東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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56・紅魔の夜明け

 一階で発生した魔法使いと吸血鬼の激突は、上階にて丁度謁見の間の前へと到着していた魔理沙の足下へと激しい振動となって走り抜けていく。

 

「う、うぉぉっ。な、なんだぁ? 今の」

 

 慌てて下を確認しても、そこにはあるのは紅い絨毯の敷かれた廊下があるだけだ。

 

「霊夢が暴れてんのかなぁ。アイツ、平気な顔で無茶苦茶やるし――こっちにまでとばっちりは勘弁だぜ」

 

 居なくなっていたチルノたちを探して少しだけ遠回りをしたものの、結局屋敷の中であの二人の妖精を見つける事は出来なかった為、魔理沙は軽く頭を掻いて愚痴などをこぼしつつ単身のままで図書室の魔女に示された部屋の扉を開く。

 どうやらこの部屋でも戦闘があったらしく、室内は相当な荒れようだ。これでは、無事な箇所を探す方が難しいだろう。

 

 霊夢の仕業か? まさか、チルノや大妖精が仕出かしたとは思えないしな。

 でも、ここに辿り着くまでには霊夢と出会わなかったし、別の第三者が介入してる可能性もあるか。

 

 警戒した面持ちで室内へと足を踏み入れ、魔理沙はポケットの八卦炉を片手で確かめながら周囲を見渡す。

 

「んん……むにゃ」

「お?」

 

 衣擦れの音にそちら向けば、宝石の羽を背に生やした金髪の少女が壁に寄り掛かって可愛い寝息を立てていた。良く見れば、十字架のように広げられた両腕にはそれぞれに野太い針が根元まで突き刺さっており、それが彼女を壁へと縫い止めているらしい。

 

「……やっぱり、霊夢にやられたのか」

 

 そして、その針は魔理沙の良く知る少女が妖怪退治に持ち出す退魔の道具に間違いなかった。

 

「おーい、起きろー」

「ん、んん……っ」

 

 宝石を背負う人外の少女を起こそうと、魔理沙は適度な力加減でその頬を両手でムニムニともてあそぶ。

 やがて、閉じていた金の瞳をゆっくりと開いた人外の少女は、パチパチと何度か瞬きをしてようやく白黒の少女を捉える。

 

「ふ、あぁぁ――だぁれ?」

「ようやく起きたか。そんな風には見えないが、お前がこの屋敷のご当主様か?」

「んー? お姉様にご用事? だったら多分――あぁ。腕、くっつけられちゃったんだっけ。う、んん」

 

 目蓋を擦ろうとして、壁にはりつけられた腕を思い出した少女は何度か軽くもがいた後で全身に力を滾らせていく。

 

「うぅぅぅ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 ミシッ、バキッ、っと少女の背後にある壁が悲鳴を上げる。自力の大半を封印されているはずの状態で、それでも彼女の筋力は人間のそれを遥かに超えていた。

 針によって縫われた部分ごと膂力によって強引に壁をくり抜き、岩の板を背負って立ち上がる。

 

「おいおい……」

「んふーっ。んー、後でお姉様から、「もっとエレガントにしなさい」って怒られるかしら」

 

 滅茶苦茶な手段で部屋に大穴を開け、壁の一部を引き連れて得意げに笑う怪力妖怪に、後ずさった魔理沙は思わず笑みをひきつらせてしまう。

 

「でも、これでもまだ動き辛いわね」

 

 禁忌 『フォーオブアカインド』――

 

 札の煌めきと共に現れるのは、妖怪の少女とまったく同じ姿形をしたもう三人の少女たち。

 

「「「えぇいっ」」」

 

 現れた分身の少女たちの腕が、足が――非力な打撃にしか見えないそれぞれの一撃が、本体であろう少女の背負う岩を粉々に打ち砕く。

 

「んーしょっと」

 

 分身を消した後、最後に両手を使って腕へと刺さる針を引き抜けば、そこには針の傷跡すら一瞬で再生させた化け物だけが残される。

 

「怪力に、変化に、再生――当主が吸血鬼なら、当然妹も吸血鬼ってわけか」

「貴女、物知りなのね。正解よ、人間の魔女さん」

 

 当主の妹を語るこの少女は、明らかな強者だ。

 強いなら、戦う。戦って、勝利する。

 ポケットの中にある八卦炉を掴む手に、自然と力がこもる。魔理沙の思考は、至ってシンプルかつ明瞭だった。

 

「なぁ、博麗の巫女は強かったか?」

 

 魔理沙の雰囲気の変化を読み取ったのか、羽を動かす少女もまた口元を更に引き上げて戦意を徐々に増していく。

 

「えぇ。とっても強い人間だったから、また遊びたいわ――貴女も、フランと遊んでくれる?」

「いくら出す?」

「コインいっこ」

「今時コイン一個じゃ、人命も買えないぜ」

 

 言葉遊びの最中で、吸血鬼の少女が大きく後ろへと跳躍し空中で静止して両手に持った十枚の札を見せ付ける。

 

「貴女が――ぁ……」

 

 しかし、開かれるかと思われたスペルカードは、一際輝いた後に突如としてその光を減衰させてしまう。

 

「あ、あぁ……そっか、そう、なんだ……」

「な、何だ? どうしたんだ?」

 

 出鼻を挫かれ、箒に乗って飛翔しようと片足を乗せた姿勢で、震える声で自分の両手を見つめ始めてしまった妖怪の少女を見やる魔理沙。

 

「お姉様! これが……これが運命なのね!」

 

 しかし、その少女が見ているものは、魔理沙ではなかった。天を仰ぎ、両手を上げ、天井の遥か先にある何かへ向けて全力で歓喜の声を滾らせる。

 アリスと出会う事なく霊夢と対峙していれば、霊夢は狂気の果てに死を望んでいた彼女を更生不能と判断し、少女の望みのままに滅していただろう。

 霊夢より先に魔理沙と出会ってしまえば、鬱屈とした不安定な精神を抱えたままの勝負となり、もしかすればこの白黒の少女を不慮の事故で殺していたかも知れない。

 分身を使った、複数の者との決闘もそうだ。時の歯車は、何時だって外れ、食い違い、狂う可能性を秘め続けている。

 この順序だからこそ、この順番だったからこそ、吸血鬼の少女が辿る道はこれより先の未来へと続いていくのだ。

 

「あっははははははははは!」

 

 たった一つ道を違えるだけで、また別の道が別の未来として示される。良きにしろ、悪きにしろ、ただ無数の分岐路が繰り返されていく。

 もしかすれば、この少女は遥か以前に実の姉や屋敷の住人を殺していたかもしれない。

 もしかすれば、この少女はこれからこの白黒の少女を殺すかもしれない。

 もしかすれば、この少女は――当時の地下室で、今は慕うようになったあの人形遣いを殺していたかもしれない。

 だが、その先に示される(未来)の全てが不幸であるなどと、一体誰が決め付けられるというのか。

 (未来)の分かれた十年先で、彼女は別の誰かに救われるかもしれない。

 (未来)の分かれた百年先で、彼女は自戒の念に己を苛み、能力と感情を律する(すべ)を手に入れるかもしれない。

 (未来)の分かれた千年先で、彼女は今まで繰り返して全ての業を叩き付けられ、煉獄の業火に焼かれるかもしれない。

 正しいと思った今の(未来)の先で――彼女は、耐え難いほどの不幸と絶望を背負うかもしれない。

 どこかで羽ばたく蝶の舞が、明日のどこかで竜巻となる――一寸先の未来すら、誰にも解りはしないのだ。

 そこに、誰もが認める正しさなどはない。ただ、通り過ぎた先で過去を見やり、自分や他者がその何時かの選択に評価を下すだけ。

 運命に――運命という名の荘厳な言葉に、捕らわれるだけの価値などない。

 それは決して、生き方を縛る「檻」などではないのだから。

 その一歩で、その一挙で、その一言で――開かれるのを待ち続けている、無限の先へと続く「扉」なのだから。

 

「なんなんだよ、一体……」

「あははっ、ごめんなさい。なんだかおかしくって」

 

 蚊帳の外に置かれ、憮然とした表情で唇を突き出す魔理沙に謝罪して、涙を拭いながら先程よりも更に無邪気な笑みへと変わった当主の妹が改めてカードを取り出す。

 

「私はフランドール。フランドール・スカーレット――貴女のお名前を教えてちょうだい。これから遊ぶ、貴女のお名前を」

「――霧雨魔理沙だ」

 

 魔理沙は意味が解らないながら、目の前の少女が出会った直後よりもより一層強くなっている事を理解していた。

 帽子のつばを軽く下げて冷や汗を隠し、口元には意地と根性による不敵な笑みを作る。

 

 大丈夫だ、いける。私はやれる。

 こんなところで、つまづいてる暇なんてないんだよ。

 霊夢はコイツに勝ったんだ。私も勝たなきゃ、追いつけない――

 ――違う! そうじゃないだろ!

 今の私の相手は誰だ!

 目を開け! 顔を上げろ!

 やれるんだろうが! 霧雨魔理沙!

 だったらちゃんと、この吸血鬼と戦えよバカ女!

 

「……っ」

 

 己の中に生まれてしまった不義理を怒りで吹き飛ばし、音が鳴るほどに歯を食いしばった魔法使いの少女が強い意志を宿した視線を上げる。

 

「魔理沙! 最初から本気でいくわよ!」

「応よ! 下らん手加減なんぞしたら、承知しないぜ!」

 

 吸血鬼の少女が放つ複数の大玉が、外部に面した一方の壁へと巨大な通り道を作り出し、羽ばたきと加速によって両者は薄い紅の霧がたちこめる月夜の空へと飛び出した。

 

「私はお前に勝つぜっ、フランドールゥゥゥッ!」

 

 裂帛の気合を咆哮に込め、流星が駆ける。

 生れに授かった輝かしい天命もなく、双肩に背負う非業の宿命もなく、ただ外法へと歩む事を決めただけの――ただそれだけの魔法使い。

 ある者は、それを軽いと嘲るだろう。

 ある者は、それを愚かと呆れるだろう。

 ある者は、それを無駄だと哀れむだろう。

 だが、そんな小利口な他者の弁にこそ、価値はないのだ。

 百年先で、彼女が己の選択を後悔するのか、享受するのか――

 「霧雨魔理沙」という少女の短くも長い物語りに――今、新たな一ページが描き込まれようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「ぅ……」

 

 つかの間だけ途切れていたのだろう意識が覚醒し、起き上がった私の視界へと最初に映って来たのは煙の晴れた廊下の惨状だった。

 私の立っていた位置から正面へと放射状の大穴が開き、倒れたレミリアを残して随分と見晴らしの良い景色となっている。

 屋敷の外部に近い場所から外へ向けて放った為、側面の庭と一緒にその向こう側で広がっていたはずの雑木林の一角が見事に消し飛んでいた。

 砦一つを崩壊させるほどの広範囲殲滅呪文を、手加減抜きでぶっ放したのだ。相殺されて多少威力が落ちたとはいえ、紅魔館自体も然る事ながら自然破壊による被害は甚大である。

 背後を確認すれば、竜破斬(ドラグ・スレイブ)により軌道の逸れたレミリアの超巨大グングニルが通過したのだろう、屋敷の二、三階を通る形で貫通した大穴が開いている。

 

 やるもんじゃないね、柄じゃない事は。

 しかしこれ、絶対後で各方面からレミリアと一緒に怒られるパターンだよね……

 

「ふふっ……お互い、酷いありさまね」

 

 屋敷の左右に大穴を開け、あまつさえ外にまで被害を広げてしまった事に内心で陰鬱な溜息を吐いていると、右腕を含む半身の大部分を欠損させたレミリアが小さく笑いながらゆっくりと立ち上がった。

 

「負けたわ。貴女の勝ちね」

「どの口が言うのよ。最初から、当てるつもりなんてなかったくせに」

 

 レミリアの敗者宣言に、私も震える両足でなんとか立ち上がりながら呆れにも似た言葉を吐いてみせる。

 確かに、半身を抉られた彼女と汚れただけで怪我の少ない私の姿では勝敗は実に解り易い。

 だが、レミリアの投げた紅の槍はそもそも私ではなくその頭上を越える軌道で投げられたのだ。私の呪文がそこから更に槍を逸らしただけで、彼女は最初から文字通り勝負を投げていた。

 

「負けたかったの?」

「まさか。でも、この勝利は受け取れないわ」

 

 そもそも、レミリアは何時でも私との勝負を終わらせられたはずだ。私を壁へと叩きつけた念力にしても、水底から飛び出た際の頭突きにしても、彼女が本気でやっていれば私は今頃死神少女と世間話中だ。

 

「良いのよ。華麗にして至高たるこの私が、傲慢と油断から取れる勝利を取り落とした――そういう事にしておいてちょうだい」

「……」

 

 精神を同時に抉られたからか、レミリアの再生は酷く遅い。そんなボロボロの身体で笑う彼女は、とても儚くか弱い存在に見えた。

 

「フランが大事なの……たった二人の姉妹だもの、当然よね」

 

 家族への愛を語りながら、その表情には明らかな影が差している。

 泣いているような、笑っているような、そんな左右非対称の表情でレミリアの言葉は続く。

 

「屋敷に迷い込んだ小鳥を握り潰し、罪悪感に押し潰されて泣きじゃくるあの娘を見て――私は絶望したわ」

 

 姉としてのやりきれない想いが、口から漏れる。長く、長く、そしてどこまでも深い溜息として。

 

「どうして、あの娘は化け物(私たち)にとって最も不要な、「優しさ」なんてものを強く抱いて生まれてしまったの……っ」

 

 血を流すほどに握られる、その拳の憤りは一体誰に向けられたものなのか。

 破壊をただの娯楽として楽しめるのであれば、フランは狂う必要などなかった。他者の死を当然の摂理として受け入れていれば、彼女は苦しむ必要などなかった。

 そうではなかったからこそ、フランは狂い、そして幽閉された。

 外を遠ざけるしか――破壊出来るものを遠ざけるしか、彼女を守る(すべ)がなかったから。

 

「私のように傲慢であれば、パチェのように無関心であれば、美鈴のように心強くあれば、咲夜のように忠実であれば、小悪魔のように(さか)しらであれば――あれほどまでに、自分の宿命に翻弄される事などなかったでしょうに……っ」

 

 運命とは残酷だ。

 小悪魔は、悪魔になりきれないくせに悪事を楽しむ、そんな自分の心が嫌いだと言っていた。

 フランは、誰かや自分の「大切」を壊し二度と元には戻せない、そんな自分の能力が嫌いだと言っていた。

 生まれの不幸を呪ったとて、背負ってしまった宿業からは逃れられない。

 だけど、それでも――

 

「――心はとても尊いわ、レミリア」

 

 私の想いが届いてくれるのなら。

 想う事すら出来ない、そんな私がそれでも届けたいと願う意思が伝わってくれるのなら。

 私は、私ではない誰かの言葉を胸を張って口にする。

 

「地獄を抜けて、フランは生きて、しかも心を残したのよ……凄い事なの。売ってはいけないの、宿命などに……」

 

 殺し屋の息子として、同じ道を歩む事を強制されていた青年へと告げた、人間の都合で同族から外れてしまった小さな化け物からの優しい言葉。

 私の知る、沢山の者たちが語る沢山の言葉たちは、私自身に対しての願いにも繋がっている。

 心はここにあるのだと、確かにここにあるのだと。

 小波だけを繰り返す、この空虚な胸の内にも――ほんの少しだけ、それでも誰かを想えるだけの心は必ずあるのだと。

 

 だから、届いてよ。お願いだから。

 私を救ってくれたみたいに。私を励ましてくれたみたいに――私の友達に、私の心を届けてよ。

 

「その心は――もう、解放して良いのよ」

 

 フランも。そして、姉であるレミリアもだ。

 互いを大事に想うのなら、なおの事二人はもっと自由に生きなければならない。

 悲しみを二つに、喜びを二倍に。そして、愛情は無限大に。

 あの娘の傍には、そんな素晴らしい家族と仲間たちが居るのだから。

 

「アリス……」

 

 やめてよ、そんな顔。

 そんな顔をされちゃうと、私の中にある最初からマックスのレミリア大好きゲージが、勢いを付けて振り切れちゃうじゃない。

 おいで、レミリア。撫でてあげる。

 

 種族の違いも、実力の違いも、年齢の違いも、何一つ関係ない。

 今はただ、目の前で泣くこの可愛い娘を滅茶苦茶に甘やかしてあげたい。

 吸血鬼の少女へとフラつく足取りで歩み寄って両腕を回し、私はほんの少しだけ力を込めて彼女を抱き締める。

 そのまま彼女の髪に後ろから手櫛を通し、何度も何度も精一杯の慈しみを込めて往復させていく。

 

「大丈夫よ。今までが悪かったのだから、これからは良くなっていくだけじゃない」

「でも……っ」

 

 レミリアの手が、私の服を掴む。

 フランと同じだ。どうしたって、不安はなくならない。

 それでも、だからこそ、私は幸福な未来を口にする。

 それが事実となるように、そうなれるようにと努力をする為に。

 

「素敵よ、きっと。あの娘の未来は。眩しくて、先なんて見えないくらいに」

 

 私だけではない。

 この幻想郷には、霊夢が居て、魔理沙が居て――まだまだ沢山の未知と出会いが、あの娘には待っているのだ。

 幸福だけではないだろう。不幸や苦難だって、何度もあるはずだ。

 だが、それは当然の事だ。生きるという事に関して、この世に甘みと苦味があるなど子供でも知っている。

 誰であろうと――例え人ではなくとも、その事実から逃げてはいけない。

 

「――ふ、ふふっ……あはは、あははははははははははははっ!」

 

 撫で続ける頭の手を払い除け、私を軽く突き飛ばしてしばしうつむいていたレミリアは、何時もの威勢と威厳を取り戻して呵々大笑と笑ってみせる。

 

「くくくっ。夜に生きる我らに、眩しくて見えないくらいの未来、か――それは確かに、これ以上ないほど素敵でしょうね」

「えぇ、そうでしょう」

 

 虚勢だって構わない。レミリアは紅魔館の当主であり、フランにとって最高の姉であり続けると決めているのだから。

 

「――アリス」

「何かしら」

「その、えと……」

「?」

 

 打って変わって、きょろきょろと視線を彷徨わせながら挙動不審になったご当主様に、私は首を傾げてしまう。

 自分の髪を何度も触り、チラチラと上目遣いで何度も私へと視線を送るレミリア。超絶可愛い。

 

「さ、さっきのやり取りは、パチェにも内緒なんだからねっ」

 

 え、何その仕草。鼻から忠誠心でも出せと?

 よっしゃ、ちょっと待ってろ。床一面を真っ赤に染める、スーパースプラッシュを見せてやんよ。

 

 腰に手を当て、もう片方の人差し指を突き出して念を押すレミリアを見た私の心は、きっと侍従長がこの少女へと忠誠を誓った瞬間と同一のものだったに違いない。

 

「えぇ、勿論よ」

 

 そんな失礼な事を考えつつ、私は見た目相応の可愛らしい友人のお願いにしっかりと頷いてあげるのだった。

 

 

 

 

 

 

 最後にちょっとしたひと悶着もありはしたが、予定通りつつがなく私とアリスの決闘は終わりを告げた。

 ……終わったったら終わったのだ。

 

 うー……あれはなかった事にしましょ。

 ちょっと気弱になっていたとはいえ、紅魔館の主たるこの私があんな幼稚な醜態を晒すなんて……思い出すだけで、顔から火が出そうだわ。

 アリスの魔法って精神を直に削るから、私たちみたいな存在には相当厄介なのよね。

 つまり、あれは全部アリスが悪いのっ。

 

「――ねぇ、アリス。勝者である貴女に、ご褒美をあげるわ。貴女の運命を読んであげる」

 

 フランは今頃、パチュリーを下した運命の相手との出会いを果たしているだろうか。

 そう、アリスだけではないのだ。フランの「大切」はこれからもっと増えていく。

 その内一つでも壊れてしまえば、あの娘の狂気は爆発する。頭の痛い話だ。

 いっそ、今度は二度と出てこられないようにあの娘を閉じ込めてしまった方が、面倒が少なくて良いだろうに。

 だから、これは仕返しだ。

 私を悩ませる切っ掛けを作ってくれた、この友人の魔女への意趣返し。

 

「「七つと千の夜を超えて、真夜中のサーカスが貴女に結末を届けるだろう。恐れてはいけない。目を逸らせば、幸福の小箱は貴女の手の平から滑り落ちてしまうのだから」――」

 

 運命は変わる。変える事が出来る。

 だがそれは、私の旧友である七曜の魔女ですら果たせなかった偉業である事もまた事実だ。

 私の見えた未来は、確実にアリスへと近づいている。このまま進めば、数年先に辿り着いた糸の先でアリスは必ず運命と出会う。

 避けるも挑むも、彼女次第。私はただの占い師に過ぎない。

 その時が来た時に、精々この人形遣いが足掻く姿を見て楽しむ事にしよう。

 

「貴女の願いは、きっと叶うわ。けれど、それには多くの犠牲が必要になる。貴女にも、貴女以外にも――」

「……」

「いずれ、思い出しなさい」

 

 語った言葉の意味を吟味しているのか、無言を貫くアリスをそのままにして私は翼を広げて外へと飛翔していく。

 感じるのだ。私の運命を。

 強く、気高く、美しい、私の所有物(もの)となるに相応しい、珠玉の魂と肉体を持ち合わせた者の匂いが。

 

「――ごきげんよう、博麗の巫女」

「やっと出てきたわね。探したわ、お嬢さん?」

 

 半分以上が晴れてしまったものの、未だ薄い紅霧が世界をおおう空の一角。優雅な動作で正面へと現れた私へと、巫女はぶっきらぼうに言いながらお払い棒で肩を叩くという気品の欠片もない仕草で答える。

 それで良い。教育もまた、楽しみの一環だ。

 苦痛によって屈服させてあげようか、快楽によってドロドロに溶かしてしまおうか。

 想像するだけで、はしたなくも下腹の奥が強く疼いてしまう。

 

「それで、悪魔の館に何かご用事かしら?」

「そうそう、迷惑なの。あんたが」

「短絡ね。しかも理由が分からない」

 

 普通の人間であれば、失禁しながら泡を吹いて気絶するだろう全力の魔力を滾らせる私へと向けられた巫女の視線は、至って平静だ。

 彼女は私に、一切の恐怖を抱いていない。私という怪物を、彼女はまるで恐れていない。

 

「とにかく、ここから出ていってくれる?」

「ここは、私の城よ? 出ていくのは貴女だわ」

「――この世から出てってほしいのよ」

 

 どこまでも平坦に、私へと向けられる心地の良い敵意。

 

 そうか、これが博麗の巫女か。

 これが、幻想郷の秩序たる人間か。

 

 たまらない。

 この娘は、どんな声で喘ぐのか。どんな声で呻くのか。

 降り積もった雪原へと最初に足跡を刻むように、その玉の肌へと痕を刻むのはどれほどの歓喜を与えてくれるのか。

 これほどまでに楽しみな逸材は、今までついぞ出会った事がない。

 

「こんなに月も紅いから――」

 

 五枚の札を掲げ、開戦の合図を示す。

 

「本気で殺すわよ」

 

 さぁ、始めよう。

 この美しい月夜の中で、果てまで続く輪舞曲(ロンド)を踊り明かそうではないか!

 

「こんなに月も紅いのに――」

 

 巫女の取り出すカードも五枚。

 

「永い夜になりそうね」

 

 清らかな力を感じる退魔の針に、当たればただでは済まないだろう霊札。

 彼女自身から溢れる清浄なる気が、力強くも荒々しさを感じさせない荘厳なる空気が、博麗の巫女という女の実力を物語る。

 

「――おねーさまー!」

 

 まず手始めにと一枚目の札を開こうとした丁度その時、頭上から上機嫌に私の名を呼ぶフランがいきなり私の胸元へと飛び込んで来た。

 

「フラン!」

 

 勿論、私がフランを受け止められないなどあり得るわけもなく、しっかりと抱き止めてそのまま全力で抱き締めてあげる。

 

「全部見ていたわ。頑張ったわね、偉いわフラン」

「うん! あのねっ、あのねっ、お姉様に一杯お話ししたい事があるの!」

 

 素直に頭を撫でられながら、瞳を輝かせて口早に捲くし立てるフラン。それだけで、今夜の出会い一つ一つがこの娘にとって宝石にも勝る素晴らしい経験となった事が解る。

 

「えぇ、えぇ、後で全部聞いてあげるわ。だけど今は――」

「うん。大好きだよ、お姉様」

「私もよ、フラン。愛しているわ」

 

 私がフランの額に唇を触れれば、その後で妹もまた私の額へとキスをしてくれる。

 

「――美しき姉妹愛ってか。いきなりどっか行くから、何事かと思ったぜ」

「何、魔理沙居たの?」

「居たんだよ。冷たいお前を温める為に、アレとおんなじ事してやろうか?」

「もしほんとにやったら、顔面ぶん殴るわよ」

「お前……女の子なんだから、そこはせめてビンタにしとけよ……」

 

 どうやら、フランのダンスのお相手も到着したようだ。

 箒に乗った、見るからに解り易い白黒の魔法使い。

 この娘もかなりの素材だが、いかんせんそれ以上の芸術品をすでに見つけてしまった私の食指は動かない。

 

「ふふっ。それじゃあ、ここからはお互いにパートナーを交えた四人でのダンスと洒落込みましょうか!」

 

 冥符 『紅色の冥界』――

 

「うふふっ! いっくよぉぉぉっ!」

 

 禁忌 『クランベリートラップ』――

 

「面倒臭いわね。魔理沙、足引っ張るんじゃないわよ」

 

 夢符 『二重結界』――

 

「その台詞、そっくり返すぜ!」

 

 魔符 『ミルキーウェイ』――

 

 四者のカードが開き、四種の弾幕が展開される。

 今日は良い夜だ。このまま死んでも良いとすら思えるほどに、私の中にある全てが満たされた至高の一夜。

 今は、ただ踊ろう。そして笑おう。

 眩しいほどに続くという、妹の幸福を願いながら。

 そんな素敵な日々の中で、共に笑う私と仲間たちの未来を想像しながら。

 夜の王として君臨する私の――

 果てしなく傲慢で、似合わないほどちっぽけで弱い――

 そんな私の、守るべき全てに等しい愛を抱きながら――

 

 

 

 

 

 

 月の傾きが西の彼方へと向かう夜明けと深夜の境目で、紅魔館の門番がようやくあるべき場所へと帰還する。

 

「ふぅ……」

「――お疲れ様、美鈴」

「はい。お疲れ様です、咲夜さん」

 

 門の前へと到着すると同時に、見計らっていたかのように瞬時に隣へと出現する咲夜に驚きもせず、にっこりと笑いながら手渡される無地のタオルを受け取る美鈴。

 

「怪我をしているわね。誰にやられたの」

「ほらほら、そんなに恐い顔しないで下さいよ。折角疲れて帰って来たんですから、笑ってお迎えして下さい」

 

 冷めた視線に僅かな熱を灯す、外見よりもずっと仲間想いの侍従長へ、姉役である門番は笑顔を続けて心配は要らないとおどけてみせた。

 

「――美鈴」

「はい?」

「……お帰りなさい」

「っ!?」

 

 仕返しは、特大だった。

 流石にアリスほどとは言わないが、それでも屋敷に務める従者として毅然とした態度と表情を崩さないあの咲夜が、美鈴の両頬に手を添えて見惚れるほどの柔和な笑顔で同僚の帰還を労う。

 

「~~っ」

「ふふっ。今回は、私の勝ちね」

 

 瞬きする間に美鈴の応急処置を終え、顔を真っ赤にして照れる門番の前で咲夜は小さな含み笑いを残し再び姿を消失させる。最後に小さく舌を出して唇へと右の人差し指を添えてみせる辺り、普段は見せない少女らしい悪戯心が透けていた。

 

「んー。ああいうの、他の人にもやっていないか心配になるわね……」

 

 見事に一本取られてしまい、美鈴は頬を掻いて顔の熱気を誤魔化しながら門を抜けて中庭へと移動していく。

 屋敷の左右にはそれぞれ大きさの違う大穴が空き、屋根の一部も吹き飛んでいる。

 幾ら妖精の力が再生に向くとはいえ、流石に一日にも満たない時間で二度も半壊した屋敷を修復する事は出来ないだろう。よって、紅魔館の建て直しは後日まで見送りだ。

 

「ん? パチュリー様?」

「あぁ、生きていたのね。お帰りなさい、美鈴」

「美鈴さん、お帰りなさい」

 

 中庭の中央に設置された大きな噴水の脇に腰掛けていたのは、地下図書館から動く事の方が珍しいだろう紅魔のご意見番とその部下だった。

 

「どうしてこちらに? というか……小悪魔、貴女右腕もげてない?」

「えぇ、少々相手を見誤りしまして。パチュリー様共々、こてんぱんにやられてしまいました」

 

 右腕に白い布を巻き肩へと吊り下げる小悪魔は、重傷の身でありながら美鈴の質問に何時も通りのにこやかな笑みで答えを語る。

 

「別に、ただの気紛れよ」

 

 続いて答えるのは、珍しいついでに傍に一冊の本すら持たず何をするでもなく夜風に頬を撫でさせている七曜の魔女。誰かと長い時間戦闘を行ったのか、疲労により全身から滲む倦怠感がより一層彼女の病弱さを際立たせている。

 

「結末くらいは、見届けてあげようかと思って」

「あぁ、なるほど」

 

 空を見上げれば、そこには止まる事なく次々と咲き乱れ続ける弾幕の煌めきが見えた。

 一つが閉じ、また開き、別の弾幕の輪が広がっていく。それぞれ特徴のある四つの光が、まるで一瞬の芸術品のように咲いては散ってを繰り返す。

 

「――終わりましたね」

「いいえ、これから始まるのよ。ようやくね」

「ふふっ。素敵な娘たちとも出会えましたし、明日からが本当に楽しみですねぇ」

 

 新しい土地で暮らすに辺り、幻想郷に住まう者たちへの挨拶は済んだ。

 これから、ようやく紅魔館はこの楽園を賑わせる勢力の一つとして認識され、そして活動を開始する事が出来る。

 

「そういえば、アリスさんはまだフラン様の地下室ですか?」

「隔離の魔法が解けた時点で、あの娘が大人しくしているとはとても思えないわね。レミィも妹様も向こうで遊んでいるし、今は咲夜や妖精たちと一緒に瓦礫の撤去でもしているのではないかしら」

「……あの方にも、随分と迷惑を掛けてしまいました」

「客人をもてなしただけよ。全ての元凶はレミィなのだし、貴女が気に病む必要なんてないわよ」

 

 視線を落とす美鈴へとパチュリーが素っ気無く語れば、小悪魔は何やらニヤニヤと笑いながら下世話な視線で主人を眺め始めた。

 

「またまたぁ。そんな事言って、アリスさんに封印した地下室をあっさり抜け出されて、内心驚きと悔しさでムカムカしっぱなしじゃないですかぁ。夜風に当たりに来たのだって――」

「小悪魔、どうやらその左腕も切り落とされたいみたいね」

「ぷくくっ、申し訳ありません」

 

 剣呑な魔女の瞳を受け、お喋りな小悪魔は笑いを堪えながら更に口角を深めて左手を口元に添える。謝罪を口にしていながら、その口調は明らかに相手へのからかい混じりだ。

 

「はいはい。後片付けがまだ残っているんですから、ケンカもお仕置きもまた今度です」

「ふんっ、解っているわよ」

「はーい」

 

 美鈴が見かねて両手を叩けば、双方はすぐに身を引いた。

 普段はしないようなからかい方も、受け流せなくなっているささくれた精神も、異変という大きな宴の熱がもたらした残り香だ。

 

「美鈴、貴女も咲夜たちを手伝ってあげてちょうだい」

「はい、かしこまりました」

「小悪魔は、まだ私の傍から離れては駄目よ。右腕の接合共々、治療が完全に終了するまでは司書の仕事も休んで良いわ」

「深いご温情、感謝致します」

 

 当主の代わりに適当な指示を出し、パチュリーは再び上空の弾幕勝負へと視線を戻す。

 薄紅い空に、大きな月と沢山の星々に混じって別の星たちが瞬く。

 色鮮やかに鮮明であり、息を呑むほどの素晴らしい光景でありながら、蝋燭(ろうそく)の灯のように儚く弱い――まるで、人間に忘れられる事で存在を失ってしまう、この幻想郷へ集った人外たちを表すかのような遊戯。

 

「美しい――とでも、言ってあげれば良いのかしらね……馬鹿ばかしい」

 

 皮肉を込めて、その景色を眺める魔女が呟く。

 間もなく、長い夜が明ける。上空の弾幕勝負も佳境に入ったらしく、時期に決着が訪れるだろう。

 人外の時間が終わる。紅の一座が開いた宴が終わる。

 思い出に残るほどに強烈で、しかし何時かは忘却の彼方に過ぎ去ってしまうのだろう夜が終わる。

 幻想郷の新しい夜明けは、もうすぐそこにまでやって来ていた。

 




よっしゃこらー!
終わってないけど、異変解決!

次回は、恒例の後日談ですね。

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