愛に生きる 作:かのん
サブタイトルは『Alcohol is the cause and the solution to many of life's problems』-Dan Castellaneta-の格言から
「落ち着いた?」
彼女が差し出してくれたミネラルウォーターのミニボトルをゆっくりと飲み干す。
この部屋に運び込まれてかれこれ15分ほどだろうか。もうとっくに枯れたと思っていた涙は体の水分を奪いつくすように流れ続けた。彼女が機転を利かせて部屋に連れ込んでくれなければ周りの住人に奇異の視線を注がれただろう。そんなことも考えに及ばないくらいには心を乱してしまったのだけど。
無くした水分を取り戻して安心したのか、それとも泣き疲れたのか、今度は体が空腹と眠気を求めてくる。私は子供か。
「それで、一体どうしたのさ。理子の顔見て泣き出すなんて」
彼女-峰理子-が訝しげに、それでいてこちらを安心させるような暖かさを孕んだ声音で訪ねてくる。
私の女性にしては立派な体格とラテン系の大人びた顔立ち、こちらを伺うような極東の血が混じった幼い顔立ちと小さな体躯、端から見たら私たちは姉妹のように見えるのかもしれない。実際の立場は全くの逆なのだけど。
「言いたくないなら無理にとは言わないけどさ、何か悩んでることがあるなら吐き出しちゃった方が楽だよ?」
私がそんなくだらないことを考えている間を躊躇いと受け取ったのか、無理に踏み込もうとせずにこちらに合わせようとしてくれる。
確かに進んで話したいことではないし、私もまだ事実を受け止めきれていない。彼女の善意には申し訳ないけれど、それを口にしたくはないのだ。
「ごめんなさい」
だから、誠意だけは見せることにした。今後私が事実を受け止めきれたら、想いを乗り越えられたら話そうと心の中で決めて、感謝の思いも乗せて口にした。
「いんや、理子も人に言えないことぐらいいっぱいあるからねえ。そもそも武偵なんてやってたら人に言えない悩みくらい抱え込むもんだよ。だからまぁ、その気になったら話してくれたら嬉しいかも」
こちらの思いを察してくれたのか、そんな言葉で言外に気にしていないと伝えてくれる彼女の優しさが身にしみる。
だからそれまでに自殺なんかしないでね、なんていたずらっぽく付け足して。
「そういえば外人さんだよね!?どこから来たの!?何年生!?」
目をまん丸にしてわざとらしく、それでいてどこか自然に感じるような仕草で話題を帰ってくる。部屋を満たしていた暗い雰囲気を一変するように。
元気いっぱいの笑顔がこの部屋が元来持つであろう明るさを取り戻す。
ああ、こんな風に笑える日が来るといいな、なんて思いながら3日ぶりのギクシャクとしながらも明るい日常をかみしめた。
2年生と答えた時の彼女の何か納得したような顔を、不思議に思いつつ、彼女の手料理を口にして。久しぶりのご飯が少しずつ荒んだ心を和らげてくれるのを感じて。
そうして、もう心配しなくてもいいかな、と彼女が判断するまで他愛のない話に興じてから部屋に戻った。
ほとんど話しているのは彼女で、こちらはただコクコクと相槌を打つだけ。たまにポツポツと言葉をこぼしてゆっくりと話す私に、彼女は、うんうん、と頷きながらこちらのペースに合わせて付き合ってくれた。
まだ全然ボロボロになった心は癒えないけれど、この異郷での日常をゆっくりと過ごしていけると思えるような不思議な安心感を与えてくれた。
そのうち、この悲しみを忘れずとも乗り越えることができる日が来るのだろう。
新しい地で暮らすにあたって色々とモノが足りないことに気付いたので、今日は一日、学園島内部やお台場周りを買い物がてら見て回ることにした。昨日彼女に慰めてもらって心が一息つけたのか、ようやく身の回りのことに目を向ける余裕ができてきた。
まず、家具がない。机もベッドも洗濯機も何もかも。武偵高が一般常識から外れているのはローマだけかと思っていたがそんなことはなかったらしい、むしろ
朝改めて確認した自分の顔は頬も軽くこけて、目の下にうっすらとクマも浮かんではいたが、十分に化粧でごまかせる感じだった。昨日は焦点の合わない目と意識でぼんやりと確認しただけだったが、かなりマシになったんじゃないかなとは思っている。
それでも同年代の少年少女が通う武偵高に登校して顔を晒す度胸はなかったので今日は一日買い物に費やすつもりでサボタージュを決め込んだ。第一印象は大切なのだから仕方がない。
連絡しようにも携帯がないから当然無断欠席だ。固定電話なんて設置されてなかったのだし私は悪くない。
春の陽気が降り注ぎ、そよ風に揺れる街路樹の新緑の中で遠く響く銃声と剣戟のに苦笑いを浮かべて学園島を練り歩く。
学園島の名の通り学生の住む街といった色に溢れ、筆記用具や家具などは3時間も歩いていればすぐに揃う。
新年度がすでに始まっているせいか新居用に備えられていた家具の部類が少し割安で売られていたのがありがたかった。生活費のほとんどはバチカンから支給されるお金で賄えるものの、やはり無駄遣いをしてしまうのは心が痛む。学費も出してもらっているのだし少しでも節約を心がけたい。
そうしているうちに時計の短針は頂点を通り過ぎ時刻はとっくに昼の2時。
遅めのお昼ご飯にでも洒落込もうかと思ったけれど、学園島内のファミリーレストランなどには私が支給されたのと同じ制服の少女たちや一緒にいる少年たちがチラホラと。
なんとなく今の自分を見られたくはなかったので一旦学園島の外に出てご飯を食べることにした。
業者の人たちが家具を設置しにきてくれるのは17時だし、食べた後に時間を潰して帰ったらちょうどいいくらいだろうか。
そういえばまだ携帯電話を契約していないし、その間にやっておこうか、なんて考えてお台場に向かって出るはずのモノレールの駅を探す。探すといっても1周5kmの小さな島だ。苦労しなくてもすぐに駅は見つかる。
駅へ向かう途中に弾痕で埋め尽くされた倉庫やら、何かの爆発で焼け焦げた土が残るグラウンドなども目にしたが、狂気しか感じない。少なくともローマ武偵高はここまで酷くなかったと思う。絶対にだ。
今日決めていた予定諸々が終わって、やっと一息つくことができる。設置された新品のソファに体を預けてちょっと前に頭の中に降りてきた問題と真正面から向き合う。
「連絡どうしよう」
絶対怒ってるよなぁ。日本きてから音信不通だったし。
怒られたくない。
子供か、なんて思うけど。怖いのだ。普段温厚な修道女の上司やホワホワしている姉貴分は、一度身内の不始末や戒律破りを目にすると烈火のごとく怒り出す。それはもう人が変わったかのように。
「ほんと、どうしよぅ」
新品の携帯を目の前の机に置いて頭をかかえる。彼女たちの連絡先は覚えているし、なんなら買った直後に登録までしたのだが、通話ボタンを押す勇気が微塵たりとも湧いてこない。
このまま時間が経てば経つほど私の罪が重くなるのはわかっている。それでも、骨の髄まで染み込んだあの拷問とも思えるような懲罰や、精神をゴリゴリと削ってくるお説教を私の体が拒んでしまっている。それはもう全力で。
携帯に伸ばす手は震え、触れる前に引っ込んでしまう。このサイクルをもうかれこれ30分も続けて、今はもう手を伸ばすことさえできない。
時刻はもう18時を回ってしまっている。ローマとの時差は7時間だからあちらはそろそろお昼だろう。人はお腹が減っていると怒りっぽくなるというし、もうこの際、あちらの食後に合わせて連絡することにしようか。少しでも気が緩んでお説教が短くなることを祈って。
多分お説教の後は何もする気が起きないだろうし、夜ご飯も済ませて、寝る準備をしてから地獄の扉を開こう。開き直ってソファから立ち上がり、いざ、最後の晩餐の用意でもとエプロンをして気合を入れ直したところでインターホンの音が部屋に響いた。
「アテナん、今日も来なかったけど大丈夫?」
扉を開けてみれば、昨日世話をしてくれた彼女の姿が。
確かに今日は休むと伝えていなかったが、なぜ私が休んだことを知っていたのだろうか。
「だって同じクラスだもん」
海外からの留学生てアテナんのことでしょ?と続ける理子。ちなみにアテナんというのは私のあだ名だ。昨日話している間、気づかぬ間に私の呼び名が決まっていた。
同じ学年だったのか。
昨日私が2年生に編入することは伝えたけど、彼女の学年は聞き流していた。そんなことを気にする余裕がなかったのだと言い訳したい。
小柄な体型と極東人特有のベビーフェイスのせいで1つか2つ下だと無意識のうちに決めつけていた。羨ましい。
「それよりご飯ちゃんと食べた?体調はどう?何か困ってることある?」
昨日の醜態を見たせいか、私を庇護しなければとでも思ったのだろう。まるで保護者のように世話を焼いてくれる。
今日は家具を揃えるために使ったのだと伝えて心配をかけたことを謝罪する。理由は如何にせよこうして私の身を案じてくれる隣人の好意を無下にするわけにはいかないから。
「なら良かった、心配したんだよ〜」
わざとらしく泣き真似をしながら私を抱きしめてくる。柔らかいプニプニとした体と小柄な体型に似合わない豊満な胸が押し付けられる。本当に羨ましい。
じゃあ復帰祝いに理子がご馳走してあげる、と抱きついた時に解いたのか私が身につけていたエプロンを剥ぎ取って身に付け、奪い返す暇もないうちにキッチンへとかけていく。隣の部屋も同じ間取りなのか迷うことなく一直線に。
「お〜お酒がいっぱい」
キッチンカウンターに並べられたウィスキーボトルの群れに目を輝かせて、ついで冷蔵庫の中身をチェックしていく。普段から料理もしているのか結構手際が良い。
20歳未満の飲酒が制限されている日本では窘められるかと内心ビクビクしていたが、アテナんも悪い子ですな〜、とか言って気にする様子もない。思い出せば昨日見た彼女の部屋にもちょこんとお酒が置いてあった。そういうことなのだろう。
テキパキとそこそこのスピードで調理を始めていく彼女をもてなすこともできずに、手持ち無沙汰になりながら手伝おうとすると、いいから座って待っててよ〜とキッチンから追い出されてしまう。この際だから彼女に甘えてしまおう。そう考えて再びソファに身を埋めてキッチンから漂ってくる安心する匂いに包まれた。
彼女の手料理に舌鼓を打って、ついでに並べてあったボトルの中からJack Danielsを持ってきて晩餐を楽しむ。やはり普段から料理を嗜んでいるようで結構美味しい。彼女なりのこだわりなのか具材の一つ一つが可愛くカットされていたりデコレーションされていたりと視覚的にも楽しめる夜ご飯だ。
酒豪なのか、酒癖が悪いのか、結構なハイペースでウィスキーボトルの中身を消費していく彼女につられてこちらのペースも上がっていく。
普段は酔いすぎないようにペースを抑えて飲むのだが、醸し出す安心感に気が緩んだのだろう。溜まりに溜まったストレスも手伝ってお酒が進み、どんどん気分が陽気になっていくのを感じる。
彼女もアルコールに引っ張られたのか、生来の陽気さを全開にして面白おかしく騒いでいる。
フランスの血が混じっているそうだし、この陽気さは私と同じラテンの気質だろうか。それにしては綺麗な金髪をしているがフランスはゲルマンも一定数いるからどこかで血が混じったのだろう。
ローマでも後輩たちと内緒でウィスキーボトルを囲んだりしていたが、酔いつぶれるまで飲まないのが向こうのマナー。
あちらでは経験しなかったこういう飲み方も結構楽しい。
キンイチとも飲んで見たかったなぁ、なんて想いが脳裏をかすめて一瞬気が落ち、それを振り払おうとロックでグイッと煽る。向こうも故郷の話の中で嫌な思い出が湧いて出たのか同じようにアルコールを流し込む。
お皿が空になってもボトルが空になるまで騒ぎは続き、結局ボトル1本を消費してお開きになった。
明日はちゃんとくるんだよ〜と理子がフラフラになりながら部屋を後にして、散らかったお皿とボトルをキッチンの流し台に積み上げて、このまま寝てしまおうと倒れ込んでからようやくバチカンへの連絡を忘れていたことに気づいた。
今なら余裕でイケる、とタガが外れた頭で通話ボタンをポチってローマに国際電話をかける。
「もしもし〜メーヤさん〜?」
帰ってきた怒号で体に回った酔いが瞬時に冷めた。
用語解説
・峰理子
東京武偵高探偵科2年生。武偵ランクはA。
金髪ロリ顔ロリ体型(ただし胸は覗く)のおバカキャラで無茶苦茶な言動をしているが情報収集や変装などに長けた優秀な武偵。
本作では主人公の隣の部屋に住んでいる。また、ファーストコンタクトの影響もあり、今のところ主人公相手には保護者的な立ち位置にいる。
メインアームはワルサーP 99。
・メーヤ・ロマーノ
主人公が最後にかけた相手。
ローマ武偵高殲魔科の5年生。
バチカンに所属している修道女でもあり、本作では主人公の上司的存在。
今回の解説はこんなところで。
銃器解説できないのが辛いんじゃ〜