東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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何事も、最初が肝心!
よって、お嬢様とその友人は自重を忘れました。



50・これは紅魔郷ですか? ――はい、戦争の始まりです

 妖怪の山の中腹辺りに作られた、詰め所兼休憩所の小屋の中で事態の推移をうかがっていた文の下へと、駆け込んで来た白狼天狗の青年二人が膝を付く。

 

「伝令! 本日未明、隔離されていた吸血鬼の館より魔法による幻影と思われる手段により天魔様へと宣戦布告あり!」

 

 なんで私に言うのよ……

 

 至極面倒そうな表情をしながら、それでも文は伝令役の言葉に耳を傾ける。

 文が報告の相手に選ばれた理由など知れている。どんな形であれ、自分たちよりも地位の高い者を探して最初に行き当たったのが彼女だからだ。

 

「次いで、洋風の女中姿をした妖精と、それに呼応したと思われる在野の妖精たちが一斉に山へと雪崩れ込んで来ています! 総数、およそ四百!」

「久方ぶりに出て来たかと思えば――例え何億来ようが高が妖精でしょうに。適当に蹴散らしなさい」

「それが、女中姿の妖精たちが守備隊の白狼天狗に対し次々と弾幕勝負を挑み、完全に出足を挫かれる形となっておりまして……」

「ちっ……そう来たか」

 

 言い澱む白狼の報告に、文は露骨に顔をしかめて強く舌打ちを漏らす。

 巫女と――そして妖怪の賢者が広め始めた、幻想郷の新しいルールにして遊戯。

 数を頼みに勝負を挑み、拒否すれば敗北、受ければ時間を稼がれる。力任せに制圧すれば、決まり事も守れないような恥知らずな組織として天狗という種族そのものが後ろ指を指されるようになってしまうだろう。

 性根の捻じ曲がった、実にいやらしい戦術だ。

 外の世界からの来訪の際、妖怪の山を含む周囲へと少なくない被害を出した吸血鬼とその一団は、次にルールを逆手に取る形で新たなる侵略を開始していた。

 

「天魔様はなんと?」

「直接下された指示は一つ。「好きにせよ」だそうです」

「……それじゃあ、大天狗様や他の上役たちからは?」

「それも、特には……大天狗様は所在不明。千里眼の椛が前線に出ており現場が混乱している為、探索が難航しております」

 

 あんのど腐れ上司ども……っ。

 

 部下の手前、文は舌の先まで出掛かった文句をギリギリの場所で留めて喉の奥へと嚥下する。

 天魔や大天狗など一部の者は違うだろうが、きっと大多数の上司たちは自らの保身しか考えていない。

 この事態を収束出来れば大きな手柄となるが、仮に失敗すれば周囲からの激しい非難と責任を取る形での失脚は避けられないだろう。

 山を守護する事よりも、その権威を守る事よりも――上司たちは座った椅子に縋り付く事を選んだのだ。

 文自身も是非ともそうさせて貰いたいのだが、生憎話を聞いてしまった以上見ない振りをしても上役たちからの責任逃れが飛び火して来る可能性は高い。

 

「そっちの貴方。貴方は山の裏側の守備隊を連れて、全力で防衛線を維持しなさい。例え首一つすら取られずとも、徒党を組んだ妖精ごときに本丸まで攻め込まれたとあっては組織の評判は地の底まで落ちるわよ」

「承知っ!」

「もう一人は待機よ。今すぐ大天狗様の首根っこ引っ掴んで来るから、ちょっと待ってなさい」

「お願い致します!」

 

 口早に言って二人の間を通り過ぎ、文は飛び出すように扉を開けて高速で紅い霧の舞う上空へと飛翔する。

 目指すのは、妖怪の山の中で一際大きな滝の中腹。丁度良い大岩が崖から突き出し、滝音に耳を傾けながらその端に立てば筆舌に尽くし難いほどの絶景を望む事が出来る場所だ。

 それは、山を、大地を、自然の全てを愛する大天狗が一番のお気に入りとしている場所でもあった。

 指を三本数えるより早くその場へと到着した文は、外の世界の品だろう肩幅ほどのスケッチブックを片手に鉛筆を走らせる上司を発見する。

 相変わらず和服を着込んだ普通の人間にしか見えない姿で、文の上司は幸せそうに風景を描き続けていた。

 

「――やはり、ここでしたか」

「やぁ、文。凄い光景だね」

 

 文の硬い口調にも、大天狗はまるで動じた様子もなくそちらを見向きさえしない。

 

「まるで、紅い絵の具を世界中に撒いたみたいだ。風情はなくなったけど、これはこれで目新しさがあるから面白いかな」

 

 太陽の光を隠すほどの紅い霧は幻想郷の全土をおおっているものの、地表に近づくほど濃度を減らし山の頂上辺りでも視界の妨げにはならない程度の希薄さしかなかった。

 

「相手側の奇策により、白狼の守備隊が苦戦しています。指揮を」

「いやぁ、困ったなぁ……この景色は今日の内で見納めだろうし、これから色んな場所を見て回るつもりなんだけど」

「……」

 

 普段と変わらない態度で頭を掻く青年天狗。自分たちの住処が荒らされているというのに、自由過ぎる言い草だ。

 確かに、天狗は風の如き自由な気風を好む性質があるとはいえ、流石にこの状況でそんな姿勢を取られても腹が立つだけである。

 文は思わず、普段の自分を棚に上げて閉口してしまう。

 

「戦争なのですよ?」

「違うよ、これは「異変」さ」

 

 非難の色が混じるのも構わず進言すれば、大天狗は飄々とした態度と笑みのままゆっくりと立ち上がった。

 これほどの事態にあって、彼はまだ吸血鬼たちが仕掛けて来た侵略を「お祭り」の範疇だと判断しているのだ。

 

「吸血鬼たちの目的はね、きっと本丸でも天魔様でもなくて――俺たちが新しいルールに対して、どこまで()()()()()()()を見極める事なんだと思うよ」

「……っ」

 

 大天狗の確信めいた発言に、文の表情が強張る。

 ただ蹴散らせば良いとだけ考えていた問題の根は、もっと深い場所にあったのだ。

 確かに、スペルカード・ルールが提唱され幾ばくかの日が流れたが、天狗たちの社会では「自分たちには関係がない」という風潮が強かった。

 所詮は遊び、どうとでもなるという慢心。文自身、取材や報道はしても実際に思っていたのはその程度の感想だった。

 それがどうだ。敗北し土に塗れたと侮っていた組織が、新たに敷かれた法を巧みに使いこなしこちらの喉元にまでその刃を届かせようとしている。

 命の代わりに、誇りが死ぬ。これは、そういう部分を含めてこその「遊び」なのだ。

 この郷において自分たちの優位は磐石であるという身勝手な安心感に身を委ね、「遊び」の定義を履き違えた結果がこの現状。これでは、文もまた保身を優先する上役の天狗たちと何一つ変わらない。

 烏天狗の少女は、知らず奥歯を強く噛み締めてしまう。

 組織の長は、恐らくこの危機感を山に住む良識者たちの全員で共有する事を望みあえて口を出さなかった。

 その側近の一人である大天狗も、また同じく――

 しかし、天魔と大天狗には大きな違いがあった。組織の(かなめ)として不動の姿勢で頂点に座す長とは違い、彼は一つ所に留まらない生粋の風来坊だという点だ。

 つまり彼は、根本的な部分で部下を率いる立場には向いていないのだ。

 

「――それじゃあ、文。今回の件で俺が持つ指揮権を、全部君に移譲するよ」

 

 よって、大天狗はあっさりと自分の権威を放り投げる。

 座っていた際に服に付いた土汚れを片手で適当に落とし、大天狗はそのまま崖の向こう側へ――何もない虚空へと向かって、まるで地面が続いているかのような気軽さで歩いていく。

 

「……は?」

 

 てくてくとしばらく空中を歩き、振り返った大天狗へと文は呆けた顔で疑問符を浮かべる事しか出来ない。

 

「頼りない若輩者の俺に代わって、君が前線の指揮を執ってよ。好きに動いて、好きに動かして良いからさ」

「あ、ちょ……っ」

「それじゃあ、頑張ってね」

 

 文の制止は間に合わず、大天狗は一瞬で空を駆けその姿を彼方へと消してしまった。

 思考が停止してしまうほどの突飛な言動をして、相手が立ち直るよりも早く退散する。それは、文が何時も食らっている大天狗の常套手段だった。

 

「あぁ、もう!」

 

 今回もまんまと逃げられた事で、文は遂に我慢の限界となっていた憤りを吐き出した。

 

「何が若輩者よ! 私より古株の癖して、何時まで新人気取りを続ければ気が済むんだか! バカッ! アホッ! すっとこどっこい! 何時も何時もヘラヘラヘラヘラ! こんな時くらい、上司らしく働きなさいよ!」

 

 どれだけ幼稚だろうが構わない。文はその場で思いつく限りの悪態を並べ、一本足の高下駄で地面の岩を何度も何度も蹴り付ける。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ――はあぁぁ……」

 

 叫び散らした後に訪れるのは、途方もない虚無感と胃がすくむほどの絶望感だ。

 もしも文が重責を恐れて逃げだしたとしても、大天狗は気にもしないだろう。むしろ彼は、現在の地位をわずらわしいとすら感じているらしく理由を付けては部下に無茶振りをして、その責任を負いたがるのだ。

 しかし、地位に執着のない穏当な性格だからこそ彼は例え天魔を相手にさえ一切物怖じする事なく、中庸な立ち位置から平然と意見を出してのける。

 ほど良く硬く、ほど良く緩い。今の組織の風潮を生み出し維持し続けているのは、間違いなく天魔と彼の功績だ。

 他の誰が彼の代わりに大天狗の地位に就いたとしても、きっと悪い方向での変化しか起きない。彼から仕事を丸投げされた部下たちは、そんな絶望の未来を回避する為に骨身も惜しまず与えられた無理難題を完遂しなければならなくなるというわけだ。

 意気消沈のまま、文はとりあえず白狼の青年を待たせてある小屋へと戻る。行きの時よりもかなり遅い飛行速度が、そのまま彼女の心情を物語っていた。

 

「文様! ――あの、大天狗様は?」

 

 戻って来た文に表情を明るくした青年だったが、現れたのが彼女一人である事を不思議がりおずおずと当然の質問をする。

 

「大天狗様より、此度の全権を委任されました。よって、これより私が指揮を執ります」

 

 仕事の口調に切り替えた文が、陰鬱な表情でその答えを話す。諦めの境地に至るには、状況が最悪過ぎた。

 

「それは……」

 

 白狼からの憐憫の込められた視線が大層痛いが、文はあえて無視した。現状で部下に当り散らしても、事態は一つも良い方向へは転がらないからだ。

 

「椛を前線からここまで下がらせなさい。それと、遠吠えの得意な白狼を五人ほど招集――あぁ、ついでにはたても呼んで来て下さい」

 

 千里眼による遠目と、念写による遠距離からの現場撮影。なんだかんだで文が手元に欲したのは、腐れ縁である知り合いの二人だ。

 それは能力による必要性でもあり、文は認めたくないだろうが他の者とは比べるまでもないそれなりの信頼からでもあった。

 

「――さっさと動くっ!」

「ぁ……はっ!」

 

 やけくそも含めた怒声を浴びせられ、白狼の青年は飛び跳ねるようにして頭を下げて一目散に小屋を後にする。

 今、射命丸文という少女の背に乗っているのは、間違いなく組織の存続を左右するほどの重大な責任だ。

 

 大天狗様ほどの方が投げ出したのよ? 私も投げ出したって、誰も責められやしないわ。

 博麗の巫女も動いてるみたいだし、私じゃなくてもきっと誰かがなんとかしてくれるわよ。

 ねぇ、ほら、今なら誰も居ないじゃない。外に出て、フラッとあの適当上司みたいに飛んで行くだけで良いのよ。

 私がやる必要なんて、どこにもないの。だから――ねぇ、ほら、早く動きなさいよっ。

 速さは私の取り得でしょうが……っ。

 

「なんで、私がこんな目に……っ」

 

 結局、思うばかりで行動に起こせずその場で身動きの取れなくなった文は、拳を握り締めて己の不遇を耐え忍ぶ他なかった。

 

 

 

 

 

 

 魔理沙が幻想郷をおおう霧の出所を探す途中で、その勝負の始まった理由は単純明快だった。

 目が合って、笑い合った。本当に、ただそれだけ。

 挨拶の時間すら惜しいと互いが三枚のカードを示し、大きく澄んだ湖の上で二つの影が高速で移動を繰り返しながら弾幕を振り撒く。

 

「中々やるじゃないか! 気に入ったぜ、妖精!」

 

 一つは、箒に乗った不敵な笑みの魔法使い。

 

 魔符 『ミルキーウェイ』――

 

 一枚のカードを展開し、紅い霧に包まれた昼の湖上を色取り取りの星々で煌びやかに染め返す。

 

「ふんっ、こっちの台詞よ! 認めてあげようじゃない、最強のあたいと互角に戦えるなんてね! 人間!」

 

 対するは、周囲へと熱気の代わりに冷気を迸らせる情熱的な蒼の氷精。一歩も引く気のない勝気な笑みで、負けじと対戦者へ言い返す。

 

 氷符 『アイシクルフォール』――

 

 口だけではなく、氷精には確かな実力があった。内包する力は普通の妖精と一線を隔すほど強く、撃ち出される弾幕は魔理沙のものともほとんど遜色がない。

 

「チルノちゃん、頑張って!」

 

 二人から少し離れた場所では、氷精の友達なのだろう緑色の長髪をした妖精の少女が健気に声援を贈り続けていた。

 一枚、二枚とスペルが消費され、一進一退を続けていた魔法使いと氷精の攻防は人間側の切り札によって決着を果たす。

 

「互角? 悪いな――どうやら今は、私の方が上らしいぜ!」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

「っ!?」

 

 チルノの旋回する軌道に合わせ、魔理沙の手の平に収まる魔力炉から極大の火砲が直進する。回避には間に合わず、防御が出来るほど生半可な威力ではない。

 間に撒かれた双方の弾幕ごと全てを巻き込み、長く続いた火線がようやく消失した後――チルノの居た場所には何も残されてはいなかった。

 

「お、おい……」

「――チルノちゃんっ! 大丈夫!?」

「大ちゃん……」

 

 まさか消滅させてしまったかと焦る魔理沙だったが、先程とは別の方向から応援していた妖精と弾幕ごっこをしていた氷精の声が聞こえて来る。

 目を向ければ、そこには一瞬で二者の位置を移動させ心配そうに氷精を抱く緑の妖精が居た。瞬間移動(テレポート)とは――氷の方だけかと思いきや、どうやら緑髪の方も中々に特異な存在のようだ。

 

「う゛ぅ゛――大ちゃんが邪魔しなかったら、あたい絶対勝ててたもん!」

「うん、そうだね。ごめんね、チルノちゃん」

「負けじゃないもん! 大ちゃんが悪いんだもん!」

「うん、うん」

「でも……怒鳴ってゴメンね。大ちゃん」

「――うん」

「――仲良き事は美しきかなってか」

 

 涙を滲ませる氷精の悔しさを緑の妖精が笑顔で受け止める光景を見ながら、魔理沙は眩しいもの見るように帽子のつばをそっと下ろす。

 しばらくそうして負けた妖精が落ち着くのを待った魔理沙は、改めて自己紹介から出会いをやり直す事にした。

 

「順番は逆になったが、まずは名乗るぜ。私の名前は霧雨魔理沙だ。お前たちは?」

「あたい、チルノ! 魔理沙は最強のあたいに勝ったから、今日からあたいのライバルね!」

「初めまして。私は、皆から大妖精って呼ばれてます」

 

 機嫌が直った青い方は良いとして、礼儀正しくお辞儀をする緑の方の挨拶に魔理沙は違和感を覚えた。

 

呼ばれてる(・・・・・)? って事は、本名は違うのか?」

「あ、えと……」

「そんな事も知らないの!?」

 

 普通の魔法使いの疑問に答えたのは、何故か本人の隣でふんぞり返るチルノだ。

 

「大ちゃんの名前はね、誰も呼んじゃいけないの。妖精の常識よ!」

「生憎と、人間なんでな――しかし、なんだそりゃ? 寄ってたかって一人を虐めるなんて、お姉さんは感心しないぜ?」

「違うわよ! あたいたちが、友達の大ちゃんを虐めるわけないでしょ! えーと……そう、おおおそれおおおいのよ!」

「チルノちゃん、それって恐れ多い?」

「おぉ?」

 

 自分で言っておいて、大妖精に訂正されても良く解っておらず変な声を出しながら首を傾げるチルノ。

 

 恐れ多い? 友達の妖精の名前を、ただ口にするだけが?

 

 死んでも復活する身体を持ち、無邪気さしか持たない妖精が一体何を恐れるというのか。

 敬うような言い方をしているが、妖精二人の関係に上下の立場があるようにも見受けられない。むしろ、気弱な大妖精をチルノが強引に引っ張っているような印象だ。

 

「――そんな事言って、ほんとは忘れた事を誤魔化してるだけなんじゃないかぁ? なぁ、どうなんだチルノ」

 

 奥歯に物が挟まったような疑問は、解消するに限る。魔理沙は、どう見ても乗せられ易そうなチルノから大妖精の本名を引き出しに掛かる。

 

「違うわ! ちゃんと覚えてるもん!」

「はいはい。そうやって言ってれば、友達を傷付けないで済むもんなぁ」

「むぅぅっ!」

 

 予想通り、あっさりと挑発に乗った氷精が限界まで頬を膨らませて白黒の魔法使いを睨んで来た。簡単過ぎて、面白味がないくらいだ。

 

「嘘じゃないわよ! ちゃんと言えるったら! 大ちゃんの名前は、メ――っ」

「チ、チルノちゃん!」

 

 もう一押しをするまでもなく、怒りと勢いに任せて秘密を暴露しようとするチルノだったが、寸前で大妖精が待ったを懸けてしまう。

 

「ん? 何、大ちゃん?」

「あ、あのね、えっと――私の名前は、ね?」

「うん、知ってるわよ。呼んじゃいけないん――あぁっ!? お前、騙したなぁっ!」

「……ちぇっ」

 

 チルノが気付いてしまったので、魔理沙の作戦は失敗に終わってしまう。まぁ、妖精は忘れっぽいのでまた後日チルノが一人の時に同じ事をすれば答えは得られそうではあるが。

 

「あの、魔理沙さん」

「悪かったよ。もうしないって」

「いえ、そうじゃなくて――お願いがあるんです」

「大ちゃんどいて! 妖精を騙そうなんて酷い悪党は、あたいがぶっ飛ばしてやるんだから!」

「チ、チルノちゃん。落ち着いて、ね?」

 

 後ろで騒がしく喚いているチルノをなんとか押し留め、大妖精は魔理沙へとあるお願いをする。

 

「チルノちゃんに勝てる、強い人間さん。どうか、私たちをこの湖の先にある紅いお屋敷の中まで連れて行って欲しいんです」

「紅い館?」

 

 大妖精の指差す方向を見れば、確かに湖面の先にはかなりの大きさだろう館の姿が見て取れる。霧の発生している方角も一致しているので、あれが今回の異変を起こした主謀者の本拠地で間違いないだろう。

 

「屋敷に行って、何するんだ?」

「この紅い霧を止めさせるのよ!」

 

 魔理沙への怒りをそのまま別の標的へと移し、チルノは頭から湯気が出そうなほど憤っている。

 

「何時もなら、どんなに曇ってても昼間は太陽を感じられるのに……あの紅い雲が、全てを遮ってしまっているみたいなんです」

 

 胸の辺りで両手を組み、大妖精は必死の想いを込めて魔理沙へと懇願する。

 

「妖精は、太陽や月の光を浴びないと弱ってしまいます。このままこの霧が続くと、小さくて弱い妖精たちが危ないんです。だから今、チルノちゃんと一緒に霧を止めて貰うようお願いに行こうとしてて――」

「……お前、本当に妖精か?」

「え?」

 

 話の途中で質問を投げ掛けられ、大妖精が首を傾げた。

 唐突ではあったが、魔理沙の疑惑はそれほど的外れなものではない。

 

「にしちゃあ、ちょっと頭が良過ぎるだろ」

 

 頭脳明晰な妖精など、それはもう妖精ではない別の何かだ。ここまで理路整然と状況を正確に把握出来る彼女は、自然の結晶という存在から逸脱していると言って過言ではなかった。

 先程の良く解からない事情といい、この緑の妖精には謎が多いらしい。

 

「あ、あの……ごめんなさい」

「いや、別に責めてるわけじゃないんだが……」

「こらぁっ! 大ちゃんを虐めたら承知しないわよっ、魔理沙!」

「はいはい、悪かった悪かった」

 

 チルノに怒られ、魔理沙は片手を振りながら適当に謝罪する。

 解からないながらも、大妖精の人柄に問題はない。嘘を吐いている様子もなく、ただ純粋に同胞たちに降り掛かった不幸をなんとかしようと頑張っているだけなのは、見れば解かる。

 

 まぁ、妖精が内緒にしてる事を引き出すのは別に難しくないから後で良いか。

 チルノもさっき言い掛けた。本当に知られて困るってわけでもないらしいし、また明日にでも適当に別の妖精捕まえて聞けば良いしな。

 

「良し解かった――チルノ、大妖精。私と一緒に、あの館に殴り込みだ!」

「おーっ!」

「え、あの、お話し合いをしに……あうぅ」

 

 今は、異変の解決に集中した方が良い。そう判断した魔理沙は、妖精二人を仲間に加え意気揚々と紅の屋敷を目指し始めた。

 普通の魔法使いは知らない。語られぬ妖精の名を――語ってはならぬ(・・・・・・・)、妖精の名を。

 自然より生まれた大地と空の結晶たちが揃って口をつぐむのは、それ相応の理由があっての事なのだと。

 それが幸運であるという事も、或いは永遠に気付かないまま――

 

 

 

 

 

 

「むぅー……負けたのかー……」

 

 博麗神社の近郊にある森林地帯で、木の幹に半分ほど身体が貫通し身動きの取れなくなった妖怪の少女が目を回しながら情けない声を出していた。

 

「弾幕勝負で勝ったら私を食べて良いって約束だったし、諦めるのね」

 

 妖怪を木に突き刺すという荒業を披露した巫女は、お払い棒を持った片手を腰に当てて鼻息を鳴らしている。

 

「そんな下手な演技で、私を油断させるつもりだったの?」

「んう?」

「あぁ、なるほど。別にそういう目的じゃないのね」

 

 妖怪の少女が猫を被っている事を見抜いていた霊夢だったが、どうやらその理由は獲物への擬態などではないらしい。

 

「んー、動けないのだー。これじゃあ(はりつけ)みたいなのだー」

「しばらくそうやって、人間を襲った事を反省してなさい」

「ちゃんと、襲う前に食べて良いかは聞いたのだー」

「聞けば許されるってもんじゃないわよ」

「うー……」

「――っ」

 

 もがくのを止めて諦めたかに見えた黒服の少女だったが、次の瞬間彼女を中心として球状の「闇」が溢れ出した。周囲を漂う紅い霧を塗り潰すほどの漆黒は、出現した位置にある少女以外の全てを食らい尽した。

 最初に少女を封じていた幹へと上下を分断するほどの大穴が開き、まるで底なしの穴へと落ちるように支えを失って落下を始めた樹木の上部を丸ごと飲み干す。最後に残されたのは、半球状に抉られた切り株と「闇」に触れなかった残りの枝葉だけ。

 

「何よ、自力で出れるじゃない」

「お姉さんは意地悪なのだー」

 

 凶悪な現象を見せ付けておきながら、宵闇の妖怪は何事もなかったかのようにプンプンと可愛らしく頬を膨らませている。霊夢もまた、その態度は警戒からはほど遠いのんきなものだ。

 

「んー、お腹が空いたのだー……」

「生憎、日持ちする食べ物を持ち歩く習慣はないわね。その辺の雑草でも食べてなさい」

 

 大きな腹の音を鳴らして眉根を下げる妖怪にそれだけ言って、霊夢は別の場所へと向かうべく空を飛んで行く。

 

「――なんで付いて来るのよ?」

「んー? こっちから、美味しそうな匂いがするのだー」

 

 妖怪の感覚は、人間や他の動物とは根本的に異なる。巫女の隣でニコニコと笑う赤リボンの少女の言う匂いとやらは、霊夢には一切感じる事が出来なかった。

 或いは、本当の匂いなのではなく直感めいた予想のようなものなのかもしれない。

 そして、霊夢の直感もまた同じ場所を目指しているらしかった。

 

「あんた、名前は?」

「ルーミアー」

「そう。それじゃあルーミア、一緒に行く?」

「おー、いーのかー?」

「良いわよ、弾避けくらいにはなりそうだし」

「お姉さんは、優しいのだなー」

「ついさっきと、言ってる事が真逆になってるわよ」

 

 そして、巫女の勘はこうも告げている――この妖怪は、連れて行くべきだと。

 本当に弾避けとして使ったり、誰かとの弾幕ごっこを任せるつもりは毛頭ない。それでも霊夢は、己の直感に従って彼女の同行を許した。

 

「……荒れそうね」

 

 空模様は、紅一色。他の色など許さない、薄暗い曇天が続いている。

 雲が重なり続ければ、雨となるのが自然の摂理。そこに風が加われば、やがて嵐と成り果てる。

 霊夢の勘は、良く当たる。異変の最中という最も集中している今ならば、外れる方があり得ない。

 つまり、彼女の感じている嵐の予兆もまた、避けられない現実として幻想郷の空へと確実に迫りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 さて、ここで一度状況を整理してみよう。

 私は、なんだか良く解からない内に「紅霧異変」の開始に巻き込まれ、紅魔館で保護される事になった。

 で、パチュリーの研究室で紅茶でも飲みながら優雅に異変が終わるのを待っていれば良いだけだと説明されたわけだが――

 

 研究室への扉を通り過ぎた場所が、どう見てもフランの部屋なんですがそれは……

 

 体得した精神世界面(アストラル・サイド)を見抜く便利な「目」によって、部屋の入り口になんらかの魔法的な仕掛けが施されているのは解かっていたが――まさか、転移魔法でこの部屋まで強制送還されるとは思いもしなかった。

 部屋の唯一の入り口は、フランを幽閉していた時と同じだろう強力な封印によって固く閉ざされてしまっている。私の普段使っているような攻撃呪文程度では、簡単に弾かれてしまうだろう。

 

「ねーねー、お姉ちゃんっ。膝枕、膝枕してーっ」

 

 私だけではなく、別の場所から空間を越えて来たフランも何故かこの部屋で一緒に閉じ込められていた。二人っきりでする事もないので、ご機嫌の甘えん坊状態だ。

 

「良いわよ。ほら、いらっしゃい」

 

 三人くらいは一緒に寝れそうな大きなベッドに腰掛け、フランを手招きしてその頭を膝へと乗せてあげる。

 彼女のパタパタと楽しそうに揺れる輝石の羽を見ながら、私はそのきめ細かい金髪に置いた自分の手の平をゆっくりと時間を掛けて往復させていく。

 

「んふふー」

 

 ふあぁ……何この天使みたいな悪魔の妹。ふにゃけた笑顔が可愛過ぎて、呼吸するのも辛いレベル。

 もうなんていうか、こんなに幸せで許されるんだろうかね。私。

 

「――ねぇ、お姉ちゃん」

 

 一日中続けていても飽きないだろう優しい時間の中で、身体を横向きにして私から視線を逸らしたフランが呟くように問い掛けて来た。

 

「なぁに?」

「お姉様たちの事、怒ってる?」

「いいえ、怒ってはいないわ。ただ、突然の事で少し驚いているだけよ」

 

 確かに、偶然に偶然の重なったような今の状況はどこか作為めいたものが見え隠れしている。レミリアやパチュリーの対応も、こうして私を捕らえたあの罠も、全てが予定調和だと言われた方が納得出来る。

 だが、結局はそれだけだ。事情を説明してくれなかった事は水臭いと感じるが、この異変を始めた幾つもの目的のどこかで私という存在が役に立つのなら助力を惜しむつもりはない。

 

「お姉様がね、約束してくれたの」

 

 フランの両手が、彼女の頭を撫でていた私の右手に触れる。僅かに震えるその声には、どうしようもない不安が滲んでいた。

 

「お姉様たちが異変を起こした時にね、私が何も壊さずに我慢が出来たら――そしたら、自由にお外に出ても良いよって」

「――恐い?」

「……うん、恐い。とっても恐いの」

 

 恐くないわけがない。

 この娘の両手は、あらゆるものを破壊する。気に入った玩具も、仲良くなった友人も――愛する家族でさえも。

 嫌な思い出の方が多いだろうこの堅牢な地下室を使い続けているのも、フラン自身がそれを望んでいるからに他ならない。

 また、壊してしまうかもしれない。また、壊れてしまうかもしれない。

 能力の制御を学んだとして、それが一体なんの気休めになるだろう。明るさを得たこの少女の心の裏には、常にそんな恐怖がまとわり続けているのだ。

 

「だから、今日はお姉ちゃんと一緒に居たかったの。お姉ちゃんにこうして甘えてからなら、きっと大丈夫だと思ったから――お姉様は、私のお願いを叶えてくれたんだと思う」

 

 レミリアェ……

 えっと、その、なんていうか――マジごめん。

 

 フランからそんなお願いされた時、レミリアの心境は如何ほどのものだったのか。想像するだけで、申し訳なさがギャラクティカだ。

 実の姉よりも知り合いのお姉ちゃんを選ぶという妹の無慈悲な選択に、私は脳内でジャンピング土下座状態である。

 

 あれ? こういう事、前にもどこかであったような気がするかも。

 後から来た私の方が仲良くなっちゃって、それで誰かから嫉妬されて――

 お祝いの……約束?

 誰と? なんの? ……駄目だ、これ以上は思い出せそうにないや。

 

 私の消された記憶に関する事だろうが、どうにもその先はお手上げらしい。

 しかし、思い出せないながらもフランを元気付ける良いヒントは得る事が出来た。

 頑張った娘には、ご褒美をあげなければ。

 

「――まずは、綺麗な湖でピクニックかしらね」

「え?」

「最初のお祝いよ。お弁当のリクエストは、私と咲夜がきっと叶えてあげるわ」

 

 定番のサンドイッチ、和風のおにぎり、たこさんウィンナーに、卵焼きやから揚げも添えて――飲み物は、雰囲気を重視して魔法瓶に入れたアップルティー。

 この娘はきっと大丈夫だから。私はただ、信じてここで待っていてあげれば良い。

 

「「覚悟」とは、暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事よ」

 

 フランならなれるさ、立派なギャング・スターにね!

 いやさ、別になる必要はないんだけども。気分的にね、それぐらい気合入れていこうねって話。

 

 この娘の苦悩も、努力も、その結果も、私には見ていてあげる事しか出来ない。笑顔で送り出す事すら出来ない私は、せめてこうして精一杯の愛情を手の平から伝え続ける。

 

「頑張って」

「――っ。うんっ!」

 

 この異変で出会うだろう二人の人間は、フランに新しい風を届けてくれる。幻想郷(世界)の広さを知らないこの娘に、「外」の素晴らしさを教えてくれる。

 

 どうか――この娘の未来に、幸福の包まれた光がありますように。

 

 太陽から嫌われた吸血鬼の少女に対し、私は皮肉にもそう願わずにはいられない。

 

「――絶対に、誰にも渡さないから……」

 

 再び顔を逸らしたフランが、私のスカートを小さく掴んで何かを呟く。

 私は、その掠れるような彼女の言葉を聞き取る事が出来なかった。

 

 




最初が軽いノリで始まったから、コメディタッチかと思った?
残念、ガチでしたww

どうしてこうなった……orz

動かすキャラが多過ぎて、どうにも長くなりそうですねぇ。
あ、好きなキャラは大体EX化してます(二度目)

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