東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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感想欄でご指摘を受け、前話のラストを少し修正しています。
大筋には大差が無いので、オキニナサラズ。


73・この中に一人、●●●が居る!

 飛倉の破片の回収も一段落し、私とナズーリンは一度私の自宅に立ち寄った後続いてとある場所へと訪れていた。

 

「いい加減、諦めてくれないかな。幾ら眺めていても、算盤の玉は動かないよ」

「ぬぅぅ……っ」

 

 幻想郷一を誇るガラクタ堂――もとい、香霖堂の店内で机に頬杖を付く店主の霖之助を前に、客であるナズーリンが置かれた算盤の数字を眺めて唸っている。

 店内の中央に鎮座する昔ながらの円筒ストーブを焚いたこの部屋の温度に反し、二人の間に流れる空気は割りと冷たい。

 それもそのはず、二人の間に置かれているのは算盤だけではないからだ。

 それは、星が失くしたと主張していた天下の宝塔。

 ネズミたちがその所在を特定した時には、すでにお宝は古道具屋の店主が拾った後だった。

 店の中に溢れる商売品は、全て彼の拾得物だ。この仏具もまた、そんな彼が拾い集めた物品の一つ。

 法が曖昧な幻想郷では幾らナズーリンが所有権を主張したとしても、拾得者が認めない限り宝塔の所持者は先に発見した霖之助から変わる事はない。

 

「こちらが是が非でも欲していると解かっているにしても、流石にこの数字は吹っ掛け過ぎじゃないかい? せめて、桁を四つは減らすべきだろう」

「心外だな。これでも僕としては、アリスの知り合いというよしみで良心的な価格を提示したつもりだよ。それとも君は、この財宝にはこの程度の価値すらないと本気で思っているのかい?」

「ぐ……っ」

「本音を言わせて貰えば、こんな貴重で危険な代物を売り物にするつもりもないんだ。それでも、君がどうしてもと頼むからこうして交渉をしてあげているんだがね」

 

 霖之助の言葉は正論だ。

 商売人として、また「道具の名前と用途が判る程度の能力」を持つ半妖として、宝塔という財宝の力も価値も十分に理解した上で適正とは思えない破格の値段を提示してくれている。

 というか、これだけ強大な力を持った正真正銘世界に一つだけの宝の値段など、きっと幾ら札束を積み上げても足りる事はないだろう。

 私にもナズーリンにも、現時点でこんな大金を支払えるだけの資金はない。

 そして、霖之助が本当に求めているものは金銭ではない。扱い方を間違えれば、人里程度ならば軽く焦土に出来るだろうこの危険物を渡しても良いと思えるだけの、誠意と証を示して欲しいのだ。

 下手な言い訳や強行手段は、彼からの信用を地に落とす結果となる。

 よって、仕方がないので私は霖之助の友人という立場を利用して交渉を開始する。

 

「とりあえず、前金はこれで良いかしら」

 

 家から持って来ていた旅行鞄並みの特大スーツケースを机に乗せ、止め具を外して中身を見せる。そこには、私が毎日コツコツ錬成して溜め込んだ大量の魔石(ジェム)がぎっしりと詰まっていた。

 しかも、その全てが比較的最近になって作り出した純度の高いものばかりだ。もう一度同じ質と量を作り出すには、今の私でも半年以上の月日が掛かるだろう。

 神秘を宿した魔法の品は、幻想郷でもそれなりに貴重だ。更に言えば、霖之助はそんな魔法道具の作成者であり、しかし、素材の調達を自らで行うほど行動的ではない。

 今は必要ではないが、入用になれば役に立つ。別口で売り払えば、懐を潤す事も出来る。

 古道具屋の店主へ支払う物品としては、それなりに理に適った品だ。

 

「ふむ、残りの額はどうするんだい?」

「勿論、分割で払うわ。現物か、現金で。利息なしにしてくれるのなら、二十年くらいで払い終える事が出来るかしら」

「しかし、利息をありにすれば延々と僕に貢ぎ続ける事になるよ。それでも良いのかい?」

「えぇ、別にそれでも良いわよ。私が死ぬまで、貴方を養ってあげる」

 

 この半人半妖との付き合いも長い。正直に言って、霖之助を養う事に抵抗は皆無だ。

 私は基本的に食事と研究以外にお金を使わないし、彼はそれすらもしないので余計にお金を使わない。よって、経済的な打撃もそれほど心配はいらない。

 また、正直に言えば二十年の支払いを馬鹿正直に全て許容するつもりもない。残金については生活面での世話を焼いたり、その他の頼まれ事等で恩を押し付けて途中で踏み倒す予定だ。

 霖之助は私の義手を作ってくれたし、私は霖之助の命を救った事もある。

 恩を受けて、恩を返して。お互いにもう、どれだけ相手に貸しと借りを作ったかすら曖昧になってしまっている。

 持ちつ持たれつ。森近霖之助とアリス・マーガトロイドの関係は、そんな気の置けない距離感なのだ。

 私は卑怯と自覚しながら自分という担保を使い、霖之助にこの妖獣を信用するよう願い出る。

 私は信じているから、この娘はきっと大丈夫だと声なき声で主張する。

 

 覚悟は良いか。私は出来てる。

 

「君は、もっと自分を大事にするべきだね。しかも、本気で言っている分余計に性質が悪い」

 

 私の覚悟が完了したところで、霖之助が盛大に溜息を吐く。

 

 えー、ひっどぅーい。

 

「待ってくれ、店主。これは、私と貴方の交渉だったはずだ」

 

 商談成立となりそうな流れに、ナズーリンが割って入った。

 彼女にしてみれば、まったく関係のない私がしゃしゃり出て勝手に交渉をまとめようとしているのだ。横槍を入れるのも当然だろう。

 旧知の仲である霖之助とは違うのだ。見ず知らずの他人から強引に押し付けられた恩義ほど、鼻に付くものはない。

 

「ならば、君はこの金額を支払う宛てがあるのかい? 悪いが、来店数回程度の君と分割払いの契約を結ぶほどの信頼関係は、築けていないね」

「だが……っ」

「ナズーリン。私の事は良いから、今は目的の達成を一番に考えなさい」

 

 しかし、今はそんな事を言っている暇はないのだ。

 最悪な事に、飛倉はその破片であっても相当に強い気配を放っている。私の「眼」のような特殊な技能を習得していなくとも、ある程度感知に優れた者であれば探し出せてしまうくらいに。

 そして、そんな楽しそうなお宝発見ゲームを黙って見守るほど、幻想郷の住人たちは甘くない。

 娯楽に飢えた誰かが好奇心で収拾を始める前に最低限の準備は完了しておかなければ、きっと日を追うごとに魔界への道は遠のいていく。

 

「良いだろう、交渉成立だ」

「ありがとう、霖之助さん」

 

 私と霖之助の共謀を疑われても、仕方がないほどの茶番だ。だが、それでもナズーリンたちを思えば安い対価だと断言出来る。

 

「何やら不穏な雰囲気だが、君が関わっているんだ。きっと、悪い事にはならないんだろうね」

「その信頼に応えられるよう、精一杯やらせて貰うわ」

「いや、別に良いよ。というかしないでくれ。君の言う精一杯は、恐らく幻想郷全土が危険になるレベルだろうからね」

 

 おい、お前もか。お前もそんなん言うんか、霖ちゃん。

 私は一体、大怪獣何モゲラなわけさ。

 

 複雑な心境になる私を放置し、霖之助はナズーリンへと宝塔を手渡しながら彼女の目を見据えている。

 

「君は、ナズーリンと言ったかな」

「なんだい?」

「この財宝の持ち主に、もう失くさないよう言っておいてくれ。こんなものが道端に転がっていたら、危なくて仕方がない」

「……あぁ、そうだね。出来る限りきつく叱っておくよ」

 

 しばらく霖之助を睨んでいたナズーリンだったが、無駄だと悟ったのか憮然とした表情で皮肉を返す。

 

 良しっ。宝塔、ゲットだぜ!

 

 私の懐事情という多大な犠牲を払いはしたが、とりあえず目的の品は手に入った。

 これで、後は飛倉の破片を全て回収するだけで尼さん救出作戦を開始出来る。

 用事は済んだので、不機嫌なネズミの親分を連れて早々に古道具屋を立ち去る。

 

「さて、後は破片の回収を急ぐべきね。そろそろ、私たちの動きを嗅ぎ付けた天狗辺りが本格的な報道に動き出すかもしれないわ」

「……あぁ、そうだね」

「歯切れが悪いわね。どうかしたの?」

「いや。我々がこの土地の新参とはいえ、君に負担ばかりを強いている現状が情けなくてね」

「困った時はお互いさまよ。多分、これから長い付き合いになるでしょうから、今度私が困った時に力になってくれればそれで良いわ」

「あぁ。君の支払った二十年に報いる事が出来るよう、その時が来たら誠意を持って君の力になると誓うよ」

 

 幻想郷に根付く組織として、命蓮寺は良識派に属するだろう。

 彼女たちと良好な関係を築けるだけでも、私がこの異変に介入した意味がある。

 このまま、万事が秘密裏のまま進められるとは思っていない。何故なら、ここは騒動と娯楽を何よりも楽しむ幻想郷なのだから。

 次の問題は、聖輦船を飛ばした際に迫り来るだろう主人公勢たちだ。

 長く暮らしていれば、原作を知らなくとも解かる。彼女たちを含めた幻想郷の住人が、隠れる事を止め姿を現した星たちを放っておくわけがない。

 

 主謀者側の立場になって改めて思うけどさぁ、あの面子に喧嘩売るとかないわー。

 勝てる気しないわー。

 

 霊夢の陰陽玉、魔理沙の八卦炉、早苗の御柱。一人ひとりが単独で巨大帆船を叩き落せる面子なので、最悪こちらも叩き落すつもりで仕掛けなければ足止めすら難しいかもしれない。

 

 いざとなったら、私が襲撃者の一人くらいは道連れにした方が良いかもしれないなぁ。

 船が墜落して異変解決とかは、流石に星たちが可哀想過ぎるしね。

 

 勝つ必要はない。だが、負ければ星たちの願いは叶わない。

 物騒ながらも暢気な事を考えながら、私はこの後必ず起こるだろう双方の衝突の激しさを想像し内心で溜息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 星、一輪、村紗、ナズーリン。

 夕食の準備をしているアリスを外し、廃屋の一室に集まった四人の空気は重い。

 

「ある程度予想はしていた事だが、今日の探索で確信したよ。我々以外でも、飛倉の破片を収拾している者たちが居るようだ」

 

 飛倉の破片は、欠片であっても強い神秘を宿している。

 価値を知る者からすれば、それこそ宝石が道端に落ちているようなものだ。拾わない理由を探す方が難しいだろう。

 

「ネズミたちが反応しているのは二箇所。一つは魔法の森、もう一つは妖怪の山にある守矢神社だ」

「魔法の森って事は、やっぱり――」

「アリスではないわよ。雲山が、何も言わないもの」

「自重したまえよ、キャプテン」

「むぅっ」

 

 我が意を得たりと得意顔になる村紗は、一輪とナズーリンに諭され膨れっ面でそっぽを向く。

 

「まぁ、あそこは幻想郷に住む魔法使いたちの巣窟だ。言いたくはないが、法力を宿す飛倉の欠片は良い触媒になるだろうさ」

「ちょっとナズ。まさか、もう……」

「いいえ。そうなれば、所有者である私が知覚出来るはずです。今の所は、飛倉の力は一切弱まっていません」

 

 賢将の苦い表情に顔を蒼ざめさせる一輪へ、星が即座に否定を被せる。しかし、それも「今の所は」といった程度の慰めにしかならない。

 

「星、今すぐ聖を助けに行こう!」

「……無理です」

「なんでさ!?」

「飛倉と宝塔、この二つが完全に揃って初めて聖に掛けた封印が解けます。飛倉が不完全な今の状態では、恐らく封印は解除出来ない」

「そ、そんな……っ」

 

 時間を掛ければ掛けるほど、事態は悪い方向へと向かっていってしまう。

 しかし、今の状態で魔界への渡航を強行したとしても、本来の目的は達成出来ない。

 

「いや、キャプテンの案もあながち悪くはないかもしれない」

「ナズーリン?」

 

 しばし黙考した賢将の漏らした呟きに、星が首を傾げる。

 八方塞がりであるなら、それを打破するには今までより更に強引な手段を取る他ない。

 

「今ある破片で飛倉を修復し、聖輦船を飛ばそう。解放した仏具に反応し、恐らく残りの破片も活性化するはずだ。そうなれば、私のネズミたちだけでも残りの破片の探知と回収が出来るようになるかもしれない」

「飛倉の破片を集めている連中が、聖輦船に気付いて自分から飛び込んで来る可能性もある、か。んー、強引過ぎてあんまり良い手には思えないわね」

「言いたい事は解かるさ、一輪。それでも、飛倉の破片を巡ってこの地の勢力が本格的に動き始めてしまえば、魔界へ行くどころではなくなってしまう」

 

 紅魔館の吸血鬼、白玉楼の亡霊姫、永遠亭の薬師と姫、太陽の畑のフラワーマスター。

 幻想郷には、単独であれ集団であれパワーバランスを担っている者たちが居る。

 一人ひとりが余裕で大地を抉り、巨岩を粉砕する強者ばかりだ。

 そんな者たちの手に飛倉の破片が渡り自分たちとの奪い合いに発展した場合、聖の居ない今の戦力では押し負ける可能性が高い。

 覚悟を決めたナズーリンやその他の者の顔を一人ひとり確認した後、遂に全権代理である星は決戦への決断を下す。

 

「――良いでしょう。決行は明朝。日の出と共に聖輦船を飛ばし、残りの破片の回収と同時に魔界へと向かいます」

「短期決戦ね。露払いは私と村紗がするから、星は聖輦船の維持と聖の救出に全力を注ぎなさい。ナズは、星の補助をお願いね」

「ま、私と一輪が居れば余裕だね。大船に乗ったつもりで安心してなよ」

「えぇ、己の役目は理解しています。皆で一丸となって聖を取り戻しましょう」

「今までずっとやって来た事だ。言われるまでもないさ」

 

 それぞれの役目を確認し合い、来たるその時に向けて戦意を灯す星たち。

 あの聖女が封印され、とても長い年月が流れた。

 気が狂いそうなほどの月日に耐え、今日まで雌伏の時を過ごして来た。

 もう、十分なはずだ。

 もう、我慢する必要はないはずだ。

 今一度、彼女と出会う為に。

 今度こそ、彼女の夢を叶える為に。

 

「そうと決まれば、まずは腹ごしらえね! まともな食事なんて久し振りだし、何が出て来るのかしら。ナズは何か知っているの?」

「さて、私も材料の助言を乞われたくらいで、その辺りは一切聞かされていないね。まぁ、流石に食べられないほどのゲテモノは出て来ないだろうさ」

「私、アリスのご飯なんて食べたくなーい」

「村紗、またそんな事を……折角の好意を無碍にするなど、罰が当たってしまいますよ」

「――皆、お待たせ。夕飯が出来たわよ」

 

 丁度良いタイミングでアリスが部屋へ現れ、食卓へと皆を誘う。

 全ては明日。どんな結末であろうとも、必ず審判は下されるだろう。

 全ては、聖白蓮という一人の恩人を日の下へと連れ戻す、ただそれだけの願いの為に。

 幻想郷という箱庭で、久方振りの大乱が幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

『あんよが上手、あんよが上手。ほらほら、こっちだよー』

 

 幻想郷には、妖怪の山から流れるものを主流とした幾つかの河川がある。

 川幅が広ければ、対岸へと渡る為に橋を建てるのは自然な流れだ。そして、橋を生業とする妖怪が流れ着くのもまた必然と言える。

 

「こんばんわ。貴女、「こっち」寄りの妖怪みたいね」

 

 決戦前夜、深夜の廃屋を抜け出し気晴らしに夜空を飛んでいた村紗は、そんな橋の一つに立つ一人の妖怪に出会う。

 見るからに陰気な雰囲気を漂わせる、金髪に緑目をした少女の妖怪。

 月明かりの下で川の流れを延々と眺めていた女が、億劫そうに村紗へと顔を向けた。

 

「妖怪は妖怪よ。「こっち」も「あっち」も「そっち」もないわ」

「そこで何してるの?」

「別に、何もしてないわ。何もする必要がないもの」

 

 少女は直ぐに村紗に向けていた顔を戻し、再び川の流れに目を向ける行為へと戻る。

 

「誰も彼も勝手なものだわ。妬ましいから、私も勝手にやってる。それだけよ」

 

 彼女は村紗を見ていない。視線だけでなく、関心すらも向いていない。

 それでも、橋の女は村紗へ語る。

 それが、彼女の存在意義だから。

 

「貴女も、妬ましいのね」

「妬む? 誰をさ」

「全てよ。大切な者を奪った世の理不尽、その苦痛を飲み込んでしまった仲間たち、のうのうと生きる人間たちに妖怪たち――あぁ、妬ましい、妬ましい」

「おい、止めろ」

「言ったでしょう、私は何もしてないわ。貴女が勝手に寄って来ただけ。貴女が勝手に妬んでるだけ。私も、貴女も、どうしようもなく報われないわ」

 

 さらさらと流れる川のせせらぎが、やけに大きく聞こえて来る。音は次第に濁音を孕み、ざらざらと、ざらざらと不快な罅割れの音となって心を掻き乱す。

 

「もう十分でしょう。行きなさい」

「……」

 

 突き放すように、少女は言う。もう語る事はないと、妖怪は完全に村紗を無視し始める。

 しかし、踵を返す舟幽霊へと少女はもう一度だけ声を掛けた。

 

「――どうでも良いけど、たまには帰ってあげたら?」

「は? 帰るって、何処によ?」

「貴女じゃないわよ」

 

 呼び止めておきながら、振り返る村紗への返答は意味不明のものだった。

 眉をひそめ、結局ろくな会話もしないまま村紗は妖怪の女から立ち去った。

 一人、橋に佇み続ける妖怪――橋姫である水橋パルスィの能力は、「嫉妬心を操る程度の能力」。

 意図して制御する時もあるが、基本的に彼女の能力は霊夢と同じように常時発動しているような状態だ。

 そこに居るだけで、彼女は嫉妬の汚染を撒き散らす。自覚すら許さず、心を暗がりへと傾けさせる。

 地底の妖怪は、地上の妖怪よりも性質が悪い。彼女は、その事実を証明するような妖怪なのだ。

 幽霊などの存在は、魂魄が剥き出しになっている為外部からの影響を受け易い。しかも、恨みつらみに近い嫉妬の感情は非業の無念を背負う悪霊と性質が近い。

 つまり、パルスィの能力はこの短時間でこれ以上ないほどに舟幽霊である村紗の精神を侵していた。

 後は、溜まりに溜まった情念がどんな形で花開くか。

 

「本当に、勝手なものね。妬ましい」

 

 他人を不幸は蜜の味と言うが、他人を不幸にするしか能のない妖怪にしてみれば、そんなものは食べ飽きた駄菓子程度の価値しかない。

 

『ふふっ。優しいね、パルスィ』

「何がよ。貴女が勝手に連れて来て、勝手にあてられてっただけじゃない」

『んふふー』

「気持ち悪いわね。貴女も、もう行きなさい」

『はーい。またねー』

「ふんっ」

 

 そこには誰も居ない。彼女が一人、ただ佇んでいるだけだ。

 だというのに、パルスィは誰かとの会話を成立させていた。

 そして、それも終わり本当に一人になった嫉妬の少女は、橋の上で川の流れる音へと耳を傾け続ける。

 くるくると、操々と、狂々と――

 嫉妬に狂い、他者を狂わせ、狂気の連鎖を導く闇の御手。

 救いはない。あってはならない。

 救われるべきは、きっと彼女ではないから。

 狂いに狂ったその先で、光を見出せるかどうか。

 それは、彼女の狂気に触発された水死の霊がいずれ答えを出すだろう。

 

「妬ましいわ、あんなに愛して。妬ましいわ、あんなに愛されて。あぁ――妬ましい、妬ましい」

 

 去って行った舟幽霊へ向けて、橋姫はただ妬み言を呟き続けるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 人々から妖怪神社と揶揄される博麗神社には、今日も朝早くからそのあだ名に恥じぬよう妖怪たちが訪れていた。

 

「ばぁっ! おどろけー!」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

「ほぎゃー!?」

 

 草むらの影から飛び出して来た大きな藤色の番傘を持つ少女の妖怪を、縁側でお茶を飲んでいた魔理沙が容赦なく八卦炉の光線で吹き飛ばす。

 

「いやー、驚いた驚いた。驚き過ぎて、思わず八卦炉をぶっ放しちまったぜ」

「嘘吐き! 全然驚いてないじゃない!」

 

 何事もなかったかのように茶をすする魔法使いへ、妖怪の少女は傘に付いた一つ目の顔と一緒に涙目で抗議の声を上げる。

 

「見ない顔だな。最近妖怪になった付喪神か?」

「私――じゃなかった、わちきは多々良小傘! 幻想郷の人間たちを恐怖のずんどこに突き落とす、恐怖の唐傘お化けよ!」

「わざわざ恐怖を二回入れる辺り、相当に凶悪な妖怪だな」

「ふ、あぁ~。なんだか騒がしいねぇ」

 

 全力で胸を逸らす小傘の弁を聞き流す魔理沙の膝で、気持ち良さそうに日向ぼっこを満喫していた二股の黒猫――猫形態のお燐がのっそりと目を覚ます。

 見得を切る付喪神は何処かの氷妖精を彷彿とさせる阿呆の子にしか見えないが、この神社に住む巫女の恐ろしさを知った上で乗り込んで来ているのなら、相当に肝が据わっているのではないだろうか。

 

「やっと起きたか。お燐、そろそろどいてくれ」

「んー。この神社での日向ぼっこは、この位置が最高なのさ。解かっておくれよ」

 

 それほど長い時間ではないが、魔理沙は元々束縛や拘束を嫌う性分だ。一時間にも満たない間であっても、不自由を感じるのは気に入らないのだろう。

 そんな不満気な少女を気にもせず、黒猫はのんきにぺろぺろと自分の腕を舐めて一向に動く気配はない。

 

「ったく。そういや、なんでお前がこんな朝っぱらから神社に来てるんだ?」

「ちょいと数日前にさとり様から、地上へのお使いと妖怪探し――ていうか、こいし様を探すよう頼まれてね。一緒に出て来たお空と、ここで落ち合う予定なのさ」

「さとりの妹が、地上に来てるのか?」

「んー、どうだろ? あの方は気紛れっていうか、空気みたいなお人だからね。あっちにフラフラこっちにフラフラと、一つ所に留まらないのさ」

「大変だな」

「さとり様が言うには、そろそろ暇潰しがてら何か変な事に首を突っ込んでるかもしれないらしいから、危ない目に遭われる前に見つけたいんだけどね」

 

 お燐の探しているこいしの能力は、「無意識を操る程度の能力」。

 他人どころか自身の無意識すら操作し、そこに居るのに万人から認識されず路傍の石のような存在感しか残さない。

 幻想郷という狭くも広いこの土地で、その石を見つけるのは非常に困難な作業になるだろう。

 

「なぁ、唐傘のお穣ちゃん。アンタからこいし様の匂いがするんだけど、何処かでこいし様を見掛けたかい?」

「どうかなぁ。こいし様って、どんな妖怪なの?」

「黒くて長いつばのある帽子を被った、アンタくらいの背丈の女の子だよ」

「んー……んんー? そんな格好の子、確かどっかで見たような、見なかったような……」

 

 頭を大きく右へ左へと傾けて、記憶を掘り返そうとする小傘。

 その反応に、お燐は悪い方向で予感が的中したのか猫の姿のまま頭を抱え始めた。

 

「あっちゃ~……不味いね。こりゃ、さとり様の予想が当たってるかもしれないよ」

「どういう事だよ」

「あの人は、無意識にめでたしめでたしの結末を求めてる。あたいやアンタも、ひょっとしたらさとり様すら、もうこいし様のお人形遊びに巻き込まれた可能性があるって事さ」

「なんだそりゃ、訳が解からん」

「だろうね。こればっかりは、口で上手く説明出来るもんじゃないのさ。当人も解かってないから、誰かに聞いて解かるもんでもない。まぁ、巻き込まれたら運が悪かったと思う事だね」

 

 さとり妖怪の側近である黒猫は、達観したというよりは何処か諦めた様子で、再び魔理沙の膝で丸まり不貞寝を始めようとする。

 そんな三人から離れた庭では、神社の本来の家主である霊夢が来訪した九尾からとある書類を渡されていた。

 

「何これ」

「見ての通り、請求書だ。まさか、あれだけの資材を無償で提供して貰えるとでも思ったのか?」

 

 先日何度目かになる爆心地となった博麗神社の境内は、ここ数日の復旧作業により見事元の姿へと修繕された。

 しかし、石畳や灯篭や手水場がそこらに自生しているわけもなく、当然壊れたものは石材や木材から作り直されている。

 金は天下の回りもの。幻想郷の経済を回す為、藍は正当な費用を請求していた。

 もっとも、相手の了承を得ない内に勝手に手を出しておいて報酬を要求しているので、ほとんど詐欺のような手口である。

 

「いや、あんたたちが勝手に持って来ただけじゃない」

「結果は結果だ。それとも、今からもう一度境内を修繕前の形に戻した方が良いか?」

「脅しのつもり?」

「いや、依頼だ。この請求を帳消しにしたければ、一つ仕事を頼まれて欲しい」

「はぁ?」

「お、おいっ! あれ見ろ!」

 

 剣呑な空気がおかしい方向へ舵を切り始めた時、魔理沙が慌てた様子で声を上げる。

 彼女が指さす空に、雲の間から大きな影が見え隠れしていた。それは、風を受けた帆をなびかせながら悠々と空を泳ぐ巨大な帆船だった。

 船とは、本来水辺を渡る為に作り出された乗り物であり、断じて空を飛ぶ為の道具ではない。

 しかし、目の前にある事実としてその船は風に大海原に見立てた空を飛翔している。

 

「で、でけぇ……っ」

「宝船かしら、縁起が良いわね。こっちの景気は最悪だけど」

 

 驚きと感動で目を輝かせる普通の魔法使いとは対照的に、博麗の巫女は面倒事の予感を感じてか酷く渋い表情へと変わる。

 

「そら、丁度財宝の詰まっていそうな立派な船が飛んでいるだろう。あれの正体を調査して貰いたい」

「最初っからそう言いなさいよ。回りくどいわね」

「お前に素直に頼んだところで、面倒だからと断られるのは目に見えているからな。ちゃんと巫女としての仕事をして貰えるよう、逃げ道を塞いでみた」

 

 請求書をひらひらと揺らし、藍は何時もの鉄面皮を少しだけ崩して片方の口角を持ち上げる。

 

「面白そうだ。私は行くぜ!」

「おっとっと」

 

 立ち上がる事で膝に乗ったお燐を振り落とし、魔法で引き寄せた相棒の箒にまたがって魔理沙は一直線に空飛ぶ船へと突撃を開始した。

 

「やれやれ。まぁ、あれだけ派手な船ならこいし様が興味を持って近づくかもしれないし、あたいも行こうかね」

 

 猫の姿から人型へと変化したお燐が、言い訳がましく独り言を呟きながら一度大きく伸びをして、魔理沙を追うように空へと飛び立つ。

 

「ま、待って! なんだか解からないけど、その船は襲っちゃ駄目だよー!」

 

 船の威風に驚き呆然としていた小傘は、飛んで行った魔理沙とお燐の姿を見ると、慌てて二人へ叫びながら飛翔する。

 

「出遅れているぞ、霊夢」

「はいはい、解かってるわよ。あの娘たちが勝手に調査してくれるなら、私は宝探しに専念出来て儲けものね」

 

 藍に促され、渋々といった様子で霊夢もまた空へと舞い上がる。

 あの船が幻想郷にとってどのような存在であれ、博麗の巫女が動いた時点で結果は見えた。

 九尾に残された仕事は、事の顛末の確認と事後処理だけだ。

 

「――懐かしいねぇ、ムカつく気配だ」

「えぇ、法力です」

 

 九尾の狐一人が残った庭へと、周囲から霧が集い双角の大妖怪の姿を取る。

 何時もは飄々とした態度を崩さない萃香が、露骨に不機嫌になっていた。肯定しながら空の船から視線を外さない藍の表情も、普段より更に硬さを増している。

 妖怪にとって、法力とは火と水のような関係に近い。

 霊力は「霊」の力。

 魔力は「魔」の力。

 そして、法力は「法」の力を意味している。

 あやふやで曖昧な妖怪という「現象」を、現世の法則に当てはめ封じ込める御仏の授けた護法の力。

 攻撃性は低い反面、封印や浄化といった方面に特化した法力は対妖怪用の力と言っても過言ではないのだ。

 

「あれだけ強大な仏具を使いこなす僧侶なら、腕前も相当だろうなぁ。くはっ、久々にわたしも遊んでみるかぁ?」

「幻想郷は、広くも有限です。なるべく、大規模な被害は控えていただけると幸いです」

「かかっ、そいつは相手次第さ。精々、相手にならないほどの弱者を期待しておくんだねっ」

 

 かつて、妖怪の山を支配していた四天の一角が動く。

 遊びたいから遊び、楽しみたいから楽しむ。

 相手の都合や事情など、鬼にとっては知った事ではない。

 あの船とそれを操る者にとって、少女の姿をした大妖怪から目を付けられた事は今生における最大の不幸だろう。引き起こされる暴虐の蹂躙を想像し、憐憫の情すら感じてしまう。

 再び一人となった藍は、静かにスキマを開きその奥へと消えていく。

 興味と関心、猜疑と警戒。

 幻想郷と、この土地へ現れた新参者たちとの衝突は春の訪れ近い空の彼方で行われる事となる。

 双方にとって敵は強大であり、決して軽く捻れる相手ではない。

 後に異変と名付けられるだけの大騒動の幕が、今正に切って落とされた。

 




地霊殿編で伝え損ねていましたが、この幻想郷でのお燐は猫形態でも普通に人語で会話が可能な設定です。
だって、猫が喋るとか激萌えだろうが!(力説)

作者の趣味で申し訳ない。

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