東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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7/25 間違えてラストシーンを加筆前の分で更新してしまっていたので、修正。



85・かくして、賽は投げられた(結)

「お邪魔するよ」

「邪魔をするなら帰ってくれ」

 

 ここは、魔法の森にほど近い場所に建つ古道具屋。香霖堂。

 入店の挨拶だというのに、読書中の店主の口から商売人失格の挨拶が返される。

 来店客はナズーリン。店主は変わらず霖之助だ。

 

「そう邪険にしないでくれたまえ。君にとっても、価値のある話を持って来たつもりだ」

「聞くだけ聞こうか」

 

 賢将のかごからカウンターに置かれたのは、ビー玉や電球、小型のコンパスなどといった幻想郷では作られない現代の雑多な小物だった。

 しかも、多少汚れているものはあれど全てが欠損や破損をしておらず、完品状態に近い品々ばかりだ。

 外の世界の物品は、幻想郷ではほとんど流通しない。

 小物とはいえ、ここまでの量を手に入れられる場所はたった一つだけだ。

 

「まさか、無縁塚に行って来たのかい?」

 

 無縁塚は、人間の無縁仏を弔う為に作られた墓所だ。

 また、とある原因により外の世界からの人や物が時折流れ着く場所でもある。

 幻想郷でも大変珍しい現象だが、それは墓所一帯の幻想郷と外の世界の境界が曖昧になっている事が原因の為、一級の危険地帯としても有名な場所だった。

 

「危ない事をする」

「同じ事をやっている君に咎められてもね」

 

 霖之助の苦言を、ナズーリンは肩をすくめて聞き流す。

 

「私の妖怪としての能力は、探索に特化していてね。今日は様子見だったが、次回はもっと貴重な品も持って来れるだろう。解る範囲であれば、道具としての利用方法も説明出来る」

「生憎、余り買い取りはやっていないんだがね」

「確かに欲しいのは金銭だが、目的はその代金を受け取る事ではないよ。店主」

 

 持って来た雑貨の内、ボールペンを右手で器用に回しながらようやく視線を向けて来た霖之助をしっかりと見据えて言葉を紡ぐナズーリン。

 

「先般の異変でアリスが被った、宝塔の代金。あの二十年を、私が現物で支払いたい」

「なるほど、そう来たか。うん、良いよ。アリスには、僕の方から言っておこう」

 

 借金の代理返済の提案に、数瞬の迷いすらなくあっさりと頷く店主。

 思考から決断までが、裏を疑ってしまうほどの早さである。

 

「まさか、こうなる事を読んでいたのかい?」

「いいや。ただ、僕としては契約の履行さえ完遂してくれるのであれば、アリスでも君でも同じだからね。それに――」

「それに?」

「アリスは君を信用した。彼女の観察眼は、僕もある程度信用している。だから、僕は君を信用した」

 

 それほど単純でもないだろうに、霖之助は平然と言ってのける。

 霖之助もナズーリンも、アリスほどお人好しな性格ではない。

 それでも、義理という不確かな部分において香霖堂の店主は目の前に居る妖獣を信じると決めたのだ。

 

「宝塔を買い戻す時にそれを言ってくれれば、こんなややこしい事をしなくて済んだのだがね」

「君たちは客で、僕は商売人だ。自分の不利になる取引をしないのは、当たり前の事だろう?」

「確かに。では、精々高値で買い取って貰う事にしよう」

「お手柔らかに頼むよ」

 

 これから長い付き合いになるだろう小ネズミの剣呑な視線を気にも留めず、古道具屋の店主はカウンターの引き出しから取り出した新品の帳簿を片手に雑貨の品定めを開始する。

 

「無縁塚の近くにあった無人の住居を拝借させて貰ったから、君が私に用事がある時はそこを訪ねてくれたまえ。不在時も部下のネズミを在中させておくから、無駄足にはならないはずだ」

「ん? 天狗の新聞では、君たちは人里の近くに拠点を作ったと書かれていたけれど、誤報かい?」

「あぁ、命蓮寺は人里の隣だよ。立地上、なるべく近い方が人間たちも通い易いだろうからね」

 

 命蓮寺は、聖輦船の原型である飛倉を変形させた建物だ。ゆくゆくは正規の手順で同じ場所に同様の建物を建築する予定だが、今は仮住まいとしてその権能を遺憾なく発揮している。

 異変解決から数日と経たってはいないが、表面上だけでも傷を癒し終えた面々はすでに仏教の普及活動を開始していた。

 異変の際、墜落する宝船によってあわや大惨事となり掛けた人里と聖たちの関係は、それなりに良好な滑り出しだ。

 封印された仲間を助け出そうとした妖怪と、財宝欲しさに宝船を襲撃した博麗の巫女たち。

 そんな内容で号外として配られた天狗の新聞により、異変の発端と収束までの概要は人間たちへ十分に知れ渡っていた。

 幻想郷の守護者たちを悪役に仕立て上げた記事の内容から、聖輦船を操縦していた星たちはむしろ被害者として受け入れられたのだ。

 実は、命蓮寺の立地には別の理由も存在するのだが、それは店主の知る必要のない情報だろう。

 因みに、号外の発行された翌日にて記事を書いた清く正しい烏天狗が全身黒焦げの状態で人里近くの川を流れていた事が「花果子念報(かかしねんぽう)」で報じられ、それなりの発行部数を稼いでいた。

 話題であればなんにでも飛び付く貪欲かつ意地汚い彼女たちの姿勢は、正に烏と名乗るに相応しい生き様だと言えるのではないだろうか。

 

「昔では考えられないな。守矢神社の神様たちが聞いたら、さぞ羨ましがるだろう」

「そこで博麗神社の名が出ないところが、巫女の現状を語っているのだろうね」

 

 寺を建てるに辺り土地の開墾を手伝ったのは、話題に上がっている守矢の一柱である洩矢諏訪子である。

 どのような取引があったのか、土着神としての自力を披露し一帯を瞬時に更地へと変えた手腕は、かの神へ畏れという信仰を存分に与えた事だろう。

 

「君だけ、別の住処を作ったのかい? いささか非効率的だね」

「少し思う所があってね。今は、こうしておいた方が良いと判断したまでさ」

 

 それが、誰にとって良い方策なのかを霖之助が聞く事はない。

 数百年――或いは千年以上連れ添った相手との別居。そこには当然、様々な思いと複雑な関係図が出来上がっているのだろう。

 

「優秀な主を持つと、部下は苦労するようだね」

「まったくだ」

 

 店主は踏み込まず、賢将もまた踏み込ませない。故に、この話題はただの世間話として収束する。

 理想とする地に辿り着いたとしても、全ての問題が即座に解決する訳ではない。むしろ、今まで放置していた事柄に取り掛かれるようになったこれからこそが本番と言えるだろう。

 毘沙門天の代理として任をまっとうする妖怪と、その監視役として地上へと遣わされた妖怪。

 二人を含めた新たな住人たちも、中々に面倒な業と過去を背負ってこの地へ辿り着いたらしい。

 話題の尽きない幻想郷に、新たな風を呼び込む新勢力。

 

「それじゃあ、そろそろ商談を始めようか」

 

 今しがた作り終えた目録を片手に、算盤の珠を弾く霖之助。

 古道具屋の店主にしてみれば、来店する客が少し増えるだろうという事実以外はなんの興味もない話だ。

 半ば世捨て人として自己のみで完結している半妖は、烏に餌を与えるそんな哀れな生贄たちへと心にもない同情を送るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 目が覚めたら、永遠亭だった。知ってた。

 とりあえず、何時までも左腕がないのは不恰好なので普通の義手を自宅から転送して取り着けた後、何時も通り白衣が激マブなお医者さん(永琳)から、カルテを片手に私が死ぬ三歩くらい前だった事が淡々と語られる。知ってた。

 一週間くらい入院した方が良いと言われたので、鈴仙やてゐや他のイナバたちに是非ナース服で看護して欲しいと交渉をしていたら、壁を粉砕しながらフランがマジ泣きで突撃して来た。入院が四日ほど延びた。コレガワカラナイ。

 

「とりあえず、ここまでが今起こった出来事ね」

「なるほど」

 

 最初に目が覚めた時にはなかった肋骨用のギブスが追加されていたり、記憶がちょっと飛んでいたりするのはフランドールという名のダンプカーとぶつかったのが原因か。

 異世界転生しなくて良かった。いやいや、今してるじゃん。

 

 再度目を覚ました私へ、片手間の土魔法で壁の修繕作業を行いながら説明してくれるのは、親友と書いてマブダチと読むパチュリー・ノーレッジ卿だ。

 

「フランは?」

「会わせる顔がないって、泣きながら別の部屋へ逃げたわ。後で会いに行ってあげて」

 

 まぁ、あの娘が自分から私に謝りに来るには色々と経験が足りないだろう。

 子供には難しい問題のハードルを下げてあげるのも、大人の役割だ。

 

「さて、アリス・マーガトロイド」

「何かしら、改まって」

「ある程度は予想が付いているのでしょう? この未熟者」

 

 こんな時にまで持って来ていた分厚い魔道書は、どうやら私への打撃用装備だったらしい。

 ぽこっ、ぽこっ、とまるで力の入っていないおざなりな攻撃で私の頭を叩くパチュリー。

 

「地脈の流れを利用した、短期決戦用の魔術兵装。常に現状での限界まで出力を確保する為に、己自身の肉体をリミッターとして設計した最高に頭の悪い最低の魔道具ね」

 

 遠見の魔法でも使って覗いていたのか、先達の魔女は私が星との戦いで使用した魔剣について酷評を下す。

 

「「剣」という形にしたのは、闘争とそれに付随する「何か」への憧憬からかしら? 争い事を忌避している割りに、貴女ってそういうところあるわよね」

 

 なんで、原作とか教えてないのにそこまで解るんですかね。

 推理? ほんとに推理なの? 実はパッちゃん、魔法使いじゃなくてさとり妖怪だったりしない?

 

 原作キャラクターの強さや在り方に憧れるのは、ファンとして当然の心理だろう。

 もっとも、自分が実際にやるかは別としてだ。

 あの時は雰囲気に乗せられて毘沙門天代理とガチバトルをしてしまったが、今は大いに反省している。

 あんな自殺行為を、その場のノリでやるものではない。

 

「左腕だけでも十二分に危険だというのに、あんな玩具まで加えて――貴女、死ぬわよ」

「死なない為に作ったのよ」

「死なない為に死ぬような装備を作るなんて、冗談でも笑えないわ」

「貴女は笑わないわ」

「……根拠は?」

「私たちが、友達だからよ」

「……ふんっ」

 

 困った時は助けてくれて、励ましてくれて、こうして側に居てくれる。

 何時もありがとう、パチュリー。

 

 未だ魔女の本の角アタックは続いているが、まったく痛くないのでむしろご褒美状態だ。

 やはり、私の生きる場所はここなのだと強く実感出来る。

 私が居て、パチュリーが居て、霊夢が居て――皆が居るこの幻想郷こそが、私の第二の故郷なのだと。

 

「また、一緒に温泉へ行きましょう。今度は、間欠泉センターの方ね」

「嫌よ。どうせまた、面倒が起こるに決まっているもの」

「大丈夫よ。貴女と一緒なら、きっと解決出来るわ」

「まずは、最初から面倒を起こさないという発想を持ちなさい」

 

 私が喋り、彼女が応える。

 こうした他愛のないお喋りも、随分久し振りのような気がしてくる。

 

「そんなもったいない事をしてしまったら、貴女の活躍を見れなくなるじゃない」

「肉体労働断固反対よ。私は頭脳派なのだから、活躍の場は図書館の中だけで十分なの」

「引きこもりを自慢しないの」

 

 私が「アリス」として目覚めてから、随分と長い時間を過ごして来た。

 それでも、こうして変わらないものは確かにあるのだと、彼女との時間が教えてくれるのだ。

 

「それじゃあ、人里の洋菓子店で新作のスイーツでもどうかしら」

「嫌よ。どうしてもと言うのなら、その新作を図書館まで持って来なさい」

「出不精も大概にしておきなさい。肥満はともかく、怠惰な豚になった貴女なんて見たくもないわ」

「大丈夫よ。だって、私たちは友達なのでしょう?」

 

 こんにゃろめ。

 本気でピザでもデリバリーしてやろうかしら。

 

 知識欲の塊りで、外出も嫌いじゃないのに出不精で、口の減らない偏屈者。

 それが、私の最高の友人。パチュリー・ノーレッジ。

 私の日常に彼女が居るように、彼女の日常にも私が居て欲しいと思うのは、いささか強欲が過ぎるだろうか。

 そんな事を頭の片隅で思いながら、私はこの引きこもりを日の光の下へと連れ出す口実を考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 朝日がようやく空の端に顔を見せ始めたほどの早くから、今日も今日とて門前の小娘が習わぬ経を読む。

 

「ぎゃーてーぎゃーてーはらそーぎゃーてー」

 

 犬科を思わせる耳と尻尾を生やし、萌黄色のワンピースを着た小柄で可愛らしい妖怪が、寺の前で愛嬌を振り撒いている。

 命蓮寺の前で箒を片手に掃き掃除をしているのは、山彦の妖怪である幽谷響子だ。

 彼女は、命蓮寺の設立を機に出家した入信者である。

 目新しさへの興味半分、過去の入信者が縁を頼り、強大な力を持つ聖たちへの庇護を求めて。

 異変から二週間程度。理由は様々だが、すでに人間や妖怪を問わず寺への入信者は僅かながら増加していた。

 ここから残る者と去る者が別れていくのだろうが、開業直後としては間違いなく順調な始動だろう。

 

「あ、おはようございまーす!」

 

 警戒心を持たれ難い子供の容姿をした響子を表に立たせる事で、入信希望者が立ち寄り易いよう配慮された建物へ新たな来客者が現れた。

 

「えぇ、おはよう」

 

 訪ねて来たのは、左右で青服と赤服の人形を飛ばす整った容姿をした、永遠亭での入院生活を終えた金髪の魔法使い。

 小振りなバスケットを右手に持ち、笑顔の山彦に人形のような無表情で挨拶を返す。

 

「聖たちは、もう起きているかしら」

「はい! 皆さん起床されて、今は朝ごはんの支度をしているところだと思います!」

「そう、それじゃあお邪魔させて貰うわね」

「はい、どうぞ! ――一輪さーん! お客様でーす!」

 

 元気な返事に加え、奥の建物へ向けて張り上げた空を突き抜けるような音量は、声の反響を司る山彦らしいものだ。

 やがて、響子の声に応え相棒の雲山に乗った入道使いがアリスを出迎える。

 

「おはよう、アリス」

「おはよう、一輪。今日は、頼まれていた物が用意出来たから、引っ越し祝いと一緒に持って来たわ」

 

 アリスの持つバスケットの中身は、星の義眼だ。

 妖怪なので切り飛ばされた手足は繋げていればいずれ治るが、蒸発してなくなってしまった右目は流石にそう簡単には再生が出来ない。

 眼帯をするというのも一つの手ではあるが、信仰を集めるべき対象の顔が傷物では色々と問題が出てしまう。

 よって、人体にも詳しい人形作製家を頼り、当面は再生の目処が立つまで義眼をはめ込んで誤魔化すという方針で落ち着いたのだ。

 

「悪いわね。あれだけ迷惑掛けた上に、何から何まで頼りっきりで」

「良いのよ。ある意味私が原因なのだし、下心もあるわ。だから、気にしないで」

 

 一時的であった協力関係が終わり、一輪がアリスへ無駄に警戒する必要がなくなった事もあって二人の距離感はむしろ近くなったと言って良い。

 お互いが世話焼き気質な為か、会話の相性も悪くない。

 

「あ、そうだ。姐さん――聖が、貴女に話したい事があるって言っているの。どうする?」

「えぇ、大丈夫よ。急ぎの用事はないし、聞かせて貰うわ」

 

 招かれるままに寺の庭へと足を踏み入れたアリスだったが、彼女を待っていたのは全員からの歓迎などではなかった。

 

「がるるーっ」

 

 朝食の準備に参加していないぬえが、宙へ浮かびながらアリスを全力で威嚇する。

 どうやら、正体不明の少女にとって異変に関わった全ての部外者が未だ敵として見えているらしい。

 

「こら、ぬえ! なんて失礼な事しているの!」

「なんだよ! お前には関係ないだろ!」

「私と聖が招いたお客さんよ! 関係あるに決まってんでしょうが! ぶっ飛ばされたいの!?」

 

 異変の始まりから終わった後でさえ空回りを続けるぬえの不満げな声に、怒髪天を突く勢いで大渇を返す一輪。

 客人の前での暴力沙汰を避ける為、側で控えていた入道が粛々と邪魔者の排除を開始する。

 

「おいこらっ、何すんだ雲山。放せよっ、このっ、ぬわあぁぁぁっ!」

「……」

 

 押しても引いてもすり抜ける雲の身体に巻き付かれた時点で、抵抗は無意味だ。

 巨大な腕でぬえを掴まえた雲山は、無言のまま暴れる少女と共に悠々と何処かへ飛び去っていく。

 

「ごめんなさい。あの娘は、口が悪くて、頭も悪くて、余計な事しかしないろくでなしの穀潰しだけれど、悪い娘ではないの」

「それ、なんのフォローにもなっていないわよ」

「良いのよ。本当の事だから」

 

 異変の発端となった正体不明の少女も、相談もなく聖輦船を勝手に動かした舟幽霊も、聖を慕った末の結果である事は明白だ。

 罪に対する罰は必要だろう。だが、それは許される為の罰であるべきなのだ。

 少なくとも、古参の者たちの中で彼女たちの暴走に怒っている者は居ても、見捨てようとする者は居ない。

 解っているのだ。今回暴走したのはたまたまこの二人だっただけで、自分たちが同じ立場になる事もあり得ると。

 

「後で、雲山がお仕置きとして内臓が飛び出るくらいサバ折りしておくから、許してあげて」

「ほどほどにね」

 

 個を尊ぶ妖怪変化の中で、孤独に耐えかね他者との相互理解を求めた者たちの駆け込み寺、命蓮寺。

 過渡期にある幻想郷に、人妖の関係に一石を投じるこの組織が流れ着いたのは、ある意味必然だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「ようこそお越し下さいました、アリスさん」

 

 手土産を渡した一輪に案内され畳張りの客間へ通された後、それほど時間も掛けずに聖が入室して来る。

 紺色の地味な作務衣を着込むその姿は、彼女の美貌もあってお坊さんというよりも何処か未亡人的な背徳感を醸している。

 

 聖は美人。はっきり解んだね。

 いやぁ、光学迷彩(ステルス)状態のうぜぇ丸連れて来て正解だったわ。

 ただの私服姿でさえこんなに綺麗で可愛いとか、女神かな?

 

 表情を変えないまま、大変失礼な感想を抱きつつ人形による撮影を行う私に、机を挟んだ位置で聖が深々と頭を下げた。

 

「まずは、此度の騒動での数々のご尽力に心からのお礼を。本当に、ありがとうございました」

「良いのよ。私もまた、目的があって星たちに協力したのだから。お互い様よ」

 

 社交辞令も含まれているが、紛れもない本心でもある。

 異変は解決し、聖たちも新たな住人として幻想郷へ受け入れられた。今更、私が変に掻き混ぜるのも無粋だろう。

 

「そういえば、星と村紗の姿が見えなかったのだけれど、二人とも大丈夫なの?」

「えぇ。お察しの通り、二人ともまだ療養中です。特に、神の焔をまともに受けてしまった村紗の火傷は治りが遅く、動けるようになるまでもう少し掛かりそうです」

「必要なら、永遠亭を紹介するわよ。あそこは腕も確かで、料金も良心的だから安心して良いわ」

「迷いの竹林の中にある、診療所ですね。人里で伺いました。しかし、二人とも今は私の側を離れたくないの一点張りでして……」

「慕われているわね」

「個としての自立を促している手前、あのような依存を推奨する訳にはまいりません。ですが、私の為に頑張ってくれた二人に報いる方法が他に思い浮かばないのです」

 

 私がフルボッコにした星は当然として、どうやら村紗は異変の最中お空と弾幕ごっこを行い手酷くやられてしまったらしい。

 八咫烏の神力が直撃して火傷で済んでいるという点を、むしろ驚くべきなのかもしれない。

 その後、互いの近況や軽い世間話を語り合った後、住職の宣言によりいよいよ今回の会合が本題へと入る。

 

「さて、そろそろ始めましょうか」

 

 開かれるのは、魔人経巻。光体の帯に映る文字列が素早くスライドし、一瞬だけ強烈な発光を行って元へと戻る。

 

「法力によって、この部屋を一時的に外界から完全に隔離しました。ここからの会話は、他者には絶対に伝わりませんのでご安心を」

 

 それ、なんて封絶?

 

 素知らぬ顔でチート技を披露する魔界僧。幻想郷のパワーバランスを担えるに足る、恐ろしいまでの技術と自力だ。

 居住まいを正し、私もまた真剣な表情で彼女の言葉を待つ。

 

「結論から先に申し上げますと、貴女は魔界の神によって幻想郷へと送り込まれた存在です」

「まぁ、そうなのでしょうね」

「余り、驚かれないのですね」

「予想の一つとして、その可能性は考え付くもの」

 

 予想が確信に変わり、散りばめられた謎の一つが終わる。

 夢の終わりを望みながら幻想郷で暮らし、争いを嫌いながら異変に関わる。

 自分で言うのもなんだが、私の行動は矛盾に満ちている。満ち過ぎているのだ。

 自分の行動に別の誰かの思惑でも働いていないと、本気で狂人の所業でしかない。

 

「貴女たちが訪れたあの魔界は、遥か昔に魔界神の築いた世界が崩壊した後、その残滓を土壌として新しく誕生した、言わば「新魔界」とでも言えるような土地です」

「そんな話、聞いた事がないわ」

「えぇ、そうでしょうね。魔界が一度滅んだ事を知っているのは、私を含めあの崩壊から生き残った者だけでしょう。それ以外の者には、古い世界が滅んだという記録や記憶さえ消失しているはずです」

 

 世界の崩壊とは、そういうものです――

 

 瞳を伏せ、物悲しい過去を語る聖。

 再び開いた揺れる両目に映るのは、悲しみと、猜疑と、僅かな恐怖だ。

 

「古い魔界が滅んだから、新しい魔界が出来たのか。新しい魔界を生み出す為に、古い魔界の滅亡が必要だったのか。矮小なるこの身には、過ぎた問題でしょう。ですが――」

 

 聖白蓮という僧侶は、迫ろうとしている「何か」に怯えていた。

 

「ですが、実際に貴女と出会って私の胸に留まっていた疑念は確信へと変わりました。やはり、崩落する世界の中へと消えていった「彼女」が、あの程度で終わるとはどうしても思えない」

 

 滅び行く魔界と、運命を共にした女神。

 終わったはずの物語に、私という続きが生まれた。

 生まれるはずのなかった贋作。

 存在する必要のないミスキャスト。

 

「「彼女」には、生を楽しむ心がありました。世界を慈しむ愛情がありました。何より、思い返してみれば「彼女」は何一つ諦めてはいなかった。権能が一切衰えていなければ、それこそ生き長らえる為にもう一度自分の魔界を創造する事も不可能ではなかったに違いないのです」

 

 ちょっ、じゃあなんで旧魔界滅んだし。

 しかも、神様がピンキリとはいえ魔界神チート過ぎでしょ。

 

 聖の懸念はもっともだ。

 文字通りなんでも出来る世界の創造主が理由も解らず滅んだと聞かされて、素直に受け止められるはずがない。

 むしろ、どんな裏があるのかと疑って掛かるのが普通だろう。

 

「ここからは推測となりますが、本物の「アリス・マーガトロイド」さんは別に居て、貴女はその本物の代役をこなしている」

「……」

「沈黙は肯定と受け取ります」

 

 聖が何を何処まで知っているのか解らない以上、下手な回答は返せない。

 いささかずるい気もするが、私は無言のまま彼女に続きを促す。

 

「短い期間ですが、天狗の新聞などで幻想郷の歴史――特に、スペルカード・ルールが制定される前後から今に至るまでの異変について、少しだけ調べさせていただきました」

 

 異変の収束から、二週間ほど。

 命蓮寺の設立だけでも大仕事だろうに、聖はその合間を使って色々と調べものをしていたらしい。

 

「「彼女」が気紛れに私へと語った、未来の出来事。その予言の内容と、大筋に相違はありませんでした。そして、()()()()()()()()()()()

 

 姿勢を正したまま、真剣な眼差しで私を射抜く聖。

 

「私が教えて貰えたのは、私が助け出される今回の異変までです。しかし貴女は、()()()()()()()()()()()()()()。そして、その知識はやはり()()()()()()()()()()()。違いますか?」

「――未来の改変が、魔界神の狙いだと言うの?」

 

 本来出番がないはずの異変への介入。

 住人たちの関係性の変化。

 その最たるものは、地霊殿での突入メンバー変更や天人からの再戦希望(ラブコール)だろうか。

 私が本物の「アリス」でない以上、私の関わる出来事が「原作」からズレてしまうのはある意味当然だ。

 

「その上、貴女は各地の勢力と意欲的に交流を持たれ、友好的な関係を築かれている。これもまた、相違点の一つでしょう」

「それは、私の意志でやっている事よ。「彼女」の意思ではないわ」

「本当にそうでしょうか。貴女は、ご自分で自覚されている以上に幻想郷で特異な立ち位置を得ておられると推測します」

「私が、霊夢たちにとっての弱みになり得ると? あり得ないわね」

「ご安心を、霊夢さんには通用しましたよ。証明としては、十分でしょう?」

「……」

 

 え? ちょっと待って。

 もしかして、異変で霊夢が負けた理由が私って事?

 

 にっこりと笑う聖の表情を見る限り、嘘や冗談の類ではないのだろう。

 霊夢に通用したという事は、他の娘たちにも通用する可能性があるという事。

 ぞくりっ、と足下から這い上がるような恐怖が全身を満たしていく。

 私自身が、彼女たちの足枷となった事実を把握していない。否、()()()()()()()出来なかった。

 今ここで聖に言われなければ、私はこの先もずっとその事実に目を逸らし続けていただろう。

 造られた私が、「歪だから」と無視し続けて来た違和や不和そのものが、創造主の組み上げた行動原理(プログラム)でないと何故言える。

 現に、霊夢は私の存在が原因で勝てる勝負を落としている。あれが、弾幕ごっこではなく本気の殺し合いだった場合の結末など、想像したくもない。

 

「今はまだ、「彼女」の語った予言との致命的な乖離は見受けられませんでした。ですが、これからもそうである保証は何処にもない」

「そもそも、私たちの知っている未来の情報が正確である保証はあるの?」

「「彼女」は、世界一つを生み出せる全知全能の神です。その予言が外れるのであれば、外れるだけの理由がなければ道理に合いません」

 

 未来の予言である「原作」から乖離してしまう原因は、間違いなく私だ。

 そして、これから起こる異変の内容が「原作」から完全に乖離した時に、一体何が起こるのか。

 その全容を知る魔界の神様は、何も語らぬまま地の底へと消えてしまった。

 過去へ戻って未来を変えたいのであれば、ある程度理解が出来る。

 だが、未来へ行ってその先の出来事を変えようとする意味が解らない。

 或いは、本当に意味などないのかもしれないと思えてしまうのが、恐ろしいところだ。

 

 原作ブレイク希望とか、神様転生(笑)のテンプレの一つじゃないですかー。やだー。

 

 しかし、ここまで語ったあらゆる予測が結論に至る事はない。

 何故なら「彼女」は、あらゆる事象を起こせるだけの、悪辣で、奔放で、迷惑千万な、万能の神なのだから。

 そんな規格外な存在の思惑を、正確に予想しろという方が無理難題だ。

 

「貴女は、その存在そのものが幻想郷に大きな災いを招く種となり得ます」

 

 聖にとって、私は魔界神が幻想郷へと送り込んだ尖兵に見えている事だろう。

 実際、私自身にはなんの自覚もないのだ。その上で、何時爆発するか解らない爆弾を腹に抱えたままのんきに生活しているのだから、魔界への封印も決して方便の類ではなかったに違いない。

 

「強くなりなさい。貴女は、きっとこれからも己の意思に関わらず、幻想郷の住人や大きな事件に関わり続ける事になるでしょう」

 

 それでも、人一倍平和を愛するこの聖者は私の強さを認めてくれた。

 

「そして、災厄はきっと貴女と幻想郷の前に訪れます。悪意なく、善意もなく、気紛れで「彼女」はそれを起こせてしまう。せめてその時に、貴女自身として未来を選択出来るように」

 

 これから先、未来に起こる出来事できっと挫ける事なく答えを出せると、私という存在を認めてくれたのだ。

 

「ありがとう。貴女と話せて良かったわ」

 

 彼女の信頼を、裏切る訳にはいかない。

 

「聖、最後に一つだけ聞かせて。「アリス・マーガトロイド」について、何か知っている情報はあるかしら」

 

 お話しはここまでと言葉を区切った聖へと、私は最後の疑問をぶつける。

 未来の改変の原因が偽物である私にあるのなら、本物の「アリス・マーガトロイド」が確かに存在していたという証明になる。

 しかし、静かに首を振る聖職者の口から、私の望む答えが返って来る事はなかった。

 

「お力になれず申し訳ありませんが、私は貴女以外の「アリス・マーガトロイド」を知りません」

「そう……」

「もちろん、私とて貴女の事情を全て把握している訳ではありません。貴女の感情に関する欠陥を含め、「彼女」の語らなかった真実はまだ多くあるはずです」

 

 幸せになれと言ってくれた「彼女」が、私に何を求めているのか。

 私に、何をして欲しいのか。

 「私」は一体、「誰」なのか。

 

「……結局、「あの人」は一体何がしたいのかしらね」

「えぇ、本当に――本当に、困った方です」

 

 言葉通り、眉根を下げて困り顔で苦笑する聖の表情が全てを物語っている。

 自由で、気ままで、意地の悪い全能の神が残した最期の軌跡。

 明かされた真実と同じかそれ以上の謎が、再び私の前へと立ち塞がる。

 一歩進んで二歩下がる。

 沈み行く泥の中をもがくような息苦しさと共に、負けてたまるかという反骨心が芽生えるから不思議だ。

 

 私の戦いは、これからだ!

 まぁ、とりあえずは次の異変までのんびりしましょうかね。

 

 そうだ、負けてはいけない。諦めてはいけない。

 私が「私」であり続ける為には、魔界の神が相手であろうと屈する訳にはいけないのだ。

 面倒な親からのちょっかいにも付き合う、日常も謳歌する。どちらも出来て、本当の「私」だ。

 例えそれが、矛盾と破綻に塗れていようと。

 これまで生きて来た十数年の年月が、嘘になる事は決してないのだから。

 この幸福が続く限り、私が折れる事は決してないのだから。

 だから私は、この幻想郷を愛しながら今日を生きていく。

 私は再び、甘く、暗く、時に刺激に満ちた日常へ戻る為、明日へ向けての一歩を心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 旧地獄市街地を越えた先にある、灼熱地獄跡地に建つ大屋敷。地霊殿。

 地底に追いやられるほどのろくでなしや、力自慢の鬼でさえも近づこうとしない、嫌われ者の管理者が住む住居にて久方振りになる姉妹の語らいが行われていた。

 

「それでね、それでね!」

「はいはい」

 

 横長のソファーの右端に座るさとりの膝に頭を乗せ、妹であるこいしが興奮気味に外での出来事を語る。

 古道具屋で、成り掛けの古い番傘を見つけた事。

 その傘を妖怪にして友達になろうと、一生懸命奮闘した事。

 その途中にあった様々な出来事を、時系列もバラバラに無軌道なまま捲くし立てる。

 

「色々悩んでた舟幽霊の女の子と一緒に、パルスィに会いに行ったらね、お燐やお空とケンカするくらい元気になったんだよっ」

「そう」

「他にもね、巫女さんに落とされた妖怪の女の子を助けてあげたり、ピンチのお燐を助けたりしたのっ」

「そうなの、こいしは偉いわね」

 

 聞き手であるさとりは慣れたもので、興奮するこいしの頭を撫でながら一つ一つにきちんと相槌を打ってあげている。

 内へとこもった姉と、外へと逃げ出した妹。

 歪な関係だが、そこには確かな互いへの愛情が見て取れる光景だった。

 しかし、そんな穏やかな空気の中へこいしの口から最大級の爆弾が投下される。

 

「あ、そうだ。わたしね、小傘ちゃんっていう傘の妖怪とお友達になったのっ」

「友達? その娘は、こいしを認識した上で記憶出来たの? 凄いわね」

「うん。わたしが妖怪にしてあげた娘でね、大きな傘に下着姿の身体を隠して、わたしの前でばぁって開いたんだよ」

「……え?」

 

 嘘は言っていない。

 

「それと、魔理沙がわたしを強引に押し倒して、痛いくらいに胸を掴んで来たの。それで、荒い息をしながら「お前が悪いんだぞ!」って」

「…………え?」

 

 嘘は言っていない。ただ、少し言葉が足りないだけだ。

 そして、その足りない部分が致命的だった。

 普段であれば、さとりが他者からの説明を誤解する事ない。むしろ、相手の心を読む事で誤解を生む表現を正確に把握する事が可能だ。

 しかし、語り手である古明地こいしは、さとり妖怪が心を読めない数少ない存在なのだ。

 

「あの、こいし?」

「よーし、次はフランちゃんにも教えてあーげよっと」

「待って、こいし。待ちなさい。お願いだから、待ってちょうだい」

 

 妖怪という存在が倫理の外にあるとはいえ、流石に痴女や同性強姦魔と知り合いになってしまった自分の妹を、素直に送り出せるはずもない。

 

「それじゃあね、お姉ちゃん。行ってきまーすっ!」

「こいしっ」

 

 咄嗟に掴もうとしたさとりの右手は、最愛の妹の感触を得る事が出来ていなかった。

 こいしの姿は消え、もうそこには先程まで楽しそうに喋っていた少女が居たという痕跡すら何一つ残されてはいない。

 何もない宙へと伸ばされたままの腕が、今のさとりの心境を如実に物語っている。

 

「こいしが……こいしが、遠くへ行っちゃった……」

 

 物理的にも、精神的にも。

 姉の理解を超えた場所へ、たった一人の肉親が旅立ってしまった。

 

「お燐ー! お空ー!」

 

 その後、病み上がりのお燐とお空に再度地上へ行ったこいしの回収命令が下される。

 飼い主のお願いを断るはずもなく、二人は本調子でないまま幻想郷を東奔西走する事となる。

 心が読めるはずの読心妖怪の誤解は、やがてあらぬ方向へと暴走していく事になるのだが、それはまた別の語りとなるだろう。

 外界との接触は、地底の奥底にある陰鬱な引きこもりにさえ新しい風を届ける。

 それが、当事者にとって救いとなるか絶望となるか。

 嫌われ者と無意識少女を取り巻く歯車もまた、軋みを上げながら動き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コツコツと、石の床を踏む誰かの足音が響く。

 足取りは軽やかに。まるで、これからピクニックに出掛けるような気楽さで滅びた古城の中を進んでいる。

 その姿は人に近く、しかし、同時に普通の人間とは大きく掛け離れていた。

 一房だけを頭上でまとめた、銀色の長髪。赤色の法衣、三対六枚の歪な羽。

 彼女は神だ。全能で、完全な、世界の創造すら可能とする絶対神。

 桃色の球体に乗って宙へ浮かぶ(バク)の妖怪――ドレミー・スイートの分体を伴い神はにこにこと満面の笑みを浮かべている。

 ドレミーは星へ言った。「一日に、通して良いのは二人まで」だと。

 アリスと星だけでは、数が合わない。つまり、アリスの後かそれ以前で、すでに別のもう一人がこの古城へと訪れていたのだ。

 

「ねーぇ、ドレちゃん」

「んー?」

「アリスちゃんは、ちゃんとここに閉じ込めているのよね?」

「そうだよぅ。ここは消滅する直前で切り取った古い魔界の一部、つまりは貴女の「夢」みたいなものだからねぇ。貴女か私が許可するか、奇跡でも起きない限り脱出は不可能だねぇ」

 

 一人の少女が本当に奇跡を起こして閉じ込められていた者たちを救出した事を、二人はまだ知らない。

 

「それじゃあ、私はそろそろ消えるねぇ」

「えぇ。今までありがとう、ドレちゃん」

「私は能力を分離させた別固体だからぁ、お礼なら本体に直接言ってあげてよぉ」

「本人にもちゃんとお礼は言うわよ。今のは、今まで頑張ってくれた貴女へのお礼よ」

「えへへぇ、どういたしましてぇ」

 

 ふにゃり、とだらしのない笑みを浮かべた後、(バク)の妖怪は全身の輪郭を崩し黒い液体となって地面へと溶け消える。

 

「さて、アリスちゃんは今回のサプライズも楽しんでくれたかしら」

 

 残された赤の女神は、夢魔の消滅に伴い徐々に現界からの剥離を始めた半壊の城の中を先へと進んで行く。

 勝者には報酬を。最愛の少女との邂逅が間近に迫り、女神はプレゼントを片手に上機嫌だ。

 そんな彼女の右胸辺りで、法衣の裏から僅かに振動が起こる。

 

「うん? あぁ、貴女の事じゃないのよ「()()()」。だから、今は眠っていてね」

 

 女神がそっと法衣を撫でると、その振るえは本当に眠るように収まった。

 

「私の「侵略者(アリス)」は可愛いでしょう? だから、沢山愛でてあげてね。新天地(幻想郷)

 

 取替え子(チェンジリング)

 生まれた赤子を別の存在と入れ替える、妖精の悪戯。

 何故人形遣いを選んだのかと言われれば、それは単に取替えに一番相性が良かったのが彼女だったというだけの話だ。

 滅びは避けられなかった。

 世界の摂理とでも呼ぶべき大いなる流れが、彼女の魔界の存続を認めなかった。

 どれだけ栄華を極めた物語の記された絵巻物があったとしても、読み手が巻物を破けば全てが終わってしまう。

 だから滅んだ。例え魔界の神であろうと、彼女が絵巻物の登場人物である限り、抗う(すべ)はない。

 全てが終わり、辛うじて掬い上げたほんの少しの残滓だけを残して新たな世界が構築される。

 新たな魔界、新たな土地――そして、新たな神。

 そんな全てが新生された真白の中に、なんの間違いか滅びたはずの女神が居た。

 滅びの先へと辿り着いた――辿り着いてしまった一人の神。

 未来を知った彼女は、生き残った自分が異物となる事を自覚する。

 世界は異物を拒絶する。その圧倒的な奔流を持って排斥し、放逐しようとするだろう。

 死を恐れた訳ではない。ただ、反骨心が出てしまった。

 靈夢、魔理沙、幽香――掬い上げた残滓だけで満足していたのに、もっと欲しいと欲が出てしまった。

 過去の遺物として、もっと証を残したいと願ってしまった。

 彼女は神だ。大き過ぎる存在が動けば、抑止の力もそれだけ大きく働いてしまう。

 やれるとすれば、それこそ悪戯程度の小さな改変が限界だ。

 だから彼女は、残滓の一つとして新生する予定だった「アリス・マーガトロイド」という存在を()()()()()

 

「私は此処よ、此処に居るわ。ねぇ、そうでしょう。アリスちゃん」

 

 世界は異物を拒絶する。

 アリスが今まで被って来た様々な困難の中には、魔界の神がまったく関わっていない事柄も多い。

 決められた未来。定められた結末。それらを脅かすものに、世界は決して容赦をしない。

 しかし、それは同時に異物に対する恐れの表れでもあるのだ。

 決められた未来が、完全に破壊された時。

 定められた結末が、完全に乖離した時。

 その時に、「魔界神の創ったアリスの居る世界」は本当の意味での未来を勝ち取る。

 これは、世界から拒絶された神による挑戦だ。

 世界が勝つか、神が勝つか。

 ただそれだけを求めて仕組まれた、暇を持て余す神の遊戯。

 神の悪戯ほど、性質の悪いものはない。

 他者の栄華や破滅をお構いなしに、独善と興味本位のみで振るわれる試練という名の暴虐。

 妖怪の賢者にも通じるはた迷惑な遊戯に違いを付けるとすれば、双方の純真さだろうか。

 神としてあり、神として生き、神としての責をまっとうした世界への反逆者。

 

「ふふふっ、可愛い娘、私の娘――さぁ、次は何がどうなるかしら」

 

 しかし、意味深な事を言いつつほくそ笑む彼女が、この城の中でアリスと出会う事はなかった。

 何故なら、プレゼントを渡すべき相手はすでにとある風祝(かぜはふり)の手によって幻想郷へと逃げおおせているからだ。

 

「アリスちゃーん、何処かしらー」

 

 結局、彼女が城の中に探し人が居らずプレゼントを渡せない事に気付いたのは、この空間が完全に消失する直前だった。

 万能であろうと、全能であろうと、ポンコツな中身が全てを宝の持ち腐れにしている愚かな女神。

 そんな残念な女神に創られた一人の少女には、心からの同情を送る他ない。

 狙われた幻想郷とその住人たちにも、また同じく。

 侵略者として致命的に適正のない女神と幻想郷(世界)の戦争は、まだ始まりの合図すら遠く彼方に置き去りにされたまま、虚しく時間ばかりが過ぎていくのだった。

 




そう、賽は投げられたのだ――明後日の方角に。
さとりんと魔界神様ェ……

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