東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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にとりをメインにしたら、ミスティアが付いて来たぜっ(お徳感)



60・河童のにとりと夜屋台

 人里の大通りから逸れ、幾つもの曲がり角を通った先に並ぶ、幾つかの小さな露天。

 誰が始めたかも定かではない暗黙の了解の下、ここでは里の外から訪れた人外たちが妖しい闇市を開く一角となっていた。

 人目が少ない裏路地とはいえ、当然この場所も人里の内部。つまり、妖怪が人間を襲う事は許されない。

 ある者は怖いもの見たさに、またある者は妖怪たちの作り上げた品々に魅せられて――様々な理由と思惑の下、薄暗い路地にて異なる種族同士の逢瀬は続いている。

 人里に住む極普通の青年である橘がここに訪れた理由は、両方が当てはまった。

 

「河童さん、これは?」

「計算機。数字が読めれば、その子が簡単に計算してくれるよ」

「こっちは何?」

「尻玉器だよ。手間要らずで、人間から簡単に尻子玉が取り出せるんだ。便利だから、お一つどうだい?」

「僕が持ってても、使い道ないよね……」

 

 麻布を敷いただけの簡素な店先に並ぶ、用途不明の機械たち。その一つ一つを説明するのは、この道具たちの作成者でもある河童の河城にとりだ。

 

「この計算機って、幾らなのかな?」

「お目が高いねぇ。それは――」

「えぇっ、そんなに高いの!?」

 

 橘の驚きは当然だ。にとりの語った金額は、実に彼の一ヶ月分の給料に相当するからだ。

 

「優れた道具は、相応に値が張るもんさ。イヤなら別に、買わなくても良いんだよ」

 

 普通にぼったくりの金額を提示しておきながら、にとりの態度にはふてぶてしささえ伺える。

 

「そもそも手持ちがないから、流石にそんなに高価な物は買えないかな」

「んじゃあ、はい」

 

 他の商品も同じような値段なのだろうと見切りを付け、腰を浮かせようとした橘へとにとりが右の手の平を差し出す。

 

「え?」

「「え?」じゃないよ、見物料。十分冷やかしただろう? 道具の説明だってしてやったし、説明料込みで置いてきなよ」

 

 無茶苦茶な理屈である。ぼったくりの露天は、あこぎな露天でもあったらしい。

 

「いや、あの……僕、ただ商品を眺めただけだし」

「めいゆぅ、解かってんのかぁい」

 

 わざと声を低くして、妖怪が人間を下から睨め付ける。

 両者の立ち位置は、対等ではない。にとりがその気になれば、この場で橘の命はない。

 その後に博麗の巫女がこの河童を退治するのかもしれないが、それは殺された後の青年にとってなんの救いにもなりはしない。

 

「明日から水辺に近寄りたかったら、ここは大人しく私に従っておいた方が身の為だよ」

「……はい」

 

 弱者の悲哀など、捕食者からしてみれば些事にすらならない。

 人里とはいえ、何人もの妖怪が集合している場所から生きて帰る事が出来るのだ。勉強料としては、むしろ安い部類に入るだろう。

 

「いやぁ、お互い良い商談だったよ。そうだろ、盟友?」

「……はい」

 

 うなだれながら財布の紐を開く橘に、にとりは一転してほがらかな笑みを送るのだった。

 

 

 

 

 

 

「……死にたい」

 

 人里から妖怪の山へと向かう道の途中にある、小さな河川敷。そこで、一人の河童がこの世の終わりが訪れたかのような落ち込みようで、流れる水面を眺めながら膝を抱えてたそがれていた。

 

「にとり……またなの?」

 

 今日は守矢神社に遊びに行こうと道の上空を飛んでいた私は、偶然彼女を発見し地上へと着地しながらそう声を掛ける。

 

「ア……ア゛~リ゛~ス゛~」

「はいはい」

 

 振り返って私の姿を見るやいなや、涙と鼻水で顔中をぐしゃぐしゃにして抱き付いて来るにとりを受け止め、私は背と頭に両手を回して彼女を慰める。

 

「う゛ぅ゛~」

「貴女も、懲りないわね」

 

 全世界を敵に回してでも守ってあげたくなるような可愛さだが、騙されてはいけない。

 何故なら、泣き崩れる彼女はむしろ加害者だからだ。

 河童は、種族として人間を好いている。

 彼女らにとって、人間は餌であり、隣人であり、盟友だ。

 そして、同時に人間を恐れてもいる。

 種族特有の性質なのか、歴然とした力の差を持ちながら人間の何を恐れる必要があるのかは不明だが――どうも、河童たちは知り合い以外の人間からの視線を意識してしまうと激しい羞恥心に襲われるらしいのだ。

 心がかき乱され平静でなくなった者は、普段は取らないような行動を取ってしまう。

 で、にとりの場合は――

 

「前から思っていたのだけれど……恥ずかしいからって、なんで相手を脅すのよ」

「だ、だってぇ~」

 

 そう、照れ隠しならぬ照れ脅し。

 テンパッて強気になった挙句、訳も解からず相手を脅迫するのだ。その理屈の方が、私にはまったく解からない。

 本人は本人で一杯一杯なのかもしれないが、脅された側はたまったものではない。

 あの時は魔法の森の近くにある川辺だったが、私がにとりと最初に出会ったのも似たような状況だった。

 深く落ち込む彼女に理由を聞いてみれば、人間と仲良くなるつもりが誤って脅してしまったというもの。

 あの時から、この河童少女はまったく成長していないらしい。

 

 こうやって、本来の気質を知ってれば困った悪癖で片付くんだけどなぁ……

 にとりって実は、何も知らない人里の人たちから極悪守銭奴妖怪認定されてるんだよね。

 

 流石、阿礼の妖怪紹介本で「危険度「高」」「人間友好度「中」」の評価を得ているだけはある。

 本人に悪気がない分、余計に性質が悪い。

 

「いい加減にしないと、また霊夢に退治されるわよ」

「う゛……」

 

 こんな事をしているのだ。当然、人里から寄せられた苦情により、にとりが退治された回数は一度や二度ではない。

 妖怪が、「もう二度と同じ事はしない」と思えるだけの苦痛と恐怖を刻む博麗の巫女の「退治」を何度も受け、それでもめげずに人間へと近づこうというのだから大したものだ。

 欲を言えば、その困った習性を改善してくれれば万事解決なのだが、それは高望みし過ぎだろうか。

 

「うぅ~……私もさ、このままじゃあいけないってのは解かってるんだよぉ。でもさ、いざ盟友の前に出ると、頭がわーってなって何も考えられなくなっちゃって……」

「霊夢や魔理沙辺りは大丈夫なのに、困ったものね」

「アリスの意地悪~」

 

 あぁ~、可愛いわぁ~。ダメッ娘にとちゃん可愛い。

 

 しかし、このままではまた人間(の財布)が犠牲になり、霊夢から折檻を受けてしまう。

 ここは、そろそろ多少強引な手段を使ってでもあがり症を克服して貰わなければなるまい。

 

「ア、アリス? そろそろ放して欲しいんだけど……なんだかイヤな予感がするし」

「にとり」

「あ、待って。この流れ、絶対変な事考えてるよね」

 

 身じろぎを始めたにとりの名を呼べば、彼女の抵抗が一層激しくなる。

 しかし、もう遅い。彼女を抱き止めた瞬間から、私の両手からは魔法の糸が伸び続けているのだ。

 

 嬉しいよ、にとり。君とそこまで以心伝心だったなんて。

 それじゃあ――いこうか。

 

「安心して、にとり。憎しみが続けばやがて愛情へと変質するように、苦痛も続けばやがて快楽となるわ」

「い、いやぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 ふははは~。

 良いではないか~、良いではないか~。

 

 私は内心で悪代官を演じながら、嫌がるにとりを糸でぐるぐる巻きにしていく。

 本日の遊び――もとい、これは友達であるにとりの為を思って、心を鬼にして挑む試練なのだ。

 彼女はきっと、許してくれる――だから私は、彼女に甘える。

 同じくらい、彼女を甘やかしたいから。

 そういう当たり前の関係が、私には嬉しくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

「――それで、その後色々……言いたくないほど、本当に色々酷い目に遭ってさぁ」

「あぁ、今日人里であった川の氾濫騒ぎって貴女とアリスだったのね。犯人は博麗の巫女に退治されたって聞いたけど、大丈夫だったの?」

「うぅ……退治されないようにって始めたのに、なんであんな目に遭わなきゃいけないのさぁ」

「あぁー……やる気になった時のアリスって、変に強引だから困るわよねぇ」

 

 斜めに傾いた満たぬ月が、星々と共に空を彩る夜半過ぎ。

 本日は、人里から迷いの竹林まで伸びる道の途中で営業をしている夜雀の屋台にて、カウンター席に二人の客が座っていた。

 酒の入ったにとりの愚痴を聞いて相槌を打っているのは、神の祟りによって自宅を失い白狼天狗の合同宿舎にて知り合いの部屋に居候生活をしている姫海棠はたてである。

 彼女も幾つかの徳利を空けており、良い具合に出来上がっている状態だ。

 人里での騒ぎをアリスのせいだと悪態を吐いているにとりだが、結論から先に言えばこの騒動は屋台で酒をあおるこの河童の自爆である。

 何せ、アリスがにとりにやらせたのは自身で人里を歩き回り被害者の青年を探させ、取り上げたお金を返した上で謝罪するという至極簡単で正当な手順だけだ。

 それがどう間違って、呼び出し場所の橋ごと青年を洪水で押し流すという結末に繋がるというのか。

 実行犯のにとりは勿論、監督役をしていたアリスも霊夢から散々に怒られたのは言うまでもない。この件での一番の被害者は、間違いなくこの河童ではなく振り回された青年だろう。

 

「でも、そういうアリスを嫌いじゃないんでしょう?」

 

 空になった皿や徳利を片付けながら、女将のミスティアが追加の熱燗を二人の前に置いてにっこりと微笑む。

 

「まぁ、ねぇ……」

「うん、まぁ……」

 

 微妙に顔を逸らしつつ、言葉を濁すお客の二人。

 楽しさ半分、迷惑半分。手放しで褒めるには、あの人形遣いの破天荒さは癖が強過ぎる。

 しかし、アリスが突拍子もない行動に出る時。それは、必ずその理由に他者の事情が絡んでいる事をにとりたちは知っているのだ。

 誰かの為に、何かの為に――あの人形遣いが繰り返す無償の好意は、裏に一切の悪意がないと解かってしまうだけに、例え妖怪であろうと次第にほだされてしまう恐ろしさがあった。

 

「そういえば――アリス、また異変で無茶したんですって?」

 

 三人に共通している話題として、ミスティアはまたアリスの事を引き合いに出す。

 

「あぁ、地底のヤツでしょ。文がいの一番でネタを仕入れられたって、鬱陶しく自慢してたわ――はむっ」

 

 皮、肉、内臓――ヤツメウナギの全身をまとめてすり潰したつくね団子の一つを、箸を使って語りの最後に口へと運ぶはたて。

 

「あの後から、ちょっとアリスの雰囲気が変わった気がするんだよねぇ。前以上に積極的になったというか、もっと踏み込んで来るようになったというか――あーん」

 

 にとりが注文したのは、ヤツメウナギの蒲焼きだ。甘辛いタレが染み込み、炭火で芯まで焼き上げられた極上の一品に舌鼓を打つ。

 

「まぁ、なんにせよその異変で心境の変化があったんでしょうね。でも悲しいかな、何があったかは尋ねても教えてくれないのよねぇ――水臭いわ」

 

 三人の中では、アリスとの付き合いが一番長いのがこの夜雀だ。炭火焼きに使っていた大きめの団扇で口元を隠し、ミスティアが心配そうに眉根を下げる。

 

「ごめんくださいな」

 

 僅かにしんみりとした空気になってしまった屋台へと、そんな挨拶と共にもう一人の客がのれんを潜って来た。

 

「はーい、いらっしゃ――ぴぃっ!?」

 

 来店者へと笑顔で出迎えようとして、見事に失敗するミスティア。

 それもそのはず。現れたのは、永い夜のおりに気紛れで屋台の女将を食卓に並べようとした亡霊の姫だったのだ。

 

「あれ、幽々子じゃない。なんでこんな所に居るの?」

「ちょっ!? は、はたてっ」

「な、何よ、そんなに慌てて」

 

 極普通に声を掛けるはたてに仰天し、にとりが慌てて天狗少女の裾を引く。

 幾ら他所の組織とはいえ、幽々子は冥界の管理者であり西行寺家の当主。つまりは、山の組織の頂点である天魔と同等の地位にあると言っても過言ではない。

 部下の無礼は、上司の無礼。

 はたての迂闊な言動によって、組織そのものに有形無形の被害が出る可能性とてあり得るのだ。考えが足りないにもほどがある。

 

「うふふ。私はお化けですもの、夜のお散歩よ」

「ふぅん――ま、座りなさいよ。食べてくんでしょ?」

「えぇ、ご一緒させてもらうわ」

 

 しかし、そんなにとりの心配を他所に、幽々子は半酔っ払いの態度を気にする様子もなくはたての隣へと腰掛けた。

 

「バカじゃないの。友達相手に、何遠慮してんのよ」

「いや、はたての方が絶対おかしいから」

 

 これ以上ないほどに上下の関係を重んじる組織に属していながら、この言い草だ。素行不良が目立つという点では、ここには居ない自称清く正しい新聞記者の方が周知されているが、何気にこの烏天狗も相当な異端者だ。

 しかも、本人が無自覚である分こちらの方が周囲への被害に歯止めが利かない。

 

「それじゃあまずは、二人の食べてる蒲焼きとつくねを頂けるかしら」

「は、はひ……」

「あらあら、そんなに恐がらないで。もう、食べようとしたりしないわよ」

 

 怯えるミスティアに、緊張感を解こうと柔らかな笑みを向ける幽々子だったが、余り効果はない様子だ。

 当然と言えば当然だろう。あれから幾日も経過しているとはいえ、元捕食者を前にて早々簡単に恐怖が晴れるはずもない。

 

「お、お酒は……?」

「そうねぇ。まずは料理を先に楽しみたいから、お水かお茶をお願いするわ」

「はい……ど、どうぞ」

「あら、ありがとう」

 

 それでも、店主としての矜持からか逃げ出したい身を無理やり押し留めながら、なんとか幽々子の接客を続けるミスティア。

 怯えと恐怖を滲ませながら、相手を伺う河童と夜雀。まるで気にしない烏天狗。

 そんな三人からの態度を、まとめて楽しむ亡霊姫。

 気まずいにもほどがある空気に、おかわりとばかりに追加の客が登場する。

 

「ミスティアー、こんばんはーなのだー」

 

 ふよふよと闇夜の空から着地したのは、宵闇に住まう人食い妖怪。

 

「ん、しょっ」

 

 ミスティアが歓迎の言葉を掛けるよりも早く、ルーミアは両手に抱えていたものをテーブルへと落とし、そのまま幽々子の隣へと腰掛ける。

 彼女が持って来たものは、綺麗な宝石の付いた指輪やなめし革で作られた財布等の貴重品だった。どれも、人里で出回っているものよりも作りが良い事から、外の世界から流れて来た品なのだろう。

 妖怪である彼女がそんなものを必要とするわけもなく、つまりは別の誰かの持ち物だという事になる。

 ――より正確には、誰かの持ち物「だった」という表現の方が妥当だろうか。

 迷い込んだ外来人か、香霖堂で品を買った人間か、はたまたお宝を溜め込んでいた野盗か――答えは少女の腹の中だ。

 

「ミスティアー、お腹が空いたのだー」

 

 死者への手向けは、三途の川の渡し賃である六文銭で十分だ。

 金は天下の回りもの。現世に残った未練という名の宵越し銭は、こうして捕食者の手によって有効活用されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 混沌とした面子でありながら、少女たちは客と女将という不文律を犯す事なく屋台での一時を楽しんでいた。

 美味い酒と美味い飯があれば、争う気も削がれるというもの。誠に、「食事」とは偉大である。

 

「あむあむ、むぐむぐ――んん~」

「本当に美味しそうに食べるわねぇ。私にも、串をもう二つ頂けるかしら」

「は、はーい」

 

 その中でも、一際「食」を楽しんでいるのはルーミアと幽々子だ。

 出された料理を端から頬張り、次々と胃袋へと収めていく宵闇少女の隣で、一つ一つの味をしっかりと確かめながら、上品に食事と続ける亡霊少女。

 食べた量は断然ルーミアの方が多いが、どちらもまだ箸を止めるつもりはないらしい。

 

「ねぇ、女将さん」

「はひゅいっ。な、なんでしょう」

「このお屋台、「人間」は扱わないの?」

 

 途中から酒にも手を出し、何本目かになる徳利を傾けて小さな杯へと注ぎながら、本当に何気ない口調で幽々子はミスティアへと質問する。

 

「女将さんも、()()()口でしょう?」

 

 亡霊である幽々子を除き、にとりも、はたても、ミスティアも、例外なく妖怪だ。そして――妖怪は、人間を食う。

 

「え、えーっと……ウチは、というか私は、「人間」を扱わない事にしてるんですよ」

「それはどうして?」

 

 放っておけば勝手に増える家畜を相手に、何を遠慮などする必要があるというのか。

 畏れのみで生きていける妖怪とはいえ、長く「食」を断てば身体は弱り衰えていくばかりだ。

 それは最悪、己の死にすら繋がりかねない。

 

「約束を――そう。この屋台の前の持ち主と、約束をしたんです」

 

 その「約束」とやらを、誰かに教える気はないのだろう。そんな雰囲気を滲ませながら、大事な過去を懐かしむように夜雀が淡く微笑む。

 

「んー? 何それ、私初めて聞くわよそんなのぉ。誰とどんな約束したのよぉ」

 

 酔いが深まり、微妙にろれつが妖しくなってきたはたてが、空気を読まずにミスティアへと質問を投げ掛ける。

 

「内緒よ、な・い・しょ。焼き鳥撲滅の、ついでみたいなものね」

「むー、良いじゃないのよぉ。屋台の宣伝記事組んであげるからぁ、教えなさいよぉ」

「うふふふ」

「あー、はたて。あんまり無理に聞き出すのは良くないって」

「あによぉ、にとりまで。もしかしてアンタ、なんか知ってるんじゃないでしょうねぇ」

「ひゅいっ!?」

 

 笑って誤魔化そうとする女将に業を煮やし、今度は止めに入った河童の少女へと矛先を向ける酔っ払い。

 はたての言葉に必要以上のリアクションで驚くにとりは、次いで脂汗を流しながらあからさまに視線を逸らす。

 

「し、知らないなぁ……ほんと全然、まったく、これっぽっちも知らないなぁ」

「あー、そうなの。残念ねぇ」

「――ほっ」

 

 むしろ逆に、事情を聞いて欲しいのかと邪推してしまうほどの大根役者なにとりだが、酔いによって思考の鈍った新聞記者には十分通用する演技だったらしい。

 深く追求されなかった事に、にとりは心の底からの安堵を漏らす。

 

「そう隠されると、もっと気になっちゃうわねぇ。貴女は、何か知っているかしら?」

「んぐっ、んむー?」

 

 唇に人差し指を当て、意味深に笑う幽々子から声を掛けられたルーミアが、口一杯に頬張って租借していた三本分の蒲焼きを喉奥へと飲み込み首を傾げる。

 

「ミスティアはなー、アリスとおんなじなのだー」

「アリスと同じぃ? どの辺がよぉ」

「アリスもミスティアも、人間と約束したのだー。だから、人間を食べなくなったのだー」

「だからぁ、それがどんな約束だって聞いてんのよぉ」

「何も――ないわ」

「え?」

 

 空気が――変わる。

 それまでは比較的穏やかだと言えた屋台の雰囲気が、一気に別の存在によって塗り潰されていく。

 何かが現れたわけではない。彼女は、ずっとそこに座り続けていたのだから。

 何時の間にか、ぐずぐずと黒く塗り潰され始めた頭のリボンをそのままに、宵闇の妖怪は呆然とした表情でここではない何処かへと視線を投げる。

 紅く変わった双眸が見ているのは、一羽の蝶々――黒く、黒く、夜さえも飲み干しかねない闇の色をした、黄泉と現世の狭間を泳ぐ虚ろな存在。

 

「何も、言ってくれなかった――何も、伝えてくれなかった――」

「ル、ルーミア?」

 

 突然の豹変におののくにとりを無視し、まるで操られるように動きを止めたルーミアの言葉は止まらない。

 

「あの人間は――あの人間も、何も望まないまま、居なくなった――認められるわけがない――だって私は――あの人間をこの手で――この手で――」

「ルーミア」

 

 彼女を封じる札へと手の平を添え、隣に座る幽々子が虚ろなまま言葉を続けるルーミアを遮る。

 

「お、おー?」

「夜と、闇と、傷と――それに「死」。軽く揺らすだけのつもりが、相性が良過ぎたみたいねぇ」

 

 亡霊の姫が手を離す頃には、ルーミアは硬直から抜け出し瞳は元の色へと変わっていた。頭のリボンもまた、やって来た頃と変わらず黒い染みなど何処にもない綺麗な姿へと戻っている。

 

「ふふっ、ごめんなさい。どうやら、貴女にも秘密と不思議が詰まってるみたいだから、少しだけ遊んでしまったわ」

「んー?」

「お詫びとして、今日のご飯は奢ってあげる」

「おー、優しいのだなー」

「……」

 

 笑い合う亡霊と妖怪を傍で見ていながら、にとりには何が起こったのかまったく理解出来なかった。

 微かでも解かったのは、冥界の主は相当に危険な存在だという事だけだ。

 ミスティアを見れば、彼女もまたその表情から幽々子に対し恐怖しているのがありありと解かる。

 

「貴女たちも、恐がらせてしまったわね」

「い、いや……」

「幽々子様っ!」

「あらー」

 

 場を支配する姫に怯え、なんと答えるべきか頭を捻るにとりだったが、その拷問のような時間はすぐに終わりが訪れた。

 幽々子の背後へと現れたのは、息を切らせた富士見の従者。背と腰に二本の刀をはべらせた、魂魄妖夢だったからだ。

 

「こんな時間にお屋敷を抜け出されて! どれだけ探したと思っているんですか!」

「もー、そんなに怒る事ないじゃない。ただの夜のお散歩よー」

「であれば、何故従者である私に一言の断りすらないのですか! 貴女を守るという私のお役目を、貴女ご自身が否定なされるのですか!」

「あらあら、お夜食を別の場所で食べて不安にさせてしまったかしら。大丈夫よぉ、貴女の作るご飯を私が飽きるわけないじゃない」

「幽々子様!」

 

 微妙に噛み合わない主従の会話に、今までの空気はなんだったのかとにとりとミスティアは脱力感さえ感じてしまう。

 

「もぅっ、早く帰りますよ!」

「はいはい。妖夢は最近、口煩さが妖忌に似てきたわねぇ」

「私を口煩くさせているのは、間違いなく幽々子様です!」

「あら、一本取られてしまったわ――さて、女将さん」

「は、はいっ」

 

 もう逃がすものかと睨み続ける妖夢からの視線を、どこ吹く風と受け流す幽々子がゆっくりと立ち上がりミスティアへと声を掛ける。

 

「お代は、これで足りるかしら?」

 

 彼女が右の袖口から取り出したのは、布に包まれた両手に収まるほどの品だ。

 布を開くと、一本の包丁が姿を現す。長く手入れをされず雨風に晒され続けたのか、半ばほどから先の刀身が崩れるほどに錆腐った、役目を終えた道具の残骸。

 

「――っ」

 

 その死した包丁を見た瞬間、ミスティアが限界まで両目を見開き呼吸も忘れて押し黙る。

 事情を知る者として、にとりもまた包丁の柄に刻まれた持ち主の名を見て言葉を失う。

 

「魂に刻まれ、冥界へと抱えて昇るほどの未練――確かに届けたわよ」

「はいっ……はい……っ」

「それじゃあ、「人間よりも美味い料理を出す屋台」を目指して、精進なさい」

 

 用事は済んだとばかりに、冥界の当主は飛び去る従者の後を追い夜空の彼方へと消えていく。

 残されたのは、静寂と、沈黙と、途中で寝こけた烏天狗のいびきだけ。

 最後まで驚かされ続け、にとりはもう自分がどんな表情をすれば良いのかすら解からない状況だ。

 

「ミスティア……」

「うん……うん……っ」

 

 崩れた包丁を布で包み直し、大事な宝物を扱うような繊細な手付きで胸へと抱くミスティア。

 

「――さぁ、こうしちゃいられないわっ」

 

 空元気でも、元気は元気。調理道具を入れる屋台の引き出しへと代金として貰った包丁をしまい、大きく声を出した屋台の女将が気丈な笑顔を作ってみせる。

 

「お代はもう十分過ぎるほど頂いたんだから、好きなだけ食べていきなさいっ」

 

 これは、何処にでも転がっている昔話の一つ――

 ただ食うだけだった妖怪は、なんの偶然からか屋台を営むとある人間から料理を教わった。

 甘くて、辛くて、しょっぱくて――「美味しい」を、「もっと美味しく」出来る人間の生み出した素晴らしい文化を知った。

 

「――珍しい組み合わせね」

「あら、いらっしゃいアリス。そちらはお人形さんを飛ばして、何時も通りの組み合わせね」

「アリスー」

「ルーミア。まずはその口に付いているものを拭いてくれないと、服にも染みが付いてしまうわ」

「んふー」

「もぅ……」

 

 人間には、夢があった。

 その夢を、妖怪が引き継いだ。

 約束など、本当はしていない。

 だって、人間は何も言わずに死んだから。

 だって、その人間を食ったのは――その人間を、「もっと美味しく」なるよう料理したのは――

 

「今日は、何を食べてもお代は頂かないわ。好きなだけ食べていって」

「それはまた、随分と気前が良いわね」

「羽振りの良い方から、沢山貰っちゃったの。今日のお客全員で割っても、まだ足りないほどよ」

 

 夜は、全てをおおい隠してしまう。

 人里への道も――

 暗がりに潜む妖怪も――

 ――気紛れで襲った、人間の顔も――

 妖怪は、人間の夢を引き継いだ。

 贖罪でも、懺悔でもない。それが、妖怪の夢でもあるからだ。

 人間よりも、美味い飯――妖怪として、食せるものなら食してみたいではないか。

 

「それじゃあ、その誰かさんのご相伴に預からせてもらうわ。まずは、蒲焼きとつみれ汁――それとご飯をいただけるかしら」

「はーい」

 

 幾星霜も続くだろう、見果てぬ理想を追い求めて。

 届かなくとも、辿り着けずとも――たった一歩でも、先へと歩き続けられる限り――

 だから夜雀は、今日も月明かりの下で屋台を引いていく。

 

 

 

 

 

 

「――それで……私はどうしてまた、アリスと盟友の里に来てるのさ?」

「来る前に言ったでしょう、昨日の人へのお見舞いよ」

 

 一夜明け、まばらに人間が歩く大きな通りを進む河童の疑問に、隣を歩く人形遣いが何時でも拘束出来るよう魔法で作られた糸を相手の身体へと張り巡らせながら答えを返す。

 

「もうやめよぉよぉ。昨日の今日でお見舞いとか、相手を怯えさせるだけじゃないかぁ」

 

 逃げようとしても動きを縛られるのは、昨日身を持って体験している。哀れな受刑者に出来るのは、監視役の情に訴えるように嘆きの声を漏らす事だけだ。

 

「我侭言わないの。結局昨日はお金も返し忘れているし、何時かやるのなら今でも後でもおんなじよ」

 

 まるで、言う事を聞かない妹へ諭すように告げながら、アリスは遂に歩くのを止めてしまったにとりの襟首を掴みずるずると引き摺っていく。

 

「アリスのバカー、アホー、お節介焼きー」

「世話なんて、焼かれている内が花よ。見向きもされなくなってから、気付きたくはないでしょう」

 

 謝罪出来る相手が居るだけ、ありがたいと思いなさい。

 

 言外にそう語るアリスもまた、にとりと同じくミスティアの過去を知る一人である。

 仕入れの伝手を失った料理屋に活きの良い食材を届けるようになった漁師と、店を開くには心許なかった少女に十分な料理技術を授け、女将に相応しい割烹着を贈呈したもう一人の師。それが、あの夜雀に関わる二人の持つもう一つの側面なのだ。

 人間と、妖怪と、両者の間を彷徨う半端者。

 幻想郷は、その全てを受け入れる。

 

「うー、うー」

「うーうー言うのを止めなさい。そろそろ病院に着くから、いい加減覚悟を決めて」

「あ、明日っ、明日はちゃんとやるから、今日は止めとこうっ。ね? ね?」

「そうやって言い訳を続けて、ずるずると実行する機会を逃し続けるのは目に見えているわ。にとり――明日とは、「今」よ」

 

 言い合いを続けながら、河童と人形遣いの二人は人目を存分に集めながら留まる事なく目的地へと歩を進めて行く。

 人間の本質がそう簡単に変わらないように、妖怪の本質もまたそう簡単には変わらないわけで……

 怪我人一人を大水によって押し流し、病室の一つと病院の廊下を水浸しにした罪により、二人にしばらく人里への出入り禁止が言い渡されるまでの時間は、そう遠くなかった。

 




アリスの出番は添えるだけ……

ミスティアの話はグロ描写再挑戦として番外でやりたかったのですが、丁度良いので入れてしまいました。
ごめんよ。

さて、次回は誰を書きましょうねぇ。

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