東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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今回は、幽香とリグル。
流行れや! 幽香×リグ!

こちらは前編


61・太陽について廻る蛍(前)

 妖怪の起源は千差万別だ。

 人間の想像や恐怖の対象として、自然の歪んだ結晶として、信仰と畏れが逆転、分離した為の結果として――

 理由はあれど、その過程に統一性はなく、大人は大人のままに、子供は子供のままに、過去も、意味も、時には親さえもなくただ産み落とされる忌み子たち。

 強い妖怪は、最初から強者として生まれる。

 弱い妖怪として生まれた者は、年を経る事で強くなる。

 では、強い妖怪が年を経るとどうなるのだろうか。

 花を愛する孤高の少女は、一体どちらなのだろうか――

 

 

 

 

 

 

「――まぁまぁね」

 

 私の家のリビングで、幽香が優雅に紅茶のカップを傾けてそんな事を言ってくれた。

 

 ふふーん、そうでしょうそうでしょう。

 大図書館で勉強したり、咲夜の仕草を観察して技を盗んだりと研鑽を続けて十数年。

 ゆうかりんに認めてもらえるなんて、私の紅茶の腕前も中々成長したもんだよ。

 時期による茶葉の違いとか、蒸らす時間の差とか、ちゃんと頑張って勉強したんだぜぃ?

 

 「出来る女」ならば嗜んで当然という偏見によって培われた技術だが、決して無駄にはならないのだ。

 

「それで、用事は何?」

「あら、用事がなければお邪魔してはいけないの?」

 

 私に用があるのかと思えば、特に理由はないらしい。

 今日も一日元気に頑張ろうと、予定を組んで準備をしていた所への突然の来訪だったが、幽香の気紛れは何時もの事なので気にしない。

 

 え? ゆうかりん相手にガールズトークが出来るとか、八時間コースでも余裕ですけど何か。

 

 こんな美人さんを、間近で何時までも観賞出来るのだ。私にとっては、例えそれが一日中になろうともご褒美でしかない。

 

「ないならないで構わないわ。あるなら、先に聞いておきたかっただけよ――ご自由にどうぞ」

「クッキーにマカロン、こっちはマシュマロかしら。まるでお菓子の家ね」

 

 テーブルに溢れるお菓子の山を見て、幽香は一口サイズのクッキーを一つ手に取り、自分の口へと運んでいく。

 

「この後、妖精たちから羽の燐粉を貰いに行く予定だったの――余り日持ちしないし、食べれるだけ食べてくれると嬉しいわ」

 

 私もまた、蜂蜜入りの真っ白なマシュマロを食べながら潰れてしまった今日の予定を幽香に話し、もったいないおばけ対策をお願いする。

 幻想郷で過ごす時間は、とてもゆるやかだ。

 今日が駄目なら明日、明日が駄目なら明後日と、毎日が自由なので急ぐ必要などまったくない。

 余った分は、優秀な残飯処理班――もとい、博麗神社に集う方々にお土産として持って行けば万事解決である。

 自然の結晶である妖精の身体は、その全身を余す事なく研究の素材や魔法の触媒として利用出来る。

 自然の豊かさが続く限り何度でも復活する存在なので、パチュリーなどは小型の妖精を丸ごと薬品漬けにしていたりするし、魔理沙だって割りと平気な顔でその辺りの妖精から羽をむしったりしている。

 まるで、山菜集め感覚である。

 幻想郷に住む魔法使いとしては、むしろそちらの方が正しい対応なのだろう。

 とはいえ、私に彼女たちと同じ事が出来るはずもなく、こうしてお菓子を片手に揉み手摺り手で素材を分けて貰うようお願いしているのだ。

 仲良くなった大妖精やチルノなどは、対価を払わずとも無償で譲ろうとしてくれるが、それとこれとは話が別。

 親しき仲にも礼儀あり。思う仲には垣をせよ、である。

 

「妖精相手に交渉だなんて、貴女は本当に優しいわね」

「言わないで。ちゃんと自覚はしているわ」

 

 幽香の皮肉に答えながら、私はマカロンを一つ口へと運んで肩をすくめる。

 

 うん、今日も良い出来。

 マカロンって、女の子の味だよね。

 

 格下の相手に媚びる行為は、下の者の増長を招く。その相手が、未熟な精神しか持てない木っ端妖怪や妖精であれば、殊更に。

 私はへっぽこ魔法使いだが、少なくとも有象無象の妖精や木っ端妖怪より実力は上だ。つまり私は「お願い」する立場ではなく「命令」し「強要」する立場でなければならない。

 多少穏やかになったとはいえ、幻想郷は「力こそが正義」を地で行く世紀末な土地柄なので、余計な不和を起こさない為にも力を持つ者は抑止の一環としてそれに見合った態度を取る必要があるのだ。

 調子に乗った子供の悪戯で、戦争だって起こり得る。ここは、そういう土地なのだから。

 

「けれど、これが私なのだもの。今更、生き方を変える気はないわ」

 

 だとしても、結局の所私の結論は変わらない。

 私の家にアポなしで突撃訪問して来た今の幽香のように、自由が許されるのも強者の特権だ。

 折角それなりに強くなったのだし、ここは我を通させて貰う。

 それで皆に迷惑を掛けた時は、ごめんなさいして問題を解決すれば良い。

 変に難しく考える必要はないのだ。ここは、全てを受け入れる幻想郷なのだから。

 

 ――などと、ちょっと格好付けて煙に巻こうとかしてみたり。

 

「――貴女は、変わったわね」

 

 紅茶とお菓子を楽しみながら、幽香が私の顔を眺めてポツリと漏らす。

 

「そう?」

「出会ってから少しの間は外に出て、それからはすっかり家にこもってばかりだったじゃない。それが今では、家に居る方が珍しいくらいあちこちに出歩いてるようだし」

「元々、研究にある程度の目処が付いたらそうするつもりだったもの。予定通りよ」

 

 紅魔館との戦争以後、「アリス」になる事を決めた私は紅茶の嗜みと同じくまずは形から入ろうと、西行寺幽々子が引き起こした「春雪異変」――つまり原作WIN版で私が初めて登場するまでの間を修行期間として、ほぼ自宅で過ごした。

 たまに出掛ける事はあったが、ほとんどが紅魔館の大図書館か香霖堂を訪ねる為だけで、他には研究の素材を取りに自宅のある魔法の森やその近辺をうろついた程度だ。

 まぁ、私が大図書館にお邪魔している時に「紅霧異変」が始まったり、その時の宴会に呼ばれて原作よりも早く霊夢や魔理沙と接触してしまったりと、甘過ぎるほどに詰めの甘いものまね行為だったのだが、どじっ娘属性なのだと大目に見て欲しい。

 

 だってだって、レミリアやパチュリーからなんとなく来て欲しそうな目で宴会に誘われたら、そりゃ誰だって行くよね!?

 仕方ないよね!?

 

 誰に言い訳しているのか解らないが、やってしまったものは仕方がないので、後悔はしない事にしておく。

 

「そう言う貴女は、変わらないわね」

 

 小波に動揺する内心を無視しつつ、今度は私が彼女へと質問する。

 

「えぇ、変わらないわよ。私は妖怪だもの」

「貴女が変わったと評価した私も、魔法使いという妖怪よ」

「貴女は人間から変化しているみたいだけれど、私から見ればまだ十分人間の範疇よ」

 

 強者であり、長者であり、絶対者。自由気ままでありながら、不変であり続けるという違和と異常。

 それは、短い生を生きる人間には絶対に出来ない生き方だ。

 

「私は、これからもずっと変わらないままよ」

 

 幽香は時折、宣言のようにこんな事を言う。

 まるで、自分にその言葉を言い聞かせるように。

 出来れば踏み込んで事情を聞いてみたいというのが本音だが、彼女の性格を鑑みれば質問した瞬間に拒絶(物理)が来るのは確実だろう。

 孤独を受け入れ、輪の中に入らず、誰にでも一定の距離を置こうとする彼女の姿勢は、どこか霊夢を連想させる。

 彼女の拒絶を、きっと私は受け止め切れない。

 友人なのに、対等な関係にはなってあげられない。

 そんな、人間に近い脆弱な私の身体が少しだけ申し訳なくなる。

 或いは、この距離感だからこそこんな適度な関係を保てているのかもしれない。

 

「誰かに合わせる必要もないし、一人の方がずっと気楽ね」

「それ、独り身の言い訳に聞こえるわよ」

「ちょっとアリス。貴女、一体誰に対してそんな口を利いているのかしら?」

 

 身を乗り出した幽香の腕が伸び、私の首を掴む。彼女の強い光を帯びた双眸が、私の両目と重なった。

 彼女が気紛れに力を込めるだけで、私の命は終わるだろう。鬼ほどではないが、彼女の膂力も人間のそれを遥かに超えている。

 まぁ、そんな可能性は欠片もないのだが。

 口調と態度で誤解されがちだが、人間や他の妖怪が恐れているよりも、彼女は――ずっとずっと優しい事を、私は知っている。

 

「四季のフラワーマスターで私の友人の、風見幽香に対してよ」

「――つまらないわねぇ」

 

 気楽に返せば、幽香は興が削がれたとあっさりと手を放し、再びお菓子をパクつき始めた。

 私の言った事を気にして頑張ってくれる辺りが、ちょっと可愛い。

 知り合いの美少女とお茶をしながら、他愛のない会話に興じつつ、静かで優しい時間を過ごす。

 

「妖精で思い出したけれど、この前チルノが家に遊びに来て、弾幕ごっこで貴女に負けたと随分悔しがっていたわ」

「ふふっ。もっと悔しがるように、じっくり虐めてあげれば良かったかしら」

「「打倒幽香」を掲げて、もっと元気になるだけよ」

 

 今度は、私が幽香の家にお邪魔してお茶会をするのも良いかもしれない。

 そろそろ今年の初雪でも降りそうなほど気温の下がった、今の季節。太陽の畑には、向日葵の代わりに寒さなど知った事かとばかりの大量の草花が咲き乱れている。

 アネモネ、パンジー、スイセン――例え冬の間であろうと、太陽の畑から花の彩りが失われる事はない。

 そんな景色を眺めながらの紅茶も、また格別だろう。

 

「もう一杯いかが? 向日葵姫(フロリスタン)

「頂くわ、不思議の少女(ワンダーレディ)

 

 幽香からカップを受け取り、ポットの紅茶をゆっくりと注いでいく。

 香り立つ茶葉の匂いが、私の鼻腔を優しくくすぐる。

 

 私今、優雅じゃね?

 めっちゃ「出来る女」オーラ出てるくね?

 

 断言しよう。

 私は今、間違いなくリア充だ。

 明日への期待に胸が高まり、幽香との会話も自然と弾んでいく。

 素敵な女性と、素敵な一時――こんな楽しい時間を過ごせる私は、間違いなく幸せ者だ。

 そんな、どこにでもある素敵な午前の一時。

 

 

 

 

 

 

 昼に差し掛かりかけた太陽の下で、巨大な湖畔の水気が更なる寒気を呼び寄せる、霧の湖。

 その一角で、妖虫と氷精による光弾と氷弾の応酬が続いていた。

 

「くっ、このっ」

「これでぇ――終わりよぉぉぉ!」

 

 氷塊 『グレートクラッシャー』――

 

 劣勢に回ったリグルへとどめを刺すべく、チルノが可愛らしい声に精一杯の気合を込めて手の平に生み出したスペルを開く。

 妖精の正面に出現したのは、一抱えほどの氷塊。それが一気に肥大化し、巨大な戦鎚へと姿を変える。

 

「どぅえぇぇぇ!?」

「ひーかーりーにーなーれーえぇぇぇぇぇぇ!」

 

 突如として現れた巨大な物体に驚くリグルへと、チルノは己の五倍以上の大きさとなってもまだ肥大化を続ける武器を、雄叫びと共に全力で振り下ろす。

 

「ふぎゃあぁぁぁっ!」

 

 事前の弾幕によって退路を塞がれ、遂に戦鎚が虫の少女を捉えた。

 氷の塊りと地面の間に押し潰された妖虫の口から、女の子にあるまじき濁った悲鳴が上がる。

 

「へっへーんっ! やっぱりあたいは最強ね!」

 

 本日の弾幕ごっこの勝敗が決まり、勝者であるチルノが鼻高々に勝ち鬨の声を上げた。

 

「いたたた……途中までは、こっちが勝てそうな流れだったんだけどなぁ」

「ふ、二人とも、大丈夫?」

 

 スペルの終了と共に、虚空へと解け消える氷塊の下から脱出したリグルへと、傍で勝負を見ていた大妖精が駆け寄っていく。

 

「あ、ほっぺ」

「ん? チルノの弾幕が掠ったのかな?」

「かもしれない。じっとしてて」

 

 リグルの右頬に出来た小さな擦過傷へと、大妖精がそっと手を伸ばす。

 細く白い彼女の手から放たれるのは、色のない淡い光。しばらく光を当てた箇所の傷口は、まるで時間の早回しのように急速に塞がっていく。

 

「はい。もう大丈夫だよ」

「ありがとう、大ちゃん」

 

 妖精の力は、自然の力――森羅万象を司る全てが内包する、存在の輝きだ。

 故に、妖精は自身の身を分け与える事で他者の生命力に働き掛け、傷を癒す事も可能なのだ――もっとも、普通の妖精は頭が悪くその(すべ)を行使する方法を理解出来ないので、実質大妖精ぐらいしか使えない技なのだが。

 

「ねぇ、チルノ」

「ん?」

「最後に叫んだ変な掛け声って、一体なんなの?」

 

 地上へと降りて来たチルノへ、治療を終えたリグルが疑問を投げ掛ける。

 「凍れ」、「潰れろ」ならばまだ理解出来るが、氷の鎚で押し潰して「光になれ」では、まるで意味が解からない。

 

「ふふんっ。聞いて驚きなさい! あのスペルを使う時は、あの台詞を叫ぶと威力が増すのよっ!」

「え? なんで?」

「知らない!」

「えぇ~」

 

 本人すら理解出来ていないにも関わらず、胸を逸らして自信満々に言い放つチルノ。ますます訳が解からない。

 

「えと……確か、アリスさんに教えて貰ったの」

「アリスが?」

「そうだっけ?」

 

 頭上に疑問符が踊る妖虫の少女へと、話を聞いていた氷精の友人が助け舟を出す。

 そもそもの本人は、その事すら忘却の彼方に置き忘れてしまっているようだ。

 

「なんでも、大きなハンマーを振り下ろす時はあの掛け声を言うと良いんだって」

「へぇ。アリスの言う事だし、本当なんだろうね」

「うん。言う時と言わない時で、本当に氷の大きさが全然違うの」

 

 いわゆる、プラシーボ効果というやつである。当然だが、普通であれば大妖精の言うような現象は起こらない。

 しかし、ここは幻想郷だ。人外たちは想いの強さは、そのまま現実としての実力へと変換される。

 自身の「最強」を疑わない事で自力を引き上げている妖精に、「更に強くなれる方法」として教えるのだから、その効果は見ての通りだ。

 己の趣味を押し付けただけの人形遣いへの評価が、小さな誤解と共に妖精と妖虫の中で再び上昇する。

 世界とは、実に残酷である。

 

「そう、なんだ……」

 

 それからしばし考え事をしていたリグルが、今度は二人に聞こえないよう小さな声で疑問を漏らす。

 

「もしかして……チルノが幽香に勝ったって噂、本当なの?」

 

 六十年周期で起こる、開花の異変。

 本来これは異変ではなく、博麗大結界緩みによって引き起こされるようになった現象の一つなのだが、雰囲気に誘われ多くの者たちが争いに身を投じた。

 そこで起こった幾つかの事柄は、天狗の発行した新聞という真偽不明の噂話として幻想郷を賑わせた。

 

 曰く、閻魔と花妖怪が本気で試合ったらしい――

 曰く、「死」のないはずの死神が一度死んだらしい――

 曰く、博麗の巫女は閻魔にも勝ったらしい――

 曰く――花妖怪が氷の妖精と試合い――そして、なんと花妖怪が負けたらしい――

 

 チルノと幽香。二人の実力を考えれば、とても信じられるものではない噂だ。

 勝てるわけがない。敵うはずがない。

 だが、勝負の度に強くなるこの氷の妖精を見ていると、「もしかしたら」という期待が頭の片隅に浮かんでしまうのだ。

 

「どうして、勝てるのかな……」

 

 リグルとチルノに差はないはずだ。寧ろリグルは妖怪という種族柄、妖精であるチルノよりも自力や伸び代は大きいと言って良い。

 にも関わらず――一介の妖精に期待出来る事柄が、妖虫に置き換えた途端欠片も期待出来なくなってしまう。

 チルノにあって、リグルにないもの。

 その差が何処にあるのか、何が違うのか。

 生まれながらに「王」である少女は、その答えに辿り着けない。

 揺れて、小波み、ささくれた心に、小さな棘が刺さる。

 

「なんだか……イヤだな……」

 

 リグルはうつむいたまま、もう一つだけ言葉を落とす。

 それは、大切な者たちを背負う身として決して弱者では許されない少女の放つ、救いを求める小さな慟哭だった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の片隅に作られた、太陽の畑。

 風見幽香の縄張りであるその場所には、多種多様な冬の草花が一様に開花し、しかも互いが景観を損なう事なく自然に寄り添った実に見事な風景となっている。

 春を待つ事なく広大な土地が一面の花畑となっているその光景は、夕の日差しに当てられ正に幻想そのものと例えても過言ではない、どこか非現実的な美しさを醸し出していた。

 

「あ、幽香。お帰りなさい」

「また来ていたのね」

 

 節度の中に生きる人間とは違い、自由な日々を過ごすのが妖怪だ。

 気紛れに決めたアリスとのお茶会を終えた後、幾つか別の場所に寄り夕焼け頃に戻って来た幽香を出迎えたのは、香霖堂で物々交換したピンクの象さんジョウロで花たちに水を撒いていたリグルだった。

 花の異変で邂逅を果たし、アリス経由で幽香と知り合いになったリグルは、こうして時折畑に現れては勝手に花に水をやったり、蝶や蜂などの虫を呼んで遊ばせたりしていた。

 待っていた虫の少女は何やら少々気落ちしている様子だが、小物の悲哀など花妖怪には知った事ではない。

 

「貴女も物好きね」

「かもね。でも、アリスには負けるかな」

 

 幽香が呆れれば、リグルが咲き乱れる花たちに小さく笑い掛けながら言葉を返す。

 異変の首謀者であろうと、出会った端から友好を結ぼうとするアリスの異常なほどに気安い姿勢は、彼女の知り合いにとって何時もの光景だ。

 

「そのアリスから、お菓子のお土産を貰っているのだけれど――どうかしら?」

 

 そう言って、紙の包みを掲げる幽香。

 包みの中のお菓子へと視線を向け、途端にリグルの瞳で星が瞬く。

 

「貰って良いの!?」

「貴女にあげるわ。私は、あの娘の家で十分食べたもの」

「ありがとう、幽香! 後で他の皆と一緒に食べるね!」

 

 包みを受け取り、機嫌の良くなった少女は木漏れ日のような笑顔を幽香へと向けた。

 力を持たず、数百年すら生きていない小妖怪の精神は、やはり幼い。

 

「でも、余りここに来るべきではないわ。ここには、恐い恐い妖怪が居るのだもの」

「そうだよね。知らない人が、幽香の事を悪く言ってるのを良く聞くよ。なんでなのかな?」

「力があるという事は、それだけで恐怖の対象になるからよ」

「幽香は強いけど、私は別に恐くないよ?」

「私が気紛れを起こすだけで、今から貴女を半殺しに出来るのよ。ちゃんと理解しているのかしら?」

「うん、そうだね、それは恐い。でも、理由もなく幽香がそんな事しないって解ってるもの。だから、やっぱり恐くないよ」

 

 良く笑い、良く話す。天真爛漫な虫の少女の活発さには、花に劣らぬ可憐さがあった。

 だが、幽香と話す事で機嫌を持ち直したリグルの笑顔は、長く続かない。

 その気配を察すると同時に、幽香が肩口に乗せて回していた日傘が止まる。

 幽香の背後にある地面が不自然に盛り上がり、やがて一つの形をなしていく。

 

「誰っ――幽香?」

「私の客よ」

 

 漂い始めた粘り付くような妖気と瘴気に身構えるリグルだったが、幽香が片手でそれを制し現れた者と改めて対峙する。

 

「――久しいなぁ、風見の」

 

 訪れた者は、一人の妖怪だった。

 ボロ布をまとい、枯れ木のような皺だらけの細長い腕をした、持ち手にコブの付いた木杖を支えに立つ老婆の化生。

 腰は曲がり、適当に伸びた髪と髭は白ずみ、顔の形すら歪んでしまっている。ただ、充血し赤く染まった左右で大きさの違う両目の光だけが、ギラギラと邪悪な輝きを放ち続けていた。

 

「――老いたわね」

 

 醜い容姿の老妖は、幽香の知り合いらしい。眉をひそめた彼女の口から、哀れむような声が告げられる。

 

「あぁ、老いたのぅ。老いさらばえた――」

 

 自身の左手で杖を持つ右手を擦る妖怪の声には、長い月日を思わせる深々とした念がこもっていた。

 

「今では、アレは良かったコレが良かったと、昔ばかりを懐かしむようになってしもうたよ」

 

 ふけだらけの不潔な頭を掻き、老妖が笑う。自嘲しているような、諦めているような、そんな物悲しい笑みで。

 

「今生の別れに、お主の姿を一目見ておこうと思うてのぅ。あせぬ美貌、誠に美しい」

「なら、用事はもう済んだでしょう。さっさと失せなさい」

「のぉ、風見の――」

 

 コンッと、地面を突いた老妖の杖が鳴る。

 そこから、波紋が広がるように周囲へと静寂が訪れ、ようやく老妖が口を開いた。

 

「妖怪が妖怪らしく在れた時代は、終わってしもうた――」

 

 ゆるゆると、首を振る老いた妖かし。そのさまは、人間の老人が若者を嘆いている姿に相違ない。

 人間の真似事をする老妖の姿は、余りに哀れで虚しく、憐憫の情さえ浮かんでしまう。

 過去にのみ想いを馳せる、老妖の言葉は終わらない。

 

「のぉ、風見の。ワシはなぁ、博麗の巫女と妖怪の賢者が敷いた新しい掟を、よもやお主が受け入れるとは思わんかったよ」

 

 当代博麗の巫女、博麗霊夢の提唱したスペルカード・ルール。

 これにより、幻想郷は大きく変わった。思想も、価値観も、強弱の意味さえも。

 

「それは、どういう意味かしら?」

「ひっひっひっ、解らぬか? いいや、お主ならば解るよのぅ、のぅのぅ」

 

 幽香の問いに、老妖が笑う。

 落ち窪んだ右の目と、飛び出しそうなほどに開かれた左の目がじっとりとなぶるように()め付け、その口はどうしようのないほどに大きな弧を描く。

 

「――失せろ」

 

 警告ではなく、命令。しかも、普段の幽香ならば絶対にしないだろう、明確な恫喝。

 僅かな苛立ちと殺気を滲ませる幽香に、老妖は臆した様子もなく笑い続ける。

 

「ひっひっひっ――ではの」

 

 別れの挨拶が終わった瞬間、老妖の姿が土塊となりそのまま風化するように崩れていく。

 来訪してから去るまでは、時間にして十分と経っていない。

 だというのに、彼女の存在は地上を照らす太陽の暖かささえ忘れてしまうほどの、引き摺るような寒気と余韻をこの場へと残していた。

 

「……なん、だったの、あのお婆さん」

 

 何がしたかったのか、何が言いたかったのか、傍で見ていたリグルにはほとんど理解が出来なかった。

 古い妖怪が老いで死ぬ事は、珍しいがなくはない。だが、あの妖怪は老いて死ぬというには、余りにその「死」が遠い印象を感じてしまう。

 まるで、このまま無為に果てる事は断じて受け入れられないという、歪な決意を固めているような――

 

「ただの、老い先短い残り滓よ。貴女が気にする必要はないわ」

 

 老妖が消えた場所を眺めながら、幽香は然して興味もなさそうに切り捨てた。

 常に薄く笑っていたはずの彼女の顔は、全てが抜け落ち冷たささえ感じるほどの無表情に変わっている。

 だが、リグルには幽香のその顔が、今にも泣き出しそうなほど悲しんでいるように見えた。

 心配そうに、リグルが幽香の心へと一歩を踏み込む。

 

「でも、幽香。なんだか寂しそう――げぅっ!?」

 

 その返答は、暴力を伴う明確な拒絶だった。

 幽香が無造作に畳んで振るった日傘がリグルに直撃し、右腕を圧し折りながら彼女を真横へと強烈に弾く。

 

「がっ、ぎっ、がぅっ!」

 

 なす(すべ)もなく吹き飛び、少女が両手に持っていた菓子の包みとジョウロが宙を舞う。数回地面を強かに跳ねた後、地面を何度も転がっていく。

 

「ぐ、うぅ……ひっ!?」

 

 激痛に顔をしかめながら起き上がろうとしたリグルが見たのは、全身から妖気を滾らせ彼女を見下ろす、最強の妖怪が地面を鳴らしながら近づいて来ている姿だった。

 

「――リグル。貴女、一体誰に対してそんな口を利いているのかしら?」

 

 リグルに向けられたそれは、奇しくもアリスに語ったものと同じ台詞。

 

「害にならないからと、甘やかし過ぎたみたいね。貴女には、少し躾が必要かしら」

 

 殺される――

 

 空気が歪むほどの強烈な殺気と妖気を放出する幽香を前に、己の死を直感したリグルが取れた行動はたった一つだった。

 

「う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 隠蟲 『永夜蟄居』――

 

 防衛本能に逆らう事なく、肺から全ての空気を全力で吐き出しながら発動させたのは、己の奥の手であるラストスペル。

 弾幕ごっこ用に用意された技だが、込める妖気が強まればそれはただの殺戮の術と化す。

 限界まで妖気が込められた弾幕の群れが、リグルの周囲を球状に包んだ後、幽香に向かって一気に殺到する。

 ただ、幽香にとってはリグルがどれだけ本気で抵抗しようとも、結果は何も変わらなかった。

 優雅とも言える動作で日傘を開き、前方に据えて盾にする幽香。それだけで、リグルの弾幕は全て彼女に届かない。

 傘を構えたまま、まるで大盾を持つ重装兵の如く一直線にリグルへと突進した幽香は、右拳を作り相手の下顎へと向けて勢いを付けて振り上げる。

 

「ひぐぅっ!」

 

 まともに当たれば確実に即死すると解かる重過ぎる拳を、上体を逸らして辛うじて回避するリグル。

 しかし、それは幽香の手の内だ。

 

「ぎゃっ! ぎぃっ!」

 

 真上へと飛び上がろうとしていた妖虫の背後という死角から、刃のように鋭い草が幾つも生え伸び彼女の両肩と右の脇腹を切り裂く。

 しかし、浅い。まだ、この程度であれば直撃(・・)とは言い難い。

 上方への逃げ道を潰すと同時に相手を怯ませ、幽香はそのまま開いた状態の日傘を前方へと突き出した。

 

「えぎあぁっ!」

 

 先の尖っていない、至って普通であるはずの傘の先端が、ただの勢いによって少女の腹を刺し抉り背面へ貫通する。

 

「ゆう゛……が……」

「――さようなら」

 

 日傘の上へと縫い止められながら――それでも血を吐く口元で幽香の名を呼ぶ少女へと、花の妖怪が最後の一撃を放つ。

 

「――っ!」

 

 獲物の悲鳴すら飲み込む極大の閃光が噴出し、熱量によって周囲の空気を焼きながら虫の少女を彼方へと吹き飛ばしていく。

 

「――っ」

 

 光波の帯は、そのまま上昇を続け幻想郷の空を駆け、高く高くどこまでも伸び上がる。

 

「……ふぅっ」

 

 長く続いた光の奔流が収まった後、一人となった幽香は日傘を畳んで小さく溜息を吐いた。

 今の戦いも、相手を殺さないよう加減している以上大別すれば弾幕ごっこの範疇に収まる。

 勝者は幽香、それで終わりだ。

 瞳を閉じて、一秒、二秒――再び目を開けた時には、幽香は普段通りの笑みを取り戻していた。

 

「これが妖怪よ、アリス――」

 

 伝えたくないのか、伝える気がないのか。

 この場には居ない、告げるべき者には聞こえない言葉が、小さく、ぽつぽつとその口からこぼれ落ちていく。

 

「心の均衡を崩した者から、そのまま枯れ、腐り、老い衰えて死んでゆく。誰かに縁り添いたいという貴女の想いは、ただの弱さでしかないのよ」

 

 妖怪が愛するものは、己一つでなければならない。

 自分以外の何かを慈しめば慈しむほど、それを失った時の喪失感は致命的なまでの傷となる。それが、精神に依存する妖怪であれば尚更に。

 一つ、二つならばまだ良い。

 十、二十までなら耐えられるかもしれない。

 だが、百、千、万と超えていく想いを引き摺り背負い続けていけば、いずれ必ずその重みに押し潰されるのは明白だ。

 そんな、自分の首を真綿で絞めていくような生き方を、あの砂糖菓子のように甘い魔法使いが一体どれほど耐えられるというのか。

 たった一つの過去の栄華が捨てられず、引き摺り続けたその結果が今、真実として彼女の目の前へ姿を現していたではないか。

 

「イヤな気分ね――適当に妖精でもイジメて来ようかしら」

「やい、幽香! リグルにあんな大怪我させたのはお前か!?」

 

 苛立ちを紛らわそうと、髪を掻き上げて空を仰いだ幽香の背後から、甲高い声の憤怒が叩き付けられた。

 振り向けば、正に怒り心頭といった解り易い表情のチルノが、周囲に霜を起こすほどの冷気を振り撒きながら幽香へと指を突き付けている。

 

「丁度良い所に来たわね」

「あたいの質問に答えろ!」

「答えなければ、どうするの?」

「決まってるでしょ! 最強のあたいが、貴女なんてやっつけてあげるわ!」

 

 チルノが眼前に掲げるのは、六枚のスペルカード。無謀や無鉄砲など、この氷の妖精の頭にはないのだ。

 あるのはただ、友人を傷つけられた事による義憤と正義感だけ。

 

「ふふっ。良いわね、その威勢。いらっしゃいな」

「うるさい! これでも食らえ!」

 

 氷符 『アイシクルフォール』――

 

 激発する弾幕を華麗に回避しながら、幽香はようやく余裕と傲慢さを取り戻す。

 

 花符 『幻想郷の開花』――

 

 反撃として、幽香の手からスペルカードが粒子へと返ると、幻想の花たちが空中でさえ場所を問わず一斉に開花していく。

 更に、花たちから多数の弾幕がばら撒かれ始め、チルノは全方位からの脅威に晒される事となった。

 

「く、ぐぅ……っ」

 

 お世辞にも余裕とは言えない回避だが、それでもチルノは歯を食いしばって幽香へと追い縋る。

 

「リグル、泣いてたわ! お前が泣かしたんだ!」

「そうね。だって弱い者イジメは、私の日課だもの」

「ふんっ! だったら、あたいがお前をイジメ返してやるわ! リグルにごめんなさいってちゃんと言うまで、絶対に許さないんだから!」

「貴女に請う許しなんて、どこにもないわよ」

「あたいの話はしてないわよ! リグルに謝れ!」

 

 凍符 『マイナスK』――

 

 氷妖の怒りを体現した大きなの氷塊たちが振り撒かれ、炸裂すると同時に破片が散弾となって弾幕を放つ花たちと拮抗し、打ち破る。

 弾幕ごっことは、強者と弱者の垣根を取り除いた決闘法だ。

 両者が同一の条件、同一の立場で戦い、双方に程度はあれど十分な勝率が約束される遊戯。

 それでも、幽香が圧倒的な強者である事に変わりはなかった。

 強者は弱者を見下ろすものだ。

 強い者は、弱い者が居て初めてそれよりも「強い」と認識される。誰も居ないたった一人だけでは、強者を名乗る事など出来はしない。

 そういう意味で、四季のフラワーマスター風見幽香は今、間違いなく強者であると断言出来るだろう。

 対等でありながら、同時に一方的な戦いが続く。

 

「リグルの仇よ! 観念するのね!」

「それで良いの。弱い者は、弱い者同士で群れていなさい――それで良いのよ」

 

 猛るチルノと戯れながら、誰に向けたものでもないだろう幽香の台詞には、どこか慈しむような優しい響きが込められていた。

 

 

 

 

 

 

「が、は、あ゛ぁ……っ」

「リグルちゃん! しっかり!」

 

 チルノたちが太陽の畑にやって来たのは、ただの偶然だった。だが、その偶然がリグルを救った。

 今日こそは、弾幕ごっこで再び幽香に勝つのだと息巻くチルノを止めようとして、結局は同伴する形となった大妖精は、突撃していく氷妖を見送った後無残な姿となったリグルへと懸命に治療を施す。

 

「じっとして! 動いちゃダメッ!」

 

 涙目になりながら、自身の力を分け与える事でリグルの生命力を増加させる大妖精。痛ましい数々の傷を塞ごうと、必死で両手に宿った光を押し当て続ける。

 人間であれば、間違いなくそのまま手の施しようようもなく死んでいるだろう重傷だが、ここまでの損傷を負っても妖怪はまだ死にはしない。

 しかし、突然の拒絶による衝撃はリグルの心を目に見えるものより更に深く傷つけていた。

 

「どうして……どうしてなの……幽香っ」

 

 もがくように置いた左腕で溢れる涙を隠しながら、彼女の発した悲痛な問いは虚空へと溶けて消えていく。

 腕を折り、腹を裂かれ、全身に火傷を負いながら――それでもリグルが思い出していたのは、老妖を見送った時に見えた幽香の横顔だった。

 何もない、何も感じないと言い聞かせているとしか思えない、初めて見た幽香の表情が脳裏に焼き付いて離れない。

 切っ掛けはあった。

 兆候もあった。

 だが、そこに至るまでの幽香の心情を、事情を知らないリグルは到底理解出来ない。

 幽香は強く、リグルは弱い。ただそれだけの理由で、彼女は幽香から真実を問う術を失っていた。

 絶望的なまでの力量差が、そのまま両者の間に横たわる途方もない距離となって、リグルから幽香を引き離す。

 遠くで、再び巨大な光の帯が轟音を伴って幻想郷の空を駆け抜けて行く。

 

 どうして?

 どうしてこんな事するの?

 どうしてこんな事したの?

 友達だと思ってたのは、私だけ?

 あの妖怪は誰?

 あの悲しそうな顔は何?

 解らないよ――答えてよ――

 幽香――っ。

 

 吐き出す事すら諦め、言葉にすら出来なくなった少女の言葉に、答える者は居ない。

 




答え・ダイナミック照れ隠し。

後編に続きます。

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