東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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71・幻想のおとしもの(結)

 アリスの魔法は、永琳の生み出した術を完膚無きまでに粉砕した。

 しかし、その破壊の勢いに対して幻想郷への余波はほとんどなかったと言って良い。

 これは、元々永琳の術が隔離に特化しており、外部への影響を最小限にするよう構築されていたからだ。

 しかしながら、元の破壊力が規格外であれば「ほとんどない」余波であっても、その暴威は相当なものとなる。

 

「――うん、まぁ、一応頼まれてたしね。間に合って良かったよ」

「萃香。これの何処が間に合ってるのか、周りを見渡してもういっぺん言ってみなさいよ」

「いや、そのー……なははは」

 

 正面から霊夢のきつい視線に晒され、賽銭箱の上で胡坐を掻いた小鬼がばつが悪そうに顔を逸らす。

 永琳がアリスたちを伴い姿を消した後、突如境内の中心で大爆発が発生した。低空を飛んでいた魔理沙がその衝撃に吹き飛ばされて彼方で気絶しているが、その辺りは些細な問題だろう。

 結界やその他の技術により厳重に防御されているとはいえ、博麗神社は幻想郷にとって重要な(かなめ)の一つ。万が一を考えれば、到底見過ごして良い問題ではない。

 何時から居たのか、萃香は「密と疎を操る程度の能力」により神社へと迫る勢いを疎め、建物への被害を最小限に留めようとしたのだ。

 確かに、萃香の尽力により神社という建物にその破壊の勢いが届く事はなかった。

 だが、その手前の被害を防ぐには至っておらず、周囲の木々すら薙ぎ倒し灯篭が彼方の岩へと突き刺さるほどのありさまである。

 遠くにある温泉へと続く脱衣所すら、無残な残骸となり果てている。

 

「あらあら。これは、私の勝ちで良いのかしら?」

 

 因みに、ほぼ爆発の中心に居たはずの幽々子はまったくの無傷で大きく抉れた窪地の中央に立ち、扇を片手に平然と笑っていた。恐らく、能力か何かで爆発を防御したのだろう。

 いっそ、その謎の手段で全ての破壊力を封殺してくれれば周囲への被害はなかったのだろうが、亡霊の気紛れなど期待するだけ無駄だろう。

 

「最後にとっても素敵なサプライズもあったし、楽しかったわ!」

「そう、それは良かったわ……はぁっ」

 

 日傘を差したまま抱き付くフランを背負い、霊夢が後片付けと修繕に掛かる苦労を想像したのか額に手を当てて盛大に溜息を吐く。

 

「まぁ、なんというか……すまん」

「申し訳ありませんでした!」

 

 爆発と同時に永琳の術から解放された藍と橙が、霊夢へと謝罪する。

 二人とも生える尻尾と髪の毛を焦げ付かせ、橙の方は衣服にも破損が目立つ。月の薬師は、この短時間で式の式を余程苛め抜いたらしい。

 

「別に、あんたたちのせいじゃないでしょ――って、元凶の二人は逃げたのね」

「あぁ、永琳殿は術の崩壊に併せて撤退した。予想だが、今は竹林か永遠亭だろう。アリスの方は、悪いが何処に飛ばされたか見当が付かんな」

 

 藍は永琳に迫る術者であり、橙は藍の式である為飛ばされる座標もある程度操作が出来た。

 しかし、アリスはそのどちらでもない。崩壊に巻き込まれた後の行方は、神のみぞ知る情報だ。

 

「メリーは?」

「帰ったよ。恐らくな」

 

 霊夢の簡潔な問いに、藍は橙を治療しながら軽く肩をすくめて見せた。

 多くの組織が介入し始め混迷を極めたあの状況では、逃がしたり匿ったりとメリーを幻想郷へ滞在させ続ける事は悪手以外の何ものでもなかった。

 強引にもほどがある強硬手段ではあったが、選択出来る中ではそれなりに理に適った帰還方法だっただろう。

 

「霊夢、解るなら答えてくれ。結局、メリーは何者だったんだ?」

「そうねぇ。簡単に言えば、幻想郷でも外の世界でもない「第三の世界の住人」って感じかしら」

「根拠は?」

「私が、彼女の帰還を無理だと思ったからよ」

「なるほど。では、あの時お前がアリスを睨んだ理由はなんだ?」

「勘だけど、アリスは多分メリーの事情を知ってたわ。知っていて、私を巻き込むなんて遠回りを黙認してた――お陰で、うちの神社の境内はこの有り様よ」

「……そうか」

 

 抉れた地面に他所から持って来た土を掛けたり、飛んでいった灯篭や使えそうな石畳を拾ったりと、早速大量に分裂した萃香が神社の修繕に勤しむ光景を指さされ、元凶の一人である妖獣は何も言えずに唸るしかない。

 

「メリーは――彼女は、「別の世界の紫様」だったのだろうか」

「さぁ。寝坊助妖怪が起きてから、じっくり問い質してみなさい」

「そうだな、そうさせて貰おう――橙、萃香様をお手伝いしろ。私は資材を確保して来る」

「あ、はいっ。青鬼、赤鬼、疲れてるだろうけどもう少しだけお願い!」

「あはっ、フランも手伝うー!」

 

 藍がスキマの先へと消え、橙が二匹の鬼を生み出し吸血鬼の妹と共に共に境内の修繕へと向かう。

 その光景を眺めた後、一人神社に入ろうと踵を返した霊夢へと今度は幽々子が隣り合う。

 

「博麗の巫女さん。彼女を逃がして、本当に良かったの?」

「なんの話よ」

「気付いてる癖に。彼女もいずれ、必ず――」

「いいえ、それはないわ」

 

 並んで歩きながら、霊夢は幽々子へ顔も向けずに否定を被せる。

 紫と幽々子の抱く予想を理解しながら、それでも博麗の巫女は否定してみせる。

 

「今のところは、ただの勘だけどね。でも、結構自信のある勘よ。賭けても良いわ」

「紫は駄目だったわ」

「そこが紫の限界よ。手下や敵は作れても、対等な相手が作れない。見栄っ張りのええかっこしいがバカを見たって、本人の自業自得でしょうに」

「辛辣ねぇ。それと、これでも私は紫の友達のつもりだけど?」

「手遅れになってから関わって、何か出来たの?」

「……意地悪ね」

 

 スキマ妖怪と亡霊の間にある過去の感傷など知った事かと、霊夢は幽々子の言葉を叩き切る。

 メリーの能力は、紫の能力に通じている。

 スキマ妖怪よりも酷く、深く、醜い怪物と化す可能性は確かにあるだろう。

 だが、きっとそうはならないと博麗の巫女は言う。

 

「メリーは人間で、人間のまま死ぬ。もし、私の勘が外れて幻想郷に厄を招くようなら――その時は、私が殺すわ」

「ふふっ。頼もしいわねぇ、人外殺し(博麗の巫女)さん」

 

 幻想郷での巫女の役目は、人間の守護と妖怪退治。

 人間が、自らの意思でその枠を超え別の存在へと堕ちたのならば、幻想郷の守護者は容赦なくその愚か者へと刃を向けるだけだ。

 容赦もなく、慈悲もなく、ただ自動的に。

 何も知らぬ迷い子が、何も知らぬままに絶望の深奥へと踏み出さぬよう、巫女の占いが真実となる事を願るばかりだ。

 だが、案外霊夢の勘は当たっているかもしれない。

 人を捨てるという事は、それまでの縁を捨てるという事。今まで築き上げて来た全てから、目を逸らしてしまうという事。

 輪廻という円環の輪から、抜け落ちるという事――

 彼女が孤独であれば、それもあり得たかもしれない。

 だが、もしも彼女に友人が居たならば。

 それも、こんな地獄と楽園を混ぜ込んだ幻想の庭に、ただ一人で乗り込んで来るような、無茶で、無謀で、とんでもなく阿呆な――そんな、素晴らしい友人が居たならば。

 彼女が(うつつ)に絶望する事は、或いは永遠にないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 妖怪の山で気絶した蓮子は、目覚めた直後に自らの状況を理解し絶叫を上げていた。

 

「なぁにこれぇっ!?」

 

 今の蓮子は広い洋風の一室で両手足を紐で縛られ、キングサイズのベッドの上に寝転がっていた。首に巻かれた首輪には、猛獣を繋げておく為に使うような野太い鎖が彼女の寝ているのベッドの上部へと繋げられている。

 

「う、があぁぁぁあぁぁあぁっ! があぁぁあぁぁあぁぁっ!」

 

 吠える。何度も吠える。

 だが、外れない。

 彼女が必死になって解こうとしても、その如何にもな拘束はビクともしない。

 

「あらあら。見た目だけであれば捕らわれの姫にも見えなくはないというのに、随分残念なお嬢さんね」

 

 それでも諦めずにじたばたと抵抗を続けていた蓮子の居る部屋へと、扉を開けて誰かが入室して来た。

 

「今度は誰よ!?」

「私よ」

 

 現れたのは、銀髪に真紅の瞳をした吸血鬼の少女だった。

 しかし、昨日の夜に早苗から色々と教わったものの、幻想郷の神秘に触れる機会をことごとく奪われている蓮子にとってはただのコスプレ美少女にしか見えていない。

 

「あんた、さっきの連中の仲間!? 早苗は無事なの!?」

「喚くな。品のないさえずりは、聞くに堪えないわ」

 

 睨む蓮子から視線を逸らさず、少女は無造作にベッドへと近づいて行く。

 

「私はレミリア。この紅魔館の当主、レミリア・スカーレットよ。初めまして、宇佐見蓮子」

「……」

「あら、警戒しているのね。余程酷い目に遭ったのかしら」

 

 初対面の挨拶を無視して鋭い双眸を向け続ける蓮子に、レミリアは気にした様子もなくクスクスと小バカにした笑みを浮かべる。

 実際、拘束されて身動きの取れない相手から幾ら睨まれようと、痛くも痒くもないどころか一抹の恐怖すら感じる事は不可能だろう。

 

「さて。答える義理はないけれど、哀れな民草に施しをくれてやるのも高貴なる者の義務ですもの。貴女の疑問に答えてあげるわ、感謝なさい」

「……そりゃどうも」

「貴女を連れて行こうとしていた兎と半死人なら、私が追い払ったわ。山の巫女については出会ってないから知らないけれど、多分無事でしょう。それと――」

 

 遂にベッドへと乗り込んで来たレミリアは、蓮子の頬にやけに冷たい右手を這わせてチロリと自身の唇に舌を這わす。

 

「……っ」

 

 幼い見た目からは想像も付かないほどの艶めかしい仕草に、蓮子は思わず赤面し視線を逸らしてしまう。

 

「貴女の大事な大事なお友達は、もう幻想郷(こっちの世界)には居ないわ」

「は、はぁっ!?」

「折角貴女が助けに来たのに、薄情な娘よね。自分一人で、勝手に帰っちゃうだなんて――まぁ、本当に帰れるかどうかは八雲紫(ババア)の胸先三寸でしょうけれど」

 

 後半は小声になってしまったので聞こえていないが、それでも蓮子にとっては耳を疑う内容だった。

 メリーが元の世界へ帰還出来たのであれば、蓮子がこの世界に滞在する理由はない。そして、蓮子にはメリーと一緒に帰還する以外元の世界へと帰る手段がない。

 つまり、今の蓮子は完全にミイラ取りがミイラになっている状況だった。

 

「わ、私も帰らなきゃ……っ」

「どうやって?」

「来れたんだから、きっと帰る方法だってあるはずよ」

「だから、そんな方法が本当にあったとして、この状況からどうやってそれを実行するつもりなの?」

 

 思い出させるように、ジャラリッ、と蓮子を拘束している鎖を鳴らしてみせる吸血鬼の少女。

 

「私を、どうするつもり?」

「飼い殺す」

 

 蓮子の問いへの返答は、思考を挟む素振りすらない即答だった。答えたレミリアから、冗談や嘘を言っているような雰囲気は一切感じられない。

 

「貴女の能力は、とても興味深いわ。私の友人である魔女も、是非研究してみたいととても意気込んでいるの」

「光栄ね。でも、モルモットになるなんてまっぴらごめんだわ」

「貴女の意思なんて知らないわよ。今、貴女の生殺与奪の権利を握っているのはこの私なのよ?」

 

 まるで野太い悪魔の腕のように、笑みを深めた少女の背にある漆黒の両翼が広がる。

 そして、哂う少女の細く白い両の手が、身動きの取れない蓮子の首へゆっくりと巻き付いていく。

 

幻想()であれば自分に害は及ぼせないなどと、楽観でもしていたか? 甘いよ、甘過ぎる。まるで妖精のような愚昧さだ」

「か、は……っ」

「警戒、覚悟、保身――未知への答えを探し求めるには、何もかもが足りなかったなぁ」

 

 レミリアの握力は、人間のそれを遥かに超えていた。このまま圧し折れてしまうのではと錯覚してしまうほどのとてつもない力が、首という人体の急所に食い込んでいく。

 

「ぐ……ぃ……」

「そんな貴様に、相応しい末路をくれてやる」

 

 せめてもの足掻きとして、身体を強引に左右へと揺らす蓮子。しかし、そんな彼女の健気な抵抗をまるで意に介さぬまま少女は嬉々として自分の指に更なる力を込めていく。

 

「ここがお前の終点だよ――理想に溺れて溺死しろ」

 

 諦めろと、絶望せよと、全ての反抗の意思を飲み込むが如く告げられた、無情なる死の宣告。

 ()()()()()、人間である彼女は反逆を選択する。

 

「ふざ……げんな゛ぁ゛……っ」

「ほぅ」

 

 意識を失い掛けていた瞳に光が戻り、レミリアの力に反発するように強引に顔を前へと突き出す。

 普通であれば折れるだろう。

 普通であれば諦めるだろう。

 だが、宇佐見蓮子という少女に「普通」を求める事こそがナンセンスだ。

 

「メリーは私の夢よ! そして貴女も、届かない幻想(まぼろし)なんかじゃない! 私の目の前にある確かな現実よ!」

 

 精一杯喉を開き、蓮子は声高に宣言する。

 そして、睨む両目がレミリアの瞳を捉えたその時、無意識に能力が発動する。

 

「あの娘は私が手に入れたのよ! 他の誰にも絶対に渡さない!」

 

 しかし、邪仙の腕を枯れ果てさせた蓮子の能力に晒されながら、吸血鬼の少女は涼しい顔で指の力を戻す。

 

「無駄だ。その程度の魔眼でこの私を否定しようなど、身の程を知れ」

「げほっ、が……っ」

 

 そもそも、あの邪仙は自ら進んで能力を受け止めたからこそ、あれほどの痛手を受けたのだ。

 幻想を否定する蓮子の能力は、未だ発展途上の半端な代物。通用しない相手が居たとて、何も不思議はない。

 

「未知が何よ! 幻想が何よ! 見てなさい! あの娘にも、貴女にも、何時か必ず証明してあげる! ――幻想()は、確かにここにあるって!」

 

 蓮子とて人間だ。当然、死にたくないという想いは人並みに抱えている。

 だが、それ以上に自分を曲げる事をしたくないのだ。

 例え結末が死であろうと、その過程で己の意思と意地を貫けたのならば、きっと後悔はない。

 愚直と言うにも、余りに愚かな少女。それが、宇佐見蓮子という人間なのだ。

 

「今は、ただ吠えるだけで精一杯、か――まぁ、その気迫と根性に免じてぎりぎり及第点としておきましょうか」

 

 不意に、レミリアの腕から力が弱まる。浮かべる笑みは、今までとは違いどこかからかっているような軽いものへと変わっていた。

 

「時の旅人の片翼よ、これは慈悲だ。次に会う時には、相方共々もう少しマシになっておきなさい」

「何、を……うぇぇっ!?」

 

 蓮子が何を問うよりも早く、いきなり彼女の身体が沈んでいく。背後を見れば、身体に触れる真っ白なシーツが漆黒へと変じずぶずぶと全身を飲み込み始めていた。

 

「ふむ、これが境界への干渉か――存外簡単なものだな。いや、「界」が揺らいでいる今だからこそか」

「何これ何これ!? なんかべちゃべちゃする! うははっ、うぉぉっ! こっちに来て初めての不思議体験かも!」

 

 呟くレミリアの声を掻き消すように、蓮子が叫ぶ。

 純粋に、無邪気に、無垢に。

 混乱と歓喜によって感情を爆発させたその表情は、未知への興味と憧れに満ち溢れている。

 

「やれやれ……」

 

 これには、流石の吸血鬼も苦笑する他ない。

 蓮子の身体を八割ほど沈めたところで、レミリアは彼女へと最後の言葉を伝える。

 

「「二人になりたければ、まずは一人になれ。一人にならない限り、貴女は永遠に二人にはなれない」」

「っ!? それ、あの時の……っ」

 

 それは、外の世界から幻想郷へと渡る直前に邪なる仙人が口にした台詞と、まったく同じ内容だった。

 運命を操る怪物が、他者へとその運命を示す。それは、未来への激励でもあり避けられない試練への警告でもある。

 

「忠告はしたぞ? 後の全ては、貴様次第だ。その恐いもの知らずの負けん気で、運命を塗り替えてみせろ」

 

 相手からの答えを聞くよりも早く、黒の力場が人間の少女を完全に飲み込んでしまう。

 レミリアが閉じていく黒の領域より残された首輪と鎖を引き抜いた時、その部屋にはもう吸血鬼が一人ベッドの上に座っているだけだった。

 しばらく動きを止めていたレミリアの背後へ、時を止めて現れたのだろう咲夜が瞬時に姿を現す。

 

「――お嬢様、侵入者です」

「誰?」

「守矢の風祝(かぜはふり)、白玉楼の剣士、永遠亭の銃兵。以上三名が美鈴を破り、現在迎撃部隊の妖精たちと交戦中でございます。如何なさいますか?」

「まぁ、あの娘たちにも彼女が帰った事くらいは教えてあげましょうか――良いわ、私が相手をしてあげる」

「承知いたしました。それでは、三名を大広間へ誘導しておきます」

「ありがとう」

「全ては御心のままに」

 

 深々と一礼し、再び部屋より消失するメイド長。

 再び一人となったベッドの上で、館の主は虚空へと小さく呟きを漏らす。

 

「また会おう、我が友よ」

 

 友となる未来が見えたから、助けたのか。

 今こうして助けたからこそ、友となる未来があるのか。

 卵が先か、鶏が先か。その答えは永遠に出ないだろう。

 それでも、この吸血鬼の少女とあの不思議な少女たちが未来にて再び相見える事は、運命を操るまでもなく決定していた。

 夜の王は、ただ待つだけで良い。

 彼女自身が語ったように、いずれ逃れられぬ運命があの迷い子たちを再び幻想郷へと誘うその時まで。

 

 

 

 

 

 

 アリスの魔法によって吹き飛ばされたメリーは、薄皮一枚隔てた「世界」の向こう側であろう何もない空間をただ漠然と漂っていた。

 黒でもなく、白でもない。灯りはなく、完全なる闇の中でもない。

 自分ではない何かによって、強制的に意識が遠のいていく。

 上下も、左右も、何も解らない。

 飛んでいるのか、落ちているのか。

 自分自身が生きているのか、死んでいるのかさえ、もう定かではない。

 

「――まったく。こちらはそれほど暇ではないのですから、そろそろ起きて下さいまし」

「――え?」

 

 そのまま永遠に流れ続ける事さえ受け入れ始めたメリーへと、呆れを含んだ盛大な溜息を漏らす誰かが声を掛けた。

 断ち切れそうになっていたメリーの意識が、その声によって明確に浮上していく。

 

「誰?」

「名乗る必要がありまして?」

「わ、たし?」

「いいえ。私は貴女ではありませんわ」

 

 そこに居たのは、メリーより少し年上に見える妙齢の美女だった。

 良く解らない謎の空間の中でまともに立つ事すらままならないメリーとは違い、紫色のドレスを着た金髪の女性は扇を片手にまるでそこに確かな足場があるように、揺らぐ事なくしっかりと起立している。

 

「生意気な吸血鬼と日和見な天狗には断られてしまいましたが、亡霊に鬼に宇宙人、その他にも色々と趣向を凝らしておりましたのに……まさかこんなにも早く退場させるとは、あの娘にも困ったものですわね」

「あの、何を……」

「適当に聞き流してくださいまし。単なる愚痴ですわ」

「は、はぁ」

 

 開いた扇で口元を隠す女性は、尋ねたメリーへつれない返事をした後で改めてメリーへとその視線を向ける。

 

「それで、満足出来まして?」

「え?」

「とぼけないでくださいまし。この一連の出来事は、貴女が望んだ事でしょうに」

 

 女性から更に呆れられても、メリーには彼女が何を言っているのかまるで理解出来ない。

 否。そうではない。

 メリーは、()()()()()()()のだ。

 故に、その代行としてメリーの前に立つ女性が事の顛末を説明する。

 幻想を夢見る少女が一体何を仕出かしたのかを、ありのままに伝える為に。

 

「過去か、未来か、別の世か――きっかけを突き止めるのは困難ですが、どうやら貴女は何かの拍子に「この幻想郷」を知覚してしまった。そうですわね?」

「わ、解りません」

「都合の良い頭ですこと。そして、貴女は見えてしまった理想郷に対する憧れを募らせ、あろう事か自分の世界と幻想郷を繋げ始めた」

 

 隔たる世界の間に横たわるものも、またスキマだ。

 

「貴女の住んでいる世界は、私たちの知覚する外の世界よりも幻想を強く否定しているのね。だから、今の貴女でも簡単にスキマ(綻び)を作る事が出来た」

 

 メリーは、無自覚のまま己が自覚する以上の能力を行使出来る。それは、博麗神社で対峙した永琳がすでに証明している。

 そして、無自覚であればあるほど能力の制御は緩くなり、その規模を無尽蔵に広げてしまう。

 

「しかし、貴女の能力は未だ未熟。このままでは、二つの世界は境界を失い溶け合っていたかもしれませんわ」

 

 募る妄執は、二つの世界へと次第に罅割れを起こす。割れて、崩れて――そして最後に、混ざり合う。

 世界という巨大過ぎる二つの概念が、夢見がちな少女の軽率な願望によって溶け合うのだ。

 なんの予防も対策もしていない状況で引き起こされた場合、双方にどれほどの被害が生まれていた事か。

 幻想を欲したメリーのささやかな願いは、世界の崩壊という災厄の引き金に手を掛けていた。

 

「私の愛する箱庭への、明確な侵略行為。「知らなかった」で、済ませて良い問題ではありませんわ」

「わ、私、私は……」

 

 扇を閉じた女性の瞳に、メリーは視線を合わせる事が出来ない。

 真っ青になった表情でうつむき、胸に手を当て浅い呼吸を繰り返す。

 

「だからといって、貴女を強引に殺そうとすればそれこそ未成熟な能力がどんな暴走を起こすか解らない」

 

 そこで、紫の女性は視線を遠くへ投げてもう一度大きな溜息を吐く。

 

「よって、次善の策として伝手を使って追い立て回し、二度と私の世界(幻想郷)に関わりたくないと思えるだけの恐怖を植え付けるつもりでしたが……まさか、案内役として配置した駒が段取りの全てを無視するとは」

 

 ゆるゆると首を振り、女性は疲れたような、それでいて楽しんでいるような皮肉めいた笑みを作る。

 

「まぁ、貴女の気持ちも解らなくもありませんわ」

「ぁ……」

 

 女性から伸ばされた右手が、メリーの頭を撫でる。そこには、姉が妹にするような、或いは教師が生徒へとするような、慈しみと期待を込められた優しい動きだった。

 

「偶然であれ必然であれ、貴女は私からの魔手を逃れた。出会いの縁と幸運によって、貴女は貴女自身の未来を勝ち取った。ならば、その天命に賞賛と敬意を持って応えるのが、幻想郷の創始者の一人として私の取るべき態度でしょう」

「あ、ありがとうござい……づっ!?」

 

 そこで、二人だけの空間に揺らぎが起こる。

 直後に起こった鋭い頭痛にメリーが顔を歪めている間にも、ノイズが走るように視界が乱れていく。

 

「どうやら、異物が放り込まれたようですわ。あちらの娘の能力()は私たちの能力と相性が最悪ですし、ここでお別れですわね」

「ま、待って! 待って下さい!」

 

 メリーは、大声で引き止めながら自分の頭から離された女性の手を掴む。

 もう二度と会えない可能性があるからこそ、これだけは聞いておかねばならないという焦りが彼女を突き動かす。

 

「私は、私は貴女なのに……っ」

 

 どうして、私は貴女のように幻想に愛されないの。

 どうして、どれだけ憧れても私は貴女のように幻想に生きる事が許されないの。

 どうして、どうして私はまだ人間なの。

 

 目の前に、「突破」した実例があるというのに。そこへと至る道筋が、何一つ見えて来ない。

 それは、絶望に近い恐怖だった。

 紫の女性はその存在にて、決して届く事はないと、決して至る事はないと、メリーへ向けて無情なる事実を突き付けていた。

 

「いいえ、貴女は私にはなれないわ。そして、私はもう貴女には戻れない。どちらかが偽物なのではなく、どちらもが本物なの。間違えてはいけませんわ」

 

 女性は左手でゆっくりと縋るメリーの指を外しながら、教え諭すように優しく語り掛ける。

 

「私は、自分を妖怪であると定義しました。境界という無限を枠にはめ、出来る事と出来ない事を定め、不自由を受け入れる事で自身の輪郭を明確にしました」

 

 そうしなければ、何時メリーと同じような無自覚な災害を振り撒くか解らないから。

 他者への心配や配慮からではない。それは諦念であり、自戒であり、二度と戻る事の出来ない脱却でもあった。

 

「私は私の幻想()を楽しんでいるわ。だから、貴女は貴女の幻想()をお探しなさい」

 

 メリーの後頭部へと両手を回し、その額へと口付けを落とす。

 

「それでは。もしも機会がありましたらまたお会いしましょう、()()()()()()()()()()。何時か、貴女自身の幻想を私に見せてくださいましね」

「あ、あぁ……っ」

 

 奪われていた名を返され、メリーは全てを思い出す。

 ノイズが最高潮に達し、目の前の女性すらほとんど見えなくなる。それでも、その存在だけは確かに感じ取れる。

 

「もう、他人の幻想()を欲しがってはいけませんわよ」

 

 そして、その一言を最後に女性の気配は完全に消失した。

 女性が消え失せると共にノイズが止まり、周囲の景色が元へと戻る。

 再び一人、朝と夜の中間のような空間に残されたメリーは今の出会いを反芻しながら漂い始めた。

 自分と同じ境遇に会った女性は、己の意思でその立ち位置を決めその道を毅然とした態度で進んでいた。

 自分に、あれほどの意思はあっただろうか。

 ただ漠然と自分の能力について考え、楽しみ、怯え――

 

 あぁ、そうか。

 あれが大人か。

 

 心へと落ちた答えは、存外あっさりと納得出来た。

 自分は子供で、それが許されていた。彼女は大人で、それが許されなくなった。

 自分もいずれ、選択を迫られる。その時に何を選ぶのかは、その時になってみないと解らない。

 あの女性は一つの可能性であり、しかし、絶対の未来ではない。

 思考の海を泳ぐメリーは、この空間に新たな来訪者が訪れた事に気付かない。

 

「――リー! メリー! 目を覚ましなさいよ、この寝坊助!」

「ひゃあぁぁっ!?」

 

 思考に意識を取られていた為、突然近くから怒鳴られ大げさに驚いてしまう。

 

「れ、蓮子?」

「ようやく見つけたわよ! このぼんやり娘が! くの! くの!」

「痛い痛い! ちょっと、髪の毛わしゃわしゃしないでよ!」

「うるさい! 心配したんだから、これくらい甘んじて受けなさい!」

 

 もつれ合い、絡まりながらお互いの存在を確かめる二人。

 そうしてしばらくじゃれあっていたメリーと蓮子は、改めて今居る空間からの脱出方法の模索を開始する。

 

「地面もなければ空もない、まるでこの世の最果てね。月さえあれば、ここがどこか解るのに……っ」

「ねぇ、蓮子。あれって月じゃない?」

「え? どれ?」

「あれよ、あの向こうにある光」

「もしかして、境界の向こう側――っ。メリー! 動かないで!」

「どうしたの?」

「メリーの目に、月と星が映ってる!」

「あっ!」

 

 二人の見えているものは違う。メリーが見えているのは、境界とその隔たりの先。蓮子が見えているのは、今ここにある現実。

 メリーの見えているものが、蓮子には見えていない。だが、そうだとしても何も問題はない。

 一人ひとりの視線では見えないものが、二人ならば見えて来る。

 

「メリーはそのまま、月を見ながら前へ進んで。境界の外を見る貴女の居場所は、私が絶対見失ったりしない。そうすれば、きっと一緒に帰れるはずよ」

「進むって、どうやってよ」

「気合と根性! ほら、がんばっ!」

「えぇ~。こ、こう、かしら」

 

 蓮子に右手を握られたまま、ふよふよと犬掻きのように左手と両足を動かしてみるメリー。半分以上はやけくそだったのだが、どうやら正しい選択だったらしくゆっくりとだが自分たちが移動する感覚がある。

 しばらくそうしてメリーが手足を動かし――二人が気付いた時には、泳いでいた空間はなくなりどこかの草むらへと寝転がっていた。

 その場所は、彼女たちが秘封倶楽部の活動として最後に調査した公園だった。

 

「午後十一時、三十二分、五秒――うっそ、日付戻ってるし。うはー」

 

 ようやく自分の目で月を見る事が出来た蓮子が、驚きと歓喜の声を上げて顔をおおう。

 メリーは後で知る事だが、彼女が幻想郷で過ごした時間と蓮子が部員を探して奔走していた時間は一致しない。しかも、蓮子が訪ねた限りではメリーの住んでいたアパートの一室は完全な空き部屋となっていた。

 だがしかし、終わってみればなんのその。そんな細かい事情など知った事かと、全てが元通りになっている。

 狐に化かされたわけでも、狸に騙されたわけでもない。二人は確かに幻想郷へ行き、そして自分たちの世界へと帰って来れたのだ。

 

「はー、今回は流石に大変だったわぁ。女の軍人みたいな人に狙われるわ、兎に騙されるわ、吸血鬼に襲われるわ……もう散々よ」

「私もよ。狐さんたちと一緒にお鍋を食べたり、猫ちゃんと一緒に寝たり、人形屋さんからお土産を貰ったり――」

「ちょっとぉ! 扱いの差が露骨なんですけどぉ!」

「きゃぁっ、もう髪の毛はやめてーっ」

 

 真夜中である事を忘れ、近所への迷惑を無視して再び二人でじゃれあう二人。

 触れる指が、相手の反応が、どうしようもなく互いの存在を主張してくれる。

 

「――お帰り、メリー」

「うん、ただいま。蓮子」

 

 大きな月と満点の星の下、万感の想いを込めて蓮子がメリーを抱き締める。強く、強く、決して離さないよう、決して離れないよう。

 しっかりと余韻に浸った後、蓮子はメリーから身体を離し服の汚れを払って立ち上がる。

 

「うん、よし。バイトしましょう、バイト」

「え? 何? 突然どうしたの?」

「なんか悔しいじゃない。色々見て回りたかったのに、まともに観光も出来ずに追い返されたのよ?」

 

 愛用の帽子を被り直し、月を見上げてにやりと口角を上げた。

 明確な目標が見えたのだ。これ以上ないほど挑み甲斐のある、一筋縄ではいかない不思議と幻想の溢れる理想郷(ユートピア)

 挑戦状まで貰っておいて、黙っているなどあり得ない。

 

「お礼参りよ。活動資金を貯めて、妖しいスポットを歩き回って、必ずもう一度あの幻想郷(世界)へ行きましょう。今度は、二人一緒にね」

 

 右の拳を左の手の平へと打ち付ける、乙女にあるまじき気合の入れ方で秘封倶楽部の部長が獰猛に笑う。

 

「蓮子は元気ね――ぁ……」

 

 この時になって、初めてメリーは気付く。幻想郷へ渡る前まで、視界を塞ぐほどに溢れていた微小な境界の綻びが綺麗さっぱりなくなっているのだ。

 紫のドレスを着たあの綺麗な女性は、メリーに満足したかと問い掛けた。

 未練はある。手に入らないと解っていても、あの煌びやかな世界から憧れを断つ事は中々に困難だ。

 だが、幻想郷と自分たちの関係はこれで終わりではない。そう思えば、しばしの離別もそれなりに受け入れる事が出来た。

 蓮子と同じように、メリーもまた幻想郷へと挑む理由が出来ていた。

 

 次に会う時は、あの人に自分の幻想()を語れるくらいには成長出来ているかしら。

 いいえ、違うわね。あの人は別に、私にそんな事を望んではいなかった。

 私がどうなろうと、どんな私になろうと、彼女は彼女で、私は私。

 ある意味、年の離れた従姉妹みたいなものかしら。そう考えると、途端に親近感が涌いて来るわね。

 案外あの人も、私みたいに私生活はずぼらだったりして。

 

「ふふっ」

 

 下らない妄想がやけに鮮明に思い浮かび、メリーは思わず苦笑を漏らしてしまう。

 過去と未来、現実と幻想が重なり合った冬の珍事は、こうしてひとまず幕引きとなる。

 しかし、メリーが確信するようにこれで全てが終わるわけではない。

 出会いを経て、縁を結び、広がった車輪は次の演目へと転がり始める。

 

「まずは、定番の七不思議とかかしら? さぁ、忙しくなるわよ。メリー!」

「はいはい、まずはお互いお家に帰りましょうね。家に帰るまでが遠足よ」

 

 過去が縋る未練への妄執と、未来が望む理想への憧れと、現実が抱える矛盾への葛藤。

 三者の邂逅が幻想郷へ特大の火種を落とすその瞬間へのカウントダウンは、今正に始まったばかりだった。

 

 




伏線は、沿えるだけ。
うみゅみゅ、どうにも不完全燃焼なオチになってしまいました……

次回からはいよいよ、待ちに待った異変の開幕となります。
さて、地獄(物理)を見るのは誰でしょうねぇ(愉悦)

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