東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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90・モミジが斬る!(後)

 空模様が次第に夜へと近づく中で、「秋桜荘」の二階の端にある六号室の扉が開かれる。

 

「おわっ。まだ居たのか、蛮奇ちゃん」

 

 入って来たのは、別室の入居者である横島だ。

 彼は驚いた様子で、部屋の中で荷造りをしていた赤毛の少女に声を掛ける。

 

「ノックもしないで入って来るなんて、火事場泥棒で下着でも盗むつもり?」

「避難してる大家さんから頼まれた、戸締り確認だよ! 大事を取って、蛮奇ちゃんと大家さんは先に寺子屋に行くよう言われたろ!」

 

 春先だというのに長いマフラーで首元を隠す少女の剣呑な視線に、前科多数の青年は両手を上げて無実を主張する。

 すでに避難を終えていると思っていた相手が、未だに部屋に残っていたのだ。横島の驚きは、さして的外れなものではない。

 

「それになぁ、見くびって貰っちゃ困るぜ蛮奇ちゃん。俺は、覗きはしても盗みはしない主義だ!」

「いや、恰好付けられてないし。どっちも犯罪だし」

 

 胸を張り、背を逸らし、堂々と主張する犯罪者予備軍を見ながら、蛮奇は呆れた声で溜息を吐く。

 

「一時避難の割には、随分と大荷物だな。手伝おうか?」

「私、避難なんてしないわよ。このままここを出て行くから」

「えぇ!? なんで!?」

「決まってるじゃない。住んでるだけで命が狙われる下宿なんて、誰だって嫌でしょ?」

 

 安全をうたわれている人里の中で、妖怪から襲われる確率はゼロに等しいと言って良い。

 危険な場所に居たくない、逃げ出したいと思うのは、生物にとって当たり前の感情だろう。

 

「そんなの、蛮奇ちゃんが気にする必要なんてないって」

「気にするに、決まってるでしょっ」

 

 余りにも気楽な横島の台詞に、蛮奇は苛立ちを込めて風呂敷へと荷物を押し込む。

 

「でもさぁ、結局アリスさんとは関わり続けるんだし、蛮奇ちゃんが出て行ってもあんま変わらないと思うんだよなぁ」

「なんと言われようと……なんですって?」

 

 ここで、ようやく蛮奇は会話の内容が不自然である事に気付く。

 横島はまるで、今回の騒動は蛮奇のせいで、彼女がこの下宿から去るのはその責任を取る為だと語っているかのようだ。

 彼女が人間であれば、それはあり得ない話だ。

 だが――

 

「――お前、何時から私が妖怪だって気付いた」

 

 赤蛮奇という少女が妖怪なのであれば、彼の発言の辻褄は合う。

 怪異を知れば、怪異に出会う。

 人里にて、妖怪の居住が認められていない理由は、この一言に集約されていた。

 本人の意思に関係なく、妖怪は怪異や非日常を呼び寄せる。それも、存在が負である故か今回のように不幸な偶然である場合が多い。

 蛮奇本人が言っていたように、住んでいるだけで不幸に見舞われる住居などに好き好んで入る者など、相当な変人だろう。

 しかし、立ち上がり警戒をあらわにする蛮奇を余所に、横島の顔に危機感はまるでない。むしろ、「え? マジで言ってんの?」という言葉が表情にありありと浮かんでいる。

 

「え? マジで言ってんの?」

 

 実際に、口でも言ってしまっていた。

 その後、彼は腕を組んでうんうんとひとしきり悩んだ末に珍しく真面目な表情で、妖怪の少女と視線を合わせる。

 

「いいか、蛮奇ちゃん。心して聞いてくれ」

「ごくりっ」

「蛮奇ちゃんはなぁ――可愛いんだよ!」

 

 両目を見開き、拳を握り、心の底から力説する漢の中の漢がそこに居た。

 横島は、何処まで行っても横島だった。

 

「良し、ぶん殴るからじっとしてろ」

「いやー! 待ってー! 言い方間違えただけだから待ってー!」

 

 蛮奇に胸ぐらを掴まれ、泣いて許しを請う横島。

 しばらくばたばたと茶番を繰り広げ、ようやく落ち着いたところで改めて説明を開始する。

 

「ぜぇっ、ぜぇっ。いや、つまりさ、なんていうか、蛮奇ちゃんは人間にしちゃあ()()()()()んだよ」

「はぁ?」

「それに、蛮奇ちゃんは人間じゃないから余計にそうなってるのかもしれないけど、しばらく一緒に過ごしてると「人間らしくしよう」って滅茶苦茶意識してるのがバレバレ」

「そんなの、ただの憶測じゃない……」

「いやいや、こういうの結構大事だぜ。自分なりの感覚ってやつ?」

「……」

 

 証拠と言うには余りに弱い根拠しかないが、それでも人外である事を見破られた蛮奇にはこれ以上の反論が出来ない。

 

「ていうか、蛮奇ちゃんが妖怪なのは多分大家さんも含めてこの「秋桜荘」の全員が知ってると思うぜ?」

「はぁっ!?」

「アリスさんだって、「色々大変みたいだから、力になってあげて」って、蛮奇ちゃんの事気に掛けてるみたいだしな」

「なに、それ……」

 

 追い打ちを掛けるように、衝撃の事実が次々と明かされていく。

 人間よりは強いとはいえ、蛮奇の妖怪としての格は余り高くない。

 弱い妖怪が暮らすには、人里の外はいささか危険が多過ぎる。

 人間と同じように、死を恐れる妖怪が安全な人里の中やその周辺に住処を作るのは、当然の流れと言えるだろう。

 しかし、前に語った通り妖怪はそこに居るだけで変事を呼び寄せる。

 よって、赤蛮奇という妖怪がここに辿り着くまでには、何度も逃げるように住処を転々とする生活を続けていた過去がある。

 

「まぁそんな訳で、住んでる連中は皆とっくに納得尽くだし、どうせ次の行く当てなんてないんだろうから今まで通りここに居た方が良いって」

「でも……」

「蛮奇ちゃんは住処を得る、大家さんは家賃を得る、俺たちは蛮奇ちゃんや大家さんと一緒に暮らせる。ほら、誰も不幸になってないじゃんか。だから、絶対大丈夫だって」

「横島……」

 

 逃げて、疑われて、逃げて、疑われて。安全の為とはいえ、一つ所に留まれない気の休まらぬ生活を送っていた蛮奇にとって、この「秋桜荘」は理想の住居だった。

 人里の中にあって、大家の意向によりアリスという多方に有名な妖怪と深く関わっている若者たちの仮住まい。

 多少の変事が起きようと、軽く受け流せる住人たち。

 とはいえ、まさか横島を含む全員が妖怪そのものを平気で受け入れるほどの、変人的度量の持ち主だったとは思いもしなかったのだろう。

 今、蛮奇の顔には歓喜や懐疑や謝罪などが滅茶苦茶に混ぜ合わさった複雑な感情が、表情として映し出されている。

 

「貴方、なんでそんなに気遣いが出来て彼女居ないの?」

「こっちが聞きたいわー! 俺だって年齢と彼女なし歴が一致する呪いなんて、一日も早く解きたいんだよ!」

 

 蛮奇の至極冷静な指摘に、全力で号泣しながら慟哭する横島。

 その直後、彼は何かを思い付いたのか蛮奇を全力で指差しながら似合いもしない下種な笑みを作る。

 

「はっ。今、俺の中に天啓が舞い降りた! 蛮奇ちゃん! 妖怪だって皆にバラされたくなくば、俺と付き合え! いやむしろ、付き合って下さいお願いします!」

「あぁ、そんなんだからモテないのね」

「ぐぶはぁっ!」

 

 最後まで悪役が続けられず、見事な土下座を披露する横島に冷ややかな視線を送る蛮奇。

 今回を含め、蛮奇は横島に色々と世話になっているので、多少の感謝はあるだろう。

 だが、異性として見た場合、蛮奇にとって横島への恋愛感情はゼロである。

 

「ちくしょー! ちくしょー! なんだかとってもこんちくしょー!」

「うるさい。近所迷惑よ」

 

 助平で、いい加減で、お気楽なお調子者。しかし、同時に思いやりも度量もある有望な若者でもある。

 もしかすると、本人が知らないだけで意外と彼に気のある女性は多いのかもしれない。

 とはいえ、それも所詮は憶測の域を出ない空想だ。

 横島は人間で、蛮奇は妖怪で。それでも二人は言葉を交わし、心を触れ合わせる。

 人間も、妖怪も、全ての命が巡る郷、幻想郷。相容れぬ二つの種族は、今日という一日を過ごしていく。

 平穏も、不穏も、全てを飲み込む慈悲深くも無慈悲なこの土地で、明日もまた今日の続きがあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 阿求の依頼を受けた私は、今回の事態に我こそはと名乗りを上げた全員と一緒に「秋桜荘」の敷地内に併設された大家宅に集結していた。

 メンバーは、私、早苗、椛、ミスティア、霖之助。そして、命蓮寺から推参した村紗と、今回の依頼人である阿求。

 時刻は、昼を少し回ったところ。大家さんを含む住人たちには、大事を取って慧音の待機している寺子屋に避難するよう指示してある。

 日が落ちる前には方針を決めて、動き始めたいところだ。

 

「これだけの戦力が集ったのだから、確実に仕留める方法を取りたいわね」

「伝承に(なら)って、ですね」

 

 私の発言を予想していたのか、阿求がその先を引き継いでくれる。

 彼女が、ただの道具屋である霖之助にも依頼を出した理由がここにある。

 

「伝承では、若い猟師、または僧侶の男性と飼い犬である「しっぺい太郎」が、生贄となった少女の身代わりとなって棺や藤袋に入り猿神を奇襲した事になっています」

 

 妖怪変化と伝承は、切っても切れない関係にある。

 吸血鬼にとって、太陽やニンニクが弱点であるように。

 妖狐にとって、油揚げや小豆が好物であるように。

 人々の想念によって編まれた存在であるが故に、書物や物語にて語られる内容によってその在り方を縛られる。

 退治の方法を伝承に(なら)うのも、その一環だ。

 伝承にある方法を実演された場合、妖怪は必ずその罠に掛かる。

 理解も警戒も関係なく、「そうしなければならない」という強制力が働き自らその結果を演じてしまうのだ。

 当然、何事にも例外は存在する。しかし、天狗からの情報を信じるなら猿神は生まれて間もない赤子のような状態である可能性が高い。

 ならば、私と阿求の策はほぼ確実に決まると思っていて良いだろう。

 

「それで、男の僕がこんな物騒な荒事に呼ばれたのかい? 悪いが僕は、猟師でも僧侶でもないよ」

「ですが、幻想郷では大変珍しい銃を扱える貴重な人材です。猟師の代役としては、適任でしょう?」

 

 にこやかに笑う阿求の両手には、現代からみれば古臭い旧式の猟銃が抱えられている。

 銃は幻想郷に――更に具体的に語るなら、「人間」に普及していない。その理由は、語るまでもないだろう。

 当然、その構造や使用方法を知る者も限られて来るのだが、外の世界の物品と縁の深い霖之助はその数少ない「限られた者」該当する一人だ。

 

「では、飼い犬はどう――いや、無粋だったね。君は狼だろうに、本当にそれで良いのかい?」

「はい。人里と妖怪の山に被害を出す事なく、対象を確実に仕留められるのであれば、私の矜持にこだわる意味はありません」

 

 霖之助の同情的な表情に、椛は一切思考を挟む事なくしっかりと頷いてみせる。

 それは、逆に言えば矜持に傷が付く事を我慢していると宣言しているに等しい。

 それでも、与えられた任務の前であれば自身の誇りなど犬に食わせてしまえと、鋼の精神力でその屈辱を飲み下している。

 

「申し訳ありません」

「構いません。知恵で貢献出来ない以上、私は敵を屠る刃であるべきだ」

 

 きゅんっ。

 椛ったら、めがっさ男前。抱いて!

 

 椛の考え方は月の兵隊であった鈴仙に近く、しかし、誇りや矜持の観念から一致はしない武人のような感性をしている。

 真面目な椛、捻くれ者の文、そのどちらとも対等に付き合える素直なはたて。

 天狗三人寄れば(かしま)しい。彼女たちの関係は、きっと集うべくして集った無二のものなのだろう。

 

「そういえば、早苗はともかくミスティアと村紗はどうして自分から参加したの?」

「そりゃあ勿論、阿求がラジカセ買ってくれるって言うからよ!」

 

 みすちー……それ、阿求が約束してるの絶対ラジカセだけだよね。

 中身のカセットとかイヤホンとかは、きっと別料金だよね。

 人間汚い。汚いわー。

 

 不慮の事態の備え一人でも多く戦力を確保したいという阿求の考えや、周囲への迷惑を見越してラジカセセットの値を釣り上げた霖之助の判断は理解出来る。

 その上、人間の危機を妖怪が助けるという構図は双方の関係を見直そうとしている今の人里の時風にとって、必ずプラスに働くはずだ。

 しかし、だからといって私の大切な友人が同じくらい大切な友人に詐欺紛いの被害を受けるのを、黙って見過ごす訳にはいかない。

 どうやら、今回私が貰える報酬はミスティアの新しい門出を応援するプレゼント代に変わるらしい。

 

「私は聖に頼まれたからだよ」

 

 帽子のつばを触りながらそう言うのは、新進気鋭のニューカマー、命蓮寺所属の幽霊船長。

 

「人里へのイメージアップには、持って来いの相手だからね。発言力のある名家に借りも作れるみたいだし、参加しない訳にはいかないでしょ」

 

 人里を襲う悪い妖怪を、命蓮寺に入信した良い妖怪が退治する。

 確かに、人間と友好的な関係を望んでいる聖たちにしてみれば、これほど都合の良い当て馬は居ないだろう。

 

「それでは、作戦も決まったところで「風祝(かぜはふり)と愉快な仲間たち」第二弾、出陣です!」

「そのフレーズ、気に入ったの?」

「はい!」

 

 立ち上がり、お祓い棒を持った右手を突き上げる早苗が、私の疑問に鼻息荒く同意する。

 そろそろ日に、陰りが見え始める時刻だ。

 動き出すには、丁度良い時間と言えるだろう。

 この短時間でこしらえたにしては、仕込みは上々。余程の事態が起きない限り、狩りは予定調和の内で終わるだろう。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

 罪には罰を、不義に鉄槌を。郷の掟に従わぬ無法者に、慈悲は不要。

 急造で作成した白木の棺を召喚魔法で呼び寄せながら、私は作戦の開始を宣言するのだった。

 

 

 

 

 

 

 木造集合住宅の玄関先に白木の棺が置かれるという、少々シュールな光景が出来上がって、どれくらいの時間が経過しただろうか。

 

「――来た」

 

 日が沈み、家々の明かりが消えていく中で、物陰に隠れていたアリスが呟く。

 どんどんどどん、と何処かから重くのし掛かるような太鼓の音が響き出す。

 

「すってんすってんすってんてん」

「今宵、ここには来てないな」

「しっぺい太郎は来てないな」

 

 闇から滲むように姿を見せたのは、成人男性よりも頭二つ分は背の高い三匹の黒毛をした猿だった。

 手を叩き、腕を振って踊りつつ、徐々に棺へと近づきながら太鼓の拍子に合わせて唄うように語り合う。

 

「すってんすってんすってんてん」

「しっぺい太郎はおりませぬ」

「今宵、ここにはおりませぬ」

 

 霖之助と椛が一緒に入った棺を囲み、妖怪たちの唄と踊りは続く。

 

「夜中にあんなに音を立てて、近所迷惑ですね。なんなんですか? あれ」

「あの妖怪にとって、必要な儀式みたいなものよ」

「後、音は周囲に漏れないよう私がちゃんと遮断してるよ。これでも一応命蓮寺で修行してる身だし、星や一輪ほどじゃないけど結界くらいは張れるからね」

 

 アリスと村紗に挟まれながら眉をひそめる早苗の疑問に、人形遣いが簡潔に答え舟幽霊が補足する。

 アリスの言う通り、それはある種の儀式に近いのだろう。

 決められた定めを、決められた手順で行い、決められた行動を起こす。

 そこに、生命としての意思は一切見受けられない。

 

「すってんすってんすってんてん」

「今宵今晩この事は、しっぺい太郎に知らせるな」

「信州信濃の光前寺、しっぺい太郎に知らせるな」

「あの事この事知らせるな」

 

 太鼓の音が止まるのと同時に唄と踊りを止めた猿たちが棺を抱え、一目散にその場から立ち去って行く。

 

「攫った! アリスさん! 村紗さん!」

「追跡は任せて」

「結界は解除したよ。ここで一戦交えるかと思ってたけど、あっさり引いてくれて助かった。さぁて、鬼ごっこの始まりだ」

 

 アリスの人差し指から伸びる迷彩仕込みの魔法の糸が、どれだけ離れようと棺の元へと彼女を導く。

 空からの追跡は、ミスティアの役目だ。夜間であろうと、妖怪である彼女には月明かりさえあれば十分だ。

 流石は妖怪と言うべきか、猿たちは二人分の重さを担いだ状態で民家の屋根すら軽々と飛び越し、人里の外へと消えて行く。

 

「方向は――やっぱり、妖怪の山へ行くみたいね」

「意外と足が速いね。こりゃあ、人数を揃えて正解だったかな」

 

 「翔封界(レイ・ウィング)」の魔法によって高速で飛翔するアリスに追随しながら、暗がりを走り続ける猿たちを見据えて村紗が小さく言葉をこぼす。

 手下の猿でこの速さならば、親玉の速さは更に上だろう。

 足が速いという事は、攻める時も逃げる時も有利に働く。

 幾ら生まれ立ての妖怪とはいえ、同じ手は二度通じるものではない。今宵一晩で決着を付けたいアリスたちにしてみれば、相手の逃走を許した時点で敗北と同義となる。

 妖怪の山へ辿り着いた猿たちは、更に奥へと分け入って行く。

 そして、三合目辺りの開けた場所に到着したところでようやく棺を下した。

 そして始まる、再度の宴。

 踊り狂う猿たちに呼応するように、木々の暗がりから一匹、二匹、三匹と、次々に姿を現す大勢の手下たち。

 

「今宵、ここには来てないな。しっぺい太郎は来てないな」

 

 猿の数が三十を超えようとしたその時、他とは違う一匹だけ更に大きな体格をした大猿がのしのしと棺の前まで進み出で、周囲の猿たちへと問うた。

 

「すってんすってんすってんてん」

「しっぺい太郎はおりませぬ」

「今宵、ここにはおりませぬ」

 

 部下たちの答えを聞いた大猿は、その長い両手を棺へ伸ばし遂にその蓋を開け放つ。

 

「はあぁぁぁっ!」

「ぎゃっ!? ぎぅっ!」

 

 闇夜に走る銀線と、鉄砲の炸裂音が一つ。

 棺の中から飛び出した椛の大剣が猿神の右腕を肩口から切り飛ばし、霖之助の放った一射がその眉間を穿つ。

 

「――うっきゃあぁぁぁぁぁあぁぁっ!」

 

 だが、大猿は落ちる右腕を左手で突かみ奇声を上げて大きく飛び退いただけで、まるで通用した気配はない。

 しかも、切断された右腕をそのまま傷口に押し付けると、額の傷口共々ブクブクと泡が噴出し徐々に傷を塞いでいくではないか。

 

「殺したと思ったんだが、そう簡単には終わらないか」

「白狼隊の話では、少なくない手傷も負わせていたはずです。不死や再生に関する能力持ちの可能性があります」

「無数の部下に加えて不死だなんて、面倒だな」

 

 奇襲には成功したが、どうやら相手も一筋縄ではないらしい。

 殺気立つ無数の猿に囲まれながら、互いの背後を守る椛と霖之助。

 次の瞬間、猿たちが二人へ襲い掛かるよりも早く、横手から追加の戦力が到着する。

 

「「覇王雷撃陣(ダイナスト・ブラス)」!」

「悔い改めなさい!」

「ライブ開始ー!」

「どいたどいたー!」

 

 秘術 『グレイソーマタージ』――

 声符 『梟の夜鳴声』――

 転覆 『道連れアンカー』――

 

 雷撃と、弾幕と、巨大な錨。四者の猛攻により、椛と霖之助を囲んでいた一角が盛大に吹き飛び、二対多数が六対多数へと変化する。

 猿神が部下を盾にしながら敵対者たちを睨み付ける中、対するアリスたちはこの妖怪についての真実へと目を向けていた。

 

「もしかして……」

「えぇ、恐らくアリスさんの予想通りです。()()()()()()()()います。強い腐臭ですが、読み取れる限りでも十は超えているでしょう」

「あぁ、うん。あれはもう亡霊っていうより人造ゾンビだね。素材として必要な要素以外は、全部が削ぎ落されてるみたい」

「――最悪ね」

 

 武器を構える上海や蓬莱に合わせ大量の戦闘用人形たちを召喚しながら、椛や村紗と同じ見解に至ったアリスが手の平で額をおおい天を仰いだ。

 

「アリスさん、どういう事ですか?」

「早苗は、私や霖之助と一緒に退治したあの猿の妖怪の事は覚えているかしら?」

「えぇ、勿論です。え、あの妖怪があれなんですか!? 復活怪人じゃないですか!」

「半分正解ね」

 

 瞳を輝かせる早苗に向けたアリスの返答は、風祝(かぜはふり)の少女が期待するものとは少々異なっていた。

 

「あの妖怪が自力で復活した訳ではないわ。椛が言った通り、奴を含めた複数の妖怪の死体や魂を混ぜ合わせて粘土細工のように無理やり形を整えた結果が、目の前に居るこのつぎはぎの怪物よ」

「そ、そんな……っ」

 

 アリスが早苗たちと共に退治した妖怪は、退治されても当然の悪だった。

 だが、それでも死後を玩具としてもてあそばれる結末はあんまりだろう。

 誰が、何故、このようなおぞましい合成獣(キメラ)を生み出したのかは解らない。しかし、どんな理由であれ、死者の尊厳を冒とくして良い理由にはならないはずだ。

 

「私の輝かしい活躍に泥を塗るだなんて、許せませんっ。この妖怪共々、八つ裂きにしてやりましょう!」

 

 方向性が普通の人間とはやや異なっているものの、それでも正当な怒りを瞳に宿し風祝(かぜはふり)の少女が背後に潜む巨悪を討たんと吠える。

 

「きっきぃっ!」

「きぃえあぁぁっ!」

 

 早苗のやる気が引き金になったのか、威嚇だけをしていた猿たちが一気呵成に輪を狭め中心に居る六人へと牙を剥く。

 

「迸れ、私のパッション! ぼえぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 全員が危な気なく手下たちを討伐していく中で、一歩前へと進み出たミスティアが猿神へ向けた一撃を放つ。

 

「べぎゃっ!」

「ぐげっ!」

 

 指向性を持った、音と振動の衝撃波。

 地面すら削る爆音の砲撃が直撃し、手下たちもろとも猿神本体も背後の大木を壁として折り重なるような形で押し潰す。

 だが、これでも大猿は息絶えない。消滅していく手下たちの中で全身から血のあぶくが溢れ、納まる頃には全ての傷が塞がってしまう。

 

「ちょっとぉ、どうすんのよあれぇっ」

「再生した分だけ、確実に妖気は減っているわ。とりあえず、殺し続ければ終わりが見えて来るはずよ。「青魔烈弾波(ブラム・ブレイザー)」!」

 

 折角の新技が不発に終わり、弱気になったミスティアを励ますアリス。

 彼女もまた、人形を用いた各々へのフォローを行いながら、自身も時折呪文を唱えて攻勢に参加している。

 

「猿神の手下は、減った数だけ増えているね。全体の数は変わっていないようだ」

「聞いての通りよ、手下は殺さず動きを封じてちょうだい。生かしたままの方が有利になるわ」

 

 猟銃で牽制しながら観察を続けていた代役猟師の助言を受け、人形遣いが全員へと指示を出す。

 

「了解! それじゃあ皆で溺れてろぉ!」

 

 溺符 『ディープヴォーテックス』――

 

「こちら側は、私にお任せ下さい!」

 

 秘法 『九字刺し』――

 

 彼方より溢れた海水が敵の大勢を飲み込み、対抗するように縦横に走った九つの光線がほぼ同数を縫い止めた。

 村紗と早苗。二人で半面ずつを受け持った広範囲の拘束が手下の大半をその場に釘付けにする。

 

「仕留めます。援護を」

 

 肉壁となっていた手下たちが足止めされ無防備となった好機を逃さず、大剣を肩で担いだ椛が一直線に猿神へと向けて走り出す。

 己の不利を感じ取ってか、猿神は逃走の動きを見せている。この機を逃せば、次はない。

 

「「魔皇霊斬(アストラル・ヴァイン)」! ミスティア!」

 

 椛の刀へと精神攻撃を付与する魔法を唱えたアリスが、ミスティアの名を呼ぶ。

 

「本気!? あぁ、もう! ぼえぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 それだけで要求を理解した夜雀の少女は、戸惑いながらも椛の背へ向けやけくそ気味に盛大な衝撃波を放つ。

 

「あぁぁおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「ぎゃあぁうっ!」

 

 背後からの推進力を獲得した白狼が高速で宙を飛翔し、迎撃として繰り出された大猿の左腕を鉤爪ごと縦へと引き裂く。

 

「かぁっ!」

「ぎゃあぁあぁあぁぁぁぁっ!」

 

 そのままもつれ合うように大猿を押し倒し、一度大きく刃を引いた椛が馬乗りの姿勢で全体重を乗せた突きを相手の心臓へと叩き込む。

 

「がひゅっ、げ、げぎがっ」

「足掻くな、終わりだ」

 

 苦しみもがく猿神が、己の心臓を貫通し大地に深々と突き立てられた大剣を引き抜こうと両腕を動かす。

 しかし、白狼の少女の後腰から抜き出された伐採用と思われる波状の刃をした短刀により、その両手は手首から切り落とされてしまう。

 

「げぎゅ、ごぼっ、あ、あが、ぎ……」

 

 傷は塞がり、しかし失った部位は生まれ出でず。切断された断面で幾ら触っても刃は動かず、血塗れの腕がさ迷う。

 血のあぶくが口内と胸に溢れ、再生と死を繰り返す猿神の抵抗が徐々に弱まっていく。

 

「もう眠れ。例え、それがお前たちにとってなんの救いにならないのだとしても――もう、お前たちは終わっているのだから」

 

 死してなお辱められた同胞を憂い、それでも毅然とした態度で椛は滅びゆく化け物へと祈りを捧げる。

 やがて、ぱたりと大猿の両腕が大地に落ちる。

 元凶が滅びた事で、配下の猿たちも霞となって溶け消えていく。

 静寂が訪れた決着の場で、血塗れの大太刀が哀れな犠牲者たちの墓標としてもの言わぬまま大地に立ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 事件解決が深夜である為、博麗神社にて開催される恒例の宴会は後日とした一団は一時解散となった。

 人里にも妖怪の山にも犠牲者を出す事なく、雇った私兵と共に見事事態を収束させた椛は白狼天狗として汚名返上を果たし、皆が円満のまま幕が下りる。

 つまりこれより始まるのは、その先にて起こった事の顛末の蛇足にして本番。

 

()に゛だぐ……な゛い゛……」

 

 妖気の枯渇により再生能力を失った瀕死の身体で、猿神と呼ばれていた怪物がずるずると地面を這い摺っていく。

 この化け物は、確かに死んだ。だが、それは本当の死ではなかった。

 擬死。動物として捕食される側が持つ、究極の防衛手段の一つ。

 

()に゛だぐな゛い゛……()に゛だぐな゛い゛……」

 

 血を吐く口からうわ言のようにただそれだけを呟き続け、残った両足で刺さった刃を引き抜き九死に一生を得た大猿は、己に残った全てを使ってある場所を目指していた。

 この怪物に、最早過去はない。素材となった妖怪たちの要素は、ただの記号となり果てている。

 生まれて間もない赤子が、死を前にして目指す唯一の場所。

 それは――

 

「はぁい、ご苦労様でござましたぁ」

 

 それは、己の誕生させた造物主()の元。

 月の傾きは西の最端に至り、もう少しすれば日の光が東の空に覗くだろう、夜と朝の境界線。

 まばらに墓石の並ぶ命蓮寺の墓地にて、妖艶なる邪仙が愛さぬ我が子を笑顔で出迎える。

 霍青娥。未だこの場の地下にて潜伏する霊廟の三人に取り入り尸解仙へと至る道を示した、邪悪なる者の名だ。

 

()に゛だぐ……な゛い゛……」

「あらあら、随分と痛め付けられたようで。これほどの摩耗していては、修繕するより作り直した方が早そうですわね」

 

 怪物からの懇願を無視し、青娥は手に持つ煙管でくゆらせた煙を必死に手を伸ばす大猿へと吹き付ける。

 煙は怪物の全身を優しく包み込むと、意思を持つようにまとわり付き――一気に中心へと向けて圧搾を開始する。

 

「え、いげ、がぐげぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 

 まずは手足。次に胴、胸、首。

 折り、絞り、潰す。そこに慈悲はなく、あるのは薄ら寒いほどに無情な術の機能のみ。

 

「えぎゅ……っ!」

 

 最後に残った顔が潰れ、煙が晴れた後に残ったのは親指と人差し指で円を作る程度の大きさをした、一つの黒い玉だけだった。

 邪なる仙人はその丸薬――仙丹を躊躇なく口へと運び、一息で飲み干してしまう。

 

「急造故の弊害ですわねぇ。生まれて間もないばかりに、少々物足りない絶望(願い)絶叫(音色)。残念ですわぁ」

 

 あれだけおぞましい光景を生み出しておきながら、それでも足りぬと嘆息する邪仙。

 

「それで――貴女は一体、どんな音色を奏でていただけるのかしら?」

 

 三日月に弧を描くその笑みの向かう先は、一連の流れを観察し続けていた妖怪の山からの刺客。

 白狼天狗の犬走椛が、大剣と楯を構え明確なる殺意を持ってそこに居た。

 瀕死の猿神をわざと逃がしたのは、元凶の元に案内させて黒幕を特定する為だ。

 そして、思惑通り尾行した先でこうして犯人が自ら姿を現した以上、椛もまた隠れる必要がなくなった。

 

「いたずらに死者をもてあそんだ挙句、我らが山の秩序を乱した罪。その命で償え」

 

 元より、敵対者に慈悲などない。

 姿勢を下げ、獣の健脚にて一気に彼我の距離を詰める勇壮なる狼の前に、死体の少女が躍り出る。

 

「ちーかーよーるーなーっ」

 

 猿神のような張り子の虎ではない、青娥という仙術の深淵を知る者が心血を注いで完成させた至高なる芸術。宮古芳香。

 真横に振り抜かれた刃にて、主を守ろうとしたキョンシーが腰から上下に断ち切られる。

 しかし、分断された二つの肉体はそれぞれが明確な意思を持って、動きを止める事なく椛へと襲い掛かった。

 

「くっ、ぐぅっ!?」

 

 上方からの爪を掲げた盾にて防御した直後、その下を掻い潜って来た下半身の前蹴りをまともに食らい椛は大きく後ろへと吹き飛ばされる。

 死後硬直の為か、折り曲げる事の出来ない腕や足を使って器用に起き上がる上下の半身たち。

 芳香の怪力も厄介だが、椛は己の武器を見て更に眉間のしわを増やす。

 

「毒……っ」

「如何にも」

 

 死体の少女を裂いた大剣にこびり付いた血が、尋常ではない速度で白金の刃を腐食させていく。

 

「触れれば皮膚を焼き、潜れば臓腑を腐らせる。蟲毒の外法を繰り返し、厳選を重ねた上で抽出した一品でございます」

 

 さも自慢気に胸元へと片手を添え、救えぬ女がにこやかに(わら)う。

 

(わたくし)に罰を与えると言うのであれば、ご自由にどうぞ。ですが、(わたくし)如きを裁けぬ罰を甘んじて受け入れるほど、清廉ではありませんの」

 

 青娥は紛れもない外道であり、温情の余地のない悪人であり――そして、何よりも優秀な術者であった。

 つまり彼女は、優れた悪人というおよそ組み合わせてはならない要素が重なった致命的な破綻者なのだ。

 

(わたくし)はとてもか弱く怖がりな女ですので、この命が欲しければどうか(わたくし)を「諦め」させて下さいましね」

 

 語りの終わりに、今度は邪仙の傑作であるキョンシーが白狼の少女へと踊り掛かる。

 今度は縦。先に近づいて来た下半身を刃の重みと筋力で真っ二つに引き裂き、身体の回転を加えて更に両膝を起点に再び横へと分断してのける。

 しかし、それでも止まらない。四つの部品へと増えた下半身は、それぞれがまるで見えない糸に吊るされているかのように飛び跳ね椛へと体当たりを食らわせてくる。

 飛び散る血飛沫が頬に当たり、腐った毒液が狼の皮膚を焼く。

 

「うがーっ」

「ぐっ!」

 

 ふざけているのは、口調だけだ。後から追い着いた芳香の上半身の爪が腐食した盾を貫通し、遂に椛の右腕を掠る。

 爪にもなんらかの毒が塗られているのだろう。明らかに異常な色へと変色していく己の皮膚を見た瞬間、椛は即座に行動を起こす。

 

「がぁうっ! ――べっ」

 

 躊躇う事なく自身の牙をもってその部位一帯を噛みちぎり、無造作に地面へと吐き捨てる。

 

「おやまぁ」

 

 油断なく警戒しながら腰の水筒で口をすすぐ剣士を見ながら、流石の邪仙も驚いた様子で目を見開く。

 腐食が進み半壊状態となった剣と盾を捨て、それでも椛の戦意は消えていない。

 せめて一傷(ひときず)。この戦いが始まって、一歩すら動いていないあの邪悪へその所業を後悔させる為、狼の少女は更に姿勢を前へと落とし両手を地面に付ける。

 そして、駆ける。円を描くように高速で四肢を動かし、反応の鈍い芳香の部品たちを置き去りにして屍の人形が守る邪仙へと側面から襲撃を仕掛ける。

 

「があぁあぁぁぁっ! ――がっ、ぎゃいっ!?」

「ふふ、惜しかったですわねぇ」

 

 青娥との距離が五歩手前まで近づいたところで、牙を剥き出しにして咆哮を上げる椛の右足がとてつもない力で真横へと引き摺られた。

 背後に視線を向ければ、そこには長く伸びた汚い紐のようなものが少女の足へと巻き付いているではないか。

 それは、芳香の上半身の腹から伸びた腸だった。

 自分が動いたのでは間に合わないと理解した死体の人形は、己の腸を鞭のように振るい荒ぶる獣の足を捉えたのだ。

 

「ぐ、ぎがあぁぁぁっ!」

 

 当然、屍の腹に収まっていたその臓器には邪仙の込めた毒の血がこびり付いている。じゅうじゅうと生身の肉が焼ける恐ろしい音と臭いが周囲に広がり、椛の絶叫が朝を待つ夜の空へと木霊する。

 そのまま、足が腐り落ちるのを待つばかりかと思われた少女の命運は尽きていない。

 空から急降下して来た二つの影が、颯爽とその危機を退ける。

 一つは、清く正しい伝統文屋である、射命丸文。

 もう一つは、その烏天狗の肩に乗る大天狗の眷属、炎鳥の松明丸。

 足に絡む腸を風刃によって切り飛ばし、倒れる椛を掬い上げるように両腕で抱え空へと逃れる。

 

「まったく、最初の一合で相性が悪い事は理解出来たでしょうに。貴女の役目は情報を持ち帰る事であって、怒りに任せてあんな無駄に香水臭いクソ女を噛み殺す事ではありませんよ」

「良く言うぜ。勝負が始まる前に止めりゃあ良いものを、「良い写真が撮れるかも」なんて下らない理由で傍観決め込んだ挙句、窮地になった途端風より速く――」

「あー! あー! 聞こえませーん! きーこーえーまーせーん!」

「やれやれ」

「文様……それに、松明丸殿まで……」

 

 突然始まった犬も食わない一人と一匹の寸劇に、状況を理解し切れない椛が何度も瞬きを繰り返す。

 

「椛嬢、ちょいと痛むが我慢してくれよ」

「ぐぅっ!」

 

 毒の進行を防ぐ為、松明丸の燃え盛る両翼が黒に近い紫へと変色した少女の足首を包み焼く。

 

「ようこそお越し下さいました。(わたくし)の次の遊び相手は、貴女方という事でよろしいのでしょうか?」

「好きに解釈なさい。どちらにせよ、貴女は終わりです」

「うふふ。それはそれは、楽しみで――」

「ぎゃばっ!」

 

 会話の途中で、唐突に芳香の身体が切れた。

 縦に、横に、斜めに。風の刃を使った連撃が、屍の全身を予備動作もなく切り刻む。

 更に別の烈風が起こり、ばらばらだった芳香の身体が細切れのまま一か所へと無理やりに掻き集められる。

 肉片の溢れる地面へと降り立ったのは、弾ける寸前まで溜め込んだ焔を抱えた炎の怪鳥。

 大天狗の眷属である松明丸が動いた以上、そこには必ずあの青年の姿をした上位者の意思が含まれている。

 とても単純な理屈だ。つまり、邪仙の行った妖怪の死を冒とくする所業に()()()()()()()()()のだ。

 

「芳香!」

「椛嬢の分だ。影でも残れば、儲けものだと思いなせぇ!」

 

 この場で初めて悲鳴を上げる青娥の伸ばす右手を無視し、松明丸の輝きが最高潮達し――

 

「――とととっ」

「はい、そこまで」

 

 小さな鳥を囲む堅牢なる結界が構築され、盛大に立ち上るはずだった火柱はその機会を失ってしまう。

 博麗の巫女。幻想郷の秩序にして、妖怪を退治する事に特化した今代の幻想殺し。

 

「まだ明け方直ぐよ。人里近くで騒ぐなんて、安眠の邪魔なの。暴れたいんなら、余所でやんなさい」

 

 昇り始めた朝日を背にしながら、お祓い棒で肩を叩く紅白の巫女は空中から全員を睨み下ろしながらさも面倒臭そうに口を開く。

 次に霊夢が目を向けるのは、結界に封じた松明丸だ。彼女にしてみれば、人里近くで派手は火柱を上げようとした考えたらずな天狗たちも秩序を乱すという意味で邪仙と同罪なのだ。

 

「あんたたちも、相手の目論見が見えないほど間抜けじゃないでしょう」

「面目ねぇ、巫女の嬢ちゃん。仲間がやられたからって、頭を冷やし損ねてた。ほれ、なんせこの身体はずっと燃えてるからな」

「十五点」

「もう少し低くて良いのでは?」

「酷ぇな」

 

 自分でも、大して面白いとは思っていないのだろう。

 巫女と同僚という二人の少女からの低評価に、結界内の炎鳥は気にした様子もなくただ肩をすくめるだけだ。

 

「見事な手腕ですわ、流石は幻想郷の調停者。(わたくし)も、遂に年貢の納め時でしょうか」

「あんたの望み通りに動く気はないわ。そこの死体拾って、さっさと消えなさい」

「あらあら、それは残念ですわ」

 

 死体を組み合わせた紛い物とはいえ、猿神は確かに妖怪として誕生していた。

 人里との条約を破り、妖怪の山を敵に回した妖怪が、退()()()()()()()命蓮寺に助けを乞えばどうなるか。

 匿えば、それは「危険な妖怪を守った」事実が人間たちや山の組織との不和となる。

 封じれば、それは「瀕死の妖怪を見捨てた」事実が救いを求めて寺へと集った弱い妖怪たちへの不和となる。

 互いの信頼関係も満足に構築出来ていない今の時期に命蓮寺への不信を撒けば、修復不能な疑心暗鬼を誘発する事も難しくはない。

 もしも、猿神を退治するだけで山の組織が満足していれば、この策は成っていた。

 そして、椛の介入により策の成就が叶わないと解れば即座に証拠隠滅を図った上で派手な戦闘を誘発し、人里と命蓮寺の関係に別の不和を撒こうと動く。

 奔放に見えて悪辣に満ち、自由に見えて計算高い。

 逃れ得ぬ絶望を求めて神仙へと至った、善の敵たる策謀家。霍青娥とは、そういう女なのだ。

 

「それでは皆様、ごきげんよう」

 

 足下に広げた波紋に潜り、その身を沈ませていく邪悪なる仙人。

 貼り付けられた笑顔が地の底へと消える頃には、芳香だった肉片も何時の間にか跡形もなく消え去っていた。

 

「ふ、あーぁ。私の役目も終わったし、あんたたちもお寺の連中が来る前に散った散った」

 

 墓地全体を囲っていた特大の結界を解除しつつ、霊夢は右手で頭を掻きながら文たちへと左の手の平を振り追い出しに掛かる。

 下手に命蓮寺の者たちに介入されては、邪仙が次なる策を仕掛け泥沼の状況となる可能性があった。

 寺の者たちが自らの陣地で起こった騒動に動かなかったのは、博麗の巫女が介入を拒否する意図を持って結界を見せつけたからだ。

 

「美味しい所だけ持って行っておいて、良くもいけしゃあしゃあと言えたものです。妖怪の山の一員として、我々の敵対者を庇った事は記事で抗議させて貰いますからね」

「好きにしなさい。どうせ私は読まないんだから、どうでも良いわ」

 

 阿求への宣言通り、最後の取りにだけ足を運び自分一人が楽をした自堕落巫女への文句は、何時も通り聞き流されるだけった。

 

「まったく。誰がどう育てれば、こんな不遜で礼儀しらずな娘が出来上がるのやら」

「ほれ。くっちゃべってないでさっさと行くぜ、文嬢。椛嬢の傷は、治療院に連れていかないと治りそうにないからな」

「面目次第もございません。お世話を掛けます、松明丸殿」

「そうですよ。貴女は、霧の湖より深く反省してください。弱い癖にきゃんきゃんと人様に噛み付いて、恥ずかしくないんですか」

「がぁう!」

「ふんぎゃー!」

「おいおい。あんまり騒ぐと、本当に坊主たちが来ちまう。いちゃつくんなら、治療院でやってくれや」

 

 任務も終わり、何時もの調子でじゃれ合いだす文と椛の傍を飛びながら松明丸が盛大に溜息を吐く。

 こうして、撒かれるはずだった災いの種は事前に摘まれ、本当の意味で幻想郷に平穏が戻る。

 しかし、この場に居る誰もが理解している。この平穏は、ほんの一時しのぎに過ぎないのだと。

 あの邪仙の背後には、なんらかの組織の存在がちらついている。人里や妖怪の山を挑発したのも、彼女自身ではなく組織に利となる行動なのだろう。

 ここ数年で少々複雑さの増した幻想郷のパワーバランスに、新たな組織が名乗りを上げようとしている。

 それが、次なる異変の起こる予兆である事は間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

「――んで? 式神の手下を作るって張り切ってたやつは、結局どうなったんだ?」

「うむ。青娥殿の協力もあって、中々優秀な式神が出来上がった。しかし、予想以上にもりもり育ち過ぎた挙句言う事も聞かなくなったので、動物保護の観点から野に帰した」

「どぉあぁほぉぉぉぉぉぉっ!」

「あびゃあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁっ!」

 

 本日も地下の霊廟にて、二重の意味で屠自古の雷が炸裂していた。

 本日の落雷理由は、布都が作った式神の逃亡だ。

 

「まぁまぁ。手ずから作り上げた作品をうち捨てるなど、感心しませんわねぇ」

「何無関係装ってやがる、この汚物。元はと言えばどうせてめぇが式神の素体に色々仕込んだのが原因なんだろうが」

 

 頬に手を当て眉を下げる腐り果てた元凶を、霊廟の守護者は怪光線でも発射しそうな眼光で睨む。

 

(わたくし)としては、この郷にどれだけ神秘が残っているかの確認を兼ねた実験のつもりだったのです。ですが、まさか適当に拾ったゴミたちを丸めて依り代にしただけで猿神が誕生しようとは、良い意味で予想を裏切られてしまいましたわぁ」

「おい、青娥」

 

 バチバチと音を立て、空気が焦げる。

 全身から迸ろうとする怒りと雷を抑え込み、ぎりぎりの理性を保つ屠自古が涼しい顔の青娥へ隠そうともしない殺気を向けていた。

 

「太子様がお目覚めするまで、下手な騒動は控えろと言っておいたよな? 今地上の者たちに攻め込まれれば、防衛に向かない霊廟では万が一があり得ると」

「えぇ、全ては(わたくし)の浅慮が招いた事故でございます。如何なる罰も――」

「うるせぇ」

 

 まるで心のこもっていない謝罪を遮り、屠自古は青娥の胸ぐらを掴んで持ち上げる。

 

「自殺したきゃそう言え。太子様を危険に晒して私の反応を楽しむつもりなら、てめぇの大事な死体娘諸共今すぐ丸ごと消し炭に変えてやんよ」

「……」

()()()()()()()()()()なんて、探ってんじゃねぇよ。お前、本気で殺すぞ」

「――お見事。死してなお、その慧眼は衰えておりませんわね」

 

 この邪悪な存在に、半端な脅しは通用しない。

 一言でも誤魔化しを口にすれば本当に殺すつもりで問い詰められ、ようやく青娥が観念したように肩をすくめる。

 人間の器を捨て、人間とは別の存在へと昇華したのだ。生前と同じ価値観である可能性の方が、むしろ低いと言えるだろう。

 気が大きくなったかもしれないし、寛大になったり短気になったり、或いはまったく別の性格になっているかもしれない。

 何が許されて、何が許されないのか。生死の綱渡りを楽しむ青娥が、そういった他者の境界線を探る作業を怠るはずはない。

 彼女は何時だって破滅を欲し、そして、何時だって破滅へ向かう自分を一番に恐れている。

 矛盾を抱えた破綻者に付き合う気はないと、霊廟の奥へと消えていく屠自古。

 もしも太子が目覚める前にもう一度青娥が余計な騒動を起こせば、あの亡霊は躊躇う事なく本気で邪仙を滅ぼそうとするだろう。

 青娥とて、無為に死にたい訳ではないのだ。太子の目覚めは間近であるとの情報もあり、しばらく自重する事に否はない。

 しかし、ただ待つだけでは暇を持て余してしまうのも事実。

 

「一時は、みじん切りにされた芳香ちゃんの為に()()集めに勤しむとしましょうか」

 

 地下にてうごめく者たちが動けば、それが開戦の合図となるだろう。

 全ての役者が揃うまで、時間はそれほど掛からない。

 幻想郷に、早くも次なる騒動の幕が近づき始めていた。

 




娘々の、コレじゃない感。
美学ある外道の描写が、これほど難しいとは……orz
まだだ、まだ終わらんよっ。邪悪仙人ちゃんの魅力は、これからだ!(集中線)

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