東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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前回、天子は死ぬと言ったな。
あれは嘘だ。


94・比那名居天子は砕けない

 太陽の畑にて草花たちに水やりをしていた二人の内、先に気が付いたのは麦わら帽子を被ったリグルだった。

 

「幽香。なんだか、妖怪の山から嫌な感じがする」

 

 弱者故に危機には敏感な妖虫に対し、花の女王は緋色の雲を一瞥するだけで興味もないと水やりへと戻る。

 

「すぐに終わるわ。無視しなさい」

「どういう事? 幽香は何か知ってるの?」

「いいえ。何も知らないし、どうでも良いわ」

 

 本当に、心底どうでも良いのだろう。

 幽香の言葉に乗る感情は、無関心そのものだ。

 

「興味があるのなら、行ってみたら?」

「う~ん。怖いけど、幽香が気にしないで良いって言うなら私も気にしない」

「臆病ね」

「う゛ぅ゛……」

 

 自身の情けなさを嬉々として突き付けられ、リグルは肩身が狭そうに縮こまる。

 虫の王を名乗るのならば、幽香のように気丈であるべきなのに。これでは、本当に()()だ。

 

「あそこで遊んでいるのは、多分アリスね。お相手は、あの変な色の雲を作った暇人でしょうね」

「やっぱり、知ってるんじゃない」

「知らないわよ。あの娘が天人と争う理由なんて」

 

 どちらが勝とうと、興味はない。故に、幽香は気にしない。

 むくれるリグルの不満を聞き流し、一通りの範囲に水をやり終えた幽香はそのまま自宅へと向けて歩き出す。

 

「いよいよになれば、雲ごと天界を撃ち落としてやろうかと思っていたけれど――あの娘が勝手にやってくれるのなら、手間が省けるわ」

 

 そんな独り言が、フラワーマスターの口から漏れる。

 誰かが立たねば、誰かが立つ。

 自分の住処に火の粉が来たなら、振り払うのは当然だ。

 吸血鬼の姉妹、月姫と薬師、軍神と土着神。そして、太陽の畑の淑女。

 幽香の言葉通り、そうしなければ解決しないという段になれば、彼女たちは躊躇なくその力を示していただろう。

 天人の落とした災厄の種は、最初から芽吹く可能性すらなかったのだ。

 

「ほら、いらっしゃい。小生意気な人形遣いが置いていった茶葉とお菓子で、一服入れましょう」

「わぁ、良いの?」

「今日は気まぐれよ」

 

 或いは、その時こそが本当に天界の滅びの日となっていたかもしれない。

 少なくとも、風見幽香という破滅は本日の騒動から目を逸らした。

 それだけで、今日という日は天人にとって幸福な一日だと断言出来るだろう。

 ただし、個々の感想については配慮出来ない。

 例え、種の全体にとって幸福な一日であったとしても、不幸に見舞われる者が居ないとは限らないのだから。

 

 

 

 

 

 

 全身の痛みから動く事の出来ない天子に代わり、先に動いたのは人形たちだった。

 

「がぃっ!」

 

 黒帽子のつばを右手で摘まむドットーレが、うずくまっている天子のあごを蹴り飛ばす。

 

「ぎっ!」

 

 その浮いた上体へと、楽師のアルレッキーノが手に持つリュートに仕込まれた刃を引き抜き、右の肩口から斜めに走る一閃を叩き込む。

 蹴りと刃を受けた箇所に、傷はない。

 当然だ。天人の身体は、鋼に勝る。

 生半可な打撃や斬撃などで、傷が付くはずもない。

 

「ぁ、がぁっ!?」

 

 しかし、アリスの呪文はその最強の防御を無視する。

 一拍遅れる形で天人のあごにあざが生まれ、刃の通ったそのままに皮膚が裂ける。

 傷を治す身体の働きが反転し、傷を生もうと自身の肉体を破壊する。

 

「うぎっ」

 

 天子が立ち直るよりも早く、更にコロンビーヌの踊るようなしなやかな蹴撃が再び少女の顔面を吹き飛ばす。

 人形たちの攻撃は、相手を傷付ける事よりも突き飛ばしたり押し出したりといった、体勢を崩し距離を離す事を重視していた。

 理由は単純。アリスの呪文と毒により弱り果てた天子だが、その肉体の硬さは一切変わっていないからだ。

 そんな天子の身体に対し、体重を乗せた攻撃はかえって人形たち自身が傷付きかねない。

 それに、当てるだけで勝手に傷が増えるのだから、あえて危険を冒す必要はない。

 人形たちの攻撃は、むしろ傷を誘発させる為のおまけの意味合いが強い。

 

「ぶざげる゛な゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!」

 

 大地に左手を付き、血走った目でアリスを見据える天子の周囲に多数の要石(かなめいし)が出現する。

 半死半生の状態でも、流石は天人。なけなしの精神力で捻り出した岩の連弾は、十分アリスの脅威になる。

 よって、両手を前へと突き出したパンタローネが天子の攻撃を取り上げる。

 

 深緑の手(レ・マン・ヴェール・フォンセ)――

 

 老父の人形の手の平に空いた幾つもの穴から凄まじい勢いで空気が吸引され、宙に浮かんでいた全ての要石(かなめいし)が彼の両手へと吸い込まれていく。

 

「な゛……っ」

 

 驚愕する天子を無視し、パンタローネは笑みに固まった表情のまま己の頭上にてその岩たちを一つにした。

 出来上がったのは、岩で出来た大玉だ。

 前方に置いた岩玉に乗り、老いた道化がその球体を高速で転がし始める。

 

「くっ――げっ!」

 

 岩の塊とはとても思えない、軽快な速度で迫る巨大な大玉を必死に回避した直後、蛇腹型の機構によって伸びたドットーレの両腕が横手から天子の顔面を殴り飛ばす。

 受け身も取れずに無様に倒れた少女が次に見たものは、頭上から迫る岩の壁だった。

 

「……っ」

 

 恐るべき妙技。老父の人形は転がしていた岩玉を急停止させるだけでは飽き足らず、バウンドするように背後へ向けて浮かせてのけたのだ。

 乗り手であるパンタローネの両足の蹴りによって勢いを追加され、岩の砲弾が真下へと撃ち出される。

 大地へとめり込む岩玉。押し潰される天人。

 

「永久と無限をたゆたいし、全ての心の源よ――」

 

 攻勢を緩める理由はない。再び四体の人形を傍へと戻したアリスが、呪文の詠唱を開始する。

 

「ぜひっ……ぜひっ……ぜひっ……」

「「崩霊裂(ラ・ティルト)」!」

 

 自分に乗った大岩を呼び寄せた緋想の剣で両断し、這う這うの体で出て来た天子の足下から蒼の円環が立ち昇る。

 

「いぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 精神のみを焼き払う精神世界面(アストラル・サイド)からの一撃が、傷だらけとなった天人に更なる苦痛を叩き込む。

 余りに一方的な展開だが、それでも今のアリスに容赦の二文字はない。

 絶叫を上げる天子の真上で、人形の奏でるリュートが唄う。

 

 緋色の手(レ・マン・スカラティーヌ)――

 

 分割された片方の岩の上に立ったアルレッキーノが、背から伸びた無数の管とかざした手の平から業火を放出する。

 楽師の人形に内蔵された液体燃料による、緋色の獄炎。

 

「あ……か……が……っ」

 

 本来であれば対象を焼き払う為の火炎放射だが、当然天子には通用しない。

 それでも、炎の中で天人の少女は喉を押さえて苦悶を浮かべている。

 炎の目的は少女そのものではなく、その周囲の酸素を根こそぎ奪い去る事にあった。

 

「あアぁぁぁあァぁぁァアぁぁぁっ!」

 

 酸欠によって血色を失い、炎に炙られ遅々として皮膚を爛れさせていく、哀れなほどに必死な緋想の剣の主。

 その願いに応じた宝剣が、火の海である一帯を気質の暴風によって薙ぎ払う。

 

「「火炎球(ファイアー・ボール)」!」

「ぎゃうっ!」

 

 焔の檻を抜け出しても、天子の地獄は終わらない。

 人形遣いから放たれた火球が顔面へ直撃し、熱を伴う爆裂によって少女がなす(すべ)もなく吹き飛ぶ。

 

「「火炎球(ファイアー・ボール)」!――「火炎球(ファイアー・ボール)」!――」

「がっ、ぎぅっ」

 

 火も、爆風も、天子を傷付ける事はない。

 彼女に傷を付けているのは、あくまで彼女自身。

 全ての代償は、常に一拍遅れてやって来る。

 叩き付けられた箇所にはあざが生まれ、擦れた個所の皮膚は裂け、火に炙られた箇所には火傷が走る。

 

 純白の手(レ・マン・ブランシュ・ジマキュレ)――

 

 三度宙を舞ったボロボロの少女を優しく抱き寄せたのは、踊り子の衣装を着た唯一の女性人形。

 白熱するほどに高温となったコロンビーヌの両手が、添えられた天子の背を溶かす。

 

「あぎあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 何度目かの絶叫が、天界の空へと響く。

 

「がぎぃぃぃっ! ぎ、あがあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 叫び散らしながらがむしゃらに身体を動かす天子の抵抗を、人形が力任せに押さえ付け続ける。

 何より恐ろしいのは、常人であれば何度死んでいるか解らないほどの攻撃を受け続けていながら、未だに叫び暴れるだけの余力を持つ天人の出鱈目さだ。

 あざは出来てもあざ止まり、皮膚は裂けても肉には届かず、火傷は表面に浮かぶだけ。

 硬い。ただひたすらに硬い肉体が、アリスからのありとあらゆる攻撃を耐え抜く。

 アリスに油断はない。出来るはずもない。

 どれだけ弱らせようと、たった一撃で攻守が入れ替わる状況に変わりはないのだ。

 本当の意味で天子が倒れるまで、アリスが余裕を抱く事はない。

 それは、この勝負に決着が付くまで人形遣いが攻勢を緩める事は絶対にないという、悲しい事実を意味している。

 その愚行を止めてくれる第三者は、未だにこの浮島へと現れない。

 二人にとっての不幸な時間は、もう少しだけ続くらしかった。

 

 

 

 

 

 

 天子ちゃん硬過ぎワロリンヌ。かっちかちやぞ!

 鋼鉄魔嬢かな?

 例えるなら、HP数万のラスボス相手にひたすら一ダメージを与え続けて倒そうとか、そういう頭のおかしい縛りプレイ状態。

 こんなんむしろ、不毛過ぎてこっちがマゾに目覚めそうだわ。

 なんやこのクソゲー!

 

「があ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!」

 

 しかも、たまの反撃が大体即死級というおまけ付きである。

 ゾナハ病で抵抗する力を奪っても未だにこの元気とは、恐ろしいにもほどがある。

 

「「破砕鞭(バルス・ロッド)」」

 

 剛速球で飛んで来る拳大の要石(かなめいし)を魔力の鞭で粉砕し、突進させたコロンビーヌが垂直に振り上げたかかと落としを天子の脳天へと振り下ろす。

 

「がぃっ、ぎっ」

 

 下がった頭にパンタローネの横蹴りを叩き込んで更に吹き飛ばし、距離を開けたところで私の次の呪文が完成する。

 

「「霊氷陣(デモナ・クリスタル)」!」

 

 仰向けに倒れた天子の居る一帯に霧が吹き上がり、続いて範囲の中にあるものを一気に極寒の冷気にて凍結させる。

 

「ぁ……か……」

 

 氷漬けとなった天人は、それでも動く。

 打撃、斬撃、燃焼、凍結、全てが掠り傷止まり。天子の体内に侵入しているアポリオンが破壊される可能性があるので検証は出来ないが、電撃も恐らく同じ結果だろう。

 日の傾きから考えて、軽く数時間は経過しているはずだ。

 それだけの時間を使ってさえ、最強の一角に届き得る有効打を見つける事は叶わなかった。

 それに、この戦いが始まってから私は一度も攻撃を緩めた事はない。

 すぐに挫けるだろうと舐めていた。

 すぐに諦めるだろうと侮っていた。

 それがどうだ。最強の天人は見る影もなく弱った身体で、今もこうして私に挑み続けて来る。

 私の勝ちは揺るがない。だが、その勝ちがどうしようもなく遠い。

 私の弱さが、彼女の強さが、無駄に勝負の時間を長引かせる。

 それでも、私が天子を下すにはひたすら手数で攻め続けるしかない。

 掠り傷で全身を埋め尽くし、体力の底まで削り切るしか、この勝負を終わらせる方法はない。

 

「「黒魔波動(ブラスト・ウェイブ)」!」

「ごっ!?」

 

 氷漬けとなった天子の元へと走り込み、石壁に大穴を穿つ超振動の衝撃波を私の両手から叩き込む。

 粉と散る氷が舞い、服が裂け、皮膚が裂け、胸元から鮮血を舞い散らせて天人が彼方へと飛んで行く。

 待ち構えているのは、リュートを手に佇む白の楽師。

 

 諧謔曲(スケルツォ) 『神をたたえよ(ベネディカムス・ドミノ)』―― 

 

「……っ」

 

 掻き鳴らす楽器から発せられる音の波が幾重にも折り重なり、衝撃となって天子の全身へと叩き付けられる。

 猿神退治の折り、ミスティアが放った振動衝撃波。その応用だ。

 無事な箇所などありはしない。傷という傷から血を吹き出し、悲鳴を上げる事すら出来ずに地へと伏す天人。

 

「ぜひっ……ぜひっ……ぜひっ……」

 

 どれだけ血を流しても、何度地に倒れる事になっても、それでも彼女は立ち上がる。

 正に不屈。逆境にこそ輝く彼女の精神は、魔理沙のそれにも近い尊いものだ。

 天子の身体から、急激に霊力が抜けていく。受け取り先は、この異変の発端の一つである緋想の剣。

 精神世界面(アストラル・サイド)サイドを知覚する私の瞳が、それだけの消耗を許した上で必殺の一撃を繰り出そうとしている事を読み取る。

 

「う゛ぇああぁァアぁぁァァっ!」

 

 陽炎の刀身が伸びる。

 今居る浮島くらいは楽に両断出来そうなほどの長さになった刃が、天地を切り裂く勢いで振り下ろされる。

 きっとこれが、彼女にとって最後の一撃になるだろう。

 故に、折る。その、不屈の精神諸共に。

 

「――「神滅斬(ラグナ・ブレード)」」

 

 私の手に宿るのは、金色の母なる断片。全ての始まりにして終わりを意味する、漆黒なる「無」の刃。

 拮抗はなかった。

 互いの切っ先が触れ合った瞬間、緋想の剣は虚無の刃の前に敗れ刀身を半ばから両断される。

 彼女がもし、(やまい)に侵されていなければ。

 彼女がもし、最初から消耗していなければ。

 結果は逆になっていたかもしれない。

 しかし、今この時にある結果こそが全てだ。

 

「ぁ……」

 

 最後の手段すらも無意味に終わり、遂に全ての気力を使い果たした天子が自分から大地へとその身体を投げ出した。

 決着だ。今の彼女に、もう抵抗する余力はない。

 

「ぜひっ……ぜひっ……ぜひっ……」

 

 精神や体力の問題ではない。

 私は一つ、ゾナハ病について誤った説明をしていた。

 彼の(やまい)の本当の脅威は、「誰かを笑わせなければ死ぬ事」ではなく、「誰かを笑わせなければ()()()()()()事」にあるのだ。

 天子の至った、ゾナハ病の最終段階。

 新陳代謝が停止し、体温が低温で一定化。全身の硬直したまま栄養の補給がなくとも生き続け、成長や老化も止まる。

 一切の外的要因以外では死ねなくなり、半永久的に呼吸困難を伴った激痛が続く。

 本来であれば長い闘病の末に至るものだが、今の天子は「誰よりも病気になる」体質の状態だ。病気の進行も、こうして通常の何倍もの速度で行われる。

 天子が毒を飲んだ時点で、私の勝利は文字通り時間の問題だったのだ。

 私は頬を濡らす返り血を手の甲で拭い、か弱い呼吸を繰り返す死に体の天人へと近づいていく。

 

「やめろぉぉぉっ!」

 

 服がほぼ全損していて掴めない為、代わりに天子の首を掴んで右手で持ち上げたところで、第三者からの制止が入る。

 視線を送れば、大声を上げたのは白黒の魔法使いだった。その瞳には、明らかな恐怖が揺れている。

 魔理沙の隣では、紅白の巫女が腕を組んだ姿勢でこちらをじっと見つめている。

 

 あー、うん。そうだよね。

 今の天子ちゃん、控えめに言ってもスプラッタな血達磨だからね。そういう反応になるよね。

 

 だが、こればかりは例え魔理沙からのお願いであっても止める訳にはいかない。

 何せ、私は約束をしてしまっている。

 例え勢いから出た口約束であろうと、果たさなければならないのだ。

 

 約束したもんね、霊夢。

 信じて良いよ。()()()()、私は嘘吐きにはならないから――

 

 まるで、一度は約束を破っているかのような思考だ。

 その言葉を思い浮かべたはずの私自身、身に覚えのない記憶。

 それでも、私はきっと裏切ったのだろう。

 博麗の巫女を――博麗霊夢を。あの心優しい少女を、泣かせたのだろう。

 何も理解しないまま、左手で拳を作る。

 この不毛なる勝負に幕を降ろす決意と共に、私は左腕を大きく振り被った。

 

 

 

 

 

 

 高度が高くなるほどに気流は乱れ、烈風が箒に乗った少女を揺らす。

 

「おっととと。しっかし、幻想郷の上にあんなもんがあるとはなぁ」

 

 お気に入りの三角帽子が飛ばないように右手でしっかりと押さえながら、魔理沙は天を飛ぶ群島を眺め口笛を吹く。

 

「天界って言うらしいわ。成仏した魂や、天人っていう暇人の巣窟だって小町が言ってたわね」

 

 隣を飛ぶのは、何時もの巫女服に何時もの装備をした霊夢だ。

 博麗神社の片付けが一段落し、次に異変の首謀者を懲らしめようと二人は並んで天界を目指していた。

 主犯である天子の居場所を教えてくれたのは、片付けの途中で神社に現れた永江衣玖と名乗る天女だ。

 何故か少々疲れた様子で溜息を吐きつつ、博麗の巫女へ異変解決の要請をした後さっさと何処かへ消えてしまった。

 

「アリスは、もうあそこに居るのかな」

「そうでしょうね」

「……大丈夫かよ」

 

 魔理沙にとって、アリスの強さは未だに未知数な部分が多い。

 強いのだろうが、どの程度と問われれば即答しかねる。

 また、天人の実力も解らない現状では、あの浮島でどんな戦いが繰り広げられているのか、まったく想像が出来ないのだ。

 しかし、魔理沙の心配は杞憂に終わる。

 何故なら、ようやく空の島に辿り着いた少女の目に飛び込んで来た光景は、首謀者と思われる少女を一方的に痛め付け続けている人形遣いの姿だったのだから。

 

「な……っ」

「……」

 

 驚愕に染まる魔理沙の隣で、霊夢もまた眉をひそめて腕組みをしている。

 

「弾幕ごっこじゃ、ないのかよ」

「ここは天界、幻想郷じゃないわ。スペルカード・ルールを適用する必要はない」

 

 天界は、冥界や地獄と同じくいわゆる治外法権が適用される土地だ。

 幻想郷に寄らない、独立した自治を確立しているからこそ、幻想郷の法は通用しない。

 幻想郷の管理者は、そう判断を下した。

 

「ぐぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!」

「っ」

 

 明らかに呼吸音がおかしい血塗れの少女から、絶叫が上がる。

 殴られ、蹴られ、切られ、焼かれ、凍らされる。

 アリスの操る四体の人形と、操者である人形遣い自身の魔法が、絶える事なく異変の元凶を蹂躙する。

 なぶるように――恐らく、実際になぶっているのだろうアリスの戦い方は、背筋が凍りそうになるほどに淡々としていた。

 そこに顔があるから殴る。

 そこに腹があるから蹴る。

 そこに首があるから切る。

 相手が立ち上がる時間さえ惜しいと蹴り飛ばし、動きを止めれば動き出すまで延々と炎を浴びせ続ける。

 的確に、かつ迅速に、されど非合理に。

 相手のあらゆる手管を潰し、それでも足りぬと更なる恐怖と絶望を刻み込む。

 そこに、魔理沙の知るアリスは居なかった。

 そこに居たのは、本物の魔女だ。

 どれだけそうしていただろうか。どれだけ、アリスの非道を見つめ続けていただろうか。

 白黒は動けず、紅白は動かず。

 気が付けば、相手の少女は白目を剥き半死半生の状態で地面に倒れていた。

 決着が付いたはずのその場で、アリスは当たり前のように相手の首を掴み、無造作に持ち上げる。

 

「やめろぉぉぉっ!」

 

 魔理沙自身、何故そうしたのか解らない。

 だが、それでも普通の少女は、アリスの所業を止めようと大声を張り上げていた。

 相手の返り血を浴びた無機質な両目が、普通の魔法使いを射抜く。

 

「っ」

 

 たったそれだけ。

 それだけで、魔理沙はもう何も言えなくなっていた。

 人間の少女の身の内より沸き上がった感情の名は、紛れもない恐怖だ。

 アリスと出会い、過ごした日々は決して少なくも浅くもない。

 余計なお世話に悪態を吐きながら、それでも互いの家に招くほどには交流を持ってたはずの関係だった人形遣いを、魔理沙は初めて恐怖した。

 

「「崩魔陣(フロウ・ブレイク)」」

 

 魔理沙が臆した事で、視線を敵対していた少女へと戻したアリスは、右手より中和を意味する六芒星の魔術を発動させる。

 後からやって来た二人は知る由もないが、破魔の魔法にて砕いたのはアリス自身が発動させていた治癒反転の呪いだ。

 

「ぶっ……げほっ……げほっ……」

 

 これにより、天人の肉体は正しい代謝と免疫力を取り戻す。

 傷は止まり、(やまい)は駆逐され、弱り切った身体だけが残される。

 無敵に戻った天人に、あらゆる攻撃は通用しない。

 通用させるには、その規格外の防御を貫くだけの威力を叩き出さねばならない。

 

単眼砲(バロウル)起動(オン)――」

 

 よって、人形遣いは躊躇いもなく切り札を切る。

 霊夢と魔理沙からは死角になった位置で、アリスの宣誓により精巧に作られた義手の機能が発動する。

 

集中(コンセントレート)

 

 本来、この義手の機能は義手そのものに内蔵された魔石(ジェム)から汲み上げた魔力を砲撃として撃ち出すという、単純なものだった。

 しかし、過去の異変にて九尾の狐と争った際、相手の張った結界に威力を殺され結果として敗北した事により、反省を活かすべく別の機能が追加されていた。

 それは、撃ち出す為の魔力を拳の一点へと集中させ、相手の防御諸共にピンポイントで急所を貫く必殺の一撃。

 当然、計算上は妖怪の山を貫通するほどの威力を更に集中させるという暴挙は、無謀以外のなにものでもない。

 しかしアリスは、知った事かとばかりに自壊し始めてしまうほどに魔力を溜め込み続ける左腕を、背筋を使って引き絞る。

 

 私が貴女の代わりに、犯人をグーで殴るわ――

 

「約束したものね……っ!」

「や、や゛べでぇ゛――っ!」

 

 臨界に達し、全ての準備を整えた魔道具。

 意識を取り戻した天人の乞いを無視し、アリスは犯人へと全力の「グー」を叩き込んだ。

 地が割れ、揺れる。膨大な魔力を一点に集結した破壊と言う名の暴虐が、心の折れた天人の顔面に炸裂する。

 アリスの繰り出した一撃が、浮島の全土へと大きな激震と亀裂を走らせた。

 

「うわっ」

 

 直前で浮いた霊夢とは違い、激しく揺れ動く地面に足を付けていた魔理沙は数歩たたらを踏んだ後、体勢が保てず尻餅をついてしまう。

 島そのものを半壊させた爆心地にて、土煙が晴れた場所に残っていたのはアリスだけだった。

 倒れていた天人の姿を探しても、そこには誰も居ない。

 代りとして、人形遣いの足下には大穴が開いていた。しかも、その穴は冗談のように人間の形をしているではないか。

 穴の底は空と繋がっており、浮島を完全に貫通している事が証明されていた。

 つまり、天人は落ちたのだ。栄華を誇った天界から、自らが蔑んでいた地上へと。

 

「ふぅ……」

「ア、アリス……」

 

 やや疲れ気味に吐息を落とす人形遣いの名を、普通の魔法使いがへたり込んだまま震える声で告げる。

 当然、それほどの一撃を放ったアリスの左腕は無事ではなかった。

 全体が滅茶苦茶に折れ曲がり、偽装用の骨や肉が各所で剥き出しになっている。ご丁寧に、血液を模した疑似体液まで吹き出す手の込みようだ。

 義手である事を知らなければ、思わず目をつむってしまいそうなほどの痛々しさだろう。現時点では知らされていない霊夢と魔理沙にとっては、少々刺激の強過ぎる光景かもしれない。

 加えて、自身の攻撃の余波なのか左の肩口や脇腹などの生身の部分からも、軽傷とは言い難い本物の血も流れている。

 ほぼ自滅に近い傷を負い、アリスはぼろぼろの左腕に召喚魔法で呼び寄せた白布を被せて隠し、霊夢へと視線を向ける。

 

「疲れたから帰るわ。後、お願いね」

 

 それだけ言って、返答を待つ事なく人形たちを自宅へ帰し天界から立ち去って行く人形遣い。

 残されたのは見物人の二人と、激戦の傷跡によって今にも崩壊しそうな浮島が一つ。

 

「何しろってんだよ……」

「帰る、言いふらす、黙る、下に行って元凶にとどめを刺す。好きなのをどうぞ」

「――帰ろうぜ」

「そうね」

 

 結局、勝負の結末を見届けた以外何も出来なかった人間たちもまた、用のなくなった天界から地上へと帰路に就く。

 

「なぁ、良かったのかよ巫女さんよ。異変を妖怪が解決して」

「何言ってるの? 異変なんて、起きてないわよ」

 

 眉を寄せる魔理沙に対し、霊夢は飄々とした態度で否定を被せる。

 異変など、起こってはいない。

 博麗神社が破壊され、あわや大惨事の一歩手前でさえあったが、それでもこの騒動は異変ではない。

 

「はぁっ? 博麗神社が潰されたのが、異変じゃなけりゃなんだってんだよ」

「そんなの、決まってるわ――暇人どもの小競り合いよ」

 

 事件であっても、異変ではない。

 それで良いのだ。

 むしろ、そうでなければならない。

 神社が破壊され、犯人が懲らしめられ、それで終わり。

 地上の危機などなかった。

 天界との戦争の可能性などなかった。

 少女の悪戯を、大人が叱った。

 これは――それだけの話だったのだ。

 

「良いのかよ、それで」

「終わった話を蒸し返すほど、暇じゃないわ。気に入らないなら、今から真下に行って犯人を満足するまで懲らしめて来なさい」

「……死体を蹴る趣味はないぜ」

 

 霊夢の言う通り、最早大局が定まっている以上魔理沙に出来る事はない。

 釈然としないながらも納得するしかない状況に、巫女の相棒は唇を尖らせながら無言になった。

 

「それに」

「あん?」

 

 しばらく経って、今度は霊夢が口を開く。

 

「今度は、嘘じゃなかったわ」

「? なんだそりゃ」

 

 解る者にしか解らない、そんな言葉。

 遠い昔に果たされぬまま決別となった、人間と妖怪の間に横たわる小さな絆。

 博麗の巫女が鉾を収める理由は、それで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 妖怪の山の三合目付近へと墜落した天子は、それでも辛うじて生きていた。

 鼻は潰れ、歯は砕け、身動き一つ出来ない状態だが、それでも彼女は呼吸をしている。

 

「かひゅ……かひゅ……」

 

 か細く弱いが、先ほどのような息をするだけで苦痛を伴う呼吸ではない。

 傷は止まった、(やまい)も癒えた。だが、彼女が半死人である事実は揺るがない。

 故に、この天人の命を狙う者にとっては、この瞬間は正しく好機だと言えた。

 

「無様だな、比那名居天子」

「かひゅ……かひゅ……」

 

 獣たちの逃げ去った林の中で、柄の部分から左右に三日月型の刃を伸ばす大鎌を持った死神が、死に瀕した天人の頭上に立っていた。

 黒色のざんばら髪に、釣り気味の黒目。敵意を隠そうともしない殺気を滾らせる若い男の役職は、天人専門の迎え死神だ。

 天子を輪廻の輪に戻せば、彼女を盾にする事で死神への対策を怠けている大勢の天人たちを狩れるようになる。

 長年に渡り追い返され続けた彼にしてみれば、この千載一遇の機会を逃したくはないのは当然と言えた。

 

「ふん、何時もの不遜な軽口も返せんか。今まで散々邪魔をされた俺としては、刈り取る前に命乞いの一つも聞いておきたかったのだがな」

「……」

 

 天子は答えない。

 意識はあるが、あるだけだ。

 死神の言葉を、正確に把握出来ているかどうかも怪しい。

 

「驕り高ぶる哀れな生者よ。お前もまた、他の生命と等しく閻魔の裁きを受けるが良い。輪廻を巡り、魂を巡らせ、世界の循環へと戻るのだ」

 

 余程、天子の魂を刈り取れる事が嬉しいのだろう。死神の上機嫌さが、そのまま追い返され続けた年月を物語っている。

 だが、彼は浮かれる前に職務に忠実であるべきだった。

 刈り取った後でも出来るだろうに、自分にとっての決定的瞬間に酔いしれるばかりの彼は、その時点で致命的だった。

 幸運の女神に、後ろ髪はない。折角の好機を見逃した愚か者に待っているのは、不幸ではなく予定調和だ。

 

「……助けて」

「はははっ、今更言っても――ぐぼぉっ!」

 

 ようやく口を開いた天子へ嘲笑を送った死神の腹を、高速で飛来した誰かの右足が抉り吹き飛ばす。

 

「獲物を前に舌舐めずりとか、貴方どれだけ無能なんですか」

 

 天人を守るように着地したのは、竜宮の遣いにして天人の小間使いである衣玖だった。

 服のフリルとまとった羽衣を揺らし、呆れた様子で地面に突っ伏す青年を見下ろしている。

 

「ぐっ。き、貴様、下女の分際で邪魔立てする気かっ」

「誰かに邪魔されたくないのなら、さっさと総領娘様を刈れば良かったでしょうに」

 

 睨む死神の怒りに臆する事なく、肩をすくめながら正論を告げる天女。

 

「助けを求められておきながら見捨てたのでは、私のキャリアに傷が付きます。よって、貴方にはご退場をお願いします」

「舐めるなあぁぁっ!」

 

 死神が鎌を振り上げ、衣玖へ向けて突進する。

 早く、鋭く、命を奪うに足る十分な技量を持つ死神の一撃だ。

 ただ、残念な事に対峙した衣玖の技量は彼の上をいっていた。

 刃が振り下ろされるより早く左手の羽衣を伸ばして鎌の持ち手を拘束し、真横に引いて軌道とずらすと共に体勢を崩す。

 

「くぉっ、ごぶぉがっ!」

 

 上体の泳いだ青年の腹に、羽衣が螺旋の形状でまとわった右腕の一撃が叩き込まれる。

 

「そぉいっ」

 

 回転する羽衣は、さながらドリルの如く死神の腹部に当たったまま高速で旋回し、竜巻を発生させて捕らえた獲物を巻き込み遥か彼方へと吹き抜けて行く。

 

「さて。これは貸しですよ、総領娘様。貴女の命を救った、勤勉なる竜宮の遣いへのご褒美を……っ」

 

 一仕事終えた衣玖が笑顔で天子へと振り返り、その場に増えた人物に絶句する。

 日傘を差した、紫衣装の美女。八雲紫。

 絶望だった。

 彼女がこの場に姿を現した事は、決して不思議ではない。

 己の箱庭を破壊されかけた、隠れ里の創始者。むしろ、天子の所業を思えば登場しない方がおかしい。

 だが、おかしくないからといって幻想郷屈指の強者が獲物を狙うこの状況では、なんの救いにもなりはしない。

 

「かひゅ……かひゅ……」

「聞こえていますわね、比那名居天子」

 

 天子へと語り掛ける紫を見ながら、衣玖は動けない。

 例え空気を読まずとも、動けば死ぬと解っているから。

 天人を地上の民が殺せば、報復によって無用な争いが生まれてしまう。

 だが、ここにはその天人からの復讐心を逸らす打って付けの人材が居る。死神だ。

 死神は天人を刈る者であり、幻想郷ではなくあの世である是非局直庁に席を置く者たち。

 天人たちの矛先が死神に向いても、幻想郷は痛くも痒くもない。

 彼の記憶を改ざんし、それ以外の目撃者を全て消す。

 それだけで、捻じ曲げられた真実を知る者はスキマ妖怪以外居なくなる。

 死神をこの場に招いたのも、彼女である可能性が高い。

 

「自分が今、何をするべきか解るかしら?」

「かひゅ……かひゅ……」

 

 見下ろす妖怪の瞳は、一切感情を表していなかった。

 僅かでも気を緩めれば止められそうにない殺意を無理やり押さえ込んでいるような、そんなぎりぎりの緊張感を孕む完全なる無表情。

 間違った返答は、死あるのみ。

 しかし、それは逆に殺したいほどの存在であっても、試す価値はあると認めた問い掛けだった。

 耳が痛いほどの静寂の中、しばらく天人の細い呼吸音のみが響く。

 

「ごめん……なさい……」

 

 命乞いでもなく、挑発でもなく、天子の口から漏れたのは紛れもない謝罪だった。

 悪い事をした。だから、反省して謝る。

 それは、大多数の者にとっては当たり前の事でしかない。

 しかし、その大多数から外れるほどに周囲と隔絶した天子にとっては、その一言が出るまでにこんなにも苦労を重ねてしまった。

 

「十五点」

 

 紫の持つ扇が閉じられ、真横へ向けて振り抜かれる。

 術者の意思に従い線の如く細いスキマが開き、強靭なる肉体を誇るはずの天人の頭部が首から無情に切り飛ばされた。

 十五点。評価としては底辺であり、切り捨てるには十分な数値だ。

 だが、天子は今回の事件を経て確かに学び、成長した。

 

「しかし、零点から十五点に上がった()()()は評価しなければなりませんわね」

 

 普段から七十点の評価を得ている者が、もう一度七十点を評価される事は難しくない。

 隔離され、停滞を続ける庭だからこそ、内に住む者の成長と変化は何よりも祝福されるべき事柄なのだ。

 ようやく産声を上げた少女の小さくも大きな成長を無視するのは、流石に大人として狭量が過ぎるだろう。

 

「う……ぁ……?」

 

 スキマによって切り離され、首だけとなって生き続ける自分に混乱する天子を他所に、至極つまらなそうに扇を開き口元を隠す紫。

 正当な成長には、正当なる評価と褒美を。

 故に、紫は己の殺意を心の奥底へと飲み込む。

 

「そこの天女さん。お帰りついでに、伝言をお願い出来るかしら」

 

 お願いと言っておきながら、そこに拒否権はなかった。

 逆らった場合の処遇など、考えたくもない。

 

「「期間は三日。それまでに、「首」の値段を決めておきなさい」」

「っ」

「確かに、頼みましたわよ」

 

 言うが早いか、天子の「首」を持つ邪悪な妖怪は己のスキマに呑まれ姿を消す。

 一秒、二秒――しっかり十秒以上を空けて、衣玖はようやくその場に崩れ落ちた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 滝のような汗も、舌が張り付きそうなほど乾いた口内も、己が確かに生きている証だった。

 衣玖は生かされたのだ、伝言役として。また、天子の胴体の運び役として。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 しばらくの間、天女は震えと呼吸を落ち着かせる事に苦心する。

 誤解なく空気が読めるの才能も、考えものだ。

 あの妖怪がほんの少し気紛れを起こすだけで、この場で虫けらのように殺されていた。

 その事実が、その恐怖が、衣玖の身体を震えさせている。

 

「あー、もおぉっ。総領娘様なんて見捨てて、さっさと帰れば良かったぁ」

 

 きっとこれから始まるのは、比那名居家と妖怪の賢者の間に挟まれた胃を痛めながら神経を擦り減らす、交渉役としての日々だ。

 嘆き悲しみ涙を漏らす衣玖の慟哭が、林の梢に溶けていく。

 

「――今回は、あんたの主さんが一人勝ちかぁ。「必要があれば手を出せ」って言われてたけど、まさか本当に必要になるとはねぇ」

 

 大木にめり込み気絶する青年の死神の前では、八雲の式と四季の部下が始まったばかりの激しい弾幕ごっこを終えていた。

 

「ふんっ。であれば、さっさと失せる事だ。貴様の不在で再び彼岸の仕事が滞るような事があれば、閻魔の監督不行き届きを告発せねばならなくなる」

「うげっ、そいつは困るなぁ。相変わらず、九尾殿はお堅いこって」

 

 主人の命により藍が天人専門の死神を確保しようとした矢先、博麗神社から距離を縮めて到着した小町がその誘拐に待ったを掛けたのだ。

 天人の魂を刈るのは良いが、死神が地上の者に利用される事は許されない。

 小町に今回与えられた役割は、閻魔の読み通りに天子の()()に死神が加担してしまう不正を防ぐ事。

 その不良天人の処遇が決まった以上、無益な争いを続ける必要はなくなったという訳だ。

 

「天人の提示する身代金が気に入らなけりゃ、不良天人の魂は是非局直庁(うち)で預かるよ。変にそこらを泳がれて、怪物にでも変異されると面倒だし」

「そうだな。可能性は低いだろうが、そうなった時は私から紫様へ進言しておこう」

「助かるよ。んじゃあね」

 

 切れ味のない張りぼての鎌で気絶した死神青年を持ち上げ、空いた手を振る死神の姿が掻き消える。

 距離を操作し、己の住処である彼岸へと移ったのだろう。移動という一点において、小町の能力とスキマは同等と言って良いものがある。

 

「……」

 

 最後に残った藍は、緋色の雲を霧散させ沈み込むような琥珀色となった夕の空を見上げ、続いて天子の墜落した地点へと視線を移す。

 

「まぁ、ありなんじゃないか」

 

 少しだけ嬉しそうに、最強の式はそう評価を下して生み出したスキマへと潜る。

 天に座す最強を追い落としたのは、決して最強ではない人形遣い。

 弾幕ごっこではなく、策略と実力を持って強者を下した賢しらな魔法使い。

 その事実は、それほど広まる事はないだろう。

 これは異変ではなく、人外同士の小競り合いだったのだ。

 号外の記事も神社の倒壊に主眼が置かれ、弾幕ごっこですらなかった天人と人形遣いの勝負については、語るとしても紙面の端の端となるだろう。

 しかし、決して少なくない強者が知った。

 アリスという少女の一端を。争い事を嫌いながら、争う事を躊躇わないその歪さを。

 投げ入れられた一つの波紋に、人形遣いを取り巻く者たちが興味を示す。

 警戒する者、見定めようとする者、獲物として狙う者。

 それらが未来にて芽吹くかは未知数だ。だが、確かに今種は撒かれた。

 少なくとも、この時無様に敗北した天人の少女が、アリスへ執念とも言える執着を持つ事は間違いなさそうだった。

 




パ〇ー「親方! 空から女の子が落ちた!(事後報告)」
親方「お、おう」

後日譚の後、緋想天則編の始まりです。

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