しかも、露骨なエロス回。
苦手な方は注意です。
走っている――私はただ、走り続けている。
恥も外聞もなく、私は全力でひた走っていた。
もつれそうになる両足を必死に回し、前へ、少しでも前へと意識だけでも背後の存在から離れようとする。
どうして、どうしてこんな事に――
悩むだけ無駄な思考は、それでも止める事が出来ない。どうして、どうしてと、際限なく疑問と理不尽に対する不満が溢れては、口にも出せずに心の奥へと消えていく。
しかし、そんな無益な疑問符と吐き出される息に意識を取られた代償は、目の前に白塗りの壁という現実として姿を現してしまった。
追い込まれた!?
この庭で、この私が!?
この私――魂魄妖夢が丹精込めて剪定し整えた白玉楼の庭だというのに、まるで初めてこの場所に訪れた迷子のように、四つ角の隅へと誘い込まれていた。
「妖夢」
「ひっ」
ジャリッ、という玉砂利が擦れる音と共に、背後からあの人の無機質な声で名を呼ばれ、私は吃音を出して振り向くと同時に背後と腰にはべらせた刀の柄を握り込む。
妖怪が鍛えた楼観剣と、迷いを断ち切る白楼剣。
客人に――しかも、私の主である幽々子様や、私自身の友人とも呼べるような方に刃を向けるなど、正気を疑うほどの無礼だという事は重々承知している。
しかし、この程度で相手が止まるなら、そもそも私は逃げ出してはいない。
案の定、その方は私の殺気など柳に風と受け流し、私へと歩み寄って来た。
アリス・マーガトロイドさん。
青と赤の人形を傍に浮かせた、金髪の少女。
色白で、携える人形と同じ綺麗な肌をした、自分などとは比べるまでもないほどの可憐さを持つ聡明な御方。
たとえ敵わずとも、誇りは残す。
奥歯を噛み締め腰を落とす私に向けて、アリスさんはまた一歩と進み出た。
「観念しなさい、妖夢」
まるで瑠璃球でも込めたかに見える、心を見せない彼女の二つの青眼に映るのは、この私、魂魄妖夢ただ一人。
「――さぁ、可愛くなりましょうね」
空飛ぶ人形を傍らに、その両手の上に持たれているのは、黒を基調としたひらひらの布ばかりを取り付けた、人形遣いの少女曰く黒ごすろり服。
待って下さい、アリスさん。
私などに、そんな可愛らしい服装が似合う訳ないでしょう!
白玉楼の庭で、
◇
――おっと、先日白玉楼にお邪魔した時の事を思い出して、ぼーっとしてしまった。
あの時、自分には絶対に似合わないと、衣装を着るのに全力逃走を図った妖夢は、可愛かったなぁ。
いかんいかん。思い出に浸るのも良いが、まずは目の前の難題を片付けなければ。
今朝早く、家の軽い模様替えを思い立ち、リビングに飾った幾つかのインテリアを地下室で作製したものと交換した私は、二階の自室で深く思い悩んでいた。
何時も寝ている私のベッドの近くにあるのは、三つの写真立てと数冊のアルバム。
アルバムには、先日紅魔館で撮ったドレス魔理沙や、宴会で酔っ払いふにゃけた笑顔になった霊夢。
三日三晩、不眠不休で作製した宴会の景品を白玉楼に届けた際、早速着替えて撮らせて貰った、幽々子と妖夢のツーショット。
お近付きの印に贈った、縦編みセーターとロングスカート姿のパチュリーや、ネコミミと肉球ハンドを装着し、ノリノリでポーズを取る紫。
その他、幻想郷の少女たちの一瞬を切り取った写真の数々が、私のアルバムには大量に納まっていた。
実は、私は家から外出する時に限り、上海や蓬莱以外でとある人形を一緒に連れている。これは、一部の者しか知らない私のトップシークレットだ。
私が作製した撮影用人形、うぜぇ丸。
手に持った写真機と人形の表面には、河童の
欠点を上げるとすれば、作った本人である私でさえ、その顔がちょっとウザく見える所ぐらいか。
勿論、これらの写真はどこかの文屋のような隠し撮りや盗撮の類ではない。被写体に、必ず「一枚撮らせて頂いて良いですか?」と一言尋ねてお願いするのは、一カメコとして基本中の基本だ。
まぁ、相手が覚えていなかったり、聞いていなかったり、相方が勝手に許可を出している場合もあったりするが、そんなものは些細な問題である。
朝、目が覚めると同時にお気に入りの写真を目に留め、幻想郷での生活を噛み締める瞬間は、私にとってなにものにも変え難い幸福の一時となっていた。
しかし、大量に置いてもごちゃごちゃしてしまってありがたみが薄れてしまうので、ベッドの傍に置く写真立ては三つだけと決めている。
私の脳内は、そのたった三つの席を争い、今も喧々諤々の大討論が続いていた。
このゆゆみょんは、あざといから可愛いの!
はぁ!? 酔っぱ霊夢超えれねーし。
テレ顔魔理沙ディスるとか、屋上だな!
むきゅう!? お前らふざけんな!
いや、それより紫を――
………………………………………………
――はっ、しまった。
アルバムの写真だけに気を取られていたが、今日の行事で更に写真が増えるじゃないか。
私は、写真立てをそのままにアルバムを本棚へと戻すと、手早く外出の準備を整えて家を出た。
宴会の時霊夢から質問されたように、恐らく日本の内陸に位置するだろうこの幻想郷に、海はない。
だが、実はその表現は適切ではなかったりする。
海は――幻想郷へやって来る。
「
この現象は、大体三ヶ月周期ほどで発生し、短くて三日、長くて一週間ほど続いて元へと戻る。
博麗大結界を張った影響とも、それ以前から存在していた霊脈による異変だとも言われているその怪現象時、上空の蜃気楼と対照して変化した湖に現れるのは、全身真っ黒な影の魚群と同じく影の海藻類。
岩肌を透過して現れ、反対側の岩へと消えていく私から見て
魚たちや海藻は水揚げされると、影の形をそのままに実体を身に付けて出現し、幻想郷に海の幸を届けてくれる。
人里の人間にとっては、妖精や妖怪の跋扈する地で作業を行う危険な漁となる為、海水から取れる塩を含めて外の世界よりは少々割高になるが、旬の贅沢として楽しむ分には海の魚介類や海藻も幻想郷には十分浸透していた。
出現する時期によって海域が変わるのか、水の温度や取れる魚に違いがあったり、時折とんでもなく奇怪なものが水揚げされたりと、中々面白い摩訶不思議現象なのだ。
出現する時期が少々不定期であり、留まっている時間も長くない事から、効率重視で食用には余り向かないクラゲやフグなどは無視されるので、あの時の霊夢の質問もあながち間違いではない。
さて、ここまで語れば皆様はもうお気付きだろう。
幻想郷に海が来る。そして、今は夏真っ盛り。
だとすれば、やる事は一つ――そう、海水浴だ!
ただの人間には見る事の叶わない、幻想郷最強の美少女たちが送るひと夏一度の競演。
これを撮らずに、一体何を撮れと言うのか。
フフフッ。今日のうぜぇ丸は、一段と血に飢えておるわ(鼻血的な意味で)。
傍らに本日の相棒を据え、獣の如くギラつく心にクールを呼び掛ける私、アリス・マーガトロイドは、己の戦場となる場所へ向けて勢い良く飛び立つのだった。
◇
「ふふふっ、今年もこの時がやって来ました。期待していますよ、ご両人」
「ま、任せておきなよ。文とアリスも、良い写真が撮れたら教えておくれよ?」
「愚問ね。私は、私の求める最高の一枚を写していくだけよ」
囚人服みたいな、白と灰色の縞々タイツ水着を着た、射命丸文。
お尻から出る丸い尻尾がプリティーな、ピンクのワンピース水着の因幡てゐ。
露出を控えた赤いセパレート姿の、アリス・マーガトロイド。
以上の三名が、一箇所に集まって不穏な空気を放っている。
非公式組織、幻想郷光画部。
残念ながら、自分の身体からコンセントを出して炊飯ジャーで白米を炊くアンドロイドは在籍していないが、いずれも劣らぬ猛者ばかりの集団だ。
最速の撮影速度を活かし、如何なるハプニング映像も逃さない、「激写の文」。
低身長を利用し、少女たちのお尻やふともも、下からの谷間などを違和感のない姿勢で撮影していく、「ローアングルてゐ」。
そして、本人は動かず
文は新聞の為、てゐは人里で主に男性陣へと売る商売の為。そして私は、自分の趣味の為に。
情報や撮れた写真の交換など、多岐に渡って繋がりを持つ私たちの連合は、利害の一致により鋼に勝る結束で結ばれていた。
度が過ぎる写真を見付けた場合には、私が差し止めを行うか紫にチクッてネガごと奪取して貰っているので、その活動は刺激はあれど至極健全な範囲で行われている。
今回の海水浴でも、私たちが写真を撮る事は全員が承諾済みだ。
まぁ、そんな事はさて置き本日のメンバー紹介に移ろう。
文たちを含め、一部を除くメンバーは私の作製した水着を着用している。
本当は、人里の服屋にも技術提供を行って、お互いに切磋琢磨していきたいと思っているのだが、幻想郷では水着の需要は著しく低い。
人里に住む人間の間では、水遊びがしたければ全裸か下着で十分という認識が強く、「水に入る為のおしゃれ」を必要としていないのだ。
そんな訳で、私の意地と少女たちへの女子力向上の為、この件に関しても私が一肌脱いだ形となる。
水面で、花柄の浮き輪に乗ってプカプカと流れに身を任せている、右胸に陰陽玉のマークを入れ、右肩から斜めに入った線で上下に赤白の色分けをされた、ワンピース水着の霊夢。
何時も動き回っている為か、脂肪の少ない健康的な身体で片腕を回し、遊ぶ気満々で太陽に匹敵する眩い笑顔をしているのは、黒と黄色を主体とした動き易い競泳水着姿の魔理沙。
運動好きという事で、門番の仕事に休暇を貰ってやって来た、スポーティーなショートタンクにホットパンツ姿の美鈴。
向日葵柄のビキニに長いパレオを腰に巻き、その完璧なボディを惜しげもなく晒して髪を掻き上げる幽香。
沢山のネコの顔がプリントされたタンキニを着こなしつつ、美鈴と共に準備体操に余念のない橙。
敷物に座し、さらしとふんどしという潔さと漢気の溢れる恰好をした、藍と萃香。
「てゐったら、あんなに悪どい笑みを浮かべて……変な悪戯とかしなきゃ良いんだけど」
てゐと同じウサギの尻尾がお尻に付いた、腰にフリルを巻いたピンクのワンピースを着て溜息を吐くのは、月から逃げた
「はぁっ……幽々子様。私は一体、どうすれば良いのでしょうか」
晴れた空を見上げて、呆然とここには居ない主へと問い質す、白地に桜柄を描いた背中の大きく開いたモノキニタイプのワンピースを肌に巻く、白玉楼の庭師兼剣術指南兼炊事係。うっかりみょん侍こと魂魄妖夢。
何この理想郷。
とりあえず、一度拝んだ方が良いですかね?
内心で幸福の絶頂を体感しながら、私はうぜぇ丸を使って彼女たちの素晴らしい晴れ姿を残そうと、次々と写真へと収めていく。
各陣営のトップが来ないのは、水着への羞恥心故か、はたまた別の理由からか。
生憎、都合や連絡が付かなかった人外組み。太陽が苦手な吸血鬼と、その世話を行う従者。引きこもり魔女っ娘などが来ないのは仕方がないとして、お祭り好きな守矢一家が居ないのには理由がある。
なんでも、今日は今回の「
山の神様に、海の出来事を頼んでもご利益があるのかは疑問だったが、早苗曰く「信じる者は、勝手に救われるから大丈夫です」との事なので、まぁ本人たちがそれで良いのなら問題はないだろう。
で、なぜ守矢は働いているのに博麗の巫女はここに居るのかと聞かれれば、彼女もれっきとした人里からの依頼でこの場所へと来ていたりする。
霊夢の直感は、特に異変に関して異常なほどの的中率を誇る。その直感によって、前回との違いや出現しているおおよその日数などを読み取り、人里の漁師へと報告するのだ。
遊び半分で仕事の出来る霊夢に、早苗が涙を流して悔しがったのは言うまでもない。
「うどんげ、向こう岸までの往復で勝負だぜ! 負けたら人里でカキ氷おごりな!」
「ちょっ、いきなり始めるとかずるいわよ! 待ちなさい魔理沙!」
「んぐっ、んぐっ――ぷはぁっ! 夏の太陽と乙女たちを肴に酒を飲むのは、まったく最高だね!」
「萃香様、貴女は何時でも呑んだくれてばかりでしょうに。橙、今回お前に憑けた耐水性の式は、何時もの式より妖気の消費が相当に激しい。ゆめゆめ油断はするなよ」
「はい! 心得ています、藍様!」
「前から思っていたけれど……貴女って良い身体しているわよね、美鈴。ふふふっ」
「お、落ち着いて下さい、幽香さん。誤解を招きそうな発言ですが、明らかにその目は戦闘者の目付きです――ま、魔理沙、私も参加するわ! 待って!」
照り付ける太陽、弾ける水飛沫、はしゃぎ回る乙女たち。
スイカ割りをして、幽香が木刀で二重の極みばりに地面を吹っ飛ばしたり、途中から参加した普段着チルノが釣竿で巨大なクジラと格闘し、手伝っていた美鈴と橙を伴って水の中に引き摺り込まれたりと、面々は博麗神社の宴会と勝るとも劣らない、
「あやややや。やはり皆さん素晴らしい! 今月の新聞大会は、間違いなく私の圧勝ですよ!」
「うさうさうさうさ。これが一体幾らの儲けになるか、考えただけで笑いが止まらないよ!」
欲まみれな光画部のメンバーも、彼女たちのベストショットを求めて空に陸にと大忙しだ。
私も負けていられないと、接続したうぜぇ丸を誰かの元へと飛ばそうとした時、一人陸で体育座りをしたまま水面を眺める、妖夢の姿がある事に気付いた。
「どうしたの?」
「あ……アリスさん」
快晴の天気にあって、一人だけどんよりとした曇り空の表情を私へと向ける妖夢。
どうでも良いが、こんな時にまで腰の刀を手放せない彼女に、お前はどこのボルボ西郷だと言いたくなってしまう。
「幽々様に、「楽しんで来い」と言われて送り出されたのですが……普段は庭の手入れか剣の修行しかしていないもので、どうやって楽しんだものかと思案している次第でして」
「魔理沙たちと一緒になって、好きに騒げば良いじゃない」
「はぁ……」
どうも、あの
「いったれ、美鈴!」
「すぅー……はぁっ!」
「うぉ~! 水柱すっげぇ!」
「藍さまの次くらい恰好良いです、美鈴さん!」
魔理沙の声援を受けながら、美鈴が水面に掌打を打ち込んで水の飛沫を高々と上げ、チルノと橙が目を輝かせてそれを見上げる。
「ふん、まだまだね――えいっ!」
「おい、幽香のバカ! 津波が起こってるじゃないか!」
対抗意識を出したのか、幽香も同じようにして水面を殴ると、美鈴と違って一点に収束された力でない為に衝撃が拡散し、四方へと大波を引き起こしてしまう。
「あ、霊夢が波に飲まれた」
海水の湖全てに伝播した波に逃げ場などなく、遠くで水面に浮かんでいただけの霊夢も乗っていた浮き輪ごと転覆して姿を消した。
先に浮き輪だけが水面に浮上し、続いて上がって来た霊夢の両目は、鈍く沈んでいながらギラギラと輝いた完全なデストロイモード。
「げ、鬼巫女が来るぜ! 皆、逃げろー!」
「橙ちゃん、こっち! 急いで逃げるよ!」
「は、はい。ありがとうございます! 美鈴さん!」
巫女の襲撃を前に、慌ててその場から離脱する一部の少女たち。
「あ・ん・た・ら~!」
「あたいは最強だから、霊夢なんて返り討ちにしてあげるわ! ――へぶしっ!?」
「え、ちょ、私は見てただけ――わぎゃ~!」
霊夢を迎え撃とうとして、飛び蹴り一発で自分が返り討ちにあうチルノと、無実の訴えを無視され霊撃の直撃を受けた鈴仙が、仲良く水底へと没していく。
「あっははははははっ! よっしゃあ、来いやぁ霊夢! 勝負、勝負ぅ!」
大爆笑の後、ラスボスの貫禄をまとって霊夢と対峙する萃香。
その場のノリだけで始まる、人間と妖怪の頂上決戦。
爆ぜる水面、飛び交う怒号と歓声――後は最早、語るに及ばず。
……うん。
まぁ確かに、生半可なテンションであの中に入るのは、少々自殺行為かもしれないかな。
藍しゃまとか、完全に傍観決め込んでるしね。
「だったら、さっきの霊夢みたいに水面に浮かんでいたら? 身体の力を抜いて漂うだけでも、この場を「楽しむ」事は出来るわよ。他には――」
「……違うんです、アリスさん」
折角遊びに来ているのだ。妖夢にも楽しんで貰おうと色々案を出そうとした私を、半人半霊の少女が引き止めた。
「私は、あの人たちやアリスさんのように、綺麗じゃないから……」
は? 何言ってんのこの少女。
貴女が綺麗じゃなかったら、綺麗なんて言葉は存在しない方が良いよ。
「誰かに、そう言われたの?」
「いいえ。誰にという訳ではなく、私がそう思うのです」
良かった。いや、良くはないが、またチルノの時のように誰かからバカにされたとかじゃなかったので、その点だけは良かったと言って良いだろう。
もし、妖夢が同じ状況だったならば、上海と蓬莱を使ってその相手に対し「鼻フックデストロイヤーの刑」か、両耳を抓って上を向かせ続ける、「富士山見えますかの刑」を実行しなければならない所だった。
妖夢の語りを総合すると、どうも自分だけ皆より容姿が劣っていると思い込み、気後れから輪の中に入れないという事なのだろう。
うん、自分の価値を知らない娘って恐いわー。
しかし、これはある意味深刻な問題だ。
妖夢自身が、自分の容姿に対して自信を持てない限り、他の皆にずっとこうした劣等感に近いものを抱え続けなければならないとなれば、何かの拍子で危うい方向にも進みかねない。
「アリスさん。私はここで十分暇を潰せますから、アリスさんは気にせずこの「海」を楽しんで下さい」
だが断る。
私が右手を空に向ければ、傍に居たうぜぇ丸人形から
「妖夢」
「はい?」
口下手な私が、君に行動とその結果で教えてあげよう。
過去、一人の少年が辿り着いた一つの真理。名言という一文で伝えられる、今の貴女に最も相応しい言葉だ。
「貴女の写真を、撮らせて貰っても良いかしら?」
良いかい、妖夢。
自分を変える明日とは、今さ――
◇
自分は、一体何をしているのだろう。
「「
太陽が出ているというのに、アリスさんは私の周囲に魔法で作った幾つもの光球を放ち、人形たちに持たせた光を反射する板(れふ板というらしい)によって、私に当たる光の加減を細かく調節する。
「身体を横に、左足を軽く曲げて、両腕は胴に――そう、顔を上げて、あごを少し下げる――剣術をやっているから、妖夢は姿勢がとても堂に入っているわね」
「お、お世辞はやめて下さい」
「本心よ」
本人は本心のつもりでも、無表情のまま送られるアリスさんからの賛辞は、中々に受け取り辛いものがある。
修行ばかりの日々を送り、こうして誰かと外で遊んだ経験など殆ど存在せず途方に暮れていた私に近づいて来たのは、私が少々苦手とする人物、アリス・マーガトロイドさんだった。
何を考えているか読めない相手である上、良い意味でも悪い意味でも行動が予測出来ない彼女からの提案によって、私は今、私だけを対象とした撮影会を行っていた。
顔が熱い。正直な感想を言えば、恥ずかしさで顔が茹ってしまいそうだ。
アリスさんの本気を感じてか、周りの皆さんも遠巻きに眺める人はいても、私たちに近づこうとする者はいない。
なぜ、アリスさんは私などを……
「顔、下がってるわよ」
「あ、すみません……」
注意され、無意識に下げていた首を元へと戻す。
「あの……これは、一体なんなのでしょうか?」
「強いて言えば、勝負かしらね」
事態の流れが把握出来ず私がアリスさんに問えば、彼女は写真機のすいっちを押し込んだ後、ふぃるむを回しながら淡々と答えてくれた。
「勝負?」
「貴女は、自分の容姿が皆に劣ると言った。私はそれを否定したい。これは、それを証明する為の勝負よ。次は刀を鞘ごと抜いて、胸に抱くようなポーズを取って頂戴」
感情を乗せず、事務的な口調で説明しつつ次の姿勢を要求するアリスさん。
彼女の言葉を聞いて、私はようやく今の状況の意味を察する事が出来た。
成程、これは勝負なのだ。
幾ら上質の玉鋼でも、三流の鍛冶師が打てばなまくらが出来上がる。逆に、どれだけ腕の良い鍛冶師だったとしても鉄屑から名刀は生まれない。
つまり、アリスさんはこの魂魄妖夢という鉄屑から、名刀と呼べるほどの一枚を撮ろうとしているのだ。
私が納得出来るほどのものが撮れれば、アリスさんの勝ち。それが叶わなければ、私の勝ち。
鉄屑には、鉄屑なりの意地がある。
アリスさんという、高名な鍛冶師がこの身を求めるならば、私も真摯な態度でその想いに応えなければ。
「表情が良くなったわね。敷物を敷くから、今度はそこに寝そべってみましょうか」
「はいっ」
相手に応えるならば、羞恥心は捨てるべきだ。
剣も振らず、殺気も殺意もない場所だが、ここは戦場なのだ。
そして、敵は己自身。
私は、私の容姿に価値を見出そうとするアリスさんへの感謝として、その指示を完璧にこなそうと動く。
照り付ける日差しの下、たった二人で行われた夏の撮影会は、皆の海水浴が終わるまで続けられた。
◇
「あらあらまぁまぁ、素敵な写真ばかりねー」
「……」
後日、白玉楼にあるばむとして届けられた写真の数々を見て、幽々子様は大層ご機嫌だった。
しかし、幽々子様の隣に座り写真を拝見させて貰っていた私は、主に反応を返す事が出来ない。
水面を背に、天女もかくやという美しさで水着を晒す、一人の少女の写真。
足を伸ばし、地面へと縦に置いた刀に縋り付く、天を見上げるその妖艶な色香。
軽く腰を捻り、困ったように首を傾げた、はにかむ笑みを見ている者へと送る見惚れるほどの年相応な表情。
知らない。自分は、こんな娘なんて知らない。
こんなに綺麗で、美しくて、可憐で――
写っているのは紛れもなく自分のはずなのに、私の意識はそれを認める事が出来ない。
私は、こんな表情が出来るのか。
私は、こんなにも素敵な姿を外へと晒せるのか。
「何だか、皆に自慢したい出来だわー。今度の宴会の時に、持って行こうかしら」
「っ!? ゆ、幽々子様! 後生ですから、それだけはご勘弁下さい!」
とんでもない事を言い出す幽々子様を、全力で阻止しようと即座に三つ指突いて頭を垂れる私。
こんなものを誰かに見られたら、羞恥心でどうにかなってしまう。
しかし、私の懇願に幽々子様はコロコロと笑うばかりで、真剣に取り合ってはくれない。
「えー。でも、妖夢もこの写真は素敵だって思うでしょう?」
「そ、そうですが……いえ、これはアリスさんの撮影技術が素晴らしいのであってですね」
「うふふ、照れなくても良いのに。やっぱり、妖夢は可愛いわねぇ」
「か、からかわないで下さい! 晩御飯、一品減らしますよ!」
「あら、うふふ。それは困るわー。ごめんなさい、妖夢」
口元に手を当てて私をからかいながら、子を見守る母のように優しい視線を下さる幽々子様。
これでは、私が悪者みたいではないか。
熟れた林檎のように真っ赤になっているだろう、火照る顔を鎮める事が出来ない。
この勝負、私の完敗だ。この魂の込められた写真の数々を見れば、私自身でさえ認めざるを得ない。
魂魄妖夢の容姿は、決して誰に劣るものでもない、と。
自分の中に、恥ずかしいという強い想いの中に、誇らしいという別種の感情が芽生えているのが解る。
私は、こんなにも素敵な少女なのだという、確かな自信だ。
今度会ったら、改めてお礼を言おう。
「あら、まだ他にも入ってるみたいね」
「あ、本当ですね」
幽々子様に言われ、あるばむの入っていた袋を探れば、そこからもう二点。丸めて収められた大きな写真と、その写真を入れる為だろう組み立て式の額縁が、分解された状態で入っていた。
巻かれた写真には小さな紙が貼られており、そこに書かれている文字は、ただ「自信作」という単語だけ。
今でも十分に敗北を感じているというのに、あの方は本当に容赦がない。
「まぁ、「自信作」ですって。早速見てみましょう?」
「はい――ぶっ!?」
期待に胸を膨らませて、巻物と同じ要領で引き伸ばせば、そこに現れた写真は海水浴より少し前。宴会の景品として届けられた、幽々子様と私の分のごすろり服に袖を通し、二人で一緒に撮られたあの時の写真だった。
ふりふりだらけの衣装を着て、恥じる事なく笑顔で堂々と指定された仕草をする幽々子様と、これ以上なく顔を赤く染めた私が、がちがちになりながら対象的な仕草を取るという切腹ものの一枚。
「あら、本当に素敵ねー。額縁も一緒に送ってくれた事だし、居間に飾っておきましょうか」
「幽々子様ー!」
幽々子様の提案を遮り、私の慟哭が白玉楼を響き渡る。
やはり、私はあの人が苦手だ!
◇
いやぁ、撮った撮った。
今年も、素晴らしいほどの大漁だった。
ほくほく顔が出来ないのは残念だが、私の心は至福の時間を堪能した事で満たされていた。
しかも、今年は勢いとはいえ妖夢との個人撮影会までしてしまい、もう明日には死ぬんじゃないかと思えるほどの幸運を使い果たした気分だ。
私の持つ撮影技術は、紅魔館の大図書館で勉強したものだ。
特定の人物や動物など、モチーフのある人形やぬいぐるみを作る場合、細部にまでこだわるには様々な角度からモチーフの特徴を捉えた写真が不可欠である。
幻想郷の少女たちは皆が水準以上の美しさを持つ故に、生半可な腕前では彼女たちに失礼だと考えている私は、今もなお日々の研鑽を重ね続けている。
私が頑張って撮った写真を見て、少しでも自信を付けてくれれば嬉しいんだけどねぇ。
こればかりは彼女次第なので、これからはちょくちょく白玉楼へお邪魔して、妖夢に女子力の素晴らしさを伝授していこう。
そんな事を考えながら、食器を洗ってリビングに戻ると、今まで居たはずの文とてゐの姿がなくなっていた。
机に展開された私の撮った数々の写真から、幾つかのものがなくなっており、代わりとして彼女たちの撮ったであろう写真が、私のものとは分けて別の位置に置かれている。
霊夢から叩き落される寸前、表情を絶望に染める迫真の魔理沙。
突然さらしの解けた藍に、背後からファインプレーで手ブラガードを行う、必死な形相の橙。
前屈みになってお尻を突き出し、パンツの食い込みを直すさまを、身体全体を写す形で背後下から撮られた鈴仙。
一体どうやって撮ったのか、かなりの近距離での撮影に成功した、正面ローアングルからの幽香。
私の趣味とは少々合わないが、相変わらず二人とも良い仕事をする。
同士への尊敬とライバル心を高めつつ机を片付けると、私は決着の付かなかった自室の写真立てに入れる至高の三枚を選ぶ作業へと戻っていった。
まったく、幻想郷の少女は最高だぜ!
◇
追記。
後日、文によって発行された文々。新聞は、人里、人外を問わず類を見ないほどの大盛況だった。
妖怪の山で開催されている新聞大会でも文は見事月間の優勝を果たし、気持ち悪いほどの笑顔で知り合いの大勢へと自慢していた。
その時に、妖夢の素晴らしさを皆に知ってもらおうとゆゆみょんのゴスロリ衣装写真を提供した事で、私が抜き身の刀を両手に持って涙を流す半人半霊から襲撃を受けるのは、また別のお話し。
屁理屈こねて、幻想郷に海を持って来た結果がこれだよ!
待って下さい、まずは私の話を聞いて下さい。
聖白蓮のキャラを掴もうと、手塚治虫の「ブッダ」を平沢進の「Lotus」を聴きながら読んでいたんです。
すると、私の前に悪魔(マーラ)が現れ、ビキニ水着のナムさんというとんでもないものを見せたのです。気付いた時には、私はこの話を書き上げていました。
つまり、全ては悪魔(マーラ)の責任なのです!
よし、言い訳終わり。
次は普通に戻って、魔理ちゃんか咲っちゃんを書く予定です。