東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

88 / 119
待 た せ た な!


86・宴会だよ! ラスボス集合!

 博麗の巫女を堕とすという目的の下、足繁く彼女の居る神社を訪ねる為に早起きになった吸血鬼の姉。

 納豆ご飯とお味噌汁に焼き魚という西洋の城とは完全にミスマッチの朝食を済ませ、とりあえず玉座の間でふんぞり返って暇を潰していたレミリアへと、メイド長である咲夜から一報が届く。

 

「お嬢様。今朝一番にて、お手紙が届いております」

「差出人は?」

「八雲紫です」

「破り捨てろ」

「――よろしいのですね?」

 

 普段であれば、再確認をするまでもなく八つ裂きにしていただろう便箋を掲げ、改めて主人の意思を問う従者。

 何せ、相手はあの妖怪の賢者だ。内容の確認すらせず捨てられる事を、想定していない訳がない。

 もし、スキマ妖怪が紅魔館にとって有益な情報が記されているのを知らずに、手紙を破棄する事を望んでいたら。

 そう考えてしまうと、確認せずにはいられないのだ。

 

「……ちっ。寄越せ」

 

 レミリアもまた、短絡的な行為の迂闊さを理解しているが故に嫌々ながらもひったくるように手紙を受け取る。

 折り畳まれた手紙を開き、嫌味なくらい達筆な内容を確認する事しばし。先へ進むほどに、紅の姫の口角が釣り上がっていく。

 

「――クカッ、クカカッ」

「お嬢様?」

「貴女も読んでみなさい」

 

 手渡されるままに紫からの手紙を読み進めた咲夜の顔には、レミリアとは違い明らかな困惑が浮かび上がる。

 

「これは、決闘状ではありませんかっ」

「そうね。あの年増にしては、随分と(いさぎよ)い簡潔かつ明瞭な用件だわ」

 

 手紙に書かれているのは、時と、場所。そして、必ず一人で来いという締めの文言だけ。

 指定された時刻は夜。人里からは遠く離れた場所に呼び出すのは、当然周囲への被害を考慮しての措置だろう。

 

「危険です。私も共に――」

「咲夜ぁ」

「っ」

 

 請われたまま、本当に一人でのこのこと向かうなど愚の骨頂。

 八雲紫が相手であれば、警戒は幾らしたところで足りはしない。

 しかし、ぬらりと笑う当主の威圧に従者は言葉を飲み込んでしまう。

 

「私は、紫と、遊びたいの。解ってくれるかしら?」

「……御心のままに」

 

 罠があるならば踏み潰す。策が来るならば噛み砕く。

 邪魔立てする者は、誰であろうとぶち殺す。

 わざと言葉を区切り、絶大なる妖気を滾らせながら口元を喜悦に歪ませるレミリアへ、咲夜は諦めと共に奥歯を噛み締めながら(こうべ)を垂れる他ない。

 受けようとしても受けきれず、避けようとしても避けられない。

 対象を十全に把握した上で、絶対に断れない選択肢を突き付ける悪辣にして深淵なる罠。

 かくして、賢者の策は成る。

 今宵、策謀の餌食となった少女は一人、来る決戦へ向けて凄惨なる笑みで想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷と言えば、と問われた場合まず最初に何を思い浮かべるだろうか。

 弾幕ごっこ、異変、巫女。はたまた、妖怪や神などの幻想そのものだと答える者も居るかもしれない。

 その答えを否定するつもりはないが、今日はあえて私の答えを推させていただきたい。

 幻想郷と言えば――そう、宴会だ。

 当然、宴会とは酒を飲む為の行事であり、酒のない宴会など最早お茶会ですらない別の何かだ。

 参加をすれば当然酒を飲まされる訳で、挨拶だけでお茶を濁そうとしてもそれを許すほどお行儀の良い面子ばかりでもない。

 結局、異変後に開かれた宴会では騒動を起こした元凶としての謝罪として開催費用を負担しただけで、命蓮寺の面子は長である聖を含め誰一人として博麗神社の境内に足を踏み入れる事はなかった。

 そして、酒をご法度と定めた組織の者たちにとって、幻想郷でノミニケーションが出来ないという事実は致命傷に近い。

 パワーバランスの一角を担えるだけの戦力を保有しながら、幻想郷が誇る精強たちと一同に会する機会が持てていないというのも問題だ。

 よって、なるべく早急に宴会とは別で聖と列強たちを立ち会わせる場を設ける必要があった。

 

「えーと……つまり、私が呼ばれたのは決闘でもなんでもなくて、単にお花見のお誘いだったという事?」

「そういう事になるわね」

「う゛ーっ!」

 

 地団駄踏みながらそんな可愛いお目々で睨まんといてーな、レミリアたん。

 悪いの私じゃねーし。

 

 折角私と人形たちで頑張って設営した会場を壊されてはたまらないと、真っ赤なぐんぐんにるにるを片手に殺る気マックスで現れた吸血姫へ今日の予定を懇切丁寧に説明した結果、返って来た反応がこれである。

 遥か上空にある、冥界へと通じる結界の裂け目の真下。そこは、春もうららとなったこの時期開花した桜の木が立ち並ぶ、絶好のお花見スポットになっていた。

 一面には水色のレジャージートが敷かれ、淡い光源を発する沢山のランタン型魔道具が、周辺の枝へと吊るされ夜を闇を照らす。

 簡素ではあるが椅子やテーブルも幾つか用意してあるので、立ち食いも座り飲みも各人の好みに合わせて可能となっている。

 冬を越えてそれほど日が経っていない為流石に満開とは言い難い咲き加減だが、これだけの本数があれば十分絶景と言えるだろう。

 

「最悪よ、最悪だわ。私が見えた運命は、もっと凄惨で血涌き肉踊る狂宴だったはずよ……」

「物騒な事言わないで。そもそも、紫が普通に呼んでも貴女はきっと断るでしょう?」

「当たり前じゃない。何が楽しくて、紫ババアと一緒にこんなお花なんて眺めないといけないのよ」

「ちょっと、紫に対する嫌悪で桜まで馬鹿にしないでちょうだい。その首捩じり切るわよ」

 

 私とレミリアの会話に、花見の参加者である幽香が口を挟んで来た。

 草花の悪口は、その存在を愛するフラワーマスターにとって自分への文句に等しいらしい。

 

「相変わらずねぇ、フラワージャンキー。どうせお互い暇を持て余している身なのだし、たまには別のものに目を向けてみたら?」

「余計なお世話よ、ブラッドジャンキー。私が愛でるものは、私が決めるわ」

「それもそうね。まぁ、確かに今にも土に還りそうな老害とこの刹那の美景を同列に扱うのも無粋だったわ」

 

 幽香からの威圧と殺気を平然と受け流せるのは、流石の貫禄だ。

 謝罪はなくとも、肩をすくめて発言について訂正を入れた吸血鬼に満足した花の妖怪が、滲み出していた強大な妖気を収めていく。

 

「ねぇ、アリス。私の扱いが、ぞんざい過ぎるのではないかしら」

「妥当な評価よ。日頃の行いの結果なのだから、甘んじて受けなさい」

「ひ、酷いですわっ!」

 

 突然現れるのは何時もの事なのでスルーしながら素で答えた私の横で、スキマ妖怪がわざとらしい仕草で泣き真似をしている。

 そんなあざとくお茶目な紫から目を離して周囲を見渡せば、そろそろ他の参加者たちも揃って来ている頃合だった。

 この夜会に招待されているのは、各組織の長かその役をこなせる立場の者だけだ。

 お花見の幹事兼幻想郷の管理者として、八雲紫。

 紅魔館から、レミリア・スカーレット。

 白玉楼から、西行寺幽々子。

 永遠亭から、蓬莱山輝夜。

 太陽の畑から、風見幽香。

 守矢神社から、八坂神奈子。

 山の組織から、代理として伊吹萃香。

 旧地獄跡地から、星熊勇儀。

 是非曲直庁から、四季映姫・ヤマザナドゥ。

 そして――命蓮寺から、聖白蓮。

 不参加なのは、天界や地霊殿の面子辺りだろうか。

 天界は、天子のような例外を除き地上には不干渉である為除外。地霊殿は、あの世である是非曲直庁の管轄なので、閻魔の映姫が兼任で代表扱いとなっている。

 また、永遠亭は永琳が来るだろうと予想していたのだが、本来の長である輝夜が来ていて驚いた。あの過保護な薬師が、よくこんな危険な会合への参加を許したものだ。

 一人ひとりの危険度も然る事ながら、一同に集った際の威圧感が半端ではない。

 何せ、私以外の誰も彼もがたった一人本気で力を振るうだけでこの場どころか幻想郷の地形すら変えられるのだから、その恐ろしさは推して知るべしだ。

 しかも、各組織とも仲良し小良しの関係ではないので、些細ないさかいは十分に起こり得る。

 

「さぁ、今日も存分に飲み明かそうじゃないかっ」

「今日のお花見は、ご飯と歓談がメインよ。申し訳ないのだけれど、お酒はほどほどしか用意していないわ」

「なん……だと……っ」

 

 何処かのストロベリーのような驚き方をしながら、萃香が絶望に染まった表情でこちらを見る。

 

 くはははっ。

 宴会の空気を嗅ぎ付けわざわざ代役を脅し取って来たのだろうが、残念だったなぁ萃香さんよぉ。

 おめぇに飲ます酒は、あんまりねぇ!

 

「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。アリスさん。新参故の至らない部分も多々あると存じます為、ご教授頂ければ幸いです」

「なら、まずは肩肘張らずに喋りなさい。無礼講の席だし、何より遠慮や配慮なんて今回の面子にはするだけ無駄よ」

 

 ショックで放心状態となった小鬼を放置し、姿勢を正して綺麗にお辞儀する聖へと幻想郷への付き合い方その一を伝授しておく。

 因みに、今の私の立場は幹事役の八雲家名義で雇われた鉄腕アルバイターである。

 無所属であり、この場の全員と面識がある上に、人形を使った人海戦術も可能な為、会場の設営に加え飲食物の用意と給仕役を同時にこなすよう依頼されている。

 九尾の狐から花見の手伝いを頼まれ、参加メンバーを確認しないままホイホイ快諾した過去の自分をぶん殴りたい気分ではあるが、受けたからには全力で挑むのが私である。

 会場の一角には、自宅のキッチンに似せた調理場と大量の食材が配置されており、コック帽とフリル付きエプロンを身に付けた上海と蓬莱を筆頭に沢山の人形たちが今も忙しく調理を続けている。

 

「皆揃ったみたいだから、そろそろ始めましょうか。聖、音頭の一杯だけで良いから付き合って貰えるかしら」

「はい、般若湯の効能にあやからせていただきます」

 

 般若湯とは、僧家での酒の隠語だ。つまり、酒ではないので飲んでも良いという、子供の屁理屈に染みた言い訳を方便として使っているのだ。

 色々と戒律としての禁止事項の多い仏教だが、こうした抜け道も意外と多い。

 勿論、抜け道があるからといって堕落してしまっては本末転倒だ。

 聞いた話によれば、命蓮寺ではあくまで今回のようなどうしても必要な場面に限り利用する事を認めているらしい。

 

「挨拶は誰がするの?」

「では、僭越ながら私が手短に」

 

 人里で用意した最高級の日本酒の入った陶器の杯を各人へ行き渡らせた後、私の質問に映姫が片手を上げて立候補する。

 久方振りに再会した幻想郷の閻魔様だが、当たり前の事ながらその容姿は出会った当時と一切変わっていない。

 右側だけが長い緑色の短ショートヘア。後ろ髪に紅白のリボンを付けており、白と藍色を基調とした制服と非常にマッチしている。

 なお、()()()()()()()()はかなり低い。

 原作でも色々と物議を醸している彼女の身長だが、実際に会ってみると某霊界探偵に登場する閻魔ジュニアのように大人バージョンと今回の幼女バージョンの両方が可能らしい。

 特に断る理由はないと、全員の無言を承諾と取り映姫は視線の集う中滔々(とうとう)と語り出す。

 

「今日は無礼講ですので、皆さん楽しみましょう――しかし、貴女方はいささか刹那的な快楽を求め過ぎではないでしょうか。大体、長寿である事にかまけてなんの向上心も持たずただ漠然と日々の生活を送るなど怠惰の極み。徳行とは、積み重ねる事によって初めて意味を持つのです。こうして組織の長が一同に介する場に私が招かれたのは最早必然。これを機に、貴女方を含めた皆さん一人ひとりが如何にして徳を積むべきか良く考えていただき――」

 

 長い、長いよ四季にゃん。

 手短にって言ったじゃん。言ったじゃん……

 

 思わず心の中で突っ込みを入れてしまったが、彼女にとってはこれでも「手短に」語っているつもりなのだろう。

 しかし、閻魔様の説教をありがたそうに聞き入っている聖職者以外の者にとっては、まったくもって短くない挨拶が延々と続く微妙な雰囲気になってしまっている。

 仕方がないので、この事態を打破するべく紫へと視線を向ければ、彼女もまた私へと視線を向けて沈痛な面持ちで頷いて見せた。

 

「ですから、貴女方は生きとし生ける者として罪を犯し続ける事を深く反省してですね――」

「乾杯っ!」

「「「乾杯っ!」」」

 

 未だ続く閻魔の説教を全力で遮る紫の音頭に、追い討ちとして鬼を筆頭とした面々が杯を掲げて唱和する。

 出だしからぐだぐだになってしまったが、本日のお花見がここからようやく開始となった。

 八雲が誘い、こうして各所の頭目が集った宴だ。

 恐らく、この夜のピクニックが無事に終わって欲しいと願う私の祈りが、聞き届けられる事はないだろう。

 早速人形たちを使って出来上がったお花見料理を配りつつ、私は溜息を漏らさずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 人里の隣に建てられた命蓮寺はそれなりに大きな建物だが、流石に集った信者全員を収容出来るほどの部屋数は用意されていない。

 そうした中、庇護を求めて早期に入信し部屋の一つを与えられた響子は、かなり運の良い部類に入るだろう。

 そんな幸運を得た少女が、突き当たりにある厠を目指しとてとてと夜の廊下を歩く。

 

「んー……んひぃっ!?」

 

 すると、板張りの通路の途中で突然響子が飛び上がりながら悲鳴を上げて大きく仰け反った。

 

「ぷははっ。「んひぃっ!?」だって!」

 

 一輪の部屋の近くで壁に同化し隠れていたのは、悪戯好きの封獣ぬえ。手に持つ三叉槍を使い、通り過ぎた響子のお尻を突いたのだ。

 

「……っ」

 

 真夜中の悲鳴を聞き付け、雲の入道である雲山が即座にその場へと出現する。

 涙目の響子と喜悦満面のぬえを見て、即座に状況を把握した巨人がその大きな腕を正体不明の小娘へと伸ばす。

 

「へっへーんっ。捕まらないよーだっ」

 

 しかし、ぬえとて伊達に悪戯を重ねて来た訳ではない。廊下の壁を利用した軽快なフットワークと軌道で雲山の腕をかわし、そのまま厠とは別方向へ向かって飛び去って行く。

 

「今度は何よー、うんざーん」

 

 続いて障子を開いて現れた一輪は、いかにもうんざりといった調子で雲山に問う。

 

「うん、うん――はぁっ、あのアンポンタン。いっそ墓地に埋めてしまおうかしら」

 

 相棒から顛末を聞いた僧侶は、頭痛を抑えるように眉間に手の平を置き深い溜息を吐く。

 

「とりあえず、お尻の傷を見ましょうか。響子ちゃん、こっちにいらっしゃい」

「あ、えと……」

「ん? あぁ、ごめんなさい。気が利かなくて。まずは、厠が先よね」

「あうぅ」

 

 山彦の少女がこの場に居る目的を察して苦笑する一輪に、響子は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 ほどなく響子の小用も終わり、永遠亭印の救急箱の出番となる。一輪の部屋に常備されている辺り、使用頻度はそれなりに多いのだろう。

 

「はーい。それじゃあお尻をこっちに向けて、ズボンを少し下げてちょうだい」

「は、はい。えと、こ、こう、ですか?」

 

 肘や膝へ負担を減らす為に敷いた布団の上で、四つんばいになった響子が恐る恐るズボンを下ろす。

 山彦である少女の見た目は、年端も行かぬ幼女とすら呼べるもの。

 自ら乱した着衣。服従の姿勢と、羞恥に潤んだ瞳。

 外見が外見だけに、もたらされる背徳感と嗜虐心は一部の層にバカ売れ間違いなしの光景である。

 この場に幻想郷の伝統文屋が居れば、間違いなく無言でカメラのシャッターボタンを連打しているに違いない。

 

「んー、もうちょっとかしら。ちょっとごめんなさいね」

「は、はわわっ!」

「女の子同士なんだから、そんなに恥ずかしがらないのー」

 

 しかして、看護役は命蓮寺随一の世話焼きである雲井一輪だ。

 左手で相手の腰を固定し、右手を使ってズボンを下穿きごと一気にずり降ろす。

 因みに、一輪の相棒である雲山はすでに響子が入室した時点で音もなく退去を完了している。

 彼は雲でありながら日本男子であり、そして何よりも紳士なのだ。

 

「うーん。やっぱり少し血が出ているわね。ちょっと染みるから、我慢してね」

「はいっ。ひ、ひうぅっ」

「よーし、偉いわね」

「ん、んぅ、んひぅっ」

 

 ぷりっ、と突き出された可愛らしいお尻に、ピンセットで摘まんだ赤い消毒液を付けた綿で優しく治療を施していく一輪。

 響子の声が妙に艶めかしく、いかがわしい事をしているように錯覚してしまうが、この光景は健全である。

 

「ごめんなさい、響子ちゃん」

「え?」

 

 治療を続けながら、一輪が響子へと謝罪する。

 他でもない、かつての同胞が行っているはた迷惑な迷走についてだ。

 

「あの娘は――ぬえはね、きっと焦っているんだと思うの」

「焦っている、ですか」

「知らなかったとはいえ姐さんを救出する邪魔して、その結果起こった騒動でもあんまり役に立たなくて。私たちから愛想を尽かされるんじゃないかって、怯えているのよ」

「……」

「どうすれば良いか解らなくて、誰かに頼るなんて出来なくて。結局、昔の自分をなぞる(悪戯を繰り返す)しかないって思い込んでるんでしょうね」

 

 あの大馬鹿者は、きちんと皆の前で謝罪をした。その上で、一輪たちから彼女を許すと宣言しているのだ。

 それでも、彼女は信じられないのだろう。何よりも、自分の愚昧さを理解するが故に。

 ぬえの難儀な性格は、数百年前からの筋金入りだ。恐らく、治る見込みはない。

 だとしても、あの愚かで浅はかな迷い子を見捨てるという選択肢は最初から存在しない。

 例え誰が見捨てたとしても、命蓮寺だけは見捨てない。それが、この組織の根底にある共通の認識である。

 

「あの娘を許せだなんて言わないわ。でも、出来れば嫌いにならないであげて」

「私、ぬえさんの事嫌いじゃないですよ。だって、今は同じ命蓮寺の一員じゃないですか」

「……っ」

 

 少しだけ照れくさそうに笑う清らか過ぎる響子に、一輪は感極まって治療の手を止めてしまう。

 

「響子ちゃんって山彦の妖怪だと思っていたけれど、実は天使だったのね」

「ほえ?」

「いいえ、なんでもないわ……疲れているのかしら」

 

 日々雑務に奮闘する入道使いにとって、どうやら山彦の少女は問題児ばかりの命蓮寺に訪れた一筋の癒しに見えてしまったらしい。

 

「……ん? 雲山? 終わっているから、入って良いわよ」

 

 追い掛けた悪戯小娘には逃げおおせられたらしい雲山を察知し、響子の服を戻しながら閉じた障子の向こうにある気配へと入室を許可する。

 

「……」

「え? そうじゃない?」

「……」

「ナズーリンが来てるの? こんな夜更けに? 珍しいわね」

「あ、あの、一輪さん」

 

 側にある存在と会話をしているのに、独り言のようにしか見えない入道とその主の会話の途中で、山彦が声を掛ける。

 

「どうしたの?」

「私、雲山さんの声って聞いた事がないんです。聞かせて貰う事って出来ますか?」

「あー。近頃はずっと()()だったから、言われるまで気付かなかったわ」

 

 声に関係する妖怪だという点を差し引いても好奇心に満ち溢れている山彦の視線を受け、困ったように頬を掻く。

 

「今でもそうだけれど、私たちって上役が全員女だから気を利かせてくれているの。まぁ、肩身が狭いってのもあるんでしょうけれど」

「そうだったんですか」

「そうだったの。それじゃあ雲山、聞かせてあげて」

「……」

「おぉーっ。雲山さんの声って、渋い上に深みがあってとっても素敵なんですね!」

「……っ」

「雲山、年甲斐もなく何照れて……貴方まさか、私や他の娘に欲情しないと思ったら童女趣味だったの!?」

 

 訪ねて来たナズーリンを完全に待たせているが、彼女は客ではなく同胞。少しくらいの対応の遅れは、きっと許してくれるだろう。

 軽い善意からあらぬ誤解を生んだ夜中の騒動が収まるには、もう少しだけ時間が掛かりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 雲山の弁解により彼の名誉が辛うじて守られ、ようやく一輪が迎えに行ってみれば、勝手知ったる己の仕事場としてナズーリンはすでに客間で緑茶をすすっていた。

 

「随分と騒がしかったね。またぞろ、ぬえが悪戯でもしたのかい?」

「うん、まぁ、そんなところよ」

「なんだい、歯切れが悪いね。まぁ良い、座りたまえ」

「はいはい」

 

 遅れて訪れた入道使いの曖昧な態度を見て小首を傾げながら、小ネズミが着席を促す。

 

「そっちはどう? ナズーリン。何か、不便とかしていない?」

「私の方も、なんとかやっているよ。すまないな一輪、こんな大事な時期に寺の運営を任せ切りにしてしまって」

「そう思うんなら、さっさと戻って来なさいな」

 

 この主人想いの従者がどうして住処を分けたのか、その理由が解らないほど一輪は暗愚ではない。

 しかし、ナズーリンの身を案じる彼女の台詞は皮肉も込みで間違いなく本心なのだ。

 

「苦労を掛けるな」

「慣れたものよ。今も昔も」

 

 力仕事が得意な者が居る。

 策を練るのが得意な者が居る。

 そうした、様々な特徴を持った者たちをまとめる者が居る。

 そして、そのまとめ役を支えて来た者が居る。

 一人ではなく皆で。個ではなく群で。

 彼女たちは、聖と共に「今」「此処」で「生きる」事を決めていた。

 

「今日の用事は? ――って、大好きなご主人様に決まってるわよね」

「当たってはいるが、その物言いは納得出来ないぞ。一応、村紗の復帰祝いも兼ねているよ」

「自分で「一応」なんて言っちゃう辺り、お察しよねぇ」

「うるさい」

 

 恐らく、滋養の為の食材か料理が入っているのだろう持って来ていた風呂敷包みを机に置き、プイッとそっぽを向くナズーリン。

 足繁く通うのであれば、わざわざ距離を置く為に別居までした意味がない。

 否定しない時点でナズーリン自身も自覚はしているのだろうが、すでに命蓮寺の中まで入って来ている以上どんな言い訳も空虚に響くだけだ。

 

「星は本殿よ。立てるようになってから、ずぅっとあそこで瞑想中。食事も睡眠も取らずにずぅっと、ね」

「そうやって、無駄に不安を煽れば私が戻って来るとでも思っているのかい? ご主人は、あの時確かに答えを得ていた。今、私たちに出来るのは見守る事だけだよ」

「はっはーん。まずは突き放しておいて、いよいよになったら手を差し伸べて好感度を上げようって腹積もりね。流石賢将汚い、汚いわー」

「邪推も大概にしたまえ。私はご主人様の従者、私の全ては彼女の為にある」

 

 ナズーリンは、毘沙門天によって地上へと遣わされた星の監視役だ。資格なしと判断した場合は、速やかに天上へと進言し毘沙門天の代理をただの虎の妖怪へと戻す事も出来る。

 特に、今回の異変で星が行ったアリスとの決闘とその理由は、徳の高い神仏として相応しくない蛮行だったはずだ。

 ナズーリンは当然、己の職務として毘沙門天に今回の一件を報告している。報告した上で、彼女も星も未だにここに存在している。

 つまりは、そういう事なのだ。

 きっと、危うい橋だっただろう。少しでも天の不興を買えば己こそが消滅の憂き目に遭っていたというのに、小さな賢将はそんな素振りをおくびにも出さない。

 

「そういえば、こんな夜更けに外出しているようだが、聖は何処へ?」

 

 これ以上語る気はないと、露骨に話題を切り替えようとするナズーリン。

 一輪はクスクスと小さく笑いながら、その下手くそな舵取りに乗ってあげる。

 

「あぁ。幻想郷の管理者とか名乗る胡散臭い妖怪に呼ばれて、お花見へ行ったわ」

「八雲紫か、あの妖怪は危険だ。挨拶で顔を合わせたあの一度だけでも、それは十分理解出来ているはずだろう」

「だとしても、「他の組織の長たちも一緒だから」なんて誘われ方をしたら、断る事は出来ないわ」

 

 幻想郷において、命蓮寺という組織が全体から一歩遅れを取っている事は本人たちが一番に自覚している。

 その不利を少しでも改善する機会を与えられれば、例えなんらかの罠だと解っていても乗らずにはいられない。

 

「的確にこちらの泣き所を突いて来る。大事なければ良いが――待て、花見だと」

「えぇ、お花見。夜桜でも楽しめる場所があるんですって」

「一輪……君は、解っていて聖を行かせただろう」

 

 聖を心配していたはずのナズーリンの目が、一気に胡乱なものへと変わっていく。

 幻想郷での行事とは、酒宴と同義だ。

 

「さぁて。なんの事か、私にはさっぱり解らないわねぇ」

「異変でやられた意趣返しのつもりか。まったく、大人気ない」

 

 本人が幾ら断ったとしても、どうしようもない場面というものは必ず生まれてしまう。

 つまり、聖白蓮が酒を飲む。

 その意味を、その結末を、この場の二人は嫌と言うほど理解している。

 

「大丈夫よ。この程度でどうこうなるようなら、むしろ好都合よ」

 

 酔っ払い一人止められない惰弱な環境であれば、何も恐れる必要はなくなる。

 相手もまたこちらを探る為に誘い込んだのだろうが、まさか普段は穏当な聖が一番の爆弾であるなど想像もしていない事だろう。

 

「やれやれ。別の意味で不安になって来たが、そろそろおいとまするとしよう」

「けっこう良い時間だし、泊まっていったら?」

「断る」

 

 あくまでも引き止めようとする一輪に、ナズーリンはにべもない答えを返し立ち上がる。

 

「おいとま前に、一度本殿に寄らせて貰うよ」

「え? 見守るんじゃなかったの?」

「見守るさ。今から、側でね」

 

 いっそ開き直りとも言える態度で鼻を鳴らし、話を終えた小さな従者はそのまま迷いなく客間を立ち去って行く。

 恐らく、言葉通り星の居る本殿へ向かったのだろう。

 

「天然主人に捻くれ従者。先は長そうね」

「……」

「あぁ、雲山。さっきはごめんね。あんな風に、誰かをからかったりからかわれたりって本当に久々だったから、はしゃいじゃったわ」

 

 両手を合わせ、ペロリと舌を出しながら可愛らしく小首を傾げて謝罪する一輪。あざとい仕草ではあるが、長年付き合いのある雲山には当然通用しない。

 通用しないと解っていながらやる辺り、一輪の性格も大概である。

 そもそも、雲山はあの程度で怒るほど狭量でもなければ、冗談が通じないほど堅物でもない。

 先ほどの一幕もこの場も、お互いを深く理解しているからこその茶番に過ぎない。

 

「……」

「えぇ。今度こそきっと、皆で幸せになりましょうね」

 

 かつて、一人の聖人に救われた者たちが居た。

 人間から疎まれ、妖怪からも敵視され。血塗れの中道を歩く入道使いと見越し入道の二人に示された新たな道は、決して楽なものではなかった。

 だが、その苦難を歩く事こそが二人にとっての救いとなった。

 自分たちと、聖と、中間たち。誰一人欠けてはいけない、一輪と雲山にとって最も幸福な未来。

 この寺には、少々自己犠牲を好む者が多過ぎる。

 縁の下の力持ちとして。彼女たちの戦いもまた、幻想郷で始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 最初の犠牲者は、レミリアだった。

 おかしいとは思っていたのだ。

 用意したポ○ジュース風果実水を飲んでいたはずの聖は、明らかに酔っ払っていた。

 空となった瓶を手に取り残った数滴を味見してみれば、見た目だけをそのままに中身はまったく別のものにすり替えられているではないか。

 こんなややこしい上に手の込んだ悪戯を仕掛ける問題児など、一人しかいない。

 

 ま た ス キ マ か。

 

 しかし、例え犯人が解ったとしてもすでに起こってしまった事件をなかった事には出来ない。

 

「んー! んむー!」

「ん……」

 

 じたばたと全力でもがくレミリアの抵抗をまるで意に介した様子もなく、赤ら顔の聖女が少女の唇を貪る。

 吸血鬼の怪力すらも捻じ伏せる、恐るべき身体強化。何時の間に魔法を発動させたのかと思えば、彼女たちの足下に転がる魔人経巻がピカピカとひとりでに光っていた。

 確か、阿求の書記にあの巻物には意思が宿っていると書かれていた。恐らく、主の要望を汲み自主的に魔法を発動する補助をしているのだろう。

 

 何この……何?

 なんなの、この状況。

 

 満開の百合が咲く、倒錯的なキスシーン。

 特殊な事態ではあるものの、危険かどうかと言われればレミリアの貞操以外は大丈夫そうな雰囲気なので、いきなり暴力に訴えるのも躊躇われてしまう。

 

「ん……む……っ」

 

 やがて、レミリアの抵抗が弱まっていく。

 月下の夜に、紅の美姫が地面へと落ちる。

 彼女の予知が当たったのかは知らないが、確かに紅の月姫は狂宴の犠牲者と化した。

 

「うふ、うふふふっ。あぁ、あぁ、みんな、みぃんな、幸せにしてあげますからねぇ」

 

 妖艶に三日月の笑みを浮かべながら、何か恐ろしい事を呟いている絡み上戸のキス魔。

 一度でもあのゴリラを超える腕力に捕まれば、レミリアのように抵抗すら無視されその抱擁と接吻を受け入れる他ない。

 次の獲物を求めてゆらゆら揺れている聖から、とりあえずもう三歩だけ距離を置いておく。

 

「どうするのよ、紫」

「どうもこうも、こうなるでしょう」

 

 警戒する私からの質問に、扇子で口元を隠すお得意のポーズで紫があごをしゃくった。

 視線をそちらへ向ければ、確かに事態はすでに次の段階へと移ろうとしているらしい。

 

「「「じゃんけん、ぽん!」」」

 

 勇儀と萃香と神奈子と幽香。武闘派四人が集い、突然じゃんけんで勝負を開始する。

 勝者は勇儀。

 

「よっしゃー!」

「ぬぐっ。くっそー、あの尼の親分なら絶対楽しめるのに」

「ふむ、負けてしまったか」

「そうね。まぁ、二人のお手並み拝見といったところかしら」

 

 両腕を上げて喜ぶ勇儀を見上げ、全力で悔しがる萃香。神奈子と幽香は比較的落ち着いた様子で、観客の身へと戻る。

 どうやら、酔っ払った和尚さんを止める役を決めていたらしい。

 

「まずは、軽く一発っと」

 

 一番手となった鬼の四天王の一角が、嬉々とした表情でいきなり宣言もなしに聖へと殴り掛かる。

 例え加減をしているとはいえ、鬼の拳は巨岩を砕く。肉体の強化を得意とする魔法使いであろうと、まともに食らえば怪我では済まない。

 

「うふっ」

 

 しかし、無造作に振るわれる勇儀の右拳を開いた手の平で受け止め、聖の笑みは止まらない。

 そして、ようやく私は理解する。

 

「勇儀、離れなさい!」

「おん? 突然何を――んむっ!?」

 

 忠告虚しく、勇儀の唇も聖の餌食となった。

 問題は、その後だ。

 

「ん、んん!?」

「ん……くちゅ……っ」

 

 勇儀の肉体から急速に妖気が失われ、反比例して聖の魔力が一気に増加していく。

 レミリアがあそこまであっさり落とされたのは、己の妖気を唇から強引に吸収されていたからなのだ。

 むしろ唇だけと言わず、肉体を接触させた部位から問答無用で引き抜けると考えた方が良い。

 

 エナジードレインって、猫か吸血鬼の特技じゃないの!?

 ありゃりゃぎさんは何処だ!?

 失礼、かみまみた。

 

「ん――がぁっ!」

「あうんっ」

 

 私の脳内の混乱を他所に、一角の鬼が握り締めた両手の拳を相手のあごへと叩き込み無理やりに顔を離す。

 しかし、レミリアと勇儀という二人の大妖怪の妖気を取り込んだ魔法使いの強化魔法の前には、弱体化した拳骨は大したダメージになっていない。

 

「ぎゃはははっ! 勇んで突っ込んどいて、鬼が逆に食われるなんて馬鹿過ぎだろっ。こりゃあ面白くなって来たっ」

「対妖怪――いえ、対人外に特化した能力ね。あの鬼を初手であそこまで劣勢に追い込むなんて、中々やるじゃないか」

「あのまま無様に負けてくれそうだし、次を決めておきましょうか」

 

 友の危機に対し、手を叩いて爆笑する萃香。

 冷静な視線で、両者の動きをつぶさに監察する神奈子。

 平静を装いつつ戦いたくてうずうずしながら、次の相手を決めるじゃんけんを始めようとする幽香。

 

「あらあら、大変ねぇ」

「面白い新人さんね。私も楽しめそうで何よりだわ」

 

 幽々子と輝夜の方は、聖の暴走を眺めながら料理と飲み物を片手に完全なる観戦モードだ。

 勇儀の戦意はまだお遊びの範疇であり、まるで全力を出していない。

 大惨事までのカウントダウンが開始されているというのに、誰一人避難をしようとしない。恐らくそれは、個々の裏打ちされた実力や能力故だろう。

 しかしながら、へっぽこ魔法使いである私にとってこれから先は間違いなく死地にしかならない。

 よって、どうにか出来そうなさいばんちょへ躊躇いもなく助けを乞う。

 

「映姫、頼めるかしら」

「――白です」

 

 一人、簡素な椅子に座り私のお花見料理をもくもく食べていた映姫は、味噌を付けて焼いたこんにゃくである田楽焼きの串を片手に無情な答えを返して来た。

 

「私は、お花見が始まる前にこの場は無礼講だとお伝えしたはずですよ。仏門に携わる者が酒気に惑うなど言語道断ではありますが、それも八雲紫の悪戯が原因ですので今回は不問としましょう。その上で、聖白蓮の行動の根底には悪意がありません。故に、白です」

 

 聖の行動に罪がない以上、自分が手を出す理由はない。お役所仕事的な発言をするだけで、再び食事へと戻る地獄の最高裁判官。

 

 ちょっ、おいぃっ。

 悪意がないからって、ほっといて良い状況じゃなくない!?

 

「すみません。田楽焼きのおかわりをいただけますか」

 

 あ、やっぱり気に入った? ふふん、実はそのこんにゃく私の手作りなんだー。

 市販品の方が早くて味もムラがないけど、やっぱり手作りだと愛着が違うよね。

 有名な妖怪や神様の好き嫌いからマニアックな材料作りまで、必要な情報はなんでも揃う紅魔館の大図書館。マジ万能。

 閻魔様の好物がこんにゃくとか、調べてみて初めて知ったわ。

 ――じゃなくて! マイペースに焼いたこんにゃくとか、食ってる場合でもねぇでしょうが!

 

「ははっ! やるじゃあないかい! 今度はこいつでどうだい!」

 

 私が裁定者(ルーラー)の召喚に失敗したところで、呵々大笑した鬼が動く。

 流石はステータス極振り妖怪。大半の妖気を奪われておきながら、それでも弱った肉体で聖と互角に戦えている。

 

「あらあらうふふ。心地の良いそよ風ですね」

 

 私にとっては全てが即死となるであろう豪風を伴う拳の連打を、赤ら顔に笑みを浮かべてふらふらと受け捌く聖の動きは、とても酔っ払っているとは思えないほどに流麗かつ正確だ。

 とはいえ、接触するだけで妖気が奪われていっている為、勇儀は攻撃の激しさを増すほど同じ勢いで弱体化していく。

 捕まる危険を理解しているからか、勇儀も速さを重視したまま攻めあぐねている様子だ。

 鬼の四天王が遊びから本気になった時、この拮抗は崩れるだろう。同時に、その余波によって周辺一帯と私が消し飛ぶのも間違いない。

 流れ弾すら恐ろしい為、えいきっきバリアが手放せないほどだ。

 

「映姫、お願い。二人が怪我をする前に止めたいの。こんな綺麗な桜林がなくなるのは、幻想郷にとっての損失よ」

「……良いでしょう。私も、この宴で血が流れるのは本意ではありません」

 

 再度の懇願に、二本目の田楽焼きを食べ終えた映姫が不承不承といった様子でようやく重い腰を上げた。

 

「喧嘩の仲裁程度、お一人で出来るようになっていただかないと困ります」

 

 ひのきの棒と布の服で、魔王(複数)に挑めと仰るか。

 ぬわーーーー! する未来しかないよね。普通に死ぬよね。

 

 腰に着けていた悔悟の棒を右手に持ち、閻魔がその細腕を振り下ろされた瞬間、全てが止まる。

 

「裁きよ、あれ」

 

 審判 『ギルティ・オワ・ノットギルティ』――

 

「ぉっ!」

「がぁっ!」

「ぐぅぅっ!」

 

 まるで、突然重力が増したかのように私と映姫以外の全員が(こうべ)を垂れて膝を突く。それは、勇儀も、輝夜も、紫でさえ例外ではない。

 一撃。閻魔の行うたったの一度の裁定が、この光景を作り上げた。

 

「今背負っているものは、貴女方の「罪」そのものです。しばらくそのまま反省していなさい」

 

 幻想郷で最強を自負する者たちでさえ、一切の反抗を許さない絶対の(ことわり)

 裁きの神が下した審判に、再審はない。もし仮に情状酌量の余地があるのだとしても、当然それを加味した上で判決は下されているのだ。

 違えず、揺るがない、正確なる善悪の基準。故に、決定はたった一度しか行われない。

 

「お花見どころじゃなくなってしまったわね。どのくらいで戻るのかしら」

「拘束を解くのは簡単ですよ。彼女たちが、己の罪を心から反省するのであればすぐにでも」

 

 映姫の説明を聞き、背中に冷や汗が伝う。

 

 え? それ、一生解けないんじゃね?

 

「大丈夫なの?」

「ご心配なく。彼女たちがこの程度で反省してくれるのであれば、私もこれほど苦労はしていません。ものの数分もせずに、各人が自力で拘束を弾くでしょう」

 

 閻魔様の裁きすら気合でどうにかするとか、何それ恐い。

 こわいわー、ラスボスこわいわー。

 

 それでも、閻魔という抑止に頼った結果、彼女は喧嘩両成敗どころかこの場に居る全員を同時に裁いて見せた。

 喧嘩の熱は冷めるだろうが、これでは宴の熱さえも失われてしまう。

 しかし、疑問も残る。

 

「映姫、どうして私は皆のようにならないの?」

 

 そう、映姫が全員を裁いたのであれば当然私も対象に入っていないとおかしい。

 だというのに、こうして私は身体が重くなったりせず平然としていた。

 

「貴女が、聖白蓮からご自身の出自について説明を受けた事はすでに承知しています。それ以上で私から付け加える事は、特にありませんよ」

 

 閻魔を前に、虚偽や誤魔化しは一切通用しない。

 盗聴防止をした上で行った会合の内容でさえ、彼女は当然の如く全てを見通してしまう。

 

「やっぱり、貴女も私が「何」であるかを知っているのね」

「何を語ろうと、意味はありません。言葉に捕らわれて、貴女はきっと語られる本質を見誤る」

 

 皆が皆、真実を前に口を閉ざす。まるで、自分たちはそうしなければならないとでも言うように。

 幻想郷の閻魔もまた、僅かに眉を寄せ小さく首を振るのみ。

 「アリス・マーガトロイド」の皮を被っただけの、滅びるはずだった魔界神によって作製された、この世界にとっての異物。

 閻魔でさえ、私を裁く事が出来ない。

 つまり、私の死後に幻想郷はないのだ。何を成そうと、何を失おうと、異物は異物として破棄され終わる。

 輪廻も昇華も堕落もなく、ただ終わるのだ。

 

「ご自分の立場について、僅かでも自覚が出来たのならば大いに結構。これより先は、魔法の森にあるご自宅の中で誰にも会わず、何にも関わらず、孤独の中で朽ち果てなさい。それが、私が示せる唯一の救いの道です」

「……無理よ」

「えぇ、無理でしょうね。貴女はもう、出会ってしまった」

 

 何もかもを恐れ引きこもり続けたあの頃であれば、或いはそれも可能だったかもしれない。

 だが、映姫が言う通りもう無理なのだ。

 最初は紫。その次は、恐らく霊夢。

 紅魔館の吸血鬼と、そこに住まう者たち。

 白玉楼、永遠亭、地霊殿、命蓮寺。異変の度に幻想郷は広がり、私はその全てに関わった。

 繋がった(えにし)を断ち切る事は出来ない。私自身が、断ち切りたくないとすがってしまうから。

 

「前にも後ろにも進めないんだから、ここで踏ん張るしかないでしょう?」

 

 「最強」の存在を前に、敗北と失敗を突き付けられた隻眼の剣士が辿り着いた、一つの生き様。

 私は彼のように、満足の行く結果を得られないかもしれない。

 それでも、もう決めたのだ。生きると。

 上海と蓬莱の犠牲の上で、生き続けると。

 その先に、私の望みが叶う未来がないのだとしても。

 私に、何一つ救いがないのだとしても。

 それが、私を守って散ってしまった彼女たちの命に報いる、唯一の道であると信じて。

 

「そう、それで良い――少しでもズレてしまえば、私は貴女を裁かねばならなくなる。世界の敵として」

 

 誓いを新たにする私には、映姫が何を呟いたのか聞こえなかった。

 

「ふっざけんなぁぁぁっ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぁぁぁっ!」

 

 私がうつむく小閻魔に聞き返すよりも早く、地獄の底から這い出すような雄叫びが起こる。

 勇儀と萃香。鬼の二人が、歯を食いしばりながらも大地に両足を付け無理やりに起き上がろうとしているではないか。

 元々鬼とは脳筋の代名詞ではあるが、まさか超常の重圧に対し筋力で解決を計ろうとするとは。清々しいほどに阿呆である。

 しかし、それで本当に立ち上がってのけるのだから、呆れるより先に恐ろしさからの寒気が走る。

 

「もう、乱暴ねぇ。お洋服が汚れてしまうわぁ」

「亡霊の身体に泥が付くなんて面白い冗談ね、幽々子。こっちは生身で服も汚れて、散々よ」

 

 鬼に続き、可愛らしく頬を膨らませる幽々子とうんざりした様子で服を払う紫が立ち上がる。

 こちらは起き上がれた理屈がまったく解らない分、勇儀たちよりも更に薄ら寒い。

 他の面々たちも、それに遅れる形でなんとか起立しようとしていた。

 閻魔の拘束が緩いのではない。彼女たち全員が、揃いも揃って規格外過ぎるのだ。

 

「くー、くー」

 

 唯一聖だけが、地面に伏したまま和やかな寝息を立てていた。

 酔っ払った身体で散々暴れた後、寝かし付けられた(地面に縛り付けられた)のだ。眠ってしまうのも、無理はない。

 

「折角の喧嘩に横槍入れるとか、舐めてんのかこの糞閻魔!」

「まぁ、良いじゃん。酔っ払いも片付いたし、飲み直そうぜ」

「いいや、納得出来ないね! くたばれぇ!」

 

 これは、転生ダンプカー再来!

 掲げるべきは今! えいきっきバリアー!

 

 萃香の制止を聞かず、その剛体で風を切り裂き突進して来る勇儀に対し、私は素早く映姫の後ろへと移動して難を逃れる。

 

「やれやれ」

 

 映姫は回避しない。それどころか、防御の姿勢すら取らない。

 鬼の拳が顔面へと直撃し、止まる。

 常人であれば、折れるどころか当たった部位が消し飛ぶほどの剛撃を受けたというのに、映姫は姿勢を崩す事は愚か血の一滴すら流してはいない。

 無礼者を前に、幻想郷の閻魔が深々と溜息を吐く。

 

「――確かにこの場は無礼講だと言いましたが、ここまでの無礼を看過しては閻魔としての業務に差し障る。そう、貴女は少しはめを外し過ぎた」

 

 懐から取り出したのは、十枚のスペルカード。

 今見た通り、閻魔である彼女には如何なる攻撃も通用しない。

 波長を操る月の兎に言わせれば、彼女は「他の生き物と一切干渉することが無い」特殊な波長の持ち主らしい。

 受け止めず、反発すらしない、完全なる「無」。物理、魔法、妖気、どんな手段であろうと、閻魔である彼女を傷付ける事は出来ない。

 勇儀の怒りを静める為に、映姫はあえて彼女の土俵へと降りたのだ。

 

「上等だ! 吠え面掻かせてやるから覚悟しとけ!」

「御託は良いから来なさい。私にはまだ、やるべき事があるのです」

 

 四季にゃん。そのやるべき事って、こんにゃく食べる事じゃないよね。

 さっき私のお願い聞くの渋ったのって、実は食事を続けたかったからじゃないよね。

 

 絶対にないとは言い切れないところが、閻魔にも人間味がある事の証明なのかもしれない。

 しめやかに始まり、つつがなく終わるはずだったお花見は、結局このまま何時も通りのどんちゃん騒ぎへと雪崩れ込む事だろう。

 

「今度は弾幕ごっこ? だったら私も参加しようかしら」

 

 優雅に微笑む輝夜。

 

「あら、良いわね。貴女とは一度勝負をしてみたいと思っていたの」

 

 花の様に可憐に笑う幽香。

 

「であれば、私は今しばらく見に回るとしましょう。手の内を拝見した後、皆一様に叩きのめしてあげる」

 

 戦神らしい獰猛な笑みを浮かべる神奈子。

 

 どうやら勇儀と映姫に触発されて、これからラスボス同士の弾幕ごっこ大会が始まるらしい。

眠った聖と気絶したレミリアは、危険なので人形たちを操り調理場の後ろへと避難させておく。

 宴もたけなわ、余興も上々。ならば後は、配膳担当に任命された私の腕の見せ所だ。

 召喚魔法を唱え、自宅の地下倉庫に確保しておいた各種酒類を会場へと呼び込む。

 上海たちの作っている料理の内容も、酒が入る事を前提とした濃い目の味付けに変更する。

 私が死のうと生きようと、幻想郷は回るのだ。

 ならば、せめて生きている内は楽しまなければ損だろう。

 世はなべて事もなし。

 夜空に咲く大輪の花々に見惚れつつ、同時に私は上も下も変わらない大人たちの童心に対し、呆れを込めた溜息を一つ落とすのだった。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 無事とは言い難いが、とりあえず死人は出ていない花見が終わり、参加者に余った材料で作ったお土産を渡して解散した翌日。

 耳が早い事で、幻想郷の伝統文屋である射命丸文が人里で号外を配っていた。

 新しい幻想郷への入居者である命蓮寺の長と、他の組織のトップが一同に顔を合わせた会合なのだから、話題性は十分だろう。

 しかし、待って欲しい。斜め読みした記事の中に、どうしても納得出来ない部分があるのだ。

 

 ――参加者の中には、七色の人形遣いの異名を持つアリス・マーガトロイドの姿もあった。

 ――この事実だけで、この会合が如何に重要であるかが十分理解出来るはずだ。

 ――新たな住人を加えた幻想郷の行く末と同じく、彼女のこれからの動向にも注視していきたい。

 

 いや、理解出来ねぇよ。

 なんで私が、他を差し置いてラスボス扱いになってんのよ。

 私、ただの給仕役で呼ばれただけだよ。おかしくない?

 こんな記事が出回るから、めちゃんこ強い妖怪とかに目を付けられるんじゃん。

 判決。あやや、ギルティ。

 

 遥か上空を上機嫌で泳ぐ烏天狗に、当然の報復として爆裂魔法を食らわせた私に、きっと罪はないはずだ。

 人の噂は七十五日。

 何時かと同じように、再び私が人里との交流を断ち蔓延した噂が払拭されるまで自宅に引きこもったのは言うまでもない。

 私も周囲もまるで進歩しないのは、幻想郷という土地柄故の悲しい習性なのだろうか。

 人恋しさに苛まれながら人形作りに没頭する私の問いに、答えを出してくれる者は居なかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。