実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい〜外伝集〜   作:ピクト人

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お待たせ、待った?



転生野郎Aチーム続編〜未知との遭遇〜

 騒ぎを聞きつけ急行したマフィアたちが見たものは、空前絶後の闘争だった。

 

 否、それを闘争などと只人の尺度で評して良いものか。少なくとも彼らの常識からすれば、眼前で繰り広げられる()()は戦いではなかった。

 

 

 長大な銀の具足を纏った少女が念の弾幕を掻い潜り飛翔する。蒼の残光を引いて乱舞する鋼は空気を切り裂き、敵を叩き潰さんと振るわれる度に破滅的な衝撃を走らせる。

 相対する小柄な男も只者ではない。一撃一撃が大砲の一発に匹敵しようかという少女の激烈な蹴撃を弾き、逸らし、時に切り結ぶ。

 その一挙一動がもはや目で追えない。両者の挙動は既に常人が視認できる域を凌駕している。鋼の衝突により飛び散る火花、足踏みの度に粉砕される床の破壊痕のみが二人の激突の痕跡を物語っていた。

 

 

 別の場所では、あろうことか同じ顔・同じ体格・同じ服装・同じ武装の少女が数十人と寄って集り、一人の女を延々と嬲っている*1。渦中の女は既に息も絶え絶えであり、目立った外傷はないにも拘らず満身創痍といった有り様だ。酸欠による失神と覚醒を繰り返しているようで、その無惨な仕打ちにはマフィアも目を背ける程だった。

 

 

 爆炎が膨れ上がり、激震がホールを襲う。狂ったように哄笑を上げる男が指揮者のように腕を振る度、虚空に出現した美術品のように壮麗な刀剣がミサイルのように撃ち出される。それは着弾するや即座に起爆し、絶えず熱波と衝撃を迸らせている。

 そんな剣弾の悉くを回避し、炎熱地獄の如き爆炎の只中で身を躍らせる剣士がいる。身に纏う着流しは殆どが焼け落ち、されどその身は未だ健在。鬼のような形相、滝のように流れる汗、しかしそんな余裕のない表情とは裏腹に刀を操る身のこなしに淀みなく。美々しさすら感じさせる剣筋は無形の筈の炎すら断ち切り、刀の一閃を以て爆炎から我が身を守り抜いている。

 

 

 そして──

 

 

 マフィアは銃を構えることすら忘れ呆然とその戦いに見入る。

 マフィアだけではない。マフィアに雇われた護衛の念能力者が。十老頭の指示により迅速に駆けつけた陰獣が。

 

 息を切らせながら急行したクラピカもが例外なく。誰もがその言語を絶する闘争を前に言葉を失った。

 

「ォォォォオオオオオ──!!!」

 

「ははははははははは──!!!」

 

 巨獣が咆哮する。その身から溢れるオーラはもはや念能力者・非念能力者の別なく誰の目にも映るのではないかという程の別次元の存在強度。

 その全てが両の拳に凝集する。防御などかなぐり捨て、ウボォーギンは全ての思考を攻撃することにのみ費やした。それ以外の一切を意識より排することで念の純度を高め、獣は己の全存在を以て眼前の敵を圧し潰さんと猛る。

 

 この瞬間に限り、もはやウボォーギンにまともな思考など残ってはいなかった。視野狭窄どころの話ではない。今の彼には敵しか見えておらず、その様はさながら正真正銘の狂戦士(バーサーカー)といったところ。自らを顧みることすらなく、滅尽滅相の一念で敵を絶滅させんと拳を振るっている。

 

 そうまでしなければ、否、そうまでしても倒せぬ敵がいる。

 アーカード。ヘルシングの旗頭であり、今なお褪せることなき畏怖をその名と共に裏社会に轟かせる怪物である。彼は心底から愉快だと言わんばかりに凶相を歪めて笑い、押し寄せる怒涛の如き拳の嵐を迎え撃つ。

 

 その身に満ちるオーラもウボォーギンに負けず劣らず強大であり、だが比較にならぬほど悍ましかった。ただひたすらに強く純粋なウボォーギンのオーラと異なり、アーカードのオーラは泥濘のように暗い澱みに濁っている。

 

 片や漲る生命力を示す純白のオーラ。片や生の対極たる漆黒のオーラ。相反する力を纏う二人がぶつかり合う。

 

 力任せに振るわれる巨獣の拳、拳、拳。それをアーカードは真っ向から迎撃する。ウボォーギンと比べ筋肉量で劣っているにも拘らず、その力は全く引けを取らない。常人ならばただの一発とて耐えられぬであろう暴力の嵐、その悉くを同等以上の暴力で以て応じてみせる。

 

 類稀な怪力と優れた戦闘勘を持つウボォーギンは文句なしに一級の戦士である。そのセンスは闘争の狂気に目を曇らせた状態であっても失われることはない。最適解の動作を本能で選択し、獣じみた嗅覚で敵の急所を狙い澄ます。だが相手は不死身の怪物(フリークス)たるアーカード。的確に脳や心臓を狙って迫る拳をあろうことか無防備に受け入れる。頭蓋を砕かれながら、胸を潰されながら反撃の手刀を繰り出し獣肉を抉り取った。

 

 その凄惨極まる光景を何と表現すべきか。もはやウボォーギンの身体に血が付着していない箇所などなく、漏れなく全身が敵と己の血で赤く染まっている。

 だが輪を掛けて酷いのがアーカードだ。大きく抉れた脳髄は恙なく全身を稼働させ、弾け飛んだ心臓は脈々と血液を送り出す。折れた背骨と崩れた臓器をはみ出させながら疾走し、千切れかかった手足が全力で敵を襲う。

 

 これが不死の戦い。これが夜を支配せし眷族(ミディアン)の戦いだ。肉体の欠損などでは止まらない。死すら足枷になりはしない。無数の死を積み重ねながら無数の屍を積み上げる。その様はただ只管に醜く悍ましい。

 正に酸鼻極まれり。立ち込める血臭に吐き気すらこみ上げる。もはや飛散した血の霧で周囲一帯が赤く染まっている始末だ。具現した地獄の巷に裏社会を生きるマフィアですら恐怖に震えた。

 

「ば、化け物だ……」

 

「どっちも人間じゃねぇ……」

 

 素手で人体を潰し引き裂き粉砕する獣の如き巨漢。五体が微塵に砕けようと無限に再生し動き回る怪なる偉丈夫。いずれにしろ常人からすればまともではない。

 それは超人たる念能力者からしても同じことだった。念使いが一般人にとっての超人ならば、眼前で拳を交える二人は念使いにとってすら理解及ばぬ超越者である。念の技能の有無といった次元の話ではなく、もはや生物としての格が違うと言う他ない。

 

「オオオオオァァアアアッ!!」

 

 ウボォーギンが咆哮し右のストレートパンチでアーカードの顔の左半分を吹き飛ばす。

 残った右の眼球がぎょろりと動く。アーカードに堪えた様子はなく、腱の断たれた腕を強引に動かし貫手でウボォーギンの肩を抉った。

 

「グウゥ……!」

 

 “ジャッカル”の銃撃によって負傷するも、強化系ならではの自己治癒力で修復されつつあった上腕の肉が音を立てて引き千切れる。塞がりかけていた傷を強引にこじ開けられる激痛に、さしものウボォーギンも苦悶の呻きを上げて身を引いた。

 

 猛獣のような獰猛さを見せていたウボォーギンが攻撃の手を止め、アーカードも深追いすることはなかったために束の間戦場が硬直する。呼吸を忘れて両者の攻防に見入っていたギャラリーは思い出したように揃って息を吐いた。

 

 

「何という……あれが本当に私と同じ念能力者だというのか……?」

 

 次元が違い過ぎる、とクラピカは知らず浮かんでいた冷や汗を拭いつつ呟いた。

 

 念に開眼して日が浅く、しかも制約と誓約によって対幻影旅団に特化しているクラピカは、反面“蜘蛛”と関係のない相手に対してはその優れた潜在能力の全てを発揮することができない。

 

 だがウボォーギンとアーカードはそうではない。特定状況下に限定して能力を飛躍的に高めるクラピカと異なり、彼らは相手を選ばずに持ち得る能力の全てを発揮することができる。特殊な条件を課さずとも彼らは純粋に強いのだ。

 

 慄くクラピカの隣で、同じく呆然と次元違いの戦闘を眺めていたセンリツもまた戦闘が一時停止するのと同時に大きく息を吐いた。特に戦闘能力に特化しているわけでもない彼女からすれば、目の前で繰り広げられる戦いは異次元の攻防に見えていたことだろう。

 

「天下の十老頭が主催する地下競売を襲撃するなんてどんな命知らずかと思っていたけど……まさかこれ程までとは予想外だったわ」

 

「ああ。それに、敵も敵なら味方も味方だ。あれほど激しく戦われては介入のしようがない」

 

「……クラピカは誰が襲撃犯なのか見分けがつくの?」

 

「む? それは……ああ、そうか」

 

 クラピカの認識からすれば、いま目の前で戦っている者たちの半数が知っている顔である。第287期ハンター試験を共にしたアストルフォ、一方通行(アクセラレータ)、カオルの三人に、同試験において試験官であったアーカード、エミヤの二人。何故彼らがこの場にいるのかという疑問はさておき、プロハンターであるこの五人に地下競売を襲撃する理由などないだろう。ならば犯人は消去法で残る七人ということになる。

 だがヘルシングを知らない他の者からすればどちらが襲撃犯でどちらが味方か分からないのだろう。尋常でないオーラに中てられ萎縮している者が大半だが、そうでない者も誰に銃口を向けたものか判断がつかず逡巡している様子だった。

 

「まず一番目立っている赤い外套の男、高笑いしている浅黒い肌の男の二人はプロハンターだ。今年のハンター試験において試験官を務めた人物でもある。私より余程年季の入ったハンターだ。少なくとも敵でないのは間違いないだろう」

 

「プロハンター……それなら確かに敵ではなさそうね」

 

「そして、その……なんだ。あのピンク色も味方だ。私と同期の新人プロハンターでな」

 

「あのわちゃわちゃしてる子ね……」

 

 努めて意識から外していた男の娘を示せば、センリツも「まあそうだろうな」といった表情で頷いた。この非常時に満面の笑顔で敵を擽り倒すような者が犯人である筈もない。というか何故分裂しているのか。

 念能力なのは確かだろうが、どのような構成であればあの規模の分身を作り出せるのだろうか。本物と遜色ないレベルの分身を数十体も生み出していることから考えられるのは具現化系と操作系の複合だろうが、放出系も組み合わせねば長時間の維持は不可能だろう。しかし操作系はまだしも、放出系は具現化系との相性は最悪である。よほど総合的な念の練度が高くなければ使い物にならない能力であろうことは想像に難くない。

 

「あとは白髪で細身の男も同じく同期のプロハンターだ。最後にもう一人──」

 

「黒髪の少女だ。彼女は敵じゃないぜ」

 

 クラピカの台詞に割り込むように背後から声が掛かる。

 背後を振り返れば、そこにいたのは同じノストラードファミリーのネオン護衛チームの三人。代理人として競売に参加していたシャッチモーノ=トチーノ、イワレンコフ、ヴェーゼが五体満足な様子で姿を現した。

 

「三人とも、無事だったのね!」

 

「危ないところだったけどね」

 

「津波に押し流される瞬間、渦の中心で念を纏う彼女の姿が見えた。どうやらオレたちは彼女の念能力によって助けられたらしい」

 

 カオルの宝具『大海嘯七罪悲歌(リヴァイアサン・メルトパージ)』の濁流によってホールから逃がされていた三人は、髪や衣服に乱れこそあれ目立った外傷はない様子だった。他の競売参加者の多くが流される中で打撲や骨折などの怪我を負ったのに対し、オーラの恩恵を受ける三人がその程度で負傷することはない。

 

 目を疑うような莫大な量の海水を操り、島一つを沈めたカオルの姿はクラピカの記憶に鮮烈に焼き付いている。セメタリービル突入の際にフロア全体が水浸しだったのは彼女の能力行使によるものなのだろう、と今更ながらに納得する。

 よくよく考えれば、カオルの能力も大概に規格外だ。水を操っていたことから操作系に属するだろうことは想像できるが、それにしてもあの規模の水量に干渉するなど尋常な念使いの域を超えている。加えて操作系の非力さを補う武術──消力(シャオリー)といったか──によって接近戦においても攻防共に隙がない。同じく身体能力の強化幅が低い*2具現化系のクラピカからすれば羨ましい限りである。

 

 

「フゥゥゥ──……クク、分かってはいたが全く恐ろしい怪力だ。死後の念で強化された吸血鬼(わたし)の肉体をこうも繰り返し砕くとは」

 

 肉体どころか服まで元通りに修復したアーカードは喜色に満ちた声音でウボォーギンを褒め称えた。溢れ出る漆黒のオーラは益々以て勢いを増し、炎のように激しく揺らめいている。

 

 一方、ウボォーギンはオーラの勢いこそ本人の闘志を表すように旺盛だが、体力そのものは危険域まで消耗していた。無理もない。無限の体力と再生力の持ち主を相手にかれこれ四半刻は殴り続けているのだ。疲れもしよう。

 それにアーカードとてただ一方的に殴られてくれるわけでもない。特質系の癖して生粋の強化系であるウボォーギンと同等以上の腕力から繰り出される手刀は油断ならない威力を持っているし、何より〝生ける屍の冒涜(クライング・アンデッド)〟の効果で時を経る毎にオーラが強まっていくのが厄介だった。上がり幅こそ緩やかだが、着実に肉体の頑強さが上昇していく所為で攻撃を通すのも一苦労になりつつある。

 

 壊しても壊してもキリがない。どれだけ丹念に破壊しようが次の瞬間には元通りに再生され、しかもオーラは減るどころか増えていく始末。その徒労感は如何ばかりか。

 対するウボォーギンはオーラも体力も有限である。幾ら彼の潜在オーラ量が並の能力者と比較し桁違いに多いとしても流石に相手が悪い。

 

 何故なら相手は真祖の吸血鬼、伝説に謳われる竜の子(ドラキュラ)である。その身に内包する命の数は少なく見積もっても二百万は下らない。どれだけウボォーギンが力を篭めて殴ったところで、一度の殺害で失われる命のストックは一つ分。『死の河』展開中でもない限り都合良くまとめて複数個の命を失わせることなどできはしない。

 つまり、〝超破壊拳(ビッグバンインパクト)〟の乱打は実のところこの上ない悪手だった。どんなに威力が篭められた一撃で殺そうが一回は一回。過剰に過ぎる攻撃はむしろオーラと体力の無駄遣いであると言えるだろう。

 

 そもそもがアーカードを相手に単独で持久戦を挑むのが間違いなのだが。どんな超一流の念能力者であろうと二百万の命のストックを持つ吸血鬼を相手に戦い続けるなど無謀もいいところだ。そして最悪なのが、その事実をヘルシングの一味以外に誰も知り得ないことである。

 

 常識的に考えて、無限に再生し続ける人間などいる筈がない。

 必ず不死の絡繰りが存在する筈。

 いつかは限界が訪れる筈だ──と。

 

 そんなありもしない限界の可能性だけを恃みに絶望的な戦いに身を投じているのがウボォーギンの現状である。

 アーカードと戦うとはそういうことだ。人間ではないのだから人間としての常識が通用する筈もなく、なのに敵対する者は例外なく吸血鬼(アーカード)という“未知”に直面することを強制される。何故なら、よもや敵が御伽噺の怪物だなんて想像できる筈もない。

 

 しかも質の悪いことに本人は“未知”であることが最たる武器であることを弁え、積極的に悪用してくるのだ。彼は決して自らが非人間であることを吹聴せず、あくまでも「規格外の実力を持った念能力者」であるという対外的なスタンスを崩すことはない。故に相手は“未知”を“未知”と知ることすらできず、自らが弁える普遍的な常識の中で戦うことを強いられる。

 

 自らは念のルールから逸脱しておきながら、あくまで敵にはルールの中での戦いを強制する……所詮はガワだけの偽物に過ぎない転生者ならではの小賢しい、だがこの上なく有効な立ち回りであった。

 アーカードという化け物の本質を知るならば「そもそも正面から戦わない」という選択肢も取れよう。あるいは今のウボォーギンの状況に当て嵌めるならば「過剰な威力の攻撃は控え、ペース配分を意識する」といった戦法もあったかもしれない。

 

 だが無意味な仮定だ。ウボォーギンにアーカードの不死の秘密を知る由もなく、だがそれはある意味で幸運なことだった。

 一度殺すのにも全力を尽くさねばならない化け物を二百万回も殺さねばならないなど──時には知らない方が幸福な事実もあるのだ。

 

「……クソッタレ」

 

 強敵との邂逅による歓喜は、徐々に終わりの見えぬことの絶望に取って代わられつつある。首を(もた)げ始めた怯懦を振り払うように血の混じった唾を吐き捨て、ウボォーギンは血に塗れ襤褸布と化した上着を破り捨てた。

 

 

「────」

 

 

 ウボォーギンとしては上着を脱ぎ捨てたことに深い意味はない。ボロボロに破れ、血を吸って無駄に重みを増しただけの襤褸布を煩わしく思っただけである。

 だが図らずも、その行動は彼の背に刻まれた刺青(いれずみ)を衆目に見せつける結果となった。

 

 

 11の数字が刻まれた、禍々しい蜘蛛の刺青を。

 

 

「ッ! ダメよ、クラピカ!」

 

 クラピカの心拍が破鐘(われがね)のような軋みを上げるのと、センリツが制止のために彼の腕を掴んだのはほぼ同時だった。

 それは様々な人の感情を音として耳にしてきたセンリツをして心胆寒からしめる程の激情だった。“魔王”の戯曲とはまた異なるベクトルの執念と怨念を感じさせるそれは、紛れもなくクラピカが積年の恩讐を向けるべき対象を捕捉したことを示している。

 

 つい先ほどクラピカ自身から彼の復讐について話を聞いたばかりである。“蜘蛛”の刻印、クラピカの激情、この二つから因果関係を察するのは容易かった。

 

「止めてくれるな。満願成就の好機が目の前にあるというに」

 

「あの戦いに割って入るのは危険すぎる!」

 

 内心で渦巻く嚇怒の情念とは裏腹に、クラピカの声音はぞっとする程に静かで平坦だ。だが彼が冷静さを欠いていることはカラーコンタクト越しですら分かるほど真紅に染まった“緋の瞳”を見れば明白だった。

 否、瞳を見ずとも分かる。目は口程に物を言い、センリツにとって音は目よりなお雄弁である。これまでのように静かに燻る炎のようだった感情とはわけが違う。仮にも理性で抑えられていたそれは他ならぬクラピカ自身の手で制御を外れようとしており、彼がかつてない程に激しく燃え上がる暗い情念を滾らせていることを心音を通しセンリツに伝えていた。

 

 センリツほど明瞭でなくとも、漏れ出る仄暗いオーラの気配でクラピカの異変を感じ取ったのだろう。アーカードとウボォーギンの動向に気を取られていたシャッチモーノたちも何事かと視線を向けた。

 

「……奴の背を見ろ。数字を刻んだ蜘蛛の刺青があるだろう」

 

 四人から一斉に視線を向けられたことで機を失ったことを悟ったクラピカは忌々しげに顔を歪め、仕方なくといった様子で口を開いた。

 

「蜘蛛の刺青を身体に刻んだ凄腕の念使い……まさか」

 

「シャッチモーノはプロハンターだったな。ならば知っていよう……いや、そうでなくとも少しでも裏に関わりがある人間で奴らを知らぬ者などいまい。

 ──幻影旅団。“蜘蛛”とも呼ばれる悪名高いA級賞金首だ」

 

 判明した思わぬ敵の正体にシャッチモーノとイワレンコフ、ヴェーゼの三人は目を見開いた。

 同時に納得する。十老頭が仕切る地下競売を襲うなど、全世界のマフィア全て……即ち世界の半分に対し弓引くに等しい蛮行である。だがなるほど、あの幻影旅団ならばやりかねないと。そう納得させるだけの膨大な犠牲を積み上げてきた札付きの極悪人どもだった。

 

「なるほど……仔細は聞かないが概ね想像がついた。お前と奴らの間にはただならぬ因縁があるんだな」

 

 クラピカの優秀さをネオン護衛団の選定審査の際に覆面審査員を務めたシャッチモーノはよく理解していた。緊急事態でも失われぬ優れた判断力に対応力、襲い来る拳銃弾や刀剣の刃をものともしない戦闘力。何を取っても非の打ちどころのない素晴らしい素質を見せつけたのだ。やや協調性に難のある傾向は見られるが、そんなものが霞んでしまう程にクラピカは優秀だった。それはリーダーのダルツォルネすら認めるところである。

 

 そのクラピカがあわや考えなしの突撃を敢行しようとしたのだ。敵の強大さを見誤る彼ではあるまいに、無策のまま突っ込もうとするなど尋常ではない。

 

「だがセンリツが言う通りだ。やはり無謀に過ぎる」

 

「そうよ、アンタもあの戦いを見たでしょ!? 敵も味方どっちも化け物よ! 私たちが出る幕なんてないわ!」

 

 イワレンコフが冷静に諭せば、ヴェーゼも同様にクラピカの無謀を咎める。ヴェーゼの言い様はややヒステリックなきらいがあるが、主張そのものは正論だ。

 これで今この瞬間にも旅団によるマフィア虐殺が続いているのならばクラピカの奮戦にも意味はあろうが、現時点での戦況はどう見てもヘルシング側が押している。ここに介入しようものなら余計な手出しになりかねない。

 

 クラピカ自身も頭ではそのことを理解しているのだろう。強く言い返すことはないが、だがそれで納得できるかというと話は別だ。

 到底納得できる筈もない。探し求めた怨敵は目と鼻の先、こんな好機はまたとないだろうに。

 

(これ程の機会をみすみす逃すのならば、私は何のために……!)

 

 具現化したままの念の鎖を握り込み、クラピカは忸怩たる思いに奥歯を噛み締める。

 焼け落ちる故郷、惨殺された同朋の骸……忌まわしき過去の情景。復讐を誓ったあの時から片時も忘れたことはない。友と笑い合っている時でさえ、心の片隅には常に憎悪があった。

 時を経てなお薄れることなき憎悪の炎は鎖という形を成し“蜘蛛”を殺すための力となった。クラピカはその類稀な念の才能を以て信じ難い速度で念能力を習得し──それなのに、追い求めた敵を前に何もできぬ屈辱。

 

 力不足で歯が立たぬと言うのならばまだ諦めもつこう。まだ時期尚早だったのだと自分を慰めることもできる。

 だがそうではない。力はある、“蜘蛛”にも通ずる刃はあるのだ。クラピカは「幻影旅団以外に能力を使用すれば死亡する」という重い誓約を己に課すことで、対“蜘蛛”限定ながら高い能力を発揮することができる。とても念に開眼して一年も経っていない者の実力とは思えない程に。

 

「……クソッ」

 

 だがやはり、激情に支配されようと容易く我を失う程クラピカの理性は柔ではなかった。その明晰な頭脳は憎悪に曇りながらも恙なく回転し、本能の赴くままに動いた際のメリットデメリットを冷静に算出する。

 

 ……そう難しく考えるまでもない。デメリットの方が大き過ぎる。クラピカの軽挙によって現在ヘルシングのみに向けられているヘイトがこちらに向けばどうなるか。

 クラピカだけに被害がいくのなら問題はない。だが旅団の攻撃がノストラードファミリーの仲間に、あるいは今ここに詰めかけているマフィアの構成員たちにも及べば……きっと目を覆いたくなるような被害が出るだろう。何せこの場にいる人間の大半が念能力者ではないのだから。

 カオルの配慮を無駄にするばかりではない。恐らく被害蔓延の原因を作ったとして、マフィアンコミュニティーからの責任追及は免れないだろう。クラピカが所属するノストラードファミリーそのものに咎が及ぶ可能性もある。

 

 それは困る。“緋の目”回収の足掛かりを得るためにも、今ノストラードファミリーが潰れてしまっては困るのだ。クラピカは射殺さんばかりに一度幻影旅団を睨むと、静かに目を伏せ握った拳を解いた。

 

 

「──いやー矛を収めてくれて助かったッスよ。ボスから誰にもヘルシングの邪魔をさせるなって言いつけられてるんスよねー」

 

 

『……!』

 

 唐突に近くに現れた念能力者(同族)の気配に五人は身構える。軽い口調とは裏腹に、その者から感じ取れるオーラは力強く……暴力を厭わぬ剣呑さを宿していた。

 

 そこにいたのはくすんだ金髪の年若い女だった。あるいは少女と言い換えてもいいかもしれない。あどけなさを残す顔立ちが彼女を実年齢より幼げに見せている。

 だが纏う空気は明らかに堅気のものではない。女性らしい起伏に富んだ肢体には明確に鍛えた痕跡が見られ、何より暴力に親しんだ者特有の()()を漂わせていた。

 

「……誰だ?」

 

「名乗るほどの者じゃないッスけど、ヴィンランドファミリーのセレンっていう者ッス!」

 

「名乗ってるじゃねーか」

 

 クラピカが警戒感を露わに誰何すれば、金髪の女──セレンは何とも気の抜ける名乗りを返した。イワレンコフなど思わずツッコミを入れてしまう程だ。

 

「ヴィンランドファミリー……聞いたことがあるな。最近のやくざ者としては珍しく古き良き“仁義”を重んじる気風のマフィア。とりわけ二代目首領ガル・ヴィンランドの手腕は並外れているとか」

 

 裏社会に身を置いてから長く、マフィア事情にそこそこ詳しいシャッチモーノが記憶からヴィンランドファミリーについて知っていることを簡潔に語る。敢えて口に出して言うのは、仲間と情報を共有しようとする意図があったからか。

 

「そして、ヴィンランドファミリーには“猟犬”がいると。女だてらに単独でいくつもの敵対勢力を葬っているやり手の念能力者らしいな」

 

「え~ウチそんな有名なんスか? まあそれほどでもあるってゆーか? 組で一番強いのは確かにウチッスからね~!」

 

 にへら、と相好を崩すセレン。褒められて(別に褒められたわけではないが)子供のように無邪気に喜ぶ姿に、さしものクラピカも毒気を抜かれたような表情をする。

 それもそのはず。何やら大物ぶって登場したが、セレン自身にはこれといって害意や悪意があるわけではないのだ。クラピカが警戒する程の悪辣な奸計を巡らせるような大層な頭は彼女にはない。

 

 セレンはボスの命を忠実に実行する猟犬だ。ボスが一言「殺せ」と命じればセレンは相手の善悪に関わらず無慈悲に、そして無邪気に殺すだろう。

 それはセレンが仕事人気質だというわけではなく、単純に頭脳役の一切をボスのガルや上司のリロイに任せてしまっている故。彼女は自他ともに認める低能(ノータリン)だ。四則演算すら覚束ない頭で思考を回したところでたかが知れており、ならばいっそ「考えるのはやめよう」と結論付けたのである。

 

 そうして出来上がったのが“猟犬”セレンである。主の決定に異を唱えることはなく、命じられるままに敵を喰い殺す。相手が聖人だろうと極悪人だろうと「殺せ」と言われたなら殺す。相手が格上だろうと複数人だろうと「やれ」と言われたなら殺る。

 思考停止の戦闘マシーン。それは彼女なりのヴィンランドファミリーに対する信頼であり忠誠であった。

 

 なお、ガルとリロイはそのピーキーな扱いに苦慮しているのだが。簡単な命令しか理解してくれないし。

 今回もそうだ。ガルとしてはヘルシングが心置きなく戦闘に集中できるようにという配慮が半分。そしてヘルシングが戦果を上げればそれは同時に彼らを遣わしたヴィンランドの手柄になるからという打算が半分あり、余計なちょっかいが出ないようセレンに言い含めた。横槍が発生しないよう監視し、手出しする者が現れるようならばあくまで穏便に、口頭で注意喚起するようにと。気性の荒いマフィアといえど、セレン程の実力者の言葉ならば聞き入れる可能性はある。

 

 だが何をとち狂ったのか、セレンはガルの命令を「横槍を入れる者が現れたなら殴ってでも止めろ」と解釈した。非常に危険な勘違いである。下手をすれば他のマフィアとの確執を生むし、しかもこの場には陰獣もいる。現在この場にいる陰獣は呆然と次元違いの戦場を眺めているが、もし彼らが介入する素振りを見せ、それをセレンが見咎めれば大惨事間違いなしであった。ヴィンランドファミリーのエースである彼女だが、流石に陰獣が相手では勝算はない。というか「陰獣に攻撃を加える」=「十老頭に対する敵対行動」だ。完全な自殺行為である*3

 

 とまれ、クラピカたちの前に現れたセレンが妙に好戦的だったのはそういう理由である。クラピカの怒気と攻撃的なオーラに気付いたセレンは離れた位置でこれを盗み聞きし、もし彼が介入する意思を見せたならば即座に鎮圧するつもりでいたのだ。……実際にそれが可能であるかは別として。

 

「……彼らはヴィンランドファミリーの構成員なのか?」

 

「いや、ウチらの組とヘルシングは雇い主と用心棒の関係ッス。カオル先輩……あの黒髪のぷりちーな女の子ッス……は昔ヴィンランド組で働いてたことがあって、その時の関係で今回ヘルシングと協力関係を結んだというわけッス」

 

「カオルがヴィンランド組と……なるほど」

 

「おろ? お兄さん先輩のこと知ってるッスか?」

 

「さほど長い付き合いではないが、今期のハンター試験の折りに知り合ってな。特にカオルには危ないところを助けて貰った恩もある」

 

 クラピカがそう告げた途端、傍目からも明らかなまでにセレンの纏う空気が和らいだ。戸惑うクラピカを他所にセレンは彼の両手を握り、満面の笑みでぶんぶんと上下に振った。

 

「なーんだ、先輩のお友達だったッスか! ならウチにとってもお友達ッス! 名前なんていうんスか?」

 

「く、クラピカだが……」

 

「ならクラっちッスね! よろしくッス!」

 

「クラっち!?」

 

「クラちゃんの方がいいッスか? 確かにカワイイ顔してるッスけど……もしかしてアーちゃんと同じ男の娘枠ッスか?」

 

「そういう問題ではないが!?」

 

 セレンのあまりの気安さに、この場が戦場であることも忘れて目を白黒させるクラピカ。

 調子を外されたノストラード組の面々は困ったように互いの顔を見合わせる。特に敵対関係にあるわけではないが、相手は他所のマフィア。それも組を代表する名うての念能力者である。本来ならば警戒して然るべき……というかついさっきまでは確かに警戒していたのだが、警戒するのも馬鹿らしくなるような相手のお気楽さに毒気を抜かれたのだ。

 

 一方、センリツだけは密かに胸を撫で下ろしていた。セレンのペースに持ち込まれてからというもの、クラピカの心音は先程までと打って変わって安定したものになったからだ。セレンの態度に裏が一切ないというのも大きいだろう。

 というのも、セレンの脳天気な態度はどこかアストルフォと似通ったものがある。トリックタワーを共に潜り抜けた親友を彷彿とさせる空気を纏う彼女を、クラピカはどうにも邪険にできずにいたのだ。

 

「ま、何はともあれヘルシングが来たからにはもう安心ッス! 幻影旅団だかなんだか知らないッスけど、サイキョーの念能力者である先輩に敵うわけねーッスから! クラちゃんも安心して見てるといいッスよ!」

 

 そう言ってセレンは自信満々にカオルを指差し、鼻息荒くその姿を讃える。アーカードの戦闘を目の当たりにしてなお、彼女の中の最強は依然カオルなのだ。

 

 

 セレンに促され彼らの視線がカオルに向かう。

 そこには、突如現れた黒髪の男に手にしたナイフで首を掻き切られるカオルの姿があった。

 

 

「あのド腐れ野郎ウチの先輩に何してくれとんじゃЫФС※КЙ△НРÜỏ₩∀∞我コラϖڡวوẅ₩ДЗЙ!!??!?」

 

「落ち着け! 何を言ってるかさっぱり分からん!」

 

*1
※擽ってるだけです

*2
〝絶対時間(エンペラータイム)〟発動時は例外だが

*3
ならそもそもセレンを派遣するなという話だが、この緊急事態に仮にも組の最高戦力を派遣しないというのは外聞が悪い。十老頭が陰獣という最強の札を切っている状況ではなおのことだ。加えてそもそも非念能力者の平構成員を送っても無為に屍を晒す恐れがあった




唐突ですが少しお知らせがございます。
これまで大体二週間に一回くらいの頻度で投稿していたこの外伝ですが、今回の遅れから分かるように以降の投稿はいくらかペースダウンすると思います。ちょっとリアルが忙しくなってしまったので、流石にペースを維持できなくなってしまいました。
本当は忙しくなる前にヨークシン編は書き切ってしまいたかったのですが、やはり遅筆に定評のあるピクト人、無念にもリアルに追いつかれてしまいました。

別に小説投稿そのものを辞めるわけではないので、その点はご安心下さい。少なくともこのヨークシン編は終わらせるつもりです。というか多分次回ぐらいで終わります。
活動報告よりは皆様の目に留まると思い、後書きを借りてお知らせ致しました。何卒ご理解頂ければと思います。

ps.清少納言爆死しました☆彡

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