東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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88・傘娘が吹けば、桶娘が儲かる

 地獄へと続く地底の奥深くで、緑色の髪をした少女が己の住処である穴倉に潜み干し草を使って何かを磨いている。

 それは、人間のしゃれこうべ。つまりは、誰かの頭がい骨だった。

 腐った肉を削ぎ、頭髪を抜き取り、最も固い部分だけを残した生物の残骸を、何度も何度も拭いていく。

 少女の名は、キスメ。「鬼火を操る程度の能力」を持った、鶴瓶落としと呼ばれる妖怪だ。

 彼女の周囲には、今磨いているものも合わせて百を超えるどくろたちが無造作に散りばめられている。

 一つ磨いては次の一つ、それが終わればまた次へ。

 延々と続く無為な作業を繰り返しながら、彼女の表情には慈しみさえ浮かんでいる。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

 彼女は、心から愛しているのだ。己の手で手折り、こうして手中へと収めた獲物()たちを。

 少女はその見た目に反し、妖怪としての本分を寸分も違う事なく果たしていた。

 

「……?」

 

 そんな至福の時間に、終わりの時が訪れる。

 唯一外へと通じる入口から、砂利を転がす誰かの足音が響く。

 こんな地底の中でも特に辺鄙なこの洞窟に来訪する者は、とても珍しい。

 浮遊する小さな二つの明かりに導かれ、現れたのは地上に住む人形のような魔法使い。

 

「――アリス?」

 

 久方振りに喉を動かしたのか、人形遣いの名を呼ぶキスメの声は微妙に上擦っていた。

 

「えぇ。久しぶりね、キスメ」

「用事?」

「いいえ。地底に来た用事を済ませたから、キスメに会いに来たのよ」

 

 連れている人形たちに光源を持たせ、アリスは骨を置いて近づいた少女の頭を撫でる。

 彼女のこうした気安い態度を、キスメはとても気に入っていた。

 畏れの結晶である妖怪という歪な存在であろうと、問答無用で肯定する深い愛情が込められた優しい手つき。

 出会ったばかりの相手に、どうしてアリスがそこまでの情を感じているのかは解らない。

 だが、妖怪として生まれ孤独を享受し続けて来たキスメにとって、彼女から無条件に与えられるその愛はどうしようもなく甘かった。

 砂糖よりも甘く、蜂蜜よりもなお喉に絡む。まるで、姉や母を思わせるような底なしの愛情。

 幼齢の精神を持った妖怪にとって、その甘美な誘惑はとても耐え切れるものではないだろう。

 

「地上に美味しいお菓子屋さんがあるの。キスメも一緒にどうかしら?」

 

 断る理由はない。むしろ、酒と肉と喧嘩しかない地底では絶対にお目に掛かれないような至高の一品に少女の胸は躍り、顔には慎ましくも確かな笑顔が自然と浮かぶ。

 どうやら、キスメにとって今日は素晴らしい一日になるらしかった。

 

 

 

 

 

 

 多々良小傘は、唐傘お化けの妖怪である。

 彼女の糧は、人間の恐怖心。その中には、驚きや動揺も含まれる。

 「人間を驚かす程度の能力」。人間並みに非力な彼女が辿り着いた空腹を満たす為の手段は、暗闇や物陰に潜み通り掛かった者にドッキリを仕掛ける古典的なものだ。

 キスメの入った桶を片手に人里の少し手前にあるあぜ道に着地する私の目の前に、彼女は居た。

 草むらの影から思いっきり藤色の傘が突き出ているが、本人的には見事に隠れ切っているつもりらしい。

 

 頭隠して傘を隠さず。

 フッ、多々良小傘破れたり。

 

「キスメ、ちょっと良いかしら」

「?」

 

 その余りに滑稽な光景に少しだけ悪戯心が湧いてしまった私は、脅かし返しを思い立ちキスメと相談して仕込みを行う。

 鶴瓶落としが空高くへと消えたのを確認し、転送魔法を使って私と瓜二つの人形を呼び出した後、小傘の居るものとは別の茂みへと身を隠す。

 そして、接近を教える為に少し強めに足音を立てさせながら、人形を小傘へと近づけていく。

 

「ばぁ~、おどろけー!」

 

 古典ここに極まれり。

 人形の接近を察知した唐傘お化けが、第二の本体である大傘を開き全力で突き出して来る。

 大きな舌を出した一つ目の傘を真似るように、小傘自身もまた片目をつぶってべぇっと舌を出している。

 

 なるほど、可愛い。

 

 一人で妙に納得しながら、お返しとして人形に空から下りて来た一本の紐を引かせる。

 紐に連動して高速で落下して来た鶴瓶落としが、手に持つ鎌にて人形の首を切断した。

 

「ほぇっ?」

 

 放物線を描く人形の首が、穴という穴から血糊を撒き散らしながら小傘の片手へと納まる。

 

「ばあぁぁぁっ!」

「ほんげらげえぇぇぇっ!」

 

 効果はてきめんだった。

 生首となった人形の絶叫に目玉が飛び出しそうなほど驚いた小傘は、背筋を一直線に伸ばして絶叫を上げた後糸が切れたようにばたりと気絶してしまう。

 

 おうふ。誇張抜きで誰かが泡を吹いて気絶する場面とか、初めて見たぜよ。

 流石幻想郷、現実(リアル)にはない幻想が溢れてるわぁ。

 

「素晴らしいリアクションね。逸材だわ」

 

 芸人としての才を遺憾なく発揮した小傘を絶賛する私と、悪戯が成功しケラケラと嬉しそうに笑うキスメ。

 流石に放置は可哀そうなので、自分人形は自宅に帰して今度は上海サイズの人形たちを呼び込み小傘を運ばせる。

 お詫びとご機嫌取りを兼ねて、彼女も一緒に人里の新作菓子を食べようという欲望塗れの打算である。

 

「お師匠様! どうかわちきに、立派な唐傘お化けになる為の修行を付けて下さい!」

 

 やべ、やり過ぎたせいでめっちゃ懐かれた。

 

 店先に設置された和風の長椅子の前で見事な土下座を披露する小傘と、出された菓子の食べ時を失い困惑する私。

 本日の新作は、イチゴ大福ならぬびわ大福。

 洋菓子ばかりも飽きが来るので、和菓子店のチェックも忘れない私である。

 実はこのびわ大福、私や藍がレシピや技術を提供する事なく店の料理人が独力で開発したという、素晴らしい一品なのだ。

 洋菓子店が繁盛している事に腐らず、新しい風を取り入れた上で自店の特色と組み合わせる。

 いささか大袈裟かもしれないが、私はこの大福に人間の飽くなき探求心を見た気がする。

 

「キスメー、そろそろ替わるのだー。独り占めはズルいのだー」

 

 桶から出て私の膝に乗ったキスメの白装束を摘まみ交代を希望しているのは、途中で偶然出会った宵闇の妖怪、ルーミアだ。

 

「……や」

 

 だが、キスメは自分の座る位置が気に入ったらしく、プイッと顔を逸らして一文字で拒否を示す。

 

「むー!」

「喧嘩しないの。ほら、ルーミア、いらっしゃい」

 

 君たちが暴れると、里の人たちの前に私の命が危ないからね。

 ほんと、お姉ちゃん役も一苦労だよ。

 

 懐かれるのは嬉しいが、だからといって私の存在が争いの火種になるのはいただけない。

 キスメの座る位置を左膝へとずらし、空いた右膝にルーミアを誘う。

 

「えへへー、やっぱりアリスは優しいのだー」

 

 うふふー、ルーミアちゃんマジ天使。

 よしよし、皆仲良しが一番だね。

 

「お師匠様! どうか、どうかー!」

「まだやっていたの? 貴女もこっちに座りなさい、小傘。甘いものでも食べながら、お話ししましょう」

 

 余りうるさくされても近所迷惑なので、受ける受けないはさておき小傘も長椅子へと座らせ大福を食べさせて落ち着かせる。

 

「それで? 突然修行がしたいと言われても、貴女が私に何を求めているのか解らないわ」

「その、人間の脅かし方を教えて欲しいの」

「さっきのでは駄目なの?」

「だって、さっきの方法だともう誰も驚いてくれなくて……」

 

 悔しさと無力感からか、大福を食べていた小傘の顔がうつむく。

 まぁ、毎度同じ驚かせ方をしている上に、しかもあれだけ下手くそなのだから然もありなん。

 使い古された単調な芸など、次第に失笑すら生まなくなる。

 だが、付喪神として生まれただけの最低限の知識しか持っていない小傘に知恵や発想を求めるのは、少々酷というもの。

 その点で言えば、確かに私の豊富な知識は役に立つ。特に現世のサブカルチャーについての情報は、幻想郷において最先端すら凌駕する異次元の領域だ。

 何を教えたとしても、それはきっと誰もが思い付かなかった天啓となるだろう。

 だが、だからこそ安易に教えて良いのかと悩んでしまう。

 

「わちき、お腹空いたよぉ……」

 

 人間の食事と、妖怪の食事の本質は違う。

 比較的に温和なミスティアやリグル等でさえ、妖怪としての空腹を感じれば人を襲い糧を得ている。

 殺す必要はない。ただ、自分を脅威であると他者に認識させるだけで良い。

 それすら出来ない小傘は――恐れを食えず、畏れを呑めず、永遠に続く空腹にあえぐ日々を送っているのだ。

 どれだけ相互理解を重ねても、妖怪が人間を襲うという自然の摂理を捻じ曲げる事は難しい。幻想郷が、閉ざされた理想郷として存続し続ける為に。

 

「小傘、聞きなさい」

 

 少しでも、現代知識の開帳に気後れした自分が恥ずかしい。

 友達が困っていて、手を貸さないなどあり得ない。

 

「「本当の天才とは生まれながらに備わった、優れた才能の事ではない」「努力し続ける才能の事を言うのだ」」

「アリス……」

 

 未だ幼いこの少女が、どうかあの人形劇の主人公である少年のように、決して諦めない強い心を持てるように。

 己の道を、自分の足で歩けるように。

 

「わちき、アリスみたいな立派な妖怪になれるかなぁ」

「えぇ。私より、ずっとね」

 

 出来る出来る! お前なら絶対出来る!

 諦めんな小傘! 熱くなれよおぉぉぉ!

 

 私が「アリス」となってから、早十数年。気が付いた時点から続く捨食の魔法により、「空腹」という感覚は最早遠い彼方の出来事でしか思い出せない。

 だからこそ、だ。だからこそ、私は小傘を助けたい。

 例えそこに、僅かな羨望と憧憬が混じっていたとしても。

 

「私に任せておきなさい」

 

 小傘の頭を撫でながら、私は決意の言葉を口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 いわゆるドッキリという悪戯において重要なのは、何処まで相手の意表を突けるかだ。

 例え来ると解っていたとしても、それでも驚いてしまう間隙というものは存在する。

 予測可能回避不可能。小傘が目指すべき頂きの一つは、そういった類の領域だろう。

 

「まずは、妖怪として先輩のルーミアとキスメに人間の襲い方を実演をして貰うわ。しっかり観察して、参考にしなさい」

「解りました! お師匠様!」

 

 役作りから始めるタイプらしく、私の家に到着した辺りから小傘の態度は再び一変していた。

 師匠などと呼ばれるほどの立場でも強さでもないので出来れば止めて欲しいのだが、キラキラと星の瞬く瞳を前にすると口出すのははばかられてしまう。

 掃除がし易いよう、自宅の一階にある人形工房に新人妖怪を招いて行うのは、特別講師による人間の襲い方講座だ。

 

「それじゃあ、ルーミア。何時もやっているみたいに、それを襲ってみなさい」

「任せろなのだー」

 

 用意した成人男性を模した人形に指をさせば、ルーミアはにこやかに笑いふよふよと近づいていく。

 

「わはー。ねぇ、貴方は食べても良い人類?」

「……」

 

 当然、ルーミアの質問に人形が答えられるはずもなく、返されるのは沈黙のみだ。

 肯定も否定もしない。それはつまり、どのように解釈しても許されるという事。

 

「答えないって事は、貴方は食べても良い人類だよね――がうあぁぁっ!」

「わひゃあぁぁぁっ!?」

 

 人形の代役として、涙目で悲鳴を上げる小傘。

 態度を豹変させ、少女から恐ろしい妖怪へと変貌した者が人形の喉元をその牙で深々と抉ったのだ。

 襲われている人形の素材は、木でも石でも鉄でもない。全身をお菓子で作った、その名も「食べられ木偶君一号」である。

 もちろん、お菓子と言っても見た目はほぼ人間と相違ない為、普通に人間が襲われているようにしか見えない。

 ゼリーの肉とジャムの血潮が弾け、木板を張り合わせた床を汚す。

 

「はぐっ、ぐちゅっ、んふーっ」

「うわぁ、うわぁぁ……うっぷっ」

 

 固く焼いたクッキーの骨やプリンの内臓を思うまま食らう見た目だけは凄惨な光景に、同じ妖怪であるはずの唐傘お化けは口元を押さえて顔を青ざめさせてている。

 

「視覚からの情報は大事よ。ただお菓子を食べているだけなのに、そうは見えないでしょう?」

「……うん」

「次にギャップね。可愛らしくて小柄な見た目のルーミアが、大の男を組み伏せ食らう。常識からの乖離が大きければ大きいほど、相手に衝撃を与える事が出来るわ」

 

 この手に技術に、正解はない。どれかが正しい訳ではなく、どれもが正しいのだ。

 こだわりを持つ事は確かに大事だが、知識という手札は多い方が良いに決まっている。

 

「……アリスは、ルーミアたちが怖くないの?」

 

 怯える彼女はそれどころではないのか、お師匠様呼びも敬っていた態度も忘れてしまっているようだ。しかし、指摘するのは野暮というものだろう。

 

「怖いわよ」

 

 口の周りと服を汚し、菓子の血肉をむさぼる宵闇の少女。同じ形をした人間でさえ、彼女は平然と同じ事をしてのける。

 そして、妖怪である私でさえも。

 怖くない訳がない。

 恐ろしくない訳がない。

 

「じゃあ、どうしてあんなに仲良く出来るの?」

「怖いけれど、怖くはないのよ」

「何それ、どういう事?」

「貴女も、彼女たちと仲良くなればいずれ解るわ」

 

 それでも、確信があるのだ。或いは、諦めとも呼べるものが私の中にはある。

 ルーミアは、私を食べない。私自身がその結末を望まない限り、絶対に。

 小傘からの質問を曖昧に誤魔化し、私は次の実演を行う為二体目の人形を召喚する。

 同じ背格好の男性型だが、こちらは主に陶器と木の素材を使った普通の人形だ。

 

「キスメのやり方は、さっき見せたわね。キスメ、お願い」

「ん」

 

 小さく頷いて、人形の死角である頭上へと飛んで行くキスメ。ここには天井があるので、彼女はその高さまでしか浮かぶ事が出来ない。

 そして天井の壁を透けるように、キスメの近くからするすると一本の縄が人形へと落ちていく。

 人形の手が紐を引けば、開始の合図だ。一気に降下した少女の鎌が、獲物の首を瞬時に切断する。

 

「おぉっ」

「キスメの襲い方から貴女が学べる部分は、死角からの不意打ちね。思いもよらない場所から突然襲われれば、誰だって驚くし反応も鈍る」

「うん、確かにその通りね」

「それと、定型的な流れも有効よ。「紐を引かせる」という動作と「首が落とされる」という結果を起こす妖怪の噂が広まれば、上空から紐が落ちて来た時点で自分が捕食者から狙われているという恐怖を生む事が出来るわ」

「ほえー。皆色々考えてるのねぇ」

 

 関心するのは良いが、次は自分の番だという自覚はあるのだろうか。

 猛獣に怯える人間は多いだろうが、非力な少女に怯える人間は少数派だろう。

 腕力や性格などの都合上、小傘は「殺し」や「捕食」といった妖怪として最も単純な手段で人間から恐怖を得る事が出来ない。

 

 さて、即興ではあるが下地は揃った。

 ここからは、楽しい楽しい悪だくみタイムだぜい。

 

 人間は危険に直結しない脅威や刺激に対して、次第に慣れを覚えてしまう生き物だ。

 要するに、同じ芸ばかりでは飽きてしまうのだ。

 そんな贅沢な顧客を満足させ続ける為には、手を変え品を変え頭を捻って新たなネタを提供し続ける必要がある。

 

「以上を踏まえた上で、貴女に相応しい人間の驚かせ方を皆で考えましょうか」

「う、うん――じゃない、はい! よろしくお願いします! お師匠様!」

「それ、まだ続けるの?」

 

 小傘に必要なのは、一度限りの大掛かりな仕掛けではない。

 なるべく長く、継続して大勢の人間に通用する少しだけ凝った仕掛けだ。

 パターンを幾つか作っておけば、ランダムで回してそれなりに飽きられるまでの時間を稼げる。

 その間に、また次の驚かせ方を考えれば良い。

 客と道化の鼬ごっこに、終わりはないのだ。

 しかし、それはある意味幸運な事だ。

 妖怪となった小傘は、きっとこれから長い生を歩む事になる。人間と関わり続ける限り、彼女がその長い寿命を持て余す事はないはずだ。

 

「んー? 欲しいのかー?」

「いやぁ。わちき、人間の形をしたお菓子は要らないかなぁ」

「えー。キスメも食べてるし、美味しいぞー」

「ん」

「あう、えと……うぅ。何この指、滅茶苦茶本物にしか見えないよぅ。アリスのばかぁ」

 

 妖怪であろうと人間であろうと、そこに生まれ生きている以上幸福を目指さない理由はない。

 

「三人とも。その人形を片付けて、昼食にしましょうか」

 

 本日の昼食は、家事人形たちがせっせと焼いている自家製チーズを使った薄焼きピザだ。

 自宅の中という範囲内であれば、私は糸を繋げる必要さえなく人形たちを操れる。

 お菓子を食べた後とはいえ、まだまだ沢山食べられるだろうと多めの枚数用意している。

 ルーミアたちとおっかなびっくり語り合う小さな妖怪に期待を込めて、私は三人をダイニングへと誘うのであった。

 

 

 

 

 

 

 夕の日差しが深く傾き、空が茜と黒に濁る逢魔ヶ時。一人の四十ほどの男が、人里へと足早に歩を進めていた。

 

「しまったしまった」

 

 独り言を呟く男の仕事は、木工大工だ。人里の外に設置された放牧場で古くなった柵を補修していたのだが、なんだかんだと終い時を失ってしまいこんな時間まで作業を続けてしまった。

 夜は妖怪の時間。人外の時間である。

 完全な闇夜ではないが、このくらいの時間からでも多くの妖怪が活発に活動を開始する。

 以前よりは格段に平和になったとはいえ、日が沈んだ時刻に人里から出ているなど自殺行為でしかない。

 

「ふぅっ、良かった。ここまで来れば――な、なんだ……っ?」

 

 人里の外壁が見え始め、安堵の溜息を吐く男。しかし、周囲から流れ始めたおどろおどろしい謎の音に、思わず足を止めてしまう。

 ひゅ~どろどろ~、と何かの楽器を鳴らしているようなのに、演奏者の姿が何処にも見えない。

 

「だ、誰か居るのか?」

 

 答えはない。辺りを見渡しても、あるのは幾つかの茂みと平野ばかり。

 逃げ走ろうと男が前を向いた瞬間、そこには今まで居なかったはずの誰かが眼前に迫っていた。

 

「うぅらぁめぇしぃやぁぁぁ」

 

 一つ目と大きな舌の付いた番傘の下から覗き込む、片目を腫れ上がらせた血まみれの少女。

 死人のような虚ろな瞳でだらりと舌を伸ばし、男に向かって傘を持たない左手を伸ばす。

 例え古典的な手段であろうと、基本を突き詰めれば極地へと至る。

 

「うぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 余りの恐ろしさに負け、男は大声を上げて足をもつれさせその場に尻餅を付いてしまう。

 

「や、やった! やったあぁぁぁ!」

「あ?」

 

 しかし、肝を冷やした男の恐怖もそこまで。

 脅かした少女からは恐ろしい雰囲気がなくなり、その場で飛び跳ねて喜んでいる。

 

「どうどう、ビックリした? ビックリしたよね!? うふふっ、ご馳走様!」

「お、おぅ」

 

 矢継ぎ早に言われ、男は訳も解らず頷いてしまう。

 良く見れば、少女の顔の傷や血は良く出来た偽物らしい。

 

「ありがとう、驚いてくれて! 本当にありがとう!」

「な、なんだか知らんが良かったな。お嬢ちゃん」

 

 はち切れそうな笑顔の少女と握手をする、困惑顔の男。

 その後二、三挨拶を交わし、男はそれ以上何をされる事もなく見送られて再び帰路に付いた。

 

「いやはや。驚かせるだけで満足する妖怪たぁ、幻想郷も平和になったもんだなぁ」

 

 当然、彼女以外の妖怪全てが無害になった訳ではない。

 しかし、男がこうして妖怪に襲われながら傷一つ付けられず見逃されたのは事実だ。

 己の油断を戒めつつ、男の顔にはどうしようもない苦笑が張り付いていた。

 その後も、人里の周辺に現れた謎の妖怪は夕暮れ時を狙い、日々様々な者たちを脅かしていった。

 

「べろべろばー!」

「うわあぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 それは、時に農夫であったり。

 

「わっ!」

「うわわっ!」

 

 時に、小さな子供であったり。

 

「おどろけー!」

「ぎゃおー! たーべちゃうぞー!」

「きゃあぁぁぁっ!」

「はっはっはっ。夜の支配者たるこの私と「恐怖」で競おうなど、身の程を知りなさい」

「ご、ごわがっだー!」

「え、ちょ、こらっ。何勝手に抱き着いているのよ、離れなさいっ」

「う゛ぅ゛、ぶびいぃぃぃっ!」

「うぎゃあぁぁぁ! さくやー! さくやー!」

「あらあら」

 

 時に、散歩中の吸血鬼とメイドであったりした。

 しかし、彼女の快進撃にも終わりは来る。

 

「そろそろね」

「え? 何が?」

 

 新たな活動を始めてから、かれこれ一週間ほど。

 人里から見て妖怪の山側の茂みで隠れていた小傘は、付き添いで来ていたアリスの呟きに疑問符を上げる。

 アリスが答えるより早く、同じく付き添いであるルーミアとキスメが動く。

 宵闇の妖怪の右手から発生した球状の「闇」が迫る光線を飲み込み、桶と共に高々と飛び上がったキスメが襲撃者へと両手の鎌を振り下ろす。

 しかし、その攻撃は通らない。

 襲撃者である三人の内一人が召喚したカエル顔の光弾が弾け、キスメを大きく後方へと弾き飛ばす。

 

「さんきゅー」

「いえいえ。どういたしまして」

 

 白黒の魔法使いが礼を言い、鶴瓶落としを退けた風祝(かぜはふり)が笑顔を返す。

 

「――さて、申し開きがあるなら聞きましょうか」

「あ、ぁ……」

 

 そして、お祓い棒と霊符を手に完全武装の紅白巫女が顔面蒼白となった小傘を睨み付ける。

 博麗霊夢、霧雨魔理沙、東風谷早苗。

 小傘たちの前に現れたのは、異変への最終兵器にして今代の希望たち。

 彼女たちの目的など決まっている。そして、それはアリスが望んでいた展開でもあった。

 人を襲うは妖怪の性質(さが)、妖怪を倒すは人の性質(さが)

 襲うだけで終わるのは片手落ち。その上で人間から退治されて、小傘は初めて妖怪としての入り口に立てる。

 

「三人が勢揃いとは、随分と大盤振る舞いね」

「こそこそ手回ししておいて、良く言うわ。貴女も退治するからね、アリス」

「はいはい」

 

 不機嫌な表情でお祓い棒を突き付けられても、アリスは肩をすくめるだけだ。

 元々表情など出さない娘だが、何処となく楽しそうなのは気のせいだろうか。

 

「覚悟して下さい。人里からの依頼により、この「風祝(かぜはふり)と愉快な仲間たち」がお騒がせな貴女たちを退治しますっ」

「ちょっと待て。なんでお前が勝手にリーダーに収まってんだよ。それを言うなら「普通の魔法使いとその手下共」だろうが」

「どうでも良いわよ。早く終わらせて、報酬で美味しいものが食べたいわ」

 

 三者三様で臨戦態勢を整え、各々が同時に四枚のスペルカードを出現させる。

 

「あわ、あわわわ、あわわわわわわ……っ」

「おー、負けないぞー」

「ん」

 

 小傘、ルーミア、キスメ。アリス以外の三人も負けじとスペルカードを取り出し散会する。

 一人、手頃な岩に腰掛けた人形遣いが空中で弾け合う弾幕の光を見上げていた。

 逃げるつもりはないようだ。それどころか、弾幕ごっこが終わった後の用意として人形たちを操り召喚したランチボックスやレジャーシートを設置し、ピクニックの準備を始めている。

 人も変わる、妖怪も変わる。

 過去を繋ぎ留める幻想郷も、雲が流れるように緩やかに変化していく。

 誰も死なず、誰も傷付かず。それでもなお、刺激に溢れた日常がある。

 勧善懲悪。悪い妖怪は、勇敢なる人間たちに退治されて物語の幕を引く。

 しかし、殺し殺される人と妖怪の関係は、スペルカード・ルールによって確かな変化を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 人里に迷惑を掛けた唐傘お化けが見事に退治されたその夜、一人の小太りな男が人里の外を徘徊していた。

 男は犯罪者であった。

 若い身空の少女ばかりを狙った強姦魔。

 自警団からの調査を逃れる為、潮時を感じて自粛しようと考えていた男に聞こえて来たのは、可愛く無害な唐傘お化けの噂。

 仕事納めならぬ犯罪納めにしようと、彼は真夜中だというのにこうして里を出て周囲を散策していた。

 幻想郷は、昔とは比べ物にならないほど平和になった。だから、こうして勘違いをする者は後を絶たない。

 

「くひひっ、妖怪相手は初めてだなぁ。人間よりは頑丈だろうし、早く色々試してぇなぁ」

 

 矮小なる身で増長し、妖怪の恐ろしさを忘れた愚か者の辿る道など、一つしか存在しない。

 夜。それは、人間にとって眠りをもたらす宵闇の時間。

 

「あ? なんだこの紐――」

 

 その後、男を見た者は居ない。

 葬儀もなく、墓もなく。ただ、人里の行方不明者名簿に名を一つ連ねるだけ。

 

「ねぇ、貴方は食べても良い人類?」

「……」

「あはっ。答えないって事は、食べても良いって事だよね。ねぇ、()()()さん」

 

 幻想郷は変わった。しかし、こうして変わらないものも確かにあるのだ。

 哀れで愚鈍な生け贄は、これからもきっと絶える事はないだろう。

 ぱきり、ぐちゃり、と肉と骨を食らう音が闇の中で響く。

 人を襲うは妖怪の性質(さが)、人を食らうも妖怪の性質(さが)

 今宵、人間一人がこの世から失せた。

 

「ぷはぁっ。あー、美味しいなぁ、キスメー」

「……うん」

 

 己の欲を満たす夜の化け物たちは、血塗れの顔で満足気に笑い合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の住人で、外の世界に出られる者は少ない。

 自力の弱い人間や妖怪では、隔離の膜である博麗大結界の存在すら知覚する事は不可能だろう。

 そこからすれば、こうして自由に外と郷を往来している少女は相当な実力者なのだろう。

 そんな、妖怪として十分な格を持つ少女――封獣ぬえは、現在佐渡と呼ばれる本土から離れた島内にて土下座外交を慣行していた。

 

「頼む、この通りだ! 私たちに力を貸してくれ、マミゾウ!」

 

 とある神社の最奥に作られた大部屋にて、大妖怪が(こうべ)を垂れる相手はキセルを片手に眉を寄せている。

 二つ岩マミゾウ。現代に住む魑魅魍魎たちの中でも、飛び抜けて高い実力を持つ化け狸の総大将だ。

 瞳の色は、髪と同系統の赤茶。シンプルな丸眼の鼻眼鏡を掛け、統領に相応しい深く鮮やかな紺色の着物を見事に着こなしている。

 自身の身長にすら届くその大きな尻尾が、尾の長さによって霊格が解る化け狸の中で彼女が最高峰の存在である事実を、しっかりと証明していた。

 

「うーむ。昔馴染みであるお主に力を貸すのはやぶさかではないんじゃがなぁ……」

 

 ぬえがマミゾウに頼み込んでいるのは、幻想郷への移住だ。正確には、命蓮寺に害をなす者たちを排除する為の用心棒として彼女を寺へ招く算段だった。

 マミゾウが渋っている理由は、他でもない勧誘に来たぬえそのものにあった。

 

「このままじゃ、妖怪の賢者なんて訳の分かんない変てこな奴のせいで、妖怪たちが危ないんだ!」

「それは聞いた。しかし、お主は昔からおっちょこちょいで誤解や勘違いばかりしておったからなぁ」

「今度は本当なんだって!」

 

 この正体不明の少女の言葉は、信頼は出来ても信用が出来ないのだ。

 真相を知ってみれば、聞いた話とまったく違っていた事など茶飯事。酷い時には、真逆であったり話自体が真っ赤な嘘であったりと、骨折り損でしかない結果ばかり。

 

「まぁ、これも一つの契機となるか」

 

 しかし、意外な事にマミゾウはぬえの懇願に乗り気であった。

 

「おい、太助。又三郎と彦左衛門を呼べい」

「はっ」

 

 部屋の外に控えていた部下に指示を出せば、一刻と経たず二人の男が現れマミゾウの傍へと座り深々と頭を下げた。

 

「んで、どうしたい大将。なんか用事かい?」

「又三郎、客人の前やぞ」

 

 一人は、黒髪をオールバックにした線の細い小柄な優男。

 軽薄な優男を咎めるもう一人は、サングラスを掛けた熊の如き体格の厳めしい大男。

 正体を晒すぬえを見て気にも止めないところからも解る通り、彼らも人間ではない。

 大将であるマミゾウの舎弟にして、日本全土に生き残る多くの人外たちを束ねる強大な化け狸だ。

 

「うむ。又三郎、彦左衛門、(わし)はこれより隠居する。ついては、後の全てをお前たち二人に委ねたい」

「はぁっ!? いきなり何言い出してんだ! オレら化け狸の頂点である二つ岩大明神が軽々しく隠居なんざ、冗談でもよしてくれ!」

「冗談ではない」

「……っ」

 

 キセルの火を灰皿へと落とし、きっぱりと言い切るマミゾウ。

 その眼力に、又三郎は二の句を告げられず歯ぎしりしながら押し黙った。

 

「本気、なんですかい?」

 

 代わりとして、今度は彦左衛門が低く唸るような声音で問うた。

 二人にしてみれば、自分たちの大将が突然隠居を希望するなど考えてもいなかったのだ

ろう。

 

「応さ。いい加減、こんな奥間でふんぞり返ってばかりは飽きたのでな」

「……そうですかい。そんなら、仕方がねぇですね」

 

 しかし、大将の決定はくつがえらない。

 からからと笑うマミゾウに対し、大男は惜しみながらもその命令を受け入れた。

 

「彦左衛門てめぇ、何を納得してやがる!」

「親分が決めたんじゃ。黙って送り出してやるんが、舎弟にして貰えたわしらに出来るたった一つの恩返しじゃろうが」

「ふざけんな!」

 

 受け止められない優男にしてみれば、彦左衛門の態度は裏切り以外の何物でもないのだろう。

 癇癪を起して立ち上がった又三郎が、マミゾウの服へと縋り付く。

 

「親分、お願いだ! 行かねぇでくれよ!」

「よせや、又三郎」

「黙れ! 親分が佐渡から居なくなるなんざ、あって良い訳ねぇだろうが!」

 

 仲間の声は届かない。大将を慕う舎弟として、又三郎と彦左衛門の意見は完全に二分していた。

 軽薄そうな見た目と違い、彼の忠誠心は本物なのだろう。

 もしかすると、それは母親へ愛を求める子供の心境に近いのかもしれない。

 

「なぁ、何が不満なんだ!? 美味い飯も金銀財宝も、親分が望むんならなんだって用意してやる! 国が欲しいってんなら、日本中の狸と傘下の妖怪を呼び込んで――っ!」

「いい加減にしろや! こんの大馬鹿がぁぁぁ!」

「がはっ!」

 

 息巻く優男の顔面を、(いわお)の如き大男の拳が殴り飛ばした。

 離れた壁に直撃し、又三郎は木板を盛大に破壊しながら外へと飛び出していく。

 

「こんだけ親分から恩を受けといて、女々しい事抜かすなや! この玉無し三郎が! わしらがそんな情けない有り様じゃあ、何時まで経っても親分が安心して隠居なんぞ出来んじゃろうが!」

「ぐっ」

「天下の二つ岩大明神の舎弟なんなら、わしらに任せて隠居する親分の分まで残して貰った組を盛り立てるぐらいの気概を見せんかい!」

 

 殴られた又三郎だけでなく、サングラスで隠された彦左衛門の両目からも滂沱の涙が流れていた。

 彦左衛門とて、マミゾウとの別れは悲しいのだ。

 それでも、自分で口にした通り御大が望む願いを叶える為にあらゆる苦痛に耐えようとしている。

 

「こんのおぉぉ、左曲がりがあぁぁ!」

「来いやあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 繰り返される腹に響くような重低音が、残されたマミゾウとぬえの耳を打つ。

 

「うっとうしい……」

「悪気はないんじゃ。聞き流せ」

 

 唐突に始まった男同士のノリに付いて行けず、頬杖を付いて壁に空いた穴を胡乱げな目で見る正体不明の少女へと、情に厚い舎弟たちを育て上げた狸の総大将が苦笑を送る。

 結局、ダブルノックアウトとなった二人を放置し、自身の存在を知る者たちへと手短に別れを告げたマミゾウは旧友に先導されながら一路幻想郷を目指す事となった。

 

「簡単に大将辞めちゃったけど、本当に良かったの?」

「構わん構わん。元々ほとんどの実権は、もうあの二人に引き渡し終えておったからな」

 

 現世の見納めとして、幻想郷に辿り着くまでを人間に化けて旅をする。

 それが、ぬえの願いを叶える際にマミゾウが提示した条件だ。

 木の葉を変化させた万札にて切符を買い、船から乗り換えた新幹線にて対面に座るぬえからの質問に、駅弁をかっ食らう狸の統領が朗らかに笑う。

 

「それに、堅苦しいのが飽きたというのも本当じゃよ。しばらくは、ご隠居かご意見番くらいの立ち位置で十分じゃなぁ」

「ふーん」

「いや、「ふーん」じゃなかろう。お主が(わし)を呼んだのじゃから、お主がその命蓮寺とかいう寺の連中に取りなしてくれんと」

「え? そうなの?」

「はぁ~。こりゃあ、ちと早まったかもしれんのぉ」

 

 自分の役目は終えたとばかりにきょとんとする昔馴染みに、マミゾウは額を押さえて盛大な溜息を吐く。

 どちらも若い娘の姿だというのに、その光景は何処か話の噛み合わない祖母と孫を思わせる。

 長い時を生き、人間の傍で時代の移り変わりを眺め続けた妖怪が、幻想の園へと消えていく。

 人の世にて酸いも甘いも味わい尽くした、老獪なるタヌキの翁。

 彼女もまた、波紋の一つ。

 幻想郷は変わる。秒針が進むように、こぼれた砂が落ちるように、遅々として、遅々として。

 止まった時を閉じ込めた理想郷へと、再び異変と言う名の混迷の祭りが近づき始めていた。




マミ(ゾウ婆ちゃんに惚れ)る。
マ「てぃろ・ふぃなーれじゃ!」(魔法少女コス)

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