東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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ガッデム、話が進まねぇ……



51・ア・カ・イ・イ・ト

 湖の水面にて、普通の魔法使いとの勝負に負けた華人妖怪は墜落した後しばしそのままの状態で水の上へとその身体を投げ出していた。

 

「随分あっさり負けたわね」

「――おや? お恥ずかしい所を見られてしまいましたね」

 

 そんな彼女に声を掛けて来たのは、背後に黒服の少女を連れた紅白の巫女だ。どうやら、先程の弾幕ごっこを見物していたらしい。

 博麗の「巫女」という名が付いているくらいなので、本来異変解決を行うのは先程の魔法使いではなく彼女の方なのだろう。

 

「あんた、本気でやったの?」

「勿論ですよ。ほらほら、こんなにボロボロじゃないですか」

「あ、そう」

 

 起き上がって服や髪から含んだ水を滴らせながら、美鈴は見せ付けるようにして服の破れた箇所を相手へと晒す。しかし、巫女の呆れ声からも解る通りにこやかな笑顔からはまるで真実味が感じられない。

 敗北とは、即ち諦念だ。例え死ななくとも、精神を基盤とする妖怪が負けを認める行為は自分の弱さを認める事と同じであり、大小の差はあれ確実な弱体化を引き起こす。

 しかし、美鈴は敗北した事に対し納得をしていながらまるで気にも留めていない。

 妖怪という圧倒的な強者でありながら、彼女は常に挑戦者の立場であり続けているのだ。

 自分は強いという十分な理解の中で、他者と比較した己の弱さを自覚する。その矛盾染みた精神を拮抗を崩す事なく保ち続けられる彼女は、恐らく神仙や天人にすら至れる資質を持っているのだろう。

 肉体や精神を鍛え高みを目指しながら、その上で彼女はそういった昇華を捨てて妖怪という外法者であり続けている。

 それもまた矛盾。紅美鈴とは、矛盾の塊りのような妖怪だった。

 

「貴女は……」

「んー?」

 

 次に美鈴が見たのは、ふわふわと適当に漂う宵闇の妖怪。

 当時の騒動では出会う事のなかった二人は、これが初対面だ。美鈴が感じているのは、この少女の存在そのものではなくその背後に映る見えざる糸の存在。

 

「――そう。貴女も、導かれたのね」

 

 自分自身もまた、運命に繋がれるその一人であるが故に――

 とはいえ、気付いたところで何をするわけでもない。美鈴の役目は紅魔館に雇われた門番兼庭師であり、それ以上も以下もレミリアからは求められてはいないのだ。

 

「ちょっと濡れちゃってるけど――飴、食べる?」

「おー! ありがとうなのだー!」

「さて、巫女さん。あちらに見える紅いお屋敷が、今回の騒動を起こした吸血鬼、レミリア・スカーレット様の本拠地である紅魔館となります。先程の魔法使いさんは、魔道書が多く貯蔵されている地下の大図書館へ向かわれました」

 

 妖怪の少女をあやしながら、美鈴はほがらかに自陣の情報を開示し始める。レミリアからそうしろと命令されたわけではないのだが、わざわざ隠す理由も必要もないからだ。

 美鈴は、己を偽らない。自身の運命が主や館と共にあるのならば、己を貫き続ける事こそが忠誠を示す一番の手段であると彼女は確信していた。

 

「主謀者であるお嬢様は、貴女が到着される頃には恐らく四階にある謁見の間でお待ちしている事でしょう。道中で恐いメイドさんに出会うと思いますから、頑張って下さい」

「どっちの味方なのよ」

「勿論、私はお嬢様の味方ですよ」

「貴女、あそこの守衛か何かでしょ? そんな職務怠慢な仕事振りで勤まるの?」

「まぁ、危なそうなのはその場で叩き潰しますから」

 

 美鈴の態度にも口調にも、大きな変化はない。相変わらず本気か冗談か解らないような、気の抜ける笑みを続けているだけだ。

 必要があれば殺し、必要があれば命を懸ける。単純で解り易い指針だからこそ、彼女の立ち位置が揺らぐ事は絶対にない。

 

「――食わせ者ね」

「まさか、ただの正直者ですよ」

 

 敵意がないのなら、巫女の側も無理に相手をする必要はない。会話がそこで終わり、博麗の巫女は妖怪の少女を連れて紅い屋敷へと飛んで行く。

 

「お気を付けてー」

「おー、お菓子ありがとうなのだー」

 

 のんきに手を振って二人を見送った美鈴は、続いて大きく伸びをしてたり首を捻ったりとしながら適当に身体をほぐしていく。

 

「よっ、ほっと」

 

 この異変で、レミリアが美鈴に与えた命令は二つ。

 一つは、紅魔館への侵入者となり得る者たちの剪定と誘導。こちらは、ほぼ終わったとみて問題ないだろう。

 実力を示した魔法使いと推し量るまでもなく強者と断定出来る巫女は通し、興味本位で近づいて来た妖精や木っ端妖怪たちは全てこの湖へと呼び込み蹴散らした。

 ここまで待って動きがないという事は、他の実力者たちは静観の構えを取ったのだと推測出来る。

 

「さぁてっ、もう一頑張りするとしますか!」

 

 これ以上この場に居ても収穫はなさそうなので、美鈴は気合を入れ直し湖面を足場に上空へと飛び上がっていく。

 どうやら、長い停滞から動き始めた今日という日はまだまだ紅の守衛を退屈で有意義な日常へと戻してはくれないらしかった。

 

 

 

 

 

 

 湖で門番を下し魔理沙たちは、古びていながら()()()()()()紅の屋敷へと到着する。中に入った彼女たちを待ち構えていたのは、メイド服を着た大勢の妖精たちだ。

 

「侵入者ー! 侵入者だー!」

「撃て撃てっ! 撃ちまくれー!」

「討ち取れ討ち取れー!」

 

 元気良く騒ぎながら好き勝手に突撃して来る妖精たちを眺めながら、血気盛んな二人の少女が野生的な笑みで迎え撃つ。

 

「おぅおぅ。随分とまぁ、大人数がお出迎えだなぁおいっ!」

「ふんっ。最強のあたいに挑もうだなんて、身の程を知りなさい!」

「うぅ。ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」

 

 頭を抱えて謝罪を繰り返す大妖精の前で、魔理沙とチルノが縦横無尽に立ち回り妖精たちを蹴散らしていく。

 

「うわー! やられたー!」

「こいつら、強いぞ!」

「強いな! 負ーけーたーっ!」

 

 弾幕の当たった妖精たちは、ケラケラと笑いながら退散する。

 血を流さない妖怪退治。平和で、楽しく、それでいて激しく痺れるような刺激に満ちた遊戯にその場に居るほとんどの者たちが夢中になっていく。

 

「おらおらぁ!」

「なっさけないわねぇ! それでもあたいと同じ妖精なの!? こんじょーを見せなさいよっ、こんじょーを!」

「ふ、ふぇぇ……」

 

 ノリノリで周囲を蹂躙する仲間たちの中で、唯一の良心である大妖精は完全に涙目だ。しばらく二人が暴れ尽くして満足する頃には、一面の高そうな絨毯や精巧な壁は無残な姿へと変わり果てていた。

 

「あ、あわわわ……」

「プリムラ! 貴女も、ここで働かされてたの?」

 

 腰を抜かして逃げ遅れた緑髪の妖精を見て、大妖精が走り寄る。どうやら、やや長身に感じるその少女は大妖精の顔見知りらしい。

 

「え? プリムラ? 私はアインだよ」

「――え?」

 

 しかし、相手からの返答は無情なものだった。大妖精は何を言われたのか解らないといった感じで、きょとんとした顔をしている。

 

「あ、もしかして前の名前? だったら、メイドとして雇われる前に魔女のパチュリー様にあげちゃったよ」

「そ、そんなっ!?」

 

 あっけらかんとしているプリムラ――今はアインの言い草に、大妖精は堪らず大声で悲鳴を上げていた。悲痛に歪んだその表情から、動揺の仕方が尋常ではないと解る。

 

「名前を奪う、か――古典的な契約方法だな。これだけ大量の妖精と同時に契約出来る魔女なんて、湖に居た門番といい中々強そうな奴も居るじゃないか」

「ま、魔理沙さん……その魔女さんの所に行きましょう。会って、お話ししないと」

「いい加減、話し合いは諦めた方が良い気がするけどなぁ」

 

 声を震わせながら、それでも対話を諦めない大妖精。しかし魔理沙には、ここまで住処を荒らした側の話などまともに聞き入れて貰えるとはとても思えなかった。

 

「ま、目的地は同じみたいだし、乗り掛かった船だ。ご一緒してやるぜ」

「ありがとうございます」

「あたいも! あたいも一緒に行くよ、大ちゃん!」

「うん。チルノちゃんも、本当にありがとう」

「ふふーんっ」

「単純だなぁ」

 

 対抗意識を出して宣言し、大妖精から期待通りの反応を返して貰い満足気に笑うチルノを、隣で魔理沙が呆れながら見ている。

 人間一人と妖精二人の一行は、適当に歩き回る事で早々に地下へと向けて伸びる大きな階段を発見する。まるで導かれるような都合の良い早さだったが、それを気にする者は三人の中には居なかった。

 

「へへっ。悪役が待ち構えてるのは、地下か最上階と相場は決まってるもんだぜ」

「なんだか、恐いです。薄暗くて、風もなくなって……まるで、この先に沢山の悪い夜が澱んでいるみたい」

 

 階下から流れて来る不穏な空気に空元気を出す魔理沙とは違い、大妖精は感じた気持ちを素直に吐き出しながら自分のスカートを両手で掴み顔を蒼ざめさせている。

 

「大丈夫! あたいは最強だから、大ちゃんには指一本触れさせないわ!」

 

 根拠もない自信を、胸を反って堂々と豪語するチルノ。その明るさは、今の雰囲気の中で歩を進める為の助けとなっていた。

 やがて辿り着くのは、屋敷の入り口にあったのと同じくらいの大きさをした二枚の大扉。それ自体が魔法陣なのか、その中心には一面を使った円と複雑な紋様が刻まれている。

 その荘厳な意匠を前に、三人の内の誰かがゴクリッと生唾を飲み込んだ。

 

「さて……ご開帳だぜっ」

 

 ここまで来ておいて、怖気付くなどあり得ない。虚勢も交えながら、魔理沙は両腕に力を込めて勢い良くその扉を開け放つ。

 広大な面積を持つ地下の空間には、無限にすら思えるほどの大量の棚とそれに込められた本ばかりが溢れている。ここは間違いなく、深遠に至る智の王国だった。

 

「すっげぇ……っ」

 

 本棚の至る所から漂って来る魔本の気配を感じ、魔理沙は知らず頬を高潮させるほどの興奮をあらわにする。この場所は、魔法使いという人種にとって正に聖地に等しい場所だと本能が告げているのだ。

 

「いらっしゃいませー」

「っ!?」

「誰だ!」

 

 気の抜けた声を出しながら上空から現れた何者かに対し、怯える大妖精を庇いながらチルノがその前へと進み出る。

 

「フフッ、そう警戒なさらず」

 

 胸に右手を当てニコニコと笑顔を振り撒くのは、黒と白の燕尾服を着た長髪の少女だった。

 人の形をしているが、彼女も人間ではない。背中と頭の左右に生えるコウモリの羽が、その事実を歴然と物語っている。

 

「私は、この図書館で暮らす主人に従えるただのちっぽけな悪魔でございます」

「あ、悪魔さん、ですか?」

「そうですね。取るに足らない小物の悪魔――縮めて、小悪魔とでもお呼び下さい」

「お前も、魔女に名前を奪われたのか?」

「えぇ、えぇ、その通りです。私は、七曜の魔女であらせられるパチュリー・ノーレッジ様に御名を捧げ忠誠を誓っております」

 

 言葉の終わりに芝居染みた大げさな動作で深く腰を折り、笑みと態度を崩さぬままその事実を認める小悪魔。

 滲み出ているのは、嘘と虚構。人当たりの良い言葉も、礼儀正しい仕草も、その笑顔ですら何一つ信用が出来ない。

 

「あ、あのっ、その魔女さんに会わせて欲しいんですっ。お聞きしたい事とお願いしたい事があって、それで……っ」

 

 それでも、大妖精は現れた魔女の従者にしがみ付く。彼女に残された道は、もうそれしかないから。

 

「えぇ、えぇ、かしこまりました。さぁ、どうぞこちらへ」

 

 小悪魔は、案内役として優しく大妖精を導く、例え、導く先が地獄であろうとも――

 悪魔とは、堕落と背徳を(つかさど)る欲望と悪意の権化だ。小物であろうが大物であろうが、その本質は変わらない。

 彼女が悪魔であるというのなら、好むのは幸福や希望などではない。笑顔の裏で望むのは、目の前で引き起こされる徹底的なまでの悲劇と絶望。

 

「ふふっ、楽しみですねぇ」

「?」

 

 隠し切れない愉悦と期待の正体を知らない純粋な妖精は、その美しいまでの笑みに首を傾げるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 時を遡り、魔理沙が美鈴と戦い始めた辺りの頃。

 紅の館の地下深くでは、当主とその相棒が膝を突き合わせて同じものを眺めていた。

 魔女の座る何時もの座席の前に置かれているのは、魔道書ではなく両手で包める程度の大きさをした透明な水晶玉。

 中に映っているのは、遥か遠くの映像である木々と坂ばかりが見える山道で戦う妖精と白狼たちの大乱戦だ。臨場感はあるものの、音が聞こえて来ないのでいまいち盛り上がりに欠けている。

 

「――動きが変わったわ。統率者が現れたみたいね」

「ようやく、か。速さが売りの種族でしょうに、随分と余裕を見せてくれるじゃない」

 

 そんないまいちな水晶を眺める魔女の言葉に、対面で腕を組む吸血鬼が対応の遅さを皮肉る。

 パチュリーの仕掛けた子供染みた策は、大した刺激もなく安寧に身を浸していた天狗たちを大混乱へとおとしいれていた。事前の準備すらなく即興で打ち出した作戦にしては、十分な戦果だろう。

 これだけで、教育した妖精たちを妖怪の山へと攻め込ませた目的はほぼ達成出来たと言って良い。

 幻想郷のバランスを担う者たちの中で最も数が多く、唯一組織としてまともに機能しているこの集団がスペルカード・ルールを真剣に取り組むようになれば、それ以外の者たちもこの新しい流れを無視出来なくなる。

 妖怪は個であれど、それが「個」であると認められている要素はやはり周囲からの認識だからだ。

 朱に交われば、赤くならざるを得ない。丁度、紅い霧が全土を漂う今の幻想郷のように。

 

「ほど良く遊んだら、次の段階に移りなさい。美鈴も咲夜も、もう動いているわ」

「これ以上、まだ茶番に付き合えというの? 私は、貴女の願いを叶える願望機ではないのよ」

「真の友情とは、対価を求めないものよ」

 

 散々ままごとを手伝わされて辟易としているパチュリーへと、レミリアは実に楽しそうにおどけてみせる。

 何時だってどこだって、魔女の旧友は自分を中心に世界を回したがる。ちょいと鼻っ柱を折られてくらいでは、その傍若無人な性格を矯正する事は出来なかったらしい。

 そして、彼女の我侭や気紛れを丸投げされる度にそれを最低限であれ目に見える現実として昇華出来てしまうのが、このパチュリーという魔女なのだ。

 二人の相性は最高で、そして他者にとっては最悪だった。

 

「――良かったの? アリスに妹様を取られて」

 

 せめてもの嫌がらせとして、パチュリーは閉じ込めたフランとアリスの事を話題に出す。

 フランからアリスと二人きりになれる時間が欲しいとお願いをされたのはレミリアだが、それを実行したのはパチュリーだ。

 この姉がどれだけ妹を愛しているかを知っている旧友は、笑顔で快諾したその胸の中で血の涙くらいは流しているのではないかと推測していた。

 

「良いのよ。むしろ、悪い理由の方が思い浮かばないわね」

 

 しかし、レミリアからの返答は至ってあっさりしたものだった。肩を軽くすくめているだけで、八つ当たり染みた感情さえ浮かべてはいない。

 

「……少し意外な答えね。てっきり、泣き喚きながら癇癪でも起こすものだとばかり思っていたのだけれど」

「私だって、場の空気くらいは読むわよ」

「貴女の場合、読んだ上で自分の都合を優先させるじゃない」

「今が違うと? ははっ、買い被られたものね」

 

 長い犬歯を覗かせて、凄惨な笑みで暴君は嗤う。

 全ての運命は、紅の女王がかざす手の平の上にある。辿るべき道筋が見えているというのに、台無しにしてしまう方があり得ない。

 

「最後にあの娘の笑う運命が待っているのなら、私は嬉々として泥水だって啜ってみせるわ」

 

 今までだってそうして来たし、これからだってそうするだろう。それは、覚悟ですらない彼女の中での揺るぎない決定事項なのだ。

 

「パチェ」

「何?」

「「黒と白で重ね着をしている女の子からは、決して目を外さない事。余所見をすると、火傷をするかも」――ですって」

「相変わらず、要領を得ない予言ね」

 

 レミリアの語る運命は、何時も漠然とした抽象的な言葉で表現される。確かに彼女から示される場面は大抵の場合強く印象に残るようなものばかりなのだが、運命の内容を理解出来るのもまた事態の最中か全てが終わった後である事が大半だ。

 よって、彼女の見えた未来とやらは聞き流しておくのが正解だといえる。

 

「あぁ、そろそろ日が沈むわ。私たちの時間よ」

 

 皮肉な事に、太陽を弱点とする吸血鬼だからこそレミリアは地下に居ながら紅い霧で完全に隠されている天上の大火を知覚する。

 天井を仰ぎ、ギラギラと光る真紅の瞳が見据えるのは如何なる栄光か、はたまた破滅か。

 

「フランドール――我が愛しの妹よ。血を吐くほどに苦しみ、悶え、汚泥に塗れたその心で――思う存分遊んで来いっ!」

 

 万感の込められた歓喜の叫びが、図書館という空間の全てへ伝播していく。

 太陽の時間が終わる。人間の時間が終わる。

 これより始まるのは、影と闇に満ちた化け物たちが存分に暴れ回る宴の時間だ。

 

「はぁっ……面倒ね」

 

 溜息を吐きながら、それでも魔女は暴君の願いを十全な形で叶えるだろう。これまでもそうして来たし、これからだってそうするだろう。

 信頼と、友情と、少々の惰性。二人の間にあるのは、そんなどこにでもあるような小さな絆だ。

 二人がなんの力も持たないただの少女であったならば、それは単なる微笑ましいだけの話で終わっていた。

 しかし、そうではない。そうはならない。

 二人の仕掛ける悪辣な悪戯は、更なる波紋となって各地を襲うだろう。付き合わされる者たちは、真に不幸だったと同情せざるを得ない。

 月の隠れた紅の夜会は、まだ始まりの幕さえ上がってはいなかった――

 

 

 

 

 

 

「ルーミアに、幽香に――最近では、妖怪の山に住んでいる烏天狗の文も時々私の家に来る事があるわ」

「ふぅん……」

 

 フランからねだられ、私は自分の生活の事を話してあげていた。

 といっても、隠遁生活中で外にはほとんど出ないので交友関係は吸血鬼異変の以前から付き合いのあった者たち以外では、ミスティアと文ぐらいしか増えてはいない。

 

 レティは冬限定だから、今は会えないしね。

 ふっ、友達の数でありゃりゃぎさんに勝ってしまった。

 ――失礼、かみまみた。

 

「――お姉ちゃん、その人たちの事が好きなんだ」

 

 自慢なのか自虐なのか解らないドヤ顔の内心はさて置き、膨れた頬を見る限りどうもフランは出会った事のない私の友人たちに嫉妬しているらしい。

 

「えぇ、友達だもの。大好きよ」

「フランは?」

「勿論、貴女の事も大好きよ」

「他の友達よりも?」

「そうね――フランは、レミリアと私のどっちが好きか答えられるかしら?」

 

 秘奥義、質問返し!

 

 答え辛い質問をされた時は、とりあえず煙に巻いておく。私は汚い大人なのだ。

 

「……解んない」

 

 実姉の為にも、即答で「アリスお姉ちゃん」と答えられなかった事に心の底から安堵しつつ、私はフランの頭を撫でる。

 

「それで良いの。皆が大好きで、皆が大切――その中から一番を決めるのは、もう少し後の事よ」

「……うん」

 

 この娘も、心の奥底ではちゃんと理解しているのだ。私に懐いているその友愛が、一過性のものでしかないのだと。

 フランは、レミリアや従者たちでは立場の近さや格差からどうしても出来ない、ただ純粋に甘やかしてくれるだけの都合の良い隣人として私を置いているだけなのだ。

 外を知らないこの娘の世界は、とても小さく狭いままで止まってしまっている。私もまた、彼女にとってはその殻の内に住まう側の人物だ。

 殻を破り、外へと飛び立つ彼女に私はもう必要ではない。勿論、これからも私はこの館に訪れるだろうし甘やかすのも続ける事だろう。

 それでも、私とフランの関係は変化するはずだ。否、変化しなければならないのだ。

 私や館の住人だけを認めるような世界など、この娘に作らせてはいけない。

 

「そろそろ行くねっ」

 

 私の膝から離れ、フランは二、三歩ほど歩いた場所で立ち止まる。

 

「絶対に――フランは負けないよ」

 

 背を向けたままのその宣言が、何を意味しているのか私には解らない。だから、私はただ一言だけを告げて彼女を送り出す。

 

「行ってらっしゃい」

 

 帰って来たこの娘に、「お帰りなさい」を言ってあげる為に。

 

「行って来るね! お姉ちゃん!」

 

 満点の笑顔を私に向けて、そこに居たはずの吸血鬼が突如として消失する。

 何も不思議はないのだ。彼女は分身で、本体ではなかったのだから。

 この部屋へとやって来たフランを「見た」瞬間から気付いていた私には、驚きもない。

 

 そういえば聞いた事なかったけど、消えた分身の経験って本人に還元されるんだろうかね。

 まぁ、そうじゃなかったらここに来てからのお喋りが全部無意味になるし、それはないか――な、ないよね?

 もしそうなら、私は相当に虚しい時間を過ごした事になるんだけども……

 

 少しだけ不安になりながら、しかし今答えを得る事は出来ない。もどかしいが、答え合わせはこの異変が終わるまでお預けだろう。

 

 で、だ――

 私は何時出して貰えるんだろうね、これ。

 

 今度こそ、私は完全にこの部屋で孤立してしまっていた。やる事も出来る事もなく、時計すらないこの場所では秒針の音に耳を傾ける事さえも出来ない。

 

 せめてさぁ、暇潰しに何か娯楽的なものを用意するくらいしてよぉ。

 

 試してみると、転送魔法は普通に使わせて貰えるらしい。

 異変が終わるまでは、まだまだ時間が掛かるだろう。仕方がないので、大きな木製のトランクに詰め込んだ人形の整備道具一式を呼び込み上海と蓬莱を点検してあげる事にする。

 

 はっはっはっ、ここからはマニアックな趣味の時間だぜぃ。

 つい一週間前くらいにも全身整備をした気がするけど……こまけぇこたぁ気にすんな、私。きっとあれだよ、急に気分が乗って大掃除を始めちゃうとか、多分そんな感じ。

 ネジの一本までキレイキレイしてあげるからねぇ、デュフフフフフフ……ッ。

 

「……暇ね」

 

 まぁ、無理やり楽しい雰囲気を出してもこの状況ではいかんともし難いんだけどね……

 

 一つだけあった木製の丸机に大きめの白い布を敷いて人形を置き、上海の右腕を手早く分解しながら私は終わらない退屈をポツリと呟くだけだった。

 

 

 

 

 

 

 フランの本体が膝を抱えて座っているのは、彼女の部屋のベッドの上だった。しかし、そこに大好きな人形遣いは居ない。

 アリスとフランの分身体が居た場所は、幻想郷とは違う別の世界へと薄紙一枚分だけ位相をずらした異空間だ。

 あの場所であれば、例え紅魔館が地下の施設ごと消滅したとしてもアリスの無事は守られるだろう。

 

 ――頑張って。

 ――行ってらっしゃい。

 

「頑張るから……頑張るから頑張るから頑張るから頑張るから頑張るから頑張るから頑張るからがんばるからがんばるからがんばるからがんばるからガンバルカラガンバルカラ……ッ!」

 

 爪を立てる場所から出血してしまうほど両腕に力を込め、濁った目を虚空へと泳がせながら吸血鬼の妹はただそれだけを繰り返す。

 

 絵本を読んでくれる、アリスお姉ちゃんが好き。

 人形劇を見せてくれる、アリスお姉ちゃんが好き。

 美味しいお菓子を持って来てくれる、アリスお姉ちゃんが好き。

 勢い良く飛び込んでもしっかりと受け止めてくれる、アリスおねえちゃんが好き。

 大好きで大好きで、大好きなのに……っ。

 アリスお姉ちゃんは、私を一番に選んでくれなかった……っ。

 

「だから……フランを嫌いにならないでよ、アリスお姉ちゃんっ!」

 

 その不安定な精神に呼応するように、少女の手の平で握られた一枚のカードが強烈な輝きを放つ。

 レミリアがフランに自由な外出を許可する為に与えられた試練には、一つだけ補足があった。

 

「――おー、アリスの知り合いかー? アリスの匂いがするのだー――ぐぇぁっ!?」

 

 それは、同じ屋敷の壁を突き破り――

 

「――文様、紅魔館の方角より敵方に増援一。吸血鬼です」

「あやややや……ここで、満を持しての本隊がご登場ですか」

 

 或いは、妖怪の山で――

 

「――あらあら。太陽を隠すなんて大それた悪戯をしておいて、自分たちから私の下に来るだなんて――そんなに虐めて欲しいのかしら?」

 

 或いは、太陽の畑で――

 

 禁忌 『フォーオブアカインド』――

 

「「「あっははははははははははははっ!」」」

 

 分裂した三体の吸血鬼が、三つの場所で同時に哄笑を上げる。

 レミリアの与えた試練。

 それは、アリスの知り合いたちに勝負を挑み、その上で誰も壊さない事――

 フランはアリスを慕っている。その事実が、試練の難度を跳ね上げる。

 どれだけ吸血鬼としての自力が高かろうと、強力無比な能力を持とうと、彼女は「外」を知らない無垢な少女でしかない。

 子供は時に我侭だ。そして、その加減を理解しない。

 どこまでも、自分だけが中心でありたいと願ってしまう。

 狭い世界の中で閉じこもっていた彼女は、嫉妬の感情すら上手く制御する事が出来ない。

 フランは、アリスを誰にも渡したくないのだ。自分だけのアリスであって欲しいのだ。

 アリスはきっと、未来であっても自分を一番には選ばない。誤魔化して答えを避けたアリスの態度が、その想いを更に助長してしまう。

 しかし、アリスと家族だけの世界を続けるには「外」に邪魔者が多過ぎた。

 

「「「初めてお外に出れて、心が爆発しちゃいそうなの! ねぇ、壊れちゃうまでで良いから一緒に遊びましょうよ!」」」

 

 これは、我慢の試練だ。壊したくてしょうがない大好きな人形遣いの友人たちを、壊さない試練。

 紅い霧の上で、ようやくの月が星の海へと顔を出し始める。

 心を壊し、救いを得た少女がまた少しだけ成長する為の決戦が、始まる――

 




屋敷の中は、原作風。
屋敷の外は、フルカオス(笑)

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