東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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良いかい皆。
モブっていうのはね、今後登場させる予定が無いからモブっていうんだよ。

――じゃあなんで出したし。



54・図書館にて、愚者は踊る

 真上から振り下ろされる刀を紙一重で右へと逸らし、軌道を逆へとなぞるように繰り出された手刀が男のあごを(したた)かに通り過ぎていく。

 

「ぱっ、か……っ」

 

 強烈に頭を揺さ振られ、端整な顔をした若い近衛の天狗は白目を剥いて大地へと崩れ落ちた。

 

「ふぅ……っ」

 

 山中の一角で静かに相手を制した美鈴は、大きく息を吐き出しながら顔に幾つか付いてしまった刀傷を手の平で拭う。

 見ている者が身内だけならば新しい掟に従う必要もないと、近衛の天狗は最初から美鈴を殺すつもりで仕掛けて来ていた。

 それを咎める気持ちは、美鈴にはない。そもそも、襲撃時の奇襲において禁を破ったのは他でもない美鈴の方だ。

 それでなくとも、ただ掟だから大人しく従おうなどという従順さを妖怪に求める方が間違っている。

 矜持は傲慢であり、誇りは頑固さと同義である。スペルカード・ルールはあくまで表向きの掟であり、今まで培って来た歴史の全てが一瞬で塗り変わる事もまたあり得ない。

 深い紅の霧に乗じて山頂近くの屋敷で天魔を襲撃してから、逃走を続けて今で七合目辺りだろうか。

 何者かによって霧は晴らされてしまったが、追っ手となった近衛の天狗をようやく沈める事が出来たのでここからは気配を殺しながら一気に山を駆け下りるだけだ。

 

「――っ!?」

 

 地を、枝を、空中を――可能な限り音を立てぬまま、道なき道を素早く移動していた美鈴が急に立ち止まり、背後へと振り向いた。

 

「……」

 

 構えを取り、目まぐるしく視線を動かす。

 こずえに混じる衣擦れ、風に混じる他者の吐息――そういった類の気配をしばらく探っていた美鈴だったが、時間もないと早々に切り上げて再び麓への移動を再開する。

 

「――松明丸よ、温いのではないか?」

 

 去った華人妖怪を見送るのは、彼女からは見えぬ木の陰で気配を消し続ける数人と一匹。

 

「まぁまぁ。このまま本気の戦争になるよりは、幾らかマシだと思いましょうや」

 

 天魔を襲撃した不届き者の追っ手が、役立たずの近衛たった一人。対応の甘さに不満を漏らす右目を黒の眼帯で塞ぐ筋肉質な巨漢へと、隣の地面で燃え盛る身体の毛繕いという無意味な行動を取りながら松明丸が適当になだめる。

 この騒動は、あくまで「遊び」なのだ。そうでなくてはならず、それ以上戦火の規模を広げてはいけない。

 

「ご自重なさって下さい。今はまだ、その時ではありません――今はまだ」

 

 男の頭上である大木の枝に立つのは、瞳を閉じたまま厳かに胸の前で両手を合わせ続ける短い金髪の女性。

 今はまだ、だ。

 新しい掟の制定や新しい勢力の出現など、急変を続ける情勢を見定めるだけの時が必要だ。

 情報、策、勝機――十全の備えを持って仕掛けるには、足りないものが多過ぎる。だからこそ、今は戦力を温存しておかねばなるまい。

 いずれ(きた)る、天狗が幻想郷の頂点に立つべく宴を開くその時まで。

 

「あれが、俺たちの山を二回も掻き回してくれたご一行様の一人、か」

 

 最後の一人である、茶に黒の混じった髪をオールバックにした褐色の肌の男が、自分の右手を見下ろしながら小さく呟いた。

 美鈴が急に立ち止まった原因は、この如何にも軽薄そうな細身の男だ。

 隠行の術によって気配を断ち、風よりも素早く静かに動き――そうして彼は、逃走を続ける美鈴の尻を撫でたのだ。

 超絶なる技術をセクハラの為のみに費やすという、実に下らない悪戯。

 しかし、美鈴ほどの武人が触れられるその瞬間まで気付けなかった――それはつまり、よほどの強者が相手でさえ気付かれる事なくその腕や首を切り落とせるという恐ろしい事実の表れ。

 妖怪の山という天狗の領域に足を踏み込んだのだ、天狗が出て来るのは道理。ましてや、その中枢となれば尚更に。

 人外魔境の隠れ郷において、最多の兵力を誇る山の組織。その全容を知る者は、組織の中でさえ限られる。

 

「――ま、尻は悪かないね」

 

 侮るなかれ――他者を見下す天狗の余裕は、その強さの表れなのだから。

 彼らの本当の恐ろしさは、決して数などではないのだから――

 

 

 

 

 

 

 魔力で形成された二者の弾幕が、図書館の空という広大な空間を絶やす間もなく交差し続ける。

 

「未熟そうな見た目の割りに、随分としぶといわね」

「はっ。お前もひ弱そうな見た目の割りに、随分と長く戦えるもんだなっ」

 

 空中の一点で静止したまま五色の魔石(ジェム)が生み出した全方位への防壁によって防御するパチュリーに対し、魔理沙はその周囲を全力で旋回しながら直線の弾幕によってその城壁の如き障壁を打ち崩そうと攻撃を繰り返す。

 パチュリーの展開している障壁は、攻撃の威力ではなくその手数によって崩れていくというスペルカード・ルール用に調整された特殊なものだ。パチュリーがスペルを開くごとに、障壁は一定の値だけ修復される。

 怒涛の攻勢によって相手を仕留めるのが先か、それらを全て掻い潜られ障壁を崩されるのが先か。

 スペルカードとその戦術は、本人を表す鏡そのもの。「動かない大図書館」の異名は、確かに不動を貫く彼女にこそ相応しい。

 

「黒くて、早くて、空も飛ぶ――まるでコックローチのようだわ」

「随分おしゃれな響きだな。「コックローチ魔理沙」――おぉ、中々格好良いんじゃないか?」

「無知は罪ね」

 

 知識がなくば、相手の言葉が賛辞か揶揄かすら理解が出来ない。噛み合わない会話は、言われた者も言った者も総じて愚かしく見えてしまう。

 

木符 『シルフィホルン』――

 

『アハハ――』

『ウフフフ――』

 

 魔力を込めたパチュリーの符が輝き、薄い黄緑の衣をまとう小さな精霊たちが具現化する。

 

「早く潰れてしまいなさい、コックローチ魔理沙」

 

 五行が一。木気より生ずる風の調べは、真空の連弾となって魔理沙を引き裂かんと唸りを上げて突撃していく。

 

「お生憎だなっ。そんなに早く勝負を終わらせたけりゃぁ、お前がさっさと落ちれば良いだろっ」

 

魔符 『スターダストレヴァリエ』――

 

 魔力の流れを読み、迫る不可視の弾幕を不規則な軌道で回避する黒帽子の少女が、返答と同時にスペルを開き星々を模した煌びやかな光弾を生み出して応戦する。

 

「美しさと思念に勝る物は無し――なるほど。これは、想像していた以上に興味深い遊戯のようね」

 

 魔理沙の生み出す星の輝きは、七曜の魔女にして「美しい」と認めざるを得ないものだった。

 ひたむきに何かをなそうと全力で走り続けるその姿が、停滞した肉体に引き摺られ心に熱を宿す事を忘れてしまったパチュリーの胸を打つ。

 人と人外が同じ領域に立ち、同じ条件で対等な勝負をする。それは、決して強者からの一方的な譲歩によって行われるものではない。

 整えられたルールの下において、お互いの勝率はあくまで五分――弾幕ごっこという遊戯は、双方にとって確かな糧を与える画期的な真剣勝負なのだ。

 

「ただの人間が、いずれ努力と研鑽の果てに私を超え――そして死ぬ」

 

 攻撃の手を一切緩める事なく、先に訪れる未来の一つを想像したパチュリーが小さく溜息を吐く。

 全ての人間が、人外を置き去りにしていく――

 どれほど嫌悪しようと、どれほど理解しようと――どれほど、情を移そうと――

 

「――ぞっとしない話ね」

 

 時間の枠に取り残され常に見送る側に立つ一人の魔女は、何時もの通り感情を乗せずもう一度だけ小さく呟きを漏らした。

 

 

 

 

 

 

 上空にて、二人の魔女の激戦が光の明滅となって起こる中、大図書館の一角は最早極寒の振り撒かれる氷牢と化していた。

 それでも、チルノの絶え間ない猛攻は小悪魔に掠りすらしない。

 

「当たれっ! 当たれって言ってるのよ、小悪魔!」

「あははぁっ。そんなに怯えて、可愛いですねぇ」

 

 実に楽しそうな小悪魔の大鎌は、繰り返される氷精の弾丸を次々と引き裂いていく。

 それはまるで、鎌を振るった場所に最初からチルノの弾幕が置かれているような、それほどまでに理不尽な的確さだ。

 

「久しぶりですよ、この全能感っ」

 

 身の内より無限に湧き出す興奮に逆らわず、悪魔の顔が限界まで喜悦に歪む。

 

「生まれの差とはいえ、この景色が何時も見えているのだろうお嬢様には嫉妬の念さえ湧いてしまいますねぇっ」

 

 小悪魔の操る「エリゴールの大鎌」に、名の通りの悪魔の力は一片すら乗せられてはいない。

 乗せられているのは、この館の当主である紅の美姫の力。「運命を操る程度の能力」――パチュリーは、レミリアの所持するその能力を限定的ではあるが抽出する事に成功していた。

 それは、物事のなりゆきや結果を前もっておしはかるという誰しもが持ち合わせている当たり前の能力である、「予測」。

 この大鎌は、その直感に類する感覚を極限まで高めるという先読みの魔道具なのだ。

 鎌の効果は、対象となる者の血肉を取り込んだ時点で発動する。

 チルノの放つ弾幕は、氷精としての肉体の一部に等しい。つまり、彼女の弾幕を引き裂いた時点で小悪魔は対象の全てを「予測」出来ているのだ。

 スペルを開くタイミングから、展開される弾幕全ての弾道までもが読める小悪魔には、最早氷精の奮起は無意味な足掻きでしかない。

 

「うぎぃっ!」

 

 遂に、小悪魔の鎌がチルノの右腕を浅く切り裂く。

 やろうと思えば、もっと深く刻んで勝負を終える事も出来ただろうに――この矮小な悪意の塊りは、この程度で遊戯を終えるつもりは毛頭ないらしい。

 

「くぅっ、まだよっ!」

「勿論ですとも! その柔肌をいたぶるこの快楽! 終わらせてなどなるものですか!」

 

 狂気にさえ届く恐ろしい願いを赤裸々に暴露し、小悪魔は距離を離そうとするチルノへと更に追いすがりながら大鎌を振るい続ける。

 

「いぐっ、あぅっ」

「ほら、ほらほらぁ!」

 

 見た目に反する機敏な刃の猛攻に、腕を、肩を、腹を――反撃さえも許されぬまま、少女の身体が血塗れと化していく。地面へと落ちる妖精の血は、人間と同じ赤の水。

 氷精という性質上、その血液にも自然の――チルノの司る「氷」の力が宿っている。

 

「あぁ、ダメです……この匂い……あぁ、あぁ……っ」

 

 顔や服など、チルノの血を浴びた箇所と同じ場所に氷を這わせ、小悪魔が白い息を吐き出しながら今にも絶頂しそうなほど艶めかしい声を上げる。

 

「さようなら!」

 

 これ以上は我慢が出来ないと、チルノの側面へ回り込んだ小悪魔の大鎌が大きく斜めに反り、そのまま躊躇なく全力で振り抜かれる。

 

「チルノちゃん!」

 

 決闘から少し離れた場所で勝負の行方を見守っていた大妖精と、チルノの姿が掻き消える。次の瞬間には、二人の位置は小悪魔から遠く離れた図書館の床へと移動していた。

 だが、大妖精の健気な救出も大鎌がもたらす「予測」によって先を読んだ小悪魔には無意味だ。

 

「あはっ!」

 

 妖精たちが出現した直後、小悪魔もまた瞬間移動(テレポート)を発動させて少女たちの背後を取る。

 

()()()()()()()! それもねっ!」

「ひっ」

 

 振り被られる冷たい刃に、大妖精は短い悲鳴を上げて咄嗟にチルノを庇う。

 次の瞬間、大妖精の手に出現したのは緋色の宝石でやじりの作られた美しい矢を乗せる、黒色の弩だった。

 平和主義者らしい性格とは裏腹に、随分と年季の入った装備だ。

 とはいえ、所詮は妖精の持ち物。七曜の魔女が作り上げた傑作が手の中にある限り、彼女の忠実なる部下が恐れる理由など皆無だった。

 しかし、小悪魔は何も理解していなかった。

 小悪魔が「予測」出来ていたのは、あくまでチルノの行動だけだ。大妖精が庇う事が読めたのも、チルノが別の場所へ移動すると「予測」したからに過ぎない。

 両者の武器がぶつかり合い、そして哀れな妖精の肉が引き裂かれる生々しい音が――起こらない。

 

「――は?」

 

 自分の目の前で起こったあり得ない現象に、小悪魔は理解が及ばず呆けた声を漏らしてしまう。

 小悪魔の振るう大鎌と、大妖精の持つ弩の矢が衝突した瞬間――ガラスの砕ける硬質な音を撒き散らし、鎌の刃が一瞬で微塵となって弾け飛んだのだ。

 悪魔と妖精。二つの種族の差は歴然だ。

 その光景は、象や獅子を相手になんの変哲もない一匹の蟻が勝利してしまうほどの異常な結末だと言えるだろう。

 

「なん? あ? え?」

「大、ちゃん……」

「大丈夫!? チルノちゃん!」

 

 盛大に混乱する小悪魔を置き去りにしたまま、傷付いたチルノへと心の底から心配した声で大妖精が語り掛けている。

 

「だ、大ちゃん? 大、妖精。大きい、大きな……偉大なる、妖精……?」

 

 一歩、二歩――残った大鎌の柄を取り落とし、恐怖によって小悪魔の身体は自然と大妖精から離れて行く。

 妖精とは、取るに足らない小さな隣人。しかし、どんな存在であれ例外とは生まれるものだ。

 英霊の系譜は終わらない。妖精が、この地に生まれ続ける限り――

 母なる大樹が、その種を次の世代へと残し続ける限り――

 

「――お、お、大いなる、霊樹の妖精っ」

 

 真実に辿り着いた時、大妖精の身体から蜃気楼のように揺らめく何かが出現する。

 それは、今居る二人とは全く別の妖精――その幻影だ。

 蝶の羽に、沢山の花で作られた髪飾り。色はなく、大妖精に重なるようにして乱れ続けるその映像をなんとか現世に留めている。

 

「もしや貴女、貴女の名前は、メル――ひぃっ!」

 

 名を呼ばれた事でより鮮明となった幽鬼の瞳に怯え、小悪魔は即座に逃走を図った。出来るだけ早く、出来るだけ遠くへ――ただただそれだけを求め、咄嗟に自分の主の元へと助けを求めて全力で飛翔する。

 

「だめぇっ!」

 

 深い悲しみを込めた大妖精の制止が、聞き入れられる事はない。制御を奪われた肉体は機械的なまでの精密さで、空へと逃げ去る悪魔の背を捉え照準を固定する。

 弓の名は「リブラム」。放たれるのは一矢のみ。

 その比類なき一撃を前に、矮小な悪魔如きが許される道などありはしない。

 

「くっ」

 

 振り返りざま、小悪魔の右腕からせめてもの抵抗として魔力による障壁が生み出される。

 

「――ギャあぁぁアアァぁぁァァぁあぁアぁッ!」

 

 障壁を紙と破り、妖精の魔弾が小悪魔の右肩を抉る。おぞましい悪魔の絶叫と共に、千切れ飛ぶ腕とその付け根の場所からおびただしい血が図書館の空へとぶち撒くけられていく。

 小悪魔が落ちる。どしゃりっ、と鈍い音を立てて床へと墜落し、そのままピクリとも動かない。

 

「……ごめんなさい」

 

 惨劇から目を逸らし、幻影を体内へと戻した大妖精が本心からの謝罪を漏らす。

 どれだけ願ったところで彼女にはどうする事も出来ず、しかし悲劇が生まれ続ける。

 

「……ごめんなさい」

 

 この場に残ったところで、この惨状では最早「話し合い」を続ける事など到底不可能だろう。

 気絶したチルノを抱えたまま、搾り出すようにもう一度謝罪の言葉を口にした心優しい妖精は、光の残滓を残して図書館よりその姿を消失させる。

 

 その妖精の名を、語ってはならない――

 その妖精に、刃を向けてはならない――

 眠りを妨げる愚者を、()()は決して許しはしない――

 その妖精の名を――決して語ってはならない――

 

 

 

 

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 金符 『シルバードラゴン』――

 

 全身を逆立つ銀の鱗がおおう、野太く長い胴体。金属で形成された一匹の竜が、パチュリーを守護するようにとぐろを巻き魔力波を撃ち出す魔理沙へと吹雪の吐息を放出する。

 

「自分の得意分野であれば、私をどうにか出来るとでも思ったのかしら? まさか、貴女のような半人前にも達していない幼子に侮られるなんて、とんでもない屈辱ね」

「ぐ、ぐぅぅっ」

 

 パチュリーの召喚した竜が一匹だったならば、或いは魔理沙も強引に押し切れていたかもしれない。

 しかし、そうではない。

 

「私はね、貴女がこの地上に半身として生まれる遥か以前から、魔法の研究の為だけにこの生涯を費やして来たのよ?」

 

 二匹、三匹――竜の数は容赦なく増え続け、その全てが白亜の暴風を吐き出していく。

 

「腕一本か、足が二本か――自身への過大評価と、私への過小評価の代償は一体どの程度になるかしらね」

 

 五匹にまで増えた竜の吐息は、まるで巨大な一本の滝だ。触れた者へと凍結をもたらす、極寒の瀑布。

 パチュリーがあえて正面からの勝負に乗ったのは、技術だけではなく出力であっても負けはしない事を証明する為の、単なる意地だ。

 とうの昔に忘れてしまったそんな小さなプライドを、パチュリーは魔理沙との試合を通じてその心へと浮かべるようになっていた。

 このままいけば、魔理沙はなす(すべ)もなく吹雪の濁流に飲み込まれるだろう。この勝負に残されているのは、その時が訪れるまでの短い時間のみ。

 運命とは残酷だ。

 ()()()()()、七曜の魔女は負けるのだ。

 パチュリーは、勝負が始まってから魔理沙から片時も目を離さなかった。しっかりと相手をその瞳で捉え、観察と洞察を続けていた。

 「黒と白で重ね着をしている女の子に注意。余所見をすると、火傷をするかも」。

 大いなる歯車の決定は、どれだけ足掻いたとしても決して逃れる事は出来ない――それは、魔道の深奥に座す七曜の魔女でさえも例外ではない。

 全ては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()――自身の部下である小悪魔から、目を離してしまっていたが為に。

 

「――ギャあぁぁアアァぁぁァァぁあぁアぁッ!」

 

 耳をおおいたくなるほどの不快な絶叫が、図書館の内部へと響く。

 振り返る間すら許さず、宝石の矢尻を付けた妖精の魔弾は五匹の竜と魔石(ジェム)の障壁を一気に貫いた。

 パチュリーが発動していたのは、全てスペルカード・ルール用に調節し十分な加減を加えた――そんな魔法。

 そして、悪魔と竜を撃ち抜く事で勢いを殺されながらも、その一矢は()()()をしていた魔女の肉体へと到達を果たす。

 全ては歯車の導くままに――運命の矢が、彼女を捉える。

 

「ぐ、がぁっ!?」

 

 腹部の右下から斜めに突き刺さった突然の激痛に、パチュリーが訳も解らず血を吐き悶える。

 精神の乱れによって完璧だった術の構成が崩れ、竜たちの吐き出していた吹雪が勢いを失っていく。

 振って涌いたいきなりの好機に、あと一歩で敗北に至ろうとしていた魔理沙は躊躇う事なく反撃を選択する。

 

「う、うおらあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 八卦炉へとありったけの魔力を叩き込んだ魔理沙の咆哮と共に、魔力の波動が閃光の津波となって竜の吐息を押し返す。

 波動はそのまま竜を溶かし、魔女を飲み込み、斜めに天井を穿ってなお先へと突き進む。

 

「か……ぁ……」

 

 竜も魔石(ジェム)も消滅し、閃光が収まった先では無残に服と身体を焦がしたパチュリーだけが残されていた。

 飛行の制御を失い、パチュリーの身体が床へと落ちる。直前でどうにか浮いたのか、着地の音は随分と静かだった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 緊張と消耗により荒い呼吸を何度も繰り返した後、魔理沙は乗り物である箒を操ってパチュリーの元へと降下する。

 

「おーい、生きてるかぁ?」

「なんとか……ね――ぐぅっ!」

「お、おい、無茶するなよっ」

「刺したままの方が危ないわよ。魂にまで……ぐっ、食い込んでいるのですもの」

 

 腹に刺さった矢を強引に引き抜き、放り捨てた後で治療を開始するパチュリー。倒れたままの姿勢で、鮮血の溢れる傷口に淡く光る手の平を押し当てる。

 浅い呼吸を繰り返し、表情も真っ青だが、少なくとも命に関わるほどの怪我ではないらしい。

 

「なんだか、素直に勝った気がしないぜ……」

「いいえ、勝者は貴女よ。私は、こうなる未来を示唆されておきながらこんな無様を晒しているのだもの」

 

 複雑な表情をする勝者へと、敗者である魔女はきっぱりと言い聞かせる。

 紅の予言は、確かに当たった。そして、知りながら読み違えたのは完全にパチュリーの落ち度だ。

 油断さえしなければ、確実に勝てる勝負だった。だからこそ、言い訳は許されない。

 

「誇りなさい……それが、勝者の義務よ」

「――おうっ」

 

 先達の薫陶(くんとう)と賛辞を、魔理沙はしっかりと首を縦に振り笑顔で受け取ってみせる。

 実に人間らしい、誇らしげな表情だ。

 

「私が自分の治療に専念する以上、外の霧は時間と共に晴れるはずよ。異変の主謀者と面会がしたいのであれば、四階にある謁見の間かもう一つの地下室へ向かいなさい」

 

 今度は、単に異物を追い払いたいだけの適当な助言。もう語る事はないと、パチュリーは治療を続けながら魔理沙から視線を外して虚空を眺めだす。

 

「そっか――ありがとな! 次に来る時は、本を借りにお邪魔するぜっ」

 

 帽子のつばを掴み、流星の魔法使いは箒へとまたがると、光と星をばら撒きながら図書館の出口へと消えていった。

 

「――申し訳、ありません……パチュリー、様……ご無事で……ございますか……」

 

 人間よりも死に辛いとはいえ、流石にこの怪我は命に関わるだろう。

 魔理沙の姿が完全に見えなくなった後で、腕一本を失い止まらぬ流血で床を汚しながら、小悪魔がずるずると足を引き摺って倒れたパチュリーの元へと近づいていく。

 

「貴女の方が重傷じゃない」

「見誤り、ました……まさか……かの時代に生きた者の残滓を受け継ぐ妖精が、未だに存在していようとは……っ」

 

 遥か昔、自然と超常の力が満ち溢れ今よりも妖精が力を持っていた時代がある。民を囲い、国を持ち、他の大国とさえも互角に渡り合う――そんな輝かしい時代が。

 時の流れと共に自然と超常の力は失われ、衰退を繰り返した妖精たちは段々と小さく弱くなっていった。

 無垢なる心と、無限の再生。二度と自然を失わぬよう、二度と大地を焦土とせぬよう――妖精たちは、今の世界に適した存在へと変化したのだ。

 

「妙に、名前にこだわるとは思っていましたが……あんな物騒な亡霊に付きまとわれているのであれば、納得です……」

 

 敵からしか呼ばれる事のない、孤立無援の戦場ででも果てたのか。

 それとも、その生涯において己の名前が運命を左右するほどの重要な要素となり得たのか。

 大妖精に取り憑いている者の詳細は知るよしもないが、その辺りを解き明かす必要はない。

 何故なら、大妖精が背負わされている残滓はほとんど原型を留めておらず、ほぼ自動的な動作を繰り返しているだけだからだ。

 「命の危険が迫る」、「名前を呼ばれる」など、特定の条件を満たした場合にのみ()()が顕現し、対象の善意や悪意に関係なくただその一撃を見舞い再び眠りに就く。

 大妖精にとっては、はた迷惑も良いところの防衛機能だろう。あの緑の妖精が必要以上に争いを嫌うのも、間違いなく()()が原因だ。

 

「パチュリー様……やっぱり、私はダメでした……どうしても……ダメなんです……」

 

 起き上がる魔女の代わりにひざまずき、(こうべ)を垂らす小悪魔が弱々しい声音で告解を開始する。

 

「最後の一撃……私は首ではなく、羽を狙いました……妖精如きに、手心を加えました……自分でも、何故そうしたのか解りません……」

 

 悪魔と遊べば(Devil made Devil)悪魔になる(and Devil)――

 では、誰とも遊ぶ事を止めてしまった――他者の魂をもてあそぶ事を止めてしまった悪魔は、一体何になるのだろうか。

 答えは――何にもならない、だ。

 

「……(さか)しらな演技で、あの娘たちに精一杯の恐怖と嫌悪を与えておきながら……頭の片隅で、どんな服を着せれば似合うかと……想像してしまっている私がいます……」

 

 悪意があるから、「悪」魔を名乗れる。

 その大前提を失った者に、贈られる名などない。

 そして、脆弱な自力しか持たない小悪魔は悪魔としての最低限の責務をこなし続けなれれば存在を保てない。

 その制約は、例え幻想の地であったとしても変わる事はない。

 

「パチュリー様……私は、私たちは、こうしてゆるやかに滅んでゆくのでしょうか……」

「そうならない為に、私たちは()()()へ移転したのよ。数多くの神秘が残るこの地でさえ我々の滅びを止められないのであれば、もう諦めるしかないわね」

 

 パチュリーの魔法が変化し、黄緑色に淡く輝く球体が二人を包むようにして広がっていく。自身の傷と、小悪魔の傷、どちらも癒す為に展開した治癒の領域だ。

 

「私は……ここに居ても良いのでしょうか……?」

 

 小悪魔が悪魔としてその存在を保てているのは、紅魔館に囲い込んだ妖精たちのお陰だった。

 自然の摂理を故意に歪める、小さくも明らかな悪行。館の主が起こす悪事の共謀者としての立ち位置を続ける事で、彼女は辛うじて肉体を維持している。

 

「安心しなさい。レミィは、絶対に身内を見捨てないわ」

「私などの為に……皆さんに、要らぬ苦労を背負わせています……」

 

 命の終わりに尋ねて来るのは、彷徨う魂の導き手である死神たち。例えその魂が輪廻の輪を潜らなくとも、死の使いたちは必ず現れ失われる生命の末期を看取る。

 そんな彼岸の役人たちは、仙人や天人のように修行の果てに寿命を克服した者たちにも、正しい天寿を与えるべく何度でもその眼前へと現れるという。

 つまり、契約により魂を歪めた妖精たちに訪れる寿命の時もまた、死神たちにとってはその命を刈り取らねばならない大事な仕事の一つとなる。

 妖精の寿命は短い。そして、その寿命が訪れる度に死神は現れる。

 繰り返される死神たちの来訪を退け続けているのは、屋敷を守護する鉄壁の門番と当主の狗たるメイド長。

 魔女に従う矮小な悪魔は、この屋敷に住まう住人たちの総意によって生かされているのだ。

 

「そうして罪悪感に苛まれる貴女を見て、レミィは内心でほくそ笑んでいるのよ。対価は十分に支払われているわ」

 

 彼女よりも強い悪魔ならば、幾らでも居る。

 彼女よりも優秀な悪魔ならば、幾らでも居る。

 だが、パチュリーが契約したのはあくまでこの小悪魔という名を授けた目の前の少女なのだ。

 何時かの昔に交わされた約束が続く限り、魔女が悪魔を見捨てる日が来る事はない。

 

「――傷が深いわ。今は眠りなさい、小悪魔」

 

 血塗れの小悪魔を抱き寄せ、パチュリーが何時になく優しい声音で語る。短い詠唱の後に後頭部へと触れた右手に光が宿り、傷付いた部下を眠りの世界へと導いた。

 

「何時久しく健やかに……何時までも、何時までも……貴女の命が尽きるその時まで……心より、お慕い申し上げます……我が主様……」

 

 堪えられずに流れた一筋の涙が床へとこぼれ、魔女の揺りかごの中で悪魔になりきれない悪魔の少女の意識が落ちる。

 悪魔とは、他者を堕落へと導く破滅の使者。しかし、どんな存在であれ例外とは生まれるものだ。

 生まれてしまった自我は、覚えてしまった言葉は、感じてしまった寂しさは――一体どうすれば良い。

 悪魔にはなりきれず、他の何にもなれはしない。そんな哀れな半端者を――魔女は拾い、そして生かすと約束した。

 

「おやすみなさい」

 

 パチュリーの手の平が、小悪魔の髪を撫でる。

 これは契約だ。

 彼女が己を受け入れ、真の悪魔となるまでの――

 もしくは、まったく別の何かへと自らの意思で変わろうとするまでの――長い永い巣立ちの時を見守る為の約束。

 運命に抗う吸血鬼、狂気に救いを求める幼子、己を知らぬ門番、人の輪を捨てた人間――悪に染まれぬ悪魔――

 異端者の集う館、紅魔館。

 

「貴女の忠誠、喜んで受け取っておくわ――●●●」

 

 過去と未来を失った不変の魔女もまた、この歪な住居に暮らす変わり者の一人に違いなかった。

 




シリアスバトルはここまでだ!(もう限界)

次からは、アリ×レミのハチャメチャバトルだよ!

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