東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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84・信仰は虚しく、救世は遠く

 落下する霊夢を追い、地上を目指していた魔理沙と早苗がその光景を見つめていた。

 恐らく、元々は人間の手の入っていないありふれた草原だったのだろう。

 無数に散らばる巨大な窪地、切断された大岩、根元から吹き飛んだ巨木。

 幾つかの箇所では、未だに黒煙が立ち昇り続けている。

 散々に自然が蹂躙された戦場跡。普通の妖怪や妖精が争った程度では、ここまでの情景は作れまい。

 

「おいおい、誰が暴れたんだよ。萃香か?」

「そんな事より、霊夢さんの無事を心配しましょう。あの高さから落ちて、怪我だけで済むとは思えません」

「アイツの悪運はとびっきりだよ。見ろよ、受け止め役が下で準備してたらしいぜ」

 

 墜落した霊夢を伸ばした左腕の羽衣で優しく包み込んでいるのは、過去の異変にて邂逅したリュウグウノツカイだ。

 

「なんで衣玖さんがここに? まさか――やっぱり、アリスさん!」

「おわっと!」

 

 地上すれすれの地点で抱えていた魔理沙を放り投げた早苗は、衣玖の右腕から伸びる羽衣に巻かれながら、平原に一つだけある大岩で寝かされている人形遣いへと走り出す。

 左腕を失い、残った右腕をだらりと垂らして動こうとしていないが、どうやら気絶している訳ではないらしい。

 

「衣玖さん! アリスさんと霊夢さんは無事ですか!?」

「まぁ、見ての通り無事とは言い難いですね。とはいえ、無茶をしない限り死にはしないでしょう」

「そうですか、良かった」

「安心するのはまだ早いぜ、早苗」

 

 安堵の溜息を漏らす早苗の隣へ後から追いついた魔理沙が、アリスたちの居る更に先を睨みつける。

 魔理沙たちに遅れて地上へと降り立ったのは、博麗の巫女を下した魔界からの帰還者。この異変の元凶である封印された魔法使い、聖白蓮。

 

「どうやら、役者は揃っているようですね。善哉(ぜんざい)善哉(ぜんざい)

 

 それぞれの戦意によって熱のこもる戦場にあって、気負いも気迫もなく穏やかに佇む魔性の聖母。場違いなほどにこやかに笑みを浮かべるその心中は、如何なるものか。

 

「魔理沙、早苗。霊夢の治療が終わるまで、時間を稼いで貰えるかしら」

 

 下りて来た面々の状態だけで、今の状況を把握したのだろう。

 衣玖の羽衣の解かれたアリスが気絶した霊夢を抱き寄せ、魔理沙と早苗に指示を出す。

 

「へへっ、別に倒しちまっても良いんだろう?」

「お任せ下さいっ。この東風谷早苗、何時だって全力です!」

 

 魔理沙が八卦炉を、早苗がお払い棒を己の正面へと構える。

 霊夢が異変にて敗北した強者。

 スペルカード・ルールが制定された後、その偉業を成し遂げた最初の人物。

 そんな相手に、勝ち筋など考えるだけ無駄だ。

 結局、やるべき事は変わらない。本気で挑み、全力で楽しむ。

 無謀と勢いは、若さの特権だろう。

 合掌の姿勢を解き、臨戦態勢を整えた魔僧へ向けて二人の少女の突貫が開始された。

 

 

 

 

 

 

 全身に走る痛みを感じ、まどろみの中から目を覚ます。

 そういえば、衣玖の雷撃を食らって気絶したのだと思い出し、目を開けたそこには未だ天女が心配そうな表情でこちらを見下ろしていた。

 

「ぅ……」

「あぁ、良かった。アリスさん、大丈夫ですか?」

「……身体が痺れるわ」

「う゛ぅ……すみません」

「冗談よ」

 

 冗談で済んでいる分には、全て冗談で良い。

 彼女に悪気がない事は、ちゃんと解っている。

 

 お詫びとして、キャリアウーマンコス撮影会で勘弁してやろう。

 衣玖って胸とか尻とか色々バインバインだから、サイズの小さい服を着せると「うわ、すっげぇ」以外の感想が出なくなるんだよね。

 フヒヒ、想像するだけで今からたまんねぇぜ。

 

 期せずして舞い降りた幸運に、私の内心はほくほく顔だ。

 そんな喜びの中で視線を下に移せば、衣玖の右腕部分から伸びた羽衣が私の全身に巻き付いていた。

 どうやら治療の一環らしいが、ミイラ状態で拘束されているのでまったく動く事が出来ない。

 

「魔力や体力の消耗が明らかに危険域だったので、私の妖気を変換して貴女にお渡ししています。今しばらくは、そのままでお願いします」

 

 さらっと言ってるけど、妖気を魔力に変換するってオレンジジュースをリンゴジュースにするようなもんだよね。

 衣玖さんパネェ。

 聖☆お姉さんは逆に妖気を魔力に変換して吸収出来るらしいけど、原理ってどうなってんの?

 

 衣玖にしてみればただなんとなく習得した程度の感覚なのだろうが、私からしてみれば驚きと尊敬の念ばかりが浮かんでしまう。

 

「「復活(リザレクション)」」

「天界での治療も視野に入れていましたが、どうやらその様子だと大丈夫そうですね」

 

 衣玖から与えられる魔力を使い、私もまた治癒の呪文を発動させる。

 この呪文は肉体の疲労を回復し、体力を復調させる効果もあるので、それほど時間を掛けずに起き上がる事が出来るようになるだろう。

 

「――?」

 

 そんな事を思いながら空を見上げた私の瞳に、茜色の中から何かがこぼれ落ちている光景が映る。

 目を凝らし、それが博麗の巫女である霊夢であると理解したのは数秒後の事だ。

 

「衣玖!」

「えぇ、解っています」

 

 私の呼び掛けに、衣玖は霊夢を受け止めるべくその真下へと左腕から垂れる羽衣を更に延ばす。

 しかし、その救援は無駄に終わる事となる。

 

「本当に、博麗の巫女の出鱈目振りには呆れて声も出ませんね」

 

 霊夢は浮いていた。羽衣に受け止められる事なく、一瞬だけ跳ねるように宙へ浮かんだ後に羽衣へと落ちる。

 

「完全に気絶しているにも関わらず、地面に直撃する直前で一瞬だけでも浮かんでのけるなんて……下手な妖怪変化などよりも余程化け物らしい」

 

 確かに同感だけど、霊夢の事をあんまりそんな風に言わないで欲しいなぁ。

 その娘が出鱈目なのは、そうなるよう育てたゆかりんが原因だし。

 

 しかし、妖怪の賢者が最高傑作と太鼓判を押せるだけの能力を身に付けるまで成長したのは、他ならぬ彼女の弛まぬ努力が実を結んだ結果だ。

 修業嫌いで有名な博麗の巫女は、その責務を負えるだけの努力をすでに終えているのだ。

 伸ばした左の羽衣が巻き戻され、私たちの側で霊夢が下ろされる。

 衣玖が霊夢の傷を確認していると、今度はまた空から自機組の魔理沙と早苗が下りて来た。

 早苗が魔理沙を抱えて飛んでいたところを見ると、どうやら白黒魔法使いは異変の最中で箒をなくしてしまっているらしい。

 

「衣玖さん! アリスさんと霊夢さんは無事ですか!?」

「まぁ、見ての通り無事とは言い難いですね。とはいえ、無茶をしない限り死にはしないでしょう」

 

 その心配が嬉しい反面、私の方が年長者の立場にあるというのに早苗にこんな表情をさせてしまった事を深く反省する。

 

「そうですか、良かった」

「安心するのはまだ早いぜ、早苗」

 

 そして――

 

「どうやら、役者は揃っているようですね。善哉(ぜんざい)善哉(ぜんざい)

 

 笑顔を浮かべ合掌の姿勢で着地する、今回の異変のラスボスである聖。

 話を聞かなくても、この光景で状況は十分理解出来る。

 まさか、まさかだ。

 博麗の巫女である霊夢が誰かに敗れる日が来ようとは、想像もしていなかった。

 確かに、異変は人間の手によって解決されるのが幻想郷のルールだ。

 しかし、それでも主謀者が八百長や手心を加えてまで負ける必要はない。

 人間が妖怪に負けるのは当然だ。だからこそ、元凶が破れるまで何度敗北しようとも挑み続ける事が許される。

 その為のスペルカード・ルール。その為の弾幕ごっこ。

 主人公たちに残機がある限り、勝負はまだ終わっていない。

 

「衣玖」

「……はぁっ」

 

 一瞬の躊躇の後、盛大な溜息と共に私から天女の拘束が外れる。

 

「魔理沙、早苗。霊夢の治療が終わるまで、時間を稼いで貰えるかしら」

「へへっ、別に倒しちまっても良いんだろう?」

 

 気絶した霊夢を抱きかかえ、残りの自機組である二人にお願いすると、白黒から何処かの無銘の英霊みたいな答えが返って来た。

 

「お任せ下さい。この東風谷早苗、何時だって全力です!」

 

 守矢の風祝(かぜはふり)の方も、やる気満々だ。

 勝率はゼロではない。しかし、やはり二人掛りでも聖を打倒する事は困難だろう。

 

「「復活(リザレクション)」」

 

 故に、こうして死人に鞭を打つような真似をしてでも、今一度幻想郷の抑止である巫女を立ち上がらせる必要があった。

 その頭を私の膝の上に乗せ、右手から起こる癒しの波動を受けて眉をしかめた霊夢をゆっくりを目を覚ます。

 

「んぅ……アリス?」

「えぇ、私よ。今、治療しているわ」

 

 左腕がないので、起き上がろうとした少女を覆い被さるような体勢で押し留め、右手の魔力光を見せる。

 幻想郷を背負う、楽園の素敵な巫女である霊夢が敗北したのであれば、それだけの理由がなければ辻褄が合わない。

 だが、触診してみた限り怪我という点でだけで言えば、恐らく霊夢はほぼ無傷に近い。つまり、純粋な弾幕ごっこで敗れた訳ではないのだ。

 私がするべきなのは、霊夢の怪我を癒す事ではない。彼女が再び立ち上がるまでの短い時間だけ、その背を支えてあげる事だ。

 

「――ねぇ。アリスは、幻想郷をどう思ってる?」

 

 やはり、空の上で聖と何かあったのか霊夢にしては非常に珍しく、私から視線を逸らして変な疑問を口にする。

 

「どうして、そんな事を聞くの?」

「私は、紫が嫌い。騒がしくてちっとも休ませてくれない、今の幻想郷が嫌いよ」

 

 繰り返される異変と宴会。その中心に居るのは何時も霊夢だ。

 何時だって自重しない住人たちに苛立つのも、口実を見つけては騒ぐ皆に嫌気が差すのも理解出来る。

 

「あいつは、幻想郷を作り変える気でいるわ。今の体制から、別の秩序を作ろうとしてる」

「えぇ、そうね」

 

 人間に恐怖を与える必要のなくなった妖怪と、妖怪に怯える必要のなくなった人間の共存。

 それはきっと、素晴らしい世界なのだろう。

 恋焦がれ、己の全てを賭して目指す目標としては十分に輝かしい未来だ。

 元より疑ってはいないが、聖の理想は正しい。

 だが、正しさだけで世界が回るならきっとあの聖人が封印される事はなかった。

 

「霊夢。意地悪だけれど、私からも同じ質問を返させて貰うわ。貴女は、どちらの幻想郷で暮らしたいかしら?」

「私は――」

 

 私の問いに、答えを出せないまま考え込んでしまう霊夢。

 

 おいおい、本当にどうした霊夢さんや。

 貴女は、そんなグローバルな問題に頭を抱えるなんて殊勝なキャラクターじゃないだろうに。

 

「霊夢。笑うべきと解ったのなら、泣くべきではないわ」

 

 眉間の皺を弛めるようにその綺麗な黒髪を撫で、かつてとある烏天狗にも告げた名台詞を送ってあげる。

 好きの反対は嫌いではなく、無関心だ。

 本当に嫌いなのであれば、霊夢はとっくの昔に博麗の巫女の役目を辞している。

 より良くしたいから、何よりも愛しているから、彼女は今の迷惑な幻想郷に悪態を吐くのだ。

 

「――私は、紫が嫌い」

「うん」

 

 先程と同じ台詞。

 だが、その裏にある霊夢の心はまったく別のものに変わっている。

 

「騒がしくてちっとも休ませてくれない、今の幻想郷が嫌いよ」

「うん」

 

 確かに、聖の理想が現実になれば救われる命は沢山あるのだろう。

 だが、その中で失われていくものは、今と変わらず確実に積み上がっていく。

 

「でも、憎い訳じゃないの」

「うん」

 

 平穏の世で、きっと幽香は人知れず枯れていくだろう。

 穏やかな日常の中で、きっと萃香は再び地下へと潜り戻ってそこで静かに果てるだろう。

 それなりに殺伐としている今の幻想郷でさえ、すでにその予兆は始まっている。

 弱者を立てれば強者が腐り、強者を立てれば弱者が食われる。互いの認識は、まるでコインの裏表のように決して縮まる事のない無情な壁が立ち塞がっている。

 聖は恐らく、そのどちらをも救おうとするのだろう。

 それがどれだけ困難であり、艱難辛苦の待つ道だと理解していても、彼女がその歩みを止める事は決してない。

 

「そうね、そうよね。答えなんて、最初から出てるもの。どうかしてたわ」

 

 霊夢の声に、力が戻る。

 価値観が違う者たちが集っているのだから、衝突する事は茶飯事だ。

 時にはいがみ合い、憎しみ合う事さえもあるだろう。

 今、正にこの瞬間がそうであるように。

 絶対の正解など何処にもない。より良い未来など存在しない。

 私は妖怪として、千年の先を生きる。

 霊夢は人間として、百年に満たぬ時を生きる。

 ならば、その短い命をどう扱うかは霊夢自身が決めて良い。「今」この瞬間を、己で選んで生きれば良いのだ。

 聖の理想に共感し、彼女と同じ道を選ぶのもありだろう。我関せずを貫くも、彼女の願いを踏みにじり叩き潰したって構わない。

 どれだけ正しい選択だろうと、どれだけ間違った選択だろうと、その責任を背負うのは何時も必ず己自身なのだから。

 

「もう、大丈夫そうね」

 

 撫でていた手の平を離し、霊夢の頭を膝から下ろした私は立ち上がりながら魔力の糸を伸ばす。その先にあるのは、機能を停止している上海だ。

 

「そんなお身体で、一体何をするおつもりですか?」

「あの聖人さん。どうやら次は私をご所望みたいだから、一泡吹かせて来るわ」

 

 

 さっきから、ひじりんとがっつり目が合ってるからね。

 それに、魔理沙と早苗をけし掛けておいて自分だけ高みの見物ってのもなんだか申し訳ないし。

 

 後ろから言外に引き止めようとする衣玖へと振る右手へ、青服の人形の胸部が開き弾き出された虹色の魔石(ジェム)が納まる。

 

 星との戦いで発動させた模造魔剣は、地脈との接続で消費した魔石(ジェム)そのものの魔力を回復させるまで再使用が出来ない。

 よって、必然的に次に私が振るうのはもう一本の魔剣「碧の賢帝(シャルトス)」となる。

 因みに、完全な余談ではあるがこの二つの魔剣は使い分けが出来るよう、「紅の暴君(キルスレス)」は肉体強化特化、「碧の賢帝(シャルトス)」は魔力強化特化となるよう調整していたりする。

 とはいえ、すでに星との戦いで体力が底を付いている今の私では、どのみち魔剣を発動出来る時間もほんの一瞬だけだ。

 それ以上は、流石に体力以前に私の余命的なものが危険が危ない状態になってしまう。

 

 ふっふっふっ。

 マジカル☆ヒジリンめ。星ちゃんと強制バトルさせられた恨み、ここで晴らさでおくべきかぁ。

 

 霊夢が完全に復活した今、私が何もしなくとも博麗の巫女は確実に異変を解決するだろう。

 つまりこれから行われるのは、幕引きにはまったく不要なただの茶番。私怨を含めた自己満足でしかない。

 一回は一回。意地悪をされたのだから、力一杯の仕返しと報復は当然の権利である。

 

「お疲れ様。もう十分よ」

「ちっ、ここまでか……」

「うぐぅ……助かったと思ってしまう自分が情けないです……」

 

 お願い通り、時間稼ぎを続けてくれていたぼろぼろの魔理沙と早苗に礼を言い、悔しそうに顔を歪める二人の側を通り過ぎて行く。

 

「そもさん」

 

 知恵比べの開始を宣言する私に、小さく首を傾げる聖。

 今から何をした所で、異変の解決は揺るがない。だが、それは私が聖を弱らせてはいけない理由にはならない。

 霊夢は勝つだろう。その上で、より楽に勝てる手段があるのであれば使わない手はない。

 

 聖白蓮。貴女が私を知ってるように、私も貴女を知ってるよ。

 だから、これぐらいの嫌がらせはさせて貰おうか。

 精神攻撃は基本だからね。

 

 そして、私は満を持して復活した破戒僧へと挑戦状を叩き付ける。

 

「――貴女にとって、「満足する死」とは何?」

 

 原作知識を活用した最低最悪の質問に、死を逃れた聖女の綺麗な両目が大きく見開かれた。

 

 

 

 

 

 

 律儀なのか、真面目なのか。

 早苗と聖もまた飛行しない魔理沙に習う形で、特に相談もなく地上にて大地を駆け回る勝負を良しとしていた。

 拙い連携ながら、間断をなくすよう交互に弾幕を放つ魔理沙と早苗に対し、聖は最小限の動きだけでそれらの光弾を回避する。

 今の所、聖からの反撃はない。その余裕は十分にあるだろうに、まるで見定めるように少女たちの動きを監察し続けている。

 

 蛙符 「手管の蝦蟇」――

 

「とおぉぉぉう!」

 

 気の抜ける掛け声と共に、大きく振り被った風祝(かぜはふり)の右手に収束した光の球が放物線を描き宙を舞う。

 速度も大きさもない投擲物だが、その目的は敵への命中ではない。

 ある程度の高さまで昇った光弾が弾けた瞬間、全方位へと向けた極光が周囲を満たす。

 

「っ!?」

 

 突然強過ぎる光を浴びせられ、聖は咄嗟に腕で両目を庇いながら後退する。

 

「逃がしません!」

 

 乾神招来 『御柱』――

 

 畳み掛けるように開かれた次のスペルは、天の彼方より舞い降りる身の丈に倍する太さを持った御柱による押し潰し。

 相手の着地点に合わせ、正確な軌道で振り落とされる極太の柱。視界を奪われた今の聖は、その攻撃を捉える事が出来ない。

 しかし、早苗たちが目撃したのはそれぞれの常識を嘲笑うかのような理不尽だった。

 

「――ふむ、流石に少し重たいですね」

 

 聖は支えていた。踏み締めた両足を幾らか地面に埋没させながら、高速で飛来したはずの御柱を両手を使ってしっかりと受け止めているのだ。

 直撃ではない以上、弾幕ごっこは当然続行だ。

 

「では、参ります」

「うおぉぉぉっ!?」

「うひゃぁぁぁっ!」

 

 今度はこちらの番と、柱に己の拳を突き刺した破戒僧がその可憐な見た目からは想像も出来ない剛力を持って、猛然と六角柱を振り回す。

 

「なんて馬鹿力だ、鬼かよっ。早苗、早く消せ!」

「やってますよ! ほら!」

 

 間一髪でその場にしゃがみ、なんとか横薙ぎに振るわれた御柱を回避した魔理沙の怒鳴り声に、同じ姿勢で柱を避けた早苗が大声で返しながら発現させたスペルを解除する。

 

 魔廃 「ディープエコロジカルボム」――

 

「今度は私だ! 吹っ飛べ!」

 

 魔理沙がスペルによって出現させたのは、たっぷりと薬品の入った大振りなフラスコ型のガラス瓶だ。

 威力のほどは定かではないが、それが爆弾である事は魔法使いの言から理解出来る。

 聖は、何を思ったのか飛んで来た瓶を回避せず右手で掴み取った。

 直後、轟音を立てて一帯を巻き込む盛大な爆裂が――起こらない。

 

「なん……っ」

「純粋で、勢いがあり、弛まぬ向上心も見て取れる。将来が楽しみですね」

 

 クスリと笑う聖母の右手には、薬品の空になった瓶だけが残されていた。

 発光は起こったが、ただそれだけ。

 ガラスという繊細な素材に傷一つ付ける事なく、法力を用い外へと向かって弾けようとする全ての勢いを封じてのけたのだ。

 

「お返ししますよ」

 

 投げ返された瓶の中には、失った薬品の替わりに発光する別の何かが込められている。

 

「ちっ」

 

 避けるだけでは足りないと、魔理沙が後退しながら弾幕で瓶を撃ち抜く。

 しかし、それは悪手だった。瓶が砕けた瞬間、先程早苗の使用したスペルカードに勝るほどの勢いで光が放出される。

 

「ぐ、あぁっ!」

「私は、「お返しをする」と言ったはずです」

「ぐぶっ!」

 

 間近で起こった閃光に両目を焼かれ、両手で顔を押さえる魔理沙の腹へと接近した聖の掌打がめり込む。

 

「魔理沙さん!」

「余所見をする余裕を与えたつもりはありません」

「わぎゃっ、ぎべっ!」

 

 膝を折り、大地へとつっ伏す相棒へ悲鳴に近い声を掛けた風祝(かぜはふり)には、高速で接近した破戒僧からの足払いと叩き潰すような腹への掌底が決まる。

 

「ぐ……ご……っ」

「ぁ……ぎ……っ」

「立ちなさい。私に勝てるまで、異変は終わりませんよ」

 

 腹を押さえてのた打ち回る、魔理沙と早苗。無様な二人を見る事なく、聖は無慈悲に勝負の再開を宣言する。

 異変の元凶が退治される事で解決となるのであれば、その元凶が敗れない限りこの事件に幕は下りない。

 魔理沙たちは、何度負けても良い。どれだけ敗北を重ねても、たった一度さえ勝てればその時点でこの異変は終わる。

 だが、その一度を成し遂げる事が困難を極めていた。

 レミリアのような、怪物としての矜持と美学を持った蹂躙ではない。

 紫のような、生まれ持った能力を背景とした完成した個の暴虐でもない。

 それは、気の遠くなるほど永い時を費やした果てに到達した練磨の極地。

 魔力の強化による圧倒的な身体能力と、法力の封印による絶対防御。

 どちらか一つでも攻略する糸口を掴まない限り、聖白蓮という僧侶を打倒する事は出来ない。

 

「な、めんなぁぁぁ!」

 

 地面に手を付き、這いずるような姿勢から一気に聖へと駆け出す魔理沙。

 

「はあぁぁぁ!」

 

 振り撒く派手な弾幕を目晦ましに、早苗も起き上がり敵へと向けてお払い棒を振り抜く。

 

「遅い」

「んぎゃっ!」

「ほぎゃあっ!」

 

 魔法使いの拳を腕の長さで勝る僧侶が避けるまでもなくデコピンで追い返し、背後からの一撃を再び足払いで転倒させる。

 

「お二人とも、反応が鈍過ぎです。接近戦を挑むのであれば、せめてこの程度は対処出来るようになってからでないと困ります」

「くそ……なんだってんだ」

「……ありがた迷惑、ここに極まれりですね」

 

 二人とも、自分が未熟である事などとうの昔に自覚している。

 だからと言って、頼んでもいないのに真剣勝負の最中に指導をされて素直に喜ぶほど人間が出来てはいない。

 

「力も時に方便となります。早く終わらせたいのであれば、私に勝つか素直に負けを認める事です」

 

 ぐうの音も出ない正論である。

 勝者が正義であり、敗者が悪。己の意見を通したいのであれば、勝つしかない。

 単純で、明快な、剛力の掟。

 

「お二人とも、泣き言を吐く為に戦場(いくさば)に立つほど酔狂ではないとお見受けしますが? それとも、もしや私の見込み違いでしょうか」

「言ってくれるじゃねぇかっ」

「もう怒りましたよ! 激おこです!」

 

 安い挑発だ。だが、目標に届かないまま見下ろされる事に慣れてしまえば、やがて心が死に夢は夢のままで終わってしまう。

 そんなふざけた結末を、二人が受け入れられるはずがなかった。

 弾幕で、格闘で、時には地面に転がっている石ころすら投げ付けて、ありとあらゆる手段を使って聖という巨壁へと挑む魔理沙と早苗。

 殴られ、蹴られ、転がされ、それでも何度でも立ち上がる。

 負けを認めない限り、敗北はない。

 気力という残機がある限り、挑戦者は何度だって挑み続けられる。

 しかし、それもまた相手の裁量次第。

 

「お疲れ様でした。少々強引な手合わせとなってしまいましたが、是非これからも欠かさぬ精進を続けて下さい」

「ぜぇっ、ぜぇっ……また唐突だな」

「はぁっ、はぁっ……」

「申し訳ありません。私には、次が控えておりますので」

 

 立っているのもやっとの魔理沙と早苗に対し、余裕の表情で薄く笑う聖はもう二人を見ていなかった。

 彼女の視線の先に居るのは、応急処置を終えたばかりの人形遣い。

 

「――お疲れ様。もう十分よ」

 

 霊夢を治療し終えたのだろうアリスの登場に、限界だった二人の膝が折れた。

 

「ちっ、ここまでか……」

「うぐぅ……助かったと思ってしまう自分が情けないです……」

 

 二人は負けなかった。だが、勝てる見込みもなかった。

 拳を握り、唇を噛み締め、どれだけ恨んでも己の非力はくつがえらない。

 その悔しさも、無力感も、今は喉の奥へと飲み込む他ない。

 アリスはそのまま二人の側を通り過ぎ、たった一人で聖と対峙する。

 左腕を失った身体とこの場の惨状を見るに、アリスもまた誰かと激戦を繰り広げた後だ。

 そんな状態でほとんど消耗していない聖に単身で挑んだとしても、結果など火を見るより明らかだとしか思えない。

 

「そもさん――貴女にとって、「満足する死」とは何?」

 

 人形遣いが異変の元凶へと放ったのは、拳や弾幕ではなく弁舌での刃だった。

 魔理沙や早苗は知らない。傍目にも清廉潔白な善人だと解る僧侶が、何故魔法使いなどという外法の道へ堕ちたのかを。

 もう、真実を知る者すら少なくなった聖白蓮という人外の原点を、「知っている」アリスが無情に抉る。

 

「せっぱ……そんなものは、存在しません」

 

 大きく目を見開いた後、苦味を持って聖が答える。

 

「死は、恐ろしいものです。どれだけ綺麗事を並べ立てたとて、決定的な喪失への恐れを覆す事など出来はしない……死に、満足など出来るはずがない」

「そう」

 

 アリスにとって、彼女の答えは想定内だったのだろう。

 質問した側だというのに、短い言葉だけで聖の回答を受け入れる。

 

「そもさん――それでは、貴女にとっての「満足する死」とはなんですか?」

 

 意趣返しのつもりか、聖女からまったく同じ質問が返される。

 

「せっぱ。そんなの、決まっているわ」

 

 握り込んだ右手を相手へ伸ばし、その中へと握った宝石を見せ付けるように掲げてみせるアリス。

 

「「泥なんて、なんだい」よ」

 

 お気に入りの帽子を泥沼へと落としてしまった少女の為に、自らが泥まみれになりながらその宝物を拾い上げた少年が居た。

 小難しい理屈も、下世話な下心もない。少女が泣いていて、泣き止ませる手段が目の前にあったから、少年は実行したに過ぎない。

 そこに、自己犠牲などという崇高な思想はない。

 何故なら、他人に手を差し伸べる為に言い訳を考える必要など何処にもないからだ。

 だからアリスは、その少年に習う。

 意味を求めての行為ではない。

 ただ、それしか知らないから彼女はたった一つの手段で抵抗を続ける。

 やがて、「諦め」が己の全てを蝕み終えるその時まで。

 せめて、「その時」が訪れるまでは自分が「人間」であった事を忘れない為に。

 

「来なさい、「碧の賢帝(シャルトス)」」

 

 魔石(ジェム)から膨大な魔力が溢れ、小さな宝石が翡翠の長剣へと姿を変えていく。

 翠色をした茨の後輪に、白色の長髪。容姿さえも激変させた人形遣いが発動させようとしたのは、聖の最も恐れる喪失という名の死の具現。

 全てを食らい尽くす、「虚無」を生み出す禁断の呪文。

 

「「重破(ギガ・)」――」

「っ!? はぁぁっ!」

「ぐぅっ!」

 

 地脈との接続により詠唱の破棄を可能とした魔法が発動するよりも早く、その魔法の危険性をいち早く察した聖の拳がアリスの右の脇下へと抉り込むように打ち込まれる。

 平手ではなく、拳。しかも、魔理沙たちへと放っていた手加減混じりのものではない、正真正銘本気の一撃だ。

 これだけで、聖の警戒が本物である事がうかがえる。

 しかし、アリスの目的はこの魔法を発動させる事ではなかった。

 失った左腕の肩口から生え伸びた白光する魔力の腕が、振り抜かれた聖人の拳を掴み取る。

 

「なっ!?」

 

 人間と変わりのない強度しか持たないアリスの肉体も、魔剣の発動に伴い身体能力を強制的に引き上げられている。普段であればあっさり気絶するであろう強烈な一撃を耐える事など、造作もない。

 彼女の本当の目的は、聖を絶対に逃げられない距離へ誘い込んだ上で拘束する事。

 そして、獲物が罠に掛かったここからが人形遣いの用意した本命だ。

 

「「崩魔陣(フロウ・ブレイク)」!」

「が、ア゛ぁ゛ぁ゛あァアぁぁぁァ!」

 

 今まで、冷静さと荘厳さを決して崩す事のなかった聖女の口から、喉を震わせ絶叫が上がった。

 アリスの唱えた魔法の効果は、領域内で発動している魔法や結界などの術の解除。

 人間から魔法使いへ昇華する場合、その過程で二つの魔法を習得する必要がある。

 一つは「捨虫の魔法」。もう一つが、「捨食の魔法」だ。

 前者は寿命を捨てる事で老化を停止させ、後者は魔力の循環のみで肉体を維持する栄養を補えるようになる。

 この二つの魔法は、文字通り人間としての要素を「捨てる」魔法だ。一度捨てたものは、例え一時的に魔法を打ち消したとしても戻って来る事はない。

 アリスの狙いは、先の二つの魔法とは別に聖が発動させ続けている三つ目の魔法を解除する事。

 それは、同じ魔法使いであるアリスやパチュリーには必要のない「若返りの魔法」だった。

 老齢の弟を看取った時点から魔法使いへの修業を始めた彼女は、当然その弟以上の年齢で「捨虫の魔法」を発動させた事になる。

 「捨虫の魔法」は、発動させた時点から老化を停止する魔法。つまり、聖白蓮という女性は本来、老いの止まった老婆の姿こそが正しい状態なのだ。

 

「あ……が……あぁ……っ」

 

 声にすらならず漏れる音は、嗚咽か、悲鳴か。

 美しいグラデーションを誇っていた頭髪は一瞬で黒へと染まり、更に根元から艶を失った白髪へと変色していく。

 そして、渇いた砂が水を吸うように瑞々しい肌から潤いが枯れ始めたところで、ようやく聖の老化が止まる。

 次に起こるのは、時間の逆回しを彷彿とさせる再度の若返りだ。

 

「やって……くれましたね……っ」

 

 眉間に深く皺を寄せ、幻想郷の少女たちに出会ってから初めて表情を歪ませる聖。

 失った時を巻き戻し続け、しかも肉体の活性まで行わなければならない魔法ともなれば、消費される魔力の多さは普段であっても相当なものだろう。

 一旦完全に打ち消されてしまった魔法を再度発動するのは、当然大きな負担となる。そして、仲間の妖怪が側に居ない今の彼女に、失った魔力を即座に補給する(すべ)はない。

 肉体への強化魔法も同時に解除されているので、「若返りの魔法」を発動させてしまった時点で高出力の強化を再発動させる事はもう不可能だ。

 スペルカード・ルールとして見れば、これは一撃を食らって反撃したアリスの反則負けだ。

 だが、アリスは負けでも良かった。

 強敵から魔法という手札を強引に奪った敗者は、己の役目を果たし終え自身の魔法で解除され宝石へと戻った人形の命を抱き大地へと倒れる。

 

「「泥なんて、なんだい」、か。私には絶対無理な死に方ね。本当に、バカなんだから」

 

 その言葉の情景は解らずとも、本質ならば理解出来る。

 呆れを含んだ溜息を一つ吐き、再び稀代の救世主へと相対するのは幻想郷の秩序であり、久方振りの敗北者である博麗霊夢。

 一人で勝てないのであれば、皆で勝てば良い。

 強いのならば、弱らせれば良い。

 

「さぁ、決着といきましょうか」

「えぇ、幕引きと参りましょう」

 

 立ち直った巫女と、喪失した僧侶。

 幻想郷に騒動の波紋を広げた異変に幕を下ろすべく、最後の戦いが始まる。

 聖を見据える霊夢の目に、迷いはもうなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 目に付いた巨木の枝を失った片足の替わりにして、今にも倒れそうな傷だらけの身体を引き摺りながら、一匹の虎が当て所なく幻想の園をさ迷い続ける。

 

「……あ、ぐ……ぅ……」

 

 聖輦船にて目覚めた星は、同じく敗北したのだろう面々の無事を確認すると、一人船を降りて聖を探し始めた。

 何処に居るかなど、解るはずもない。だが、探さないという選択肢もあり得ない。

 ようやく達成出来た、積年の悲願。その成就を自身の目で確かめるまで、足を止めるなど出来るはずがない。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 空を飛ぶ事すら出来ないほどに消耗したまま、荒い息を吐き続ける彼女の歩みは亀よりもなお遅い。

 本来であれば、星の状態は絶対安静が必要なほどの重傷なのだ。むしろ、そんな身体で歩けているという事実の方が驚愕に値する。

 

「――ご主人」

 

 何時倒れても不思議ではない半死人の背後から、聞き慣れた声が掛かる。

 雲山か配下のネズミから星の無謀を聞き付け、慌てて追いかけて来たのだろう毘沙門天の従者が咎めを含んだ表情でそこに居た。

 

「ナズーリン……」

「まったく、君は実に馬鹿だな。そんな身体で、たった一人で、一体何が出来ると言うんだい」

 

 ナズーリンは怒っていた。

 彼女には、星を怒るだけの正当な理由があり、そしてその権利があった。

 しかし、小さな賢将が憤っているのは主人の無謀そのものではない。

 

「聖の側に行きたいのならば、何故私や雲山を頼らなかった」

「え?」

「何年、貴女の従者をやっていると思っているんだい。まさか、私たちが貴女の願いを拒否するとでも思ったのかい?」

「あ、その……ごめんなさい」

 

 まったくもってその通りの為、星は反論も弁論も出来ずただ謝るしかない。

 

「ごめんで済めば仏は要らないさ。あぁ、本当に度し難いっ」

 

 従者でありながら頼って貰えなかった苛立ちから頭を掻き、悪態を吐き捨てるナズーリン。

 星は、その怒気が自分に向いていない事が解らず恐縮しきりだ。

 

「聖の居る場所に行くんだろう? ほら、そんな粗末な杖など捨てて私の肩に掴まりたまえ」

「え、でも、貴女は人里との交渉を行っている最中だと、雲山が……」

「そんなもの、貴女の無茶を知った時点で即刻終わらせて来たよ。もう少しくらいは有利な条件を引き出せそうだったが、仕方がない」

「申し訳ありません……」

「すでに十分な譲歩は取り付けてあったから、問題はないさ。それに、私はご主人の従者であって聖たちの世話役ではないんだ。それを忘れないで欲しい」

「はい、ありがとうございます」

「ふんっ」

 

 拗ねたように鼻を鳴らし、星から差し出された手を肩へと乗せたネズミの従者が空中へと浮遊を開始する。

 

「聖は今、博麗の巫女と交戦中だ。一度は勝利したらしいが、さて――あれか」

 

 移動速度が格段に増した二人は、それほど時間を掛けずに目的の場所へ辿り着いた。

 そこでは、異変の最終局面として博麗の巫女と異変の元凶である聖が弾幕ごっこでの決闘が行なわれている。

 

「――上手いな」

 

 短い監察だけで双方の状況を察し、小さく言葉を漏らすナズーリン。

 上がれば落とし、迫れば下がり、離脱すれば追い込む。常に一定の距離を保ち続けながら、霊夢は完全に聖を封殺していた。

 小さな箱庭を維持する為の掟を広め、無闇な死を可能な限り禁止してさえ人外たちは闘争をなくそうとはしなかった。

 命名決闘法。通称、スペルカード・ルール。

 互いの命を懸けない、遊戯としての真剣勝負。

 己の誇りと名誉を懸け、今というこの一瞬を輝く。

 誰も彼もが捨てられなかった意地や矜持を満たすに足る、誰もが対等となる幻想の競技。

 

「経験の差が、顕著に結果として出ているな。どれだけ聖が基礎能力で優れていようと、対戦相手が必要な遊戯のコツを一人で掴む事は不可能だ」

「そんな、聖……っ」

「それと、どうやら今の聖は身体強化を行えない状態にあるらしい。身体捌きが、明らかに人間のそれだ。肉体が強化出来れば、もっとまともな勝負になっていただろうに」

「……っ」

 

 聖が負ける。

 負ければどうなる。

 また、封印されてしまうのではないか。

 また、私は彼女を救えないのか。

 

 最悪の結末を想像し、星の心を恐怖が満たす。

 

「何をしている、ご主人」

「え?」

「まったく、世話の焼ける」

 

 顔を青ざめさせたまま何も出来ない星に呆れながら、ナズーリンは尻尾のかごに入っていた宝塔を取り出し主人へと差し出す。

 

「後悔は、全てが終わった後でも出来る。貴女は、一体なんの為にここに来た」

「わ、私、私は……」

「さぁ、手に取りたまえ。貴女には、まだ出来る事があるはずだ」

 

 震える手で受け取ったその仏具から、ずしりと重さが伝わって来る。

 星にとって、この光輝く道具に対する想いは非常に複雑だ。

 聖を封印する為に用い、その封印を解く為にも使用した、毘沙門天より貸し与えられた最高峰の霊装。

 憎みもした。感謝もした。恨み、喜び、悲しみ――ありとあらゆる感情の名を連ねても足りないほど、寅丸星という存在は宝塔と共に歩き続けて来たのだ。

 

「聖ー!」

 

 大切な人の名を叫ぶ。

 相手からの返事はない。

 それでも構わないと、星は宝塔を持つ包帯で繋げただけの右手を全力で振り被る。

 

「受け取ってー!」

 

 重傷の身であろうと、星の膂力は並の妖怪すら余裕で超える。

 高速で投げ飛ばされた宝塔が、巫女の弾幕を回避する聖の手の平に納まった。

 

「霊夢さん。これが、()()()()()です」

 

 宝塔 「レイディアントトレジャー EX」――

 

 目も眩むほどの極光。

 受け取った宝塔から発せられる御仏の威光が、空を貫き一条の帯となって霊夢へと駆ける。

 

 「夢想天生」――

 

 対する霊夢が発動させたのは、博麗の巫女が秘奥。

 世の(ことわり)から浮かぶ巫女に、あらゆる攻撃は通用しない。

 宝塔からの光線が一瞬で霊夢を飲み込むが、長く続いた光の波動が消えた場所には無傷の彼女が当たり前のように存在していた。

 

「これが、()()()よ。潰れなさい」

 

 反撃として、発動者を中心として全方位へと向けて怒涛の弾幕が展開される。

 宝塔の結界により弾幕を防御し、聖は一直線に霊夢へと突進していく。

 

「宝塔よ、我が意に応えその力を示せ!」

 

 膨大な法力を糧として、仏具の輝きが最高潮に達する。

 常識の外、規格の外、森羅万象の外。法力とは、そういったから世の(ことわり)から外れてしまった事象や存在を「法」という枠へと戻し収める力だ。

 それは、例え「人」という枠を外れてしまった者も例外ではない。

 人間の領域を超え、現世から「浮かぶ」巫女。それを、再び人間の範疇(はんちゅう)へと引き戻す。

 発動したスペルカードが強引に破られ、霊夢の姿が実体を晒す。

 振り抜かれる蹴撃。

 交差する足。

 そして――激突。

 

「……お見事」

 

 聖の蹴りは霊夢の右腕によって弾かれ、巫女の繰り出した反撃の蹴りだけが相手の腹へと突き刺さっていた。

 これにて決着。博麗の巫女が、異変の元凶の「退治」を完了した。

 

「加減するにしても、お粗末ね。貴女自身、二番煎じが通用するなんてこれっぽっちも思ってなかったでしょうに」

「ふふっ。余り、幕引きを長引かせるものでもないでしょう?」

 

 敗者として痛みで顔を歪めながら、それでも聖の表情は晴れやかだった。

 そのまま墜落していく頭目を追い、星とナズーリンも地上へと下りていく。

 

「聖っ、無事ですか!?」

「あらあら、私などよりも貴女の方が余程重傷ではありませんか。ナズーリン、何故安静にさせておかないのです」

「貴女のせいだよ。私に言われても困る」

 

 ようやく。ようやくだ。

 長く、辛く、苦しみに満ちた地獄にすら勝る暗たんたる日々の先で、一人の少女が安息を得る。

 

「さぁ、もっとこちらへ」

「あ、あの」

「良く、今まで頑張りましたね。ありがとう。そして、ごめんなさい、星」

「あ、あぁ……」

 

 聖から優しく抱き締められ、星の残された左目から滂沱の涙が溢れて落ちる。

 

「ナズーリンとの約束でしたからね。再会の抱擁の一番手は、貴女にしてくれと」

「おい、わざわざ今言う事ではないだろう。折角の感動が半減だ」

「あら、そんな事ありませんよ。ねぇ、星?」

「はい、はい……っ。聖からも、ナズーリンからも、こんなにも愛されて。私は、本当に幸せ者です」

「えぇ、えぇ、勿論です。私も、ナズーリンも、貴女の事が大好きですよ」

「う゛……う゛ぅ゛……っ」

 

 栄枯盛衰、盛者必衰。

 どれだけ時の進みを遅くしようと、時代のうねりによって幻想郷も変わっていく。

 ここにまた、一つの勢力が幻想の園へと辿り着き根を下ろす。

 後に、人里の側に隣接して建てられる事となる寺――命蓮寺とそこに住まう一派との出会いは、ひとまずここで区切りとなる。

 新しい住人たちが、この閉ざされた郷へ何をもたらすのか。

 それは、明日へと続く未来への道すがら、きっと幾度となく語る事となるだろう。

 長く続いた今日が終わる。未来と言う名の明日になる。

 今はただ、泣きじゃくる虎の少女を好きなだけ甘やかす優しい聖人がそこに居るだけ。

 異変が幻想を刺激する為に組まれた演劇であるのなら、これほど相応しい幕引きもないだろう。

 何故なら、そこには確かに一人の少女を笑顔にするだけのめでたしめでたし(ハッピーエンド)があるのだから。

 




はい、これにて異変解決! おつかれー。

魔理沙と早苗の共闘部分は中途半端に長くなったので、半分以上カットしました(無慈悲)

次回はようやく異変の後日譚ですね。
残った伏線とか解説しつつ、お寺さんたちとの日常パラダイスへ飛び立ちましょう。

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