東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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年内には間に合いました。


64・あくまで小悪魔ですから

 大図書館という地下施設には、隣接して複数の部屋が存在する。

 この場所の管理者である、パチュリーの私室と研究室。そして、彼女の従者である小悪魔の私室などだ。

 

「ふんふんふふーんっ」

 

 衣装棚、寝台、机、椅子、一枚の姿見――最低限の家具だけが置かれた、質素な小部屋。一介の司書に許された、ほんの小さなプライベートの空間。

 そんな小部屋の中で、名を失った悪魔の少女が木製の簡素な椅子に座り上機嫌で鼻歌を鳴らしている。

 彼女の見ている机の引き出しの中には、美しい装飾の施された幾つかの貴金属が無造作に保管されていた。

 それらは、彼女の私物ではない。

 主である魔女が気紛れに作り、作っただけで満足して廃棄を言い渡された魔道具――それを、従者が命令を無視してちょろまかしたのだ。

 自身を綺麗に着飾りたいと思うのは、女であれば当然の願望だろう。

 魔石(ジェム)や金属そのものに込められた魔力は全て抜けており、残っているのは装飾品としての価値だけ。

 だからこそ、パチュリーは今も従者の悪徳について見てみぬ振りを続けている。

 

「今日はー、これかなー」

 

 そう言いながら彼女が手に取ったのは、真鍮の台座に黒真珠から作り上げた魔石(ジェム)をあしらった首飾りだった。

 銀の鎖で首に巻き、服の下へとそっと隠すように宝石を入れ込む。

 

「ん……」

 

 銀は、破魔を宿す金属だ。鎖から送られてくる、ピリピリと刺激するような痛みに小悪魔は思わず艶のある声を漏らす。

 贖罪を刺激に、苦痛を快楽へと変え――

 悪魔は今日も、人知れず懺悔を繰り返す――

 契約という呪縛により地下深くの鳥籠で暮らす少女は、悲壮も悲観もなく自分なりの方法で幸せを謳歌していた。

 

 

 

 

 

 

「はーい、皆さんご飯ですよー」

「「「はーい!」」」

 

 食堂の入り口で小悪魔が告げれば、元気良く返事をしながら屋敷に住まう全ての妖精たちが与えられた仕事を放り出して集まって来る。

 小悪魔の行う朝一番の仕事は、妖精メイドたちの朝食の配給だ。

 元来、自然の結晶である妖精は妖怪と同じく食事を必要としない。だが、だからといってそれは咲夜が手を抜く理由にはなり得ない。

 小悪魔が厨房に到着した時点で予め用意されていた今日の朝食は、折り畳まれたカリカリの生地の中に卵とベーコンのスクランブルエッグとレタスが詰まった、外洋の郷土料理であるガレットだ。

 

「ちょうだいちょうだい!」

「私が先だよ!」

「いったーい! 誰か足踏んだー!」

「はーい、ケンカしないできちんと二列に並んでくださーい。一人一枚ですよー」

 

 一人一枚でも、妖精メイドの人数が人数だ。小悪魔の後ろにあるワゴン三台を埋め尽くしていた生地の山は、しかし、我先に群がって来る妖精たちによって瞬く間に減少し持ち去られていく。

 最後に残ったのは、こぼれた生地の欠片で台座を汚すワゴンと二枚のガレットのみ。

 作る数を間違えた――わけではない。

 

「いただきまーす――はむっ」

 

 小悪魔はその内一枚のガレットを行儀悪く口にくわえたまま、食堂に隣接された厨房へと戻す為にワゴンの一つを引いていく。

 軽めの朝食と一緒にワゴンの片付けと掃除が終わった後は、館の入り口を守護する美鈴の下へと向かう。

 マグカップに入れた椎茸とほうれん草のコンソメスープと、ポテトサラダを挟んだサンドイッチ。

 厨房にある材料を適当に調理して盛り付けし、温め直して三つ切りにした最後のガレットを添えた皿を丸盆に乗せ、左手で水平に保ちながら屋敷の外へと足を向ける。

 玄関を開ければ、そこにあるのは中央に大きな噴水が鎮座する大きな庭園。フラワーマスター直々に種や株を贈与されているという草花たちは、肌を刺す真冬の寒さの中であっても変わらぬ美しさを保っていた。

 これで、育てるのに魔法や妖術などの外法に一切頼っていないというのだから、恐れいる。

 

「美鈴さーん」

 

 内側から門を開け、日課の鍛練を行っているだろう門番へと声を掛ける。

 

「すぅー、ふぅー――」

 

 美鈴が行っているのは、太極拳と呼ばれる大陸の武術の型だ。

 ゆっくりと息を吸い、同程度の早さで空気を吐く。緩慢とした呼吸に合わせ、ゆるゆると両手で円を描くような一連の動作が継ぎ目なく、澱みなく繰り返される。

 

 ――毎日やってますけど、両手をぐるぐる回して何が楽しいんでしょうねぇ。

 

 何故そんな事をしているのかと最初に尋ねた時、小悪魔の目に映る女性は早朝の空気が澄んだ時間帯は気を整えるのに適した環境だからだと語っていた。

 流麗な動きに美しさは感じるものの、小悪魔は美鈴の行っている鍛練の意味を未だに良く理解出来ていなかった。

 

「美鈴さーん、ご飯ですよー」

「ふぅー……ん、ありがと」

 

 一段落が着いたのか、動作を中断した美鈴は小悪魔からマグカップと皿を受け取った。

 壁に背を預けた姿勢で、持ち上げた左膝を机の代わりにして器用に皿を置き、手早くサンドイッチたちを摘まみ咀嚼(そしゃく)していく。

 

「むー」

 

 どこか、作業的な雰囲気さえ感じてしまう淡々とした美鈴の食事風景を眺めていた小悪魔が、突然何を思ったのか軽く頬を膨らませ可愛らしく唸り始めた。

 

「何よ?」

「べっつにー。やっぱり咲夜さんのは最後にするんだなー、とか、そんな感じです」

 

 誰がどれを、などと教えたわけでもないのに、当たり前のように皿に残っているのは咲夜の作ったガレットの三切れ。

 自分の料理を早々に平らげ、後生大事に残される咲夜の料理を見せつけられれば、不満の一つも出ようというものだ。

 

「好きなものは、最後に食べる主義なのよ」

「そこは嘘でも、「そんな事ないよ」なんて優しい言葉を掛けてくれるところじゃないですかぁ?」

「何言ってるのよ。貴女に遠慮したって、仕方がないじゃない」

「ふーんだ。それじゃあ、「美鈴さんは咲夜さんには遠慮してる」って告げ口しちゃいますから」

「やめてよ。あの娘、あれで拗ね易いんだから」

「だからですよ。意地悪な美鈴さんは、大好きな咲夜さんから冷たくされちゃえば良いんですー」

 

 古参同士だからこその気安い会話もそこそこに、食べ終わった皿とマグカップを受け取った小悪魔は美鈴に舌を出して屋敷へと戻って行く。

 

「あ、小悪魔」

「なんです?」

 

 美鈴の呼び止めに、小悪魔の足が止まる。

 締まり掛けた門の向こう側で、顔だけ向けた同僚へと門番の少女はふにゃりと気の抜けた笑みを送った。

 

「おはよう」

「はい、おはようございます」

 

 対する司書の返答は、姿勢を正しての深いお辞儀。

 小悪魔が手を離した事で半端に開いていた門が自然と締まり、二人は内と外へと分断される。

 門が完全に閉まった事を確認した後、小悪魔は再度踵を返して屋敷へと戻って行く。

 そろそろ、主人であるパチュリーが読書を中断し紅茶と茶菓子を所望する時間だ。

 彼女の本来の役割は、あくまで地下の図書館で不動を貫く深淵の魔女の命令に従う事だ。

 当主とその妹に忠誠を誓う者たちの中で、当主の友人という独立した立場にある者に仕える唯一の下僕。

 メイド長のように数多の仕事に忙殺されるわけでも、門番のように一箇所に縛られるわけでもなく――割と暇を持て余す、宙ぶらりんの女の子。

 

「――?」

 

 そんな小悪魔が玄関を開けようとしたその時、閉じたはずの門が開き始める。

 早朝から客人とは珍しい。

 それとも、この僅かな時間で美鈴を下すほどの侵入者だろうか。

 

「おはよう、小悪魔」

 

 次いで門を潜るのは、屋敷の住人の次に紅魔の者たちと近しい、煌めく金髪に青のワンピースを着た人形遣いの魔法使い。

 相も変わらず、左右に飛ばす人形と同じ変化のない無表情のまま軽く会釈してくる。

 

「おはようございます。アリスさん」

 

 美鈴の時と同じく、振り返って深いお辞儀を一つ。

 どうやら今日は、紅茶と一緒に客人を持っていく必要があるらしい。

 きっと、彼女の来訪を内心のみで喜ぶのだろう愛する主人を想像しながら、その従者である小悪魔もまた自然と口角を引き上げていた。

 

 

 

 

 

 

 レミリアやフランが寝ているだろう早朝から大図書館にお邪魔した理由は、彼女たちの邪魔が入らない内にちょっとした調べものがしたかったからだ。

 調べものの内容は――魔界について。

 原作知識を持つ私は「東方地霊殿」である地底での異変が終わった現在、次に起こる異変をすでに知っている。

 その名も、「東方星蓮船」。

 妖怪の擁護を行い魔界へと封印された、ガンガンいく僧侶。魔法で強化して物理で殴る、超許す大菩薩の聖白蓮。

 そんな拳で語る系女子の彼女を救出するべく、彼女から恩を受けた妖怪たちが空飛ぶ宝船と共に時空を越えた旅を行う一大スペクタクルの物語だ。

 魔界――そう、魔界だ。

 「私」の出自についての確信に近づく、とても重要なファクターであり――そして、「アリス」の魔道書の中で出会った()()()が居るかもしれない場所。

 どういった気候で、どんな者が住み、何があるのか。

 原作知識を持つ私も、余り語られていなかった魔界については無知に近い。

 恐らく、かの地で私自身の情報を得る機会はそれほど多くはないだろう。つまらない失敗で逃すには、余りに惜しい。

 皆には悪いが、次の異変ばかりは解決よりも自分の目的優先だ。

 

 魔界に封印されてるっていう僧侶さんも悪い人じゃないらしいし、元々私が居ても異変の邪魔にしかならないから丁度良いよね。

 

 死を恐れて魔道へと堕ち、堕ちた先で救いを求める人外たちの為に立ち上がった八苦を滅した尼君。

 彼女からの情報収集も視野に入れ、異変での私の立ち位置を色々と考えておく必要がある。

 

「そういえば――小悪魔、貴女の出身地は魔界よね?」

「ふふーん、ふーん――あ、はい。そうですよ」

「魔界って、どんな所なの?」

 

 まずは身近からと、魔界について書かれた書物を幾つか見繕いつつ隣で鼻歌を歌いながら書庫整理をしていた小悪魔に問い掛ける。

 

「そうですねぇ。因みに、アリスさんは魔界についてどの程度の知識をお持ちですか?」

「そうね、まったくないと仮定してちょうだい」

 

 本当に何も知らないのだが、この身体が魔界で生まれた可能性がある為意味深な言い回しをして一応の予防線を張っておく。

 

「うーん。そうなりますと、説明がかなり難しいですねぇ」

「それはどうして?」

「魔界という領域は、途轍もなく広大かつ煩雑です。私の知っている魔界と、アリスさんの求める魔界の情報は別のものかもしれません」

 

 へぇ、幻想郷みたいに色々交じり合った土地なのかな。

 じゃあ、異変とは関係なしに私一人でこっそり行っても大丈夫そうかも。

 いや、幻想郷みたいって事は紫やレミリアみたいなアホみたいに強い連中も、一杯居るかもしれないって事か……

 

 あわよくば、ラスボス救出に便乗して魔界に到着した後は帰り支度が整うまで探索を行いたかったのだが――どうやらそれは難しいらしい。

 

「……中々、思い通りにはいかないものね」

 

 知っているのに、知る事が出来ない。

 真実への道は、果てしなく遠い。

 何故私は、好きこのんで茨の道を歩もうというのか。

 己の頑なな愚かさに、自嘲の念さえ沸いてしまう。

 

「アリスさんは、魔界に興味がおありなんですか?」

「少なくとも、魔法使いを語る以上魔界と無関係ではいられないわ」

 

 これは嘘ではない。

 魔界は魔力の源泉だ。幻想郷の大気に流れる魔力も、その恩恵を受けている。

 私の使う魔法も、パチュリーの使う魔法も、魔理沙の使う魔法も、大なり小なりそういった外的魔力を取り込み、或いは利用して発動しているので、私が魔界について調べる事は何も妖しくはないのだ。

 

()()()()()()()()()()()()を、聞いているんですよ」

 

 正直、興味津々です。

 でも、なーいしょ。

 

「さて、どうかしらね」

「あら~、意味深な返しですねぇ。益々気になっちゃいます」

「申し訳ないけれど、その期待には応えてあげられそうにないわ」

 

 口の軽い小悪魔に、その辺りの情報を与える気にはなれない。言ったが最後、少なくとも紅魔館の皆には私が魔界に行きたがっている事が知れ渡ってしまう。

 頼る気がないわけではないのだが、この問題は出来るだけ私自身で解決したいのだ。

 数冊の本を抱えてパチュリーの定位置である机に戻った私は、彼女と対面になる椅子に座って手始めの一冊目を開く。

 

「……」

「……」

 

 ここからは、静寂の時間だ。

 ページを捲る紙ずれと、柱に置かれた大時計が奏でる振り子の音――

 会話もなく、互いの存在も余り意識しないまま、綴られた知識を吸収していく。

 今日読めるのは、恐らくこの書物の五分の一程度が限界だろう。持って来た残りも含め、借りて帰るかまた明日以降図書館を訪ねて読破する必要がある。

 魔理沙とは違い死ぬまで借りる趣味はなく、毎度キチンと返却しているので私への貸し出し規制は結構緩い。

 あの娘も正直に頼んで貸して貰えば、邪険にされる事もないだろうに。

 好敵手(ライバル)に借りを作りたくないという気概を、立派と見るか、若いと見るか……中々難しい問題だ。

 

「小悪魔、おかわり」

「私にも、お願い出来るかしら」

「はい」

 

 別の事柄に思考を割きながら、傍に控える小悪魔に空のカップを持ち上げるパチュリーに重ねて私もおかわりを頼む。

 すぐさま注がれる紅茶から、かぐわしい香りが漂い鼻腔をくすぐる。

 シロップを入れてかき混ぜてから、まずは一口。その後、私の傍で机に座らせた上海と蓬莱の頭を撫でて読書へと戻る。

 

「アリスさんって、本当に人形がお好きなんですねぇ」

 

 私の行為が可笑しかったのか、クスクスと笑い出す小悪魔。

 何を当たり前の事を言っているのか。

 大好きで、大切だった、()()()()()の妹なのだ。この娘たちもまた私の娘であり家族なのだから、大事にするのは当然だろう。

 

「常々疑問に思っていましたが、どうしてアリスさんはそこまで人形に執着するんです?」

 

 小首を傾げる小悪魔に、私は問いへの答えを思案する。

 原作で、「アリス・マーガトロイド」が目指していたから――というのは、もう始めた切っ掛けに過ぎない。

 

「私は――この娘たちに笑って欲しいのよ」

 

 言いながら、私はもう一度上海と蓬莱の頭を撫でる。

 私がこの地で沢山の事を学んだように、この娘たちにも学ばせてあげたいのだ。

 私のように、「生」を謳歌する喜びをこの娘たちに与えてあげたい。

 楽しい事、嬉しい事、時に悲しい事や苦しい事だって、ずっと一緒に――

 酷い言い方をすれば、私は道連れを求めているのだろう。

 輝夜にとっての永琳のような、共に永劫を生きてくれる――そんな娘たちとなる事を、私は望んでいるのかもしれない。

 

「羨ましいですねぇ。私も、それぐらいパチュリー様から愛して貰いたいです」

「貴女は、十分愛されていると思うわよ」

「私は、欲しがり屋さんなのですよ」

 

 笑顔と共にペロッと舌を出して、おどけて見せる小悪魔。

 

 はい可愛い。

 目線こっちでお願いします!

 

「だ、そうよ。パチュリー?」

「……下らない話題に、私を巻き込まないでくれないかしら」

 

 何時も通り、光学(ステルス)迷彩うぜぇ丸で彼女の仕草を写真に収めながら彼女のご主人様に話を振れば、対面の魔女はページを捲る手を止めて億劫そうに視線を上げる。

 

「契約者なのだから、従者のメンタルケアは貴女の役目でしょう」

「えへへー」

 

 こちらまで嬉しくなりそうな、ニコニコと期待に満ちた笑顔でパチュリーに寄っていく小悪魔。

 照れや演技めいた雰囲気もなく、こういうあざとい仕草をあざといと理解しながら違和感なく行えるところが、この娘の凄いところだ。

 女は皆女優だというが、彼女はその中でも群を抜いている演技派だろう。

 

「ふぅ……小悪魔、屈みなさい」

「はーい――んんっ!?」

「ん……」

 

 そんな悪戯心満載の従者に対し、主人の報復は苛烈だった。

 椅子に座ったままの七曜の魔女は、一度大きく溜息を吐いて従者を屈ませた直後、いきなりその唇を奪ったのだ。

 

 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! キマシタワー!

 いきなり何やってんのよ、パッちゃん!

 

「ん……ぷぁ……はい、おしまい」

 

 突然の事態に理解が追いつかず目を白黒させる小悪魔から唇を離し、パチュリーは素っ気なく言って両者の間に引かれた唾を右の袖を使って拭う。

 

「大胆ね」

「効率を優先したまでよ。「喜ばせる」、という目的は果たせたでしょう?」

「はぅ、はぅはぅはぅ~……」

 

 確かに、目を回して混乱しながらも真っ赤になっている小悪魔を見れば、彼女の希望は叶ったと言って良いだろう。

 口付けが簡単に出来てしまうくらい、パチュリーは小悪魔を受け入れているのだ。これを愛と言わず、他になんと訳せば良いのか。

 レミリアも、フランも、美鈴も、咲夜も――妖精メイドたちだって、きっとこの娘を愛している。

 小悪魔の事情は、本人から少しだけだが聞いている。

 良いじゃないか、生かされていたって。

 それは、大切にされているという証明なのだから。

 糧を得ずに存在し続ける生物など居ない。だから、申し訳なく思う必要なんてこれっぽっちもないのだ。

 ただ、感謝をすれば良い。

 紅魔館に辿り着いた運命と、そこに住まう住人たちとの出会いと――そして、生きている「今」というこの瞬間に。

 彼女の幸福は、目の前にずっと置かれ続けているのだから。

 

 救われぬ悪魔の少女に、救いの御手を――

 私の娘たちにも、何時かきっと――私が幸福を与えられますように――

 

 帰ったら、この娘たちを抱き締めてあげよう。

 三度上海と蓬莱の頭を撫でながら、私は理想の一つだろう光景を前に決意を新たにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 夕刻まで読書を続けたアリスは、読み掛けを含めた数冊の魔道書の貸し出し許可を貰った後、ようやく起床して来たレミリアたちに誘われて食卓へと招かれていた。

 何十人も座れるような長大な机と大量の椅子が置かれた食堂で、使われている席はたったの四つ。

 上座のレミリア、その右隣にフラン、左隣へパチュリー。そして、フランの隣にアリス。

 従者である咲夜たちは、彼女たちの背後で起立している。

 

「うへへへぇ、パチュリーさまぁ」

 

 そして、吸血鬼たちにとっての朝食とアリスたちにとっての夕食が同時に行われているその場で、小悪魔は椅子に座ったパチュリーを背中から抱き締め終始だらけた笑みを振り撒いていた。

 小悪魔は起立している為、彼女の両手はパチュリーの襟に沿うように置かれ、魔女の後頭部へと従者の双丘が丁度当たっているような姿勢だ。

 

「……気持ち悪いわね」

 

 レミリアの辛辣な台詞も、無理はない。

 それぐらい、悪魔の従者の相貌は見ていられないのだ。

 

「パチェ、一体何をしたのよ」

「別に。労いが欲しいと言うから、与えたまでよ」

 

 サラダの中からピーマンだけを正確に寄り分けつつ呆れ顔で問う当主へ、その親友は小悪魔の行動を咎めもせずに肩をすくめて紅茶を口へと運ぶだけだ。

 

「パチュリーさまぁ、パチュリーさまぁ」

「はいはい」

 

 長く美しい髪へと顔を埋めながら、さり気なくその指を主人の服の中へと滑り込ませようとする小悪魔に、パチュリーは軽く流しながらも流石にそれは看過出来ないと手の甲を抓って拒否を示す。

 

「あははっ。小悪魔ったら、変な顔ー」

「えぇ、余程嬉しい事があったのでしょうね」

 

 こちらは綺麗にサラダを平らげ、表面だけを焼いた血の滴る分厚いステーキに舌鼓を打ちながらケラケラと笑うフラン。

 その後ろに立つ美鈴も、小悪魔の余りの様子に苦笑いを隠せない。

 

「見るに耐えないという事でしたら、今すぐあの顔面を切り潰してこの場より叩き出しますが」

「そこまではしなくて良いわよ」

「承知致しました」

 

 レミリアの後ろでさらりと恐ろしい提案をする咲夜だったが、主人が却下したのであっさりと引き下がる。

 

「今日は面白い事も起こりそうにないし、溜まっている書類でも片付けるわ。私の部屋に運んでおいて」

「かしこまりました」

 

 レミリアの言う書類の内容は、人里の問屋へ行っているワインの卸し売りについての報告書や決済書だ。

 紅魔館印のワインは、人里でも広く周知されているブランド品である。

 自然の結晶である妖精たちが果樹園を世話している事から、原材料であるブドウが良く育ち常に上質の商品が提供されており、更にメイド長が自身の持つ「時間を操る程度の能力」を使用して熟成させた即席の年代物にいたっては、時に家一件が建つほどの値段で取引されるほどだ。

 そんな、荒稼ぎをした資金を何に使用しているかというと――その答えは、壊れた調度品の購入費だ。

 屋敷そのものは、大量に囲った妖精たちと接続(リンク)させているので破壊されたとしても再生が可能なのだが、内外に飾られた調度品は別だ。

 咲夜の能力を用いて時を戻しても、破壊された物体を再生させる事は出来ない。

 時に侵入者(魔理沙)の暴虐によって、時に姉妹ゲンカの余波によって、散々に壊される花瓶や絨毯たちは紅魔館を飾るに相応しい高級品が飾られている。

 壊されては買い替え、買い換えてはまた壊される――富める者として、また高貴なる者として、紅魔館の当主は計らずも人里を巡る資金の循環へと大いに貢献していた。

 

「アリスはこれからどうするの?」

「特に予定はないわね。強いて言えば、帰ってパチュリーから借りた本を読むくらいかしら」

 

 図書館に居た時と同じように上海と蓬莱を傍に置き、アリスはフォークとナイフでステーキを切り分けつつレミリアの疑問に答える。

 

「ふぅん――だったら、今日は泊まっていきなさい」

「ほんと!? だったらフラン、アリスお姉ちゃんと一緒に寝る!」

 

 提案の時点で、椅子から立ち上がるほどに喜び始めるフラン。相手の同意も得ていないというのに、彼女の中ではもう決定を疑ってもいない。

 

「まったく……フランは何時までもお子様ねぇ。それで、どうかしら?」

「断り辛い状況に追い込んでおいて、良く言うわ。勿論、喜んでお受けさせて貰うわよ」

 

 妹が喜ぶならば、この程度の小細工はお手の物だ。

 レミリアとアリスは、フランに甘い。その喜びに水を差すわけにもいかず、アリスは渋々と白旗を上げる。

 

「ふへへぇ……」

「いい加減、貴女はそろそろ戻って来なさいよ」

 

 一切会話に混じらず恍惚とした表情を続ける小悪魔へパチュリーが溜息を吐くが、意識を空の彼方に飛ばした少女にはまったく届いていない様子だ。

 何時も素っ気無い態度ばかりを取られ、それが当たり前となっていた昨今。突然、あんなにも熱烈な愛情を授けられたのだ。

 小悪魔の喜びは、最早有頂天を超えていた。

 結局、全員の食事が終わり図書館へ戻った後も、彼女の意識が戻って来る事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 今日はもう仕事にならないだろうと、早々に自室での待機を言い渡された小悪魔は、部屋に戻ってもまだ上機嫌のままだった。

 

「んふ、んふふ~」

 

 止めようとしても浮かんでしまう笑みのまま、黒のスーツと白のシャツ、そしてスーツと同色のスカートを順番に脱いで衣装棚のハンガーへと掛け、ゆっくりとストッキングを下ろし――そうして、姿見へと自分の身体を映す。

 

「ふふっ」

 

 今の小悪魔が身に付けているのは、薔薇色をした扇情的な下着と――そして、銀の鎖によって首から下げられた黒真珠のネックレスのみ。

 一日中身に付け続けた事で、鎖の触れている部分は軽い火傷跡となってくっきりと肌へ浮かんでいた。

 罪には罰を、咎には仕置きを。

 虚しい手慰みである事は、他でもない自分自身が一番に理解している。

 それでも、誰も与えてくれないのであれば自分で生み出すしかない。

 鎖を外し、宝石共々机の中へと大事にしまう。

 与えられた小さな部屋と、小さな幸福。

 そして時折訪れる、とても大きな驚きと幸福。

 不幸は常に、胸の奥に――

 

「……」

 

 小悪魔が視線を右へ向けると、姿見の近くには一本の長い棒が立て掛けられていた。

 「紅魔異変」の際に妖精の魔弾によって刃を砕かれ、今はなんの能力も持たない金属の棒と化してしまった「エリゴールの大鎌」。

 修復不可能な廃材となったその魔道具は、それでも主人から下賜された大事な品だ。小悪魔は、破壊されて数年以上経つ今でもその棒を捨てられずにいた。

 あれもまた、彼女の罪だ。

 増長し、慢心し、挙句頂戴した宝具を粉砕されるなど、どんな罰を与えられたとしても許されるものではない。

 

 んー……今日みたいにとろとろに甘やかされるのも悪くないですけど、たまにはもっと激しく虐めて欲しいものですねぇ。

 

 (ご褒美)を貰える理由があるというのに、願っても与えられないというのは辛いものだ。

 嗜虐趣味であり被虐趣味でもある少女は、贅沢にもどちらの刺激も平等に主から与えて欲しいと願っていた。

 そんな、ろくでもない従者が何気なく破壊された鎌の柄を掴む。

 

「――え!?」

 

 「エリゴールの大鎌」の能力は、超直感と呼べるほどの高度な予測能力。

 それは、魔道具の残滓か、ただの白昼夢か――それとも、運命の悪戯か。

 小悪魔の頭の中に、連続して様々な風景が映し出されていく。

 

 翠から蒼へ、紅から焔へ――

 時と共に色を変えていく、二振りの魔剣――

 

 墜落する宝船――

 頭上へ浮かぶ、二つの太陽――

 

 救いを求めて祈る人々――

 差し伸べられる、三者の手――

 

 戦場となる人里――

 薙刀を持つ狐面の少女を前に、倒れ伏す幻想郷の強者たち――

 

 戯れ狂う沢山の道化たち――

 一斉にかしずくそれらを遥か高みから見下ろす、表情の抜け落ちた金髪の姫君――

 

「アリス……さん?」

 

 先ほどまで一緒に居た相手を、見間違えるはずもない。

 脳裏を過ぎ去った最後の映像で見えたのは、衣装は変われど紛れもなくあの人形遣いの少女だった。

 訳が解からない。

 情報は断片的であり、どの場面からもその前後を想像する事は困難だ。

 だが、確実に何かが起ころうとしている。

 連続した映像は、そのまま連続した未来を示唆しているに違いない。

 引き伸ばされた予測という先見の目が、これから起こり得る未来を浮かび上がらせた。

 

 伝えない方が、きっと面白い事になるでしょうね――

 

 主人へ報告するべきか、否か。

 裏切りは美徳であり、背信は誉れ。自身の内にある甘い誘惑に小悪魔の心が揺れたのは、一秒にも満たない時間だった。

 彼女は紛れもない悪魔だ。その身に宿る業は、生涯なくなる事はないだろう。

 しかし、同時に彼女はどうしようもないほどに出来損ないだった。

 小悪魔は、再び手早く服を着込み足早にパチュリーの下へと向かう。

 

「パチュリー様。ご報告がございます」

「――聞きましょう」

 

 真剣な表情をする従者の態度に、ただ事ではないと理解した魔女が読んでいた魔道書を閉じて椅子を動かし、小悪魔と正面から対峙する。

 小悪魔には、確信があった。

 今までがそうだったように、あの人形遣いはきっと否が応にも騒動の中心へと自ら足を向けていく。

 自分に出来る事は、精々こうして対処の出来そうな者へ告げ口をする程度が精一杯だ。

 だが、それで十分なのだ。

 

 悪魔の恩返しだなんて縁起が悪くて申し訳ありませんが、それでも見てみぬ振りは出来ません。

 私が救われるべきなら、貴女もまた救われるべきですよ――アリスさん。

 

 図書館の司書は、図書館の主を信じる。時として、己自身に向けるよりも強い信頼を預ける。

 深遠の魔女は、それだけの智謀と実力を兼ね備える絶対者の一人だから。

 彼女が動くなら、何も心配はいらない。

 平穏な日常の終わりは遠く、しかし、危険な異変の足音は確実に近づいてきている。

 

 あぁ、そうか――

 

 何故、一瞬でも報告を躊躇したのか。小悪魔の胸へと、本当の理由が二つ目の確信となって落ちる。

 備える時間は、十分にあるだろう。

 備えに備え、揃えに揃え――そうしてきっと、二人の魔女は争う事となるのだ。

 命を燃やし、命を賭して、互いの意思と意地を懸けて――

 友人なのに、友人だからこそ、譲れない一線を踏み越えて――

 運命の歯車が、いずれ二人を噛み合わせる。

 その瞬間を、きっと悪魔の少女は目撃しない。

 彼女はあくまで、小悪魔だから――

 地下の図書館という場所に縛られる、矮小な従者に過ぎないから――

 

「お願いします――どうか、あの方をお救い下さい」

 

 三度の確信を持って、小悪魔は主人へと友人の未来を託すのだった。




棒切れ「来年へ向けた次回予告の為に、残された力を振り絞ってみました!」

流石に今年の更新はここまでが限界でしょうね。
皆さん、良いお年を。

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