特に、「神滅斬(ラグナ・ブレード)」の強引な三分割が痛かった。あれさえなければ、この一撃でかなりの所まで押し込められただろうに。

 たらればを悩んでも仕方がないので、次の一手を打たせて貰う。

 

「リリー、頼んだわよ」

「はいですっ!」

 

 私の背から顔を出すリリーが、元気一杯の返事をして離れて行く。行き先は、西行の咲くその前方。

 

「上海っ、蓬莱っ」

 

 私の方は、沈黙している隙を突いて妖木の傍まで接近すると、二体の人形の機能を使って私と西行妖の間に一枚の障壁を作り出す。

 私に残された魔力は、もうほんの僅かだ。使える呪文だって、下級のものを一回唱えられるかどうかといったところ。

 そんなちっぽけな攻撃をしたところで、この巨木を揺るがせる事は出来ない。

 ならば、どうする。

 簡単だ。攻撃が効かないのなら――回復をすれば良いのだ。

 

「「治癒(リカバリィ)」!」

 

 両手を突き出した私の手の平から、治癒の魔力が吹き上がる。

 

 オォォ……オォォォォォォォォォ……ッ。

 

 巨大な樹木の全体が活性化し、その成長を一気に加速させていく。

 幹は若返り、枝が活気付き、次々と葉に潤いが宿り――しかし、これ以上花は咲かない。

 何故なら、まだ「春」が足りないから。

 成長を続けようとする肉体に対し、養分がまったく足りていないのだ。見上げるほどの体躯に見合った栄養が得られず、しかし活力だけは生まれ続ける老木は急速に体力を減少させていく。

 

「ごめんなさい、桜さん……」

 

 両手の指を胸元で組んだリリーが、呻き悶える老木へと寂しそうな視線で話し掛けている。

 

「春は、笑顔の季節なのです。皆が笑顔になれる季節なのに、独り占めするのはとっても悪い事なのですよ……」

 

 子供を叱るように。優しく諭すように。

 死の桜へと語り掛ける春告精の身体が、淡く発光を開始する。

 

「貴方の春は、何時か必ず来るのです。それは今じゃないけど、リリーが必ずお届けするです――だから――だから――っ」

 

 決意を込めた妖精の瞳が、春を奪った元凶を一心に射抜く。何かを抱きかかえるようにして、両手を前に広げたリリーが精一杯の声で叫ぶ。

 

「皆の「春」を――返して貰うですっ!」

 

 オォォ――オォォオォォォオオォっ!

 

 西行の老木から、けたたましいほどの悲鳴が上がった。

 「春」を与える春告精は、「春」を食って成長していた。つまり、彼女は「春」を奪う事もまた可能なのだ。

 削られていく体力と、奪われていく「春」――しかし、ここでリリーの側に苦悶の表情が浮かぶ。

 

「く、うぅ……桜さんの「春」が強過ぎて……引っ張られちゃうです……っ」

 

 ここに来て、まさかの誤算だ。リリーと西行妖の綱引きは、妖怪桜の方に分が出始めていた。

 妖精と大樹では、自力が違って当然。私はそれを、計算に入れていなかった。

 

「――なるほど、パチュリー様がわざわざ壊れ易く魔道具を作られた理由はここですか」

 

 万事休すかと思われたリリーの傍に、一人霊夢の結界から抜け出した咲夜が近づく。その左右には、紫色をした一抱えほどはある球体が二つほど浮いていた。

 

 マ、マジカル☆さくやちゃんスター! マジカル☆さくやちゃんスターじゃないかっ!

 

 原作にも出て来た謎オプションの登場に、呪文を維持しながら私のテンションは変な方向へ振り切れてしまう。

 咲夜はナイフを取り出すと、その二つの球体を二振りの軌道であっさりと破壊した。破壊された魔道具から溢れるのは、大量の桜の花弁――に見せ掛けた大量の「春」。

 

「来る途中で拾った「春」よ。使いなさい」

「ありがとうです! 真面目さん!」

 

 早速咲夜に変な渾名を付けたリリーは、周囲に散った「春」を全て回収して一気にその力を増大させていた。その身体は更に大きくなり、背丈はほぼチルノと変わらないほどまで成長を果たす。

 

「ぬうぅぅぅぅぅぅ……っ!」

 

 オォォ……オォォォォォォォォォ……ッ。

 

 攻守が逆転し、西行妖の中にあった「春」は次々とリリーの体内へと取り返されていく。

 

 オォォ――オォォオォォォオオォっ!

 

 半分ほどまで枯れ落ちた妖怪桜が、一際大きな雄叫びを上げた。その振動に呼応するように、大樹の全体から再び深く澱んだ呪いの渦が放出され始める。

 

 出たよ、最後の悪足掻きっ。

 

「霊夢! 魔理沙!」

「解ってるっ」

「指図すんなっ!」

 

 人形達の障壁を頼りに背を向けて逃走を開始する私に代わり、我らが主人公たちが満を持して突撃する。

 

最後の一枚(ラストスペル)だ! ――食らっとけえぇぇっ!」

 

 魔砲 『ファイナルスパーク』――

 

 溢れ出した瘴気に勝る勢いで、魔理沙の八卦炉が日輪の如く猛然と輝き強烈な閃光を迸らせた。

 光は闇の弾幕達を蹂躙し、幹に直撃してそこから更に溢れようとしていた呪詛さえも焼き払う。

 

「――悪いわね。美味しいとこ、全部貰っていくわよ」

 

 どうぞどうぞ。トリはやっぱり、貴女じゃないとね。

 あ、やべ……これで終わったと安心したら――いし、きが……

 

「眠りなさい! ――っ!」

 

 霊夢の言葉が、最後まで聞こえない。

 白玉楼の庭へと頭から滑り込んだ私は、玉砂利と私の全身が擦れて奏でるジャラジャラという音を身体全体で聞かされながら、一気に闇へと落とされていく。

 自分の意思ではどうしようもない部分が、音を立てて切れてしまっていた。

 そうして、私は結末を見届ける事なくみっともない格好で意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

「眠りなさい! 常世の桜っ!」

 

 オォ……オォォォォォォ――っ。

 

 霊夢の手元に召喚された陰陽玉が彼女の霊力を増幅し、死の桜の抵抗を無視して急速に封印を施していく。

 やがて桜が泣き止み、完全に沈黙したところで全ての「春」を蓄え終えた春告精が震え出す。

 

「ん~っ」

 

 大きく伸びをして身体一杯に空気を吸い込むと、リリーは両手を上に伸ばして全力でその言葉を世界へと告げていた。

 

「はーるでーすよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 妖精の肉体から放出される「春」の気が、風と共に庭を、冥界を、幻想郷を、世界の全てへと轟き走る。

 「春」の広がりに合わせ、封印された大樹以外の草花達が一斉にその恩恵を享受する。

 枯れた桜は満開となり――

 蕾たちは咲き誇り――

 空気が、空が、心さえも陽気な春色が染め上げていく。

 

「こりゃぁ、すげぇぜ……」

 

 季節の始まる瞬間を目撃した魔理沙は、口を開けたまま呆けたように呟きを漏らす。

 

「見事なものね――これは、お嬢様もフラン様も存分に羨ましがってくれる土産話が出来たわ」

 

 強風になびく髪へと片手を置き、咲夜も珍しく顔を綻ばせている。

 感動だった。それ以外のどんな表現すらも陳腐になってしまうほどの、心の底からそう思えるだけの喜びと興奮が二人の内側で暴れ回っていた。

 

「……」

 

 霊夢もまた、巻き起こる春の光景に感動していた。しかし、他の二人よりは幾分かその度合いは低い。

 

「幽々子様っ、幽々子様っ!」

 

 妖怪桜が封じられると同時に戻って来た亡霊の姫へと、従者の半人半霊が必死に名前を呼び掛けている。

 死んだようにぐったりとしているが、元々が死人の亡霊だ。そのまま消滅しない限り、しばらくすれば意識も戻るだろう。

 玉砂利の庭を幾らか歩き、霊夢は縁側の下辺りで倒れる女性へと近づいて行く。

 こちらもまた、死人のような有り様だ。走っていた勢いのまま失神したのか、顔面から石だらけの地面に激突して血の跡が引かれている。

 ボロボロの人形達、全身に走る大小様々な傷に、全然取れていない髪の毛にこびり付き玉となった血痕。他と違って、妙に綺麗な服と左腕。

 最初に出会ったあの頃から、十年以上。

 霊夢の記憶にある通りのまま色あせる事のない彼女は、何一つ変わらぬ容姿とあり方のまま巫女の前へと再び姿を現していた。

 

「……バカ」

 

 不安だった時、優しくしてくれた彼女――

 困っていた時、助けてくれた彼女――

 寂しかった時、一緒に寝てくれた彼女――

 我侭を言った時、一緒になって保護者()とケンカしてくれた彼女――

 そして、最後の時――お祝いの約束をしたまま博麗の巫女を捨てた彼女――

 思い出は、所詮思い出にしかならない。

 立ち止まったままのアリスは、記憶の中で動かないアリスは、それ以上の価値などありはしなかった。

 過去は過去で、今は今。

 区切りを付けるには、二度目の出会いを果たした今この瞬間こそが相応しい。

 霊夢は目を瞑り、記憶を掘り起こされて生まれた過去のアリスを胸の奥へと沈めていく。

 

 彼女は私を覚えてない。だったら、彼女と私は初対面で良いじゃない。

 もう一度出会って――もう一度、一から始める。

 博麗の巫女と、魔法の森に住む魔法使いとして。

 

「……バカ」

 

 全ての過去への清算として、これくらいは許されるだろう。気絶したアリスの頭を、拳を作って一度だけ小突く。

 

「……お帰りなさい」

 

 何時かの昔。言えずに終わったその言葉を告げて、霊夢は己の過去を閉じ込めた。

 閉まった端から溢れ出しそうな、彼女にしては随分と弱く脆い蓋をして。

 


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