東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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52・表と裏と、その裏と――

 吸血鬼、襲来――

 文を含め、千里眼を駆使し戦場の変化を正確に報告する椛、念写で捉えた戦場の画像を文へと見せていたはたて、山の各所へと遠吠えによる伝令を繰り返す白狼天狗たち――作戦指令部として使い始めた休憩小屋の中に居る全員に、動揺や緊張が伝播していく。

 

「――確か、あそこの吸血鬼は姉と妹で二人居たはずです。はたて、念写を!」

「もうやってる――出たわ!」

 

 はたての撮影した画像は、少しブレて見え辛くなってはいるものの高速で妖怪の山へと飛翔する少女の姿を捉えていた。

 紅い霧の中でも映える見事な金髪に、フリルの付いた赤と白のワンピース。背中を彩るのは、様々な色に輝く宝石の羽。

 

「当主は銀髪だったはず。彼女は、幽閉されていたという妹の方みたいですね……」

 

 口元に手を当て、文は神妙な顔で思考の海へと没っし始めた。

 

 どうする……どうする……っ。

 

 姉妹という事なら、その実力は当主と同列と考えておかねばなるまい。幻想郷という人外魔境を相手に真正面から戦争を仕掛け、管理者を語る最強の一角を引き摺り出したほどの化け物と。

 椛では種族的に自力不足であり、何より未だ続く戦場を正確に俯瞰するという重大な役割がある。彼女をこの指令部から外せば、現状の維持すら危うい。

 はたては引きこもりなので、実力はあっても実戦経験は元よりスペルカード・ルールでの経験が非常に浅い。失敗の許されない重要な局面に、不安要素のある人材は出来れば投入したくない。

 同じ理由で、上級や同僚の天狗を呼び出す案も日和見される可能性が高い為却下だ。命令で強制は出来ても、結局は指揮権を任された者に責任を擦り付けられるのが関の山だろう。

 数少ない信用の置ける天狗たちは、全員をすでに戦場へと送り出してしまっている。吸血鬼の対処を願って防衛線に空白地帯を作ってしまえば、妖精たちの進軍を許してしまい本末転倒だ。

 手詰まりとなった思考の中で文の出した結論は、一番面倒臭くて一番やりたくない――そんな苦渋の決断だった。

 

「――一時的に、これより現場の指揮権を射命丸文より姫海棠はたてに移譲します」

「はぁ!? ちょ、いきなり何を……っ!」

「それじゃあ、貴女が出ますか?」

「……っ」

 

 非難の声を上げかけたはたてを、ただ一言で黙らせる。

 どの役職も、代われるものなら誰かに代わって欲しい。この場に居る者たちの思いは同じであり、しかし代わりとなる生贄などどこにも居ないのだ。

 

「吸血鬼の押さえには私が出ます。皆さんは、攻め込んで来た妖精たちの駆逐に尽力して下さい。椛はこれまで行って来た戦場の監視に加え、はたての補佐をお願いします」

「承知っ」

「本命であろう援軍の吸血鬼を討てば、このはた迷惑な騒動も終わりです。ここが天王山、しっかりと己の役目を果たして下さい」

「「「はっ!」」」

「た、頼んだわよっ! 早く帰って来てよねっ!」

 

 出来るわけないでしょ、そんな事……っ。

 

 他力本願かつ無責任な友人を張り倒したがっている右拳をなんとか押さえ込み、文は無言のまま小屋を出て溢れかえる紅色へ黒色が加わり始めた空へと羽ばたく。

 妖精と白狼その他が織り成す阿鼻叫喚の激戦区を抜け、烏天狗の少女は木々の真上を掠るような高度で山の麓へと下降していく。

 視界に入れるまでもなく、相手はすぐに解った。山頂を目指そうとしている隠そうともしていない巨大な妖気の塊りへと、文は速度を落とす事なく強烈な飛び蹴りを浴びせ掛けた。

 

「っ!? ぎっ、いぃっ!」

 

 相手の少女は咄嗟に腕を交差させて防いだようだが、風を超える速さの物体が対面で激突した破壊力は生半可ではない。ベキッ、ゴギッ、と骨の砕ける生々しい不協和音を幾つも奏でさせ、更に速度で勝る文が押し切る形で一気に地面へと叩き落す。

 墜落した地点に爆発にも似た衝撃が起こり、発生した盛大な土煙が全てをおおい隠した。

 

「――この山は、我ら天狗の領域です。礼儀も道理も学んでいない幼子が、勝手気ままに立ち入って良い場所ではありません」

「アハッ――アハハァッ!」

 

 頭上から見下ろす烏天狗への返答は、歪みを含んだ病的な哄笑。煙が晴れた時、少女の両腕へと深く刻み込んだはずの傷はあたりまえのようになくなっていた。

 月はなくとも、「夜」という闇の力が再生能力を含めた彼女の自力を引き上げているのだ。

 

 成程。長い間幽閉されていたというのは、嘘ではなさそうね――

 

 文は吸血鬼異変に直接関わっていない為、今まで紅魔館に仕掛けられていた結界を越える事が出来なかった。

 結界を破壊して強引に突破する事は出来たが、そうして得られるものは利益よりも損失の方が多かっただろう。よって、文はその行為を実行には移さなかったのだ。

 文の情報源は、あの異変で解決の為に妖怪の賢者が召集を掛けた関係者たち。ルーミア、幽香、レティ、アリス――どうやらもう一人呼ばれた者が居たらしいが、こちらは名前も出自も判明してはいない。

 

 当主が己の妹を囚人として扱っていたというのだから、そこにはしかるべき理由があったのだろうと推測していたのだけれど――どうやら、米蔵に鼠どころの問題じゃないらしいわね。

 

 力を持つ者は、振るうべき場所を見定めるだけの理性が必要だ。パワーバランスを担うほどの大妖怪たちが好き勝手に暴れてしまえば、この隠れ里には更地すら残るまい。

 ギリギリの安寧にある広くも狭いこの土地に、破壊と混乱だけを撒き散らす猛獣の居場所などないのだ。それが、大人の理屈が通用しない手の付けられないほどのじゃじゃ馬であれば、尚更に。

 

「初めてお外に出れて、心が爆発しちゃいそうなの! ねぇ、壊れちゃうまでで良いから一緒に遊びましょうよ!」

「クソ餓鬼が、身の程を知りなさい……っ」

 

 扇とカードをそれぞれの手に構えた文が、今まで被った全ての理不尽を相手への怒りに変えて吐き捨てる。

 不退転。この勝負で文に許されるのは、絶対の勝利のみだ。

 妖怪の山での戦争は、戦局をそのままに大将同士の一騎打ちを新たに追加する形で流れを変える。

 山の麓にて、両者の光弾が弾けた――

 

 

 

 

 

 

 明らかに外観よりも遥かに長い同じ景色ばかりの廊下や、どこまで行っても終わらない階段などを直感を頼りに突き進む霊夢。

 この屋敷が敵の本拠地であるのならば、今の状況は化け物の腹の中に居るようなものだ。よって、この程度の不可思議な現象など博麗の巫女には驚くにも値しない。

 

「――お初にお目に掛かります」

 

 不意に立ち止まった霊夢の前へと、今までそこには居なかったメイド服の少女が突如として出現し深々と腰を折る。

 

「私は、この紅魔館でメイド長を務めさせて頂いております、十六夜咲夜と申します。以後お見知りおきを、博麗の巫女様」

「屋敷の空間(なかみ)を操って、私とルーミアを分断したのは貴女ね」

「左様でございます」

 

 ただの確認でしかないこの会話に、それほどの意味はない。油断なく構える両者の間で、空気の糸が徐々に張り詰めていく。

 

「今宵、私が我が主より歓待せよと仰せつかったのは博麗の巫女のみ。お連れの方には、別の余興をご用意させて頂きました」

「無駄に長く歩かせたのは、時間の感覚も狂わせてる為ね。そんな時間稼ぎをするくらい夜まで待って欲しいんなら、異変を起こす時間帯の方をずらしなさいよ――まったく、面倒臭いったら」

 

 前髪を掻き上げ、本当に面倒臭そうに溜息を吐く霊夢。

 

「……ご明察でございます」

 

 一切の情報を与えていないにも関わらず、当たり前のように真実へと辿り着く出鱈目な直感に咲夜は驚きと戦慄を隠せない。

 

「やはり、あの妖怪と分断したのは正解だったようですわね」

「それが無駄だっていうのよ。二対一なんて無粋な真似、私がするわけないでしょう」

 

 そう、咲夜の懸念は全て無駄なのだ。何故ならば、誰に頼る必要もなく博麗の巫女はその身一つで最強なのだから。

 

「ほら、さっさと始めるわよ」

「えぇ、それでは――いくわよ!」

 

 奇術 『幻惑ミスディレクション』――

 

 意識を改め、巫女を客人ではなく侵入者として定めたメイドの少女が展開したのは、銀のナイフと弾幕の織り成す直線的な連弾の嵐。

 霊夢は自分の左右に陰陽玉を呼び出し、冷静にその物量を回避していく。その動きには一切の無駄がなく、相手に僅かでも間隙があろうものなら即座に反撃へと転じられるだけの余裕もある。

 初見のスペルカードでさえ、この回避力。まるで未来予知でもしているかのような、理不尽に過ぎる対応能力だ。

 

「ふぅん……面倒なのは、その余計なお世話しかしない性格だけじゃなくて腕前もみたいね。まったく、本当に面倒臭い」

 

 やや忌々しげに呟く霊夢は、繰り返すほどに「面倒」が嫌いなのだろう。そしてそれは、十六夜咲夜という少女が霊夢にとって「面倒」だと意識せざるを得ないほどの強敵である事を意味していた。

 

「悪いけど、そんなに長く遊びに付き合ってあげるほど優しい性格じゃないの――隙を見せたら、その時点で落とすわよ」

「安心しなさい。これから先、そんな瞬間は永遠に訪れないわ」

「だったら、しょうがないから時間を掛けて押し切らせて貰うしかないわね」

「それが嘘偽りなく実行出来そうな辺り、本当に恐ろしい巫女ね」

 

 幻世 『ザ・ワールド』――

 

 回避のみで一枚目のカードがブレイクされると、咲夜は間髪入れずに二枚目のカードを解放し右手に握り込んだ懐中時計の竜頭を押し込む。

 「時間を操る程度の能力」――蓋の開いた銀時計の針が停止し、時計と連動する形で世界の時間が凍結する。

 灰色となった世界の中で、咲夜は弧を描くように霊夢の周囲を旋回しながらナイフと弾幕を一斉にばら撒いていく。二つの飛び道具は咲夜の手から離れた瞬間色を失い、時間の停止に巻き込まれてその動きを止めてしまう。

 微動だにしない――否、微動だに出来ない巫女へと全方位から襲い掛かる茨の檻が完成したところで、咲夜は再び留めた懐中時計の針を解放した。

 

「――っ。へぇっ」

 

 突如として絶体絶命の状況に置かれても、巫女の冷静さは一切失われない。お払い棒と陰陽玉からの弾幕によって必要な分だけを弾き、その隙間を縫うようにして閉じられる弾幕の(あぎと)をすり抜ける。

 

「貴女って、こんな手品も出来るのね。小言を言わずに身の回りの世話だけをしてくれるんなら、家に欲しいくらいの有能さだわ」

「光栄ね――でも残念。私の心と身体は、すでに捧げるべき主を見つけてしまっているわ」

 

 外から見れば、咲夜だけが弾幕を繰り返し霊夢が終始回避に専念するという一方的な展開だ。だがしかし、その裏にあるものはまったくの真逆そのもの。

 能力まで駆使した咲夜の攻撃は、霊夢の巫女服の布地を僅かに破く程度に留まっている。服の下にある肌には、掠り傷一つさえ付る事が出来てはいない。

 咲夜が攻撃の手を休めれば、霊夢は即座に自分のスペルカードを開くだろう。

 それは攻守の交代であり、その先は霊夢が宣言した通りの「時間を掛けて押し切る」展開が待っているだけなのだとお互いが理解し合っていた。

 咲夜が集中を乱し刹那でも隙を見せるか、全てのスペルを使い尽くすまでがこの勝負に残された時間なのだ。

 

「あんたたちの親玉やってるお嬢様ってのは、もっと面倒な相手なんでしょうね――今から憂鬱だわ」

「えぇ、勿論――でも、貴女はお嬢様には会えない。それこそ、時間を止めてでも時間稼ぎが出来るから」

 

 言葉の最後に、メイドの手にある懐中時計の時が止まる。色を失った世界で、能力を発動させた咲夜だけが動き出す。

 面で駄目なら物量で――咲夜はありったけのナイフと弾幕を前方の霊夢へと向けて飛ばし続ける。

 銀と光弾を混ぜ合わせた、一本の柱の如き怒涛の連撃。接近し背後を取ったメイド長からの斬撃に気を取られてしまえば、その一瞬でナイフと弾幕の大河は霊夢を確実に飲む込むだろう。

 

 さて――貴女は一体、どんな方法でこれをかわしてくれるのかしらね。

 

 弾幕ごっことは、両者の勝敗を決める真剣勝負であると同時にその一瞬を楽しむ為の遊戯でもある。

 興味と関心。そして、勝負の途中で芽生えた僅かな理解。

 三つの感情を示すメイド長が、僅かに口角を上げながら巫女の首筋へと向けて右手に構えた銀の刃をゆっくりと振り被り、左手に持ち替えた時計の竜頭を押し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 小悪魔から「案内する」とは言われたものの、実際は開けたホールをただ直進しただけで魔理沙たちは目的の相手とは出会う事が出来た。

 縦縞の入ったゆったりとしたローブを着込む気怠そうな少女が、訪れた者たちには視線も向けずに大きな机を使い読書へと没頭している。やや痩せ気味の印象を受ける長髪の少女からは、魔理沙が想像していたような妖怪としての威圧感や恐ろしさのようなものは微塵も感じられなかった。

 姿だけを見れば、本当にただ読書をしているだけの美少女だ。

 

「パチュリー様、お客様をお連れ致しました」

「そう、帰って貰って」

 

 腰を折る小悪魔への返答は、素っ気無いにもほどがある簡潔な拒絶だった。彼女にとっては、魔理沙たちの相手などよりも読書を続ける事の方が重要らしい。

 

「あ、あのっ。私、皆から大妖精って呼ばれてます。どうかパチュリーさんに、私の話を聞いて欲しいんですっ」

 

 それでも、そんなパチュリーの目線に合わせようと大妖精が板張りの床に座り、大きく頭を下げて懇願する。

 

「……何?」

 

 あくまでも視線を向けず、パチュリーは本のページを捲りながら大妖精へと続きを促す。

 

「掴まえた妖精たちに、名前を返してあげて欲しいんです。後それと、妖精たちが困っているので外に漂ってる紅い霧も止めて下さい」

「対価は?」

「え?」

「欲するものがあるのならば、相応の対価を支払いなさい。ただ願う事しか出来ない愚図に、黄金を手にする資格はないわ」

「おい、こんな迷惑な異変を始めたのはお前たちだろ。対価も何も、お前たちが止めればそれで済む話じゃないか」

「だから、言っているでしょう――」

 

 魔理沙の苦情も柳に風と受け流し、本を閉じた魔女の身体から旋風にも似た強烈な魔力が吹き上がり始める。

 

「本気で私たちを止めたければ、実力と覚悟という名の対価を示しなさいと」

「っ!?」

 

 振り掛けた火の粉を、自分たちの手で払い除けてみせろ――それが出来ないのであれば、大人しく住処へ帰って怯えていろ。

 魔理沙は、別人のように魔力を滾らせつつも淡々と告げるパチュリーから思わず一歩後ずさり――そして、後ずさってしまった自分を大いに恥じた。

 

「貴女は、貴女たちは……自分たちが、一体何をしてるのか解ってるんですか!?」

「――なるほど。そういう貴女は、私たちが何をしているのかを理解しているのね」

「ひっ」

 

 大妖精が声を荒げた瞬間、パチュリーの気配が変わる。身体の奥底まで探る尽くすような視線を向けられ、気弱な妖精の口から小さな悲鳴が漏れ出してしまう。

 

「取るに足らない妖精の身でありながら、そこまでの正確な知識と明確な思考能力を所持している。恐らくは、誰に問うでも習うでもなく。非常に興味深い固体ね――小悪魔」

「はぁい」

 

 ぶつぶつと小声で呟く魔女は、思考を巡らせた後に己の従者の名を呼ぶ。

 魔女という種族は、貪欲に知識を欲する探求者たちだ。知らない事、解らない事が目の前に転がっていれば、解き明かさずにはいられない。

 例えそれが、対象の破滅や死に繋がったとしても――彼女たちが止まる理由には、到底なりはしなかった。

 

「その妖精を捕らえなさい。首から上だけで良いわ」

「承知致しましたぁ」

「大ちゃん!」

「っ!?」

 

 そこからは、正に一瞬だった。パチュリーへとお辞儀した姿勢から繰り出される小悪魔の右の爪からチルノが大妖精を庇い、更に大妖精がチルノと共に瞬間移動(テレポート)で跳躍する事で氷精の背に当たるはずだった五爪の刃を回避する。

 

「あっはぁ、逃がしませんよぉ」

 

 居なくなった二人の妖精を追い、小悪魔もまた醜い三日月に歪む笑みを浮かべてその姿を消失させる。

 残されたのは、二人の魔女だけ。

 

「こっちは霧の維持にあの娘の隔離、それに妹様の分身が遠方で暴れる為の細工だって手伝っている最中だっていうのに……目の前の黒いのを消極的にやっつける方法なんて、本に載っていたかしらね……」

 

 椅子から立ち上がり、良く解らない事を言いながら宙へと浮かび始めるパチュリー。その周囲には肩幅ほどの五色の魔石(ジェム)が出現し、彼女を守護するように回転を開始する。

 

「おい、ちゃんと説明しろよ! なんでいきなり、小悪魔に大妖精たちを襲わせた!?」

「あの緑髪の妖精は、私の研究材料となり得る。理由はそれだけよ」

 

 こちらも箒に跨り、空へと飛び上がった魔理沙の怒声も届きはしない。

 二人の妖精は、魔理沙にとっては友人であろうとパチュリーにとっては珍しい標本対象でしかないからだ。

 

「良く解らんが――とりあえず、お前をぶっ飛ばせば外の霧は止まるんだな?」

「えぇ。あの魔法を維持しているのは、この館の主であるレミィとその友人である私――どちらかが力尽きれば、術式が乱れて勝手に解除されるはずよ」

「それだけ聞ければ十分だぜっ。チルノたちも心配だし、アイツらが一回休みにされる前にお前みたいなもやし女は即行で退治してやるよっ」

 

 白黒の魔法使いが取り出したのは、彼女の相棒である八卦の魔力炉と四枚のカード。

 魔理沙は正しく無知であり、その威勢は蛮勇だった。パチュリーの魔女としての知識と実力は、高々二十年も生きていない小娘などには到底到達出来ないほどに深淵であり、そして濃密だ。

 

「ごほっ、ごほっ――私の魔力だって無限ではないのだし、早めに負けを認めてくれると助かるわ」

 

 病弱そうな見た目通り、軽く咳き込んだパチュリーが魔理沙を眼下に置いて同じく四枚のカードを提示する。

 やる気もなく、億劫そうに――それでいて、何もかもを見透かしているかのような態度で紫の魔女が先にカードを開く。

 

「まずは、小手調べから――」

 

 火符 『アグニシャイン』――

 

 出現する巨大な炎の連弾が、魔理沙を左右から囲うようにして殺到する。

 

「はっ。その余裕の顔が吠え面に変わる瞬間は、さぞや見物だろうな!」

 

 犬歯を覗かせる挑戦的な笑みを作り、魔理沙は悪い魔女の魔法へと挑み掛かった。箒星が空を舞い、振り落ちる火炎を回避していく。

 白黒の少女は笑う。自信に満ちた、不敵な笑顔で。

 避けられない敗北を(くつがえ)すだけの運命が、彼女と共にある事を知らないまま――

 

 

 

 

 

 チルノと大妖精が跳躍した場所は、魔理沙たちから本棚を三つほど挟んだ図書館の中だった。

 

「大ちゃん、下がって!」

 

 右手を横に出して大妖精を庇いつつ、敵意を剥き出しにして追って来た小悪魔を威嚇するチルノ。

 

「お願いです、妖精たちの名前を返してあげて下さいっ。このままでは、取り返しの付かない事になるんですっ」

「はて、それはどうしてですかぁ?」

 

 対話を諦めない大妖精へと、小悪魔は白々しく小首を傾げた。甘ったるい口調へと変わったその表情は、出会った頃とは違い明らかに軽薄な笑みが張り付いている。

 

「妖精は大地から身体を、天から二つの名を与えられ地上へと生み出されます」

「えぇ――普段から名乗り呼ばれる一つ目の通り名と、その妖精の本質を現す隠し名でもある二つ目の真名。死に逝く妖精たちは、大地と空へ与えられたものたちを返還する事でようやくの再生が約束される」

 

 大妖精の説明を、小悪魔が引き継ぐ。

 彼女は知っているのだ。大妖精が、これほどまでに焦るその理由を。

 普段は主人であるパチュリーを立てる為に控えているものの、本来小悪魔はとても饒舌な性格だ。他者を惑わす甘言や虚言は、悪魔という種族にとって必修科目と言っても過言ではない。

 

「そのいずれかを失った妖精は魂が歪められ、大地から見放されて肉体が尽きてさえ死ぬ事が許されなくなりますっ。枯れない花は、もう「花」ではないんですっ」

 

 大地に芽吹き、太陽と風によって育ち、子を成し栄え、死を迎え天へと帰る――その摂理から外れた者を、自然は決して受け入れはしない。

 循環しない自然は、もう自然ではない。そして、そんな歪な世界を続ける事など出来はしないのだ。

 

「このまま大勢の妖精たちを歪め続ければ、何時か必ずこの土地全てが報いを受ける事になるんですよ!?」

 

 幻想の生きる土地であるからこそ、自然の摂理はより顕著な意思を持って愚かな者たちへと牙を剥く。

 引き起こる不和は見えざる猛毒となって周囲を侵し、最後には大地を腐らせ死と呪いを吐き出す泥の荒地となってしまうだろう。

 

「しかし、その「何時か」は今すぐではないのでしょう? 百年よりも、二百年よりも――或いは、千年よりもずぅっと先のお話です」

「そ、それは……そうです、けど……」

 

 小悪魔の語る通り、本来自然の流れとはとても緩やかだ。吸血鬼と魔女が数百人の妖精を歪めた今でさえ、紅魔館とその周囲の自然に目に見える異常が起きていないのが何よりの証拠と言える。

 時計の秒針が進むような小さな変化が繰り返されるからこそ、本当の意味でこの問題の根を正確に理解出来る者はとても少ない。

 

「妖精は死んで復活すると、それまで生きて来た記憶の一部を失うじゃないですか。普通の妖精は二、三年周期で死にますし、何度復活するにしてもそれでは教育する上で非常に効率が悪いのですよ」

 

 大妖精の警鐘を完全に無視し、小悪魔は肩をすくめて自分たちの不利益だけを主張する。私は千年先の滅亡よりも、百年先の栄華を選ぶと。

 寿命で死に、事故で死に、人間や妖怪に襲われて死ぬ――幻想郷で最も死に易い種族の一つであろう妖精たちは、生み出された瞬間に所持している知識以外の記憶を留めておく余裕がない。

 だからこそ、この緑髪の妖精がこれほどの熱弁を振るっている事実は異常そのものでしかなかった。

 大妖精と名乗るこの少女には、死と復活による記憶の欠落が発生していない。もしくは、発生していてもその範囲が極々小規模でしかないという事。

 外部から手を加える必要もなく、手を加え魂を歪めた妖精たちと同格の能力を示す固体。高位の魔女が興味を示すのも納得出来る、相当に希少な逸材だろう。

 

「そんな理由なら、何も妖精じゃなくて長生きをする妖怪を雇えば良いじゃないですかっ」

「他にも、色々と理由はあるんですよ。妖精の持つ自然の力は修復に向いているので、大量に囲う事で屋敷が破壊された際の再生に利用したり――それ以外でも、霧や雨を発生させる天候操作や地脈への干渉など転用も容易ですしねぇ」

 

 自然の立場として語る大妖精は同胞たちをあるべき姿へと戻す事を望み、紅魔館と自分自身を第一とする小悪魔は己の都合と利便性を優先する。二人の論点はまるで重ならず、平行線にすらなってはいなかった。

 

「どうして、どうして解ってくれないんですか……っ」

「フフッ、その質問はナンセンスです。ここは悪魔の館ですよぉ?」

 

 涙を浮かべる妖精の少女へと、小悪魔は美しいほどの笑顔で右手の人差し指を自分の口元へと添える。

 

「我々は、全てを理解した上でその悪徳を肯定しているのですよ」

 

 傲慢、怠惰、強欲、色欲――悪意の塊りであるからこそ、名付けられた名称が「悪」魔なのだ。そんな背徳者たちに営みの正しさを語ったところで、受け入れられるわけもない。

 

「まぁ、ご心配は無用ですよ。妹様の更生に目処が立ちお嬢様はすっかり腑抜けになってしまわれているので、貴女が危惧しているような最悪の事態にはきっとなりませんから」

 

 潜在的な要素として己の破滅すらも楽しめる救いのなさが悪魔にはあるのだが、小悪魔にとっては残念な事にレミリアは現在妹の成長を見守るという生き甲斐を見付けてしまっている。

 妖精たちを介して自然を歪める悪戯も、精々が幻想郷の土地を管理している者たちへの嫌がらせ程度で満足してしまうのだろう。

 

「なので、今はご自分の心配をされた方が賢明かと――おっと」

 

 語りの途中で今まで黙って話を聞いていたチルノが突然氷の弾幕を繰り出し、小悪魔はそれをあっさりと回避する。

 

「なんだか良く解らないけど、大ちゃんを泣かせたからお前は悪い奴だ!」

「良いですねぇ、その単純一途な思考。それでこそ妖精というものです」

 

 友人の心を傷付けられ、憤懣(ふんまん)やる方ない雰囲気で義憤に燃えるチルノへと小悪魔は拍手でも始めそうなほど嬉しそうな笑みを向けた。

 

「そんなに褒めたって、許してあげないわよ!」

「まぁ、そういう私やパチュリー様もここ十年余りで随分毒気を抜かれてしまいましたけどね。ここまでを見越しての「あの方」なのだとすれば、なるほど妖怪の賢者の異名も伊達ではないのでしょう」

 

 見当違いの事を怒鳴るチルノを相手にせず、小悪魔が左手を横へと突き出すとその場に漆黒の線で描かれた大きな魔法陣が出現する。

 

「お嬢様の預言者の槍(グングニル)、妹様の災厄の枝(レーヴァテイン)――パチュリー様は一時期、そういった神話や伝承に登場する伝説級の武具を模倣する研究に傾倒されました」

 

 魔法陣から迫り出して来た何かの柄を掴み、その細腕を使って力任せに引き抜く。

 

「そしてこれが、そんな偉大なる魔女の手によって生み出され私へと与えて頂いた魔道具――」

 

 現れたのは、小悪魔の身長にも迫る長い柄の先端から大きく歪曲した一枚の刃が伸びる巨大な断頭器。悪魔の手に収まるに相応しい、命をもてあそぶ為にのみ振るわれる遊具――

 

「「エリゴールの大鎌」でございます」

「ひ、ぅ……っ」

 

 振り子のように下段で揺れる黒く冷たい金属の光沢に、大妖精は堪らず怯えた表情で一歩、二歩と後ずさる。

 

「フフフッ、恐怖していますね。実に良い表情です」

 

 生物の起こす負の感情は、悪魔にとって蜂蜜よりもなお甘い極上の甘露だ。濁った笑みで悪魔の大鎌を持ち上げ、小悪魔は更なる恐怖を煽ろうと何時でも振り下ろせる体勢で前傾姿勢を取る。

 

「ご安心を。貴女たちの魂は、パチュリー様の研究が全て終了した後に私が永遠に味わい続けて差し上げますから」

「大ちゃんに近寄るな! この変態!」

 

 氷符 『アイシクルフォール』――

 

 大妖精を庇うチルノがスペルカードを発動させると、小悪魔は一旦大きく後ろへと跳躍して距離を取り迫って来た氷弾の隙間を潜り抜けていく。

 

「さぁ、さぁ、もっと絶望して下さいな。でなければ、うっかりすぐに殺しちゃうかもしれませんよぉ」

 

 チルノたちに見立てているのか、彼女たちの頭部と同じ位置にある氷弾だけを大鎌で切断し悪魔の少女が着実に距離を詰める。

 

「近づくなって――言ってるのよっ!」

「おぉっ!」

 

 そのまま鎌の射程内まで近づくかに見えた小悪魔だったが、氷精が手を着いた床から霜を散らして分厚い氷壁が天へと伸び上がり突進を中断して再び大きく後方へと距離と取った。

 

「大ちゃんに迷惑掛けるんなら、あたいが相手だ! 小悪魔!」

「これは驚いた。どうやら、貴女の首もパチュリー様に献上する価値がありそうですねぇ」

 

 大妖精の持つ深い智慧と、チルノの持つ規格外の自力。どちらの能力も、妖精の身には過ぎる代物。

 姫を守る騎士の如く氷の闘志を滾らせるチルノを見据えながら、もう一度大鎌を上段へと構えた小悪魔の笑みが深まる。

 

「さて――申し訳ありませんが、元々私はただの雑用ですしパチュリー様からスペルカードを作る許可を得ておりません」

「へ? 貴女、スペルカード持ってないの?」

「えぇ、ですが遠慮は無用です。どうぞ、全てのスペルを駆使して全力で抵抗なさって下さい――これでも悪魔の端くれですので、妖精如き鎧袖一触として差し上げましょう」

「ふんっ、難しい事言ってあたいを混乱させようって魂胆ね! 大ちゃんを泣かした悪者に、手加減なんてしないわよ!」

 

 雹符 『ヘイルストーム』――

 

 自分で作った氷壁の上で仁王立ちをするチルノが二枚目のスペルを掲げ、彼女を中心として左右に弾ける弾幕が直角に軌道を変えて小悪魔へと襲い掛かった。

 

「頑張って! チルノちゃん!」

「任せて、大ちゃん! あたいは最強なんだから!」

 

 大妖精の声援に応えるチルノの前では、小悪魔が交差する形で次々と飛来する氷の弾丸を時に避け、時に大鎌を振るい破壊しながらくるくると身体を回転させて踊るように凌ぎ続ける。

 

「フフフッ――良いですねぇ、実に微笑ましい」

 

 攻勢に転ずる事なく、しかし悪魔の笑みは変わらない。

 大鎌の効果はすでに発動している。小悪魔にとっては、この先の戦いは如何にして目の前の少女たちからより深い絶望を引き出すかの余興でしかないのだ。

 

「パチュリー様へと引き渡す前に、味見くらいはさせて貰いましょうか」

 

 切り裂き砕いた氷の破片を浴びながら、その瞬間を想像したのか小悪魔は口元から少しだけ舌を出し艶めかしく唇の上を滑らせる。

 理不尽に押し付けられる醜く澱んだ欲望に対し、全力で抵抗の姿勢を見せる無垢なる少女たち。例えこの戦いが異変という彩られた舞台の裏側で起こる小事であろうと、そんな線引きは当事者たちにとってなんの意味も持ちはしない。

 矮小な悪魔と尊大な妖精の勝負は、白熱するほどに周囲の床や本棚を氷漬けにしながら気温を下げ続けていく。

 全ては、紅の暴君に導かれた者たちとそこに繋がる糸たちが織り成す、運命という名の歯車のままに――

 

 

 

 

 

 

「――ごめんなさい、もう一度言って貰えないかしら」

 

 聞き間違いとしか思えない彼女の台詞に、私は思わずそんな言葉を口にしていた。

 封印されたこの地下室へとどこかから空間を越えて新たに訪ねて来たのは、異変でラスボスをしているはずのレミリアだった。

 「異変は良いの?」と私が問えば、彼女は「代理を置いて来た」とだけ言って人形の整備を見学し始める。

 まぁ、本人が良いなら良いかと特に会話もなく分解した部品を布で拭いたり油を差したりと、見ていても退屈だろう大変地味な作業を繰り返す私へと先程の言葉が投げ掛けられたわけだ。

 まるで意味が解らない。

 

「えぇ、良いわよ。貴女の望み通り、理解出来るまで何度でも同じ台詞を口にしてあげる」

 

 解りたくはないが、机を挟んだ私の前に立ち幼子を諭すように語るレミリアの口調は明らかに彼女が本気である事を示している。

 伊達や酔狂や、はたまた冗談の類でもないらしい。

 そして、恐らくこれが私をこの場所へと留め続けた本当の目的。

 

「ねぇ、アリス――フランの為に、ちょっと死んでくれないかしら?」

 

 ……ちょっとで済む死に方とかあるんですかね? レミリアさん。

 

 逃走しようにも脱出の手段はなく、この場に居るのは私とレミリアの二人きり。出来れば平和に話し合いなどで和解したいが、相手にその気はまったくないらしい。

 「殺す」と宣言しておいて、弾幕ごっこでお茶を濁すような真似を望んでいるわけでもないだろう。

 原作では、この紅霧異変がスペルカードルールによって行われる最初の異変だと記憶しているが――まさか主謀者自らが最初に決まりを破るとは、なんとも先が思いやられる話だ。

 進退窮まるこの場では、最早是非もなし――ならば、私が一番に言うべき台詞は決まっている。

 

「――とりあえず、すぐに終わるから上海を組み直すまで待ってちょうだい」

 

 ――いやさ、この娘私の相棒で主力だし。戦うんなら直さないと。

 もし分解したまま部屋で暴れたりしたら、部品がどっか飛んで行っちゃうじゃん。

 

「……締まらないわねぇ」

 

 緊張した空気はそのままに、レミリアが腰に手を当てて呆れと非難を込めた視線を送って来る。

 

 知らんがな。

 今度から、そういう大事な事はせめて作業が一段落付いてから言ってよ。

 

「三分で済むわ」

「二分でやって」

 

 お嬢様お得意の我侭は、人形職人のプロフェッショナルを自負する私にとっての挑戦状でしかない。

 

 ふ、見せてやらぁ。

 私の本気ってやつをなぁ!

 

「別に、一分で済ませてしまっても構わないのでしょう?」

「なんでも良いから、早くしてちょうだい」

 

 えー、折角格好良い事言ったのにー。ひっどぅーい。

 

 命のやり取りを始めるかもしれないというのに、なんとも抜けた雰囲気だ。

 彼女が本当に私の死を望んでいるのだとしても、怒りや悲しみが沸いて来る事はない。

 それは、単純に私の感情が薄いからでもあるし、レミリアを友人として信じているからでもあるのだ。

 これから始まるのは、きっと殺し合いなどではなくただのケンカだ。言いたい事を言い合って、お互いの中にあるものを全部曝け出して――そうして最後に、仲直りする為の大ケンカ。

 この十年で私は彼女の事を沢山知ったし、彼女もまた私を沢山知ってくれた。そんな大切な友人がこんな大掛かりな手間まで掛けて私との勝負を願うのなら、応じないわけにはいくまい。

 誰にも語られる事はないだろう、一回限りの真剣勝負。観客の居ない、審判も要らない、そんな無骨な野良試合。

 

 変な話だけどさ、私もずっと思ってたんだ。レミリア。

 これから私が幻想郷で暮らしていく中で、もしも本気で誰かとケンカをするのなら――最初の相手はきっと、貴女が良いって。

 だからさ、ちょっと待っててよ。

 ()るんなら、お互い本気(ガチ)でやった方が面白いでしょ?

 

 柄にもなく――本当に柄にもなく、どうやら私はレミリアとの戦いを楽しみたいらしい。

 イヤだけど、イヤじゃない。楽しくないけど、きっと楽しい。

 上海の腕を繋ぎ直しながら、これから起こるそんな一時に思いを馳せるのだった。

 




ここに、ラスボスがおるじゃろう?
それをな――こうじゃ(パンッ)

ラスボスの代理は、勿論あの娘です(笑)

五十話も超えましたし、この三大過去異変編の後にでもキャラクター紹介を書こうかと考えておりまして活動報告にアンケート的な何かを置いています。
感想欄でアンケをするのはこのサイトの規約違反だそうで、紹介文を読んでみたいキャラクターが居ましたら活動報告のアンケに書き込んで頂ければ幸いです。

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