東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

48 / 119
ほら、(この異変の)エンディングだぜ。笑えよ。



47・笑う角には福来る――或いは、幻想郷の事(結ノ二)

 十五日。それが、異変が解決された後私が昏睡していた期間である。

 気力も体力も魔力も精神力も――体内にある大半のエネルギーを使い果たしていたのだから、むしろ永眠しなかった事を神に感謝するべきだろう。

 

 届け! この想い!

 幻想郷の神々にぃぃっ!

 穣子様ぁっ、静葉様ぁっ、そして雛様ぁっ!

 ありがとぉぉ、ございましたぁぁぁっ!

 守矢さん家はまだ来てないから、また今度ね。

 

 あまり関係がない上に、出会っても居ない私から信仰が届けられたところで彼女達も困惑してしまうかもしれないが……まぁ、要は気分だ。

 目を覚ました私が居たのは、自宅ではなく八雲家の客室だった。どうやら、あの後すぐに紫が私を回収して運び込んだらしい。

 看病をしてくれたという橙に礼を言い、博麗神社での宴会がもう終わったと聞かされた私が地の底まで落ち込んだのは言うまでもない。

 

 宴会が……初めて気兼ねなく参加出来ると楽しみにしていた宴会が……

 がーんだな……出鼻をくじかれた。

 

 それはもう、煮込み雑炊を食べられなかったゴローちゃんくらいのショックだった。

 しかし、落ち込んでばかりもいられない。ようやくこれで、私は自分で縛り続けていた行動制限を解いて自由に過ごす事が出来るのだから。

 今回縁の出来た白玉楼は勿論、人里やその他の場所にも出歩ける。

 で、そんな希望に満ちた未来を想像しながら私が最初にした事はというと――

 

「――聞いているのかしら? 聞こえて、理解しているかしら? ねぇ、この唐変木さん」

「えぇ……ちゃんと聞こえているし、理解もしているわ」

 

 大図書館で床に正座しながら、何時もの読書空間で椅子に座るパチュリーに分厚い本の側面でポコポコと頭を叩かれ続けていた。

 二人の間には、元の物体がなんだったのか解らないほどに見事な廃材と化した私の義手だったもの。回収はしたものの、ここまで酷く破損していてはもう再生出来る見込みはない。

 

「貴女の願いに応えて作ったあの魔道具は、あくまで試作段階。試験運用するにせよ、せめて安全性の確認と問題点の改良が全て終了するまでは待てと伝えていたはずよね」

「えぇ、覚えているわ」

「覚えている――はっ、素晴らしい言葉ね。爪先から髪の先端まで慈悲で出来ている私は、そんな殊勝な台詞を聞いただけで貴女を許してしまいそうになるわ」

 

 大声で怒鳴り散らすわけでもなく、絶対零度の視線でこちらを見下ろしながら罵倒と皮肉を繰り返す七曜の魔女。

 パチュリーがこれほど怒るのも、無理はないのだ。この不完全な魔道具の取り付けを半ば強引に説得したのは私の方で、彼女と霖之助は最後まで反対してくれた。

 使用するのは、先達の魔女から許可が降りてからだと念を押された事を完全に無視した挙句、しかも使用していながら挙句ボロ負けで帰って来たのだからこんな状況になるのも当たり前である。

 

 ごめん、マジごめん……反省してます、いやマジで……

 

 仕方がなかった、とは言い訳だ。

 そしてそれも、彼女の不機嫌を加速させる原因なのだ。

 

「何故、私達を頼らなかったのっ」

 

 握った拳が、机を叩く。非力な彼女の、力一杯の拳が。

 私と同じくそれほど感情の起伏が激しくないパチュリーが、本気で怒ってくれている。

 

「貴女が、あのスキマの従者如きに隷属させられたと知ったなら……っ。私も、レミィも、この館に住まう誰も彼もがもう一度戦争を起こす事に躊躇などしなかったっ」

「――だからよ」

「解っているわよっ、黙りなさいっ」

 

 どうしようもないのだ。彼女の感情の行き先も、私の謝罪も、結局は的外れなものにしかなりはしない。

 負けるわけにはいかなかった。勝てないにしろ、相手に引かせるだけの状況を作り出す必要があった。

 私の敗北は、私が不遇を背負う事は、新たな火種を生み出してしまうから。

 

「ごめんなさい、パチュリー」

「私は黙れと言ったのよ」

「――それと、ありがとう」

「……っ」

 

 パチュリーの振り下ろす魔道書が、私の頭を小突く。

 

「これじゃあ、私の方がバカみたいじゃない……っ」

 

 おや、これは珍しい。この魔女さん、そっぽを向いて照れていらっしゃる。

 

 急がねばなるまい。隠密行動に特化した、撮影用人形の完成を。

 当然脳内保存は完了しているが、それには限界がある。こんなベストショット場面があるのに、形あるものとして残せないなど歴史の損失だ。

 

「それで……貴女に一つお願いがあるの」

 

 そんな関係のない決意を新たに、私はパチュリーに向かって顔を上げ彼女の顔を見る。

 

「もう一度、あの店主と一緒に同じ魔道具を作れと言うのでしょう?」

「えぇ」

「……はぁっ」

 

 深い溜息だ。その心中は、察するに余りある。

 不出来な魔法使いが護身用とするには、余りに度が過ぎる兵器だ。二度と使用しないと、約束する事も出来ない。

 私だって、こんなお願いはしたくない。それでも、あの義手は二人が共同で作り出さねばあれだけの完成度には至る事が出来ない。

 二人でなければ――機構と術式、そのどちらかが欠けてしまう。

 

「それでも貴女は、その生き方を選ぶと言うのね」

「……ごめんなさい」

 

 今までにも何度か、小規模な範囲でこういった騒動に巻き込まれる事件はあった。私の思考を、パチュリーは良く理解してくれている。

 

 弱くったって、実力がなくったって――私はきっと、この生き方しか選べない。

 この身体の中に、この魂がある内は。

 

 これは、私が「私」であり「アリス」であり続ける為に必要な制約なのだ。

 道徳を失い、人情を捨て、その他の何もかもを放り捨てて、自己への保身と知識の探求のみに全てを捧げながら生きる事は出来る。私には、それが出来てしまう。

 私は「人」であると、覚えておけるだけの理由が必要なのだ。他者を理由に、誰かに縋り、それでも私が「私」を否定してしまわないように。

 

「店主の方には?」

「まだよ。貴女が頷いたら、次はあちらを説得するつもり」

「そうね。あちらの方が、私よりもずっと説得し易いものね――ふぅっ」

 

 もう一度溜息を吐いて、パチュリーは天井へと顔を向けた。瞳を閉じ、眉を寄せて黙考を続ける。

 

「条件を付けても、貴女は素直に従いはしないでしょうね」

「……えぇ、そうね」

「――良いわ。好きになさい」

 

 そう言って、私の友人は話を締め括った。私を睨むような渋面のまま、複雑な内面を押し込めて。

 

「パチュリー、本当にありがとう」

 

 どれだけ感謝したって、きっと足りない。こんな素敵な友人に心配ばかり掛ける私は、本当に駄目な魔法使いだ。

 

「貴女の生は貴女のものよ。せめて、後悔なく生きて貰わないと割りに合わないわ」

 

 本人から聞いた話では、紅魔館に辿り着くまでの彼女もまた外の世界でそれなりに自由な生き方をしていたらしい。

 意見や自論は述べても、強制はしない。彼女のそういう部分は、その辺りの出会いや別れで培われた経験によるものだろうか。

 自分らしく――そもそも「自分」という定義が曖昧な者には、なんとも難しい生き方だ。

 縋るのも、縛られるのも、捕らわれるのも、自分次第。

 私は選んで縛られているのだ。この生を、この身体を、この魂を、受け入れる為に。

 

「次に持って来るお菓子は、何が良い?」

 

 私は尋ねる。平坦な心と声に乗ってくれない、精一杯の感謝と愛情を込めて。

 

「なんでも良いわよ――貴女がまた、私の居る場所に訪れてくれるのなら」

 

 口をへの字にして、ともがらの魔女は最後にもう一度だけ私の頭を本で叩いた。

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の誇る巨大なキッチンで、紅茶を入れる為のポットとカップを温める瀟洒なメイド長。

 

「なーなー、どう思うよさくやー」

「なーなー」

 

 眉を下げる魔理沙がその右肩に顎を乗せて一緒に移動し、その白黒の魔法使いの背へと更にフランが乗っかってニコニコと笑っていた。

 

「とりあえず、仕事の邪魔をしないでくれないかしら――それと、フラン様。余りその白黒の真似ばかりを覚えられますと、お嬢様が大層悲しまれますよ」

 

 じゃれ付いてくる二人をそのままに、咲夜は気にせず茶葉の選別へと移る。幾つものガラスの小瓶に入った葉の開き具合と匂いを確認し、その内の一つを温め終えた銀のポットの湯へと匙を使って落とす。

 

「私の活躍って、地味じゃなかったかなー。なんか、最後は霊夢とアイツに全部持っていかれた気がするぜー」

「まだ言っていたの? 何度も答えた通り、どうでも良いわ」

「そりゃあ、お前はご主人様に褒められて大満足だろうけどよぉ……なんだかなぁ」

「魔理沙も、異変でとっても頑張ったんでしょう? 咲夜から聞いたわ」

「ぬー、嫌味にしか聞こえないぜぇ」

「ほらほら、そろそろパチュリー様へのお茶が出来上がるわ。帰るにしろ、一緒に飲むにしろ、一旦どいてちょうだい」

 

 大きい子供と小さい子供をあやしながら、メイド長はてきぱきとカートに必要な食器や菓子を揃えていく。

 

「仕方ないから、ご一緒してやるぜ」

「今、お姉ちゃんが来てるんでしょ? フランも行くっ」

「はいはい。それでは、参りましょうか」

 

 普段は時間を止めて移動するのだが、誰かと一緒の場合それでは置き去りにしてしまう。今回は食器の方に能力を使って温度を保ちながら、咲夜は二人を伴って大図書館のある地下へと向かう。

 

「なぁ――アリスって、一体どんな奴なんだ?」

 

 その途中、フランをおぶったままの魔理沙が不意に疑問を口にする。どうも、異変を通じて知り合ったあの人形遣いを計りかねているらしい。

 

「アリスお姉ちゃんはね、とっても優しいの!」

「この紅魔館にとって、恩のあるお方ですわ」

「ぬぅ……」

 

 フランと咲夜から印象を語られても、普通の魔法使いは唸り声を上げるだけだ。

 

「アイツって、そんなに凄い奴なのか?」

「実力という点で言えば、そうでもないわね。そもそも、荒事に向く性格でもないでしょうし」

 

 博愛主義とでも言えば良いのか、アリスはとことんまで他者との争いを嫌う。弾幕ごっこが弱い理由も、恐らくそこが原因の一つだろうと咲夜は考えていた。

 

「彼女の真価は、勝つとか負けるとか――そういう部分ではないのよ。口だけでは、ちょっと説明がし辛いわね」

 

 そう、アリスに対する説明はとても難しい。

 非常に聡く、そして同じくらい愚かな魔法使い。

 強力無比な数々の魔法を習得しておきながら、それらを使用する機会を自分から得ようとはしない。

 人形劇の演出に数日を掛けて悩み、レミリアやフランを筆頭としたこの館の住人に沢山の衣装を着せては小悪魔と共に楽しむ。

 そんな、普通の娘なのだ。異端者しか居ない人外達の中にあって、異常と言えてしまうほどの。

 

「だって……舐められたら負けじゃないか」

「そうね。貴女のような生き方をしている娘には、きっと噛み合う性格でない事は確かね」

 

 魔理沙は強い。強くあろうとしているその向上心と、弱者である事を受け入れておきながら強者へと牙を剥くアリスのあり方は、衝突はしてもとても折り合いそうにはない。

 

「魔理沙は、アリスお姉ちゃんが恐いの?」

「だ、誰があんなへなちょこ魔法使いを恐がるってんだよっ」

 

 小首を傾げるフランからそんな質問をされ、魔理沙が途端に鼻白む。

 

「あぁ、成程」

 

 その反応を見て、二人の前でカートを押す咲夜が合点がいったと声を漏らす。

 

「何がだよっ。勝手に納得するなよっ」

「悔しいのね、貴女は」

「……っ」

 

 強いなら超える、弱いなら守る。その中間にあるアリスは、魔理沙という少女にとって線引きの出来ない中途半端な存在なのだ。

 弾幕ごっこでは余裕で勝てるのに、その癖魔法使いとしての技量は普通の魔法使いの数段上を飛んでいる。

 超えたいのに、ある意味ではもう既に超えている――()()()()()()()()()という矛盾。もしかすると魔理沙は、卑怯だとすら感じているのかもしれない。

 

「う、うるさいうるさいっ。私は、あんな奴大っ嫌いだよ!」

「えー、仲良く一緒に遊ぼうよー」

「良いのです、フラン様。彼女にとってはこの方が、あの人形遣いと真っ当な形で向き合えます」

「~~っ」

 

 見透かす咲夜へと適当な反論が返せず、拳を握った魔理沙が顔を真っ赤にして抗議の視線だけをぶつける。

 人間である普通を捨てた普通の魔法使いと、妖怪として普通ではない普通の人形遣い。

 新しく始まったその関係は、中々に波乱万丈となりそうな出だしだった。

 

 でもまぁ……きっと、一方的な展開になるのでしょうけれどね。

 

 この少女もまた、守備範囲の非常に広いあの人形遣いの好みだ。関係を深めるほどにいじられ、可愛がられ、世話を焼かれる事だろう。

 

「うふふっ。魔理沙、良い子良い子」

「やめろって、このっ――うりゃっ、反撃だぜっ」

「きゃうっ!? あははっ、あはははっ! や、止めて魔理沙っ。あはははははは――っ!」

「あらあら」

 

 頭を撫でる悪魔の妹への反撃として、背後にあったその身体を捕らえ両脇をくすぐりだした白黒の少女は、一体どこまでアリスの甘さに耐えられるか。

 その勝負は、始まった瞬間から結末を見るまでも無く決着が付いていた。

 

 

 

 

 

 

「ごきげんよう、博麗の巫女さん」

「帰れ」

 

 博麗神社の中に作られた、居住区の居間。

 そこに訪れた亡霊姫の挨拶に対する巫女の返事は、脊髄反射にも近い即答だった。

 

「あら、折角謝罪にと菓子折りを持って来たのに」

「そう。それじゃあ、その菓子だけ置いて帰りなさい」

「素直で良い娘ね」

 

 クスクスと笑い、幽々子は如何にも高級そうな紙の包みをちゃぶ台の上に置いて開封しだす。お詫びと称して持って来た本人が、食べる気満々である。

 

「客人に、お茶を一杯差し出すくらいの礼儀は欲しいわねぇ」

「泥水でも飲んでなさいっ」

 

 文句を言いながらもしっかりと茶葉を取り出す辺り、蓋を開けて出て来た栗饅頭は本当に良いものなのだろう。ケチったりもせず、さりとて詰め過ぎもせず、コポコポと小気味の良い音を立てて二つの湯飲みに若葉色の液体が注がれていく。

 

「――たくっ。それで、なんの用?」

「焦らないの。甘いものでも食べて、落ち着きなさいな――んん、お値段なりねぇ」

「あんたの落ち着き過ぎは、甘いものの食べ過ぎが原因みたいね」

 

 出されたお茶よりも先に、十二個入りの一つを手に取って半分ほど齧り幸せそうに頬を綻ばせる幽々子へと呆れ顔を送る霊夢。

 

「異変の最中には挨拶出来なかったものだから、お邪魔させて貰ったの」

「宴会の時に、顔合わせはしたでしょう」

「違う場面で見れば、違う顔が見えて来るものよ」

 

 意味深に言って、亡霊は二つ目の栗饅頭へと手を伸ばす。

 

「少しは遠慮しなさいよ。これ、侘びの品として持って来たんじゃないの?」

「「居候、三杯目にはそっと出し」って言うじゃない? つまり、お茶碗二杯分の量ならまだ失礼にはならないのよ」

「相手への贈り物を自分が食べてる時点で、それが失礼なんだって気付きなさい」

 

 適当な事を言ってコロコロと笑う姫に、霊夢は負けじと二つ目を取りながら至極真っ当な反論を返す。

 

「西行妖――あの桜ね、どうも封印が解け掛かってたみたいなのよ」

 

 二人で八個ほど栗饅頭を平らげた辺りで、幽々子がようやく本題へと入った。

 

「ふぅん」

「罅割れの上から修繕するよりは、一度解除してから新しい分を張った方が安全だと判断したんでしょうねぇ。私もすっかり騙されちゃったわ」

「はいはい、そういう事にしておいてあげるわ――でも、それだとただの鼬ごっこね。私の掛けた封印も、どうせ数百年で消えるわよ」

「ふふ、十分よ。宴会に来てた春告精ちゃんも頑張ってくれるって言ってたし、案外その頃にはどうにかなっちゃうかもしれないわね」

「あんな危ない橋、そう何度も渡れるもんじゃない気がするけど――まあ、その頃の話は私には関係ないでしょうからもう良いわ」

 

 百年単位の出来事など、人間には一生に一度も縁のない行事だ。今代で二度起こる可能性はないのだから、霊夢にとっては最早どうでも良い話題だった。

 

「あの娘も、貴女くらいの余裕を持てれば良いんだけど……最近家事と買い物以外は、木刀を振ってばかりいるのよ? よっぽど悔しい負け方をしたのね」

「あぁ、あの庭師の事? あれはあれで良いんじゃないの? 上があんたみたいなちゃらんぽらんなら、あれぐらい馬鹿正直な方が釣り合いが取れる気がするわ」

「ちゃらんぽらんだなんて、失礼ねぇ。妖夢には、そんな事一度も言われてないわよ」

「妖夢には、ね。他の誰かには言われた事があるのね」

「うふふ、秘密」

 

 誰にでも優しくも厳しくもない少女は、例えそれが何者であろうとも差別をしない。人間でも、妖怪でも、亡霊でも――

 敵であろうと、味方であろうと、「浮いている」彼女は何も感じない。

 

「紫が時々、貴女の事を自慢してた理由が解るわねぇ」

「あの変態、やっぱり今までも覗いてたのね」

 

 一方的に奪い、一方的に覗く――実に最悪の所業だ。あのスキマ妖怪らしいと言えばそれまでだが、当事者としては堪ったものではない。

 彼女は間違いなく、死後か生前に地獄へと落ちる事だろう。

 

「愛されてるのよ。まるで興味がないものを、紫は覗いたりなんてしないわ」

「良い迷惑よ」

「――あらあら、嫌われたものねぇ」

 

 虚空よりスキマが生じ、そこから伸びた腕が栗饅頭を一つ掠めていく。対面で座る霊夢と幽々子の隣から、もう一度開いた別のスキマを通って極悪泥棒妖怪が席に着いた。

 

「霊夢、お茶」

 

 厚顔無恥にもほどがある態度に、霊夢は自分の湯飲みに入った飲み掛けの緑茶を容赦なく紫の顔面へとぶち撒ける。

 

「ふ、甘いわ――ふごぉっ!?」

 

 降り掛かるお茶の軌道に合わせて余裕の表情でスキマを開く紫だったが、一枚の札を拳に巻き付ける事でその異次元を強引に突破した二本の指が彼女の鼻を真上へと引き上げる。

 

「ふんっ!」

「ふぎゃっ! ぶわっ!?」

 

 更に次弾として、幽々子に出した緑茶と湯飲みが混乱するスキマ妖怪の頭上から勢いを付けて叩き込まれた。しかもこちらは、丁度二杯目を入れたばかりである熱々のなみなみだ。

 

「~っ! ~~っ!」

 

 陶器による打撃と同時に高温の湯をぶっ掛けられ、悪い妖怪は鼻と頭を押さえて声も出せずに畳張りの床を転がり回る。

 

「あっははははははははははははっ! ごほっ、ごほっ――し、死ぬっ、もう死んでるけど、もう一回死んじゃう~」

 

 友人であるはずの幽々子は、のた打ち回る紫を見て大笑いだ。腹を押さえ、ちゃぶ台を叩き、時折ビクビクと身体を激しく痙攣させている。

 

「特別に来客用のお茶を二杯も出してあげたんだから、感謝の証に賽銭箱で有り金貢いでから帰りなさい」

「ん゛ん゛っ、ぐっ――れ、れいむぅ……っ」

「ひー、ひー、げほっ、げほっ。ふ、うふふっ――ゆ、紫っ、やめてっ。その顔こっちに向かないで――あっははははははははははははっ!」

 

 しばらくの間、その日の神社にはドタバタと誰かが暴れ回る物音と陽気な笑い声ばかりが響き渡ったという。

 幻想郷のバランスを担う二つの天秤も、普段であればこの有り様である。

 夜が明けて――世界が開き、春爛漫。

 新しく来た幻想郷の春の日差しは、とても平和な良い陽気になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 朝早くから人里へと訪れた私は早速人里で人形劇を開演させて貰おうと有力者を訪ねて回り、巡り巡った所で人里のガーディアンである上白沢慧音を説得しろという流れになった。

 彼女は寺子屋の授業が終わる夕方まで時間が取れないらしく、それまでぶらぶらと大通りをひやかして回りそこから少し逸れた場所に看板を構えた甘味処へと立ち寄ったところだ。

 

 うー、緊張するなー。

 真面目で頑固だって情報があるから、説得に応じてくれるか凄い不安だ。

 いざとなったら土下座外交を――いや、ここは開幕一番でかまして腰の低さを見せ付けていくスタイルで……っ。

 

 ある意味私にとっての決戦になるだろう会談を前に、脳内会議に余念のない私である。

 人里に訪れた目的の半分はこの場所の地理を把握する事なので、日が暮れるまでに主だった呉服屋や人形の部品などを頼めそうな職人地区等々を可能な限り回りたいと考えていた。

 何度も通って詳細に調べても良いが、こういうものは一気に終わらせた方が後々の裏路地探索などといった楽しみを残せるので、頭の中で大雑把な図面を引けるようになるだけで十分だろう。

 同席しながら壁側の対面に座るのは、私と死闘を演じた最強の式、八雲藍。今回は背もたれのない椅子だから良いが、あると非常に邪魔臭そうな背中の九尾をどうするのかをちょっと知りたい。

 彼女がここに居る理由は、私が人里の案内を頼んだからだ。そしてこれが、今回の異変で彼女が私にガチの戦闘を仕掛けて来たルール違反への罰となる。

 

「どの茶屋も、お品書きは和菓子の比率が高いわね――」

 

 魔法の森から道なりに辿り着いた門から、藍を連れて何件か茶屋や食事処へ軽く立ち寄ってみた私の感想だ。

 種類もそれほど豊富とは言えず、一軒に付き一つ新しい品があれば良い方だった。最初の二件などは、同じ品しか扱っていなかったのでチェーン店かと誤解したほどだ。

 

「砂糖も卵も牛乳も自給自足出来ているみたいだし、技術を教えれば洋菓子の専門店ぐらい開かないかしら」

 

 私の家の菓子素材庫(食料庫とは別)ではそういった材料が湧くが、それを人里に卸すのは悪手だ。あくまで人里主体で生産から加工までを出来るようにしなければ、すぐに破綻が生じてしまう。

 

 外の世界から、フルーツの種とか仕入れられないかな。幻想郷って結構土地によって気候がバラバラだから、育てられる品種とかも多いと思うんだけどなぁ。

 ふむ、今度ゆかりんに相談してみよう。

 

 性急な変革には難色を示すだろうが、ものは試しと尋ねるくらいは良いだろう。食の文化が発展すれば、人里に訪れる妖怪だって恩恵にあやかれるのだし。

 まぁ、それもまた後の話だ。今は昼時なので、注文は多めにしておこうと店員を呼ぶ。

 

「まずはみたらしと、桜餅を二つずつ」

「はい!」

「それと――藍。貴女、小豆は好きかしら?」

「好物だ」

「その辺りは、やっぱり狐なのね」

 

 昔話では、油揚げと同列に狐の好物として扱われている食材だ。人間の起こす伝承や想念によって発生する妖怪は、大なり小なり必ずその(サガ)を周到しているという実に解り易い例だろう。

 

「それじゃあ、冷やのぜんざいを小豆多めで二つ。これは最後に持って来てちょうだい――以上よ」

「はい、かしこまりました! しばらくお待ち下さい!」

 

 元気良く一礼をして下がっていく、割烹着姿の若い女性店員さん。お団子頭の黒髪がとてもキュートな、看板小町というやつだ。

 ああいう生活に根ざした衣装も、職人として大変勉強になる。

 

 人形の衣装として作るのは当然としてー、知り合いの誰かに着せても似合うだろうしなー。

 

 純粋に技術を高めるのも良いが、服飾に関しては誰かの考えた新しいデザインを知る機会は常に欲しい。外出するようになって知り合いも増えるだろうし、大図書館と香霖堂にはこれからも世話になりっぱなしになるだろう。

 注文した品を待つまでの時間で、案内してくれた場所の説明以外は終始無言を貫く妖獣さんに話題を振ってみる事にする。

 

「それで――私は合格だったかしら?」

「……気付いていたか」

「それ、本気で言っているの? だとすれば、流石に私をバカにし過ぎよ。もしくは、自己評価が甘過ぎね」

「む……」

 

 掟を破った藍を咎めるつもりはない。私がこの幻想郷という土地――ひいてはその守護者である「八雲」の許可の下今後の生活を送る為に、あの戦闘は必要不可欠だったと言って良い。

 役になりきる「化かす」演技は出来ても、素のままで「試す」演技は出来ない、といったところか。神算鬼謀を謳われるスキマ妖怪にしては、珍しいミスキャストだ。

 否、だからこそか。藍が大根役者だったお陰で、私は幻想郷の管理者が抱く懸念を誤解する事なく把握する事が出来たのだから。

 

「追い詰められた私が、安易に「そういった呪文」を使うかどうか――それが確認したかったのでしょう?」

「そうだ」

 

 偶然や奇跡など、そう簡単に起こるものではない。もしも誰かにとって都合の良い展開が起こったのであれば、それは何者かがそうなるようにと仕向けた必然なのだ。

 あの時、空へと飛び上がる私が雲の中で通り過ぎたのは、冥界への綻びなどではなく悪戯妖怪の開いたスキマだった。外に出ようとしても出口が近くに見当たらなかったのは、そういう事だ。

 今回の異変で使った「浄化結界(ホーリィ・ブレス)」もそうだが、幻想郷という土地に致命傷を与えられる呪文を私は数多く習得している。藍へ叩き込んだ「神滅斬(ラグナ・ブレード)」でさえ、小規模ながら使い所を間違えればどれだけの被害を生むか解らない。

 可能性としては、記憶から抜け落ちている吸血鬼異変でフランと対峙した辺りだろうか。私は恐らく、紫の感知が届く範囲でそういった呪文を使用してしまったのだ。

 その引き金は、常に私の手の中にあり続ける。警戒されるのも、疑念を抱かれるのも、当たり前というものだろう。

 大体、スキマを使えば二秒で私の首を吹っ飛ばせる紫が、今更積極的に動き始めた程度でこんなへっぽこ魔法使いを危険視するなど普通に考えてあり得ない。

 あり得ないのなら、目的は別にあると考えるのが妥当だろう。そうやって辿って行けば、そいういう結論に到達するのは然程難しくはなかった。

 自分で好んで習得しただけの魔法が、他人にとっては脅威となり警戒に値した。半分以上が自業自得だ。

 

「安心して、自分で習得した呪文の危険度くらい十分承知しているわ。流石の私も、自分の生と世界の消滅を天秤に掛ける気はないもの」

 

 その時になれば、私も腹を括って諦める方を選ぶ。

 だが、それは口にした所ですぐに信用されるような簡単な事柄ではないし、何より本当にそんな場面におちいった際気が変わる事だってないとは言い切れないのだ。

 藍や紫の中にある私への不信感を埋めるには、相応の時間が必要だろう。

 悪いのは、どちらもだ。教えない私も、聞いてくれない藍たちも。

 真実を隠し偽りの仮面を重ねている分、私の方がなお罪深い。

 

「大事なのは、良いとか悪いとかじゃないわ。伝えること、伝わること。相手が隣で息をして、存在していると――知ることよ」

 

 本来、私にこの言葉を語る資格はないのだろう。彼のように様々なものから傷付けられ、責め苛まれて苦しみ抜き、それでも命を奪うその引き金を拒み続けた「人間」の言葉は。

 それでも、咄嗟の時に頼ってしまうのは私が「私」を信じきれないからだ。疑ってしまう自分ではなく、信じられる言葉たちに逃げて縋ってしまうからだ。

 常に魔法という見えざる刃を持ち続ける私が言っても、むしろ何が狙いだと更なる疑惑を生んでしまうような――実に薄っぺらい言い訳だった。

 

「私自身、まだ解らない事だらけなの。探している最中だったり、見つけられないままだったり――だから、貴女たちの望む答えは返してあげられないかもしれない」

 

 だが、伝えなければ始まる事はないのだ。何度も、何度でも、自分の気持ちは言葉にして伝え続けなければ受け取って貰えない。

 

「それでも、聞きたい事があるのなら遠慮なく聞いて欲しいの。それが答えられる範囲なのなら、私は必ず答えるから」

「――そうか」

 

 私の言葉を聞き終えた藍は、目を伏せてそれだけを口にした。

 私が出来るのは、ここまでだ。後は彼女が、危険で曖昧な私を受け入れてくれるかどうか。

 

「まだ、私が恐い?」

 

 藍の口元に、小さな笑みが浮かぶ。私の平坦な表情と同じく仏頂面しかしない彼女のこんな顔を、どれだけの者が見れるだろうか。

 そう思うと、案外私達はすぐに仲良くなれる気がして来た。

 

「今は――これから来る甘味の味と、その後に飲む一杯の茶が恐いな」

 

 それはなんとも、おあとがよろしいようで。

 

 注文した甘味は、値段に比べて中々のお味だった。藍も満足しているようで、そこから少々ぎこちないながら会話が弾んでいく。

 ケンカして、謝って、仲直りする。

 私の世界は、そうして回していきたいのだ。それが、私に多くの傷を生むだろう矛盾に満ちた生き方だったとしても。

 私の中心は、そうした理想と現実の隙間に挟まり歪な輪を回していく。

 私の肉体(からだ)が壊れる、その時まで――

 私の精神(こころ)が壊れる、その瞬間まで――

 

 

 

 

 

 

 追記。

 この会話の途中で、どうやら藍も私と同じく「食」を捨てきれなかった妖怪だという事が判明した。

 妖怪として未熟な橙と一緒に食事を取るのも、別に義務感や教育の一環などではなく単に藍が食べたいからそうしているだけらしい。

 大結界の調査や他組織との折衝など幻想郷のあちこちに出歩く機会の多い藍のささやかな楽しみは、出先で飲食店などを見つけて食べる外食なのだそうだ。

 

 だよねっ、そうだよねっ。

 あんなに美味しいものを食べなくなるとか、生物として絶対間違ってるよねっ。

 

 藍の方も想いは同じようで、思わぬ所で同好の士と巡り合えた私達はその後も食べ物談義に花を咲かせ続けた。

 人里にも足繁く通う彼女が私の「洋菓子店育成計画」の後押しを約束してくれた事で、文字通り絵空事だった机上の空論に光を灯す。

 

 メイン妖獣キタッ、これでかつるっ。

 ゆかりんよ、私達の甘味を愛する心に屈するが良いわっ。

 

 ほどなくして、私と藍による管理者から幻想郷の未来を勝ち取る為の反逆(リベリオン)が始まる事となのだが――騒動と結末は、後に私達がレシピを提供し人里の料理人が更に昇華した絶品のアップルパイを試食する事になるという事実を最後にその語りを締め括りたいと思う。

 幻想郷は、全てを受け入れる。それはそれは、優しくも残酷な話なのだった。

 




次回はまた、現代へ戻って幕間ですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。