東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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76・疑心より、暗鬼は生ず

 博麗の巫女に挑んだ妖怪の末路は皆同じ。

 姿を隠し、死角に潜み、休む間もなく一方的に弾幕を放ち続けるぬえ。

 しかし、追い込まれているのは彼女の方だ。

 

『なんで、こんな……くっそぉぉぉっ!』

 

 攻撃が当たらない。それどころか、弾幕の向きや速さから法則を読まれているのか、次第に相手の回避の精度すら上がっていく始末。

 幻想郷の生み出した最高傑作である霊夢に、小手先の芸など通用しない。

 

『こうなったら……っ』

「あら、かくれんぼは満足したの? 後もう少しで当てられそうだったのに」

「うるさい! 死ねぇっ!」

 

 遂に打つ手のなくなったぬえは、自分の姿を晒し霊夢の正面から三叉槍を構えて突撃する。

 妖怪としての全力。妖気を滾らせ、速度を上げ、一身矢となって最高速の一撃を突き出す。

 普通の人間であれば、その速度を目で追う事すら出来ずに腹を貫かれていただろう。

 しかし、天狗に伍する吸血鬼の速さに対応出来る霊夢にしてみれば、ぬえの速度はまだ「遅い」部類に入るものでしかなかった。

 霊夢の右手に持つ三枚の札から霊力が溢れ、構築された両手を広げる程度の結界が妖怪からの一撃を阻む。

 

「が、ぎゃっ!」

 

 そして、反対の手に持つ退魔の針たちがぬえの右肩へ深々と突き刺さった。

 

「余り落ち込まない事ね。今日のところは私の勝ち、それだけよ」

 

 墜落する妖怪を見下ろしながら、勝者となった霊夢は飄々と告げて再び空飛ぶ船を目指し始める。

 妖怪には簡単に抜けるものではなく、刺さった箇所から妖気を封じ続ける巫女の針は、彼女と敵対した者たちにとって恐怖の代名詞だ。

 落ちて行った少女も例に漏れず、当分復帰は不可能だろう。

 

『うーん。やっぱり、貴女は邪魔かなぁ』

 

 決着の付いた戦場で、独りよがりな独り言が流れる。

 誰にも聞こえず、本人しか聞き取れない、そんな寂しい独り言。

 しかし、言葉を垂れ流す少女にとってそんな事はどうでも良い事だった。

 

『それじゃ、たいじょーたいじょー。えいっ』

「っ!?」

『え?』

 

 異変の最中にあって、極限の集中状態にある霊夢の直感は最早予知にすら届く。

 自身の脇腹に向けて振るわれた「何か」へ、霊夢はほぼ無意識のままに反応していた。

 ぬえの槍を防いだ時と同様に、手に持つ札から広がる無色の壁が誰かの凶刃を受け止める。

 

『すごいすごーい。だったら、貴女は後回しね』

「魔理沙! 逃げなさい!」

 

 「何か」が居る。そしてその「何か」は、次の標的として魔理沙を選んだ。

 直感に従い、霊夢が叫ぶ。

 

「はぁ? いきなり何言ってんだよ」

 

 しかし、霊夢からの意図を察する事が出来ない魔理沙は小傘との弾幕ごっこを繰り広げながら首を傾げるだけだ。

 

『貴女もぉ、えいっ』

 

 魔理沙は気付かない。だから、その何者かの刃を防げない。

 故に――その刃を防ぐのは、別の誰かの役目となる。

 

「だめぇっ!」

「小傘!?」

 

 自分の放つ弾幕を止め、魔理沙からの弾幕を全身に食らいながら、小傘は普通の魔法使いを庇うように彼女の傍へと飛び込んだ。

 

「ぎゃ、あぁっ!」

 

 直後、苦悶の表情を浮かべる小傘の腹から鮮血が飛び散る。

 

「お、どろけえぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 付喪神にとって、人間の為に役に立とうとする想いは道具であった頃から培われた本能に近い。

 口から血を吐く唐傘お化けの鬼気迫る気迫を込めた特大の弾幕が、誰も居ないはずの正面へ放出される。

 

「ぎぁっ!?」

 

 小傘の放った弾幕が直撃し、遂に誰にも気付かれていなかった少女が悲鳴を上げて姿を現す。

 

「お前、もしかしてこいしか!?」

 

 魔理沙は突然現れた少女に驚きながら、聞き及んでいた特徴を持つ少女の名を呼ぶ。

 

「あはっ、おどろいたー」

 

 しかし、それも一瞬の事。何処かの民家から拝借したのだろう血の付いた包丁を持つ無意識の少女は、顔面を流血させながら虚ろな笑みを浮かべ再び映像がブレるように虚空へと溶けて見えなくなった。

 

「なんだったんだ……アイツ」

 

 勝負に横槍を入れられた事へ怒るより先に、こいしという謎の介入者の出現に戸惑いの表情を浮かべる魔理沙。

 だが、飛行の制御を失い前のめりに落ちようとしている小傘を見て、彼女は慌てて思考を断ち切り目の前の少女を抱きかかえた。

 

「っとと。このバカ、無茶しやがって」

「う、ぐ……」

 

 ただの包丁と言えど、妖怪が妖気を込めて振るえばそれは妖刀と同義だ。

 深く突き込まれたのだろう小傘の傷口から真っ赤な血が溢れ、水色のワンピースを痛々しく染めていく。

 

「聖なる癒しのその御手よ、母なる大地のその息吹、願わくば、我が前に横たわりしこの者に、今ひとたびの力を与えんことを――「治癒(リカバリィ)」」

 

 滑らかな詠唱により、魔理沙の手の平から少女の傷口へ向けて癒しの光が灯る。

 

「それ、アリスの?」

「何時も聞いてるもんだから、暗記しちまったぜ」

 

 逃げていったこいしへの警戒を含め、様子を見る為か近くへと飛んで来た霊夢の質問に、魔理沙は小傘へ治療しながら軽口を飛ばす。

 今、普通の魔法使いが発動しているのは二人の知り合いである、あの人形遣いの魔法使いが頻繁に使用している回復魔法だった。

 技術とは、模倣と練磨の果てに完成へと至る。学習意欲の高い魔理沙の近くで()()()使()()()()()()を披露し続けた時点で、習得されてしまうのは当然の流れであると言えるだろう。

 

「受けた恩は返さなきゃな。悪い霊夢、後で必ず追いつく」

「別に頼んでないわよ」

「冷たいなぁ」

 

 魔理沙は今まで、傷を癒す為の魔法を習得していなかった。そして、アリスの「治癒(リカバリィ)」は魔力の消費が少ない分効果はそれほど高くない。

 小傘の治療をある程度まででも終えるには、それなりの時間が必要だった。

 霊夢からつれない返事を返され、一時の戦線離脱を告げた魔理沙は彼女からまったく頼りにされていない事実に、なんとも言えない表情になってしまう。

 

「ありがと、魔理沙。それと、ごめんね」

「良いって。お前が居なけりゃ、あの家出娘の包丁で腹を抉られてたのは私なんだ。これくらいの礼はしなくちゃ、すわりが悪いんだよ」

 

 霊夢が去った後、魔理沙はひとまず小傘の治療に専念する為彼女からのお礼に答えながら地上へと向かう。

 

「あの娘が、神社に居た猫が探してたこいし様なんだね」

「あぁ、私も見たのは初めてだけどな。無意識を操る心を読めないさとり妖怪っていう、訳の解らん妖怪さ」

「そっか、あの娘が……」

 

 会話をしながら辿り着いたのは、紅魔館と人里の中頃に位置するそれなりに大きな木製の橋が掛けられた河川だった。

 川原へと続く手前の土手に着地し、魔理沙は自分の上着を脱いで下敷きにしその上へと小傘を寝かせる。

 そして、おもむろに唐傘少女のワンピースに手を掛け剥ぎ取りを開始する。

 

「ぴゃぁっ、いきなり何するのっ」

「何って治療の続きだよ。お前の服で即席の包帯作って腹に巻くから、早く脱いでくれ」

「ま、待ってよっ。これ、私の一張羅なんだよっ? それに、脱いだら下着が見えちゃうからもしここに男の人が来たら……っ」

「折角言い直した一人称が戻ってるぞ。大丈夫だ、もし通行人が通ったらむしろそいつの服を剥ぎ取って着せてやるから、安心しろ」

「全然大丈夫じゃないぃっ」

 

 重傷によって思うように動く事の出来ない今の小傘に、魔理沙の強引さを退ける(すべ)はない。

 涙目の少女から着ている服を剥ぎ取るという暴挙を成し遂げた普通の魔法使いは、ポケットから取り出した小さなナイフを使い手馴れた手付きでワンピースを包帯へと加工するべく作業を開始する。

 

「うぅ、もうお嫁に行けない……」

「それも大丈夫だよ。妖怪は普通嫁なんて欲しがらないし、人間で妖怪を嫁に貰いたがるほど奇特な奴は早々居ないぜ」

「う、うぅ……っ」

 

 腹の生々しい刺し傷は依然として残ってはいるものの、白のさらしと同色のパンツだけを残したあられもない肢体を太陽の下へ晒しさめざめと涙する小傘へ、作業を続ける魔理沙が傷口に塩を塗り込むような追い討ちで黙らせる。

 

「良し、出来た。今からちょっとお前の身体を動かすから、痛かったら言ってくれ」

「う、うん。ん――ぐ――っ」

 

 布を等間隔に切り伸ばしただけの代物だが、ないよりはましだろう。極力傷を刺激しないよう注意しながら、魔理沙は小傘の身体に彼女の服だったものを巻き付けていく。

 

「こんなもんか――「治癒(リカバリィ)」」

「ん……」

 

 傷口の表面に畳んだハンカチを乗せ、その上から素早く包帯を巻き終えた後で再び治癒の魔法を発動させる。

 暖かさを伴う癒しの光に、痛みに脂汗を浮かべていた小傘の表情が僅かに緩む。

 

「魔理沙。またあの船に行くつもりなら、さっきのこいしって娘に気を付けてね」

「気を付けろと言われて、対処が出来る相手じゃなさそうだけどな」

「そうじゃないの。あの娘はきっと、私たち()遊んでるだけ。良いとか悪いとか、難しい事は何も考えてないと思うの」

「お燐の言ってた、「お人形遊び」ってやつか」

 

 魔理沙を含めた大半の者がこいしを認識出来ないように、無意識の少女もまた自分を認識しない他者を路傍の石程度にしか考えていない。

 蝶の羽をむしるように、蟻の巣穴へ水を流し込むように。

 無垢に、無邪気に、だからこそ残酷に。

 導き、掻き乱し、気紛れに手助けや邪魔をして、好き勝手に遊んでいるだけ。

 なんの思惑もないまま戯れている分、次に何を仕出かすかまったく予測が出来ないのだ。厄介どころの話ではなかった。

 

「うん、私もあの娘と同じだから。他の人から忘れられて、そこに居るのに無視されて、ずっとずっと独りぼっちだったから。だから私は、あの娘に気付け……たの……かも……」

 

 会話の途中から、意識が薄れてきたのか小傘の言葉が徐々に途切れ始めてしまう。

 魔理沙の発動させている「治癒(リカバリィ)」の効果は、対象の体力を代償に本人の持つ自己治癒能力を限界まで引き上げる事。人間よりも遥かに頑丈で治癒能力も高い妖怪にとっては、当然人間よりも代償や効果が高く発揮される。

 つまり、急激に消耗を続ける小傘の肉体が疲労の回復手段として睡眠を強要しているのだ。

 

「今日、きっと……あの船に乗って、あの人が帰って来る……だからあの娘は、私を呼んだの……」

「もう良い、解ったから。もう寝ろ」

「魔理沙……お願い……あの船を、守って……」

 

 刻まれた傷は決して浅くはないというのに、最後まで自分以外の何かの心配を続けた唐傘お化けの意識が落ちる。

 

「ったく。たまんないよな……っ」

 

 また、無様にも守られてしまった。

 月が入れ替わり、永く夜の続いたあの異変から何一つ変わっていない自分の不甲斐無さに、魔理沙は強く奥歯を噛み締める。

 

 霊夢が私を頼らないのも納得だぜ。ちくしょうが。

 何時になったら、私はアイツらに追いつけるんだろうな。

 それとも、一生無理なのかな。

 

 弱気の虫が頭をもたげ、少女にそっとささやき掛ける。

 お前は所詮、この程度なのだと。

 虚勢を張るだけ、虚しいだけだと。

 

 あぁ、そうさ。何時だって、私は皆の足手まといだ。

 何時だって、私は皆の後ろを追いかけてるだけの役立たずだ。

 でも、それでも、諦めないって決めたんだよ。

 

「もう決めたんだよ、私は。そうだろ? 霊夢」

 

 口に出して、再確認する。自分はまだ、決して折れてなどいないのだと。

 凹み、うつむき、しょげ返り、そうして悩み苦しんだ後で、彼女は再び上を向く。

 あの日、神社で境内を眺めて座る一人の少女を目にした時に。彼女は目指すと決めたのだ。

 いずれ、あの少女と肩を並べ共に歩めるだけの存在になると。

 願いは遠く、誓いは胸に。少女は今日も、空を飛ぶ。

 足を止め、大きな船が泳ぐ群青の天井を見上げる魔法使いの少女は、きっと再び空を目指す。

 北斗の彼方のその先へ、自身の両足が辿り着くその時まで。

 

 

 

 

 

 

 光が満ちる。

 飛倉と宝塔。十全となった二つの宝具の相乗効果により、高まる法力の威光は留まる所を知らない勢いだ。

 そんな神々しい船の上で、私はナズーリンへと言葉を掛ける。

 

「まず、最初に言っておくと私は貴女たちの目的をある程度察していたわ」

「ほう」

 

 インパクトは大事だ。最初に爆弾を投下し、こちらの話への関心を引き出す。

 

「貴女が最初に見つけて来た飛倉の破片を見た時、完成させれば「界」を渡るだけの力を持つ道具が出来上がると理解出来たわ。同時に、出来上がるのはきっとそういった移動に特化した道具でもあると」

 

 因みに、知識では知っていても実際に飛倉の破片を見たのはあの時が初めてなので、嘘は言っていなかったりする。

 また、私が見える「精神世界面(アストラル・サイド)」はその固体の持つ力の強弱や大体の波長程度しか判別出来ないので、飛倉の能力を特定出来たのも原作知識のお陰だ。

 空飛ぶ倉だから、付けられた名称が飛倉。安直だが、解り易い命名だ。

 

「言い方は悪いけれど、貴女たちからは他者を食い物にしても良いという妖怪特有の傲慢さが感じられなかった。なのに、それほどの力を欲しているのだもの。そこから、貴女たちの目的を推測する事も難しくはなかったわ」

 

 星が居て、ナズーリンたちが居て、飛倉の破片を片手に語り合っているのだ。

 「東方星蓮船」の開幕が迫っている事も、その時点での彼女たちの事情も察する事も簡単だった。

 

「だからこそ、私は貴女たちに手を貸したわ。貴女たちの目的が、私の目的にも繋がるものだったから」

「ならば聞かせて貰おうか、アリス。我々を助けた君の目的とやらを」

「私の目的は、「界」を渡る事。行き先は、貴女たちと同じ魔界よ」

「凄いね、運命を感じるほどの一致だ」

 

 賢将の表情が皮肉気に歪む。

 当たり前だ。そんな偶然、普通に考えて起こるものじゃない。

 なんの前情報もなしに同じ台詞を吐かれたとすれば、私だって信じるよりも先に疑う方を選ぶだろう。

 

「別に、貴女たちが目指す先が私と同じ場所でなくても良かったの。移動の手段さえ貴女たちの手元に完成すれば、後は恩を売るだけで私は目的を果たせるようになるから」

「それを証明する証拠は?」

「ないわ。私の言葉以外、何一つ」

 

 だからこそ、私は今まで自分の目的を彼女たちに語れなかった。

 語ったところで、私の言葉が素直に伝わるとは思えなかったから。

 打算はある。だけど、誠実でもありたい。

 魔界への出航直前でこうしてナズーリンへ告げている理由も、ただの勢いが八割だ。

 

「それでは、そこの少女を魔界へ連れて行かせようとする理由は?」

「貴女たちは、助けた聖人と幻想郷で暮らすつもりなのでしょう? だったら、異変の主謀者は一度退治されないと話が進まないわ」

「異変、だって?」

「そう、異変よ。ここまで騒ぎが大きくなったのなら、いっそ大々的に聖人の復活を幻想郷へ喧伝すれば良いじゃない。貴女たちにその気があるのなら、烏天狗辺りが頼まなくてもやってくれるわ」

「……」

 

 早苗が、復活した聖を退治しようとしている理由はこれだ。

 星たちの実力がパワーバランスの一角を担えると理解した上で、自分たちが襲来した時と同じように異変というお祭り騒ぎの一環として、幻想郷の住人たちに広くその存在を知らしめる。

 住人からの認知度を上げれば、今後の活動もやり易くなるだろうという先人なりの配慮なのだ。

 普段は割としっかり者なのに、ここぞという場面で言葉が足りないのが早苗の悪いところだ。

 

「異変を解決するのは、人間の役目。彼女にその役を与え、君は見分役として付き添う。そういう事なんだね」

「私はもう、貴女へ恩を売り終えているわ。早苗たち人間との対決も、魔界から帰って来た後で構わない。最初に言った通り、決めるのは貴女よ。ナズーリン」

 

 結論を言うと、私と早苗をどうしても同行させなければならない理由はない。強いて上げるならば、守矢の風祝(かぜはふり)が同行する理由に異変解決という手柄の為一足先にラスボスと対峙したいという欲があるぐらいだろうか。

 早苗もそれを理解しているので、ここまで一言も言葉を挟んでは来ていない。

 受け入れても拒否しても、大勢は変わらない。

 後は本当に、この小さな賢将が見極めれば良いだけの話になる。

 

「……魔女め」

 

 しばしの無言の後、苦虫を百匹は噛み潰した女の子がしてはいけないくらいの表情で私を睨むナズーリン。

 

 ――うん。

 今の一言とその顔で、ナズちゃんがなんか物凄い誤解をした事だけは解った。

 あっるえぇぇぇ。

 どういう事だってばよ。

 

 何を間違えたのか。どう伝わってしまったのか。

 どうやら、説得は成功したらしい。だが、私は何処かで致命的な失敗をしてしまったようだ。

 睨み続ける彼女の口から語られない限り、読心妖怪ではない私には理解する事が出来ない。

 過去へ戻って出来事をやり直せない私は、ちっちゃい娘の睨み顔って激可愛い、などと思考を脱線させつつ現実逃避気味に光学迷彩(ステルス)状態のうぜぇ丸でナズーリンの激写を行うのだった。

 

 

 

 

 

 

 交渉というものは、相手の裏に隠された真意の読み合いだ。

 自分により有利な方向へ、相手のより不利な方向へ導く為の思考のせめぎ合い。

 だが、そもそも有利も不利もなく全ての情報を開示して相手へと判断を委ねた場合、その前提は大きく崩れる。

 つまり、簡単に言えばナズーリンは大層混乱していた。

 

「まず、最初に言っておくと私は貴女たちの目的をある程度察していたわ」

「ほう」

 

 飛倉の能力をいち早く理解し、自分の目的を達成する為に今まで協力していた。

 破片の回収を手伝ったのも、古道具屋で二十年分の恩を売り付けたのも、全てはその為。

 確かに、何処かの聖人のようになんの私心なく善意のみで手を貸したと語られるよりは、余程納得出来る内容だ。

 だが、それは全てが終わった後で語れば良い話だ。否、そもそもそんなそんな情報は他者に与える必要すらない。

 彼女の助力に助けられたのは事実であり、語られない情報を勝手に解釈し誤解する方に落ち度があるのだから。

 

 何故、この女はこの局面で自身の不利を曝け出すんだ。

 何故、自ら目的から遠ざかるような真似をしているんだ。

 黙っていれば、それだけ印象は有利なままだっただろうに。

 

 原作知識という下敷きがあるアリスとは違い、ナズーリンはこの人形遣いの少女の事をほとんど何も把握していない。

 初対面に近いはずの存在への気安さも、まるで長年付き合いがあるかのような他の者たちへの理解度も。何一つ理解出来ない。

 そして、対象を理解出来ないという心情は相手からの一方的な理解も合わさって、小さな賢将の胸の内に大きな困惑と恐怖を引き起こす。

 解らないから戸惑い、解らないから恐くなる。

 ナズーリンの心は、実に正常な反応を示していると言えた。

 アリスの中途半端な誠実さが、毘沙門天の監視者を更なる混乱のるつぼへと叩き落す。

 

「ならば聞かせて貰おうか、アリス。我々を助けた君の目的とやらを」

「私の目的は、「界」を渡る事。行き先は、貴女たちと同じ魔界よ」

「凄いね、運命を感じるほどの一致だ」

 

 十中八九、この魔法使いの語る内容は嘘だろう。

 だが、そんなあからさまな嘘を吐かなければならない理由が思い浮かばない。

 

「それを証明する証拠は?」

「ないわ。私の言葉以外、何一つ」

 

 証拠を示し、つじつまを合わせるのならば解る。

 言葉を尽くし、態度を持って信用を勝ち取ろうとするのならば解る。

 だが、アリスはそのどれもを選択しない。

 ただ、事実だから語っているだけ。そんな風にしか思えないほど、気軽なまでの物言いで真偽の解らない情報を次々と投げ込んで来る。

 これが小さな帆船ならば、すでにその重みで自沈してしまっているかもしれない。

 

「それでは、そこの少女を魔界へ連れて行かせようとする理由は?」

「貴女たちは、助けた聖人と幻想郷で暮らすつもりなのでしょう? だったら、異変の主謀者は一度退治されないと話が進まないわ」

「異変、だって?」

「そう、異変よ」

 

 飛倉の破片を持って現れた東風谷早苗と名乗る少女は、復活した聖を退治すると言っていた。

 その理由を、アリスは幻想郷で生活を始める契機にする為だと語る。

 この世界の摂理は、情報を集める過程である手度は揃えている。騒ぎを起こした元凶として裁かれるのは納得がいかないが、存在を流布するという意味では有効な手順だろう。

 

「異変を解決するのは、人間の役目。彼女にその役を与え、君は見分役として付き添う。そういう事なんだね」

「私はもう、貴女へ恩を売り終えているわ。早苗たち人間との対決も、魔界から帰って来た後で構わない。最初に言った通り、決めるのは貴女よ。ナズーリン」

 

 恩を売り終えたと語りながら、アリスは情報という更なる恩を差し出して来る。

 自身の利益を語りながら、彼女はその実何一つ益にならない情報を開示する。

 これが、それなりに付き合いの長い霊夢や魔理沙、或いはレミリアやパチュリー辺りであれば、彼女の言動に疑問を持つ事はなかっただろう。

 アリス・マーガトロイドという魔法使いは、そういう女だ。この一言で、全てが片付けられてしまうのだから。

 だが、付き合いの浅いナズーリンは違う。

 能面のような変わらない表情から差し出される彼女の表の真意すら読み解く事が出来ず、無用な疑いや不審を抱いてしまう。

 

 彼女たちの同行を拒否する事は容易い。そうした場合の不利益も、今のところ見えては来ない。

 だが、もしもこの女がそれを望んだ上で今までの話を聞かせたのだとすれば。

 もしも、隣に居る緑髪の人間や飛倉の破壊犯も全て共犯であり、こちらの把握していない別の目的があるのだとすれば。

 こうして私を混乱させ、周囲への注意を散漫にさせる事こそが真の目的なのだとすれば。

 どうする。どうすれば良い。

 くそっ。聖の救出まで後一歩というところで、まるで先が見えなくなってしまったぞ。

 

 彼女の真意が解らない以上、要請に従うしかないナズーリンは内心で苦渋の決断を下す。

 七色の人形遣い、アリスマーガトロイドという存在を理解出来ない。

 言葉巧みに他者を惑わし、疑心と懐疑を植え付け意のままに操ろうとする正体を見せない謎多き女性。

 この女こそ、魔女と呼ぶに相応しい。

 

「……魔女め」

 

 せめてもの抵抗として、その卓越した手腕と悪魔の如き知略への称賛と皮肉を込めて睨みつける。

 しかし、そんな虚しい反抗も目の前の魔女にはなんの意味も持ちはしないようだ。

 最早語る事はないとでも言いたげに、アリスは相も変らぬ無表情なままナズーリンを見下ろし続けている。

 遂に、魔界へ帆を進める事となった聖輦船とその乗組員たちの冒険が、波乱を含んだ航海となる事は間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 七色に輝く結晶の中、僧侶は一人祈りを続ける。

 人に救いを。

 妖怪に救いを。

 世界の全てに、どうか明日を目指せるだけの一筋の救いの光を。

 尊く、強く、揺るがない鋼の意思を持って、深い深い世界の底で彼女は天へと祈り続ける。

 

 ねぇ、綺麗で可愛い魔法使いの和尚さん。

 きっと、あの娘はここに来るから。

 そしたら、貴女には約束を果たして貰うわ。

 どうか、あの娘の事をお願いね。

 

 僧侶の脳裏に、とある女性と語り合った一つのやり取りがよぎる。

 

「来てはいけない……」

 

 祈りを続ける女性の口から、悲痛な想いを封じた言葉が零れる。

 

「貴女はきっと、選択肢を誤る……」

 

 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、見事戻って来た者のみを育てるという。

 だが、試練と称し何も知らぬ幼子に死が待つだけの苦難を押し付ける事に、一体なんの意味があるというのか。

 

「アリス・マーガトロイドさん。貴女は、この地に訪れてはいけない……」

 

 しかし、封印された聖者がどれだけ言葉を尽くそうとその祈りが届く事はない。

 何故なら、この女性は「姉」や「師」の経験はあれど、「母」になった事は一度としてないのだから。

 故に、僧侶は「彼女」を理解出来ない。

 

「もしも、貴女がこの地へ訪れてしまうのであれば、私は「彼女」との約束を果たさねばならなくなる……」

 

 僧侶は一人、縛られた結晶の中で避けられぬ未来を憂う。

 

「もしも、貴女がこの地に足を踏み入れてしまうのであれば、私は貴女に死を告げる事になるかもしれない……」

 

 だからどうか、そんな不幸な結末を避けて欲しい。

 何時かの昔、この地、この場所で出会い、そして授けられた試練の審判としての役割を果たす時が、間近にまで迫っている。

 動けぬ女性に逃げ場はなく、話に聞く人形(ひとがた)の少女はきっと逃げない。

 故に、未来はすでに定まっていた。

 何人たりとも、「彼女」の描いた絵図面を崩す事は出来ない。

 音はなく、静寂が支配する暗く冷たい深淵の縁で、聖者は一人願い続ける。

 光を受け入れ、魔を受け入れ、朽ちぬ身体と老いぬ命を手に入れた一人の僧侶の祈りは続く。

 例え、とある一人の少女の前に避けられない絶望が待ち受けていたとしても、その先に必ず救いの光がありますようにと。

 全ての世が、ほんの少しだけ優しくなりますようにと。

 人を愛し、妖怪を愛し、世界を愛する聖人の祈りは、やがて天へと届くまで続けられるだろう。

 いずれこの地を離れた先であろうと、彼女の救いを願う祈りが止まる事はないのだから。

 




ナ「なんて恐ろしい女なんだ、アリス・マーガトロイド……っ」
ア「え? 何が?」

必ず殺すと書いて必殺。
死亡フラグって、積み重ねるだけワクワクして来ますよねっ(無慈悲)

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